ぱんだの喘息日記

ぱんだの喘息日記

寮生活の始まり


家を出たかったのと当時の病院からとにかく離れたかった。
そして喘息児は自立心がなくわがままなという印象が強くて、そんな人達と同じように思われるのがイヤだった。
ふと高校の時の進路の本を見ていたら幼稚園教諭が目にとまった。
寮があって簡単に入れるとこ。
それだけの事で、高校で書類を作成して貰い、推薦で通った。
ものの数か月で、決め、両親の反対を押し切り、家を出た。
今まで、貯めたお金で学費を払い、生活を始めた。
最後には親が断念し、仕送りもあったが、全て、使わず、いつでも返せるようにしてあった。
その為に、朝は3時から8時まで、パン屋さんでバイトし、昼休みや空きの時間を利用して病院へ行き、夕方5時から11時まで居酒屋で働いた。
それから勉強して、数時間寝て…
そんな事の繰り返しだった。
一応、学校の先生だけには喘息持ちな事は話してあったけど、友達にはサラッと流し、寮にいない時は遊びに行ってると誤魔化していた。
寮生活は6畳一間でメチャクチャ狭かったけど、溜り場的に男女関係なく5~6人で、よく雑魚寝をした。水道光熱費込みで3万5千円じゃ文句も言えないけど(笑)
私の部屋は基本的に出入り自由だったので、私がいなくても皆、勝手に入ってくつろいでいた。
時に、先生まで、ベランダから出現!
料理好きな私は、皆が材料を買って来て、私が作り、皆で食べるといったスタイルも多く、食費もほとんどかからなかった(^^)v


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