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私は色々手を出して、やっている事があるので、至る所に話をする友人が居る。月の内の5分の3ぐらいは、出歩いている。その場所それぞれに、友人が居るので、出会いは多い。 習い事の後は、殆ど喫茶店でお喋りをする。なので、適度のコミュニケーションを毎日のように、とっていることになる。 平日の昼間なので、仕事をしている人は少ない。だいたいがリタイヤした、人生の先輩が多い。だから、結構為になる話しを聞くことができる。 中には、家族間の愚痴とかもあるが、それはそれで、バリエーションのある話しが聞けて、面白いと思う。 幾つになっても、チャレンジする人たちは、生き生きしていて、頼もしいと思う。家に引きこもっていてばかりでは、進歩が無いどころか、後退していく生き方になると思う。 会社をリタイヤしたら、第二の人生の始まり。なにもやらないという選択肢は、無いと思っている。なにか途方もないことをする必要は無い。仕事以外の何か新しい事を、始めることが大事だと思う。 私は‥ヨガはずーっとやっている運動だけど、それ以外で言えば、音楽を取り入れた新しい運動を始めた。 音楽は、オカリナと鍵盤ハーモニカだ。これは運動嫌いの私が、肺活量を補う為に、始めた楽器である。音楽は好きだから、続くだろうと思って‥である。 後は、学びだけど、これは占い師の私にとって、プラスになる学びを、月3回やっている。なに一つ欠けても、私ではなくなる‥と感じる。 私は今69歳で、後半年すれば70代に突入する。でも80代の友人が、張り切っているのを見ると、私も負けてはいられない。 というか、69歳は若いという認識の中に居るので、挑戦して出来ないのは、チョッとみっともない。なので、頑張らざるを得ない。(^_^.) まだまだ若造(笑)ゆえに、頑張っていこうと思う。
2024年10月24日
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町内で行なっている「オカリナ同好会」に、1月から仲間になる人が居る。11月23日の勤労感謝の日に、町内で文化推進事業の一環として、オカリナで練習した曲を、一般の人に公開したのだが、その時聞きに来た人である。 演奏を披露した日、私は受付を担当していたのだが、その時入りたい旨を私に伝えてきたので、慌てて代表者を呼んで、彼女を代表者に預けた。 その日は20人前後お客様が来られたので、受付も私1人で結構大変だったからだ。ミニ演奏会も終わり「大盛況だったね」とみんなと談笑。「オカリナやりたいと言ってきた人も居たね」と、話しが盛り上がった一日だった。 もう一つ、私が公民館で習っているモノ‥ヨガなのだが、12月に参加した時、ここでも新しい人を見かける。私はいつも通り自分が座る位置に行き、ヨガマットを出す。ギリギリの時間で参加する私は、新しい人が居るなぁ‥と、横目で見た程度で、ヨガが始まった。 ヨガでは、時々参加者の人たちと雑談するのだが、これも楽しみの一つになっている。その場でオカリナの話しを何気なくしたのだが、その新人さんが私を見て、「演奏会の時、受付をされていた人ですよね!」と、言うではないか。 私はその時初めて彼女の顔をマジマジと見た。「あーっ、オカリナ同好会に入りたいと言った人だ!!」ヨガでも一緒になるの??凄い!縁が有るって、こういうことなんだなぁ‥。私は感心してしまった。 それから今年に入って初めてのオカリナの練習の日、この日は練習終了後、新人さんを交えて喫茶店で親睦を深めた。ここでもこの女性と他のメンバーの1人が、40数年越しの出会いが発覚!‥驚いて唖然とする。私以外でも、私より40年も前に出会いが有ったわけ? 彼女がオカリナの音色に惹かれたのは、もしかしたら深い縁が結んだのでは?と思った。そして、本当にもしかしてだけど‥前世で縁があったのかも?魂の仲間かもしれないと、考えたりもした一日だった。
2024年01月17日
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10月から始めたことが有る。月2回、名古屋の栄の文化センターで、健康体操を始めた。私が何かを始める時、空いている曜日と、好きな時間帯で決めている。今、現在私が学んでいるものは、全てかけがえのないモノばかりなので、それらを止めてまで、新しいことをしたいとは思わないからだ。 新しく始めたものは、ストレッチと軽い筋トレと、軽快なリズムを併せた体操である。音楽が好きな私は、この体操が音楽を取り入れているところが気にいった。 ところが、この音楽と体操を組み込んだ動作が、私が考えていた以上に大変だった‥、何故なら、意外に速いテンポの音楽を使っていたからだ。手と足がちぐはぐで、同時に出来ない自分が悔しかった。足に意識がいけば手が疎かになってしまうし、その逆の場合もありで、動作がぎこちない‥まるで出来そこないのロボットのような動きだ。 これは、すぐには楽しめないなぁ‥練習が必要だ。繰り返し行うことや慣れることで、なんとか形になっていくのだろう。私はまたこのクラスの人たちの足をも、ひっぱってしまうんだろうなぁ‥。他のクラスでも仲間の皆さんの足をひっぱっている私には、辛い現実なんだよなぁ‥。 でも、出来ないクセに、何故かワクワクしている私。なんでだろうねぇ~好きだからなんだろうねぇ~。1回目より2回目のほうが、ホンの少しだけ出来るようになった気がする。それほど出来るようになったわけでもないのに、私は嬉しくて仕方がない。 家の周りを散歩している時でも、時々思い出したようにステップを踏んでいる。改良点は何処だろうか?と考えている時間すらも、楽しくて楽しくて‥。 実はこの教室の先生は、今年一杯の助っ人先生だと聞かされている。本来教える先生は、現在怪我か病気かでお休みしているらしい。来年戻ってくるようなのだが、私は前の先生を知らないので、今の先生が私と3ヶ月しか関わらないのが、滅茶苦茶寂しい。まだ2回しか教えてもらってないのに、もう別れが辛いんだよね。 私が習っている文化センターは、NHKと中日で、どちらも名古屋市中区栄に教室が有る。素敵な先生が多いので、生徒さんたちはみんな長く続けている。 会社に行っていた時は、名古屋駅(中村区名駅)に有る、毎日文化センターに、会社が終わってから通っていた。当然、習い事は夕方以降になる。 会社を退職した身としては、昼間の教室に行くことになる。なので、私は何処に行っても新参者になる。何処のクラスにも、何十年と通っている生徒さんばかりである。 場合によっては、先生のほうが2代目で、生徒さんのほうが長く通っている人も居るほどだ。 皆さんに、とても追いつけないけれど、せめて足をひっぱらない存在にならねばと思うのである。
2023年10月20日
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芸能祭が終わり「お疲れ様食事会」が開かれた。昼食を共にするのだが、私は朝と夜の2食人間なので、何も考えないでいると、いつもの習慣で朝食を食べてしまい、お昼にお腹が一杯で、何も食べられなくなってしまう。 なので、朝食前にいつもパソコンを開くので、前日にパソコン上に、「食事抜き」の付箋を貼っておかないと危ない。朝食べないとなると、やはり口寂しいものだ。コーヒーを飲んで昼食を待つ。昼食をする場所は、いつも利用する場所で、オカリナを練習する公民館の近くの町役場まで、車でお迎えが来てくれる。私は来年2月に父の一周忌を、そのお店で行なおうと思っているので、パンフレットを貰ってくることにしていた。 昼食会の欠席者は3名いたので、8名の参加のはずなのだが、その内の1名が中々現れなかった。メールとか電話をして、なんとか連絡を取れたのだが、どうやら食事会のことを忘れていたらしく、別の町を車で移動中だった。その彼女は慌てて引き返して、遅れての参加となった。 食事会は月々の会費と町からの補助金を足した分から、部屋代とかオカリナの先生へのお礼を差し引いた分の残りで捻出している。なので、食事代を改めて徴収していないので、不参加は勿体ない。あらかじめ不参加の人には半額返して貰えるようだが、彼女のように参加を忘れて不参加になってしまったら、何も戻ってはこない。まぁ予約人数に入っているので、お店側の当日キャンセルが出来ないのだから、当たり前といえば当たり前なのだが‥。 私は食事にプラスして1本ついているビールが楽しみなんだよね。だって、お昼からのビールは、別格だもんね。^m^ビール1本で止める私って、可愛いよね!‥と変な自慢をする私。喫茶店での反省会でのコーヒータイムも楽しかったけれど、やっぱり食事会のほうが楽しいよね。日頃話せなかったことを話したり聞いたりできるし‥。 男性陣は別としても女性陣は嫁いでこの町に来ている。私は独身なので生まれ育った町になる。一旦私は名古屋市にマンションを買って家を出たのだが、母が心筋梗塞で倒れた時に、戻ることになった。なので、町のことは幼少期から知っている。 話しが嫁いだ時の話しで盛り上がったのだが、嫁いだ時に「役場」と言うのが恥ずかしかったと、皆さんが言うのだ。「市」から嫁いできているので、生まれた所は当然「市役所」になる。それが役場なのだから、どうもイヤだったようだ。いやいゃ‥町役場じゃんかぁ~、私の幼少期は「村役場」だったんだよねぇ‥。 でも「住めば都」で、今では皆さん町内を愛していてくれる。私は生まれ育った町だから、愛着は誰よりも強い。この土地が私は大好き!ここで生まれて良かったと思っている。
2022年12月03日
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町内の音楽芸能祭が終わった。どこの町内も一緒だと思うが、コロナが始まって以来3年ぶりの開催である。普通に毎年有った行事が開催出来ないなんて、コロナ以前、誰が考えたことがあるだろうか!?開催出来ること自体が有り難いことだ。 芸能祭の当日、ハプニングが起こってしまった。オカリナの先生が濃厚接触者になってしまって、芸能祭に出られなくなってしまったのだ。先生無しでの芸能祭も、初めてのことのようだ。でも、そこはベテランの皆さま方、慌てることなく少し打ち合わせて修正し、無事演奏を終えることが出来た。 私はオカリナに参加して日が浅いので、通常の芸能祭がどういうものか分からなかったのだが、どうやら参加団体が4分の3位に減ったらしい。しかも午後からの開催なのに、途中で休憩を挟むということなんて、今まで無かったらしい。時間の調整だろう‥参加団体が少ないことが原因なんだろうね。 終わった後、みんなで喫茶店に行った。一応反省会という名目なのだが、お喋りが好きな女性陣が集まれば、話しはあちこちに飛んでいく‥これは、当然の成り行きである。最初こそ、途中から曲の速度が速くなり過ぎた等と反省していたけれど、バックに流れる伴奏を聞いていれば、指揮者が居なくても速度の修正は出来るはずだよね。結局単に音楽好きが集まっているサークルなので、結構ズレてしまったと思う。まぁ最終的に、楽しくオカリナが吹ければいいよね? そして反省もそこそこに、家族の話しや孫の話しに移行していく。私は独身なので、夫の話しとか子供の話しとかには同調出来ない。ただ占い師という立場上、家族での悩み事はピンキリで聞いているから、聞いていても疎外感は無い。どこの家庭でも起こりうる出来事だと思って聞いていた。 こういう、ストレスを発散させる場所は必要だよね!自分の中に不満を溜めこまないで、吐き出す場所は、必要だと思う。吐き出してこそ、家庭が上手く回っていくのだと思う。とても平和な解決法だよね。 賑やかなお喋りをバックミュージックに聞いて、美味しいコメダのコーヒーを飲むひととき‥とても幸せだと思った。
2022年11月27日
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以前、ガイヤの夜明けで、イオングループを取り上げていたことがある。「イオン」は、アジア最大の小売企業だというのだ。成るほど‥「イオン」は「イオングループ」と言っている。グループ会社なわけで、沢山の小売企業で成り立っているわけなんだよね。従業員の数は57万人、グループ全体の売り上げは、8兆6千億円を超える。誰もが知る、巨大スーパー「イオン」だ。イオンの前身は「ジャスコ」、52年前に3社が合併して始まった会社である。そしてその後も合併や買収を繰り返していき、今や300を超えるグループ企業になった。そんなに!?300以上の小売業者で成り立っているの??そして今、その300以上のイオングループの小売業者同士が、本格的にコラボレーションを始めたというのである。コラボしていこうと考えたのは、企業によって、強みだけでなく弱みも有るからだ。その弱みを補い合うためのコラボになる。でも、そう簡単にはコラボして、新しい商品を生み出せはしない。店舗それぞれが、自分の売る商品にプライドを持っているからである。プライドを持つ者同士は、時として対立を生むことになる。お互い自分の商品の良さを、コラボで殺すわけにはいかないからだ。でも弱みの部分は、赤字になってしまっている事実がある。コラボして新しいサービスを提供して、経営を乗り切っていく必要がある。だからこその、コラボなのだ。お互いが知恵を絞り、お客様にとってどうすれば喜ばれるか‥、どうすれば喜んで商品を購入して頂けるかを探っていき、売り上げを伸ばしていくことが、赤字を黒字に変えられる突破口になる。その一例で、イオンアグリ創造という農場と、メガスポーツという、スポーツ関連企業とがコラボを始めた。聞いていると、お互いの主張はごもっともで、どちらの意見も納得がいく。だが、お互いの企業同士、赤字の部分も持っているわけで、それをなんとかしないといけないことも、事実としてある。お互いの主張を曲げずに、お互いが進展していく方法を探る必要がある。そこに新たな活路を見いだせるはずなのだ。これは人間関係にも当てはまることだと思った。お互い自分の主張ばかりするのではなく、お互いを尊重しつつ、何か他に方法はないかを見つけていくことが、双方前進できる道だと思ったのである。お互いが主張し合った後には、譲り合う一面や、サポートする協力性を打ち出していく。自分の考えを主張すればする程、そういった柔軟性を持っていないと、打開策は出てこない。自分の弱点も現実的にしっかり認めて、相手の話しに耳を傾ける必要がある。でも、そうやって話しを煮詰めていく先には、お互いが驚くような発見があり、双方にメリットが生まれてくるのだ。異業種が混ざり合うことによって、化学反応が起こる。私たちも狭い範囲の仲間通しだけで意見交換をするのではなく、全く違った考えを持つ人たちと交わってみることが、次のステップに行ける手立てではないかと思う。進歩する素敵な化学反応を、起こしたいと思う。
2021年11月20日
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「久しぶりに、日頃動かさない体の部分を、思いっきり使ったなぁ~。」月曜日にバレトンをやった後、ありえないところに筋肉痛がやってきた。筋トレと違うのだから筋肉痛なんてありえないと思っていたのだが、4ヶ月半のブランクは大きかった。バレトンは、手と足が一致しなくて、動きを覚えて、先生に付いていくのが大変なんだよね。ついつい出来ない自分に、イラッとしてしまう。イラッとしてしまうけど‥ブランクがあったのだから、仕方がないよね?なんて言っているけど、ブランクがなくてもあまり変わらないかもしれない。私は随分と、どんくさいのである。でも、楽しい‥楽しいという気持ちがあるから、他のネガティブな感情は、吹き飛んでしまうのだ。バレトンには、どうして運動嫌いの私でもハマったんだろうね!?バレトンって、体もだけど、結構頭も使うんだよね。核となっている動きはバレエなので、動きもほどほどにある。私は小さい頃ピアノをやっていたことがあるので、右手と左手と足を、それぞれ別々に動かして弾いていた。まぁ、当たり前のことだけど‥。またピアノは、目は楽譜を追うし、リズムをとって弾かなければならないから、頭をフル回転して、右手と左手と足に動きを命令する。意外に大変な作業をするんだよね、ピアノって。でも、体を動かすより頭とか手とかを使う方が多いので、こんな私でもやっていけた。けれどバレトンは、当然ながら体を動かすほうが多いので、私にとっては苦手な部分が多くなる。なので、ピアノをやるようには、なめらかに進まないのである。やっていて、ついつい溜め息が出るが、だからといって、時間は止まってはくれない。先生の動きに、必死になってくらいついていくしかない。しかし大変だけど、何故か終るとすっきりするし、楽しかったと思える。運動をしているのだが、音楽的な要素の割合が、多いからかもしれない。4ヶ月半ぶりに良い汗をかいた。仲間とも会えたし、とても楽しい時間になった。そしてそれは、木曜日のヨガも一緒だった。ヨガは動きが少ない分、バレトンより楽に出来るのだが、それでも4ヶ月半動かさなかったから、少しぎこちない動きになった。ただ、私は意外に体が柔らかいほうなので、ぎこちない動きになっていても、仲間内では目立たないで済んだ。私が行っているヨガは、機械的に動いてポーズをするばかりでなく、時々先生が脱線して、会話が間に入る。和気藹々とした、ゆる~ぃ教室なのだ。その時間も楽しみの一つになっていて、先生や仲間と会話するのが、癒しの一部になっているのである。みんなと情報交換ができるのも良い。生活にプラスに働いているから、この時間はかけがえのない時間になる。ヨガの終わり頃になると、体を休める時間があるのだが、体を動かした後なので、どこからともなくイビキが聞こえてくることがある。それもなんとなく可愛いと思う。まぁ、イビキの殆どが先生の旦那様なんだけどね。^m^教室の生徒さんたちは、女性ばかりなのだけれど、先生が隣りの名古屋市から来ている関係で、旦那様が車で送迎されている。先生のヨガ教室には、定年前まで興味を示さなかった旦那様のようだが、定年になって体を動かさなくなったことと、時間が出来たことから、一緒にやり始めたようだ。やってみると、体の調子が良い‥というわけで、送迎だけだったヨガ教室に、生徒さんたちに交じってやるようになったらしい。なので男性が一人、混じっているのである。公民館で部屋を借りてやっているヨガ教室なので、生徒の数とか関係ないので(今はコロナ禍なので、人数は関係するが‥)、きちっとした線引きは無い、ゆるくて居心地の良い場所である。こちらも久々の仲間の顔と声‥会えて話しが出来て、凄く嬉しかった。運動プラス癒しの時間である。
2021年10月09日
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最初に電話があったのは、大治スポーツセンターからだった。そこでは、月3回バレトンをやっている。次に公民館関係で、ヨガの仲間からである。最後はオカリナの部長から、10月から開始するというメールがきた。緊急事態宣言が10月から解除されるということで、大治町内で私が通っているそれぞれの教室から、開催する旨の連絡が、あちこちから届いたのである。感染症対策はしっかりした上でだが、久しぶりに通常の生活に戻れるようだ。でもこれもまた、いつまで続くかは定かではないのだが‥。できればこの緊急事態宣言が、最後であって欲しいと思うのだが、こんなに何度も緊急事態宣言をされると、また次も有るのかも?と、不吉な考えに陥ってしまう。いやいゃぁ~、こういう不吉なことは言わないほうがいいよね。物事はポジティブに捉えたほうが良い。ポジティブに捉えてそのまま、その願いが叶っていくほうが良い。夏の暑さが苦手な私にとって、これからの季節はホッとする。その上、緊急事態宣言解除で、いままでやってきた通りの、自分のやりたいことが出来る。まだ飲食店関係とか、密になり過ぎる集まりとかは出来ないだろうけれど、それでも縛りが有る中で、出来ることが増えていくと嬉しいものである。開催の連絡を頂いたのだから、色々準備しないとね。なにより、懐かしい顔に出会えることが、とても嬉しい。みんな、どうしていただろうか!?私にとっては、特に感慨深い。私の場合は、緊急事態宣言だけでなく他にも色々重なっていたので、仲間と随分長い間会ってない。4度目の緊急事態宣言から、5度目に入る前に体調を崩してしまったので、4度から5度目までの長い間、仲間の皆さんと会っていないことになる。5月の半ばからなので、4ヶ月半ご無沙汰していることになる。そんなに!?‥手帳を見ながら、改めてびっくりしている私だ。ここまで長く会っていないと、なんだか仲間に会うのがチョッと照れくさい。まぁ、とはいえ最初の一日だけなんだと思うのだが‥。運動関係は、仲間の動きについていけるだろうか?ここまで休んでいると、不安を感じる。ただ有難いことに、それぞれの運動が、個人でやる運動だということだ。運動する種目が、例えばダンスのようなもので、他の皆さんの動きに合わせるものになると、自分以外の人たちに迷惑がかかってしまう。その点ヨガもバレトンも個人個人でする動きなので、他の人たちに迷惑はかからない。でも、音楽関係はそういう訳にいかない。それぞれのパートに分かれてやっているし、なにより音を外してしまうと、不協和音になってしまい迷惑がかかる。音を出さないという手もあるが、それでは何の為にやっているか分からない。なので音楽だけはきっちり練習をして仲間に会わないと、みんなの足をひっぱってしまうことになる。音楽は好きなので練習は出来るのだが、若い頃に比べると、根気がかなり無くなってしまっている。う~ん、好きなんだけどねぇ‥。さぁ~、でも待ちに待った10月になったよ。音楽は大好きなんだから、しっかり練習していこう。運動は、体が動かなくてゴメン!‥でも仲間に混ぜてネ、というところかな?仲間が待ってる‥これが何より楽しみだ♪
2021年10月02日
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コロナで巣篭りしている人の筋肉量が減っているって、うんまぁ‥そりゃぁ、そうだよな。私は都合の良い考え方をいつの間にかしていて、「何歳からでも筋肉を付けることが出来る」という情報を楯にとって、ということは、今やらなくても‥という、甘い考え方で過ごしている。でも、いつからでも筋肉をつけられるという考えを裏返すと、何もやらなければ筋肉は減る、ということを頭に置かなければならない。ついついその考えには目をつむってしまい、都合よく解釈して生きている。だけど、結局そのツケは自分に回ってくることになる。歩幅も狭いし、若い頃のようにスタスタと歩けないのである。疲れ知らずに1万歩以上歩いていた頃は、遥か彼方の過去の話しになってしまった。コロナ以前の事を考えると、歩く歩数は半分近く減ってしまったかもしれない。出不精の私は、出掛けたいという気持ちに中々なれないでいた。滅茶苦茶遅まきながら(コロナ自粛から何ヶ月たってる?)、今月から動く気持ちになり、ようやく新しいことを始めたのである。鍵盤ハーモニカ(ピアニカ)を、習い始めたのである。始めるに当たっては、一応オルガン、ピアノ、エレクトーンもやっていたし、クラリネットやフルートもやっていたから、自己流でいいと思っていた。しかしどうやら私は、根本的に間違ったやり方をしていることが、友達を通じて分かってしまったのである。なので最低限の使い方を覚えるために、名古屋まで出かけることにした。悩んだなぁ‥名古屋の栄という中心街まで行くことを思うと、コロナの時期にチョッと勇気がいる。バスに乗って行くわけで、しかも帰りが通勤の人たちと少し被ってしまう。町内で教えてくれるところが無いから、仕方がないのだけど‥。でも、インフルエンザが猛威を振るいそうな時期を考えると、この10月~12月が、一番の穴場かもしれない。ということで10月から始めたのだが、行ってすぐに少し後悔してしまった。オカリナのように人数が多いクラスで無かったからだ。人数が多ければ、多少出来なくても問題ないのだけどねぇ‥。午前が初心者クラスで午後には2回あるのだが、どうやら私は一番上手なクラスに入ってしまったらしい。しかも、一番人数の少ないクラスなので、誤魔化しがきかない。(^_^;)いや、誤魔化そうという考え自体が間違っているのだけど、音楽を本腰入れるのは、若い頃で充分だと考えていたから、手を抜いて始めるつもりだったのである。でも‥いや待てよ!じゃぁどうしてやることにしたのか?そうだった!健康のためにやるんだった!!じゃぁ、しっかりやらないといけないじゃん。(-"-)午前中はバレトンだし、それから帰ってきて栄まで行くとなると、バスの運行を合わせて考えると、結局15時からのコースしか時間的に行けないんだよね。ということは、もう覚悟を決めてやるしかないんだよね。世の中には偶然なんて無いわけで、全部必然なのだから、まぁ、頑張りますかっ!結局、あれからみんなに食らいついていかなければならないので、家で毎日1時間練習している。健康のために始めたことを考えると、やっぱりこのコースは、必然だったと思った次第である。
2020年10月31日
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前回ブログに書いた中で、視点が私中心だったと思ったのは、私は定年退職した身で、同居者は居るが独身であるということ。一日が自由であるという観点からの見方に片寄っていたと思ったことだった。コロナの前と後(まだ後でも無いけど‥)で、体が鈍ってしまう人の側に立って話している事が、偏っていたなぁと感じた。考えてみれば、逆に忙しくなってしまった人も居る。そう感じたのは、オカリナの食事会でのことだった。コロナで規制が入り始めた、3月から10月までの約7ヶ月の間に、オカリナが出来るということで集まれた日は、たった一日だけだった。それもその時私は、暑さを理由に断ってしまったので、7ヶ月の間仲間に会っていないことになる。街中での習い事ならば、もう少し早く再開できただろう。それを提供している場所にしても、教える先生方にしても、生活がかかっているから、コロナを気にしながらも、再開のために尽力を尽くさなければならない。でも私が所属しているのは、町内のサークルみたいなものである。町が経営しているので利潤を追求しない。というより無理に再開して万が一のことがあっては、困るのである。だから、再開に消極的なのである。来月もこのままの状態では、再開されるかどうか分からない。さて、いつコロナ前の状態に戻ることが、いつできるだろうか‥。そんな中、オカリナの代表になっている人は、食事会を企画してくれた。もしかしたらコロナのことで、考え方が変わってしまい、オカリナを続けてもらえないことを、危惧してかもしれない。現に、私も名古屋まで出かけて習っていたことは、止めてしまった。コロナにかかるかもしれないリスクを背負ってまで、名古屋に行きたいとは思わなかったからである。久しぶりに会った仲間は、懐かしかった‥みんな元気でなによりである。食事をしながら、コロナの中どんな変化があったかを聞いてみると、みんなが真っ先に話したのは、一日三回の食事問題だった。家を守っているお母さんたちの集まりである。なかには自営業で仕事をしている人も居るが、殆どは専業主婦の立場。なにせ私は65歳だけど、この中では一番若いからだ。(苦笑)自粛でみんな家に居ると、一番大変なのは食事の準備である。家族の中では、お母さんが一番大変!よくよく考えてみると、私と同居している弟も、コロナ禍でも会社には行っていたが、仕事自体が少し減って、一週間の内一日余分に家に居る。それだけでも食事を作る時間が少し増えたわけで‥。これがテレワークに変わった旦那様や、学校の授業がリモートに変わった時期の子供さんが家に居ることを考えると、お母さんは大変である。(溜息‥)そうか、そうか‥忙しくなった人も居るなぁ‥。仕事の内容次第では、忙しくなった業界も有るし、運動不足だと嘆いている暇もない人も、世の中には居る。オカリナの食事会で聞いた話しからは、世のお母さんたちの大変さを、気づかされることになった。食事会はお昼だけど、みんな1本飲み物がつくということで、当然ながら私はビールを頂いた。結局あちこちから残っているビールが私のところに集まって、多分2本以上は飲んだだろうと思う。(笑)私はご満悦で色々な話しを聞いていたわけだが、仲間のお母さんたちも、話しが止まらない。久しぶりの仲間との再会で、積もり積もった話しを溢れさせていた。そんな仲間を見ていると、改めて仲間っていいなぁ‥と感じた。オカリナも練習しないとね‥。運動と一緒で、中々一人では練習しない私。唯一一人で頑張れると言うと、学びの為の時間かなぁ‥。いつ再開できるか分からない状態のオカリナ。いま14人居るということで、いままでとは同じ部屋では出来ないようで、密にならないように場所の確保も必要だと、代表が言った。でも色々考えてくれる代表の為に、私ももう少し練習しようと思う。仲間が集まる機会を作ってくれて嬉しかった‥感謝である。楽しい食事会だった。
2020年10月25日
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この間、ヨガとオカリナの新年会があった。私はヨガを大治町と名古屋2ヶ所で、火曜と木曜に行なっているのだが、名古屋のほうで行なっているヨガでの、新年会だった。こちらの新年会は、今回初めて参加する。去年の4月に入ったので、まだ1年立っていないからだ。どうやらペアになって、持ち回りで幹事を決めるらしい。日頃お話しする機会が無い人と交流できる、良い機会だと思った。なのでお昼を食べない私としても、まぁ歓迎することかな?私の場合お昼を食べるためには朝を抜かなければならないので、私的には、チョッと面倒臭いのだが‥。ヨガを11時半~13時行なうところを、30分早く切り上げて、会場である近くのホテルへ向かう。生憎の曇り空だったのが残念だったが、名古屋駅周辺を一望できる高層階での昼食会だった。ここでは4つのテーブルに分かれて親睦を計ったのだが、テーブル分けはA~Dの札を選ぶことで決まった。私は幹事の人と先生と、もう一人ヨガをやる際一番遠い場所に居る人との4人となった。16人居る中で、一番お話ししない人たちと一緒のテーブルになるのは、やっぱり札で選ぶからこその、面白いところである。いつもヨガでは、比較的新人同士とお話ししているものだから、20~30年もヨガを続けている人たちと話す機会は無い。こういった年に一回の親睦の場は、とても貴重だと思った。テーブルでご一緒した人たちの年齢は、先生は30代~40代、そして私以外は70代のベテランである。60代の私なんか、ひよっこ(?)かな??(笑)私はここのヨガではまだ1年にも満たない新人だが、会社に行っていた頃は夜の部でヨガをやっていたので、ヨガ歴としては、全くのド素人ではない。それを先生や二人の先輩は見抜いていて褒めてくれた。テヘッ!素直に嬉しい~。日頃話さない人たちとお話しが出来て、とても楽しかった。オカリナのほうは、今回の昼食会は3回目である。こちらは新年会という感じで開催するのでなく、会費が余ったら行う‥というやり方である。会費って、月1,500円なんだよ。それをやりくりするのだから、元々それほどお金がかかっていない。しかもそれでも余ると、会費を払わなくても良い月が出てくる。こちらは大治町の公民館でやっていて、会場費はタダ同然である。しかも町から文化推進ということで、少しだが補助も出ている。開催は月2回で、その内の1回だけ先生を呼んでやっているものだから、先生へのお礼も1回出すだけ‥それでお金が余って昼食会を開く。年2回ほど昼食会を開く感じである。だいたい席は上座のほうがベテランの人が座るので、私はおとなしく下座に座るけど、私より後に3人入ってきたので、まるっきりの新人ではない。こちらは大治町内のお食事処で、送迎に来てくれるお店での新年会だ。私の隣の席は、私より新人だがとても上品なご婦人である。昔、学校の先生をしていた人で(多分小学校?)音楽に詳しいし、最近ケーナもやり始めたと言われた。私も音楽関係は管楽器を始め弦楽器、打楽器‥、合唱からゴスペル、ミュウジカルと幅広くやってきているので、隣り同士で話しが盛り上がった。その彼女が大治町のスポーツセンターで太極拳をやっていると聞いて、私も4月か5月頃から始めるつもりだと言った。オカリナ以外でもご一緒できるのは、嬉しい。バレトンを一緒にやっている仲間にも太極拳の話しをしたら、その彼女も乗り気で、多分春頃には二人で入会するだろうと思う。こちらは月4回で千円の会費というのだが‥うそ?マジ!!大治町って、凄い!文化にもスポーツにも力を入れているから、色々充実している。人口増加も愛知県内では、名古屋市の次に増えている町になる。保育園が新しく出来ていることを考えてみても、田舎の過疎化が進む昨今、人口増加という逆転現象がみられる、とても珍しい町である。大治町に生まれたことを、今はとても感謝している。
2020年01月30日
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「えっ?えっ??‥何!日本に来てるの!?」私の親友は、アメリカのワシントンに居る。電話をかけてきているのは、きっと日本に居るのでは?と思い、聞いたのである。「今、日本だよ。お姉さんのところにきて泊まっているよ。」「じゃぁ、会えるんだね!?」嬉しくて、はしゃいでしまった私‥。電話が有ったのは、先週の火曜日。そして会えたのが次の日の水曜日の夜で、泊りにきてくれた。喋った、喋った、よく喋ったよ。小学校から一緒だったから、話す内容は膨大な量になる。機関銃のように喋った。お互いの言葉が終わるか終らないかの状態で、相手の言葉を被せるように、話しをし合った。話しは尽きないけど、眠さには勝てない。これが若かったら、寝ないで話しをしたけれど、やっぱり歳には勝てなかったので寝た。(笑)木曜の朝、お互いが起きればすぐに話し出す。一日一緒に過ごせる、貴重な時間である。今の私の木曜日は、午前中がヨガで午後は隔週でオカリナの日である。そしてこの木曜日は、そのオカリナも有る日だった。どちらも大治町の公民館で行なわれるものだった。なのである意味、一番融通が利く日でもあった。木曜日に彼女が来ると分かった時点で、少しでも一緒に居たいと思い、ヨガの先生にメールをして、飛び入り参加を了承してもらう。そしてOKが出るとすぐに、オカリナの会長にもメールをする。会長も友達の参加を快く承諾してもらった。有難いことに、木曜日は一日中彼女と一緒に過ごすことができた。駄目だったら仕方が無いので、休むつもりではいたのだが‥。アメリカに住む彼女とは、次に何時会えるか分からないのだから‥。ヨガの先生は足が痛い彼女のために、彼女が揉んでケアするとよい、足のツボの場所を教えてくれた。中学生の時吹奏楽部で、お互いクラリネットをしていた私たちは、オカリナが始まる30分前に、音階を彼女に教えて、簡単な曲ならすぐに吹けるようにしておいた。ファーストとセカンドで一緒に曲を弾いていた中学時代を思い出し、最高に楽しいオカリナの時間となった。 話しは尽きないけれど、別れの瞬間はイヤでもやってくる。事情が有って、次いつ会えるだろう‥いや、会えるのだろうか?と思いつつ、長いハグをして別れた。
2019年08月26日
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私は元々一人が好きで、誰かと一緒に何かをするという事がなかった。なので、なんでも自分で決めてきたし、自分一人が動くぐらい、誰かと一緒に行動するとか、他の人の意見を聞くとか、そういったことが必要だとは、考えたこともなかった。学生時代も授業と授業の間に、誰かを誘ってトイレに行くとか、お弁当を一緒に食べるとかといった、他人が関わる行動が好きでなかった。第一トイレって、生理現象なので、一緒に行く意味が分からなかった。お弁当は、もしかしたら多い人数で食べるほうが楽しいかも?と、想像はできるが、私にとってやっぱり意味が無いものだった。ただ高校時代の私は、あちこちのグループから声がかかったので、毎日一人で食べたという記憶は無い。色々なグループから声がかからない時は、逆にホッとしたものだった。そんな中、大人しくて間違いなく毎日一人で食べている人が一人いた。私はその人のことはどうしても気になって、折角一人で食べられる日があったのだが、私のほうからその人を誘ってしまっていた。結果、全く一人でお昼のお弁当を食べたという日は、一日も無かったことになる。どうも気になるんだよね~、一人で居る人って‥。自分は全然一人で居ても平気だし、むしろ一人にしてくれと思っている人種だというのにね。その人は、私のように一人が好きというわけでないから、私が誘うと滅茶苦茶嬉しそうな顔をした。今でも、その顔が忘れられない。背が低くて色白の可愛いらしい女性だった。今頃どうしているだろう‥。考えてみれば私の人生で、色々な人と関係を持ってきたが、行く末が心配だと思う人は、そんなに居ない。何とかなるだろう的な人は、まぁまぁ居たのだが‥。その中で、「この人どうやって生きていくんだろう‥」と、手放しで考えてしまう人は、あまり頭に浮かんでこない。でも結局一人が好きな私は、高校生活が終わった時点で、その人との接点は無くなってしまった。(私、久しぶりに思い出しているなぁ‥)会うことも無いだろう彼女の大人になった姿を、色々想像する日だった。
2019年08月04日
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バスに乗っていると、メールが入った。メールを見ると「お久しぶりです。今、バスの停留場で見かけました。前のバスに乗ってます。」という内容で、中学時代の塾仲間からだった。彼女は隣り町の人で、塾が一緒という縁で友達になった人だ。最初その塾は私の住む町内に有ったのだが、途中隣り町へ引っ越しした。元有った塾の場所が、メイン道路の横に在り、そこは急なカーブになっていて、車に突っ込まれそうな場所に建っていた。子供相手の塾の場所としては、非常に危険という判断で、暫くして隣り町に塾を建て直して、引っ越してしまったのだ。その時点で同じ町内で一緒に通っていた塾仲間は、男性陣と私だけになってしまった。女性で隣り町まで行く根性がある人間は、どうやら私だけだった。(笑)私は塾で勉強する内容が学校と違って面白かったので、遠くなっても辞めなかった。今考えると新設した塾は田んぼの真ん中にあり、帰りは周囲が真っ暗になる。もう中学生になっていたとはいえ、よく通ったなぁ~と思う暗さだった。結局同じ中学での女友達は居なかったので、隣り町の人と仲良くなったわけだ。その彼女の家には、何度も行ったことが有る。彼女の妹さんとも仲良くなった。その後もなんだかんだと会ってきたけれど、とぎれとぎれに会うという感じの友達である。(前のバスに乗ってる!?)‥そぅ、私は一台バスを見送ったのだ。名古屋駅まで行きたいだけだった私は、名古屋駅を通り越して栄まで行くバスを見送った。遠くまで行くバスは混むので、次のバスにしたのだが、彼女はバス停に居る私をバスの中で見つけて、メールをしてくれたのだ。会いたいなぁ~と思ったのだが、その後お互いに用事があって、会うことは出来なかった。結局会えはしなかったんだが、きっとまた会う機会が有るだろう。その時は会えなかった数年分のお話しを、一気に話すことになるだろう。
2019年08月01日
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(最近、時間が過ぎていくのが早くって‥)どういうことだろうか?会社に行っている時よりも早いのだ。でも、時間にはゆとりがあるわけで‥だから、とても不思議に思う。一つ一つ行う動作が、随分と丁寧になったとは思う。前のように走って行わないし、時計を見る回数も減っているから、きっと目は血走っていないと思う。(笑)いつまでも仕事を現役でやっている人たちには、私が今見ている日々の景色の流れ方は、分からないだろうと思う。かつての私が見たことがない景色なのだから‥。友達の範囲も広まった。専業主婦層の友達なんて、考えられなかったし有り得なかった。それが今ではかなり増えている。自分が正社員で働いている頃ならば、今の新しく友達になった人たちの話しを聞いたところで、きっと理解できないことも多かったように思う。会社へ行っていると見えない世界が有るし、会社へ行かないと、見えてこない世界もあるわけで、両方経験することが、大切なんだなぁ~と思う。以前働いている頃、同窓会に何回か出席したことがあるのだが、その時も女性陣の仲間に入れずに、男性陣の仲間に入って話をしていた。女性陣は、子育てや旦那様の話しで盛り上がるわけで、経験したことの無い私には、理論でしか聞けない話しだった。理論的には理解できても、感情的には理解できない。なので、本当の意味での共感は、出来ないわけである。その点男性陣の中に居ると、会社組織の事が分かるので、頭で理解できて、感情で共感できたわけだから、話しが盛り上がって楽しかったのである。やはり同じ苦労をしてきたもの同士の会話は楽しい。だから私が男性陣に入って話しをしたのも、当たり前のことだと思う。立場が変わると、見えてくる世界が変ってくる。違う世界が、そこには存在するのである。時間の流れが変わったことに戸惑いながらも、私は今、前とは違う住民になったのだと、しみじみ噛みしめている。
2019年05月16日
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毎週木曜日は、公民館でヨガをしている。いつも10~15人位で、登録は20人近い人たちの集まりだ。「若い頃は名古屋までヨガをやりに行くのも楽しかった。」ヨガの時間のチョッとした休憩タイムのお喋りの時間である。私の前で一緒にヨガをしている人が、私に話し出した。「名古屋までバスで行ってヨガをやり、帰りにウインドウショッピング。束の間の幸せを感じていたなぁ~」お子さんが学校に行っている間の習い事で、週1回ながら、主婦にとって小さな楽しみの時間である。すると先生も頷いてその生徒さんに向かって、「楽しかったよね~」と同調する。あれっ、どういうこと?先生も昔はこの生徒さんと一緒に、名古屋でヨガをやっていたってこと?聞いてびっくり!先生は若い頃、この生徒さんと一緒に、名古屋でヨガをやっていたらしい‥。しかもそれが先生にとって、ヨガとの最初の出合いだったと言う。その生徒さんと昔、ご近所付き合いをしていた仲のようで、先生のほうが誘われて、一緒にヨガを始めたようだ。それもキャンペーンの期間で、「今入れば入会金不要」の謳い文句につられて入ったというから、私も笑いながら頷き、よくある話しだと思った。人生の道が分かれたのは、ヨガに感動して指導者になりたいと思ったか否かである。誘ったのは生徒さんのほうだったのだが、夢中になって指導するという道を選んだのは先生だった。その生徒さんはその後、私が住む隣り町である大治町に引っ越してきた。先生はそのまま隣の町に住んでいる。なので週1回大治町の公民館まで来て、私たちを教えてくれているのだ。きっかけを作ったのは生徒さんだけど、その道を究めて突き進んだのは、先生のほうだった。何処に自分の未来を誘導する出来事が潜んでいるか、分からないものである。好奇心を働かせて、色々なことを知り体験することは、未来を大きく変えることに繋がる可能性を秘めている。私も、いつもアンテナをたてていようと思う。そして、まだまだ色々なことにチャレンジしていきたいと思っている。
2019年03月08日
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「うそでしょ~?」びっくりして聞き返してしまった。建築関係の勉強をしている仲間の一人が、水曜受講から日曜受講に変わると聞いたからだった。だってまだこの間、その彼女と私とが、彼女の若い頃、私の家の近くに住んでいたということを知ったばかり。まだまだこれからお話しをしたかったというのに‥。授業が終わって9階から1階まで降りた時に、その話しになってびっくりしてしまったのである。で、一度どこかでみんなと会おうということになって、おや?まだ連絡先知らないじゃん‥じゃぁ連絡先は?と話していて、立ち話もなんだからランチに行こうとなった。4人で話していたのだが、他の仲間はもう帰ってしまったので、先に4人で、次回会う打ち合わせをする為のランチなのだ。ライン作ろうとなったのだが‥ゴメン、私はライン無理なので‥。申し訳ないが私には、メールをしてもらうことになった。会社を辞める時も東京の仕事仲間からラインと言われたけど、その時もお断りした。ガラケーでもラインが出来る機能の携帯だけど、元々誰ともラインをするつもりが無いので、使えないようにしてある。まぁそれで受け入れてもらえない人とは、付き合う必要もないわけで、そのことで渋る友達は、有難いことに一人も居ない。丁度お昼時なので、何処もお客様で一杯だ。立ち話が長かったのが悪かったのだが、それでもなんとか席に在りつくことができた。何故日曜日に変わるの?改めて聞いてみると転職したからのようで、休みが変わったからだった。辞めてすぐに次の職場へ移行できたというから、その点良かった!だから「おめでとう!」なのだが、内心寂しいなぁ‥。私の前の席の人で、なにかと私に気付かってくれていた人なので、特に寂しいと感じた。出来の悪い私を、仲間はみんな引っ張っていってくれる。特に前の席の人と後ろの席の人は、親身に世話をやいてくれる。わぁ~その一人とお別れになっちゃうの?寂しさが押し寄せてくるんだけど‥。一期一会‥人との出会いは貴重である。
2019年01月31日
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第三土曜日に自分が主催している、或る倶楽部を立ち上げている。そこに今回から二人の新しい人が加わった。大半の人は、現状維持という状況がとても心地よいもので、波風が立たない生活を望む人の割合が、半数以上居ると思っている。なので、いつもと違うというシチュエーションには、不安が伴うのである。それは悪い場合だけでなく、良い場合でも当てはまる。良くも悪くも違う環境になると、そこにストレスが加わってしまう。その為、その日を迎える数日前から、私なりにその時の進行状況を、色々シミュレーションをしていた。何故ならその日、慌てないためである。我ながら情けないと思うのは、レイキマスターなのに‥というところだ。レイキを教えていく立場にも関わらず、不安を持ってしまっている。でも、ここは声を大にして言いたいのだが、私の元々の性格を理解すると、結構頑張って良くしてきたと思うわけだ。自分で自分を褒めている。(誰も褒めてくれないからねぇ‥笑)持って生まれた性格というのは、根本から‥根っ子の部分から変えられるかというと、中々そう簡単なものでない。ましてや私の性格といったら、「石橋を叩いて渡る」のではなく、「石橋を叩き割って渡らない」ほどの慎重な性格なのである。割っちゃうんだよ~(笑)現状と違うということが、大きな不安となって私の脳裏をぐるぐると回っていく。本番に強くて、一か八かで何とか出来てしまう人間なのに、勝手に沸いてくる不安を鎮められない。不安を持つ意味が無いのだけど‥なんだろうねぇこの感情は。そして、やっぱり「案ずるより生むが易い」結果となった。ははっ‥相変わらずアホやねぇ~私は。良い1年の出発になった。今後この倶楽部を盛り上げてやっていくのに、とても良いスタートを切れたと思う。これも仲間一人一人のお蔭である‥仲間に感謝☆
2019年01月20日
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びっくりした~世の中狭いとつくづく思ったよ~。来年も宜しく!の挨拶寸前に、建築関係の授業が終わった時、何故か仲間から「何処から来てるの?」と質問された。「大治町‥って、分かるかなぁ~」と言った時、前に座っていた彼女が「私、若い頃大治町に住んでた!」と、叫んだではないか!しかも‥しかも町名の次の住所まで一緒だった。うっそ~、そんなことって有るの~私の家の近くじゃないの!!「夢屋書店って分かる?」と彼女に言われて、「夢屋書店は撤退して、コンビニになってるよ!」と答える。「夢屋の近くのコメダ珈琲は分かるよね?」と私が言うと、「えーっ!コメダがあの近くに出来たの!」と彼女がびっくり顔。あらまっ、コメダは東海豪雨の時は無かったから、彼女が大治町に住んでいた時って、結構前になる。「そうよ、20年位前の話しよ」と彼女が答えた。私が大治町に戻ってきたのが、25年ほど前になるから、もしかして大治町の何処かで、すれ違ったことがあるかもしれない。まぁ、びっくり!もっと色々話したかったのだが、私はここからすぐに移動しないと、別の授業に間に合わなくなる。なので、また来年‥と言って、心を残しながら次へと急いだ。同じ授業の仲間でも、妙に息が合う人と普通の人とに分かれる。親近感を覚える相手というのは、何か合致するものを持っている者同士なのかもしれない。そう考えてみると毎月1回会う仲間は、少し特殊な仲間になる。他の人には話せないことでも、話が出来る仲間なのだ。仲間は来年から2人入れ替わっていくのだが、去って行く者も入って来る者も、特殊な関係には違いない。うわべだけの付き合いでない仲間が居ること自体、とても有難いことである。いつまでも存続させたい集まりだと思う。会社を離れて社会と縁遠くなっても、趣味が一致する仲間が居るし、一緒に学んでいく仲間も、沢山居る。ポツンと一人で居る時間は、意外に少ない状態だ。本来は一人が好きな私なのだが、人間が生きていく過程に仲間は、絶対必要な存在だと分かっている。だから一緒に過ごせる時間を、大切にしていきたいと思っている。
2018年12月29日
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「絶対に雨になるなっ!」水曜日は執念にも似た気持ちで晴れを願う。だって、荷物が大きくて大変なんだもん‥。この重い荷物は来年の3月まで続く。なので、何が何でも水曜日だけは、雨が降って欲しくないのだ。今週の水曜日は、午前中と午後では行く場所が違う。だから殆ど一日中重い荷物を持って行動することになる。これが結構大変なのだ。毎週でなくて隔週なのだが、水曜日は一日がかりになるので大変だ。でも‥結局自分がやりたいことをやっているのだから、大変とはいえ、楽しい一日である。この午前と午後の移動の時間も、1時間しかないのに寄り道をする。バスを使っての移動なので、いつでも来る場所ではない。だからあちこち行きたくなるのである。荷物が大きくて重くて大変だというのに、寄り道している。だってさぁ~街中は刺激的で、目移りするんだよぉ~田舎者丸出しだ!(笑)家に帰ると、もう真っ暗である。一日中学んで遊んでお喋りして‥そして日が暮れた。水曜日の午前中の建築関係の勉強は、今「パース」をしている。先生も前回から変わって、素敵なオジサマという点では変わりないが、前よりチョッと厳しい先生だ。少し作業が遅れてしまったので、次の作業をサボろうとするのだが、それを許してくれない‥もぅぅ、少し位いいじゃん~。ぶーぶー言っていると、前後に座っている仲間が助けてくれる。うふふっ、いい仲間に恵まれているのよねぇ~私。解く問題の材料が、床から天井になっただけで、私の頭はフリーズしてしまう‥情けないったらありゃしない。原点に帰れば分かることなのにね!我ながら、空間認識能力の低さにガッカリさぁ~。先が思いやられるよぉ‥。だけどどんな感情になっても、今は毎日が充実している。自分が自分らしく生きていると、心から実感している日々である。
2018年12月14日
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先週の木曜日は、オカリナの練習日がミニコンサート日に変更となる。何故って、大治町からの補助金を貰うためのものだからだ。「チャンと活動しているから補助してね!」と、大治町にお願いするためである。なので私も色々な人に声をかけて来てもらった。まぁ、最初は自分が演奏しないコンサートに、「ぜひ来てください」と言うのも気が引けたが‥。それも途中で割り切ることが出来て、気楽に声掛けをすることが出来た。私はまだオカリナを始めて5ヶ月である。それも月に2回‥途中から文化センターでも始めたので、月に4回になるが‥。家で練習?とんでもない!一回もしたことがないよ~、って威張ることじゃなかった。(^_^;)文化センターでオカリナを始めたのも、家で練習しない自信が有った(笑)からである。私の場合は、音楽自体に自信が有る。幼稚園でオルガン、小学校でピアノを習い、中学校のクラブでクラリネットをやってきた。その上、社会人になってフルートを吹き、クラシックギターを習い、社会人合唱団に入り、ゴスペルもやった。なんだろう‥音楽は好きなんだよね~。途中母親が倒れた時には、全部止めていたけれど‥。代わりに占いの勉強を始めたわけだけど、通信で学んだので、勉強は送られてくるカセットテープを、会社へ行く通勤時間で賄っていた。母親の世話と家の家事を仕事の合間にするとなると、勉強は会社への往復2時間を利用するしかないからである。そして会社をリタイヤ‥出来た時間は好きなことがしたい。当然音楽関係を再開したいという欲求が出る。一番好きな木管楽器をやりたかった。でもクラリネットやフルートは、肺活量に自信が無くなっていた。そこで目を付けたのがオカリナということになる。ミニコンサートで私は、オカリナをやらないで、歌で盛り上げた。これでも合唱団の時はソプラノをやっていたんだよね~。でも、やっぱ高い音も歳と共に出にくくなってしまう‥悲しいなぁ。「60(歳)の手習い」という言葉が有る。遅すぎることは無いと思うので、頑張って続けていこうと思う。
2018年11月27日
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地域で楽しもうと、結構色々な催し物をやっている。やっていることは素人なので、チャンとした音楽を聞こうとする人には、お勧めできない。単にご近所さんが集まって、ワイワイ楽しもうというもので、素人ギターに素人アコーディオン、そしてオカリナの会長も出るはずだった。はずだった‥というのは、欠席されたからである。オカリナの会長のお誘いで参加したのに私‥あれっ?どうやら会長のお母様が亡くなったようで、通夜を終えたばかりだったようだ。会長も結構なお歳ということを考えると、お幾つなのかしら?と言う質問に、100歳だったという回答があり、それは凄い!と思った。しかも亡くなる前までしっかりとされていたらしく、健康寿命を迎えたようなので、見習いたいと思った。会場は大治町西条防災コミュニティセンターだというのだが、私はこの場所を知らない。木曜日に行っている公民館でのヨガも、11月1日だけは公民館を取れなかったらしく、その日だけ防災センターだというから、どちらにせよ私は、個人的にも場所を知っておく必要がある。オカリナの前会長が月曜にやっているバレトンにも行っていて、私はそこで毎週前会長にお会いすることが出来る。なのでこの人と私は1ヶ月の間に、結構な頻度でお会いできる人となった。出会いも不思議だったが、会社を辞めて大治町に根付こうとする私にとって、本当に大切な人になった。彼女に、防災センターの場所が分からないと言うと、当日車で送ってくれるということだった。なので会長の欠席は、車の中で聞いたことになる。大治町は公共施設が沢山ある。だから「ポツンと一軒家」ならぬ「ポツンと海部郡」であっても、合併しなくてもやっていけている町なのかもしれない。平成の市町村合併から外されても、何故だかよく分からないが(笑)、頑張っている町だ。私は大治町内の公共施設を、まだ全部把握していない。まぁ、追い追い覚えていこうと思っている。歌声サークルという名前で、今回開催されたのだが、お菓子付きで音楽に併せて昔の歌を歌おうというものだった。200円(会場費とお菓子とお茶コーヒー代)だけで、たっぷり音楽を聞き、たっぷり歌わせてもらった。楽しい午後のひとときになった。
2018年10月23日
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始めたオカリナ同好会で、歓迎会をしてもらった。私ともう一人の人のためなのだが、その人は一時休んでいて、復帰した人であった。総勢12人、アットホームな人数である。まだ名前は覚えられないが、復帰した人とは携帯番号を交換した。私たちが入ったことで、全員の名前と電話番号が入った名簿をもらっていたのだが、そこに書いてあった復帰した人の電話番号は、固定電話だった。なので携帯番号を聞いて、メールで話しが出来るようにしたのだった。歓迎会の中では、色々な情報を聞くことができた。流石皆さん地元に根付いているだけあって、全く知らない地元の情報を、教えていただけた。その中で町が主催している「年輪の会」があるのだが、それとは別に各地区で老人会が有るというらしいのだ。60歳になれば入れるらしい。私の住む大治町は、住所の「町」の後に「大字」と「字」が付く。その大字の括りで老人会が有り、私が住んでいるところは、一番派手にやっているというのである。派手って?食事会、旅行会、一泊旅行等々らしい‥。まぁ、そういう類はあまり好きではないが、そういう交流も有りかも?と思わなくもない。一度近所の人に、聞いてみようと思っている。他にも知り得たことは、中村日赤に寄付した人を知っているらしい人がいて、その人は中村日赤の駐車料金をタダにしてもらっているという。また、JA海部東が建物を建て替えたのだが、その期間、数百メートル離れた場所で、簡易的に営業をしていて、元の場所に建物を作って戻ってきた。でも本当は簡易的に営業をした場所に、建て替えたかったという話し。地主との土地を借りる賃貸料で、折り合いがつかず、結局元の場所に建て替えたということである。移転先はプレハブをはいえ、2度建て替えるわけだし、壊すのも2倍とまではいかないだろうが、お金がかかる。引っ越しも2度しなければならないから、かかる費用は莫大である。その逆のパターンが、交番の移転の裏側の事情だった。土地の賃貸料が値上がりして、やむなく移転したということだった。いやいゃ‥皆さん、よく知っていらっしゃる。私も交番の場所が主要道路から引っ込んでしまったのは、可笑しな話だなぁ~とは思っていたのだけどねぇ。あっ、そうそう、この会で私が一番の若手だと判明した。63歳が一番若いんですよぉ~。(@_@。なのでこのお昼の食事会では、私の歓迎会でもあったのだが、一番気を使って動いた席となったわけだ。でも、嬉しかった~。歓迎してくれているのが、言葉の端々に本当に伝わってきたので、頑張って続けていきたいと思った。いや、頑張らなくていい‥ゆる~くやっていこうと会長に言われた。楽しむことが第一のオカリナ同好会。我ながら良い場所を見つけたと思っている。
2018年08月28日
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月に2回なのだが、先月からオカリナを始めた。オカリナは健康の為になる上に、好きな音楽だから良いと思ったからである。運動関係は好きでないけれど、体力が衰えていくので、仕方なくやっている。やらなくていいなら、何もやらないだろうと思う。だが、筋力や持久力が衰えていくのは、目に見えて分かる。だからやらざるを得ないのである。病気は嫌だ‥健康な暮らしがしたい‥だから運動をする‥、ただそれだけである。でも音楽は好きなので、自発的にやりたい。中学生時代の部活は吹奏楽だったので、なにか音楽関係には携わっていたいのである。といっても、クラリネットやフルートを吹く肺活量が有るかというと、今の私には無いと答えるしかないだろう。音も大きくて近所迷惑にもなってしまうだろうし‥。そんな時、町の広報で、公民館の同好会の欄に、「オカリナ同好会」を見つけたのである。これなら肺活量が無くても出来そうだ‥、それがオカリナを始めたきっかけとなった。月2回でゆるい運営だというのも気に入った。月の会費も、1,500円で、懐に優しい設定だった。行くと優しそうな先生や仲間だったので、これなら続けていけそうだと思った。楽譜を見るのも久しぶりだし、音符を見るとワクワクする。この感覚は数十年振りである。但し、やっぱり扱ったことが無い楽器なので、覚えるまではチョッとシンドイだろうと思った。微妙に指使いがフルートやクラリネットと違っている。逆に管楽器を扱っていた時のクセが、邪魔になるだろうと思った。まぁ、英文タイプをやっていてパソコンに移行した時も、ローマ字打ちの前に英単語を指が覚えていることが邪魔をしたわけで、似たものを扱うと覚えるのが早い反面、邪魔にもなるので厄介である。最初の内はそのギャップに悩まされるだろうけれど、それも時間が解決してくれると思っている。好きな音楽である。楽しんでやっていきたいと思っている。
2018年08月23日
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趣味で行なっている私が倶楽部と称する集まりがあるのだが、その倶楽部は1年半前に二人で始めた。二人で出発したのだが、少しずつ増えて六人になった。ただ、途中一人結婚して東京へ行き、そして先月、もう一人辞めていったのである。でも面白いと思うのが、こんな中で二人入りたいと言ってきたのである。二人抜けて二人入る‥しかもその一人は、結婚して東京から来る人だ。結婚して東京へ行った人がいると思えば、結婚して東京から来る人が居るのである。なんか‥面白い。7月で辞めた人は、私が結構頼りにしていた人だった。なので、残った人たちが彼女が辞めることをどう感じるだろうか?と、少し心配になった。でも心配することは無かった。元々は私についてきてくれた人達なので、彼女が抜けても全く不安を感じなかったみたい‥一応一安心。私も彼女が抜けるということを、しっかり受け止めなければならない。私の成長が望まれているということを理解して、もっと頑張って学んでいかなければならない。逆に残った人たちが、「もし彼女が帰ってきたいと思ったら、いつでも迎え入れてあげたいね。」と言ってくれた。まぁ辞めた彼女は私の生徒さんなので、当然私と縁は切れないわけだから、戻りたいと思った時に戻ればいいと思っている。(いままで有難う~そして頼りにならなくてゴメンね。)辞めていった彼女への、私の素直な気持ちである。倶楽部の進め方は、いつも悩んでいる。それを何とかしなければいけない。当然そのためには、勉強していかなければならない。10月からは新たな動きがあるが、それは人任せ運任せなところがある話しであることを考えると、もっと地に足が着いた取組をしていかなければ‥と思っている。来月、もう少し涼しくなったら、新しい方法にチャレンジしようかと考え中。みんなにとって一番良い方法を、模索していこうと思う。
2018年08月18日
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土曜日に久々に仲間と会った。12月に会うはずが、入院で断念。2月には風邪をこじらせてしまったわけで、ようやく3月に会うことが出来た。たった4ヶ月だというのに、なんだか長かったなぁ‥。私が主催している会なので、問題なのは私の体調管理だった。ホント‥申し訳ない。皆さん、楽しみにしておられるのをヒシヒシと感じる。実に良い仲間を持ったものである。会を進行していくことを考えると、ちょっと荷が重いのだが、始まってしまえば、私の進行の不出来さを問題にすることもなく、優しく一緒に学んでいける。今回は始めるにあたって、色々報告があった。私の定年の延長の話しだけでなく、仲間の一人が結婚したことなどである。私もびっくりしたのだが、丁度結婚したのが、私が入院している最中だったらしく‥。そりゃぁ、すぐに報告しにくいわなぁ~。しかも2月にも風邪を引いて体調崩している私に、益々報告が遅くなり、結局聞いたのが3月になってからだった。結婚してすぐに、旦那様が東京へ転勤。6月には彼女も東京へ行くことになるようだ。なので今は新婚にも関わらず、寂しい毎日を過ごしているというところだろうか。すぐに行けないのは、彼女のほうの仕事の関係上の為だった。それでも嬉しいことに、年に何回かは名古屋に帰ってきて、私の主催する会に出たいという話し。なので、会が行われる日にちに合わせて、名古屋へ帰ってきたいと言ってくれたのである。実家は大切‥でも、同じように会を大切に考えてくれている。本人は東京には友達が一人も居ないから‥と言っているが、それでも嬉しい話しである。実際、どれだけ名古屋に来れるか?というと疑問だが、来た時は、みんなで暖かく迎えてあげるつもりである。
2018年03月19日
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何年ぶりだろうか‥久しぶりの映画館だった。自主制作映画ばかり扱っているような、小さな映画館であった。知らないと見落とすような場所で行われていた。勿論、普通の映画館すら何年も行っていない私にとって、初めて訪れる映画館である。友達と待ち合わせて行ったのだが、最初10分前の待ち合わせと言われ、一度も行ったことがない私としては、その待ち合わせ時間は不安だったので、それより15分前の待ち合わせにしてもらった。やはり場所が分からなくて、少しうろうろとした。何人か道路側に溢れている人たちを見つけて、映画館を探し当てた。チケットと同時に整理券を渡された。というのも50人が定員の映画館だったからである。結果的には補助椅子を両サイドと後ろに使って、多分70人程は入ったのではないか?という感じだった。整理番号が、41、42番だった私たちは、補助椅子でなく、ちゃんとした椅子に座ることが出来た。私が15分早く待ち合わせにしたことが、こんなところで役に立ったわけである。周りの人に聞くと、前日の初日に入れなかった人たちが、もう一度次の日に来た、という人も居た。初日は映画監督や出演者たちの挨拶もあったので、みんな初日を選んで来たようだが、1時間待って入れなかった人たちも居たと言っていた。友達が初日用事があって行けないと言ったのも、役に立ったことになる。1日1回3週間の上映なので、平日仕事で行けない者としては、観るチャンスは少なくなる。ところで、驚いたことが有った。私はここで知り合いに会ったのだが、私の場合映画の内容からして、その友達に会うことは有り得ることだった。ところが友達は上映する映画からは理解できない友達に会っている。しかも二組で計5人‥不思議である。世間は狭い。なんにしても有意義な一日であったことは、間違いなかった。
2018年03月07日
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「あのぉ~」会社帰りに名古屋の地下街を歩いていると、すれ違いざまに、一人の女性から声をかけられた。顔を見ると、何処かでお会いしたような‥。見覚えは有るのだが、誰だったか思い出せない。なので私も「何かの勉強会でお会いしたことがありますよね?」と返事するのが精一杯だった。相手の女性が「ケイシーは‥」と言ったので、「あぁ~、エドガー・ケイシーの勉強会でお会いしてますね!」と返すことが出来た。顔を覚えるのも名前を覚えるのも、滅茶苦茶苦手な私である。相手から声をかけて頂けなければ、私から声をかけることはない。なので声をかけて頂いて、とても感謝である。向こうも声をかけるのにドキドキしたと言う。10年近く会っていない?感じなので、間違っていたらどうしよう‥と思ったらしい。話していくと、喋り方とか仕草で思い出していく。とても上品な人で、私の友達には無いタイプの人である。話しが進むにつれて、随分と懐かしく感じた。聞くと「神の探求」が終わった時点で、講座に出るのを止めたらしい。というのも、次が「聖書講座」になったからである。彼女は聖書よりも仏教のほうが波長が合い、興味があるようだ。「今は聖書講座を中断して『転生の秘密』ですよ」と言ったのだが、それは知っているようだった。聞けば会員になっているというから‥大変失礼しました!私は会員になっていない身なので、情報を私から発信するのは「釈迦に説法」である。30分程立ち話をして別れた。私にとって名古屋の地下街の一つであるユニモールは、仕事に関係していつでも通る道ではあるが、それでも会社の帰り道で通ることは、滅多に無い通路である。しかも彼女は、平日に名古屋駅に来ることが滅多に無いらしく、今日は仕事を休んで用事を済ませての帰りに、ふと思い立ってユニモールに足を運んだというのだ。びっくりするような、殆ど有り得ない偶然。それを作り出してくれている、見えない存在が居ると感じる。私はその存在に、心から喜び感謝している。
2018年02月16日
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気まずい雰囲気が嫌で、用も無く席を立った。部屋の中で二人が議論をしているのだが、少し喧嘩腰である。二人の言わんとしていることは分かる。それは第三者だから分かるということと、二人の性格の違いだと分かっているからである。でも当事者の二人は、それに気がついていない。何故相手は自分の言うことが分かってくれないのかと、同じ所を堂々巡りで、話しているのである。一人は大雑把、もう一人は慎重派という性格の違いがある。お互いがお互いを理解しようとしないから、自分の主張が通らず、イライラとしてしまっている。私が当事者になった場合は、きっと黙ってしまうだろう。畳みかけて話してこられてしまうと、ボキャブラリーが不足している自分としては、伝わらないだろうからと、議論をすること自体を止めてしまう。私も理論的で男性寄りの考え方をしているが、「寄り」であって男性ではない。それに理論を通すには、あまりに言葉不足である。でも相手が替われば、私のほうが言葉をまくし立ててしまい、相手が黙ってしまうこともある。そう考えると、こうやって第三者として見届けることは、とても必要なことだと思う。自分のことを相手に分かってもらう前に、相手の言おうとしている話しに、耳を傾けるべきだと思う。そして何処で考え方がすれ違ってしまうかを、見つけることが重要なんだと感じる。お互い間違ったことは言っていないのだが、考え方や受け止め方が違っている。物事をスムーズに運ぶために、少し冷静さを持って欲しい。でもこれは、別の日の私が、別の誰かと起こすシチュエーションでもある。冷静に見極めて、言葉を選んで話しを進めたいと思った。
2017年10月24日
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私の友達で凄い女性が居る。50歳過ぎて砲丸投げに挑戦し、金メダルまで取ってしまった。新しいことに挑戦して、しかも金メダルまで取ってしまうなんて‥。でも、何で砲丸投げだったんだろう‥??元々運動関係は好きで、ママさんバスケをやっている。何度も骨折をしているのだが、それでもバスケを続けてやっているから凄い!私など捻挫をするだけで、この世の終わりのような痛がりようだ。しかも運動しての名誉の負傷でもなんでもなく、単に歩いていて段差に気づかず負っただけの捻挫である。これは、歳をとって足が上がらなくなったから?バランス感覚が非常に悪いからなのか?体幹を鍛えていないからかも?ヨガをやっているけど、それだけでは追いついてこない筋力。運動神経の悪さは小さい頃からだけど、それで自分を甘やかしていては、生活自体に支障が出てくる歳だ。適度な運動をしている人でも、40歳を過ぎれば殆どの人の筋力は落ちていく。これでヨガをやっていなければ、どうなっているのだろうか‥。(怖っ)事務職で、ずーっと机に向かってパソコンを打ってきた生活。週5日そんなことを40年近くやってきたわけで、衰える筋力に拍車をかけるような生活である。私は最近、昔学んだ勉強をもう一度振り返ってやっている。知的好奇心を満たすためには、老眼にムチを打てる。(笑)でもそれは知識に関してだけで、運動関係に関しては、好奇心が全く出てこない。友達の彼女は運動関係が好きだから、歳をとっても新しい事に挑戦出来るんだよねぇ‥。楽しく体を鍛えたい。知的好奇心を満たす時のワクワク感と同様に、体の変化を喜べるような、そんな楽しさを養いたいものだ。
2017年09月22日
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私には伝えるという役目が有る。占いにしろレイキにしろ、伝えていくべき使命が有る。それでも自分が大事だし、自分を放っておいてまで、使命が大切だとは思っていない。愛されることを経験して来なかった者が、愛することが出来ないようなものだと思っている。自分を大切に出来ない人間が、人に人生を語るなど、出来るはずもないし、するべきでもないと考える。私はだから、結構我が儘を言う。相手有りきではなく、相手と自分の両方有りきだと思っているからだ。それでもいい、と言ってくれる人には、出来るだけのことをお伝えしたい。私が経験したこと、学んだこと等々‥、生きていく上で役立つだろうことを、知っている限り話していきたいと思っている。でもそれは原則、私が知らない人が対象。身内とか友達とかは、逆に難しい。よく保険の勧誘で、実績が出ずに困った人が、最終手段で身内や友達に勧めることが有る。でもその結果身内に敬遠され、友達を失ってしまうことが起こってきてしまう。私は身内とは当然上手く付き合っていきたいし、少ない友達を更に減らしてしまうのは、やっぱり避けたい。だから不思議なことかもしれないが、初めて出会っていった人のほうが、伝えていることが多い。もどかしいけれど、それが現実なのである。
2017年09月08日
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会社に入って1年過ぎた人に、ちょっと質問してみた。彼は今40代後半で、四捨五入すると50歳である。「年齢相応に見られるの?それとも若く見られる?或いはその逆?」という私の問い掛けである。彼の答えは「年齢が話題になること自体が無いんでねぇ‥。おっさんという括りで済んでしまう歳です。」「若い頃の合コンの席では、そういう話題は絶対出たのですが、ここまでくると、誰も聞いてはくれないですねぇ‥」成るほど成るほど、確かに‥。聞かれる機会すら無い年齢かもしれない。それに若いと言われる歳でもなければ、かなりの年配に思われる歳でもない。もうざっくりと「おっさん」で済んでしまう年齢である。「美魔女って、どう思われますか?」と逆に質問された。「お若いですね~と言うレベルじゃないですよね?」はいはぃ‥、どうしたらそんなに飛び抜けて綺麗になれるの?そう言いたくなる美魔女を、テレビで時々見かける。或いは「手を加えていないよね?」という言葉が喉元までくる。美しさに感心する‥ではなく、もう理解不能の域である。お金をかけずに内面から滲み出る美しさであるなら、きっと素直に「美しい~」と称賛するだろうが、ここまでになるには、かなりのお金と時間をかけただろうなぁ‥と、推測できるものだから、なんとなく素直に綺麗だと言えない。普通の人たちは、そこまで掛けるお金も時間も無く生活している。女性だから綺麗でありたいと思うのは分かるのだが、だからと言って美魔女と言われるほどには、綺麗になりたくない。年齢相応より、ちょっぴり若いと思われる容姿でありたい。いつも新しいことにチャレンジしていける、若さを持っていたいと思う。
2017年07月21日
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「当時はそれほど出世するとは思わなかったけど‥」上司が関連会社の人と、電話で話している内容である。それを聞いて私は仕事の手が止まり、思わず笑ってしまった。何処かの集まりで、昔会った人とバッタリ会ったようである。その時相手が随分と出世していたらしく、驚いたようだ。どうやら当時、さほど出世するような人では無かったらしい。それがそれが‥思いの外出世していたので、上司のみならず、みんなびっくりしたというところだろうか‥。何十年と会ってないと、昔の印象で相手を見るので、意外な変容に驚くことってあるよね?この人、こんなに明るかったかしら?この人、こんなに社交的だったかしら??‥なんて。小学校、中学校、高校、大学‥そして、社会人。変わらない面もあれば、180度変わってしまった面も有りで、人ってどう変化するか、分からないものである。そういう私も学生の頃は病弱で、今の私からは想像が出来ないだろう。小学生の時の友達に会ったなら、同一人物だと分かるだろうか?逆に社会人になってから友達になった人たちには、病弱だった私など、想像すら出来ないだろうと思う。人に揉まれて、社会に揉まれて、人は変わっていく。良い方向へ変わるか否かは、本人次第である。環境のセイ、他人のセイと、周りや誰かのセイにしていては、自分の人生も悪い方向に行かざるを得ない。私たちは、毎日自分の意思で様々なことを決定して、人生を生きているのである。今有る環境や、今居る友達は、自分の意思の表れでもあるわけで、周りを決定付けてきたのは、自分自身なのである。現在を受け入れるところから、未来が前進していく。今を真摯に受け入れて、少しでも前に進みたいと思っている。
2017年07月14日
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この記憶の欠落の仕方が、私の場合半端ないことを、今回身をもって知らされた。私の記憶力は普通であり、周りに頭の良過ぎる人が居る。私はそう理解していたのだが、どうやら私の記憶力の悪さが、普通以下だということを知った。私って並じゃなくて、並以下なんだぁ‥。(/o\)今年の2月から、お遊びで月一回倶楽部的なことを開催している。そのメンバーに良さそうな人を、私は仲間に誘っているのだが、今回声をかけた友達に、ショッキングなことを知らされた。今の倶楽部で行なっていることを、昔一緒に勉強したことが有るというのである。えーっ、一緒に勉強した!?うそ~??しかもその時も私が誘って、勉強仲間にしたというのである。‥声が出ない‥私はパニック状態だ。3人で勉強した‥先生は○○先生だと具体的に言われてしまい、私はグーの根も出ない。先生は○○先生で合ってるし‥3人という記憶も有る。ただ、3人の内の一人は私の中では別の人になっている。なんなんだ~これは‥。この事実が分かって数日たっても、私の中では記憶が繋がらない。う~ん、今回はお手上げである。「忘れるって、生きていく上で大切なことだよ」と仲間は慰めてくれるけど、これって致命的に悪いパターンだよね。大事な友達を、違う記憶ですり替えてしまっているなんて‥。自分の頭の悪さにショックで立ち直れない。その友達は「山田さんは色々な勉強をしているから、混乱してしまっているだけだよ」と慰めてくれたけど‥。ホント!ゴメン。自分の情けなさと友達の優しさに‥泣きそうである。
2017年07月03日
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私と全く真逆で、運動大好き人間の友達が居る。バスケかバレーが好きな友達である。実はどちらをやっているか知らないことに、書く時になって気がつき、その事実に自分でもびっくりしている。(-_-;)ぼんやりと皆でやる競技‥という感じで覚えている程度なのは、やっぱり運動はどれも皆一緒(←違うでしょ!)という、運動が好きでない私だからこその、あやふやな記憶だということだ。その彼女が、最近砲丸投げを始めたというのである。この砲丸投げも、最初重量挙げと勘違いしていたのだから、どうにもヒドい話しである。私の覚え方は「重いものを使う運動」だったのだから、こんな記憶のすり替えが行われてしまうのである。この彼女、過去に運動することで骨折を何度もしている。それでも懲りないで続けるのだから、私には不思議な人だと映る。だって仕事でも無いというのに‥。そして50歳を過ぎて女性だというのに、砲丸投げを始めた。いやいゃ‥益々意味不明である。生活するためだけの筋力を確保しようと、嫌々運動をしている私とは、全く大違いの生き方である。でも感心したのは、なにやら審判の資格を取りたいと言ったことだった。東京に住んでいる彼女の夢は、オリンピックの時に、何らかの形でオリンピックに関わりたいと考えていることである。ボランティアでもなんでもいいから、運動に関する資格を取って、オリンピックの会場の何処かに潜り込み関わりたいと言う。どういう方法で関われるかは、私には皆目分からない。でも彼女の熱意を感じると、なんとかホンの片隅でもオリンピックに関われないかと感情移入してしまう。折角彼女は東京に住んでいるわけだし‥。まだオリンピックまで時間が有る。色々模索して一杯チャレンジをして、道が開けることを祈っている。
2017年06月16日
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余計な心配をしても仕方が無いということは、頭では分かっているのだが、ついつい望まないにも関わらず、勝手に頭で心配してしまっている。心配してやるべきことが手に付かないというほどのことでもないが、ふと気がつくと、何度メールしても連絡が来ない人のことを、自動的に考えてしまっているのだ。返事が必要な内容なので、ひたすら待っている私。あまり急がしてもいけないと思い、適度な日にちを置いて、メールを繰り返した。暫くして‥ようやく返事がきたのだが‥。「あれっ?お約束はまだ先ですよねぇ‥」という内容。はいはぃ、そうだけど、その約束の日にちは変わらないけれど、内容が変更になったから、その案内なのだが‥。新しい内容を確認してもらわないと当日困るので、内容変更が理解できでいるかどうかを、知りたいのだけど‥。「○月○日午後○時のメールの内容ですが、読んでもらえましたか?理解できていて、その内容で問題ないですか?」‥と再度問い掛けする。すると「ごめんなさい!!全然見ていませんでした」という返事。「分かりました!変更された内容で大丈夫です」と続くメール。後で気付いたのだが、私は本題に入る前に2度改行していた。もしかして続きが有ると分からずに、読んだつもりになっていたのかもしれない‥と。ここからが大事な内容だからと2度改行したことが、逆に仇となったかもしれない。約束の二日前に確認とれたのは良かったが、一週間もの間モヤモヤとして待っていた私は複雑である。「本題はすぐに入って、改行のやり過ぎに注意しよう」これが今回の私の反省点だった。
2017年05月29日
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2年前、私の家に泊まりにきてくれた人が居る。結婚前で、結婚するという報告を兼ねて尋ねてきたのである。「それじゃぁ、来年私が新婚生活を邪魔しに(笑)泊まりに行くね。」そう言っていたのだが、私が町内の組長になってしまい、忙しくなってしまったので行けなかった。すると今年の始めになって、子供が出来たという報告。去年お邪魔するという約束を破ってしまった私としては、まだ子供が彼女のお腹に居る間に、一度会いにいかねばと思ったのである。後は私が組長の仕事が終わる3月を待って、4月に入ったところで、なんとか会いにいくことができた。ラッキーだったのは、駅から彼女の家までの間に、桜の並木道が有ったということ。いつもは出来ない桜の花見を、その人の家の近くですることが出来たのである。一石二鳥になったかな?(笑)初めてお邪魔したのだが、まだ家が建ってそれほど間が無くて、とても綺麗な一軒家だった。間取りとか動線とかが素晴らしくて、思わずメモを取る私。こういう家を、いつか作りたいなぁ~。スロープが有る家だった。歳老いた両親のことを考えてのスロープだったようだが、どうやら使うこともなく、あっけなく亡くなってしまったようだ。でも赤ちゃんが出来ればこのスロープを使えるわけで、亡くなったご両親は自分のためでなく、お子さん(お孫さん)のためになったのを、喜んでいるかもしれない。私は、衣食住の「衣」も「食」も興味が無いが、「住」に関しては異常に感心が有る。彼女の家を見て、いつかこんな家を建てたいと思うのだった。
2017年04月12日
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一生懸命伝えてくれているようなんだけど、中々伝わってこない人がいる。「理由を教えて」と言っているのだが、理由を言うところにまで辿りつくのが長いというか‥。一杯言い訳(?)みたいなことを言うので、理由を聞く前に私のほうが疲れてしまう。そしていけないとは思いつつ、ついついイライラとすることになる。なぜそうなってしまったのかの理由を教えてくれれば良いのだが、前置きが随分と長い‥と私は感じる。再度聞いても、また一から前置きを始めるので、イライラモードが全開になりそうになる。いやいや‥ここは辛抱強く聞かねば‥。子供なら、知っている言葉自体も少ないだろうし、話しを組み立てる能力が、まだまだ欠けているかもしれないが、大人なら相手が何を求めているかが理解できるハズ‥。理由を知りたいという私の欲求は、かなり明確だと思うのだけれどねぇ‥。無駄とも思えるやり取りが長くなり、なんだかぐったりとしてしまった。それでも、どこか可愛いと感じてしまっている私も居る。イライラしたけど、一生懸命さは伝わってくる。自分なりに頑張って返答しようとしていることが分かるので、そこには負けてしまい、可愛いなぁ~と感じるのだ。でも、もう少しコミュニケーションの勉強をして欲しいなぁ‥。そうでないと自分のことが相手に伝わりにくく、結果的に自分が損をすることになってしまう。できれば自分のことを相手に、等身大で理解してもらえるようになって欲しい。自分の幸せのために‥。
2017年02月14日
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今年に入って、自分の記憶力の悪さが目立ったと彼女は言う。去年何も問題無くスムーズに覚えられた振付が、今年は発表会の直前まで覚えられなかったと言うのだ。フラダンスの先生が、発表直前になって振付を変えたらしく、曲の流れで振付も覚えていたものだから、すぐには変えられなくて大変だったというわけである。それは‥仕方がないことじゃない?と言ったのだが‥。まぁそれは一つの例で、自分で去年と比較すると違いが大きいらしい。あまりに去年と違い過ぎる自分の記憶力に、どうやら認知症を恐れて医者へ行ったようである。気持ちはとても分かる。私も父が認知症で、認知症になった者がどうなっていくか分かるだけに、そうなりたくない気持ちは、とてもよく分かるのだ。同級生としては、老いていくのも一緒なわけで、老いに対する不安を感じざるを得ない。医者で「隠れ脳梗塞」と言われたようだが‥。う~ん、多分医者に行って具体的な病名をつけられただけの違いで、みんな一緒じゃない?と言ったけど‥。よく情報番組で、何歳がピークで後は落ちていくと言われる。運動神経だったり、お肌の張りだったり、記憶力だったり‥。落ちていくのが当たり前で、それをどれだけ引っ張り上げるか‥だ。筋力ならば、何もしなければ落ちていく一方だけど、やれば取り戻せる分野ではあるよね。取り戻せないものもあるけれど、維持することは可能なわけで、遅いということはなく、今始めれば未来が随分違ってくると思う。脳の委縮だって、誰でももっと早い段階で始まっているハズ‥。医者は病名をつけただけだと思う。勿論、それで自分が生活面で変えられることがあれば、それはそれで必要な情報だが、単に不安になるだけなら、不必要な情報になってしまう。情報は無いより有ったほうが断然良いが、その情報に振り回されてはいけないと思っている。その時思い出したことがあるのだが‥それは、生前の母の事である。昔の風呂は空焚き防止機能が付いていなかったのだが、今はお湯が張っていない時に追い炊きをしても、自動で止まってくれる。母はお湯が張っているものと思い、追い炊きをしてしまったのだ。昔なら空焚きで、下手をすれば火事を起こすことになる。それをしてしまった母は、風呂場で泣き崩れたのである。「空焚きを起こさないために、空焚き防止機能付きにしたのだから、気にすることは無いんだよ」と母を慰めたのだが、母はその時自分の老いを感じたんだろうと思う。しっかり者ほど老いていく自分とのギャップに、苦しむのではないだろうか?悲しいけれど、みんなが通る道‥。自分を等身大に受け止めて、今現在出来る心と体のカバーを、最大限にしていきたいと思う。
2016年12月27日
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幼馴染みが会いたいと言ってきた理由は有った。ただ私が予想していた事とは違っていた。多分習っているフラダンスの発表会を、見に来て欲しいというものだと思っていたのだが‥違った。実際何度か見に行ったことがあるし、時間さえ合えば見に行こうとは思っていたのだが、どうやら発表会のことではないらしい。そもそも時期的にいつ発表会が有るのかも把握していない。自分も若い頃は音楽関係を色々やっていて、舞台にもたったこともあるのだが‥確かこの時期か3月か‥。知っているはずなのだが、今はそういう類から随分遠ざかっているので、さっぱり分からないのである。フラダンスのほうも、初級から中級に上がるようで、その一環としてヨガも習おうかと思っている‥という話しだった。どうやら中級になると柔軟性を求められるらしく、体が硬い彼女としては、中級になって周りの人の足を引っ張る事を怖れているようである。ヨガはポーズが出来ても出来なくても、周りを巻き込むことが無い。そういう発表の場は無いので、たとえ出来なくても、誰にも迷惑がかからない。合唱とかゴスペルとか、声を出して歌を楽しみたいと思うのだが、結局発表会に向けて練習するので、ただただ歌いたいだけの私は、発表会に出ないとなるとお荷物になる。全体の音量のバランスも違ってきてしまうから、発表会に出ないなら、居ないほうが良いことになってしまう。その点も発表会の無いヨガは、いいなぁ~と思っている。話しをしていく中で一つ驚いたことがあった。それはどうもフラダンスを始めたきっかけというのが、私が勧めたからだというのだ。彼女が当時やっていたフォークダンスを、今後も続けていくか否かで悩んでいて(内部で色々揉め事が有ったようだ)私が「いっそフラダンスなんて習ったら?」と話しを振ったらしい。まさか私の一言で習い事を変えたなんて‥。私はその経緯をすっかり忘れていて、「そういえば、フラダンスを始めたきっかけは?」だなんて、間の抜けた質問をしたのである。(苦笑)あれまっ!(''◇'')ゞ‥人生って、面白いなぁ~。
2016年12月24日
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「やっぱり会いたいけど、時間有る?」幼馴染みからのメールである。先月久しぶりにメールが来て、元気にしているのか聞いてきた。(ん?これは会いたいってこと??)結構気を使う人なので、私が忙しかったら悪いと思って、具体的に会おうとは言わない人である。なので、私のほうから「会う?」と聞いてみた。すると「急がなくてもいつでも会えるし‥」という返事。な~んだ、私の取り越し苦労なのか~。私は後1年半たつと定年になるのだが、その後ならいくらでも会えるし‥というような、気の長いメールが返ってきた。「じゃぁ、定年後にね!」なんて、私もメールを返している。そのメールから1ヶ月もたたない内に、会いたいと言ってきた。(やっぱり何か話しが有るのね?)何だろう‥と思ったけれど、幼馴染みに会うのに理由はいらないか‥。当日は久しぶりに会ったので、お互い積もる話しが沢山有って、弾丸トークになってしまった。この12月に会うと、1年を振り返るキッカケにもなる。今年起こってきたことの多さに、自分自身が驚くことになった。あれっ?あの事って、去年でなく今年起こったことなのか!?そう思うことが次々と思い出される。それは幼馴染みも同じだったようで、お互い話し出したら止まらない。途中譲り合って交互に話しをしていった。同じ町内なのでいつでも会えるはずだけど、彼女はお姑さんや旦那様が居るから、夜出られるわけでない。私は私で、まだ会社員としてフルタイム仕事をしているし、今年は町内の組長もしているので、時間が思うように操れない。なので会おうとお互い決めないと、会わずに終わってしまう。彼女が会おうと言ってくれたから実現できたのである。まだ今年は終わっていないが、良い振り返りの時間となった。
2016年12月22日
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勉強会を12月に入ってすぐの土曜日に、2週続けて行なった。参加の仕方はどちらか一方の土曜日だけでも良いし、2週参加でも良いと通知したのだが、結局参加者は2週共参加する人たちとなった。その最初の土曜日が過ぎて、次の週の半ばである。連絡して来なかったある人からメールがきた。「先週の土曜日に参加できなかったのですが‥」(いやいや、それは私が一番良く知っているよ!)と私はメールに突っ込みを入れた。まぁ、次の土曜日には参加出来ない人なので、(最初の土曜しか参加資格が無い人)行けなかったことが、とても残念だったという気持ちが伝わる。実は幸か不幸か次の土曜日の勉強内容が変更になった。なので参加できるようになったとメールをした。するととても喜んで参加するとメールが来た。変更になったことで、他にも参加できる人がいることになるのだが、まぁそれをあえてみんなに連絡をしなかった。本当に来たい人は、最初のメールで来るはずだからだ。後から参加することになった人は、まだ下のお子さんが3歳なので、お子さんには来てもらうわけにいかない。10歳のお子さん連れの人にはOKを出したのだが、(とてもおとなしいお子さんであることを知っているからだが‥)3歳では、どう頑張っても他の出席者に迷惑がかかる。なので申し訳ないが、お子さんはNGとさせてもらった。すると遅刻して早退となっても良いか?と聞いてきた。勿論大丈夫だとお伝えしたのだが、結局誰よりも早く来て、最後までお見えになった。個人的にお話しする時間は無かったのだが、言葉の端々に色々辛いことがあったのだと分かる。5年前に知り合って、お会いするのは数回。年月というのは、良いも悪いも、数えきれないほど色々なことが起こってくるものである。今回、勉強をしたかったのか私に会いたかったのか定かでないが、どちらにしても後出しメールが可愛いなぁ~と感じた。
2016年12月15日
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「山田さんったらいつものことなのに、毎回びっくりするのよね」そう言ったのは、火曜日のヨガで私の後ろにいる人である。この彼女とは、出勤時の途中の信号待ちで時々出会う。私が正面向いて待っている交差点の左側から交差点を渡ってこちらに来る。いつも私のほうの交差点が赤で、彼女のほうは青になっている。その時渡ってきて、信号待ちをしている私に挨拶をしてくれるのだ。ぼーっとして待っている私は、毎回声を掛けられて驚くという有様。私を見つけて挨拶してくれるのに、驚くリアクションを毎度毎度見せるのである。ぼーっとしているから、声を掛けられて驚くという反応しかできない。学習能力に乏しい私である。「だって朝は、どうでもいいことを考えていて、ぼーっとしているもん」と言うと、他の人が少しフォローしてくれた。「朝は活動のエンジンがかかるのに、時間が必要だよね」「そうなんだよねぇ~」とすぐ同調する私。するとヨガの先生が、こんなエピソードを話してくれた。「実は私もぼーっとしてエスカレーターに乗るところでマナカ(東海地区で使われている乗車券と電子マネーが1枚になったカード)を出してしまったことがあるの」どうやらエスカレーターに乗るという作業が、反射的にマナカを出して乗車するということに繋がってしまったらしい。ヨガの先生の話しに、みんなは爆笑である。こんなエピソードも可愛く思える、火曜日の私より年上の先生である。 わざわざ火曜日のヨガの先生と言っているのは、前回ブログで取り上げたヨガの先生が水曜日の先生で、性格も歳も全く違う先生だからだ。実は各週2回の金曜日もヨガをやっていて、ここは教室自体が違っている。なんと!嫌いな運動に月10日も習っていることになる。運動嫌いだからといって、何もしないで放っておけない年齢になってしまった。(悲しい~)先生が違えば教え方もその時行なうプログラムも違うわけで、そういう意味ではいつも新鮮でそれぞれの先生に教えてもらえる。全部文化センターなので、費用も安く済んでいる。老体に鞭打って頑張っている私‥。誰か褒めて~。(笑)
2016年12月08日
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先週末は、思いのほか人と良く会う日になった。休みの日は、家の事か自分に関することに時間を費やしたい。あまり他のことに時間を使いたくない。副業のお客様が来る場合は、それはそれで気持ちを切り替えてお迎えするけれど、それ以外で人と会いたいとは思わない。それが何故か一日の内に3人の人に会うことになるとは‥。その中には自分からお願いしてお会いした人も一人居た。でも、次の人は(私の休日に会わなくても良いのに‥)と思う人で、最後の一人は考えもしなかった人だった。でもこれが面白いもので、最後の一人が、その日の私を一番幸せにしてくれたのだった。いつも私が言っていることの一つなのだが、人や本との出会いが行動を促し、新しい考え方を得られるチャンスになるということがある。でも、その割に自分は余り行動を起こさない。チャンスを棒に振るタイプだ。(笑)人に勧めておいてなんでだろう?やっぱり性格かなぁ‥インドア派だし‥自分大好き人間だし‥。外部とは遮断したいタイプだ。ジャニーズの嵐というグループでいう二宮君タイプなので、彼にはとても共感する。とはいえ、彼のようにゲームは全くしないけれどね。しかも知的でアウトドア派の櫻井君のほうが好きときた。(笑)これは自分に無いものを持っているということに、憧れるからかもしれない。私の場合は、私と会って誰もそういうタイプだと理解してくれない。社交的で積極的で、どこにでも顔を出すタイプだと思われてしまう。それは私の本来の姿ではないので、新しく出会う人には、いちいちそれが私の虚像に過ぎないと、言って回っている。言わなければ誤解されて扱われるからだ。それは私の本意でない。でもこうやって新しい出会いが幸せを運んでくれることを思うと、線引きをしてしまう自分を見直さなければならないと考えさせられる。やっぱり幸せを感じる瞬間は、沢山欲しいもんね♪
2016年11月19日
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男性で45歳というと、中学高校辺りのお子さんを育てている場合が多いだろうと思う。現に我が社にも40代のお父さんが居るのだが、子供さんの教育費がまだまだかかる状況である。そんな中での転職は、きっとよくよく考えてのことだろう。アルバイトで食い繋いで、正社員になる会社を探せばいいだろうから、新しい仕事を決めて辞める人ばかりではないだろう。そうなると奥様の家計のやり繰りが大変である。我が社にもそういう経緯で入ってきた人は、過去を振り返っても何人かは居る。一番いいのが次の就職先がはっきりしていることだが、中々そう上手い具合には、事が運ばない。さてそんな中、私の知り合いで漁業関係に転職した人が居た。名古屋の、ど真ん中で働いていた人が、三重県の尾鷲市という田舎のほうの漁港で働くことを、決意したのである。持ち家さえも売り払ってしまったのだから、その覚悟は相当のものである。理由は、現在やっている仕事が自分に合わない。趣味が釣りで、知り合いに漁業組合への転職を誘われた。子供を田舎でおおらかに育てたい。‥というところだそうだ。次が決まっているというのは安心できる材料なのだが、独身と違い自分一人のことでないわけで、家族としっかり話し合っただろうか?と考えてしまう。いや当然話し合っただろうが、奥さんもお子さんも、快く賛成して一緒に行ったのだろうか?と懸念する。多分それは、私ならそんな田舎は嫌だという気持ちが強いから、そういう受け止め方しかしないんだろうと思う。逆に奥さんもお子さんも喜んでいるパターンかもしれない。私も若い頃転職を3回してきたが、独身の強みで簡単に転職してきた。家族を持ってしたとしたら、不安が大きくて踏み切れなかったかもしれない。子供のことを考えて夏休みに移動している。二学期が始まった9月の今、新天地で希望を持って自由に暮らせていることを、心から願っている。
2016年09月17日
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全国10の交通系ICカードであるマナカのことで、友達と話していて中々話しが合わないことがあった。それはチャージの件である。「マナカって、コンビニでチャージができるから便利だよね!」と私が友達に言ったのだが、友達は(えっ?)という顔をしたのだ。「全部のコンビニではないけれど、チャージできるコンビニが有るよね?」重ねて話した私の言葉が、やはり相手には理解出来なかったようである。結局最後には私の言っていることを理解してもらえたのだが、何故理解出来なかったかというと、住んでいる場所に関係していた。友達は名古屋に住んでいて、しかも地下鉄の近くに家が有った。私はというと、家の近くにはバスしかない。なので地下鉄に乗るためには、まずバスに乗らなければならない。地下鉄にはチャージ機が置いてある。もし無かったとしても、駅長室でチャージしてもらえる。だから自分が乗り降りする際にチャージできるのである。勿論バスも一緒で、運転手さんに言えばチャージしてくれる。でも私は朝晩の通勤時に余りそれをしたくないのだ。それをすると、乗り降りがスムーズに行かなくなるからである。気にする必要は無いのだが、後ろに並んで皆さん待っていると思うと、小心者だからついつい焦ってしまう。だから私は名鉄バスセンターでチャージすることが多い。バスセンターは定期券や切符を買う人ばかりだから、朝晩のように、それ程時間に追われていないからだ。ただ自分が会社をリタイヤした時に、近くでチャージできればとても便利だと思ったわけである。だからチャージできるコンビニが、近くに有るのは嬉しい。結局その友達はチャージするのに困らない場所に住んでいるので、あえてそれ以上の情報はいらなかったわけである。多くの人がテレビを見ていても、皆がみんな同じところで同じような反応をするわけでない。無意識の内に情報の選別をしているのである。自分の中で必要な情報か、今現在は必要の無い情報かを選り分けて、頭にインプットするか否かを決めているのである。最初は相手が知らないことに驚いたのだが、相手には必要の無い情報だったから知らなかったのだと、納得がいったのだった。
2016年08月09日
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嫌い‥というわけではないが、自分と合わない人って居る。自分と違う性格で嫌な場合と、自分の嫌な面が似ているから嫌な場合と有り、それを両方持っている人は、どうも好きになれない。その人は、仕事が営業だけでなく営業もするがそれはほんの少しで、人とは関わるが、殆ど営業以外の仕事の人。なのに、まるで営業1本で仕事しているような、揉み手の似合う人である。勿論、営業の人全部がこういうスタイルではない。逆に今どきは少数派のスタイルの人で世間を渡っている人だと思う。その腰の低さが私にとって妙に鼻に付く。ご機嫌取りをしているようで、私は嫌になるのだ。そりゃぁ、おだてられて悪い気はしないのだが、周りの人みんなに同じように接しているだろうと思うと、なんとなく嫌なのだ。私も当然大人なので、周りの人に合せるのだが、それでも断わるべきところは断わるし、相手を必要以上に持ち上げるようなことはしない。仕事絡みの場合は、ある程度仕方がないと思うのだが、仕事と関係の無い人達にも同じような態度を取っているのを見ると、イヤ~な気持ちになってしまう。人柄は悪くないのだが、何故そこまで自分の態度を卑下しなければならないのか‥、私には理解が出来ないのである。きっと生まれた環境‥両親、友達、先生、先輩等々、色々なことに影響を受けてきた結果、今のスタイルで生きてきただろうと思う。だから必要なことなのだろうと思うのだが、ただ私には、うわべだけの付き合いで終わる人だと思った。そして関わり合いが無くなったら、きっと記憶の片隅に残るか残らないかの人になるだろうと、今は思っている。
2016年05月22日
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心理学関係の仲間が、我が卒業した中学校で講演をしたようだ。中学校か‥45年前の懐かしい時代が蘇ってくる。私が中学3年生になる前の春休みに、木造だった校舎から鉄筋で建てられた校舎へ引越しをした。なので新しい校舎には、1年間だけお世話になった。忘れられないのが、部活の引越しである。それぞれの部が責任を持って部の持ち物を移動させなければならなかった。私は吹奏楽部だったので、楽器類を移動させなければならない。移動手段は今の人に分かるか否か‥リヤカーだった。(笑)譜面や譜面台を含めて、各自が楽器をケースに入れてお引越しである。私はクラリネットだったので、それ程場所を取ったわけではない。大きな楽器になると移動が大変である。でも行進する時にはそれぞれ楽器を持って行進をしている。しかも吹いて歩く大変さに慣れているので、引越しはそれほど苦労に感じることではなかった。建て替え前は木造の二階建てで、小学校と同じ敷地に有り運動場を共有していたので、利用場所や時間が制限されていて不便だった。それが原因で建て替えたのか、それとも青空教室が問題だったのか‥。青空教室というと聞こえが良いが、実際は雨漏りする教室だ。(笑)階段は歩く度にギーギーと音をたてていたし、半分腐っていた箇所も有ったように記憶している。年代物の校舎で、生徒数も増えていったものだから、流石に建て替えが必要と感じただろうと思う。中学時代‥というと、吹奏楽関係の思い出が多い。この引越しもその一部である。新しい校舎には、1年しか居なかったが、新旧両方の校舎を体験できたことは良かったと思う。その中学へ知り合いが講演に行っただなんて‥。心理学で初めて知り合って、それから色々と縁が出来た人である。知り合った当初は、こんなに深い縁になるとは思ってもいなかった。なにせ私とは全く無縁のはずの世界観を持つ人なのだから‥。つくづく縁とは不思議である。その縁で中学時代を思い出し、懐かしい気持ちを抱いたのだった。
2015年12月29日
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楽しい時間はアッという間に終わってしまう。7、8年振りに会った彼女との時間は、いつも以上に早く過ぎていった。2日分の睡眠時間を含め、合計で40時間位一緒に居たけれど、それはそれは早く過ぎていく。30歳そこそこに会った時を思い出しても、全く変わっていない彼女の容姿に驚きを隠せない。それに比べて私のほうはかなり老けたと思うのだが、新幹線口で待っているとすぐに見つけてくれた。会うと瞬く間に、会わなかった年月が埋まってしまう。そしてまるでついこの間会ったような気もしてくる。いやだからと言って、やっぱり長い年月会っていなかったのだがら、その間に彼女の周りで起こったことがわかるはずもない。にも関わらず会わなかった間に彼女の元で起こったことを、私がまるで知っているだろう話し方で話しを進めてきた。お陰で私の頭の中ではハテナマークが、3つも4つも浮かんでいた。こらこら‥いくらなんでも私は超能力者じゃないんだから、会わなかった間に起こった出来事を、一つずつ話してくれなくっちゃ~。彼女は話したい気持ちで溢れていて、焦ったように話してくる。なんだか全部飛ばして今の気持ちを言いたいようである。居酒屋で食べたい気持ちと話したい気持ちに挟まれて、どちらを優先しようかと悩むことがしばしば有った。彼女のそんな仕草も可愛かった。「今度は私の家に来てくださいよ~。首を長くして待ってます。」帰りがけにそう言われて、どうやらいつか彼女の家に行くことになりそうである。 私、出不精なんですけど‥(笑)まぁ、彼女の近くに住む友達に、私とは元々名古屋の職場近くで出会った人が居る。その人も私に会いたいと言ってくれている。その人(彼女)が結婚して東京方面に行ったことで、私の東京方面の占いのお客様が一気に増えたという経緯も有る。ある意味私の占い依頼者を増やしてくれた恩人だ。いつか時間を見つけて出掛けていきますか。
2015年12月25日
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今日、東京から可愛いお客様が数年ぶりに来る。いや可愛いといつまでも言っていたら失礼に違いない。相手はりっぱな大人なのだから‥。私が出会った人生の中でも、ずば抜けて性格が素直で人間的に可愛い女性である。この人との出会いのきっかけは、私の占いのお客様だった。遠方のお客様なので、お互い顔も知らない。そんな中、ひと塊の人たちが私に会いにくる。もう300人前後は占ってきたけれど、その中で遠方のお客様は3分の1ほどかなぁ‥。遠方でパソコン(携帯)だけのやり取りで会いに来た人は、東北で2人、東京方面で3人。逆の立場だったら、私は絶対に会いに行かないタイプである。パソコンで済ませられるのに、どうしてわざわざ会いにいくのか?と、疑問に感じる人間である。だから時間とお金を使って会いにくる人たちというのは、私の考えの範疇には絶対にない。なので不思議な人種だと感じている。(笑)でも、とてもとても貴重な存在で、私にとって特別な存在だ。お互いのスケジュールを調整して‥といっても私は普通のOLなので、平日に動くことなど出来ない。それに比べて相手は音楽家なので、コンサートでの演奏や、生徒さんに教える日にち等のスケジュールの調整となる。11月の終わりにお互い何度もメールをやり取りして決めた。その結果22日の夜に我が家へ泊まりにきて、翌祭日を一緒に過ごし、24日の朝、私は会社へ彼女は東京へと帰るスケジュールが、一番長く話しが出来るということになった。なので今日の仕事終わりに名古屋駅で待ち合わせである。美味しい物を食べて飲んで、久しぶりの再会を喜びたいと思う。メッチャ楽しみ~☆素敵な夜になりそうである♪
2015年12月22日
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