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トリップ -7
「陸、なんでもういるの?」
声をかけてきたのはあたるだった。あたるとは今日の13時に待ち合わせだ。時計を見る。まだ、11時だ。どうしてあたるがこの時間にここにいるのだろう。私は考えていたが、それはあたるも思っているはずだ。
「ああ、ちょっと久しぶりに大学に来たからちょっと周りでも見ようかな~ってね。あたるはどうしてこんなに早いんだ?」
私はそれっぽく答えた。そう、あたるがこんなに早く来ていたことに。それとも、何か理由があるのだろうか?だが、あたるは
「陸と同じだよ。ちょっと懐かしくてね。ちょうどこの時間だと学校の中をみて、学食でご飯でも食べようかとね。陸、一緒に食べない?」
と言ってきた。
考えすぎなのだろう。あたるとはもう長い付き合いだ。私自身少し予定は変わってしまったが、大学をあたると見回ることにした。
科学研究搭。ここの一室にあの「エンジェルミスト」のサークルをつくり上げたんだ。
「あがって見ようか」
あたるはやっぱり行動的になった。いや、何かが吹っ切れたんだ。そういう意味ではこの「エンジェルミスト」で一番良く変わったのはあたるかも知れない。
以前は、いや、あの「あたるが救急車で運ばれた」あの時は科学研究搭には入り口に黄色と黒のテープが張られて入れなかったが、今はすんなり入れるようになっていた。
「月日が流れるとかわるものだな」
私は今だったらここに入って「エンジェルミスト」を精製する事も簡単なのではと思ってしまった。二人してあの時使っていた部室代わりの倉庫に向かった。
木の古びた扉。何も変わっていない。金色の丸い取っ手の部分、金網の入ったすりガラス。まるであの日の、そうあの日のままだ。あたるが丸い取っ手の部分をひねる。
「鍵がかかっているね。陸ひょっとしてまだ鍵持っている?」
この倉庫を部室として使う時、鍵を作ったんだ。鍵は人数分作った。私は自分の家の鍵に付けている古い鍵を鍵穴に入れてみた。
がちゃん。
にぶい音と共に鍵が開いた。
「まさかあの時のまま鍵が一緒とはね」
私はそう言いながら、懐かしい倉庫兼部室に入った。
どことなく薄暗く、ちょっとほこりっぽい。でも懐かしい感じ。そして、ここに帰ってきたっていう安心感。そして、あの時あのエンジェルミストを使って、0.003mgのエンジェルミストを使ったときの感覚すら思い出させてくれた。月日は戻らないって解っている。けれど、私は願ってしまうんだ。あの頃に戻れたらと。いや、今でない世界を望んでいるだけなのかも知れない。そう、罪を背負うと決めた時から私はどこかに行きたがっているのかも知れない。だからこそ深く、深く沈みたいって思うのかも知れない。私はまた思いに身を任せた。
~回想 0.003mg 陸~
0.003mg
いつものように光の渦に吸い込まれていく。そして、優しい光が包んでくれる。一体あなたは誰?私は光に問いただした。
笑っている?泣いている?でも心地よい。何も解らない。
光の先にいたのは「私」だった。かつての私、いつかの私、まだ笑顔しか知らなかった頃の私。見たことない私。
「心配しなくていいのよ」
優しい声がする。
「大丈夫、一つになれるから大丈夫、一人じゃないから」
そういって、光は人のカタチになっていった。
「あなたは誰?」
母さん?いや、違うあんな母親なんかが出てくるなんて思えない。綾瀬?いや、まだ輪郭もはっきりしていない光の渦だが、何かが違う。ただ、私はその光の渦に優しく抱きしめられていた。心地よく、心地よく。世界がまわる。いや、急速に私がらせんを描いてどこかに連れて行かれそうだ。
うぅぅぅ。。。
目を覚ますとそこは家だった。いや、いつもの家と違うのは薄暗いことだ。父さんがいる。そして、子供の時の私がいる。
ああ、あれが始まるのか。鈍い音と共に激痛がくる。どうして、殴るの。どうして、蹴られるの。私はただ、待っていただけだ。嵐が去っていくのを。
「どうして殴られるの?」
どうして。だって、父さんの子じゃないから。だから憎いんだ。でも、だれも信じてくれない。父さんは人格者らしいから。誰も信じてくれない。誰も味方なんていない。ただ、時だけが過ぎていけばいい。母さん、助けてよ。でも、母さんはいつも助けてくれない。見ているだけ。いや、見てもいない。興味がないんだ。まるで、横にあるおもちゃ箱がひっくり返ったのと同じ。ちょっと音がうるさいだけ。普通に生活をしている。これがもう普通のことなんだ。もうイヤだ。イヤなんだ。
「今はどうしている」
そんなの決っているじゃない。体も大きくなった。殴られなくなった。変わりにスタンガンでビリビリされる。電流は抑えめ。ほら、体なんて傷だらけさ。
「見て、この傷だらけの体を」
暗い世界。でも、真っ暗じゃない。どこかに優しさがある。あの光に抱きしめられたから。だから耐えられるんだ。
光を、もっと光を、もっと、、、、
世界が明るくなった。いや気持ち悪い。なんだ、こう気持ち悪さは。
うぅぅ。
どこか休みたい。そっと何かが体に触れる。
「大丈夫?」
あの時きいた声とは違う声が耳に入った。そうだ、今は大学に来ていたんだ。現実はいつだって、私を連れ戻しに来る。いい夢を見ていても、悪い夢を見ていても等しく私を連れ去りに来る。いつも背後からひたひたと足音を立ててやってくるんだ。私は諦めて流れに身をゆだねた。
~現実 倉庫~
「陸、大丈夫?」
あたるが覗き込んでくる。どうやら私はこの声で戻ってきたらしい。懐かしい世界。私はどうもこの風景に連れ去られたみたいだった。あたりを見渡す。
倉庫の兼部室であったここは、最近だれもはいってきていないのがわかる。うっすらとほこりが一面に広がっている。一角を除いて。
そう、その一角は綾瀬がよく座っていたソファーとその奥にある棚。確かあのことがあるまではあそこに「エンジェルミスト」を入れていたんだ。あのあたるの事件が起きるまで。なぜ、そこだけほこりがないんだ。そこには「エンジェルミスト」はなかったはずなのに、そう変わりに違うものを入れたんだ。
「ねえ陸、なんだかあの時のままだね。
まるで時がとまっていたような感じ」
あたるがそういいながら、ソファーに座った。いつもあたるはソファーじゃなく、パイプいすに座っていた。時が経つとそういうことも懐かしく感じてしまう。私はパイプいすを組み立て、あたるの近くに座った。私はあたるに話しかけた。
「そういえば、綾瀬が買ってきたビデオって気がついたらなくなっていたよな。どこにいったんだっけ?」
私はずっと気になっていた。あのことがあって、最後は確かにばたばたしていた。けれど、あのビデオはいったいどこにいったのだろう。私はふとした疑問をあたるに聞いてみた。
「さぁ、知らない。ねえ、陸あの大量のビデオテープ掘り出しに行こうか?」
あたるはそういって動き出した。そういえば、埋めたときもあたるとふたりだった。もう、あの時は片岡は去っていたから。
「そんなに俺が信用できないのか。なら、出てってやるよ。今だから正直に言ってやる。俺はお前が嫌いだったんだ。ま、おれがこの「エンジェルミスト」を運営していたら、もっとうまくやっていたけれどな」
片岡は吐き捨ててそう出て行った。
そして、試験管にまだ残っているエンジェルミスト0.004mgを渡していって消えた。
確かに私も片岡が嫌いだった。だが、こうなってしまっては仕方がない。そういえばいつだっただろう。私が、呆けているときに、あたるから言われたんだ。
「全て終わらそう。この証拠のビデオテープも全て」
本当ならば燃やして全てを「無」に返してもよかった。けれど、どこかで残しておきたかった。あたるも一緒だから埋めることに何も言わなかった。私とあたるは用務員室からシャベルを取ってきて、校舎から離れた裏山の中に埋めた。
あたると学校の裏にある木々が茂っているところに行った。ここからは塀と、その奥に隔離病棟が見える。そういえば、この場所はなんとも言えない何かがある。私はあたるとこの場所でビデオテープを埋めるって話したときにも感じていた。やはり、今日来ても同じだった。私はあたるに話しかけた。
「そういえば、あたる迷わずこの場所を選んだよな。ちょっとした疑問だったんだ」
そう、あの時迷わずこの場所を選んだのはあたるだ。あの時は頭がぐるぐるしていたから、そんなことに違和感なんて思わなかった。いや、何かが引っかかっていたのは事実だ。だが、3年も月日が経って場所もうろ覚えになっても不思議じゃないのに、あたるはまっすぐに歩いていく。
あたるは振り返りながらこういった。意外だった。
「なにを言ってるの?この場所は思い出の場所じゃない。陸ってたまに記憶が抜けるよね。僕らより『エンジェルミスト』試しすぎてるから記憶が飛びやすくなってるんじゃない?」
あたるに言われてびっくりした。あたるとの思い出の場所。思い出せない。
「ほら、覚えていないんでしょ。それに、すぐに妄想したり、思い出にさらわれたり。確実に注意力は落ちていると思うよ。僕もそうだからよくわかる。それに、、、もういいじゃない。とりあえず、ビデオテープを取り出そうか。なんかタイムカプセルみたいだね」
あたるはそういいながら、ちょっと変わった形の木の根っこを掘り出した。そう、あの時、このくぼみが目に見えて怖かった。まるで、すべての罪を見透かされているかのように。そういえば、それよりも前にこの景色に見覚えがある。思い出そうとするといつも何かが邪魔をしてくる。私は痛みを振り払って深く、いつもよりもっと深い場所を目指して落ちていった。そう、もっと深く。
~回想 深い記憶の中~
「誰かいるの?」
あの目に見えたくぼみに隠れるように泣いている子供がいた。どこか見覚えがある風景。見覚えのある子供。いや、見覚えがあるのは当たり前だ。泣いているのは私だ。そして、その横にはあたるがいる。
そう、私とあたるはよくこの場所で、この大学の校外にある森でふたりで家に帰らずに隠れていたんだ。いや、二人だっただろうか。思い出せない。覚えているのは、あの時の私、あのときのあたる。
どうしても覚えていないんだ。なんか記憶にすごくもやがかかっている。父親から虐待を受けていた。それは覚えている。よく、あたるとこの場所で泣いていた、そのも覚えている。いや、笑っていた。この場所はそういう場所だった。
それも少しだけだが、何かあったことを覚えている。だが、何か思い出そうとすると私は何かがそれを妨げる。
ある程度の過去になると記憶が曖昧になる。いや、どこかでロックがかかっている。
これ以上は思い出してはいけないということを。いや、私はどこかでこの記憶の先を見た記憶がある。そうだ、エンジェルミストを使ったときの光の先。そう、その時ここにいたはずだ。
深い、深い記憶の中。閉じ込めた記憶。光の中で手を伸ばした。何かをつかむために。一体何を。何かが聞こえてくる。聞きなれた声だ。そう、覚えている。私はこの場所を、この声を。そして、知っている。後もう少しだけ光の中へいきたい。誰かが私を呼び戻す。ああ、もう現実に戻されえる時なんだな。そうひたひたとまた足音が聞こえるからだ。
~現実 足りないビデオ~
「陸、手伝ってよ」
あたるに言われて私はトリップから戻ってきた。たしかにあたるに言われてから気がついた。私はトリップが激しいかもしれない。それに、記憶が吹っ飛ぶのかもしれない。いや、違う。多分どこかで私は今を受け止めていないのかも知れない。そういうものだ。私はもう過去には、あの頃の私には戻らないと決めたんだ。しっかりしないと。私はそう自分に言い聞かせた。
「ああ、ごめん。やるよ。それと、あたる、思い出したよ。この場所。昔よくあたるとふたりでここにいたよな。あの時ふたりだけだっけ?」
私はシャベルで穴を掘りながらあたるに話しかけた。だが、あたるの手が一瞬止まった。一瞬かも知れない。でも、空気が凍った気がした。少しの沈黙の後、あたるが話し出した。
「僕も陸みたいになりたいな。でも、僕は陸になれないし、片岡にも、綾瀬にもなれないものね。ま、あの時に比べたら強くなれたよ」
あたるはそういって、また穴を掘り始めた。少しすると鉄の箱が出てきた。その中を開けると中身がすべてなくなっていた。その代わりに手紙が入っていた。
「この中にビデオが2つ足りなかった。十一月にニ七日に持ってきて」
とだけ書かれていた。
一瞬あたるとふたりで固まってしまった。
「あたる。この場所知っているの二人だけだよな」
不安な私の声がただ響いていった。でも、私は1つだけしかこの中からビデオは抜いていない。2つ足りないということは私の知らないビデオがもう一本あるということだ。ということは私が持っているビデオには続きが撮られているのもがあったのか。見てみたい。でも、誰が抜き取ったんだ。
私はあたるの顔を覗き込んでみた。蒼白だった。ビデオがないからなのか。それともこの手紙におもいあたることがあるのか。明らかに何か違和感があった。けれど、それが何かわからなかった。ただ、ふたりして言えたこと。それは明日何かが起きるということだけだった。
あたると気がついたら分かれていた。いや、私は一人になりたかった。そう、もう一つ回収しておきたいものがあるからだ。私はもう一度倉庫に向かった。
ほこりが充満しているこの倉庫はどうやらあの時を境に誰も使わないようにしていたらしい。それなのに鍵が変わっていない。不思議なものだ。まるで目を閉じたらあの時に戻れるみたいだ。
私は少し懐かしく綾瀬の特等席であったソファーに座ってみた。すこし姿勢悪く座る綾瀬にはこの倉庫は、いや私たちが過ごした部室はこう見えていたんだ。
私はそう思いながら薬品棚の奥に手を伸ばした。そう、この棚は中敷があって、奥に少しだけスペースが出来ている。私は綾瀬とホテルに行ったその日にここに隠したんだ
そうあれを。
~回想 分岐点~
「陸もお風呂はいってくる?」
綾瀬がそう言いながらベッドに寝転がりながら撮っていたビデオを再生していた。多分独りで見たいんだろう、いや、確認したいのかもしれない。私はそう思ったから、アワアワになった湯船につかろうと決めた。そういえば、綾瀬は私になにを聞いたんだろう。
ふと、思った。
「エンジェルミスト」の作り方なのだろうか。なにを聞かれたのかなんて0.002mgの時と違って何も思い出せない。シャワーを浴びて外に出ようとした。
「はい、陸バスタオル。ってか、先にバスタオルとか確認してから入ってよね」
綾瀬がバスタオルを投げてきた。そのときの綾瀬の顔はいつになくかわいかった。心臓のドキドキだけが私を埋め尽くしていった。単にのぼせているだけなんて思えないくらいに。手を伸ばして綾瀬を抱きしめそうになった。でも、その伸びる手は綾瀬の発せられた言葉が私を凍らせたんだ。
「陸は私のあのこと知ったんだよね」
私は綾瀬が触れられたくなかったところに触れてしまったのかもしれない。なんて返事していいかわからなかった。知りたかったんだ。綾瀬がなんで「エンジェルミスト」を使うのか、なんで「リスカ」をしているのか。確かにこんな形で聞くことは間違っていたかもしれない。
でも、知りたかったんだ。もっと綾瀬のことを。でも、口から出た言葉はただ
「ごめん」
だけだった。そんな饒舌になんて話せない。思いなんてすべて言葉に出来たら苦労なんてしない。いや、すべて言葉になってしまったら多分人となんて接することなんて出来ないかもしれない。私はただ、頭の中がぐるぐる回っていた。
「いや、別に謝らなくていいよ。いつか陸には話せたらって思っていたから。聞いてこなかったからね」
綾瀬はそういいながら、かばんから錠剤を取り出した。
「安定剤」
綾瀬は飲み込みながら話し出した。昔付き合っていた彼氏のこと。彼氏との間に子供を授かったこと。彼氏に子供が出来たことを話そうとしたら、彼氏から先に別れ話を出されたこと。別れの理由は浮気相手に子供が出来たこと。ただ、その彼氏が金持ちだったため、お金ですべてを解決されたこと。それから、男性が信用できなくなって、何度も付き合っては
「子供が出来たの」
と言って相手の男をあわてさせてお金をもらうようになったということ。このビデオもそのお金で買ったということ。
「最低でしょ、私」
綾瀬はふるえながら、泣きながら話していた。私は、そっと綾瀬の横に座った。
「最低じゃないよ。それにもう自分を責めないで。そのはじめの男性を忘れられないんでしょ」
私は不思議と思ったことが口に出せた。いや、考えた言葉じゃない。いつもは考えてから、頭の中で何度もリピートしてから話していた。特に綾瀬には。でも、このときは、不思議となぜそう思ったのかわからないけれど、口からそう出たんだ。
「陸、案外人みてるのね。忘れられないのかも。だから、このネックレスにずっとつけているもの」
そういいながら、胸につけているネックレスを綾瀬は見せてくれた。そこには指輪がぶら下がっていた。
「これ、その彼が私にくれたものなの。なんか初めてバイトして、自分で稼いだお金で買ってくれたの。ホントかどうかはわからないけれどね。でも、私にとっては宝物だったわ。ずっと捨てられなかった。ねえ、陸。私なんか今日陸にはなしたら少し楽になれたわ。これ、私の代わりに預かっててもらえないかな」
綾瀬はそういって指輪を投げてきた。
「え?」
なんだか複雑だった。綾瀬のものだけれど、持ち続けたくない。私はそう思ったから部室の隠し場所にこの指輪をそっとしまったんだ。そう、立ち入り禁止になっていたこの部室に夜中忍び込んだんだ。校外にある木を登って、塀に登って、校内の木に飛び移って。そして、隔離病棟から屋上に上がって、屋上を歩いていく。そして、あの倉庫がある窓の近くに木に飛び移った。
まるで初めてじゃないみたいにスムーズにいけた。木登りなんてもう長いことしていないのに。そう、あの頃以来。あの頃はいつだったかな。もうそれすらも曖昧な記憶になってきている。けれど確かにあの時も同じようにこうやって木をよじ登っていたのを覚えている。
私はいつもの倉庫に忍び込んで、指輪をそっとしまった。その代わりにそこにおいていた違うものを取り出したんだ。
そう、それは私が取り損ねていたものだったから。私は手を伸ばした。感覚が違う。求めていたものと。ひたひたとやってくる現実は違って、強烈に戻された。この現実に。
そう、まるでエンジェルミストを使った後に、現実に強制的に戻されるみたいに。
どれだけ手を伸ばしてもあの光には戻れない。そう、過去に戻れないのと同じように。
私は手に触れた違和感を感じていた。
~現実 過去への扉~
記憶の渦から呼び戻された。そう、手にある感触が記憶と違ったからだ。この場所に指輪が二つあった。どうしてだ。私は取り出した指輪を見ていた。一つはあの時綾瀬が私に渡した指輪だと思う。多分そうだと思う。自信はないがそうだと思った。
もう一つは、その指輪と対をなしそうな感じ。一回り以上も大きい。
「男物だよな」
私は気がついたら独り言を言いながら自分の指にはめて確かめていた。ちょうど自分のサイズだった。私は不安になって帰っていった。そう、あの時のままに走り出した。気がついたら忌み嫌っていた実家にたどり着いていた。
実家は閑静な住宅街にある。石垣のある周りを歩いて門のところに来た段階で気がついた。どうしてここにいるのだろうということに。だが、戻ろうとしたときに声を変えられた。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
紺のブレザーを着た、少し背の低い女の子がそこにいた。不思議そうに私を見ている。
その目はくるんとした大きな目だった。少し小さな唇がびっくりしたのか閉じられずにあいたままになっていた。
妹の亜弓だ。義理の父と母親との間に生まれた妹。ちょうど今高校生だ。部活か何かをしていたのだろう。大きな鞄を重そうに抱えていた。あのことがあってから実家には寄らないようにしていた。私が唯一できることはそれくらいしか思いつかなかったからだ。
だからこそ、いきなり何も言わないで実家にやってきた私を妹がびっくりしたのだろう。私は妹に向けてこう言った。
「ああ、ちょっと近くまで来たから。でも、もう帰るよ」
実家にはどことなく居場所がない。他人の家より他人っぽいからだ。実家に帰っても、自分の部屋に閉じこもるだけ。自分の部屋。
まだ残っているのだろうか。
私はふと残っているのならば、ビデオデッキがほしいと思った。あれがあれば、この手に残っている、戻せなかったビデオがもう一度だけ見ることが出来る。だが、実家に入るのはどうも抵抗がある。あのことがあってから、父親は私には触れようとしない。それはある意味の救いなのかもしれない。気になったから、妹に聞いてみた。
「なぁ、亜弓さ。お兄ちゃんの部屋にあったビデオデッキってまだ残っているかな?」
一瞬、妹は悩んでいた。多分私の部屋になんて入らないのだろう。それとも、出来損ないの兄のようになるなとか家で言われているのかもしれない。なんか自分のいなくなった実家の家族団らんを想像するとちょっと不思議だけれど面白かった。想像していると妹が答えてくれた。
「あ、確かまだあるはずよ。もう、お兄ちゃんの部屋はお母さんが使っているのね。部屋をちょっと改造するときに確か動かしたはずよ。まだあるのなら離れの納戸にあるんじゃない。じゃ、私宿題あるから先に家に入っているね」
妹はそういって家に入っていった。離れにあるのならば、家族に会わなくてももって帰れそうだ。私は納戸に向かった。
母屋から少し離れた所に納戸はある。石段を上がると古い木造2階建ての納戸がある。捨てるのもどうか悩むものや先祖が残したものがしまわれている。ひょっとしたらお宝の掛け軸や壷が出てくるかも知れないが、父親は興味すら持たなかったらしく、子供の頃からこの納戸には鍵をかけていなかった。あの時から月日は経っていたが同じく木で出来て、取っ手部分が黒い鉄で出来た扉には鍵はかかっていなかった。私はぎしぎしと音を立てながら納戸の扉を開けた。中はほこりが充満していた。そういえば、今日は学校といい、納戸といいほこりに縁があるな。そう思いながら、電気をつけた。
目に付いたのは大きな棚だった。
そういえば、この家に着たばかりもこの納戸によく来ていた。深く、より深く記憶の海に身を沈めていった。心地よく、深く。
~回想 深い記憶 はじまり~
「なんかすごい広い」
この屋敷に来たのは幼稚園児のときだった。いや、小学校に入学するかどうかの時だったはずだ。そう、小学校はこの屋敷から行ってたからだ。それまで、私はこんな庭がある家なんて見たことがなかった。アパートに母親と二人でいた。この家に来たとき私は自分のおかれている環境なんてまだわかっていなかった。いや、ただ、この目の前にいる人に嫌われたら、またあの暮らしに戻ることだけはわかっていた。だから、すごく目の前にいる人の前では「いい子供」を演じないといけないことはわかっていた。だから、はしゃぐなんてこともなく、じっとおとなしくしていた。自分の気持ちを抑える。いや、自分に言い聞かせていた。
そんな子供もいやなものだ。だから、納戸に隠れるようにおやつを食べていた。粗相があってはダメだと思っていたからいつも隠れるようにしていた。お菓子もこぼれないようにこっそり。ずっとおとなしい自分でいているのが辛かった。
新しい父親と呼ばれる人の理想の子供を演じ続けないとまたあの前の生活に戻される。そう思っていたからこそ、どこかに自由が欲しかった。
どこか走り回りたい。いや、何も気を使わないでありのままでいたい。いつしか納戸も怖い場所になった。誰かに見られるかも知れない。
家から少し離れたところにある森までいっていた。そう、そこであたると出逢ったんだ。いや、もう一人私はそこで出逢っている。白い服、黒く長い髪の子。顔が思い出せない。彼女はその森からみえる建物にいた。
私も、あたるも少し年上っぽくみえるその子の話をいつも聞いていた。こことは違う世界があって、その世界は光に満ち溢れている。その世界はみんなを受け止めてくれるって。
そう、光のその世界をずっと夢見ていたんだ。私も、あたるも、そして、その女の子も。私たちは毎日、この場所で話し合った。
解っていた。
みんな何かを抱えている。同じような背丈。この小さな体で多くのものを抱えている。だからいつも思っていた。こことは違う世界を夢見ていた。ああ、あの時から光あるれる世界を求めていたのかも。「エンジェルミスト」を作りたいって思ったのはこの時がキッカケだったのかも、しれない。
「痛い」
痛みとともに私は強制的に現実に連れ戻された。ひたひたと後ろをただ歩くだけじゃない。現実は私の肩をぐいっと引っ張るように強引に戻すんだ。この世界は私がいる場所じゃないって。
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