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Meteorの、結婚式の様子です。アルバム作成のため、笑顔の練習をさせられました・・自分では不自然に思うほどの笑顔じゃないと、写真に写ったとき半笑いぐらいになっちゃうらしいです。それってMeteorだけかなぁ・・諸問題を鑑みて、写真は期間限定で・・(何様のつもりか)だってそんな長いこと人目にさらせる顔でもないですし。配偶者くんの許可は得てないし。不鮮明な写真だからってことで、ゆるしてね、配偶者くん。
2005/05/31
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2日目からようやく観光のスタート。辛かったのは朝が早いこと。出発はまあ8時とか8時半なのだけど、常に移動して回る旅なので、荷物をバスに積んでもらうために、7時とか7時半とかにはしっかり纏めて部屋のドアの外に出しておかなければならない。これが意外に大変だった。観光で向かったのはエフェスという土地。古代ローマの遺跡がたくさんある町で、ギリシアやローマの観光パンフで見るような遺跡が次から次へと現れた。大図書館跡、円形競技場跡、神殿跡、市庁舎跡、浴場跡、水道橋跡。地面は美しいモザイクで舗装され、建物の装飾もものすごい細密で美しかった。遺跡には草が生い茂り、あちこちに真っ赤な芥子の花が咲いていた。ガイドさんによると、円形競技場の収容人数から、当時のその都市の総人口がわかるという。ここエフェスには2.5万人収容の円形競技場があった。すなわち25万人の都市、ということらしい。それから印象が強かったのが、「聖母マリアの家」である。聖ヨハネと聖母マリアは、イエスの死後、エフェスに逃れて余生を過ごしたという。聖ヨハネの教会もあったし、聖母マリアが住んだ家もあった。わたしはとりわけキリスト教徒というわけではないけれど、それでもその威厳には胸を打たれた。聖母の家は静寂に包まれて、密やかだけれど決して儚くはない雰囲気を醸していた。エフェスの遺跡は(遺跡としてはエフェソスという名だった)険しい山の中にあり、視界の開けたところへ行けば、辺りが一望できた。その日は空も青く空気も心地よくて、新緑の緑色が鮮やかに美しく映えた。そして咲き乱れる花が穏やかなアクセントをつけていた。遺跡は年月により色彩を失って石の色になっているけれども、それらの威容は少しも損なわれることなく今もここにあるんだ。古代ローマ時代。気が遠くなりそうな昔、エフェソスは先進都市だった。音響効果のきちんと計算された円形競技場。ここでは政治的集会も行われたそうだ。男女は平等ではなかったけれど、ギリシア文明のそれより更に民主的な協議性をもって政治は執られていたという。午後は革製品の工場を見学。イズミールという都市は周辺諸国にも名立たる革製品の産地だそうで、某有名ブランドに卸したりもしているという工房を見せてもらった。店員の中から美男美女を集めたという軽いファッションショーも見せてもらった。お店の製品を着て颯爽と歩く俄かモデルさんたち。しかし彼らは本当に美男美女であるばかりか、歩き方も実に堂に入っていた。店員さんの俄かモデルってのはフェイクで、本当のモデルさんだったのだろうか。などと考えていたら、わたしと姐御夫妻と関西カップルの女性が舞台に引っ張り上げられた。奥に連れて行かれたら、お店の製品がずらりと勢ぞろい。モデルさんたちがあれこれ陽気に討議した結果、わたしたち4人に着せる服が決まる。そしてモデルさんに伴われて舞台へ。ひぇぇ・・・姐御夫妻の旦那様は、「ザ・道化服!」みたいなのを着せられて、(たぶんジョーク用に作ったのだろう・・・)実に鮮やかにおどけて見せていた。わたしはつい尊敬のまなざしを送ってしまった。そういうとき、冷め冷めでやる気がないことほど格好悪いことはない。姐御の旦那様のように、乗っておどけて見せられるのは、人間的余裕を感じてとても素敵だ。というわけで、わたしも精一杯モデルを気取って歩く。ここで必要以上に尻込みするのも自分の美学に合わない。しかし、あとから配偶者くんの撮ってくれた動画を見たら、自分の姿勢の悪さにげんなりした。やる気と実際の見た目は正比例はしないらしい。その後、バス移動すること200キロ。パムッカレへ向かう。200キロ!?と思ったけれど、そんなのまだまだ甘い。この旅では400キロ以上をバス移動する予定があるのだ。車酔い、大丈夫かなあという不安が勢いを増すものの、まあどうにかパムッカレ着。パムッカレというのは石灰岩による岩棚で、秋吉台のカルスト台地と千枚田が合わさったような地形だ(?)。その観光は翌日である。この日は移動と、ホテルでのディナーのみ。ホテルに着いたら豪雨と雷鳴の嵐になってしまい、スパリゾート的な造りのそのホテルでは、いろいろと難儀な思いをした。おまけになぜか夏季はエアコンが効かないとかで、暖房は入らない。6月は夏季だというけど、まだ寒いんだ!仕方なくここでもまた毛布を追加してもらって(「ワンモア・ブランケット・プリーズ!!」)寒さをしのぐ。配偶者くんはまたも早々に寝入っていた。わたしも今日は疲れが出たのか、眠剤ナシでなんとか眠れた。
2005/05/30
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この内容を「鬱病」のカテゴリに書くのはどうかと思ったけれど、まあ鬱病を持つ人間の見た異国の風景とその感想たち、ということで・・1日目は移動の日。セントレア→成田→イスタンブール・アタチュルク空港成田で少し時間が有ったので、免税店を冷やかしながら時間をつぶす。配偶者くんはこの時点ですでにおなかを壊し気味で、暇さえあればトイレに行っていた。ツアー客集合し、成田からトルコ航空に乗り込む。ここで早速、我々は自分たちの甘さに気づかされた。寒いのである。飛行機内というのはいつでも少し肌寒いものなのだけど、トルコ航空機内は、じっとしていると全身が冷え切って震えがくるぐらい寒かった。ブランケットを追加してもらってミイラのように包まった。出発前に5・6月もトルコの気候を調べたら、ほぼ東京と同じ感覚と書かれていた。地方によって多少暑い寒いはあるけれど、平均して東京並、と。東京並、すなわち日本と一緒、すなわち普段の感覚と変わりナシそう早合点した我々は、寒さ対策をほとんどしていなかった。・・・これが大間違いだった。真昼間に歩き回ったときぐらいしか「暑い」と感じることはなく、むしろ常に肌寒くて、唯一の防寒着、長袖パーカーをフル活用してしまった。自分だけじゃなく配偶者くんも寒がっていたから、本当に気温が低かったのだろう。(というか、我々の服装がいかにも夏過ぎたのだろう)そういえば成田で集合したとき、メンバーを見たら、みんな長袖で生地の厚いものを羽織っていた。なるほど、皆さん海外旅行は歴戦のつわものというわけだ。配偶者くんと考えた結果、名古屋と東京では結構気候が違うのではないか、という結論に達した。名立たるヒート・シティ名古屋は、もしかしたら真夏以外も東京より暑いのか・・ツアーメンバーは総勢11組21人。同年代と言えそうなのは我々を含めて3組のカップルだけで、あとはだいぶ年上の方々だった。(あとは一組、親子連れの方がいて、その娘さんの方は我々より若そうだった)みんな海外旅行慣れした風情で、初心者の配偶者くんと2回目のわたしは妙に落ち着きがなく見えた。トルコって海外旅行初心者向けじゃないのだろうか。メンバーは熟年カップル(旦那さんリタイア後、趣味の道楽旅行三昧です、と言っていた)マダムズ(わたしの母ぐらいの年齢の女性二人連れで、旦那は家で待ってるわと言っていた)飲兵衛ズ(旭川の歯医者さん4人組で、食事のとき常に大酒を飲んでいた)親子さん(上述の母子連れさん)カメラマン(一眼レフとデジカメを2台操って写真を撮りまくっていた、一人旅の男性)ブルジョアさん(ご夫婦ともに要所要所で高価な買い物をしていた)姐御夫妻(さばさばした奥様と穏やかな旦那さんの、素敵なご夫婦)関東カップル(我々と同年代のカップル・東京組。ハネムーン中)関西カップル(我々と同年代のカップル・京都組。ハネムーン中)で、我々。ツアコンさんはベテランの女性。現地ガイドさんは、我々よりも流暢な日本後を話すトルコ人の男性。ハネムーンが3組もいるのには、お互い驚いた。誰もが、「ハネムーンでトルコ、っていうのはなかなかありませんよ」と旅行社の人に言われていたからだ。なかなかないどころか、21分の6がハネムーンなんだけど。これって普段ありえないことなのか・・?イスタンブールまで延々12時間半、それから国内線でイズミールという土地へ向かう。時差と飛行機特有のだるさでふらふらしながらも、現地時間深夜1時過ぎにホテル着。本格的な観光は明日からだ。とりあえず、寝る。・・・しかし機内で寝倒していたため、寝られない。しかたなく、旅先では頼るまいと決めていた眠剤に手を出す。配偶者くんは心地よさそうに高いびきで転がっていた。
2005/05/29
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セントレアから成田に来ました。 昨夜は二時まで荷物詰め… 荷物を前にまた号泣です。 こんなんで八日間大丈夫かなぁ。 でも憧れのトルコ。 いってきます!
2005/05/29
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結局ネットは開通せず。明日から新婚旅行・・・今日は残った食材を片付けるのと、荷物つめで朝から晩まで大騒ぎだった。日記を書いている暇もない・・(なのに書く)しばらく出かけてきます。5日に帰国の予定です。日記のアップは出来ないけれど、そしてみなさんのところにご訪問も出来ないけれど、元気にやっている予定なので、忘れないでくださいね・・
2005/05/28
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昨日は配偶者くん飲み会のため、わたしも実家でのんびりしてきた。ついでにまだまだまだまだ残っている自分の荷物を、両親に車で運んでもらう。それでもまだ引越し完了とはいえない・・。10時ごろに社宅に帰り、配偶者くんを待つも、連絡はなし。まあ「終電では帰りたいなぁ」と言っていたから、日付が変わるのは覚悟の上だ。お風呂でも洗おう。そう思って風呂場に行ったけど、なぜだか浴槽の栓が抜けない。ものすごくぎっちり排水穴に詰まっていて、わたしの力ぐらいじゃ全然抜けないのだ。しばし呆然とした後、仕方がないので、洗面器で浴槽の水をくみ出す。ある程度減らせば水圧が減って抜けるかと思ったのだ。しかし、結局、ほとんどの水を出してしまうまで栓は抜けなかった。で、号泣。「なんで抜けないの!?」と独り言を叫びながら、号泣。それでも、アイロンかけがたまってるじゃん、と思い出して、彼と自分のシャツを2・3枚手早く終わらせる。ここで号泣はちょっと小休止。次に、洗濯物を明日(つまり今朝)のために洗濯機にセッティング、と思って片付け始めたら、また号泣。1回じゃ終わらないぐらいの量の洗濯物を前に(ふたりなのになぜ?)、今度こそ座り込んで号泣。わたしはひとりで居るとテレビをつけないので、部屋は静かだ。自分の鼻をすする音だけがずるずるとやかましい。窓辺に座って、ベランダにはみ出しながら、号泣。隣の部屋の人ごめんなさい・・・昨日は号泣の一日。ひとしきり泣いてたら2時になった。配偶者くんが帰ってきたので、一緒に寝た。今朝は・・・3時半に目が醒めた。ハルシオン、アモバン、ノクスタール、ルジオミール、パキシル、メデポリン。お願い、頑張って薬たち。3時半からまた朝風呂、その後洗濯と朝食の支度。行きたくないよう、を連発していたら、配偶者くんが(彼は今日はお休み)駅まで送ってくれた。久々に、苦しい。会社に行くのがというよりも、何かをすることが。何かを始めることが苦しい。始めたことを終えてしまうのが苦しい。スパイラルだ。どうしようもない。今日こそ配偶者くんがネットを開通してくれる。それだけは、少し、楽しみ。繋がったら楽天の皆さんのところに遊びに行こう。いっぱいいただいたコメント、嬉しかったですって伝えて廻ろう。
2005/05/27
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昨日、配偶者くんは、9時半頃帰宅。一緒にご飯を食べた後、ネット設定をしてくれようとするも、PCの電源を入れただけで居眠り体勢に入ってしまった。疲れてるんだろうなぁ・・と思って放っておいたけれど、そのまま1時まで寝続けられると、さすがに寂しくなってきた。だってほとんど何の会話もしてないんだもん。彼が寝てる間に、食事の後片付けと、お風呂洗いと、洗濯物の取り込みと、アイロンかけと、布団敷きができてしまった。ついでに自分もお風呂に入ってしまった。眠剤を飲まずに漫然と配偶者くんが目覚めるのを待つ。途中何度か、寝るならちゃんと布団で寝なよって起こしたんだけど、さっぱり起きてくれなかった。寂しいというか悲しいというか、何か危険な兆候が心臓のあたりでうずきだす。2時前に、諦めて眠剤を飲んで寝た。今朝も5時起き。洗濯は省略して、自分の身支度(朝風呂)と、朝ごはんの準備。配偶者くんが起きたら昨日の文句を言ってやろうと思っていたら、急に心拍数が上がって全身が熱くなり、激しい食欲に駆られた。冷蔵庫の中にあったお饅頭をひとつと、チョコスナックを一箱、空けてしまった。起きてきた配偶者くんは早々に「昨日はごめん!!」と謝ってくれた。ので、もやもや氷解。責める気も失せて、一緒に朝食。でも朝の過食のことが気になって食べられない。無理矢理食べて、配偶者くんを眺めていたら・・・号泣。あれれ、もやもやは氷解したんじゃなかったのか。でも号泣。どうしたの? と、しきりに聞いてくれる彼。昨日自分が何もせず寝ちゃったから? ごめんね、と言い続ける彼。「違うもん。片付けたくないんだもん」と、こどものように朝食のテーブルを指差すわたし。今日の朝食は、パンが切れていたから、ご飯とお味噌汁と、ちくわの梅シソ詰めと、こんにゃくの煮物。それからコーヒー。メニューが何であれ、朝は必ずコーヒーを飲むのが、我々の共通の習慣だった。それらの原型は既になく、完食してくれた配偶者くんのお皿は行儀よく積み重ねられていた。号泣しながらも食器を片付けた。その後少し横になったらそのまま15分ほど居眠りしてしまった。「もう時間だよ、行かなきゃ」と配偶者くんが起こしてくれた。時計を見てまた号泣。「だってもう40分の電車間に合わないもん」もちろん、40分に乗れなければ44分に乗ればいいのであるから、それは完全に言いがかりである。何かを察した配偶者くんは「今日、休む?」と言った。でもわたしは首を横に振った。壊れてきている。朝ごはんのちくわに詰めた梅干は、お母さんが去年漬けたものだ。大事な梅干。過食後の朝ごはんの中でも、そのちくわだけは美味しかった。壊れてきている。
2005/05/26
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ネット、未だ開通せず・・。昨日から回線は使用OKなのだけど、PCの方の環境設定ができていない。昨日、配偶者くんが帰宅後に設定してくれる予定だったのだけど、帰宅したのが11時だったため、断念。仮にもSEの端くれなんだから、自分でやればいいのに、と思わなくもないけれど。わたしは「なんちゃってSE」なので、ハード面・ネットワーク面には滅法弱い。おまけに「環境設定用のROMがない!」といって配偶者くんが家捜しをしていたので、ネット開通はまだ先になりそうな予定・・。というわけで、今日も別PC(会社の端末・・)からしぶとく記入する。自分は会社では、ネット閲覧権限がないことになっているので、朝や昼休みに慌てて記入である。週末から新婚旅行なんだけどなぁ。それまでには開通できるといいなぁ。仕方がないので、PCをスタンドアロンで使う。結婚式に来てくれた人が撮ったデジカメ写真をROMでくれたので、配偶者くんうたた寝の隙にひとり上映会。ほんの数日前なのに、結婚式の写真はなんだかすごく懐かしかった。結婚したら、家事をやることになって、必然的に生活が正されるかな?と思っていたけれど、睡眠不足は変わらないみたいだ。朝5時から起きて洗濯と身支度と朝食準備をするわたし。(洗濯は毎日する予定じゃないんだけど、着る服がなくなるので今のところ毎日している)・・・。変われば変わるもんだなぁ。どっかでドーンと皺寄せが来なきゃいいけど・・「落ち気味」も気配のうちにやっつけた。せめて旅行までもってくれ、このテンション。
2005/05/25
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新居のPCは相変わらず不通。明日になったら開通予定。それまではブログ生活がままならない・・でも、却ってよかったかもしれない。いろいろ忙しいから、「ブログ環境があるのにできない」だとストレスになりそうだ。いっそ「できない」方が潔いと思う。・・・と言いながら、別PCから必死で記入してるけど。新生活も3日目。まだまだ引越しも終わらず、生活リズムもつかめない。でも、ゆうごはんと朝ごはんだけは、わたしが作って家で食べる。出来合いでもインスタントでもいいから、わたしが準備して一緒に食べる、それが嬉しいんだと配偶者くんは言う。そして本当に、すごく喜んで食べてくれる。こういうのは、嬉しい。たしかに。でも昨日はちょっと落ち気味だった。身体の調子が思わしくなかったので、気分も引きずられたみたい。しかし、夕飯の支度にかかりきりになっていると、それも一旦は忘れられた。意外に役立つ、慣れない炊事。今日もなんとなく身体は調子低迷。ここで頑張りすぎて、せっかくの旅行前に皺寄せがこないようにしなくちゃね。今週木曜日、配偶者くんは飲み会だといっていた。よし、その日は炊事サボリの日決定。旅行準備に全力が投じられる!貧乏性なので、準備とか早目に整えないと落ち着かないのだ。ところで、過去の日記にいただいたコメントにも、少しずつですがお返事を書いてます。書いて、アップするので、もしよかったら見てやってください。これまた大急ぎ記入なので、至らないお返事になりますが・・
2005/05/24
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何事もなかったように、今日は出社。旅行は来週からだ。身体的にはあまり疲れていないつもりだったけど、昨日も引っ越しと片付けと夕ご飯の支度に追われていたためか、疲れが取れず、思いの外辛い。今朝も五時に起きたしね…。
2005/05/23
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先日は、たくさんの暖かいコメントをいただき、ありがとうございました!!おとといのコメントにもまだお返事が出来ていません・・ごめんなさい。新居はまだネットがつながっていないので、携帯から日記を読むことと書くことしかできず。なので、実家に荷物を取りに来た隙に、PCチェックしています。(この日記も大急ぎで記入)みなさんにいただいたコメントも、ひとつひとつ、嬉しく拝見しています。本当にありがとうございます。自分って幸せ者だなぁ・・感涙です。まだ自分の引越しが全然終わっていないので、今週いっぱいぐらいは実家に日参の予定・・式は無事に終了しました。みんな祝福してくれて、親友からも祝辞をいただいて、すごくすごく嬉しかったです。自分が主役のパーティーなんて、人生で一度くらいしかないから。以前は、式は絶対やらない!!って思ってたけど、やると決めたからにはあれこれ手をかけて、終わってみれば、幸せな時間でした。緊張したけど(笑)配偶者くんは更に緊張して、滴るぐらい汗をかいていたけど(笑)両親への手紙も涙なしで読めました。泣いてしまうと上手く言葉が伝わらないので、笑顔で、笑顔で。そう思っていたので満足の結果です。改めて手紙なんて照れくさいけれど、両親も喜んでくれました。こういう機会でもないと、いえない言葉って存在するから。やっぱりちゃんと言葉にするのって、必要なことなんですね。実感。出席してくれた友達のおめでた話も聞けたし、ブーケのプレゼントも喜んでもらえたし、本当に、幸せでした。一夜明けて、今日は盛大な片付けの日です。朝から選択をして、配偶者くんの荷物をまず片付けて、足りない生活用品をチェックして・・旅行の準備も実はこれからです。まだまだ忙しい日々になりそうだけど、それは幸せな忙しさだと思います。幸せ貧乏性だから・・こんなに幸せでいいの? あとで揺り返しは来ないの?って心配もしちゃいますが、そうなったらそうなったとき。幸せだと思えるのならそれを存分に享受して問題はないはずです。もし揺り返しが来ても、配偶者くんと一緒に立ち向かいます。上手く乗り切れれば、それが自信になって、次もきっと大丈夫。そんな気がします。これを読んでくださる皆さんの、暖かいお言葉たち。一度も会ったことさえないのに、見守ってくれてる人がいること。これもまたすごく支えになりました。式の途中、何度かこの日記のことを思い出しました。ありがとう心の中だけでそっとつぶやいて、更なる笑顔になれました。
2005/05/22
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結婚式、無事に終了。社宅で眠る初めての日だ。(ネットが繋がっていないため、携帯から更新…)総じて幸せな日。友達と親戚に祝福されてのスタートは、やはり嬉しい。みんなありがとう…。しかし、つ、疲れた。
2005/05/21
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いよいよ結婚式当日。昨日は日付が変わる前に寝るぞって思ったけど、数分の差で決意が守れず。でもいつもに比べたら格段に早い就寝だった。緊張や感慨で眠れないということも泣く(眠剤は偉大だ)朝、起きて、実家での最後の朝風呂に浸かった。電灯をつけなくていい時間に入るお風呂が大好きだった。窓から鳥の声がした。見慣れた光景。でもたぶん、次にこのお風呂に入るときには、もう何もかもが違って見えることだろう。配偶者くんとは昨日は一度も会わなかった。彼は彼で、前泊している自分のご両親と妹さんと、最後の晩餐だったらしい。もっとも彼は就職するときに家を出ているので、「いまさら実感できないよ」と笑ってた。さて。そろそろ出かける準備に入らなくちゃ。持ち物の再チェックと、身支度。数時間後には「花嫁」になるんだなぁ。不思議だけど。・・・すごく、嬉しい。笑顔の練習もしておかなくちゃ。今日ばっかりは作り笑いの必要はなさそうだけど、泣くのは我慢しなくちゃいけない。泣かないようにするためには、顔だけでも笑って見せるのがいいよっていうのは親友の言葉。笑顔。あなたは笑顔が一番かわいいって配偶者くんも言っていた。それなら笑顔でいたいと思った。僕が笑わせてあげるよと彼は言った。一世一代の晴れ姿を、笑顔で彩りたい。辛いことも悲しいことも、今日は絶対自分に近寄らせない。昨日の日記にいただいたコメントたち。ほんとに暖かくて、嬉しくて・・・。それを胸に、行って参ります。
2005/05/21
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いよいよ結婚式前日。明日の夜からは、わたしの帰る家は実家じゃなくなる。いくら社宅が実家から歩いて10分だったとしても、それほどちょくちょく実家に通うわけにはいかないだろう。(まあ、引っ越し終わってないから当分通うけど)ようやく、今になって、感慨と寂しさが胸を満たす。いままではただ忙しいばっかりで、そんなこと感じてる暇がなかった。寂しいね。寂しいよ、お母さん。わたしは子供のころからずっと母にへばりついて生きていた。思春期ごろには、拒食症だったり過食症だったり、反抗期もあったし、「デキのよい兄に比べて自分は愛され方が足りない」って本気で悩んだ時期もあった。そういう期間と、家を出ていた学生時代を除けば、わたしはずーっと、母にくっついて生きてきた。寂しいね・・寂しいよ。お母さん。今日は普通に会社に行ってきます(なぜ式前日に休まないんだ、わたし!)夕ご飯はコロッケにするねってお母さんがいってた。お母さん手製のコロッケは、わたしの最も好きなメニュー。昔よくその話題で盛り上がった。覚えててくれたんだね。ありがとう。寂しいね。寂しい寂しい寂しい。寂しいよ。お母さん・・・***最後の晩餐は本当にコロッケだった。最近忙しかったから家でゆっくりご飯も食べてなくて、コロッケなんて年単位で久しぶりで・・すごく、美味しかった。明日セレモニーだから帰ります、って必要以上に強硬な態度で18時退社。帰ってから久々に母と2人で夕飯のしたく。コロッケに衣をつけながら、そういえば高校生のときまでは、しょっちゅうこうやって何かをお手伝いしていたなと思い出した。あんまり遊び歩かない子供だったから、夕飯のしたくどきには家にいたのだ。その流れで、ふと、大学1回生のときのことも思い出す。高校卒業後は毎日家でごろごろしていたので、パートに出ている母の分も昼ごはんを作って待った。作るって言っても、スパゲティをゆでるとか、焼きそばを炒めるとか、冷やご飯でチャーハン、とかその程度だけど。でもまあ、母の帰宅時間を見計らって何かを作り、一緒に食べて、わたしはまたゴロゴロ(受験勉強の追い込みは?)。それが、大学に入ったらいきなり4人部屋の学生寮で、ルームメイトはみんな先輩。環境の落差にストレスたまり放題で、入学からGWまでの1ヶ月間、ほぼ毎日実家に電話をかけていた。なにか、口実を見つけて。そんなある日、実家から送ってもらった荷物の中に、母からの手紙が入っていた。「Meteorがいないので、毎日ひとりでお昼ご飯を食べています。元気で頑張って、GWには帰っておいで」慌てて手紙を持ってトイレへ駆け込んだ。ひとりで泣ける場所なんて他にどこにもなかった。大学受験のことでも、いろいろ無理言ってごめんね。うちは貧乏だから・・ってわかってたのに、無理矢理地元を出て。奨学金とバイトだけでは生活できないから、結局仕送りもしてもらって。高校生になるまで、ひとりで電車にも乗れなかったわたしを地元から送り出す、それはどんなに不安なことだっただろう。ごめんね。ありがとう。普段言えないからさ・・明日は、いっぱいいっぱい、言わせてよね。近年にないほど笑顔で言えるよう、今から心構えしとくから。絶対泣かないからさ。***みなさん、コメントありがとうございます!!全て拝見しています。ありがとうございます。明日のためにもう寝てしまいますが、レスは明日になっても明後日になっても、必ず書きます!皆さんからいただくお言葉はMeteorの大切な宝物です。
2005/05/20
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今日も会社は休み。なのに4時起き!!昨日は2時近くに寝ました。はぁ。今日は、式用の小物を搬入する日。まだ仕上がっていないものがあるから、午前中はそれをやらなければ。ってこてとで、4時から30分お風呂に入って、その後作業をしている。疲れた・・・。明日も会社が休みだと、言うことナシなんだけど。なかなかそうもいかないのが辛いことだ。(弊社は連続休暇に厳しいので、新婚旅行の休みを確保するため、式前日の金曜日は普通に出社する)でも今日は、昨日、友達がくれた手紙のおかげで、心が暖かい。頑張れる。大丈夫。まだまだ頑張れる!ところで、たった今(朝5時10分)、配偶者くんから電話が。「今から帰る・・・」は!?もうすっかり薄明ですよ!?ていうか朝日が昇りますよ・・・非道な会社だなぁ・・結婚式前の新郎を・・わたしの大事な配偶者くんを、こき使うな!!!***搬入作業、終了。午前中はペーパーアイテムの印刷に追われた。(まだ出来上がっていないあたり既に間違っている)結局完成には至らず、明日も休みの配偶者くんが、再度搬入に行ってくれることになった。力作リングスタンドも明日搬入。あー。明後日かぁ。今日、布団を買っていたら(まだ購入していないあたり既に間違っている)、高校の同級生にばったり会った。6月上旬なの、といって大きなお腹をしていた。わたしは明後日結婚式なの、と返し、ふたりで盛り上がる。彼女と別れてから配偶者くんが「誰?」と聞くので高校時代のともだち、と答えた。へぇ・・・いたんだ、ともだち。高校時代に。自分の中のもうひとつの声が突っ込みを入れる。携帯の番号を交換し、別れた。連絡取ることがあるかなぁ。高校時代は自分にとって「暗黒の大渦巻き」で、よい思い出はないんだ・・・ママになる、ヨウちゃん。男の子なの、と嬉しそうに言っていた。これからまた印刷大会だ。社宅に行かなきゃ・・。
2005/05/19
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週末まで・・自分の結婚式まで、もう秒読み体勢だ。まだ準備できてないものがあるのに、大丈夫か、自分。既婚の友達に訊いてみると、結構みんな式の数日前は「楽しみで楽しみでしょうがなかった」という意見だった。絆自分はどうだろう。もちろん楽しみだ。でも「楽しみで楽しみでしょうがない」とは言えない。それは終わっていない準備のせいばかりじゃないと思ってしまう。結婚式。それも自分の。そんな予定が手帳にかかれる日が来るなんて。去年の今頃には思いもしなかった。結婚は嫌だった。断り続けていた。独身主義を声高に標榜した。それでも今、こうして自分の結婚式を控えてる。人生は変わるもんだなぁ。昨夜は変な夢ばかり見た。辛い、苦しい、そういうのではないけれど、嬉しい、楽しいというのともまた違う。中立的な夢。短い夢を幾つも見た。実はこれを書いている今も半分寝ぼけている。日記を書いてるのも、夢の中の出来事だったりして。人生全部「夢でした」ってオチだったりして。それならそれで、楽そうなんだけどな。***今日、友達が手紙をくれた。結婚式にも呼んでいる子。学生時代の友達。気持ちに安定感があり、その大きさがみんなを安らがせた。彼女のことはその当時から今でも変わらず大好きだ。最近、わたしを心配してよくメールをくれていた。でもなかなか返信できず、更に心配をかけてしまっていた。その子から、手紙。結婚おめでとうという内容だった。結婚式ではなかなか直接話もできないだろうから、って。「ありがとう」って彼女は書いてくれていた。「元気をくれてありがとう。心配しないで、幸せになってね」その部分は、「照れ隠し」と言って、英語になっていた。ありがとうはこっちの台詞。ねえ、わたしもすごく、あなたに助けられたんだよ。その気持ちを、式のときに何かの形で伝えようって、わたしもいろいろ考えてたんだ。そしたら、この手紙。先を越されちゃったな。ありがとう・・・ありがとう。大好きだよ、りょうちゃん。
2005/05/18
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昨夜もまた配偶者くんと喧嘩。進歩のないわたし。おまけに今度は、彼の目の前で、常用しているメデポリンを飲み続けてしまった。喧嘩と言っても怒鳴りあうわけじゃなく、お互い相手に自分の気持ちを伝えようと話すばかり。でももちろん感情的にはなっているから、言葉はきつい。ひとしきり言い合った後、わたしはごく自然に、その場にあったメデポリンを飲み続けた。すでに頭の中は混乱と動揺でいっぱいだった。配偶者くんは最初は気づかず見過ごしていたけれど、わたしが持っていた薬のシートが空になるに及んで、さすがにこれは変だと思い至って、わたしから薬を取り上げた。残りは1錠だった。10錠1シート。9錠は飲んだわけだ。ごく軽いものだから、もしかすると9錠でも規定量をそんなに超えてないかもしれない。でももちろん問題はそこではない。ついこの間、あんなに反省したのは誰?「素直になろう」と思って、思ったことをどんどん言ったら、結果がこのありさま。わたしって何?その後彼とは仲直りしたけれど。なんだかもう自分が信用できないよ。何なんだ。この女は。今日は普通に出勤。すごく久しぶりな気がする。浦島太郎の気分だろうか。行きたくないなぁ。薬のせいで眠いし、行って仕事の出来る状態じゃないし。でも、今回は身体が目覚めてくれたので(ホントにやばいときは身体自体目覚めない)仕方ない、働こう。そのほうが気が紛れていいかもしれない。***明るい話題を書きたい。ここのところ陰鬱な話が多い。ここらでひとつ、明るい話題を出したい・・今朝、出社したら、今まで壁だったところが景気良くぶち抜かれて、同じフロアの隣の室と一続きになっていた。一瞬、違うフロアに間違って入ってしまったかと慌てた。すぐに事態は飲み込めたけど、本当に浦島太郎気分だった。たった一日で様変わりするものなんだなぁ。・・・たいして明るくない。それじゃ、次のニュース。昼前にお客さん訪問したら、頭ごなしに怒鳴られた。わけがわからなくてぽかんとしていたら、「・・・あっ。勘違いだ。ごめんなさい!!」と訂正を入れられた。わたしは終始無言。何も意見しないうちに、お客さんは自己完結して、しきりに謝りながら引っ込んでいった。・・・やっぱり明るくない。それじゃ、次のニュース。・・・何もない。朝ねむかったわりに、今日は居眠りと無縁だった。日中忙しかったからかもしれない。壁抜きに驚いたりお客さんに怒られたりしてるうちに午前は終わり、新婚旅行のための休みに向けて、仕事の引継ぎをしていたら午後が終わった。メリハリのない一日。明るい話題って、探すとなかなかないもんだ。
2005/05/17
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今日は会社をお休みの日。結婚式準備のためにと思ってとった休暇だけれど、とったときには実はこれと言った予定はなかった。でもいざ今日になってみると、通院だの式にまつわる備品の買出しだの、いろんな積み残り案件があった。のんびり寝てすごすはずの休暇が、会社に出るのと同じ時間(朝5時・・)に起きてお風呂に入ることで始まってしまった。おまけに、寝ればいいのに、昨日は深夜まで「リングスタンド」作成にはまってしまった。結婚式にまつわるほぼ唯一の手作り品。クラフト用針金と天然石、パールビーズを駆使して作った力作だ。細かい手作業は趣味だから。肩が凝るのを別にすれば、何の苦労も感じない。しかし睡眠不足は困る。なにか、自分を追い詰めているような気になってきた。まあでも気持ち的には全然違う。会社に行かなくていいんだったら、早起きだってしちゃいますよ、という感じ。我ながら困ったものではある。***用事があらかた片付いてから、昼寝した。それも、床で。木の床で。身体が痛い・・(因果応報)顔も浮腫んでる気がするなぁ。けれども今日も社宅にいかなければ。なんとなく肌寒いから、上着は必須で出かけよう・・ああ、明日は出社かと思うと、足取りも重くなる。
2005/05/16
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なんだか大げさなタイトルをつけてしまった。けど、何のことはない。剃刀の話である。今日、「シェービング」に行ってきた。早い話が「うぶげ剃り」。結婚式の日、露出する部分は顔でなくても白く塗るので(わたしはお世辞にも色白とは言い難い。白塗りは欠かせない・・)うぶげを剃っておく必要がある。というわけで、行きつけの美容院から剃刀を振るう資格のある理髪店を紹介されて、行ってきたのである。今まで、一度もやってもらったことがない。興味津々で作業を眺めていた。・・・が、途中から耐えられなくなって目を閉じた。どういうわけか、剃刀が怖い。顔、背中、首筋・・・シェービングフォームを肌に乗せて、小刀ぐらいありそうな剃刀をすばやく滑らせる。痛みなんて全然なくて、剃る音も聞こえなかった。なのに、時々閃くその白刃が、妙に妙に怖い。今この人が、ちょっと違う方向に力をこめたら、わたしは頚動脈をすっぱり切られて死んでいたっておかしくない。いや、この人に悪意はなくても、今地震が起こったら?わたし自身が、くしゃみなど始めたら?音も立てないぐらい鋭利な剃刀だもの。それはもう、よく切れることだろう・・・・怖い。変だ。自慢じゃないけど、剃刀には慣れているのに。自分で自分を傷つけるときは、痛くても血が出ても怖くないのに、この瞬間がこんなに怖いなんて。矛盾している。そんなこと理屈で考えたって恐怖は減らない。剃刀の刃が触れた部分が、緊張して引き攣るような気がした。怖い。怖い怖い怖い。ひたすら身を硬くしてやり過ごした瞬間だった。今、ためしにいつもの(!)剃刀を鞘から抜いてみる。つくづくと眺める。ついでに、それが肌を切り裂く場面を想像してみる。・・・怖くない。朝のあの恐怖は何だったんだろ。
2005/05/16
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日記更新&コメントへのお返事を・・と思ったら、メンテナンスに引っかかってしまった。朝10時半までは長いよ~・・それだと、出かけてしまう日は日記が開けない。まあ仕方ないか、メンテのためだもの。昨日の晩、ようやく自分の緊張状態が解けたので、たまっていた友達からのメール返信を書き続けてた。返事がかなり遅くなって、心配をかけている友達もいる。恐縮しながらメールを書いた。そうしたら、携帯にメールが届いた。こんな深夜に?配偶者くんかと思ったけれど、着音が違う。誰かと思ったら、会社の先輩だった。かつての「人生ぱっとしないトーク仲間」であり、その独特の感性と毒舌が結構好きだったのだけど、わたしが結婚を発表して以来なんとなく疎遠になっていた先輩だ。一時期は、「あんなに『人生ぱっとしない仲間』を強調してたのに、突然結婚するなんて言い出したら、その信頼を裏切ることになるんじゃないだろうか」と不安になったものだけど、まあそれは大人として割り切ることにして、最近は気にしていなかった。こんな夜に、仕事の関係? と、不吉な思いでメールを開いたけど、仕事の話ではなかった。考えてみれば、彼とは席が近いだけで、別に同じ仕事をしてるわけじゃないのだ。「夜分遅くに申し訳ない。最近Dが効かないんだけど、慣れってあるものなの?」D、というのはdoseの略、その先輩とわたしが眠剤や抗鬱剤について話すときに使う言葉だ。わたしはすぐに、「あると思いますよ。わたしは、効かなくなるまで慣れることはないけれど、薬が変わるたび最初のうちは効き過ぎで、だんだん落ち着いてきます」って返事をした。「その場合って対処法はどうなるんだろう」「系統の違う薬にチェンジか、薬の強度を上げるか、じゃないでしょうか」「そうだよね、やっぱり。ありがとう」そこでメールは終了。ふと、不安になった。わたしとその先輩は、そこまで仲がいいわけじゃない。携帯での個人的なメール会話なんてそれまでしたことなかった。なのにこんな深夜に、薬が効かない・・眠れないってわたしにメール送るぐらいに、彼の不眠は追い詰められてるの?たぶん薬のことなんて、お医者さん以外はわたしぐらいにしか話せないんだろう。「脛に同じ傷持つ身」のわたしぐらいにしか。自分と同じようなことで苦しんでいる人が、同じ夜の中にいるのだと思うと、なんだか悲しくなった。でも、自分はその人のために何ができるわけでもない。だからせめて、わたしは健やかな生活を手に入れて、「人生ぱっとしない仲間」からでもちゃんと這い上がれるんですよっていう、いい見本になれたらいいな・・***進まない・・結婚式準備、すべてが「あと少しで完成」の状態のまま、ほとんど終わっていない・・持って生まれた貧乏性のせいか、積み残り懸案事項があると落ち着かない。常に気になってしまう。なのに、今日はのんびり野球観戦に行ってしまった・・野球、自分はそんなに好きじゃないのに。(とはいえ、地元のチームを生で見ると、それなりに応援してしまう)明日はお休みを取ってある。朝イチで通院と、その後、衣装合わせの最後の確認。それが終わったら残った作業を片付けよう。じゃないと気になって眠れやしない。
2005/05/15
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昨日はご心配をおかけしました。コメントをくださった皆さん、お心に留めてくださったみなさん、本当に申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございました。ご声援のおかげでMeteorは一歩踏み出すことができました。昨日の顛末は、こんなふう。配偶者くんからは夜になっても連絡がない。自分は暇だったし、それでなくても仕事が手につかない状態だったので、18時過ぎには退社して帰宅していた。でもあまり何もする気になれなくて、ぼんやりしていた。それでもPCだけはしっかりたちあげで、いただいたコメントを読み、日記の更新をした。コメントにこめられた暖かい気持ちの数々。それがすごく、救いになった。それで突然、決意した。よし、やっぱり直接配偶者くんに会って話をしよう。たぶん社宅に寄るだろうから、そこで待っていれば何時になっても会えるはずだ。決心が鈍らないうちに家を出た。社宅では余計なことを考えないように、なるべく身体を動かしていた。片付けをしたり、ゴミの分別をしたり。習慣的に持ち歩いている剃刀のことは考えないようにした。まだ一緒に住んでもいない新居で、腕を切ってぼんやししている妻。そんなのは悲しすぎる。車も運転しなければならないし、なるべく起きて待っていたかったから抗鬱剤や眠剤には手を出さないつもりだったけど、不安が耐え切れなくなってソラナックスを飲んだ。そうしたら案の定、眠ってしまった。日付が変わるころ、帰ってきた配偶者くんに起こされた。腕こそ切っていないものの、薬のシートを握り締めて床で寝ているわたしの姿に驚いたらしい。当然だ。顔を見たらその場で泣きそうになったけど、どうにか堪えた。まだだ。まだ泣いちゃいけない。彼が着替えて落ち着くのを待ってから、わたしは話した。朝の口論について、それで自分が受けたショックについて。まず真っ先に「ごめんね」。それから、どんなに自分が不安定で、彼を必要としているか。鬱とソラナックスの眠気と戦いつつだったから、言葉は上手く出てこずに、かなりたどたどしい口調だったと思う。それでも彼は黙って聞いてくれて、聞き終わって、少し考えてから言った。「俺も頑固だからさぁ。キツイこと言っちゃうんだよな。ごめん。今みたいに、何がどうなって傷ついたとか、いつも話してくれると嬉しいね。それと、俺はたいがい打たれ強いから、好きなだけ言い返していいんだよ。他人に冷たいこと言う分、自分が言われても、ちょっとやそっとじゃへこまない」配偶者くんの言葉は的を外さない。どうしてこんな人なのに、自分は素直になれないのかなぁ。もう堪えなくていいやと思ったけど、不思議と涙は引っ込んでいて、笑って「ありがとう」と言えた。それからは落ち着いて話ができた。素直になること。難しいけど、それが一番なんだなって心底思った。相手のためにも自分のためにも。素直でありたいと思う。本当に。***生活環境って違うんだなぁ。先日、ご飯茶碗を買ったのだけれど、配偶者くんは当然のように「夫婦茶碗」的なものを選んでいた。わたしの実家では、それぞれ気に入ったお茶碗を好き勝手に選んで買って使っていたので、その感覚は斬新だった。夫婦なんだからお揃いでしょ、とごく当たり前のように彼は言う。そうなんだぁ・・とわたしは真剣に感心してしまった。実家では、お茶碗も湯飲みもマグカップも、下手をするとお皿まで、個々人で気に入ったものをバラバラと使っていたから。こういう、いわば「カルチャーショック」って、これから先もいっぱい出てくるんだろうな。それはそれで楽しそうだと思う。新しいルールは自分たちで作っていけばいいんだし。それぞれの実家とは違う、自分の家庭のルールを、これから作っていくのだし。こんな風に前向きに考えられる精神状態に、感謝。不安定な自分をさっと掬い上げられる、配偶者くんに感謝。
2005/05/14
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刻一刻と辛くなる。彼から連絡はない。謝罪メールにも無反応だ。忙しいだけよね?そう思いたいのに思えない。仕事が手につかないよ。でもここが会社でよかった。家だったら…きっと切ってる。結婚式は来週なのに。…苦しいよ。
2005/05/13
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通勤中、配偶者くんと言い争になってしまった。おかげで鬱。激しく鬱。改めて、自分が配偶者くんをどれだけ頼りにしていたか痛感。でもわたしの反省はいつだって遅過ぎるんだ。配偶者くんに頼りきるんじゃなく自分の足で立っていられる人間を目指してたのにな…。こんな自分が、もう嫌だ。
2005/05/13
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あ、「金曜日」とくれば「決戦」だ。でも今日は諦念の金曜日。目が覚めたら3時半だった。寝たのは? 1時半。おいおい、2時間しか寝ていないじゃないですか、と自分に突っ込みを入れる。しかし、空腹と寒さで再度寝ることができず、得意の朝風呂に入りだす。そしてこんな時間から日記記入。4時57分始まり。身についたこの悲しい習性を、もはや諦念を持って受け止めるしかない。てことで「諦念の金曜日」。今日は超音波様がお休みだ。あの声が聞こえないだけでも、心が安らぐ。おまけに来週月曜は自分がお休み。来週木曜日も。共に結婚準備のためだ。だから今日から4日間は超音波様に会わなくて済むし、来週は3回しかあの声を聞かずに済む。それだけでも、ぐっと気楽さが上がる。もちろん、超音波様がいないと仕事的には不安なんだけれど。でも、心の平和には変えられない。あの声を聞くと、本当に申し訳ないのだけれど、軽発作すら起こる。発汗、どもり、めまい、軽い過呼吸(?)。これってもしかして・・パニック・・・?***朝、通勤中に配偶者くんと口論になる。電車を降りてもメールで喧嘩し、心底冷え冷えとするような言葉を投げつけられて、中断した。おかげで朝から鬱にみまわれ、久々に「嫌だなあ、こんな自分を抱えて生きていくのは嫌だなぁ」とスーパーネガティブシンキングが頭をもたげた。気持ちは苦しくなる一方で、刻一刻と辛さを増す。10時半ぐらいに、とにかくメールで謝ろうと思って、考えた末ようやく「ごめんなさい」とひとことだけ、送った。それには反応無し。お昼休みにも返事をくれなかった。いつも、お昼休みの終わる直前にメールをくれるのに。それでまた一気に激鬱。今配偶者くんを失ったら?そう考えて、ぞっとした。いつのまにこんなに彼に寄りかかるようになっていたんだろう。「甘える」ことと「依存する」ことは違う。甘えるのはいいけれど、彼なくしては正常な自分を保てないようではダメなのだ。だってそれじゃ、例えば彼が出張とか旅行とかに行っている間、自分はどうやって寂しさに耐えたらいいの?どうやって正気を保てばいいの?依存。嫌な言葉。心臓の更に奥からちりちりと心を刺す言葉。依存してるの? 彼に?怖かった。その心が、裏返って酷い言葉となって相手を傷つけることを知っていた。そうやって何人ものともだちや・・・あの男を失った。それを考えているだけで、少しずつ正気が失われていく気がするぐらいだった。全然ダメじゃん。自分。鬱はほとんど回復、なんて自負してたけど。思い上がりだったんじゃないの?配偶者くんとは連絡がつかない。会って話がしたいけど、今日は仕事で遅くなるらしい。メールを送れば、返事を待ってしまう。メールの返事を待つのは・・苦手だ。携帯が鳴るのを焼け付くような思いで待ちながら、同時に「永遠に鳴らなければいいのに」と思ってしまう。あの気持ちをもう一度味わうのは嫌だ。繰り返したくないんだ。辛い記憶を。・・・スパイラル。
2005/05/13
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期せずして曜日タイトルが続いたので、いっそ今週はこれで。週末まであと少し、今日は忍耐の木曜日。自分ではできないので人にお願いしなければならない仕事がふたつほど。頼む相手は難物だ。上手くコミュニケーションできるのかなぁ。でもまあ、やるしかないのだ。営業モードの自分は結構人当たりがいい。上手く営業モードに入れさえすれば、問題なく進むだろう。あとは、その時の気力が営業モードへの転換を許すかどうか。昨日、配偶者くんから深夜に電話があって、「今帰ったよ」という。あれ、忙しい時期は脱したのに、と答えるたけれど、考えてみれば、彼が忙しくないことなんて、年に数回あるかないかなのだった。「どうしたの、今日は早いね」って会話をするのが20時の世界だから。定時が22時と諦めている彼にとっては普通の残業の範囲内なのかもしれない。・・それって何かおかしくない?残業はいいけれど、身体が資本、健康第一でお願いしますよ。まだ一緒に住んでいないので、ダイレクトに労わることができないし。それにしても彼は忍耐強い。わたしはもう少し見習ったほうがいいな。ちょっとのことで泣き言を言いすぎだ。***ふとカレンダーを見る。1年経ったなぁ・・何がかというと、父が倒れてから。去年のGW、父は突然の脳炎に倒れた。超!早期発見だったため見事生還したけれど、あと少し発見が遅ければ、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。あの時は母もわたしも毎日が大混乱だった。鬱になってる暇もなかった。ちょうどGWの間中、父は生死をさまよった。連休が明けるころ、命に別状は無いと確定した。しかしそれから1ヶ月間は気を許せない日々が続いた。配偶者くんとはまだ結婚を決めてなくて、でも父の入院中はいろいろと支えてくれた。父の入院も先が見えたある日の夕方、配偶者くんと2人で美味しいと評判のお店でケーキを食べていたら、突然泣けてしまった。全然違う話題の真っ最中で、泣き所じゃなかった。少しも。なのに号泣。自分でも何を訴えたいのかわからなかった。配偶者くんは果てしなく困った顔をしていた。でも黙って見ていてくれた。そして帰りの車の中で、泣かないで、とひとこと言った。泣かないで。せっかく泣き止んだのに、それでまた泣けてしまった。でもそれは悲しい涙じゃなかったと思う。
2005/05/12
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昨日・一昨日の日記に、みなさんからすごくすごく暖かいコメントをいただきました。一昨日の分には個別にお返事ができず、申し訳ありません。でもコメントは一つ一つ、しっかり受け止めています。そこで、今日は「自分労わりデー」と勝手に決めた。と言っても、会社を休むとか、行動で直接表すのではなくて、「やってしまったことをクヨクヨ嘆かない。プラス方面ばかりを見るようにする」ということである。たとえば一昨日の突然の休み。「休めてよかったじゃん。これで、今週は乗り切れるでしょ」たとえば昨日発覚したミス。「でもこれで、次回おんなじ間違いをしないで済むよ。毎月怒られたくないもんね」そして、少しでも自分をほめることにする。「60個ものプチギフト、手で持って社宅まで運んだんだから! そして下階の人へのご挨拶、残ってた1件もわたしひとりで行ってきたし。芳名帳と小道具も運んでおいたんだよ。えらい、自分。さあ今日も出社。また今日も怒られ要素が満載だけど、怒られたら怒られたで、そこから何かを学ぶのだ。辛いとき無理矢理でも笑顔でいると、少し辛くなくなるよって、何かで読んだ。こうやって明るいことを考えるように努めていたら、本当に明るい方向に考えが向かってくれるかもしれない。***自分労わりデーは概ね成功だった。ちょっと疲れたけど。いちいち湧き起こる、暗い、じめじめした感情。もって生まれたネガティブシンキングは、一朝一夕には変わらない。でも、意識して「良い面」を見るようにしていたら、少し気が楽だった。毎日それを自然にできるようになるといいな。今はまだ「頑張って」やっているレベルだから。そういえば「少女パレアナ」は、そんなような考え方の主人公じゃなかったかな?ともすれば、躁病?と思うほど前向きで明るい、主人公。たしか。パレアナにかかれば、どんなことでも美しい楽しいことになってしまっていた気がする。わたしはよく、尊敬する女性に「スカーレット・オハラ」を挙げる。彼女は常に、自分の幸せのことしか考えていない。愛するアシュレを手に入れるため。命より大事なタラを守るため。そして、愛するレット・バトラーを取り戻すため。そのためなら努力を惜しまない彼女の生き方は、潔くてかっこいい。物語の冒頭、「スカレーット・オハラは美人というのではなかったが・・」初めて読んだとき、この一文でわたしは驚いた。スカーレットと言えば美人、と思っていたから。スカーレットはきっと、顔の造作の美しさより、その立ち居振る舞いが魅力的だったのだろう。魂の清い人だ。憧れの女性。そうありたいと願う女性。
2005/05/11
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昨日は本当によく寝た。ここのところ続いていた睡眠不足が一気に押し寄せたのだろうか。朝も昼も寝ていたのに、夜は夜でまた眠れた。眠剤はナシで。会社からも、結婚式準備からも離れて、現実をほとんど遮断して。ひたすらに眠った。電話も出なかった。それが今日は吉と出るか凶と出るか。いくらなんでも今日は会社に行かなければ。2日間連続で「睡眠休暇」をしているわけにはいかない。それをすると、おそらく2度と出社できなくなってしまうだろう・・休むなら休むで、ドクターストップがかかったとか、それでなくても自分で「これは休むべき」と心底思ったとか、何か理由が必要だ。それなくして休み始めると、後悔と自責ばかりが心を苛む。今日は、出社。すでに身支度終了。後10分経ったら家を出よう。幸いお天気は良好。風も爽やか。寝すぎで浮腫んだ顔に日差しと風が気持ちいい。足取りは重いけど、仕方がない、出かけよう。***どうしたものか、昨日使った仮病の「風邪」が本物になったようだ。昨日、会社を休むとき、風邪で・・と言った。それは完璧なる仮病で、ほんとうは「鬱で・・」と言うべきところだったのだけど、今日になってみたら、頭痛ばかりか喉まで痛む。頭痛だけなら寝すぎで片付けられるけど、喉が痛いのはちょっといただけない。本当に風邪を招いてしまったかもしれない。今朝、会社についてまずメールチェックをした。自分が連休前の6日にしでかして、昨日発覚したミスのことと、その後始末を超音波主任がしてくれた旨、当の主任からメールが入っていた。・・・どっと脱力する。なんでこう、何もかも上手くできないんだろう、自分。ミスは些細なことだった。でも、些細なことだけに、超音波様も苛々しているようで、わたしが詳しい状況を尋ねた答えもどこかヒステリックだった。ごめんなさい。もともとデキない子な上に、鬱病なんですよ。そう言いそうになって、そんな自分が悲しくなった。悪いのは自分なのに。どうしてそんな反抗的態度なんだろう。たとえ、心の中だけとはいえ。しかもデキないのを鬱病のせいにして。それだけはしないぞって、心に決めたのに。つまらないミスが重なっていくことは、じりじりと精神を蝕む。致命的な傷ではないからつい放っておいてしまう。自分を責めても、それだけじゃ何にもならない。結果を伴ってこその後悔だ。わたしは失敗から何かを学ばなければならない。どんなつまらないことでもいいから、何かを。
2005/05/10
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昨日は母の日で、わたしは母にアジサイの鉢植えを贈った。アジサイは母というよりわたしの好きな花だったけれど、年に一度の大盤振る舞いで疲れた感じのカーネーションより、お花屋さんの中で目をひいた。それでアジサイにした。昨夜は帰宅が遅かったので、短いメッセージとともに鉢植えは食卓に置いた。そして眠る。翌朝・・つまり、今朝、母はそれを発見し、ありがとうといって受け取ってくれた。・・・・ような気がする。実を言うと記憶がない。昨夜から、ついさっきまでの記憶は非常に曖昧だ。ゴミ箱を見る。お菓子類はわたしの手の届かないところに片付けてもらっているので、仕方なく「非常食(バランス栄養食品。クラッカーとかその手の)」を食べたらしいゴミがあった。まったく記憶がない。冷凍庫をチェックする。カップアイスが食べかけになっている。これもわたしだ・・そして記憶は、ない。朝の母との会話さえ記憶は朧で、会話したなということしか思い出せない。はっきりしてるのは・・・今日も会社を休んだ、ということ。起きられなかった。立ち上がると、そのままぶっ倒れて机とかで頭を打ちそうだった。無理やり朝ごはんを食べている最中も、口に入れたものを飲み込む前に居眠りした。動けなかった。だめだ、と思った。しかし、休むかどうかと悩むまでもなく、わたしは眠りの穴に落っこちた。次に目覚めたら8時50分。当然もう間に合わない。電話をかけて、風邪で休みますと伝えた。まただ。またやってしまった。どうして?薬を飲みすぎてはいないはず。規定量どおりだよ。新しいのが増えたりもしていない。なのにどうして?どうして身体を動かせなかったの?今はこうしてキーが叩けるほどに目が覚めているのに。どうして?どうして・・・?ごめんなさい。***キーを叩く元気もどこへやら・・今日は昏々と眠った。目が覚めたらお昼で、母が昼ごはんを作っていた。その音で目が覚めた。「あんたも食べる? 食べるならつくるけど?」いらない、と言って更に寝た。2時ごろおなかがすいて再び目覚め、落花生とお菓子(昼間はいつもの場所に置いてある)を食べ、また眠りに落ちる。次に目が覚めたのはついさっき。合計何時間、目を覚ましていただろう、今日は。でもまだ眠れる。夕ご飯の支度を手伝っているけれど、本当は食べずにもう一度眠りたいぐらいだ。眠剤もナシで、海の底を旅するように、深く深く眠った。死んだように、というのは母の表現で、母はまた「息絶えてないでしょうね?」を心配していた。絶えてませんよ。大丈夫。でも・・・このまま息絶えてしまったら、楽かも。
2005/05/09
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心安らかならざる連休も、最終日。もっとも弊社カレンダーどおりの営業のため、あまり連休でもなかったのだけど。それでも、ほとんど会社に行かなくていい1週間は、とても貴重だ。なんだかんだと忙しくしていた。朝に用事があることが多く、遅くても8時には活動を開始しなければならなかった。目が覚めるのは平日と変わらない、5時か6時。だから、二度寝できるか否かの差だけだったのだけど・・それにしても連休中、「休んだなぁ」って思えたのは1日ぐらいだ。おまけに一昨日辺りからじわじわと押し寄せる、鬱気分。再来週は結婚式なんだよ!昨日、親友にそう言われたけれど、笑顔を返すのが精一杯だった。一番幸せな時期のはず。もっとこの時間を満喫したいのに。生来の貧乏性が、「のんびり」する時間を許してくれないらしい。***何かがズレている。誰かに何かを問われる。答えは「A」だと知っている。なのに口から出てくるのは「A」とはまるで関係のない、「ア」だったり「1」だったりする。そんな感じ。「ア」も「1」も、それ単体では間違ったことではないので、会話は破綻ギリギリの線で進んでしまう。そしてわたしは後になってから「A」を思い出す。伝えなければならなかった「A」は、宙に浮いたままどこへも行けない。何かがズレている。こうあるべきと自分が望む姿と、現実の自分と。美味しいものを美味しいと言えない。綺麗なものを綺麗だと言えない。例えばこの日記には、今日見た朝日の美しさを思うままに書けるのに、1対1のコミュニケーションとなるととたんにわたしは口ごもる。どうして?ああ、またこの問いだ。そんな漠然とした問いに答えは出ないよ。偏食に理由があるかい?魚介類をなんで嫌いか、理論的に説明できるかい、自分?何かがズレてるんだよ。それは矯正できるのかな。強制する必要があるのかな?・・あるんだろうね。きっと。
2005/05/08
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敢えてテーマを選ばず、カテゴリもナシで書きます。もしかして何かの偶然で、あなたのお目に留まったら・・・。そう願いを込めて。あなたがいなくなってしまったあと、いろいろなことがありました。いろいろな情報を耳にして、いかに自分が何も知らなかったかを痛感しました。もしかしたら、その件もどこかからお耳に入っているかもしれません。善意の方がわたしを気に掛けてくださって、事情を知らせてくださいました。それを丸ごと信じていいのか?わたしは少しだけ悩みました。なぜなら、わたしが「ある人」の言うことを何の疑いもなく信じて、その「ある人」を庇うようなことを言ったため、その善意の方が見かねて・・ということだったからです。ここでその善意の方の言葉を、また何の疑いもなく信じていいのか?って。でもすぐに迷いは去りました。自分が大切にすべきは、あなたです。善意の方の意見、そして自分が見た「ある人」像。それらを総合して・・わたしは善意の方の意見を信じることにしました。ごめんなさい。あなたを苦しめた人を、知らずとはいえ、庇うようなこと言ってしまいました。そのことであなたを傷つけてしまったのだとしたら、どんなに謝っても、償いきれない気持ちです。もしもこれがお目に留まることがあったら・・最後にこれだけ。言わせてください。ごめんなさい。わたしはあなたのために何もできなくても、せめて自分の中で、あなたへの誠意を貫こうと思います。
2005/05/08
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ほんの1ヶ月でも、こどもって成長するんだなぁ。前に見たときには、ただ寝っ転がってるだけだった赤ちゃんが、今日はソファにちょこんと座っていた。まだ自分の力だけでは座っていられないんだけど、首はしっかりして、声も出すようになっていた。乳歯が生えてきてはぐきが痒いらしくて、いつも何かにかじりついてた。親友の赤ちゃん。元気に育っている様子。それを見るのは、とても幸せ。でもその幸福感とは関係なく、心の隅に、重いものが凝っている。あの当時、街や電車の中で赤ちゃんを見るたび、突き刺されるような痛みを覚えた。でもそれはだんだんと薄らいでいったはずなのに。どうしてよりによって、親友の赤ちゃんを見てその痛みが再燃するの?あの頃。赤ちゃんを見ると心臓の辺りが痛くなって、眩暈がした。思い出してはいけないようないろんなことが、否応なく蘇ってきてしまうので。見たこともない、あの男のジュニア。そして、自分が記憶から葬り去ったもの。見なかったふりをして生きてきたもの。だめだね。「あなたのことは忘れないけど、もう思い出さないことにします」そう誓ったのはつい最近。なのにわたしは早くも自分に負けている・・・思い出さないでいる、それだけのことが、どうしてこんなに辛いんだろう。でもここは頑張りどころだと思う。耐えるんだ。その辛さに。忘れなくていいから、いちいち思い出さないようになろう。だってほら、例えばあの男の顔を思い浮かべてみようよ。思い出せないでしょ?思い出自体もそんなふうに風化させていけるはずなんだ。ここは頑張りどころだよ、自分。耐えるんだ。それはたいしたことじゃないはずでしょう?
2005/05/07
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今日は配偶者くんと一緒に、親友の家を訪問予定。本当はもっと早くに紹介したかったんだけど、彼女の妊娠や配偶者くんの激務のためなかなか都合がつかず、今日までひっぱってしまった。でも密かに思っていたのだけど、配偶者くんはその件に関して妙に消極的だ。別なともだちとテニスをするから来ない?と誘ったときには来てくれたのに。彼女と会おうよと誘っても、何かと理由をつけて断れていた気がする。なんでかなぁと思っていたけれど、今日、わかった。今まで、心の底では自分も思っていながら、敢えて触れないようにしていたこと。それを彼も気にしているのだ。昔。我々が最初に付き合い始めた時に一度、彼女に配偶者くんを紹介したことがある。そして、その後我々はすぐに別れてしまった。別れるときに配偶者くんは彼女について、ちょっと嫌なことを言った。それがわたしには大打撃で・・もう本当に、天地がひっくり返るぐらいの衝撃で、わたしはたちまち打ちのめされた。当時まだ鬱を発症していなかったはずだけど、その後数日間はまさに激鬱の状態で、覇気も表情もなくただ人形のように会社に行って、帰るだけの生活だった。そしてその有様を心配したあの男が、わたしを励まそうと飲みに誘い・・・ここから先は思い出さないようにしていた。だから配偶者くんが彼女と面識があることさえ、忘れそうになっていた。けど、そうなんだ。ふたりは面識がある。そして、その出来事は、配偶者くんにとっても不吉な記憶なのだった。彼女と会った後すぐに我々は別れてしまった、それが軽いトラウマになっているらしい。今日、配偶者くんが冗談に紛らせてそれを言った。「その人って、昔会ったことあるよね? 今回も、あの時と同じような経過を辿るんじゃないだろうね?」ごめんね。わたしは自分の忌まわしい記憶を封印することばかり考えてたから、そこまで思いやれなかった・・・もちろんそれは、配偶者くんにとっても嫌な思い出のはずなのに。でもね、彼女はわたしの一番の親友なんだよ。家族と同じぐらい長い時間を一緒に過ごしてきたんだ。わたしたちは全く別々の道を歩いていたけれど、でも、一緒だった。わたしは彼女の旦那さんとも親しくさせてもらってて、いつか「家族ぐるみ」でお付き合いしようねって言い合ってた。でも、わたしは独身主義者だったから、その夢は叶わないはずだった。それがこうして実現しようとしているの。その夢に、付き合ってほしいんだ。わがままだってわかってるけど・・このわがままは、聞いて。お願い。
2005/05/07
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誰かの意見に流されるということ。それはたぶん、よろしくないことなんだろうと思う。でも心弱いわたしは、すぐに誰かに引っ張ってもらいたくなる。強烈な主張を放つ誰かに傾倒すること。でも考えてみれば、全ての人間が、全く違う意見を持っているわけではない。大筋で意見の重なることは当然あるわけなのだから、誰かに流されるということと、自分の道を貫くことの結果が重なることも多いだろう。誰かの意見に追随するのであっても、それを・・追随することを、自分で選んだのだと信じたい。いくつもある情報の中から、信じるに値すべしと判断したものを選び、自分は進んでいるのだと。誰かの意見に流されるということ・・わたしは自分で選んでいるの?もたらされた情報を、次から次へ、鵜呑みにしているだけなの?立ち止まって考えてみろ。自分が大切にすべき人は誰だ。守るべきものは何だ。そのためにこそ動け。迷ってもいい、悩んでもいいから。それが何か苦痛を伴う選択だったとしても。・・・大袈裟だね。朝ごはんに何を食べるかだって「決断」のひとつだもの。その度にいちいちここまで考えていたのじゃ、身がもたない。わたしの脳髄の容量はそんなに大きくないのだから。信じようよ。自分が選んだ道を。大切にすべき人のために、守るべきもののために、自分が選んだものを。***生きていてくれてありがとう。今日、すごくたくさんの人が、この言葉を胸に抱いたと思う・・わたしも、心の底からそう思った。よかった。帰ってきてくれた。辛い現実にその人を引き戻してしまったのかもしれなくても。それでも思う。生きていてくれて、ありがとう。おかえりなさい。まだ「さよなら」は言わせないよ。その人のことを心配しながら、ずっといろいろ考えてた。生きるって? 死ぬって? 自分が生きている証拠はどこにあるの?そして昨日から続く、問い。どうして?半ば投げやりに考える。どうしてだろうね?なぜなんだろうね?何のためなんだろうね?なんにもワカラナイ。光明は射さない。だけど確かなものがあるんだ。そうだね、本当はとっくにわかってたじゃない。信じるべき情報は何か?大切な人は誰か?・・・敬愛する人でしょ?敬愛する人のために・・できることは何もなくても。せめて自分の中で、道理を通そうと思う。ああ。わたしは考え過ぎているの?これは単なる独りよがりなの?意味不明・・・。
2005/05/06
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今日書いた日記を丸ごと削除した。 コメントをくださった方、本当に申し訳ありません。 自分で書いた日記が、どうしても許せなくなって、丸ごと削除に至りました。 今日は配偶者くんが帰ってくる日。社宅で待とうと思っていけど、従姉妹夫婦の来訪を迎えるため実家に夕方までいたため、配偶者くんのほうが先に社宅に着いてしまった。ちょっと残念。本州の果てから運転して帰ってきたところを「おかえり」って迎えたかったのに。でもまあ気を取り直して、ごはんを食べに行く。その後軽く買い物をして、わたしは実家へ、彼は独身寮へそれぞれ帰宅。帰宅後、あることをきっかけに一気に鬱気分にとり憑かれる。ひとつ辛くなると、関係ないことまで全部辛く感じられるのはなんでなんだろう。つい数時間前まで、配偶者くんとお買い物などして「新婚みたいだね」「みたいだね、じゃないでしょ。新婚でしょ」なんて会話をしてたのに。それが100年前の出来事みたいに思えてきた。どうして?いま頭に浮かぶのはその言葉。何について疑問を投げかけているのか、自分でもわからない。でも次々と浮かんでは消える「どうして?」の言葉。どうして?なぜ?何のために?その後は続かない。答えは出ない。だって問い自体の意味がわからないんだから、自分でも。ただ胸にわだかまる、重い気持ち。・・・どうして?
2005/05/05
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洗剤とか、バケツとか、シャンプーのラックとか、日用品を細々と買ってきた。で、配偶者くんのいない間に社宅にセッティング。カーテンを吊ったときも「家になったな」という印象を受けたけど、こうやって自分が必要と思うものを買ってきて並べていると、なるほどこれからここが自分のHOMEになるのかと実感できる。ただし、その作業を一人でやっているので、なんとなく一人暮らしを始めるときのような感じだ。もしもふたりであれこれ買い物していたら、少しは「新婚」気分になれただろうか。配偶者くんが実家から帰ってきたら、トイレの上に「突っ張り棚」を設置したの、ほめてくれるかな。しかし自分の実家の片付けは一向に進まない。これじゃしばらくは二重生活になってしまいそうだ。もう着ないであろう服と、履かないであろう靴を捨てたところで力が尽きた。過剰気味に飲んでいるパキシルのせいか、眠くていけない。午後から、100円均一のお店に行こうと思ってたのに。ところで、さっき突然、明日の予定が決まった。従姉妹がだんなさんを伴ってやってくるらしい。・・・イタリア人のだんなさん。我が一族からすると驚異的なことに、彼女は国際結婚をしている。だんなさんはイタリア人だけど、アメリカで大学の教授をしているので、ふたりは常時アメリカに住んでいる。で、時々、仕事で世界を飛び回る。こんなに近い親戚に、そんな人物が輩出されるなんて。思ってもみなかった。従姉妹のだんなさん・・その関係の呼称はやっぱりイトコになるのかな。イトコがイタリア人の音楽家!自分の身の上とは思えない。そのだんなさんには今まで1回しか会ったことがない。もちろんわたしは英語もイタリア語もしゃべれないし、彼は日本語が話せない。ううう・・・***耳鳴りがする。いや、本当は自分では耳鳴りだと思っていない。思っていないというか、実際、耳鳴りではないと思う。夏の夜に鳴いている、ケラ?っていうのかな?あの虫の声が「ジーーーーッ」と聞こえる。窓に寄ると声は大きくなり、部屋を移るとほとんど聞こえなくなる。おまけに時々調子を崩し、ぷっつり途切れるときもある。で、すぐに再開。これが耳鳴りであるはずがないと思うのに、一緒の部屋にいて父も母も聞こえないと言う。有り得ない。耳鳴りなら以前に経験してるからわかる。これはそのときとは違う感じだ。だいたい、音源の場所がわかる耳鳴りなんてあるものか。だとすると父も母も耳が遠いということになってしまう。でも違うんだ。これは耳鳴りなんかじゃない。外部的な音。振動が鼓膜を伝って再現される、音。自分の心象や脳が作り出す音とは成り立ちが違う。それは確信があるのに・・・母だけじゃなく、父まで聞こえないと言うのはなぜだ。母は耳鳴りだと主張して譲らない。わたしは耳鳴りじゃないと断言して退かない。こうしている今も、ケラは鳴いている。これが聞こえないなんて。こんなにはっきり聞こえるのに?
2005/05/04
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連休だ!しかし今日も4時に目が覚めた。昨日だって2時ぐらいに寝たのに。ほんと、もうこうなると呆れて物も言えない。仕方なくお風呂に入り、5時まで時間を潰す。今日は朝から、母と街へ買い物に出る。帰ってきたら・・取り返すべく、眠るぞ!いまのところ、配偶者くんがいない寂しさはまだ感じない。でも、彼がいない間、無人の社宅を掃除したり生活用品を入れたりしなきゃ、って思っている自分に驚いた。一人暮らし時代の習性が目を覚ましたか。わたしは学生時代、学校の寮に入っていた。後半2年はひとり部屋だったので、ほぼ一人暮らし状態。遠慮なく趣味性癖を発揮できたので・・・・潔癖症をやっていた。部屋中アルコールで殺菌し、掃除道具ばかりがいたずらに増えた。友達が来て、帰った後は、夜中までひとり掃除大会だった。あれは神経の疲れる習性だった・・。あれを再発させてしまうと、自分の首を絞めることになる。ほんと、「ほどほど」っていうことを知らない人生なんだ、わたしは。***母との買い物から帰宅。11時に出たのに16時半まで、食事時以外はずーっと歩きっぱなしだった。内祝いなんだからそれらしいものにしなければいけないとか、いただいたお祝いの額に見合った品を選ばなきゃいけないとか、それがけっこう枷になる。あれこれ迷って選んで、数時間歩き回った。つ、疲れた・・・。配達してもらう伝票を書くために腰掛けるたび、眠りそうになって慌てた。心身共に、疲れた。疲れると怒りっぽくなってしまう。わたしは、歩くのが速い。せっかちなのだ。だから人ごみを歩いていて、たまたま前の人がのんびりと、しかもお連れさんと道をふさぐように広がって歩いていたりすると、もうだめだ。イライラして片端から突き倒したくなる。もちろん本当に突き倒すつもりはないし、突き倒したこともない。でも本当にもどかしくて苛立たしくて、衝動は瞬間的にゲージいっぱいに達しそうになる。そして悪いことに、そのイライラが去ってから、後悔する。ああまた心の狭いこと考えてたなぁって。つまらない繰り返し。怒って、落ち着いて、自己嫌悪。意味のない堂々巡り。反省が生きてない。学習能力が発達してない。ふと疑問すら覚える。こういうのって本当に発達するの?この堂々巡りから、理性で脱出できる日は本当に来るの?いや、来るんだよ。来ないかもしれないっていう思いに逃げちゃダメだ。ああ、やっぱり思考が大混乱。疲労が脳に達したか。今日はこれ以上、孤高の内閉世界を掘り下げない方がよさそうだ。ということで思考のトレースを打ち切ったけど、なんとなく自分を責める漠然とした感情だけ残ってしまった。やれやれ。
2005/05/03
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弊社、暦どおりの営業のため、本日は通常業務。中休みの一日。というのは本当は変だ。連休の「中休み」で出勤、というのは逆だろう。普通。でもわたしには中休みに思える。もしも10連休だったら、たぶんそのまま二度と会社に行かなくなってしまう。連休という誘惑と戦う中休みの日。一旦現実を勝利させて、自分がどんどん浮遊して行ってしまうのを防ぐ日。今日は電車は空いているだろう。毎度のことなのだけど、帰省中の配偶者くんからはほとんど連絡がない。実家にいると、母上様に気兼ねして、電話のひとつもかけにくいらしい。(その感覚はいまひとつ理解できないんだけど、毎回それを言うので、本当にかけにくいんだろう)メール1通、それもわたしが送ったものへの返事、以上。なんてことはざらにある。もう慣れちゃったけど。殺人事件現場の隣に住む妻(!)に心配の言葉の一つもないものか。それにしても眠いなぁ。連休中にたっぷり寝て、回復したと思ったけれど。結局昨日は2時寝、今朝は5時半起き。あれれ逆戻り。中休み・・・中だるみの一日でもあることだし、派手に居眠りしないように注意しなければ。***本州の果てにいる配偶者くん。今日は珍しく電話をくれた。昼間はゴルフで気持ちよく疲れ、ビールを4本飲んでご機嫌だそうだ。こっちでの連休前数週間は激務続きだったから、のびのびしてくれている様子なのが嬉しい。明日もゴルフだそうで、明日は絶対お父さんを負かしてやるんだと張り切っていた。ゴルフ場もここより広くてきれいらしいので、それも合わせて、楽しんできてくれるといいな。遥か数百キロの彼方で、彼は今頃、大の字で大いびき。わたしも寝なくっちゃ。ああ、もう1時を過ぎている。
2005/05/02
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敬愛するある方が、HPを閉鎖してしまいました。最近とてもお忙しそうで、お疲れの様子で、なのにわたしの超駄文ぼやき日記に暖かいコメントをくださって、更にその方の日記にわたしが書き込んだ、つまらないコメントにもお返事をくださって・・。どれだけ励まされたか知れません。いつもいつも、その方の日記が楽しみで、新着のお知らせを見るたび、飛んでいっていました。さまざまな事情で、いろいろお考えになって、出された結論がHP閉鎖だったということなのだろうか・・と推測するしか自分にはできません。この感謝の気持ちを、もっともっと、伝えればよかった。短い間だけれど、その方に読んでいただけて幸せでした。もしこれを読まれることがあったら・・伝えたいです。ありがとうございました。本当に本当に、いただいたコメントはわたしの宝物です。アドバイスはどれも胸に沁みてます。わたしの方はいつも、つまらないコメントでごめんなさい。ファンでした。その生き方がとても素敵で、見習わなきゃなっていつも思ってました。気が向いたらまた日記を書きにきてくださいね!!それが明日でも、10年後でも、のんびり待ってます。
2005/05/01
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夜通し警察の人や新聞の人が外をうろうろしていた。当然眠れず、おかげで車で帰省中の配偶者くんからの、眠気防止電話にも良く出られた。家の近所で、殺人事件。なくなったのは幼馴染の子のお母さんだった。お父さんもまだ重態だと言う。家の周りはKEEP OUTの黄色いテープで封鎖されている。夜、テレビは見ず、窓の外の人声だけを聞いていた。事件の最初の方では、取り乱した声や騒ぎ声は聞こえなかった。野次馬や目撃者(ともに近所住民)の声だけが、低いトーンで立ち込めていた。一際通るのが、警察の人の業務連絡の声。しかし日付が変わってしばらくしたら、甲高い泣き声が聞こえた。突き刺さるような、切り裂くような、鋭い泣き声。仕事に出ていた娘さんの一人が到着したらしい。泣きながら、警察の人に保護されて、パトカーに乗って出て行った。たぶん病院へ行ったんだろう。彼女の声がそのまま心に突き刺さった。彼女が去った後はまた、低いトーンの囁き声と、警察のひとの交わす言葉だけ。深夜2時を過ぎたあたりから、様子が変わった。そもそも我が家の近所はお年寄りが多い。騒ぎで眠れない、と言って、近所のお年寄りが続々と野次馬に出てきたのだ。「・・さんちかね。怖いねぇ。奥さんが殺されたって? 孫が6歳でねぇ。つい昨日まで、楽しそうに遊んどったがね」「若い男が刺したらしいよ。怖いねぇ」「しっかしこのピカピカ(パトカーのランプと思われる)が眩しくてちぃとも寝られーせん」「ほんとにねぇ。犯人は娘さんの・・ほら、お仕事のねぇ。ああいうお仕事だでねぇ」「やっぱり、どこでどう恨みをかうかわかれせんでねぇ」「ああいうお仕事はねぇ・・」そして、談笑する声。その時点でわたしはハルシオンを追加服用した。聞いていられない。その時犯人はまだ逃走中だったのだから、怖い怖いと連呼するなら出てくるな!「ああいうお仕事」?そのせいだっていうの?たしかにそこの家の女の子、わたしの幼馴染の妹さんは、水商売をしていた。でもそれの何がいけないの?揶揄されるようなことなの?若いのに子供を生んで、しっかりした子に育てて、その子がもう小学生。おしゃまさんで、かわいらしい子だった。そんな立派な「母」になってたその子が、水商売のせいで、なんで後ろ指を差されなきゃいけないの?嫌な気持ちで眠りについた。嫌な夢を立て続けに見た。朝、いつものように5時に目が覚めた。さすがに野次馬は去っていたけれど、警察の人と報道の人はまだ立っていた。テレビをつけた。未明に、犯人が捕まったと知った。人は死ぬ。ほうっておいても何十年か後には必ず死ぬ。なのにどうして、人は人を殺すんだろう。尼崎では100人以上の人が突然に命を奪われた。そういう事故は、大小問わず、全国あちこちで起きている。わたしだって過去に2回も車にはねられた。いつ死んでもおかしくない。なのにどうして、まだ死ぬ運命じゃない人の命を、人は奪うんだろう。悲惨な事故も、近所の事件も、人の死ということでは重みは一緒だ。それをわたしは思い知った。亡くなった人の数で、事の大小は測れない。身も蓋もない言い方をするならば、「遠くの100人より近所のひとり」ということなのかもしれない。だから同じ重さで胸に迫ってくるのかもしれない。でも。罪もない人が、命を奪われる。天災、人災、そして事故に。今ここで生きていることはとてつもない幸運?それとも、そんな死に易い世の中の方が間違っているの?でもほんの数百年前までは、町中に死体が転がっていてもそれほど驚いたものではなかった。半世紀ほど前までは、国同士が世界的に殺し合いをしていた。今でも世界のいたるところで戦争は続いている。今この時代に生まれて、死にもせず生きている自分は、何ができるだろう?苦しい、悲しい、そういう個人的な感情を越えたところにある何かに、どこまで立ち向かえるんだろう。立ち向かうことが正しいことなのかどうかさえ、わたしにはわからない。自分にとって確かなのは、結局・・・腕を切る痛みぐらいのものなのかもしれない。眠りたい。ハルシオンとアモバンは、数時間の睡眠しか提供してくれなかった。眠りたい。このままずっと、眠り続けたい。***雨が降りだした。雨が降って、いろんなことが有耶無耶になる。野次馬さんたちがうちのすぐ外で話す、噂話。それももうさすがに聞こえない。さっき、社宅の掃除に行くために家を出た。とたんにテレビ局の人に捕まった。逃げるようにその場を去った。局の人も今はもういない。そろそろ頭を現実に戻さなければ。明日は普通に出勤の日だ。月初営業日だからいろんな作業が待っている。落ち気味に加えて事件の騒ぎですっかり動揺してしまったけれど、なんとか体勢を立て直さなくては。雨は丁度良かったかもね。クールダウンにはもってこい。雨よ、降れ。激しく降って、全てのものを有耶無耶にして。
2005/05/01
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