告別式






その年、その時期の死亡者はとても多く、50代の若さで逝った私の父も例外ではなかった。
私の父はすぐには告別式をする事が出来なかった。
21日に亡くなり、告別式は26日だった。
その間、25日まで遺体は実家に安置し、ゆったりと布団に寝かせであげた。

葬儀屋さんが、死亡から葬儀が終わるまでのプロセスを教えてくれた。
お坊さんの事も、家紋の事も、位牌の事も、仏壇の事も、墓地の事も。

死亡届を出すのは不思議な感じがした。私の出生届を父が出し、私が父の死亡届を出す。
変な感じがした。
その後家に人がどんどん来る。ひっきりなしに次から次へと、、、。
その間にもやらなければならない事が沢山あった。

父の遺体が帰って来て葬儀屋さんと一緒に父の遺体を洗ってあげる。
父の背中は鬱血し、真っ赤になっていた。
洋服を着せ、死者の道へと歩く為の道具を持たせる。

こんなものを持たせてどうするんだろう、、。父は使い方を知っているんだろうか?
そう思った。そんなもの持たせても無駄だと、そう思った。

その後また、布団に寝かす。
母の突き上げる様な「お父さん、お父さん」と、もう生きて帰る事がないと知りながら、
涙まじりに呼ぶ声と、うなる様な泣き声は今でも私の中にある。

25日、遺体を棺桶に入れる。それを葬儀場の冷凍庫に持って行く。

そして告別式。
1000人近くの人が来た。
人々は真っ黒い服に身を包み静かにその場にいた。

お経が始まり、すすり泣く声が辺りを包んでいた。

こんな言葉が父に伝わるのか? と思った。
母は私と弟が勧める親族席には座らなかった。
それが正しいのは分かっていても、
父は真正面、母は一般席、私と娘、弟夫婦が親族席。
このシチュエーションがたまらなく私の悲しみを盛り上げた。
こんな時まで身体を張って、私達に教えてくれなくてもいいと思っていた。

そして火葬。喪主、弟の挨拶。そして帰宅。

家族の誰かが死亡し、その時に泣いて悲しんでいる暇がないくらいに
忙しくしているのには意味があると思った。
これは家族が「これで死亡し、やるべき事は全てやった」
と思う為の「告別式」であるんじゃないかと思った。
死んだ人の為にやる儀式が、実は生きて残される人間の為にあるのかもしれない。
それがあるお陰で確かにそれはだんだんと現実のものになり、
突然の死でも人はそれを胸に強く生きて行けるんじゃないか?
生きて行かなければならないんじゃないか? と私は思う。

私の中で、父はまだ死んだ人ではなく、生きている時と同じ様に
私を心配し、愛し、どこかでいつも見ていてくれる。そんな存在だ。
そんな気がしてならない。

人間とは不思議な感性を持った生き物だと改めて思い、考えさせられる出来事だった。




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