ぱんだの喘息日記

ぱんだの喘息日記

裏の病院に


当時、悪くても苦しくはない私は、いつ受診していいか、わからず、主治医に通う事から教えられていた。
何でも出来るから、何でも自分で決めて。
退院後翌日からは、学校は勿論、広東料理屋さんと介護のバイトをやっていて忙しかった。
昼間は学校、夕方はバイト、夜間外来で点滴して、夜中は介護のバイト。
点滴してても、持たなくて、家の裏の病院で直に朝まで点滴。
そして、何もなかったように『良くなって来たよ』と外来に行く。
それを話せば、否応なく入院になる事は間違いない為言えなかった。
2週間近く、そんな日が続いて、バイトを切り上げて家につくと息が…
何となく嫌な予感がして診察券と財布だけ持って外に出た。
病院どこ?裏なのに遠く感じる。
道路に座り込んでしまった。
辿りつけず、そこに通りかかった先生に拾われた。
救急センターに運ばれると救急車で運ばれて来た人はベッドからどかされて…
人が足りないので救急隊に『そっからボスミン出して』と先生が騒ぐ。
1cc打たれて、バクバクして生きてる感じ?
でも、そこからは、しばし覚えてない(;^_^A
次の日になっても、混乱してるのか?自分の名前とか連絡先とか思い出せなかった。
だけど、主治医だけは覚えてて
『○○主治医です』って言ったそうで。
病院の名前思い出すのに苦労したけど…
循環器の先生が一晩中ついていてくれたようで、転院する時も付き添ってくれました。
何せ、短パンにTシャツのままだし、喘息日記もない。
『喘息日記ないと怒られるし帰り困るんで、自転車もほしいし、とってくるんで家の前で待っててくれますか?』と言うと、救急隊も先生も声を揃えて
『状況を考えてください!』って怒られた(--;)
何で、これくらいの発作で怒られるんだろ…と不思議だった。


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