母の事・沖縄にいた頃



母の事・沖縄にいた頃



一昨年の1月だった。
当時那覇市に住んでいた私の所へ、両親と私の妹、母の姉が来たのは。
沖縄で出会った彼と一緒にいる事を心の中ではもう決めていて、彼の転勤の事を考えるといつまで沖縄にいられるか分からなかった。
私がいる内に、とみんなを呼んだ。

「どうしても沖縄に住みたいの。」と言った時、いつまでたっても子供みたいな私の言葉に、両親は多分とても驚いたと思う。
それでも、何も言わずに「頑張りなさいよ。」と送り出してくれた。

母が、もうずっと後になってから、
あの時「もうこの子は帰って来ない」と思っていた事を教えてくれた。
それでも何も言わずに送り出してくれた気持ちを思うと、胸が痛む。
「また帰ってくるから」と言った私の言葉が「嘘」になってしまうと思っていたのに、そっと背中を押してくれた事。
私は気が付いていなかった。

沖縄に遊びに来た時、突然現れた私の「彼」を見て、母は何を思っただろう。
あの時も何も言わず、ただ私が迷惑をかけていないかを心配し、お世話になっている事の礼を言った。


二十歳を過ぎ、看護婦になり、周りの友達も結婚、出産と幸せになっていく中で、それなりに恋愛もした。
でも、そんな生活の中で、ふとその先の未来を考えた時、私はどうしてもこのまま何の変哲もない人生を過ごし、ただ年齢を重ねていくのは嫌だなと思った。

普通のおばあちゃんになる事が嫌だなんて、可笑しいかも知れないけれど、自分の本当にしたい事も分からないまま、何かができるんじゃないかと足掻き、これがしたいと思った時には若さが足りない、と気が付いてしまう事を恐れた。

そんな時友達と行った沖縄は、私にとってとても刺激的で、「いつかこんな所に住めたら」という思いはどんどん現実味を帯びていった。

何もせずに、できなくなってしまってから後悔だけはしたくない。
住みたいと思ったからには、沖縄に行かなければ納得がいかなかった。
私のそんな思いに、母は気が付いていただろうか。
いつも何も言わず、父も母も、ただ「自分のしたいようにしなさい」と言ってくれる。

久しぶりに両親に甘え、親友のような妹とはしゃぎ、伯母さんと楽しく話したりしながら、数日間はあっという間に過ぎた。

帰る時、見送りはいいからと言った母が、その日の朝までみんなが寝ていた布団を部屋の隅にたたんでくれていた。
ずっと離れていたけどここで今朝までみんなで過ごしたんだなと思うと、寂しさがこみ上げ、一人になった部屋でその布団にもたれて一緒に過ごした数日間の事を思い出していた。

母のたたんでくれた布団を片付けようとすると、枕の下から出てきたのは、「お年玉」と書かれた小さな袋。
袋の中には、数枚のお札。

いつも食べきれないほどの野菜や、果物をたくさん送ってきてくれるお母さん。
子供の頃は、欲しいと言ってもお年玉なんかあまりくれなかったよね。
一緒のお布団で寝て、いつも寝る前には本を読んでくれてたっけ。
無条件に甘える事ができた、あんな優しい時間は、もう二度と戻ってくる事はないんだな。
そんな事を思いながら、何歳になっても幼かった頃と同じように優しい母を思いながら、
母のたたんでくれた布団に、顔をうずめて泣いた。

両親と、家族と離れて沖縄に来た時よりも、今この時が一番寂しいと感じていた。



「どうしても行く」と言って行った沖縄から出て、鹿児島に来て一年と少し。
母は私がどこにいても、誕生日には必ず電話をかけてきてくれる。
沖縄にいた頃、彼からの誕生日のプレゼントはバースデイダイブだった。
真夏の暑さを忘れるように、砂辺で夕日を見て帰ろうとしていた。
留守番電話には、母からのメッセージ。

ちょっとオッチョコチョイの母。
留守番電話には「ハッピーニューイヤー!」と季節外れの言葉と嬉しそうな声。
笑ってしまった。

子供の頃に、母が読んでくれた本の中のお話。
魔法使いはもう信じていないけれど、
私にまるで魔法をかけたような気持ちにしてくれる人のそばにいるよ。
そんな事はとても、恥ずかしくて言えないけれど。

私は、母の望んだような人生を歩んでいるのかな。
それとも、私の思うように生きる事こそが、母の望みだろうか。
平凡だけど、普通の毎日を送れるという事が、とても幸せな事なんだろうな。

それは、あの時背中を押してくれなかったら、思えなかったかもしれない事。


私もいつか、お母さんのような母親になりたい。
そんなに遠くない未来に。



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