ぱんだの喘息日記

ぱんだの喘息日記

合唱コンク-ル


誰もが、期待して音楽を続けると思って。
でも、私の中では高校になったら、音楽はもう二度とやらない、人前で演奏する事もないと決めていた。
ところが、合唱コンク-ルで伴奏をやらされる事になった。
私の行った学校では、先生が生徒を選ぶ事が出来た。
合唱コンク-ルだけの為に私は担任に選ばれたのだ。
私は、その担任が嫌いで「先生のクラスだけにはしないでください」と言っていた。
何故なら、姉と付き合っていた人だったから。
まさか担任になるとは思ってもいなかったし、何せ次から次へと生徒との噂が浮上し、それが事実だから関わりたくなかったのです。
練習を嫌がるいい加減な人達にどおやって教えろと言うのか?そもそも、学校なんてほとんど行ってなくて、クラスメイトすらわからない状態でどうしろと?
私は、絶対にピアノは弾かないと言い張った。
体調的にも決して良くなく、病院の先生達からも無理はさせないでくれと話があった。
それでも、やる事になり、私がいない時の練習は私のピアノの録音したテ-プで練習していた。
一年、二年とも病院の先生が付き添い、ギリギリで点滴を止めて、弾くだけ弾いたら、学校で点滴を繋ぎ、病院に戻った。
そして、三年。
皆は修学旅行で楽しんでいる間、私は、先生にわんさか雑用をさせられ、ダウンした。
そして入院する羽目になり、三年では、出る事は出来なかった。
皆に叩かれるのがイヤで、病院を無理矢理出ようと制服を着たが許されなかった。
結局、伴奏は他のクラスの人を借りる事になり、恥をかいたと、学校に戻った時には叩かれる事になった。
休んでいても話す事がなくても、特に大きな問題もなく過ごしていたのに、当分の間「さっさと死ね」と言われる事になったのだった。
ほとぼりの冷めるまでの間だったけれど、やっぱり傷ついた。


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