全171件 (171件中 1-50件目)
「ビズリーチ」って、コマーシャルでよく聞く名前だよね。この会社が転職サイトだということは知っているが、定年退職している自分には関係が無いからと、スルーしていたCMだ。それを「カンブリア宮殿」で取り上げていた。 私の時代は働きたいとなると、職業安定所か中日新聞の広告欄を見て、会社に連絡を入れていた。昔は新聞に求人広告を掲載していたのだ‥知ってた? 私は学校を出て2年間、小企業の会社でサービス業をして働き、次の2年間は自分の武器として持っていた専門職で、大企業に入り働いた。 結局大企業での仕事は、企業の歯車としてしか働けなかったので、自分を活かしきれないと感じた。と同時に、自分の持っている専門職は衰退すると感じ、2年で辞めた。その後の38年間は、中小企業で普通のOLとして働き、無事定年を迎えた。 なので私の時代は、働きたいと思ったら、自分の行きたい企業に、電話をして個々で面接に行っていたのである。それが普通の転職活動だったのだ。 ビズリーチは、その真逆のシステムと聞いて驚いた。転職したい人が、自分の特技とかをビズリーチのサイト上に載せると、企業側のほうから、コンタクトしてくるというのだ。自分発信で、会社側に提供できるスキルをアピールしていくわけだ。 ここでアピールできるのだ!と、ズーズーしく言っているが、3社の会社と10社以上のアルバイトを熟してきた、今の私だから言えるのであって、20代や30代の私では、とてもそんなことは出来ないだろうと思う。 今の時代でなくて良かったと、ホッとしている自分が居る。私は自分に合った時代に生まれてよかったと、心底感じている。 このビズリーチの転職サイトを作った、南壮一郎社長の経歴は、普通より少し変わっていた。父親の転勤で、6歳~13歳の間、カナダのトロント市で過ごしていた。英語が分からない小学生で、苦労は多かっただろうと思う。 13歳の中学1年生の9月に日本に帰国する。すると、今度は日本語で苦労したのだ。しかも、苦労は言語だけでない‥考え方も価値観も違うのだから大変である。 日本の中学で衝撃を受けたのが、学ランを着るとか丸刈りの頭にするとか、体操着に何年何組であることや名前を書いたりしないといけない。そうだね‥昔の日本はそうだったね‥帰国子女としては大変だったろうね。 最初の数年間は、世界的金融機関の証券会社に入り勤務し、その後楽天イーグルが誕生した時に、創立メンバーとして入社している。当時パリーグ全体が赤字経営だった時代に、彼は初年度から黒字を実現している経歴の持ち主である。 その後、自分で会社を設立、それがビズリーチという転職サイトだ。日本は定年まで雇用を保障する国だけど、アメリカは転職が普通の国だから、転職する側が、自分のスキルを発揮できるシステムを作りたかったんだと思う。 時代は変化している‥乗り遅れないようにしないとねぇ‥。
2023年02月16日
コメント(18)
コロナで打撃を受けた会社は、幾つも有る。色々な業種が打撃を受けたが、その中で飲食業は間違いなく大きな打撃を受けた業種だ。「外食の反転攻撃」として取材をしたのは、「カンブリア宮殿」だった。2020年6月‥まだコロナ真っ只中で、2店舗目を開いたのは、「挽肉と米」というハンバーグ屋さんだった。1店舗目は渋谷、そして2店舗目は吉祥寺に開業したお店である。コロナ真っ只中での開業に、不安はなかったのだろうか!?ここを経営する山本昇平社長(40歳)は、コロナ以前からやりたかったお店なので、不安よりお店を出したいという気持ちが強かったという。このハンバーグに対する篤い想いを持っている会社は、「俺のカンパニー」という会社名で始めた山本社長の会社だ。会社のネーミングからして、やる気満々の社長だと感じる。店名の「挽肉と米」というのも「ハンバーグとご飯」としなかったところが、肉や米に拘りがある証拠に感じる。お店の内装は、中央で店員が挽肉を挽いて、挽いたミンチの形を整え、それを炭火で焼いていくスタイルだ。中央で料理をしている店員の周りを、丸く囲むようにお客様が座る。お客様はハンバーグを作っているお店の人を見ながら、食事を楽しむのである。焼きたてを食べられるのだ。ハンバーグは、90gを3個焼いてくれる。それにご飯とみそ汁が付いてくる。ハンバーグが挽肉から始まるように、ご飯も炊きたてで提供される。しかもご飯はおかわり自由である。そして味噌汁と生卵は、一つずつ付いてくる。これで1,500円というから、意外に安い設定だと思う。ハンバーグをより美味しく食べてもらう為に、お肉の上に乗せるお供として、9種類の付属のモノがテーブルについている。刻みレモンとか、青唐辛子のオイル漬けとか、大根おろし&自家製ポン酢等々。お肉の上に乗せて食べると、ハンバーグの美味しさが倍増するという、お客様を飽きさせない工夫がされていた。ここはスマホで予約が出来ないというお店になっている。今は何処でもスマホで予約が出来るというのに、どうして??社長曰く、スマホは簡単に予約が出来るが、逆にキャンセルも簡単に出来てしまうというデメリットがある。それに簡単に遠くの人でも予約が出来てしまうと、近所の人が予約を取りづらくなることにもなるわけで、それではご近所さんが、何度も来てもらえない。社長は、近所の人たちに繰り返して来てほしいという考えがあり、そんな店づくりをしたいと思っているのである。この「俺カンパニー」という会社は、元々「山本のハンバーグ」という名前の店舗を、都内を中心に15店舗も展開している会社である。この社長は、ハンバーグに対しての情熱が、半端ないということが分かる。コロナによって、外食の仕方が変わった。行ける時が少ないので、本当に行きたい店を選ぶようになったのである。食への拘り‥食に対する味の追求‥一品の大事さ大切さ‥。それらを追求した外食産業が、生き残っていくように思う。
2021年12月18日
コメント(12)
「オカムラ」って言う、オフィス家具の会社を知ってる?私は「カンブリア宮殿」という番組で、初めて知った会社である。オフィス家具業界で、3位を誇っている会社だという。成るほど‥オフィス家具だから、私は知らないわけか‥。でも、この業界の1位はコクヨだ。コクヨなら、多分会社に行ってなくても知っている会社だよね。文房具類って、コクヨが強いもんね。「オフィス家具‥ということは、このコロナの時代、チョッとヤバいかも?」コクヨのようにオフィス家具だけでなく、オフィス以外‥個人対象で、何かを売っていれば大丈夫だと思うけど‥。カンブリア宮殿では、オカムラの社長である中村雅行さん(70歳)をお呼びして、お話しを聞いていった。社長になって9年だというから、オカムラの社長を、61歳から就任していることになる。「オカムラ」の創業者は、吉原謙二郎さん‥。よしわらさん?どうやら岡村さんという人が始めた会社ではないみたいだ。オカムラという会社名は、岡村という地名から取ったみたいである。創業者の吉原さんは、戦時中飛行機のエンジニアだったようだ。戦後はエンジニア仲間と出資して、オカムラという名前で会社を立ち上げた。戦後に、初の国産飛行機を作り、続いて車の製造をしたらしいが、それらは上手くいかなかったらしい。平行して米軍向けの家具を作っていたのだが、それは上手くいったようで、後のオフィス家具のオカムラとなっていったわけだ。改めて社長に、コロナ禍を乗り越えていく秘訣を聞いてみた。「世の中の大きな環境変化があると、必ず新しい需要の芽が裏で出始めていて、それを見つけられるかどうかが、凄く大切である。そして、見つけられたらそれを育てていく‥企業はそうやって伸びていく。」と言われた。コロナ禍で会社の売り上げが伸びているのは、こういった精神を根本に持っているからである。売り上げが伸びている?世の中のオフィスの規模が小さくなっているというのに、伸びているの??それ‥凄いじゃん~、でもどうやって??例えば5フロアの内の1フロアを解約する会社を考えてみる。その会社は、この解約した1フロアに居た人たちを収容できなくなる。それを、どうやって残りの4フロアに割り当てるか‥だ。いままでの概念を全て捨てて考える。単に一人に一つの机と椅子を並べるという考え方では、1フロアを減らせない。ではどうすれば良いか‥。例えば、社員食道を残りのフロアに組み込んでしまうとか‥。部署で区切らない、部署も雑多にして、新しいコミュニケーションの場所にするとか‥と言うふうに考えていく。集中したい時には、一人になれるブースを幾つか作っておいて、誰でもいつでも利用できるようにする。一人が一ヶ所を確保するという考え方は、捨てることだ。無駄を失くして、働き方に合わせたオフィスの機能や空間のサイズを、調整して変更しなおす。オフィス縮小を、オフィス改革という提案力に変えたのである。他にも、机を電動式机(上下昇降テーブル)を作ったり、どんな体格の人が座っても、体にフィットする椅子を作ったりと、コロナ禍で、会社員がどういうモノを求めているかを追求していった。こういった取り組みが、一時期3ヶ月で21億円の利益があったオカムラが、100万円にまで利益が落ちた会社を、持ち直していったのである。100万円の利益は、経費を考えたら490億円の赤字に匹敵する。このままではこの会社には、倒産が待っていることになる。「ピンチはチャンス」社長と従業員が一丸となってアイデアを出し、厄介なコロナをチャンスに変えていった‥それが、オフィス家具オカムラだった。人間はピンチに立たされるとマイナス思考になってしまうものだ。でもそのピンチをチャンスだと捉えて、変化する世の中を乗り切っていく。「オカムラ」のように、ピンチこそチャンスと捉えて、生き残っていく力に変えていきたいものである。
2021年11月28日
コメント(15)
コロナの時代‥採用を取り消しをする会社もあれば、逆に採用する必要が出てくる会社もある。コロナは私たちの生活に、大きな変化をもたらしたのである。コロナが良くも悪くも関係しない会社は、多分無いだろう。必ず変化をもたらしている。それは私のように会社を定年退職した人間も一緒である。生活が全く変化しない人というと、社会から遠ざかって生きている人だろうから、極一部の人間だろうと思う。コロナに関係無い時から、人集めに苦労する会社は有る。たとえ雇用側の会社に有利な時代であっても、その職種に敬遠されて、募集しても人が集まらない会社もある。私の若い頃も、3Kという言葉が流行った、きつい、きたない、危険の、頭文字のKが3つで始まる会社である。誰もやりたくない仕事なのだ。「所さん!大変ですよ」の番組で扱った会社に、電気工事の会社が有った。送電線のメンテナンスを行う会社である。そこでは仕事の受注が沢山有るにもかかわらず、それを熟すだけの技術者が居ないのである。電気は私たちの生活に、必要不可欠なものであある。電気を必要とする家や会社は、増える一方である。昔と違って各家族なものだから、電気は家族の数だけ必要となる。しかも高度成長期に鉄塔が多く建てられたのだが、それらが老朽化するわけで、それをメンテナンスしなければならない。高さ100メートル以上の鉄塔に、重さ10キロの装備をつけて登っていき、メンテナンスをするのだ。高い所に登っても大丈夫な人であり、重い装備を持てる筋力が必要。しかも風が吹いても対処できる体幹も、必要になってくる。富山県の南砺市にある電気工事のこの会社は、慢性的に人手不足だった。この会社はそれを打破するために、1億円を投資して「壁」を作ったのである。壁?‥壁ってどういうこと??会社の一部を囲うように、高くデカい壁を作ったのである。それは、スポーツクライミング用の壁だった。まず高さが克服出来る人であることが条件になるこの会社は、クライミングが趣味である人(クライマー)を採用したのである。この目を惹く宣伝効果は抜群で、普通に募集をかけても来なかったのがウソのように、人が集まってきた。1億円を回収するのは大変だろうが、今後人集めは楽になるだろう。趣味がそのまま仕事になるというわけだから、クライミングが趣味の人にとっては、悪くない職場になるだろう。専門家は、この不思議な求人を出さなければならない要因に、企業の知名度の差を挙げている。特に地方や企業間取引の会社は、いくら事業が好調でも、世の中の目に触れる機会がないので、社員募集には苦戦してしまう。自社独自のユニークな採用を行なうことで、世間の注目を集め、知名度を高めて人員を確保する‥という流れが必要なのである。趣味が実益になるなんて、とても楽しい人生が送れると思う。その反面、趣味を仕事にしてしまうと、趣味である楽しさが、無くなってしまうと感じる人も居るだろうと思う。でも、自分を生かす仕事には違いない。そういう自分を生かす仕事が、この世の何処かに存在しているが、それを探しきれていないのかもしれない。少し視野を広げて、世間を見つめ直すのも、良い方法だと思う。
2021年02月27日
コメント(12)
コロナの影響は、計り知れないんだなぁ‥。これは勿論一部なのだが、閉店した店舗数を聞くと改めて思うのだった。聞いた数字は全国ではなく、「カンブリア宮殿」という番組の中での、本当に一部の話しである。それでも「ワタミグループが65店舗、いきなり!ステーキが114店舗、吉野家が150店舗」も閉店したのである。しかも、こういう閉店する厨房機器を、引き取ってもらうある業者の話しによると、閉店相談は月に千件‥これはいつもの倍の数になるということだった。中にはオープンすら出来ずに、そのまま閉店になってしまったお店も有ったというから悲しい。利益を得ることなく、お店の運転資金プラス経費倒れという結果。なんの頑張りも発揮出来ないまま、負債を負って廃業になる。やるせないなぁ‥、時代の流れという言葉で終わるには、あまりにもせつな過ぎる話しである。そんな中でカンブリア宮殿に来られたゲストは、讃岐釜揚げうどんの丸亀製麺の社長、粟田貴也さん58歳だった。若っ!滅茶苦茶若い社長である。この若さで年商1,500億円で、コロナ中においても閉店ゼロというから、素晴らしいお店の管理をしている。店舗数は、国内だけでも850店舗で、一店舗も閉店していないという。これは、過去の失敗から学んだ結果のようだった。7年前にも一度カンブリア宮殿に出演していて、その時は絶好調だった。そこで社長は、成功の秘訣は売り上げよりも客数だと話していた。ところがそれから暫くたって、その大事にしていたはずの客数が減っていったのである。それは客数をあげようとするあまり、メニュー開発に力を入れ過ぎてしまった結果だったのである。メニュー数を増やしていくと、現場はそのメニューの数だけ忙しくなる。同じ人員で膨大なメニュー数を熟して行こうとすると、どうしたって他の部分にしわ寄せがいってしまう。うどん屋だから、そのうどん自体に問題が発生していったのだった。長年、丸亀製麺に通っているお客さまによると、うどんにコシが無くなったという意見が圧倒的だった。それは、うどん担当だった人も、新メニューのオーダーが入ると、そちらに駆り出されてしまい、自分の本来の持ち場であるうどん自体がおろそかになってしまったからである。その時の失敗で学んだのが、お客様に指示されるうどんを作ろうという、原点回帰だった。このコロナの影響で、4月は55%の売り上げだったのだが、8月には売り上げの90%まで回復できたという。一つには夜の街のお店でなく、お昼に強みを持つお店だという事も有るだろう。だが、だからといって企業努力をしていなかったわけではない。一度遠のいてしまったお客様が、戻ってくるという保証は無いからである。他の飲食店同様に、テイクアウト商品を開発した。その商品というのが「氷うどん」だった。映像で見ても美味しそうで、食べたいという気持ちにさせる商品である。ポイントは、凍らせた出汁だった。持ち帰るまでに、良い感じに溶けて冷たくて美味しそうだったのである。それだけでなく、この自粛期間を使って、自分のお店の弱い部分である夜のメニューを開発していった。それは神戸牛を使った、すきやきだった。うどんは胃に軽いので、夜のメニューになりにくいという盲点を、しっかりカバーしたメニューだったのである。こういう努力で、コロナの危機を脱却したのである。1985年に23歳でやきとり店を開業して、2000年に丸亀製麺を始め、いまや11の国へ進出している。私は丸亀製麺の最初がやきとり店だったことに、びっくりした。23のブランドを立ち上げて、今や1700店舗。「コナズ珈琲」という名前で、喫茶業界にも進出している。6年前に起ち上げた喫茶店で、こちらは現在全国38店舗にもなるという。コンセプトはハワイ‥リゾート気分が満喫できる喫茶店である。今の何処にも行けないコロナ時代には、追い風になるお店だ。失敗から学びながら、常に向上する気持ちを忘れていない丸亀製粉。どんな状況下でも、そこで腐ってしまわないで、打開策を考えながら、前進していこうと思うのだった。
2020年09月25日
コメント(12)
「どんなノリで名前を付けているの?」私は笑ってしまった。店にかかっていた暖簾の名前が「酒処 おでん気家」だったのである。千葉県松戸市の夜の街に、その暖簾のお店はひときわ明るかった。「酒処で暖簾が出ていたら、居酒屋だろうね。お店は明るいし‥。おでん気家って、おでんを出しているのかな?」「おでん」という言葉に続く「気屋」が気になるのだが‥。そのお店には、暖簾以外にお店の高いところに看板があった。その看板には「サクライでんき」となっていた。電器屋さん!?もしかしたら、電器店と居酒屋を兼ねているのかなぁ?お店に入ってみると、完全に居酒屋だった。家電なんて、一つも置いてなかったから、やっぱり居酒屋だ‥。となると、もう一つの「サクライでんき」の看板は何?間違いなの??お店におでんはチャンと有ったしね。(笑)さて、途中店主がお店の奥から登場!店主は常連客の横に座り、おもむろに或るチラシを取り出したのである。そのチラシは‥なんと!ヤマダ電機のチラシだったのである。‥どういう事?店主はチラシを見て、当たり前のように家電の商談を始めた。あれっ?やっぱり電器屋さん??‥居酒屋兼電器屋かぁ~。にしても、なんでライバルの家電量販店のチラシを売り込むの?さっぱり分からないんだけど‥。その場所で一つの商談が成立した。すると次の日店主が車を飛ばして行った先というのが、あのチラシに載っていたヤマダ電機だったのである。すたすたと、全く問題無いかのように店内を歩き、お目当ての家電をカートに乗せる。そしてそのままレジのほうへ、向かったのである。えっ?あれは商談だったよね?なのになんで普通に家電を買うの??一般消費者と一緒じゃん。普通にカードを出して支払いをする。ただそのレジで出た金額というのが‥店頭に出ていた売値と違ったのである。売値の約2割安の数字が、そのレジには出ていた。なに、そのカード!?カードには「コスモスベリーズ」と書いてあった。どうやらこのカードを使うと、ヤマダ電機の仕入れ値とあまり変わらない価格で商品を購入できるらしい。そんなことがあっていいの?どういう仕組みなんだろうか!?この謎は、カードに関係する会社に行けば、そのカラクリが分かるだろう。この「コスモスベリーズ」は、売上高が179億円で従業員数は68人。名古屋に本社が有り、その創業者は三浦一光さんで83歳だった。そして「カンブリア宮殿」のゲストだった。創業者の三浦さんが作ったのは、ボランテリーチェーンというもので、加盟店が独立して経営する組織のこと‥フランチャイズとは違うようだ。三浦さんがヤマダ電機とかけ合って、加盟店が特別な価格で仕入れられるように提携。そしてこの仕組みは、ヤマダ電機さんと共同で作ったというのである。でも‥この仕組みは、加盟店には沢山のメリットがあるが、ヤマダ電機側には、全く無いと思うのだが‥。だって、加盟店は店舗を持たずに同じ価格で仕入れられる。それに対してヤマダ電機は、ライバルのお店に、どうして同じ位の仕入れ値で商品を渡さなければならないの?業務提携の裏には、知られざる因縁があった。二人の社長の間には、不思議な関係があったのである。番組でもみんな目を見開いたご縁だったが、それはごめんなさい!チョッと書くのが難しくて‥割愛させてもらいます。ヤマダ電機の山田昇会長(当時は社長)の言葉は、素晴らしいものだった。「地域にとって町の電器店は必要な存在。無くなると困る人のために、三浦さん、一緒にやりましょう。」1985年には7万1283店の電器屋が有ったのだが、現在は1万7千店を切り、ピーク時の4分の1以下になってしまっている町の電器屋。ヤマダ電機の山田さんは、自分の始まりも1店舗の電器屋だったことを思い出しつつ提携したようだ。2005年9月にヤマダ電機と業務提携して、コスモスベリーズ(旧社名ホーエー家電)と名称を変更して子会社となる。加盟店は、121店舗‥現在も増えている。現在は他業種‥例えば引越し屋さんやプロパン屋さんといった、小さな個人の会社が加盟している。加盟料を10万払って月々1万払うというが、それはコスモスベリーズに払うわけで、ヤマダ電機さんのメリットが、いまいち分からないのだが‥。子会社にしたからそれでいいのか?でも、子会社でも親会社の利益を取ってしまっているのでは??やっぱりヤマダ電機としてのメリットは無いと感じてしまう。町の電器屋さんを保護しているとしか、凡人の私には理解できない。町の電器屋さんは、このシステムのお蔭で生き残れていると感謝している。同時に、私のような電化製品音痴の人間にとって、なんでも相談できる町の電器屋さんの存在は、非常に大きい。もし弟と同居していなかったとしたら、家電商品を使いこなせない私は、町の電器屋さんの存在が欠かせないだろう。ヤマダ電機さんには、頭が下がる思いである。
2020年08月31日
コメント(14)
借金というと、家のローンしか考えられないなぁ‥私は。流石に家を買うのにキャッシュというわけにはいかないので、ローンを組むことになる。車は免許自体を持っていないから、買うことにはならない。なので、他にはローンを組むような買い物をすることが無いわけだ。借金は嫌い(好きな人は居ないか‥笑)大きな買い物は家以外はしていない。事業を展開するのに、借金をする人たちは当然居るだろうが、私には到底出来ない芸当だ。どう考えても、借金は大きなストレスである。お金の心配をしなくてもよいサラリーマンは、私の性格に合っていた。「逆転人生」という番組では、「40億の借金を16年で返済、ある居酒屋の挑戦」と題して放送していた。1999年当時36歳でサラリーマンだった青年が、亡くなった実業家である父親の、負債を返していく話しだった。父親の葬式の日に取引銀行の人が来て、「貴方が社長になるのですか?それともお母様が社長に?」「まさか63歳の専業主婦のお母様が社長になって、借金を返される?」なんて、言われた。息子はワンマンな父親と合わなかったから家を出ていて、会社の実情を知らなかった。大手ビール会社のサラリーマンになった息子は、父親の葬式の日に、多額の借金の存在を知ることになったのである。その額‥40億。(@_@。もう金額が大きすぎて、何を言っているのか分からない。彼は36歳で40億の借金を背負うことになったのである。あれっ?相続放棄すればいいのでは??彼が相続放棄して、連帯保証人のお母さんも自己破産すれば、恐ろしい数字の借金を背負わなくてもすむことになる。でも、彼は考えた。負債だらけの会社を放り出すと、従業員と仕入れ先の連鎖倒産を招くことになる。しかもこの処理の矢面に、母親をたたせることになってしまう。結局それを避ける為に、彼は40億の借金を背負う道を選んだのである。最初に彼は、頑張る期限を5年と決めた。この5年の間に状況が変わらなければ、会社を清算すると決意する。人間は、途方もない長い道のりを行かなければならない時、途中燃料が切れてしまって、心が折れてしまう。それを回避するために、短期間の目標を持って頑張るという方法を取る。それが目標を達成するために、とても良い方法なのである。彼もその方法で、少しずつだが借金を返済していったのである。ところが彼は途中、早く借金を返して楽になりたいと思ってしまった。そのために、コストダウンに走ってしまったのだ。人件費を削減することに、執着してしまったのである。その結果がもたらしたものというのが‥。お店で食中毒を出してしまい、その数か月後に別の店舗で火災を起こしてしまったのである。彼は猛烈に反省して、人件費をコストと考える事を止め、人を増やして、働きやすい店を作っていった。今まで通り、少しずつ借金を返済していけばいいと、考えを改めたのだった。すると、働く人たちにも余裕が生まれ、そこから色々なアイデアが出て、お店は繁盛店になっていったのだ。目の前のコストダウンではなく、長い目で見て考えるべきだと知る。彼は今では人件費はコストではなく、資産だと言っている。40億という、とてつもない借金返済は、5年前に終わった。その時は社員の皆さんとバーベキューをして、共に喜び合った。彼は、今年コロナの為にまた借金をすることになった。でも‥「一番大事なのは人。人の力で結束を固めて乗り越えていく。コロナを心配してもどうしようもない。コントロールできないことは受け入れて、自分の出来ることをしよう。」40億の借金を、普通80年かかる返済だというのに、たった16年で返済した経験値は、彼にとって大きな自信だと感じる。そしてこうも言っていた。「全てのことはいつか過ぎ去っていく。苦境の真っ只中にいるときは、それがずーっと続くと思ってしまう。でも、必ず過ぎ去っていくし、いつか笑って話せる日が来ることを信じて、今は目の前のことに集中してやっていくことが大事である。」結局、どんなどん底の状況に立たされたとしても、目の前にある自分の出来ることを、淡々と行なっていくことが重要。そうすれば、必ず道が開かれるだろうと、彼を通じて痛感したのだった。
2020年08月15日
コメント(14)
「しくじり先生」って番組が有るんだけど、知ってる?普通は真夜中にやっている番組なんだけど、先日21時から2時間の特番でやっていた。人生で失敗した色々なジャンルの人たちが、先生として来る。失敗をした人たちが先生としてこの教壇に立ち、自分の失敗談を話す。自分のしくじりから生徒さんたちに学んでもらい、しくじらない良い人生を歩んでもらいたいと願う‥という内容である。そこで今回のゴールデンに出たのが、広瀬香美さん。私は音楽番組を見ないからよく知らないのだけど、冬の楽曲が多いので、冬の女王というニックネームを持っているらしい。でも、歌を聞けば「あぁ‥この歌ね」って分かる。私も知ってる有名な曲の題名は「ロマンスの神様」だ。1993年に大ブレークした曲である。声が大きくてしっかりとした話し方で、一度見ると忘れられない。音域が広くてボリュームのある声量‥羨ましい。特に高い領域の声が、音量を減らさずに声が通るから凄い!びっくりしたのだが、彼女‥5オクターブ出るらしい。もうこれは神業?としか言いようがないよ~。でも、練習の賜物のようで、頑張れば声の領域を広げることができるわけだ。毎年冬を舞台にした楽曲が大ヒット!カラオケの定番曲になっているという。なのに‥彼女曰く、ヒットした曲を歌っている自分に対して、「歌手になる気持ちゼロなのに、何で私は歌っているんだろう!?」という気持ちで歌っていたというから、人の心って分からないものだ。それじゃぁ、彼女は歌手になりたいわけじゃないのに、歌手としてデビューしたということ!?デビューした時は、心の葛藤をかかえて歌っていたということになる。歌手になりたくなかった証拠に、デビューしてから10年もの間、ライブを拒否していたというのである。結局彼女のしくじり先生としての授業というのは、「変なこだわりのせいで、神様がくれた才能を潰さないための授業」だった。こだわることは悪いわけではないが、執着してしまうことが悪い。彼女は何にこだわって(執着して)いたというのだろうか?彼女の学生時代の夢は、クラシック音楽の作曲家になることだった。作曲は得意だったようで、色々な曲が頭に浮かんでくるというから、本当に音楽の申し子だったんだろうねぇ。高校を卒業して入った大学が、国立音楽大学の作曲学科へ入学。でもそこには才能を持った沢山の同級生たちがいて、己の才能の無さに心が折れそうになる毎日だったという。受けた挫折感が、増々作曲家への道に執着していくことになる。そしてもう一つの変化が、マイケル・ジャクソンの曲を聞いたことにあった。ここで目標がクラシックからポップスに変わっていくことになる。なんと!マイケルの歌を聞いて、彼に楽曲を提供したいと思ってしまった。彼女は20歳の時、そんな無謀な夢が出来たのである。そこで彼女が考えたことというのが、マイケルに少しでも近づきたい。そのためには?‥彼女は一生懸命考えた。マイケルのボイストレーナーの生徒になって、彼に近づこう!「歌手になる気はないけれど、マイケルに近づきたいから生徒になろう」ということで、マイケルのボイストレーナーの生徒になることにしたのだ。ところが、ボイストレーニング代が高い‥どう稼ぐ?彼女のお金の稼ぎ方が普通ではなかった。まぁ、音楽でしか生きられないと思っていたからの結果だとは思うのだが‥。日本の歌手に曲を提供してお金を稼ごう!‥なんと!バイト感覚で曲を作ったというのである。しかし現実はそんなに甘くなかった。デモテープをレコード会社に送るものの、全く採用されなかったのである。それを3年間続けていった。その結果、お金は稼げないが声のトレーニングは受けていたので、皮肉にも歌だけはどんどん上手くなる。(^_^;)結局全くお金にならず、諦めかけていた時に、ある会社から「声がいいからあなたが歌ってデビューしてみたら?」というお誘いを受けたというのである。でも‥でも‥彼女の夢は裏方であるソングライター。歌手になるなって、これっぽっちも考えていなかったから、断わるつもりだったのだけど‥そこでお金になるという甘い誘いを受ける。ボイストレーニング代でお金を使い果たし、貧乏生活に陥っていたので、その誘いに乗ってアルバムを出すことになる。そして‥あのヒットソングが生まれた。だけどマイケルに楽曲を提供するための一歩を踏み出しただけ‥というのが、彼女の気持ち‥決して歌手になるつもりは無い。ロマンスの神様の曲を思いついたのも、中学生の頃だというから凄い!どうやら大学時代には、自分の思いついた曲が何千曲もあったらしい。でも‥心は葛藤‥歌手でなく作曲家になりたいんだけど‥。褒められるのは歌詞、褒められるのは歌唱力‥だぁれも曲を褒めてくれない。広瀬香美さんは、ヒットソングで有名になる中で、自分の夢と違う方向へ人生が動いていっていることに悩んでいたのである。でも、心の葛藤の中で気付いたことがあるという。「音楽は、作る人、奏でる人、聴く人がいて成り立つもの‥。自分の想いばかりでなく、聴く人の思いも考えないと‥。」彼女の気持ちは、変っていったのである。自分を歌手だと納得するまでに、10年以上の月日が経っている。彼女の学んだこととは‥。「やりたいこととできることは違う。人の評価や意見を素直に聞いて、自分の才能を好きになる努力をしよう!」誰でも好きな仕事に巡り合えるわけではない。そんな中、自分を必要としてくれる仕事に巡り合えたとしたら、好きな仕事に執着しないで、自分の才能を活かせる仕事に目を向けよう。自分のためだけでなく、誰かのために生きるのも、悪くないかもしれない。
2020年08月02日
コメント(14)
5月末までの自粛も、中旬の14日に一度見直しされるという。ということは、少しは自粛が緩和されて、経済が動きだすのかなぁ‥。感染者減少か経済活動か‥両方取りたいのだが、そうはいかない。上手くいかないから、もどかしい。どちらにしても、コロナウイルス次第なわけで、コロナの増減がどちらに転がるかは、誰も分からないのである。世界では、色々な国が早くも終息宣言を出し始めている。日本よりも感染者が多い上に、死者の数も半端なく多いというのに‥だ。それでも自粛を緩めているようだが、それって大丈夫?と言いたくなる。でも確かに、経済が大事なことも考えなければならないわけで、国の財源に限りがあることも、念頭に入れていかなければならない。世界各国では、コロナ終息の線引きを、少しずつ始めているのだが、その判断基準は、国によって様々である。昨日、久しぶりに外に出た。私としては前々日から家を出たかったのだが、単に雨が降っているだけでなく、雷が凄まじかった。なにもそんな酷い日にわざわざ出かけることもないのだから、天気もよく温度も下がって風のさわやかな昨日、チョッとお出かけした。お出かけといっても散歩程度で、遠出は一切していない。家に居ることが大好きで、家にずーっと居ても気にならない私だが、流石にスーパー以外全く家から出ない日が続くと、家から出たいという衝動が湧いてくる。‥面白い。(笑)5月の私主催の行事は、少数制で行なうことにした。私を含めて3人で、換気をよくして進めていこうと思う。上手くいけば来月、後プラス3人位に声掛けできるだろう。次の月にまたプラス3人‥と、少しずつ声掛けをして開催していこうと思う。人と人との距離を2メーター離すということを考えると、中々全員揃えることが出来ない。全員揃う時は、コロナが終息した時になるだろうと思う。コロナの終息に、結構な時間がかかるようなら、午前と午後に分けて進めていくことも、考えなけれならないと思う。折角楽しく大勢で、和気藹々とやっていたのに‥。それも、時代の流れということになっていくのだろうか?人数が多いほうが検証できることを学んでいるので、出来れば今いる仲間全員と、一緒に進めていきたいものなのだが、それも気まぐれなコロナさん次第なので、難しいなぁ~と思う。セミナーのほうは、多分来月にも開催できると思う。私の生徒さんは、国とか県をまたいでいる人が多いので、最低でも、県の行き来が出来るようにならないと開催出来ない。でもこの調子なら、車で来てもらうことを条件に、来月にでも開催できるだろうと思っている。というか、なんとか開催したいものである。飲食店経営者へのインタビューで、皆さんが口々に言っていたのが、「営業するのも地獄、営業しないのも地獄」どちらにしても苦渋の決断で、どちらをとっても大変な道のりになる。昔、会社でバブル期を過ぎた頃の経済が冷え込んだ時期に、私たちサラリーマンはよく言っていた言葉なのだが‥、「会社を辞めるのも地獄、しかし残るのも地獄」だとね。人が居なくなれば、そのしわ寄せが会社に残った者にかかってくるわけで、辞めて職を探すほうだけが、大変だという‥そんな単純なことではない。そんなことを思い出した。しかし‥この状況を、3ヶ月前に、誰が予想できただろうか?なんでもない普通の日常が、こんなに愛おしいものだと、こうなる前に、何人の人が感じていただろうか‥と思う。現在の日本にいると、普通であることの幸せを、溢れる愛おしさで胸を一杯にすることなど、出来なかったと思う。平和ボケと言われても仕方がないよねぇ~。色々な価値観を見直すことになったきっかけを作ったのは、悔しいけどコロナウイルスである。いかに今まで感謝の気持ちを持たずして、毎日を過ごしていたことか‥。実は毎朝、目をあけたその時点で感謝すべきことだと、心に刻む。この感覚を、忘れてはいけない。この想いを忘れずに、今日も一日過ごしたい。
2020年05月08日
コメント(14)
新型コロナウイルスのことがあって、考え方が変わった人は、結構多いのではないだろうか?私も大きく変わったわけではないが、多少考え方が方向転換した一人である。今まで疑問にも思わなかった事柄が、改めて浮上してきたのである。そして疑問に感じたことで自分に問いかける事が、いくつか出てきたのである。「明石家さんまの転職DE天職」という番組があるのだが、今回これが初めてではなく、どうやらもう第9弾のようだ。私は通常では、見ない番組である。何故見た?‥コロナのことで家にいて、暇だからである。(笑)番組の出だしが面白かった。さんまさんの天職が、なんと!画商だというのである。画家とコレクター、売り手と買い手を繋ぐ人ということである。ん?芸人でなくて画商??それというのも、番組の企画で脳ドックを受けた結果から出た答えである。脳のスペシャリストが、さんまさんの脳を見て、芸人より向いている仕事として、画商を推薦したのである。どうやら視覚が優れているみたいで、目利きだというのだ。それとコミュニケーション能力が優れているので、売買に長けていることかな?私はどちらかというと聴覚タイプなので、視覚はダメだなぁ‥。しかも商売も下手だから、全く不向きな職業ということになる。実は若い頃、ホンの短い期間だったが、訪問販売をしたことがあるのだが、その時自分の商才の無さを、身に染みて感じた。お客様を待っていて、来てくださるお客様を相手にお話しすることは出来るのだが、自分から訪問して、商品を売るのは苦手である。だからバイトは飲食業が殆どで、来て頂いたお客様を相手にするホールスタッフが、自分には合っていた。占いやレイキの講師も、口コミやホームページから来て頂いている。時々電話やメールで「お客様を増やしませんか?」とセールスで言ってくるが、私を見つけ出して頂いた人だけで良いからと、お断りしている。私は自分から行動して商売を広げるのが苦手で、来て頂いた人を受け入れることしか、出来ない人間なのである。まぁ‥全て「縁」なので‥それでいいかなぁ‥。この番組で、元Jリーガーの選手の転職を扱っていたのだが、サッカーを止めてファッションデザイナーに転職し、次に妻と子供を連れてスペインへ行き、うどん屋を経営‥。なんと!3回も転職している人だった。スペインといえば今やコロナ騒ぎで、日本より数十倍大変な国である。街がロックダウンされてしまっているので、お店を経営している人たちは、収入が1ヶ月以上全く無い状態だと言っている。「この先どれぐらい続くか分かりませんが、もっと続くなら、店を閉めることも覚悟してます」と、元Jリーガーの彼が言う。閉店して転職すれば4回目の転職となる。「あしたでもなんでも(仕事を)変えても大丈夫ですよ」と言った彼の言葉は、掛け値なしで、凄い!と思った。全く違う職種に躊躇なく飛び込んでいける人は、尊敬に値する。彼は結局辞めてしまったが、サッカーが一番大好きなようで、もしも過去に戻って昔の自分にアドバイスが出来るようならば、サッカーを辞めないように言いたいようだ。若かったから、色々挑戦したかったのかもしれない。昔はどうやら尖っていたようで、それが災いしてサッカー業界から転職したとも言える。彼のように40歳半ばで、まだまだ挑戦し続けることが素晴らしい。家族を養いつつだから、本当にスゴイと思う。しかも、そんな大変なことをサラッと言えるんだよねぇ‥彼は。私も3回職を変わっているが、色々なことに挑戦したかったから‥だった。職種は、レジスター、英文タイピスト、事務員の順の転職だった。結構私も色々な分野に挑戦したが、60歳半ばになると難しくなっていく。気楽な独身ということを考えると、もっと挑戦すべきだとは思うのだが‥。「六十の手習い」ということわざがある。年をとってから学問や習い事を始めることを言う‥と辞書には載っていた。そしてその辞書には、もう一言書いてあったのだが、それが‥。「八十の手習い」とも言う‥であった。挑戦することに年齢は関係ない。幾つになっても、何時からでも、飽くなき探求が大事である。
2020年04月30日
コメント(12)
携帯に電話がかかるが、登録の無いところからの電話だったので、何処からかしら?と思って電話に出たら、明日家に来る業者からだった。実は洗濯機が壊れてしまったので買ったのだが、私が選んだ機種は、部品が入ってこないために、すぐに納品できないものだった。前にテレビを見ていた時、家が売れないと嘆いていたセールスマンが居た。その人によると、売る家の中でトイレ部分が完成されていなかったり、1ヶ所ドアが無いといった、部品が抜けている売り家だったのだ。家の一部が、中国で作られているものだったので、新型コロナウイルスの為に、完成できない家となってしまったのである。それと同じことのようで、その洗濯機は、部品が抜けているので、すぐにはお届け出来ない機種だった。部品が届いて完成できるのが、4月15日以降になるという商品だった。なので「15日に届けてください」とお願いしたのである。確か‥買いに行ったのは、4月に入ってすぐだったと思う。思いの外安かったのだが、多分お客様を逃がしたくなかったからだろう。安くして、その時まで待てるお客様をゲットしたかったんだろうと思う。今のご時世、洗濯をする場所は何処にでもあるから、少しぐらいなら待って、安さを取ることにしたのである。それで、昨日次の日の午前中の納品だったのだが、前日に電話が有った。「今のご時世ですので、お伺いして良いかどうかの確認の電話です」と電話の向こうで言われた。成るほど‥不特定多数の人が家にきて接触するわけだから、それでも良いのかと、念を押したわけだ。私も他に業者に頼みたいことが、二つほどあるが、それこそ今のご時世なので、新型コロナウイルスが終息してからだと決めているモノがある。電気関係と水道関係なのだが、1~2ヶ月遅くしても、問題無いので先送りしている。でも、洗濯機は先送りできない。だから「明日の配達でお待ちしています」と電話で言ってお願いした。買い物とか、最低限出かけなければならないところがある。スーパーには結構大勢の人が居て、人との接触が避けられない状態である。だから、全く人との接触が無いわけでない。最低限出会わなければならない人‥ということで、この配達は、仕方が無いと思っている。なにもこんな時に壊れなくてもいいのに‥。と思いつつも、数ヶ月前から洗濯機の音が変だったので、壊れるのは、もしかして時間の問題?と、予感はしていた。その予感が当たってしまったのだが、それにしてはチョッと、壊れるのが早いんだよなぁ‥。前回日本のメーカーのモノを買わなかったのが、やっぱりそれが良くなかったんだと思う。いや、元々は日本のメーカーだったのだが、合併してねぇ‥。前の技術が有るから大丈夫だと思ったのだが、そこに外国の資本が入ると問題が発生するのだと、今回身に染みて分かった。(これは個人の解釈です)今日の納品が楽しみである。久々に家で洗濯機を回せるのは、やっぱり嬉しい。金曜日から雨なので、晴れの日に納品されるのはとても有難い。今日の最高温度が22度で明日は23度と、高い温度になってきた。洗濯機を動かす頻度が、確実に増えていくことになる温度である。だから納品可能な15日の今日の配達してもらい、良かったと思う。新型コロナウイルスのために、業者としては、入れなくても良い電話を1本入れなくてはならないわけで、色々と仕事をしていく上で、厄介な状態なのだと思った。新型コロナが、暖かくなって終息するウイルスであって欲しいと思う。でも、そうだとしてもまだまだ居座りそうな感じだなぁ‥。いや私たち人類は、今までも色々な局面を打開してきているではないか。人間の底力で一致団結して、ウイルスも吹き飛ばしていこうじゃないか!
2020年04月15日
コメント(10)
愛知県として独自の緊急事態宣言を、大村知事が発表した。やっぱり県知事として、急増する感染者数は不安になって当たり前である。しかも、東京と大阪に挟まれている県なので、尚更である。感染経路不明者も増えている。感染者数も減るどころか増える一方であることは、不安材料以外の何物でもない。隣接する岐阜県や三重県の人たちが、愛知県に行くのを怖がっている。‥無理もないと思うなぁ、感染者数が多いもんね。愛知県独自の緊急事態宣言は、国が指定した7都道府県に出した緊急事態宣言と、なんら変わるものでない‥と強調している。経済が停滞することの不安も有るが、やはり感染者数が増えることの不安のほうが大きいことになる。今の時点で、もう5月一杯も難しいと考えている、一部の経営者も居る。どちらにせよ、5月の連休までで終息するか或いはもっと広がるかが、大きな岐路になるだろうと思う。金曜日の新聞に、新型コロナウイルスの相談窓口の電話番号が書いてあった。名古屋市内は、保険センターの電話番号で、市外については、県内保健所の電話番号だった。この部分の新聞は、一応取っておかなくては‥。時間がたっぷり有るので、玄関や庭の外回りや部屋の片付けは、いままでに無いほど片付いている。(笑)まぁ、気持ちがいいものだ。「臨時休校のお知らせ」‥文化センターからハガキが届く。公民館で行なっているヨガの先生の連絡網からは、電話でお休みのお知らせが入る。今の私に何ができるだろう。時間がたっぷり有るのだから、やれるものが多いはずなのだが、なかなか腰が重くて、次に進まない。運動関係は特に停滞している。朝のテレビでやっているラジオ体操以外には、何もしないでいる。やっぱり個人的に続けることが出来ない、意志の弱い人間だ。なので、運動不足が問題になる。不要な外出は控えなくてはいけないのだが、出ていきたくはなる。まだ私の家は、アパートでなく持家なので、1階と2階を行き来すれば、それなりに運動にはなるのだが‥。やっぱり圧倒的に体を動かしていないのが現状だ。勉強は出来る環境を整えているので、こちらはさほど問題無い。本当は図書館に行きたいのだが、今の時期だから、家で出来るなら家で勉強したほうが良い。ただ、比較対象するものが無いので、随分と進みが遅い。誰かと一緒にするだけで、進み方が全然違うと感じる。やっぱり人間はコミュニケーションが必要である。分かっちゃいたけど‥。こういう事態になってはっきり自分の弱さを感じる。動物は群れで生きるモノと、固体で生活するモノがいるが、人間は、やっぱり群れるほうが多いだろうと思う。こういう体験は、いままでに無いし今後も体験したいとは思わない。でも‥貴重な体験には違いない。今日の新聞の一面に「通勤者7割減」となっていた。7割も減になったことに、驚いている。政府は最低7割増やしたいと言っていたが、最低ラインは到達したわけだ。今後は8割減を目指すことになるだろう。今後の働き方も、随分と変わってくることだろう。在宅勤務が増えることを思うと、通信が手放せなくなる。そこにしかコミュニケーションツールが無いからだ。私たちの生活の仕方が、どう変化していくのだろうか?それに対応できる人間にならないといけない。
2020年04月12日
コメント(12)
なんですか?10月で30度を超すって事態は‥。しかも9月30日は、最終的に34度だったって言うし‥。ここまで来ると、9月は夏の領域ですよね?朝晩が多少涼しいだけで、昼間は下手をすると真夏になりそうな気温。いつまでも上昇温度で、涼を求めてうろうろすることになる。夏が長い‥。(@_@。とブーブー言うのはこの辺にして‥。あの行きつけのメガネ屋さんには、店長よりも年齢が上の人が居るんだけど、その人の話しである。ここ数年、見かけるようになった人だが、私はいつも店長とやり取りをするので、あまり話したことがない。ところが先日その人と、しっかり話しをすることになった。というのも、店長は親子で来店している人の応対をしていたからである。その男性は見るからに優しそうな人で、私より年上。こういう歳のとりかたをしたいものだと思う、お手本のような雰囲気の人だった。まばらな白髪の店長と違って、真っ白な髪でメガネも妙に似合っている。私はその彼に、変な競争心を感じ(なんで競争心を?笑)、「私は小学低学年からメガネをかけていた」と何故か威張ってみた。(笑)するとその人も「私も小学校3年生からかけていました。」と、言うではないか?おやおゃ~、どうやら同じ頃にメガネをかけた仲間じゃないかぃ!私の時代は小学生でメガネをかけている人は、ほぼほぼ居なかった。なので、超~レアな存在だったのである。その男性は、当時メガネをかけている子供は自分一人だったので、すごく恥ずかしかったと言う。そうそぅ‥本当にそうだった。今でこそ小学生がメガネをかけていたところで、何の違和感もないが、当時は目立つ存在だった。メガネ自体も、今のように安い物ではない時代。私が社会人になって自分の稼いだお金で初めてメガネを買った時、そのことが身に染みた。正社員であっても、1ヶ月分の給料の大半が、メガネを手に入れるために飛んでいった。だから親はよく買ってくれたと思っている。しかも子供だから、度数の進みが早い‥すぐに買い替えになってしまう。でも目が悪い者にとって、メガネは目同様に必要な物だから必需品である。恥ずかしくても付けないわけにはいかない。当時は恥ずかしかったよね~という言葉に、二人で大いに盛り上がった。盛り上がりついでに、メガネでヒドい目にあった話しを彼にした。若い頃、大手メーカーでメガネを作ったのだが、それがヒドかった。それは私でなくても、全ての人間の目に合わないだろう作り方をした会社だったのだ。いまだにその会社が潰れないのに驚くのだが、多分私の目を点検した担当者に、問題が有ったからだろうと思う。あまりに目が痛くて病院に行ったら、「こんなメガネをかけていたら、目だけでなく体を壊します!」と医者から、滅茶苦茶怒られたのである。その話しをその白髪の彼にしたら、なんと!その会社に定年まで勤めていたというではないか!!彼はバツの悪そうな顔をして、しきりに私に謝っていた。彼のセイではないのだけどね。こういうことで会社の信頼が落ちる‥社員教育が徹底されていない‥。彼は恥ずかしいと、私に小さい声で言っていた。確かに私もその当時は、会う人毎にあの会社でメガネを作るな!と、言い回っていたからねぇ‥。会社に勤めている限りは、その会社の看板を背負っている。会社の信頼を失墜させない人間であるべきである。給料をもらっているということは、そういうことだよね。
2019年10月02日
コメント(14)
私も職業柄、色々な考えの人に出会う。これが狭い範囲の普通の生活だったら、自分の波長の合う人とだけ付き合えば良いわけだから、深く考えなくてもすむわけである。言うなれば、波長が合わないと思ったら、その人たちとは交流しなければいいわけで、余計なことに頭を使わなくてすむことになる。そういう意味では、社会と接点があると、独特な考えの人たちとも、時として出会っていくことになり、避けられない人間関係が待っている。会社と会社の繋がりから、社名を背負っている以上、言いたいことの半分も言えずに、電話を切ることも何度となく有った。社内でも、上下の繋がりや同僚から後輩まで、その会社に居る限りは、避けて通れない人間関係が有る。自分の考えをそのまま全部吐き出すことは出来ない。どのような繋がりかを把握して、言葉を飲み込まなくてはいけない事も多い。特に上下関係においては、飲み込むことが多くなる。世の男性陣が、仕事終わりに居酒屋でストレスを吐き出す気持ちは、非常に共感できる話しである。でも一つには、自分はトップでなくて良いと思いことが多い。トップとなると多くのリスクを背負うことになる。それは仕事上の責任だけの話しでない。もし間違った考え方をしていても、それが訂正される機会が少ないから、自分の考え方の修正が遅れるというリスクがあるからである。私は会社で、一人の事務員だったことに感謝している。私が占い師やレイキマスターだけで生きてきたとしたら、私の考え方を修正するのが、随分と遅くなってしまうだろう。何かのトップの位置に座ってしまうと、別の見方がいつの間にか出来なくなってしまい、しかも、その点を指摘されることが少なくなってしまうからである。だから会社を定年退職した今、私はそれを肝に命じなければならないと思っている。いつも自分の考え方が片寄っていないかチェックして、物事に向き合っていきたいと思う日々である。
2019年09月11日
コメント(12)
「ガイアの夜明け」で、働き方改革を特集していたことがある。人手不足の折り、どうやって働き手を雇うことができるか‥。実はこの働き方改革を逆手にとって、働き手を集めることができたのだ。それが常識破りのそばチェーン「そば助」だった。ある主婦がお昼に働き、時間がきて仕事が終わりお店をあがる。お店を出て向かった先は、近くのアパート。そこには1歳の自分の子供が待っていた。この部屋は、子供の面倒を見てもらえる「そば助」の休憩所。子育てに追われて、働きたくても働けない人たちのために、借りてくれたアパートの一室である。飲食業というと、中々働き手が集まらないものである。その中で、主婦に短い時間を働いて貰えれば、お店はとても助かるし、主婦もお金を稼ぐことが出来る。ただ、ネックになっているのは、まだ手がかかる小さい子供。その子供を預けるところがあるならば、問題なく幾らでも働ける。子供を預けるところが無いから、働きたくても働けない‥それが実情だ。それを「そば助」では、或る驚きのシステムで解決した。実は1歳の子供が預けられていた休憩所で子供を預かっていた人は、そば助の同僚の従業員だったのだ。そば助の従業員は、お店で働くか自分や仲間の子供の面倒を見るか、どちらかを選択することが出来るのである。そして、どちらで働いても賃金は発生する。しかもその賃金は、お店で働く賃金と同じ額が支払われるのである。このシステムは「安心して預けられて仕事ができる」と好評である。子育て世代の人たちを、サポートする取り組みだ。このシステムを勧めているのが、そば助の創業者の八木さんだ。まだ49歳と、とても若い。この創業者の八木さんは、母子家庭で育っている。子育てをしながら働く母親の大変さを、誰よりも知っている立場だ。子供がいるから働けないと苦しんでいる人がたくさんいることに、なんとかしたいと、こういうシステムを作ったのだ。いくつか支店を出しているやり手の若い社長のようで、やはり商売は、携わる全ての人が幸せになることが重要だと感じた。
2019年07月29日
コメント(10)
バス停まで歩きながら、メールの内容を考えていた。寒さの為、手が思うように動かないので、メールを打つのもバスに乗ってからしか無理だと思った。メールの相手は、私の会社の後任である女性へだった。何故今頃メールを?というのも、実は月曜日に彼女から電話があって話しをした。内容は当然仕事に関係することだった。そしてそれはそれで、その場で解決したことだった。でも‥追加で話しておいたほうが良いと思って、メールをしたいと思ったのだった。ただ、ここで自分でも驚いたのだが、月曜日に解決したと思っていたことを、水曜日の朝突然、追加事項を考えている自分に関してだった。ということは、解決したと思っていて、記憶から抹消済みだと私自身は認識していたのだが、私の頭は勝手に続きを考えていたことになる。えっ!私って分裂症なの??私は終わったことだと自覚していて、忘れていたはずなのに、脳は勝手に、更に良い方法は無いかと続きを考えていた。これには我ながらびっくりである。これって、発展に向けて良いことに繋がる場合もあるよね?発明する人とか研究者とか、或いは仕事を拡大したいと考えている人にとっては、良いことだ。ずーっと考えていることは、決して悪いことではない。でも‥ストレスも同じことでは?カラオケとかお酒とか趣味とか、何か楽しいことをして、ストレスを解消したと自分では思っていても、ずーっと頭の片隅に残っていて、ふと何気なくそれを思い出す。仕事を一概にストレスだとは思わないが、こうやって2日後に急に思い出す自分を考えると、私の中で仕事は、比重が大きかったのではないか‥と感じた。「だから仕事を辞めてからの開放感が半端ないんだなぁ‥」たいした仕事はしていなかったのだが、それでも体は緊張していた。なので緊張から解き放たれた体は、一時緩んで体調を崩したのである。重圧と感じていなくても、結構圧力がかかっていることがあるんだと、開放感を知った私は、本当の意味で理解したのだった。
2019年01月10日
コメント(12)
すっかり昔になってしまった38年間務めた定年前の会社。ん?どれだけ経ったっけ??いやいゃ~、まだ4,5ヶ月前のことじゃないか。ホントに?‥ん?本当だよ~。(笑)ふと帰りのバスに乗る前に気が付くと、メールが来ていた。授業中に携帯音が鳴ってはいけないので、音を切っていたから、気が付くことはなかった。携帯をみると、携帯に懐かしい名前が出ていた。私の会に、後任で入った女性の名前だった。メールが来たのは水曜日で、私にとっては月に2回の忙しい水曜日だった。途中移動時間が有ったので、いつもなら携帯をチェックするのだが、音楽関係のショップに寄り道をしてしまったので、その時間が無くなってしまった。なのでメールに気が付いた時には、結構な時間がたっていた。申し訳ない‥。この時期のメールと考えると、年末年始のことに違いない。夏に定年になった私としては、半年先の話しなど出来なかった。会社に入社したばかりの新人さんに、その時点で年末年始のことを話しても混乱するだけだからだ。なので話すことは無かったし、出来なかった。まぁ、頭の良い人だし、人懐っこい人だったので、きっとなんとかするだろうと思っていた。いや、一番いいのは私に連絡してくれることだけど‥。本社では分からない、他の支社でも分からない、しかも一緒に仕事をしている男性陣に話したところで、職種が違うから返答が出来ないだろう、という事で私へ連絡くれた。家に18時過ぎに着く私としては、次の日に会社から電話して!とメールするしかなかった。次の日はヨガが10時から有るので、偉そうに「9時半までに電話して」とメールしてしまった。電話が掛かってきたのだが、まぁ私ったら早口で話したこと‥。分かってくれたかなぁ‥分からなかったらまた連絡してと、電話が終わった後にメールをしておいた。久しぶりに仕事の話しをしたなぁ‥。仕事をしない楽な道を知ってしまった私は、もう会社には絶対戻りたくないと心から思っているが、久々の仕事の話しは、それはそれで楽しかった。また仕事をしてもいいなぁ、と思わせるような楽しさだった。勿論、正社員は考えられない、パートで午後だけの仕事がいい。いやその前に、今やっていることを整理しなくっちゃ駄目じゃん。しかもまだやりたいことは一杯有って‥なんて、考えを巡らす。無駄に考えたけど、やっぱり仕事する時間は無いかなぁ‥。う~~~、時間が足りないよぉ~。
2018年12月02日
コメント(10)
7月だ~!!解放感で一杯。まだ7月は会社員なのだが、7月一杯は有給扱いなので、実質会社には、全く行かなくて良い。なので、これから先の時間は全~部、ぜ~んぶ自分のものである。金曜日は最期の出勤日、バスのつり革を握って揺られるのも、今日が最後だと思って立っていた。車内アナウンスで、停車ボタンを押すと流れるメッセージに、「お降りの方は、扉が開いてから席をお立ち願います」というのが有る。それに対して私は(元々立ってるし~)と、心の中で突っ込んでいる。でも、そんなことをすることも、今後は無い。そしてつり革につかまることも、もう無いだろう。バスの本数は少なくなるけれど、日中ならきちんと座ってバスに乗れる。立って揺られることは、殆ど無いだろうと思われるのだ。最期だと思うと、ちょっとは寛容になるというものだ。永遠に続くと思うから、辛く感じてしまうわけで、最期ともなれば、辛さが半減するから不思議である。最期の日と言っても、私がやっている仕事はもう無い。新人が引き継いでやっているので、私はただただ会社へ行き、椅子を温めるだけの日々だった。新人の子が私を可愛そうに思って、時々質問をしてくれる。(笑)優しい私の後任である。どのくらい前からだろうか?この日が来るのが不安だったし怖かった。人は経験していないことには、若干でもネガティブになるものである。私の場合ポジティブな生き方をしているが、実は、ネガティブな想いを打ち消すためでもあるから、どうしても不安が付きまとっていたのである。そして計画的に生きている私だからこそ、有り余る時間が、不安と恐怖を呼んでしまうのだった。その不安を打ち消すために、定年までの間に色々調べたし、シミュレーションもしてきた。第二の人生の道筋を、少しずつ作っていったのである。それが良かったと思うのは、この開放感を感じたからだ。のんびりしよう‥そう思ったのだが、面白いことに、占いの依頼がすぐに来た。何故このタイミングで来たのか?どうやら第二の人生も、全くのんびりは出来なさそうである。
2018年07月02日
コメント(14)
サラリーマンには定年という括りがある。とはいえ、我が社は途中まで、定年という括りが無い会社だった。なので最初にそれを知った時、引退する時というのは、重い病気になった時なのか?と考えたものである。途中から63歳が定年になって、これでようやく普通のサラリーマンになったと思ったものだ。定年が無い仕事といえば自営業で、自分の体の機能が衰えてきて、仕事を維持できなくなったと感じた時に、引退という選択をする。中には生涯現役といって、死の一歩手前まで働く人もいる。芸能界では去年亡くなった、野際陽子さんのことを思い出す。そういう生き方もあるのだと思う。「91歳の女流棋士」という囲み記事を読んだ。昨今将棋界で若手の活躍が目立つが、その女流棋士は囲碁界のようだ。ご主人も同業者で9段にまで上り詰め、「囲碁の神様」と言われていたが、昨年11月に97歳で亡くなったようである。80年間現役プロであり続けた人だ。夫婦でずーっとお元気で、非常に長い間活躍されてきたようで、奥様はまだ現役である。引退制度が無い囲碁界だからこそだと思うが、こういう特殊な仕事は、頭を使うからこそ健康で長生きするのだと思う。しかし、老いても戦い続けなければならないのも事実である。これはストレスにならないのかなぁ‥。多分勝負事に向いていない私には、ストレスとなって、逆に病気を誘発する可能性が高いだろうと思われる。自営業の人のように、健康が維持できる寸前で引退するか、或いは死の寸前まで現役で働き続けるか、それともサラリーマン人生を全うして、第二の人生を迎えるのか‥。どの場合も人生を謳歌して楽しむことが、一番に違いないと思う。
2018年04月26日
コメント(12)
「こちらは名古屋だと伝えたほうが良いのでしょうか?」新人さんが東京本社からの電話の対応について、私に聞いてきた。ん?どういうこと??暫く考えて、あ~ぁ、そういうことか‥と思い当たった。電話の声が私の声で、なかったからである。本社の人は、名古屋へ電話をかけると、いままで当然のように私の声を聞いてきた。それが全く違う声を聞いてしまったので、電話をかけた相手は慌ててしまったわけである。自分で名古屋へ電話をかけたというのに、名古屋にかけたかどうか疑うなんて‥。まぁ、確かに知らない声を聞いたら、びっくりするよねぇ~。「本社からの電話に、いちいち名古屋だと言う必要は無いよ。本人が名古屋にかけたわけだし、電話のディスプレイにも名古屋と出ているはずだからね。」「丁度良い自己紹介の場になっているんじゃないの?貴女の声を早く覚えてもらえるといいね。」と私は続けて言った。「仕事はやっていけそう?」と聞くと「はい」と言い、仕事が楽しいという返事だった。彼女が入って2週間、私の教えることを一生懸命メモを取っている。こんなに覚えることがあるんだなぁ~と、自分が意識しないでやっている作業の多さに、逆に驚いている。とはいえ、まだ全体の3分の1か4分の1しか、やってもらっていない。覚えてしまえば早いと思うのだが、まだもう少し時間が必要である。女性一人の職場は気楽であるが、同時に責任も多く有る。自分がやっている仕事においては、誰も代わってもらえない。例えば去年12月に私が入院した一週間の間の仕事は、私が復帰した後に自分で処理をしなければならない。かなり緊急性が有るもののみ、なんとか本社を含めてカバーしてもらったのだが、それ以外は一切誰も手を付けないから、自分でするしかないのである。でも私は気楽なほうがいいので、38年間満足をしてきた。新人さんも一人の気楽さと責任を、両方楽しめるようになればいいなぁ~と思っている。
2018年04月24日
コメント(14)
今週の月曜日から、私の仕事を引き継ぐ人が来ている。当たり前だが、人に教えるより自分でやったほうが早い。でもそれでは意味がないので、1から教えているのだが、これが結構面倒くさい。何せ38年やってきた仕事だから、自然にやってしまっているものも有り、言葉に起こすと分からなくなってしまう有り様である。流れ作業のようにやっているので、一つ一つ確認しつつ、説明しながらやっていくと、あれっ?次どうするんだっけ??なんて感じで止まってしまう。流れを止めてしまうと分からなくなってしまうって、私ったらなにさ~。どうやら仕事をパック商品のように考えているようだ。部品だけだとさっぱり分からずに、完成品に辿り着けないわけである。また、パソコンでの作業は指が覚えていて、頭ではない。厳密には頭からの指令で指が動くのだが、同時進行で行なってしまうので、分解すると頭がついていかない、な~んてことが起こってくるのである。でもどうやら聞いているほうも、流れで覚えているようで、前日教えたことの工程の一部が、間、間で抜け落ちてしまっていた。やっぱり覚えるには時間がかかる。逆だとしたら、私のほうが新人さんより時間がかかっているだろう。なにせ新人さんは、まだ20代である。私は‥もう60過ぎている、この差は歴然である。教えるほうも教えることの新人なのだから、どっちもどっち、というところだなぁ‥。時々、イラっとしてしまう自分が情けない。私は結構短気なんだと、改めて思い知らされる。本社の女性に、「監督なの?まだ選手兼監督という立場じゃないの?」と言われた。チョッとは選手のつもりだけど、ほぼ監督という気持ちで教えている。そのほうが覚えるんじゃないの?と思っているけど‥。ダメかしら?(笑)お互いもう少し時間をかけて‥徐々に徐々に‥ですね。
2018年04月13日
コメント(10)
上手くいかない日ってあるよね?この間の映画を観た日は、曜日といい時間といい、凄く上手い具合に一日が回っていた。それに比べて、何をやっても上手く回らない日が有る。なんでこの人こんなに怒るの?なんであの人は私に責任を押し付けてくるの?腹の虫が収まらないというか、一つだけならともかく、二つ以上嫌なことが重なると、お笑い芸人のバイきんぐのツッコミ担当である小峠じゃないけれど、「なんて日だ!!」と声をあげたくなってしまう。ついつい顔も険しくなるし、なんの関係無い人にまでイライラが伝わってしまう。いけないと思いつつも、すぐには気持ちが収まらない。こういう時は深呼吸するといいと、みんなにも言っているのに、良く言う私のほうが、すぐに思いつかない始末。外に出て新鮮な空気を充分に吸って、呼吸を整える。するとようやく、なんとなく落ち着いてくる。風の強さを体に受けて、少し身震いする。でも、有り難いことに気持ちが楽になってきた。午前中の嫌な想いを、午後まで引っ張りたくなかった。切り替えられるなら、少しでも早いほうが良い。怒りって、結構エネルギーを使うよね?しかも生産性が無い。それでもすぐには収まらないのは、どうしてだろう。人間の感情は複雑である。久しぶりに怒ると、なんだか血液がドロドロになった気がする。血液も一回沸騰して、凝固しかけてないのだろうか?って、本当に凝固してしまったら、生きていないよなぁ~。昨日は変なところで体力を使ってしまった。今日はそういうことがないように、笑顔で会社へ出勤しよう。
2018年03月14日
コメント(12)
本社の入社して2年目の若い男性なのだが、一瞬何を言っているのか分からなかった。末尾の「本社に入金になりました」という言葉は分かったのだが‥。でも知っている言葉だと思ったので、聞き返しはしなかった。私の頭の中で、言われた言葉が何だったのかを考えていた。それで、あの取引会社のことだと思い当たったのだが‥。何故一瞬その言葉が理解出来なかったのかというと、イントネーションが変だったからである。それで正しいイントネーションで反復して、その会社で間違いがないかを確認した。おやおや‥東京の人だと思っていたら、どうやら違うらしい。まぁ、東京に東京の人が居る割合は、それほど高くないのでは?とは思っているのだが‥。言葉を標準語に直しても、こういうところで分かっちゃうよね。よくよく聞くと、青森県出身らしい。東北とか九州とか、結構理解出来ない方言が有るよねぇ。同じ日本人なのに‥難しい‥。言葉自体は一緒でも、イントネーションが違うだけで、すぐには理解出来ないものだと感じた。そういう私も愛知県人だから、何処かで間違ったイントネーションで話しているかもしれない。私のイントネーションが間違っていても、みんな暖かい目で見てくれているのかしら?私の場合は愛知県人ということに誇りを持っているから、田舎者と思われても、全然堪えないけどね。(笑)「こういうところで東京の人間でないということが、バレてしまうんですね」と、彼は苦笑しながら話していた。私は新人君の別の一面を垣間見ることが出来て、良かったと思っている。お陰で会話が弾んで、とても楽しい一日になったのだから‥。
2018年02月06日
コメント(16)
遠い‥遠くなったなぁ‥。実は会社の取引銀行であるみずほ銀行が、去年の12月半ばに移転した。距離もさることながら、行くまでの手間がかかって、距離以上に遠く感じている。駅に近くなるので、銀行で働く人たちは、近くなって喜んでいるかと思いきや、そうでもなさそうである。というのも、新しく建った「JRゲートタワー」に引っ越したのだが、そこの28階が引越し先で、エレベーターを2回に分けて、28階へ行かなければならないのだ。直通のエレベーターが無い。下は商業施設なので、オフィスと分けているものだから、エレベーターは15階までと、ホテル行きと事務所関係行きと、15階からそれぞれ違うエレベータに乗り換えなければならない。途中日本庭園が15階にあるのも、不思議な感じがする。一般の人たちはホッと一息できるのかもしれないが、回り込んで別のエレベーターに乗り換えなければならないから、時間が無いと、やたら遠く感じる。いままで1階がATMで2階が窓口だったのだが、今は1階の一画にATMが有っても、窓口は28階になる。しかもそのATMは、入金の際に金額指定ができない。きっちりとしたお金が無いと、こちらの思い通りに入金できないのである。なので、その際は28階の窓口まで行くことになる。そこに2台ATMがあるのだが、そこでは金額指定ができるというのだ。 銀行の人曰く、同じ店舗内に無いATMは、それしか方法が無いというのだが、そんなはずはないと密かに疑っている。でも店舗の無いところのゆうちょ銀行でも同じだからなぁ‥。古い機械を持ってきたと思っていたのだが、結構真実なのかもしれない。それにしても不便になったと感じているのは、私だけだろうか?
2018年01月18日
コメント(0)
えーっ!うそ~やばっ! 時計を見て絶句、と言っても会社に間に合う時間なのだが、2度寝してしまったことに、焦ってしまった。目が覚めたら、ストーブ、電気、テレビをつけるという作業を、いつもはするのだが‥。ついつい寒くてストーブを付けて、そこで他の作業を止めてしまったのである。月曜日の朝のことだった。今は日が昇るのが遅いものだから、電気をつけないと朝が来たという実感は湧かない。だから電気は絶対付けないといけないのだ。ただ、寝たまま電気をつけると眩しいんだよねぇ‥。なので後回しにしてしまったのだけど、これが命取りになってしまった。血圧に悪いと知りつつ、がばっと起きる。‥慌てたなぁ~。2度寝が今まで全く無かったわけではないが、もうちょっと時間の間隔が狭かった。こんなに気持ちよく長い時間ぐっすり寝たなんてことは、記憶に無いほど昔の出来事である。油断大敵である。(特に月曜日‥)(^_^;)最低温度が0度より下回ると、ストーブの暖かさは格別なんだよねぇ。気持ちよく浸ってしまった。それからは慌てた、慌てた。あんなに心地良かったというのに、その幸せが一度に吹き飛んだ。平和な時間から戦争状態に突入である。まだまだ寒い日が続くのだから、気を引き締めてかからないといけない。心も体も平和であるために‥。
2018年01月16日
コメント(0)
仕事も後3ヶ月だと考えると、引き継ぎのことを考え始める。なにせ、この会社に入って40年近い。引き継ぎなど一度も関係ないし、考えたこともなかった。毎月大雑把にする仕事は決まっている。なのでチェックリストなるものを、自分で作って管理しているのだが、それも自分で間違いなくやるだろうことは、抜けてしまっている。考えることもなくやってしまっているから、改めてチェックする必要が無いと思っているからだ。でも新しい人にとって、どんな些細なことも初めてのことになる。指示が抜けていれば、やらなければならないことなどと、最初から思う訳がない。だからチェックリストも、もう一度見直してみなければならない。何気なく流れでやっている仕事も、きっと有るだろうと思う。男性は例え辞めたとしても、他の人でフォローが出来る。まぁ「長」がつく人たちになると、そういう訳にもいかないだろうが、平社員なら問題ない。でも私のやっている仕事は私だけである。事務員は私だけなのだから、男性に聞いて分かる事は殆ど無いだろう。後は他の支店で聞くか、本社で聞くことになる。それでも支店によってやり方が違っているものも有るし、本社と支店のパソコン上での操作は、3割程度違っているので、引き継ぎの時に聞かないと、面倒臭いことになる仕事も有る。なので引き継ぎもきちんとしなければならない。そこでいままで自分の頭の中でやっていたことを、表にして分かりやすくしてみた。例えば引き落とし等の通帳からの出金の動きである。現金の動きも、1ヶ月を単位に打ち出してみた。すると、なんと!当たり前のことだが、分かりやすいではないか!あらぁ~最初からこうやって管理すれば良かったじゃん~。今までその都度計算していた自分が、バカみたいである。う~ん、もしかしたら今まで考える時間を損していた?まぁ頭の体操をしていたと考えるか!(負け惜しみ)笑
2018年01月11日
コメント(0)
お休みモードから仕事モードへ‥と言うのは簡単だけど、正月休みや5月の連休のような長い休みの後は、中々簡単には切り替えが出来ないものである。そうはいっても今日から会社である。またあの満員のバスに乗って、会社へ通うことになる。私にとって救いなのは、今年が定年であるということ。先が見えると、満員バスもいつものような苦痛ではなく、緩和されるから良い。結局人間は、先が見えないことから不安や恐怖を感じるわけで、起こってくることが、いつまでと期限が切ってあるならば、それほど不安も恐怖も感じることにはならない。まぁ、年末の経理部長とのご挨拶で、「もし募集しても人員が確保できなければ、定年の延長も視野に入れて欲しい」という、一抹の不安を聞いてしまったが‥。そうはいっても私も40年近く務めた会社なので、「定年の日できちんと辞めます」と言うほど薄情ではない。転職で次の仕事先が決まっているわけでないし、単に仕事をしていた自分が、仕事の無い生活に移行するだけなので、そう言われたら、会社が望むようにするつもりである。今‥どうも、人手不足という傾向にあるようだ。とはいえ時期的には悪くないので、きっとスムーズに定年退職できると思っている。一応残って欲しいというアプローチが有ったのだが、私は9時ー17時という拘束の長さが、もういい加減嫌になっていた。満員のバスも、出来ればもう勘弁して欲しい。年俸制で給料が安くなることはさほど問題視していないのだが、もし働くとしたら、時給で拘束時間が短いというのが、望みである。そこの譲歩が無かったから、普通に定年退職させてもらうことにした。私‥間違っていないよね?さて、あと少し‥頑張って働きますか!
2018年01月05日
コメント(0)
支払日に支払いをするのだが、振込の場合はパソコン上で、早めに日にち指定で振り込みを済ませる。近いところで金額が大きくないところには、現金で支払いに行くし、来てもらう業者も有る。毎月のところはいつも通りなのだが、時々イレギュラーで支払いが生じることが有る。それが今回健康診断をしたクリニックである。健康診断の支払いは、決まった金額は健保で負担してもらうが、それ以外の残りの金額は会社の負担となる。その負担額を今回支払ったのだが、クリニックは歩いて5分のところなので、現金で支払いに行った。例によってクリニックは10階なので、支払いを待つ間は、見晴らしの良い外を眺めて優雅に待つ。健康診断の受付をしている時は、結構緊張していて、見晴らしの良さを堪能している気分ではないが、今日は単なる支払いなので、窓際のソファーでくつろいでいた。でもこういう時に限って、早く順番が来て呼ばれてしまう。それで仕方なく、番号札を片手に受付へ歩いていった。請求書を持って、そこに書かれている金額を支払った。ここは持っていった請求書を、コピーさせてくれと言う。まぁそれは毎回のことなので、別に気にも留めない。大きなクリニックなので、それも必要なのだろうと思う。ところがその後受付の人が言った言葉に驚いた。「領収書は必要ですか?」私は唖然として、すぐに言葉が出てこなかった。会社の支払いで領収書を必要としないような会社が、どこかに存在するのだろうか?請求は会社でも、支払いは個人だとでも思っているのだろうか?私がポケットマネーで支払うということ?領収書のお名前は?と聞かれることは有っても、必要か否かを問われるとは思いもしなかったし、そんな業者は居ない。‥なんだここ?多分現金で支払いにくる会社が極端に少ないのだろう。受付も事務員でなくクリニックの従業員なので、看護師業なのだろうと思う、看護師の服を着ているし‥。まだ若い子だったから、まずは受付から働きなさい!といったところだろうか?思いがけない問い掛けで、私は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしてしまった。(゜.゜)
2017年11月30日
コメント(0)
同僚から電話があり、上司に繋いで欲しいということだったが、生憎上司が居なかった。居ない旨を伝えると「聞いてください」と話しが続いた。どうやら業者とチョッと揉めたらしい。聞いていると、相手が最初から交戦的で、一方的に文句を言われたらしかった。彼は社会人としては何十年もサラリーマンをしている人間で、人との関わり方も、ソフトで優しい人だった。ただ我が社に入ってまだ2年目なので、当然ながら業界の知識は、諸先輩方にまだ追いついていなかった。その知識の少なさを、業者は問題にしたようである。まぁ、相手は小さいながらも一国一城の主、社長という肩書を持っている。2代目なので、何処まで苦労したかは?なのだが‥。そういう中で、新人が何を分かったふうなことを言うか!というところだろうか。最初から相手にしない高飛車な態度だったようである。取引業者なので喧嘩するわけにもいかず、相手の暴言を素直に聞いて、お店を出たようだ。でも彼は、それまでのやり取りが腹に据えかねたのだろう、私に聞いて欲しいと電話の向こうで言ってきたのだ。私はその交戦的な社長とは話しをすることが無いが、会長(父親)からはよく電話がかかってくるので、オヤジさんの声だけは知っている。‥のんびりとした話し口調の人だ。上司に電話を繋ぐだけなのだが、悪い印象ではない。その息子なら、それほど悪いとは思われないのだが‥。でも次の日彼が、上司に報告していた内容と上司の反応を聞いていると、電話の印象ではのんびりと感じていた会長も、どうやら偏屈な人らしい。その息子はもっと偏屈で、更に頑固らしく、オヤジさんを呼び捨てにするような人間らしかった。聞いていて、電話の印象だけでは分からないものだと思った。そういえば私も電話では、滅茶苦茶若いことになっている。ワザとしているわけでなく、私の声が若作りらしく、勝手に相手が勘違いしているだけなのだが‥(笑)こうやって誤解されていくことは、結構有りそうである。(苦笑)
2017年11月21日
コメント(0)
雨が降っていた日のこと‥。出来れば出掛けたくないが、小切手を入金しなければならないので、銀行に行かざるを得ない。それで傘を差して会社を後にした。信号を渡って銀行が入っているビルへ入ろうとすると、その軒下を借りて二人の女性が、何やら深刻そうに話していた。というか片方の女性が一方的に話しているのだが、話している女性のほうが年下にみえるが、上司?なのだろうか?年上で部下?の女性は反論することもなく、じっと聞いていた。時々返事をしつつ、うつむき加減に神妙に聞いている。上司だろう女性の声は大きいのだが、内容は分からない。ただ、失敗を責め立てているように感じた。(こんなに人通りの多い、大通りの近くのビルで叱るの?)人が叱られているのを見るのは、あまりいい気持ではない。銀行が閉まる時間も迫っていたので、私はそそくさと、その場所を後にした。セーフ!15時数分前に銀行に滑り込み、番号札を取った。この時間は結構空いているので、私は好んでこの時間に入る。それでも何人かは待っていた。用事を済ませると、もうシャッターは降りている。そのシャッターの隣りのドアを開けてもらって、そこから外に出た。2階の窓口から1階へ階段で降りて行き、エレベーターホールを抜けると外なのだが‥。(えっ?まだ叱っているの?)ゆうに2~30分は経っている。しかも前より通り沿いに少し移動しているので、前を通る人たちは、二人をちらちら見ながら通っていく。(何‥会社で出来ないの?或いは喫茶店とか‥。少なくても人通りの少ないところで叱れないのだろうか?)見ていて不愉快になった。でも私が口出しすることではないので、私も見て見ないふりをするしかない。私の上司は部下を叱らなければならないことが有ったら、会社のビルの屋上まで上がり、人の居ない所で部下を叱っている。配慮が無い上司は、見ていてつくづく嫌だなぁ~と思った。
2017年11月16日
コメント(0)
(やってしまった~)久々である。朝の通勤時に降車停留場を二つも過ぎてしまった。ぼーっと考え事をしながら通勤していると、年に何回かやってしまう失敗である。考え事も、真剣に考えているわけでないんだけどねぇ‥。二つ手前の停留場では、次の次で降りると頭で理解していた。でも結果的に気がついたのは、一つ停留場が次に進み、そこを出発してその次の停留場へのアナウンスが有った時だった。まぁ、私の場合ゆとりをもって会社に行っているので、この位のことで、遅刻するなどということにはならない。運動不足の私への、警告?気付き?だと思い、喜んでいつもの数倍の距離を歩いて会社へ行くのである。で、いつもは通らないところを通ることになり、そういう時には、新しいものを発見することが多い。今回も発見があり、その発見というのが、あるコンビニに人が群がっていることだった。ざっと数えると15人前後である。大人の男性ばかり‥あっ、タバコかぁ~。朝のコンビニに群れて集まっているのは、簡単にタバコを吸えなくなった、おじさま達である。私の会社の雑居ビルには、10階にタバコが吸える場所がある。東京の本社は、引越し前のビルでは近くの公園だと言っていた。暑さ、寒さ、雨等々‥乗り越えて行ってたのだろうなぁ‥。そういえば引っ越した今は、どうしているのだろうか?環境が劇的に良くなったとは聞いていないので、やっぱり肩身の狭い思いをしているのだろうと推測する。タバコ事情は大変である。今の日本人は、どの位の割合で吸っているのだろうか?吸える設備が無い古いビルは多いだろうと思う。昔、団地等のベランダでタバコを吸うお父様方のことを、「ほたる族」と言っていた時代が有った。タバコの火種が夜空に反映して、まるで蛍のように感じたからだ。でも、今はその行為も近所迷惑で、近隣の人たちとのトラブルの元にもなっている。タバコを吸う人たちの居場所は、どんどん無くなっている。コンビニの前に設置された吸い殻入れに群がるおじ様たち。その肩が小さく感じるのは、気のせいだろうか?
2017年10月19日
コメント(0)
会社帰りの満員バスの中でのことである。名鉄バスは降車の際に利用料金を払うことになっている。なので一番前まで行って、運転手さんの横にある料金入れで精算、或いは交通マネーをタッチして精算する、という手順を踏むのだが、満員の時はこれが結構大変なのである。途中何人かの人が運転手さんに声掛けをして、バスの真ん中の乗車口を開けてもらって、外から前に周ってもう一度ステップを踏んで精算していた。普通はあまりそういうことは起こらない。みんな頑張って人をかき分けて、前の降車口まで辿り着くからだ。でもその日は結構混んでいたし、運転手さんに大きな声で、声掛けをする人が、各停留場で居たからである。そういうことをした3番目の停留場で3人目の人の時だった。どうもドアがその人にひっかかりそうになり、運転手さんが「危ないですから気を付けてください」と声掛けした女性のことである。その人は前に周り、凄い勢いで運転手さんに怒り始めたのである。声を荒げ目で威嚇して文句を言いまくっていた。何故ドアで危ないことになったかというと、そこは乗車専用なので、運転手さんは乗るほうの人を見て、ドアを開け閉めしている。そこから降りる人のことを想定していない。前の2人が別の停留場でそこから降りたのは、運転手さんに頼んで声掛けをして降りたからである。これは親切で行なったことで、普通は規定通り前の人を掻き分けて、降車場所である一番前まで、行かなければならない。どんなに時間がかかっても待ってくれるので、そのことで間違って降りられないということは、まず無いのである。前の2人は運転手さんに声掛けをしたが、その人はそれをしないで外に出ようとしたのだと思う。本人は「声を掛けた」と言っているが、運転手さんとその人との中間地点に居た私ですら、聞こえなかったわけで‥それは言っていないに等しいと私は思った。運転手さんはそのクレームに対して、「すみません、聞こえなかったものですから‥」と何度も謝っていた。そぅ、何度も何度も謝っていたのである。その人は腹の虫がおさまらないのか、睨み付けて怒鳴り散らしていた。私は座っていたので、そのやり取りがよく見えたのである。その間1分ぐらいだろうか‥。私のように座っている人はまだしも、立って満員バスに乗っている人が沢山居る。また急いで家に帰らないといけない人も居るだろう。みんな黙って彼女の怒りがおさまり、その場から立ち去ってくれることを望んでいただろうと思う。(貴女も迷惑を受けたかもしれないけど、バスに乗っている人全員も、貴女から迷惑を受けたのよ)私は心の中でそう思っていた。私が降りる時、いつもは言わないのだけど、「ありがとうございました」と運転手さんに声掛けをした。(頑張ってください)という言葉は流石に恥ずかしかったので、心の中だけで、つぶやいた。私のようにメンタルが弱いと、心が折れて運転を失敗しそうである。(事務員で良かった)‥私の本音である。
2017年10月06日
コメント(0)
お金と時間は反比例する。仕事をしているとお金は入ってくるが時間が作れない。逆に仕事をしていないと、時間は有るがお金は入ってこない。だから仕事をしている時は、お金で時間を買うことがある。その逆で仕事をしていないなら、時間を使ってお金をかけない。例えば食品が乗っているトレ-。あれもプラスチックなので、プラスチックを出す袋に入れて、週に一回のプラスチック回収日に、今は出している。でも会社を辞めたら、スーパーのトレー回収場所へ持っていく時間が出来る。今はそういう手間をかけずに、そのままゴミとして、プラスチック回収日にゴミとして出している。小さなことだが、そうすることでプラスチック用のゴミ袋を、今ほど買わずに済むことになる。ビールの空き缶もそうだ。今はそのまま1ヶ月に一回有る資源ゴミの日に出している。でも会社を辞めたら、買った酒屋さんへ持っていくという選択も有る。段ボールに空き缶を入れて持っていくと、多少のキャッシュバックをしてくれるのである。段ボールも壊さずに済むし、空き缶が数円になって戻ってくる。微々たることだが、あり余る時間でお金を使わない工夫が出来る。自転車も買おうと思っている。さほど遠くなければ、バスでなくて自転車で移動。健康にもプラスされるから、結構それも楽しみである。自転車は何十年と乗っていないけれど、きっと乗れるだろう。それとも原付バイクにするべきか?いやいや、この歳ではバイクは止めたほうがいいだろう。私のリスクというより、周りに迷惑をかけるリスクが怖い。後、半年ぐらいで定年だ。生まれてこのかた、時間を贅沢に使ったことが無い私にとって、未知の世界に入っていくことになる。どんな世界が待っているのだろうか?そして私は、どんな選択をするのだろうか?
2017年10月02日
コメント(0)
転職先の会社に求めるものがあって、色々と譲れない条件がある。若い頃と中年期、老年期では、各々考え方が変化している。私は今の会社に勤めて38年程になる。それでも3回目の転職だ。若い頃は転職することに何の抵抗も無かった。とはいえ、その頃の女性が社会で働ける年齢の条件は、24歳までだった。25歳以上で募集している会社は、殆ど無かったと記憶している。それは女性が結婚までの間だけ、腰掛け程度に仕事をするという時代だったからである。会社側としては、どうせ結婚して辞めていくのだから、24歳までの募集にしておかないと、教えた労力等を考えると、割に合わない‥といったところだろうか?お茶さえ出していればいい‥コピーさえしていればいい‥。若ければ華がある‥そういった扱いだった。幸いなことに私は、英文タイプライターという、その当時では花形の職を手にしていたものだから、余計強気だったのかもしれない。でも、時代はワープロからパソコンへ移行した。心の何処かでそれが分かっていたのか(?)私は事務職へ転職した。24歳と11ヶ月の時だった。若い頃の私が職を選ぶ基準というのが、職種と企業の規模だった。最初は弱小企業、それから大企業、最後は一番私に合っている今の会社である中小企業に落ち着いた。どんな規模の企業が、私の仕事の腕を発揮できるかというところに、関心が有ったのである。いままでに会社を辞めたいと思ったことは、正直なところ何回か有った。仕事のことというより、人間関係に行き詰ってのことだった。それでもなんとか乗り切ってきた。今は普通に定年を迎えられることに感謝している。定年後に転職を考えると、年齢の重みがのしかかってくる。それでも必要に迫られて、定年後に働く人たちは多く居る。定年後の転職‥若い頃と全く違った重圧である。
2017年09月20日
コメント(0)
殆どの会社のお盆期間が終わり、もう通常業務になっている頃だろう。私の会社は会社としてお盆休みが有るわけでないので、それぞれが好きな時にお休みを取っている。お盆は里帰りする人中心になるわけで、里帰りに関係無い人は、別に決まっているわけではないが、その期間は遠慮して外す。私はでも遠慮するわけでなく、別にお盆だからといって、何かを家でしなければならないわけではないので、普通に会社へ行くことになる。墓は歩いて5分位のところにあるので、墓参りはいつでもできる。なのでその為の時間を、特別に取る必要もない。お盆に休む理由は、全く見当たらないのである。それでも今回13日が日曜日なので、グッドタイミングで墓参りができたと思う。まぁ墓掃除とかお花を供えるとかは、前日に出来ることでもあるし、とても理想的なお盆だったと思う。問題は14日月曜と15日火曜の通勤するバスの時刻が、休日扱いになるということである。休日運転になると、極端にバスの本数が少なくなる。市バスに至っては全く使い物にならない。頼りは名鉄バスである。いつもは2,3分に1本のバスが、10分に1本しか来なくなる。お盆は通勤の人も少ないので、釣り合いが取れると思うだろうが、結局日頃よりもぎゅうぎゅう詰めの、通勤になってしまう。まぁ満員で通過されないだけ、まだマシというもので、場所によっては通過されてしまうバス停も有る。通過されるようなバス停は、待っても同じだから待つこともできない。どうするか‥テクテク地下鉄まで歩いて、バスを諦めることである。逆に言うと地下鉄まで歩けるということだ。私が地下鉄まで歩こうとすると、1時間は歩かなければならない。ドカ雪の日に、稀ではあるが歩かされることがある。地下鉄より遠いというのも、考えようによっては利点なのかもしれない。二日間、痩せる思いで(痩せなかったけど‥笑)満員バスを味わった。
2017年08月17日
コメント(0)
事務を一人でやっていると、身近に相談できる人がいない。相談することなど殆ど無い状態ではあるが、新たに起こる難題も全く無いわけではないので、忘れた頃に困ったことも、出てくるわけである。大したことが無い問題は、ちょっと本社の担当者に聞けばいいのだが、本社は分業制になっているので、担当者が全部こちら側の問題に応えられるとは限らない。で、専門にやっている人に聞くことになるのだが、私も長いことこの仕事をしているので、今のところ、私より長く事務系の仕事をしている人は、本社に居ない。だからそれが強みで、結構気安く聞くことが出来る。たとえ相手が部長でも、事務職は私のほうが先輩だったりするからだ。私の直属の上司も、言ってみれば1年後輩なので、その点気楽に話しが出来るというものである。勿論、立場はわきまえているので、友達感覚の話し方はしない。ただ仕事を離れれば、若い頃から一緒に飲みに行った仲なので、時々は友達のような話し方をしたりする。今回本社の役職の有る人に、相談をしてみた。するとやぱり「餅は餅屋」で、私が考えつかない回答をもらった。 全国を相手にしていると、色々な問題が出てくるようで、 ズバッと的を得た回答だった。ここで残りの問題は支払いの件だけ‥。今度は上司に話しを振ってみた。すると流石営業‥と、こちらも見事な回答だった。おぉー、悩みは綺麗に片付いてしまった。こういう時に殿方は頼りになるんだよねぇ~。やっぱり女性より男性のほうが、視野が広いと思い感心した。というか、役職がそうさせるのかもしれない。責任が有る立場の人たちは、過去に色々な難題を克服してきている。そういう経験値が思考を拡大させて、私が手掛けている問題さえも、的確な回答へと導いてくれたのだろうと思う。
2017年06月09日
コメント(0)
我が社はカレンダー通りなので、5月1日と2日は出勤になる。なかには有給を取って休んでしまう人もいるが、私は日頃きちんと有給を頂いているので、こういう時は出勤する。実家が遠い人とか、海外へ遊びに行く人とか、そういう人が優先されれば良いわけで、私のように実家に居て遠出しない人間にとって、ゴールデンウィークの合間まで、有給を取る必要もない。これだけの休みを頂ければ、日頃出来ない家のこともやれるし、チョッとした場所まで行くことも出来る。天気は今週の土曜が雨のようで、他は殆ど晴れマーク。近くに戸田川緑地公園が有るのだが、そこにピクニック気分で行くことも出来る休暇の長さである。「いやいや、そんなところぐらい、いつでも行けるじゃないか」と突っ込まれそうだが‥。家大好き人間の私にとっては、1日中外に居るということが、考えられないし、勿体無いと感じてしまうことなのだ。だからこれも長い休みだからこそできる、休みの使い方になる。副業も一日入ってしまったのだが、それもこれだけ休みが有ると、気にならないから不思議である。いやむしろ、いつもより時間を気にしなくて良いから、のびのびとやれる‥といったところだろうか。ちょっと誤算だったのは、結構バスが混んでいた。いつもならこういう時はみんな休むので、バスは空いているものである。意外に皆さん仕事に出ている?のかな??先週の土日も、同じ2日間の休みだというのに、ゴールデンウィークの片割れだと思うと、いつもやらない箇所の掃除をした。これも長い休暇だからこそ出来ることだと思うのである。7日間の内の2日間の休みが過ぎてしまったけれど、まだ二倍以上の休みが有ると思うと超~嬉しくて、いまだルンルン気分である。
2017年05月02日
コメント(0)
会社の仕事でパソコンを使うのだが、その操作内容は、男性と女性とでは違っているところがある。女性の私はパソコンで本社に送信するものが無い。せいぜい有ってメール送信ぐらいである。それに比べて男性の仕事は、本社へ送信するものが色々有る。メールだけでは無いわけだ。ある日、送信を忘れた男性から私のところに電話が有り、代わりに送信して欲しいと言ってきた。するけど‥どうやって?私が触ることのない機能なので、教えてもらわないと出来ない。聞いて操作する私も大変なのだが、電話で教えるほうも大変である。自分がいつもやっている手順には違いないのだが、目の前に何も無い状態で、操作の仕方を教えなければならないからだ。四苦八苦して、なんとか送信し終わった。こういうのは変に緊張して、本当に送られたかどうか心配になる。送信相手が本社なので、担当者に受信できているかどうか確認した。受信できているという話しに、ようやくホッとする。内心、忘れないで送信してから会社を出て欲しいと思う。でも相手は、この位覚えておいて欲しいと言うのである。う~む、でもさぁ~。事務の私にしか出来ない操作が有って、それに関して他の誰かに、代わりにやって欲しいと言わないけどなぁ~私は。覚えて欲しいと言わないで、分からなかったら聞いてくださいと私は言っている。それはいつも使う機能でないから、男性陣が出来なくて、当たり前だと思うからだ。使い慣れていない人が操作を覚えるのは、とても大変だ。それぞれが出来ることを行なって、効率よく仕事を熟していきたいものである。
2017年03月28日
コメント(0)
本社の女性で仕事ができて、同じ事務員としてとても信頼できる人が、ありえないミスをした。どんな人だってミスはあるし、私など自慢じゃないがよくミスをする。多少のミスはお互い様で、それを無くすために、支店と本社でダブルチェックをしているわけである。小さなことはいちいち言わないで、こちらが直せるものはこちらで直す。本社もまた同じようにチェックをして、直してくれる。でも中には、これは言っておいたほうが良いだろうと思われるミスも有り、それはお互いにきちんと報告しあっている。身内だけのミスなら問題はないのだが、そのミスがお客様のほうへ飛び火してしまうことは、避けなければならないからである。さてそんな次元の問題ではなく、今回は今までにない大きなミスだった。そして悲しいかな、事がそこまで大きいと、相手のミスだと理解できていても、自分が間違っているのでは?と、自分を疑ってしまうのだ。なので自分のほうに問題が無いかを先にチェックして、相手に今回のことを進言した。流石に相手も頭が真っ白になったらしく、自分の仕事のやり方を、根本から見直すという返答だった。会社の中心的な経理を担当している人なので、背負っている責任の重さが、私とは比べようにならない。その重圧は大きいだろうと思う。こういう時に本社でなくて良かったと、心から思う。小心者の私ならその重圧で、ストレスに押し潰されてしまうからだ。仕事をしている以上、大なり小なり責任がある。その中で責任を果たしつつ、如何にストレスを極力減らして仕事を熟していくか‥永遠のテーマだ。
2017年01月24日
コメント(0)
良かれと思ってやったことが、裏目に出て悲しい思いをすることがある。今週半ばに仕事上でそれをやってしまい、落ち込んでしまった。全然問題無いと思ったのになぁ‥。でも、待てよ?私が相手の立場に立ったとしてどうなのよ~、と考え直してみる。相手が日頃良いと言っていたことだったから、その通りにしたのだけど‥。よくよく考えたら一回ずつ別々で考えなければならない案件だよね。すると私の一人よがりだったのかも?と、冷静に振り返るまでに結構時間がかかってしまった。自分の非を認めるのって、簡単じゃないんだよねぇ‥。ましてや日頃相手は「良い」と言っていたことだったのだから‥。落ち込んだ時、這い上がるのまでが大変で、もやもやと過ごすことが多い。独り言が多くなるのも、こんな時である。次の日、相手はすっかり普通のテンションだった。私もかろうじて普通を演じているのだけど、心は穏やかでない。でもだからといって、相手が普通でなくて態度が変わっていたら‥、それはそれで困ると思っているのだから、人間は勝手である。普通でいてくれることにホッとしながらも、どうして普通で居られるのか?とムッとしている自分も居る。心の中が全部見えてしまっていたとしたら、相手は「どうしろ!と言うの?」と言葉にしたことだろう。本当にどうしてほしいんだろうねぇ‥私は。(^_^;)どちらかというと理論的に考えるほうで、男性的だと思っているけれど、こうやって感情が優位に立ってしまうことがある。もっと女性らしいところで、感情が現れて欲しいというのに、うじうじとした感情の現れ方なのが悲しい。でも、この土日のお休みが私を切り替えてくれると思っている。来週からまた楽しく仕事をするためにも、素敵な週末にしたい。
2017年01月21日
コメント(0)
新年早々のドタバタ劇は、新年関係無くいつも通りに続く風景。なんて時間の使い方の下手な私なんだろう‥。毎日のことなのだから、いい加減計算出来てもよさそうなのに、時間配分の下手なことといったら‥全然応用できていない私だ。 いつもいつも朝起きた時に、余裕だと思って起きていくのだが、結局会社へ出掛ける時間が差し迫ってくると、全く余裕が無くなっている毎日。なんだろう‥逆にあの朝起きた時の余裕は、いったい何処からくるのだろうか?自分のことながら笑える~。全然余裕がなくなってしまって、追い詰められていく。仕事始めの日から、猛ダッシュしてバス停へ行く悲しさ。全く情けない話しである。昨日の仕事始めは、いつも通りではあるのだが、そこに仕事が一つ加わるのが年明け仕事である。その仕事とは、去年1年間の支店全体の売上の集計と、個人個人の実績の集計をすること。また支店と個人と、それぞれの実績の前年対比をして、増減を出すこともやるべき仕事なのだ。といっても、一日で全部しなくても良い。来週の火曜までやればいいので、時間は有るのだけれど、出来れば今日やってしまって、気持ち良く三連休を迎えたいところである。そうそぅ、この時期やりがちな失敗がある。それは1年を足して日付を書かなければならないこと。1年間染みついた平成28年の表記を、平成29年に訂正しなければならないのだが、分かっていても間違ってしまう、毎年1月のミスである。さてさて、今日こそは余裕で会社に向かうゾ!(大丈夫かぁ‥)
2017年01月06日
コメント(0)
さぁ、今日で仕事も終わり‥と言いたいところだが、私だけは明日も会社に出勤しなければならない。そうは言っても午前中であれば良いということで、時間に厳密な縛りが無い出勤である。会社には数十分居れば事足りる仕事なのだが、年明けの仕事を考えると、多少ここでやっておいたほうが、仕事始めが楽になる。なので明日は、11時出勤で2時間前後の仕事をすることになるかなぁ‥。朝早くには個人的に済ませなければならないことがあるので、30日は午後2時過ぎ位から自由になる。今日の仕事納めの日は、朝仕事をした後15時位から掃除に入って、定時に「良いお年を‥」と挨拶をして会社を退社する流れである。毎年掃除をすると1年が終わったなぁ‥と感じる。勿論家のほうの掃除は、全く終わっていない。というか始まってもいない。(笑)多少は前回の三連休に手を付けたのだが、手を付けた内に入るかなぁ‥という程度である。今年は‥殆どいつもと変わらない掃除で終わりそうである。年末らしい掃除は出来そうにない。世間ではみんな頑張ってやっているんだよねぇ‥。時間の使い方が下手?頭と体の低下で行動が遅くなっている?う~ん‥私の心の何処かで、「定年になってからしっかりやれば良い」という言い訳をしている。でも友達も言っていたけれど、仕事を辞めて時間が出来たはずなのにやらなかった‥らしく、結局これは性格なのでは?という判断になった。時間が多く使えるようになれば出来ると思うのだけど、やっぱりそれは言い訳に過ぎなくて、甘えでしかないのかも?
2016年12月29日
コメント(0)
(あれっ?いつもの人が居ない。休み?)店の中を覗くと、いつも髪を切ってくれる人が居ない。お休みかな?と思いつつも、切ってくれる人が誰でも拘らない私は、そのまま中に入った。私が他の人に、昔から居る人はお休みかどうかを聞いてみると、「先月末で辞めました」という返事が返ってきた。辞めたと聞いても、ご年配の人だったのでびっくりもしなかった。辞めた理由はお歳だから?と聞くと、そうだと答えた。どこかお体を悪くして辞められたわけではないことに、一応ホッとしたのである。お幾つでした?と聞いてみると、70代後半で80歳近いという返事。えっ、そんなにお歳でした?‥とてもそうは見えなかった。それにしても立ち仕事の上、はさみを扱うわけで、手も足も丈夫でなければ続かない仕事だ。こういう仕事の場合、引退時期を自分で決めなければならない。サラリーマンは定年が有るので、辞める辞めないの話しでない。規定通りで辞めていくことになる。まぁ、それでも年俸制で残る人も居る。家庭の事情もあるだろうから、会社さえよければ残るのも有りだろう。私は特に生活に困るわけではない。年金もとっくに半分は出る年齢である。(男性は数年先になる)だから普通に辞めるつもりなので、後1年半だ。ただ問題になることが有る。それは私が家大好きなので、家に引きこもってしまうことである。運動嫌いだから運動不足になり、不健康な生活を送ってしまい、健康を維持出来ないのではないかと不安なのである。規則正しい生活は、お金以外にも大切なことがある。社会との接点も与えられるし、人との会話も不可欠になる。(午前中だけでも何処かで働こうかなぁ‥)今私は漠然とそんなふうに考えている。
2016年09月20日
コメント(0)
過去に数年会社に居て辞めていった人が何人か居るのだが、その中で私のあまり得意としない人も何人か居た。私は会社に遅刻をしないことは大前提だと思っている人間で、平気で月に何度か遅刻をする人は、どうも受け入れ難い。勿論だからといって、台風だとか災害だとか有った場合も、1分たりとも遅刻は許されない‥という考えではない。人身事故が有って電車が遅れることもあるだろう。他にも突発的なことが起こらないとは限らない。ただ私はそれも踏まえて会社へは3、40分早く着いている。でも私ほど厳密に絶対遅刻するな!という考えではない。単に私が、どんな理由でも遅刻したくないだけである。でも理由らしい理由も無く、月に何度も何度も遅刻をしてくる人に関しては、単純に受け入れられないのである。我が社にはタイムカードがあるわけでない。給料も月給制で、遅刻してもしなくても一緒である。だからこそ、真面目に出てきている人を考えると、「遅刻なんて問題ない、仕事ができれば良いでしょ!」というスタンスでいる人のことが、どうしても受け入れられないのである。上司にとって何度も遅刻する部下はそれ程気にならないようで、月に何度遅刻してもやんわりと叱るものの、本気で怒りはしない。それを見ている私のほうが、ムッとしてしまうのである。私は心が狭いのだろうか?上司のおおらかさに、ふと私が反省してしまう。でも日本のサラリーマンなら、やっぱり定刻通りに出社するべきだと思う。第一別の会社へ行って、やっていけるのだろうか?と思ってしまう。他社でも同じように寛大な上司の元で働けるとは限らない。それこそサラリーマンを捨てて自営業に転身し、誰にも文句を言われない生活を、手に入れるべきだと思う。そんな人が何人か辞めていった。果たして転職先で問題無く働いているのだろうか?と、ふとそんな思いが心を過ぎることがある。
2016年09月13日
コメント(0)
同じ会社でも、場所によって仕事内容が多少変わってくる。我が社でも本社以外は殆ど同じ仕事をしているはずだが、上司が違えば、仕事のやり方も変わってくる。私も今の会社で上司は5人目である。5人共個性的で性格も全く違っている。当然仕事に対する信念も違うし、仕事のやり方も違ってくる。なので、その都度私もやり方を変えてきた。そしてもう一つ違うのが地域性である。全国的に統一しようにも、求めるものが地域によって違ってくるので、やはり同じような仕事にならない場合も有る。それがとても良く分かったのが、ヤマト関係に勤めている人に、もう一人出会ったことからである。ヤマトさんは同じビル内の1階に入っている。私も書類を本社へ送るために、ネコポスを出しに週2,3回行く。なので、そこの従業員さんとは仲が良い。会社は街中なので、1階のヤマトさんも仕事関係の荷物が多い。たまにゴルフの道具が置いてあったり、キャリーバックが荷物として出されているのを見たことがあるのだが。それでも仕事絡みの荷物が、断然占めていると思う。それは周りがビル街だからである。最近知り合ったヤマトにお勤めの人は、重い物を運ぶ機会が多いと言い、結構肉体労働のようだ。その人は弥富のヤマトさんに勤めているのだが、愛知県にお住まいの人は、弥富と言われてピンとくる人も居ると思う。そう、愛知県の尾張地区の弥富は、金魚で有名なのだ。だから金魚の配達が有るというのである。配達の為には梱包をしなければならない。水槽に水がたっぷり入った金魚の梱包である。成るほど‥これは重労働だ。ところ変われば同じヤマトさんでも、仕事内容がかなりの重労働になってしまうようだ。手や肩が痛いと言われるが、これは職業病。少しでも負担が少なくてすむ方法が有ればいいのにと思うのだが、現実は中々厳しいようである。
2016年09月02日
コメント(0)
その後、辞めた彼の情報が入ってきた。彼は上司と上手くいかなくなったようである。辞めることになったきっかけを聞いたのだが、う~ん、私も我慢できなかったかもしれないなぁ‥、というような事柄だった。当事者双方の話しを聞いているわけではないから、全く鵜呑みにはしていないが、その上司をある程度知っているから、ほぼ間違いないだろうと思った。多分それはきっかけに過ぎなくて、いままで溜まっていた不平不満が噴出してしまったのだろうと思う。定年を前にして会社を辞めるとなると、今のご時世再就職が難しいし、守らなければならない家族も居る。それでも辞めてしまうのは、よっぽどの覚悟が有っただろうと思う。 名古屋でもここ数年募集をかけているのだが、送られてくる履歴書を見ると、結構年配の人たちが多い。まだ子供の教育費にお金がかかる年代で、再就職に奔走している。それならそのまま前の会社に居ればいいのにと考えるのだが、それでも辞めたいという意思のほうが優ってしまったのだろう。私にも覚えがあるから理解できる。ストレスをかかえて無理に会社に残って病気になっても困るが、新しい場所で新しい仕事を覚えてやっていくのも、ストレスになってしまう年齢である。私のように背負うものが無い人間であっても、やはり辞めることのリスクを考えてしまうものである。人事異動のファックスが回ってしまった今、もう彼が我が社に戻ってくるという可能性は、ほぼ無いだろう。我が社の仕事は特殊な職種なので、簡単に潰しが効かないと思う。同じような職種に再就職出来ればよいが、さて‥残りの人生を、どう生きていくのだろうか?人生中々順風満帆には、いかないものである。
2016年08月26日
コメント(0)
人事異動の通達がファックスできたのだが、退職した人の名前を見て、上司に渡す手が止まってしまった。その人の記憶は遥か彼方に有り、何十年も前のことになる。もう顔も思い出せない。名古屋で面接をしたのだが、他の支店に希望をしていた人だった。その時は募集人数が多かったし、企業側も今と違って、何人でも人を雇いたい時代だった。名古屋も当時を考えると、人数的に半分になってしまった。狭い部屋に今の倍の人数が居たことになるわけだが、当時はパソコンなど無い時代だから、全てを手作業で行なっていた。まぁ、だから人手が必要だったわけで、人は何人でも雇いたい時代だった。でも事務員は私だけなので、私一人忙しかった。今は真逆で、私のほうが暇である。パソコンのお陰で、殆ど手作業でする仕事は無いし、人数も半分に減ったので、その分私がする仕事も少なくなった。私の机の中には、いまだにそろばんが入っている。(笑)こういう計算もそろばんから電卓へ、電卓からパソコンでのSUM関数へ移行している。一瞬で計算してくれるお陰で、とても正確であるし、手書きでないから、綺麗な提出物となる。なんとも便利で良い時代になったものだ。ところで、その何十年も前に面接にきた人は、少し性格的にクセのある人だった。ただ我が社の男性の場合、多少個性が強いほうが、仕事上やり易いものだから、彼はすぐに採用された。そしていままで一癖の有る人間として、しっかり仕事を熟していたのだが‥退社?私より若いから、定年にはまだ早い。何が有ったのだろうかと思いを巡らせている。
2016年08月24日
コメント(0)
記憶がすり替わってしまっていることがある。自分に都合が良い方向へ、記憶が変わってしまっているのだ。人間の記憶は結構曖昧で、頼りないものである。それは生きていく上ですり替えることが必要であると、脳が判断した結果だ。なので悪気が有るわけではないが、同じ記憶を持っているはずの人間にとっては、変な感じになる。変に思う位の出来事ならまだしも、その結果相手の怒りを引き出すことにもなりかねない。(人間って、結構自分に都合よく記憶をすり替えるものだなぁ‥)相手の言動に呆れてしまったのだが、最後にはそれを通り越して感心してしまったことがあった。私が望んでいないことを、相手は私のほうが喜んで望んでいると記憶していたのである。私は相手のためにイヤイヤ引き受けてやっていることがあるのだが、相手は私が喜んで自分から引き受けたと思い込んでいた。(やりたくないんですけど‥)と私の心の声。私がやりたくてやっていると考えたほうが、相手にとっては都合が良いだろうから、そういうことにしてしまったのだなぁ‥きっと。う~ん‥やってあげてもいいけれど、この間違った記憶は削除して欲しいところである。でも、無邪気に嬉しそうに話している相手を見ると、そんなに拘ることもないのかなぁ‥とも思うが、すっきりはしない。(私も同じようなことを誰かにしているかもしれない)すっきりしないが、これも反省材料かもしれないと思った。
2016年08月21日
コメント(0)
12日の金曜と15日の月曜では、会社へ出社する際の交通事情が、天と地ほど違って、快適さと不快さを味わうことになった。いやぁ~12日は天国だったよ~。いつもは座れるか否かと際どい状態なのに、この日は二人掛けのイスを独り占めできる状態だった。車内の人数が少ないので、冷房も良く効いている。乗り降りする人も少ないし走行する車自体も多くないので、バスのスピードがびっくりする位に出ていた。早過ぎてバス停で止まらざるを得なくなり、「発車まで暫くお待ちください」というアナウンスを、何度となく聞くことになった。(こんなアナウンスは年に数えるほどだ)と心の中でつぶやく。いつもは交通渋滞で「何分遅れています」というアナウンスである。だいたいが、バスターミナルの次のバス停で、すでに遅れてしまっている状態だから、時刻表の意味が全く無い。「これなら最初から発着時間を遅らせて書けばいいのに‥」といつも思っているほどである。「バスターミナル付近から遅れているようでは、終点ではどれだけ遅れるのだろうか!?」答えの無い疑問である。それもこの12日には有り得ないことだった。全く滞ることなくスムーズに発着していく。‥素晴らしい~。さて、それに引きかえ15日は最悪だった。何故なら15日は、お盆期間だからである。お盆なので、日曜扱いの時刻表を採用されてしまう。日曜になると極端に本数が少なくなってしまうのだ。少ない本数のバスに乗る為には、家をいつもより早く出て、バスに乗れるまで並ばなければならない。しかもバス内はギュウギュウ詰めである。まぁこれも一日だけだから、我慢するしかない。昨日は、仕事で疲れないで通勤で疲れる一日だった。(笑)
2016年08月16日
コメント(0)
火曜日は突然のゲリラ豪雨で、電車という電車がストップしてしまった。それは私のようなバス通勤者にも影響が出てきたのだ。名鉄のバスセンターへ行って、唖然としてしまった。最後尾が分からない‥何処が最後尾かを探すところから始まった。私の脳裏に、14年前の東海豪雨のことが蘇ってきた。あの時はいつも40分前後で着くバスが、4時間もかかっていつものバス停に着いたのである。明るい内に乗ったはずのバスは、当然真っ暗になっていた。最後尾を確認して、私はトイレへ行った。東海豪雨の二の舞は嫌なので、とにかく何時間乗っていても大丈夫なように、トイレを済ませておいた。そして次に立ちっぱなしが辛いので、座れるように考えて乗ろうと思ったのだ。が、それを考えるまでもなく、人数的に乗れなくてバスを見送った。(嘘でしょう‥)絶望的な気分である。でも‥雨がそんなに降っていないから、東海豪雨とは違うと思っている。なんとか乗れて、しかもかろうじて座れる事になり、まずはホッとする。14年前は私も若かったし、4時間ギュウギュウ詰めで立っていても、滅茶苦茶苦痛ではなかったけれど、この年齢では‥。次の不安は(いつ着くだろうか?)である。でも運転手さんが情報を流してくれたのを聞いて、少しホッとした。その情報によると、冠水のため40分遅れているという話しだ。だから折り返しても、その位の遅れで済みそうなわけで、間違っても40分が4時間にはならないことになる。実際1時間半で着くことができた。次の日会社で、自分が不幸だった出来事を声を大にして報告した(笑)私の大変さを分かって~と思って話したのだが、私はどうやら大したことの無い、普通の出来事のようだったのである。ノーマークだった人が一番大変だったようで、家に着いたのが真夜中の1時だというので驚いた。しかも乗り換えの終電は終わってしまっていて臨時で出して貰えない。なので奥さんに乗り換え駅まで迎えにきてもらったようである。聞くと私の東海豪雨の時と一緒で、4時間電車に缶詰状態。しかも立ちっぱなしのギュウギュウ詰め。待ち時間も有って、全部で7時間の拘束を受けたという。「いやぁ~奥さんを巻き込んで大変だ~」この人の奥さんでなくて良かったと、家呑み大好き人間の私は、変な感想を持ったのである。
2016年08月07日
コメント(0)
全171件 (171件中 1-50件目)