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milkyの心のままに独り言
心の病気・体の病気
24才の時に発病しました。過呼吸発作から始まりました。
不安やストレスから、息苦しくなって自律神経がおかしくなって
酸素を吸いすぎて、手足がしびれ動けなくなるんです。
私の場合、仮面うつ病とかで、無意識に感じてるストレスで、
体の中で異変がおきて、胃潰瘍に、胆のう炎・そして婦人科系の病気
二度の手術の後・・今は気管支喘息なんですよ
でも、最近少しだけ、自分に優しくなれました。自分の心の声に、
耳を傾ける事、とても大切です。失ったものも沢山あるけど、
私はその分、沢山のものを得る事ができたと思っています。
このページで、病気について色々お話できたらと思います。
そして、同じ様に苦しんでいる人達のお役に立てばと思います。
26才の春 桜の季節
私は病棟のベッドに上に居ました。GW明けに手術を控えて。
〔子宮内膜症〕私につけられた病名。女性にしか解らない生理痛(泣く
そして、その痛みは限界を越えて恐怖にすら思えていたのです。
まだ若かった私を心配し、手術を先生もためらっていた様子でしたが
自主的に手術を希望しました。基礎体温を数ヶ月つけた結果、
覚悟がついたから。そして、離婚した事に対して、子供達への(償い)
私の中には迷いも感傷も無かった事だけは確かです。不思議なくらいに。
ただ、ひとつ心に感じていたのは、五体満足で生んでくれた母へ申し訳なさ
私の母も新しく家庭を持ち、子供を産み、別々に生きていたから、今更
私の事で迷惑をかけたくなくて、でも、手術には同意書は不可欠・・
母はどんな思いで、サインをしたんだろう?その場所へ足を運ぶのは
辛かった事に違いないと痛い程感じた私です。母とは2才の時に別れたので。
手術の朝、母はベッドの横に居ました。点滴台に繋がれた私の横に。
子宮の全摘出、そして卵巣の摘出へ向けて、時は動き出していました。
手術室へ向かう、ストレッチゃーに乗り、母へのVサイン
私にできる唯一の、精一杯のゴメンの気持ちだったかもです。
麻酔から覚め、気が付くとそこには・・母の姿はありませんでした。
頬を伝う熱いものは、安堵からだった様に思います。泣きたかったのかな?
今、内膜症という病気の女性がすごく増えていますね。婦人科へ行く事は
少し勇気がいるかと思います。でも自分の体を大切にして下さい。
あなたが感じている痛みが、少しでも、いつもと違ったり、何か不安を
感じたら迷わず・・病院へ行って下さい。それは、あなたの体が
あなたに〔サイン〕を送っているのです。どんな時でも早期治療が大切
女は子宮で物を考える・・それは嘘です(笑)私は、右の卵巣をわずかながら
残す事が出来ました。その為に今も・内膜症の痛みに時々襲われはしますが
女性として、人間として、それなりに生きています。自分に負けない心・
支えてくれた全ての人達に感謝です。ありがとう♪
そして、今度は、ここに載せた私のメッセージが、誰かの心に届けばと
本当にそうであって欲しいと思います。
追伸 どんな時にも大切なのは、自分自身です。泣きたい時は
素直に涙を流せばいい。人はいつでも自分を生きるのだから。
心の病気(うつ病)
24才の夏 動悸がやたらと激しくなって、呼吸困難のような状態が続き
その前に扁桃腺で高い熱を出したりしていたので、内科で受診をした。
〔最近何か嫌な事なかった?〕医師からそう聞かれ答えに戸惑った。
内科的には問題はないのだけれど・・神経精神科って行った事があるかな?
そう医師の言葉は続き、私はどんどん困惑するばかりだった。少しの沈黙。
体に起きている異変が、精神的なものと一致しない自分がいた。つまり・・
現実逃避かも知れない。依頼状を手渡され、精神科の外来へ行ってみた。
心理テスト、脳波の検査、そして医師との面談。生い立ちから、家族構成
今に至るまでの事、色々聞かれた。中には話したくない事も、正直言って
あったりした。医師とはいえ他人であり、それが治療だとも解らずにいた。
〔心身症〕病名としてつけれた。頭をよぎったのは、日航機の墜落事件で
名前が報じられたK機長。私は飛行機を墜落させた人と同じ病気?
かなりのショックだった事は確かで、その日が精神安定剤なるものを
口にした日でもあった。ひたすら泣いた。涙がかれる程、そして自分でも
呆れる程涙した日々・自分を責め、自分自身の存在迄否定する私が居た。
〔生きている価値がない〕病気を受け入れられず、苛立つばかりで全てに
失望した気がした。死にたい・・心の叫び!ただそれだけだった様に思う。
或る日、あなたが自分を否定する事は、此処に居る全ての人を否定する事に
繋がると医師からひどく叱られ、私はコトバに詰まった。正にその通りで
恥ずかしいと心から反省させられた瞬間だった。少し心が楽になれた気も
する・病気を受け入れる事。とても勇気がいるし時間もかかる。まして心は
見えないもの。でも、全てそこから始まるんだよ。病気を受け入れなければ
先生との信頼関係も生まれない。薬を飲む事にも否定的になったりする。
不眠、パニック症候群、離人症候群。自律神経失調症。ノイローゼ等
さまざまな病名を付けられたけど。半年後、私はある程度回復した。
今も投薬と年に2度のカウセリングに通っている。仮面うつ病が潜んで居る
から。ストレスを感じたら、少し休んでみるのもいいかも。それは怠ける事
ではなく、心のメンテナンスだと思う。先進国と云われながら、日本では、
まだ理解されていないけど、風邪をひくのと同じ様に、心も病気になる事
もある。決してひとりで悩まずに、医師のもとへ行くべきだと思う。
良く解らなければ内科でも構わない。頑張る事は大切だけど、
頑張っても空回りするだけ事もある。自分を大切にする事。それが基本!
追伸
私が、自分を否定してしまった事・あの日の事を、今振り返って
本当に心から謝罪したいと思います。ごめんなさい。希望は絶対あります
27才の冬 胆のう炎にて入院
その痛みは胃痙攣に似ていた。気のせい?サクロンという胃薬を飲むと
幾らか和らいだけど、やっぱり病院へ。精神科へ通っている事を話すと
様子をみましょうと言われた。でも痛みに襲われると呼吸もできなかった。
或る日食事をすまし、少しすると脂汗が出てきて、のたうち回るという言葉が
ふさわしい状態になったらしい。幸いにも友人と一緒に居る時の事だった。
友人には迷惑をかけてしまったが、救急車を呼んでくれて、胃痛でかかった
日赤へ運ばれた。すぐに点滴と、レントゲン、エコー、採血などが行われ
その頃痛みも治まりかけていたが、緊急で手術になるかも知れないと言われ
胆のう炎という病名を聞かされた。数日前に内科にかかった時の事を話すと
痛みについて、訴えなかったからだと言われた。死ぬよ!とも・補足された。
精神的なものでは無かった。また同意書が必要。憤りを感じつつ、本当に
手術をしないと駄目なのかと、確認すると、それ以外に方法はないと言われ
しかたなく母に電話した。母に再会してからというもの、こんな事ばかりで
言い出しにくくもあったが、意を決してお願いをした。了解を得たけれど
やはりすぐには来れない。当然だ。緊急手術だけは、何とか避けられる様
祈るだけだった。翌日から検査と絶食の日々。水すら飲ませて貰えなかった。
口の中に氷を含み、しめらしたら氷は吐き出す。その繰り返し。日増しに
体力もなくなり、トイレに行くのもようやくになった。そして担当医から、
聞かれた質問は、最近嫌な事なかった?ストレスが原因の様なんだけどと
付け加えられた。確かに年齢的にも、体系も細く、胆のうに石がつまるのが
不思議に自分でも思えた。嫌な事?取りあえず、入院しながら、不自由で
ある事も嫌な事ではあったけど(苦笑)私は悪戯に手術の日々を伸ばしていた
痛みもなく、食事がとれない他に問題はなかった。毎朝、担当医に、そろそろ
何か食べてみようか?とか、今帰ったら、必ず病院へ戻ってくるよと繰り返し
手術を勧められた。仕方ないな・・諦めの境地で、手術をしたら一週間
で退院する条件で、手術の日程を決めた。胆のう造影、ストレッチャーで
運ばれる時、同意書にサインを求められた。目を疑ったけど、体に点滴を
入れる事で、拒否反応が起きるとショックが起きて、危険らしい。そして
サインして30適を越えた当たり、気分が悪くなり、点滴は中断された。
胆のうの手術の日がきた。看護士から、嫌な報告を聞かされた。日赤には
担当の看護士が付くシステムが導入されている。メンタルな部分もケアして
くれるのであり難い事に思えた。嫌の報告・・胆管事摘出するので、管を
生涯外へだしたままになるかもと・・つまり空洞の中に管を埋め、外へ
分解しきれないものを出すのだ。なかなか手術に同意しなかったから、
医師も言い出しにくかったのかもしれない。敵も勝る者かも(苦笑)
ICUに運ばれ、手術の流れを聞いた。私の顔から血の気が引いたらしく
気弱になった自分に苦笑した。手術が終わり、医師の呼びかけが聞えるが
反応できない自分が居た。死んでいると勘違いされたらどうしよう?麻酔の
効いた頭であれこれ考える。気が付くと鼻からもチュープが入っていて
色んな器具に繋がれていた。私の胆管は?うまくいったよ・・先生の言葉に
安堵した。婦人科の手術から1年も経っていなかつたので、前より回復も
遅く、体力的にもかなり衰弱していたから、思う様に動けない。ベッドの上で
寝返りをしながら、リハビリーも兼ね腸の働き良くしなくては、ガスが出ない
ガスが出ないと水も飲めないのだ。気持ちだけが焦った。4日間が過ぎ病棟へ
戻る事ができた。退院迄あと3日。本気か?絶対してやるぅーー傷は見ては
いけないと言われていたが、トイレでこっそり見た。たこ糸みたいで黒い糸で
きれいに傷を縫っていた。医師に感謝。心からありがとう。そこに愛を感じた
そして抜糸の日、よく頑張ったねと、医師と、看護士から激励の言葉に感激
2ヶ月近い入院生活に終止符。食事制限という課題を抱え、そしてこれも
仮面うつ病の仕業だという事を認識しながら。そして命あっての事だから、
もっと自分を大切にする事を自覚したものだ。懲りない私なりに感じた。
追伸
痛みについてだけど、九割気のせいという事は有りえない。うつ病でも
痛みは別。ありのまま医師に伝達する事を勧めます。今、心の病に対しても
社会的に理解されてきています。まだ遅れてはいるけど、私達の権利は主張
すべきだと思います。そしてもっとこの社会に浸透していく事を願わずには
居られません。お互いに努力しようね。偏見や差別のない世の中を目指して。
29才の春 気管支喘息
この頃、私は多忙で、今振り返れば、働きすぎだったかも。風邪ぎみで
市販の薬を飲み、それでも治らず通院しながら、仕事詰めの日々だった。
二つの仕事を抱えて居て、休むに休めない状態の中、毎晩布団に入ると
ひどく咳き込み、時々呼吸ができないくらい、咳き込む事もあった。
そんな或る日、病院へ行くと、ひゅーひゅーと胸の辺りから音がして
〔喘息だね!前から喘息だったの?〕と医師のコトバ。唖然とした。
過去遡れば、子供の頃そんな事もあった気がするけど、喘息という診断を
されたのは初めてだった。〔どうしたらいいんですか?〕素朴な疑問をぶつ
けると、薬を飲み様子を見る事になった。でも一向によくなる気配はなく
昼間もよく咳き込む様になった。薬が切れて、喘息をなめていた私は
台風一過の良く晴れた日。路上で呼吸困難になり動けなくなった。
通りかがりの人が、救急車を呼んでくれたらしく、病院へ運ばれた。
〔死にたいのか?喘息は薬を切らしたら駄目にきまってるだろう!〕
めちゃくちゃ怒られた。死にたくはないけれど、そんなに大変な事だという
事にこの時初めて気づき、肺炎にもなりかけていると云う事で入院をした
病棟で苦しくて咳き込んで居ると、看護師に今度は怒られた。
何年喘息やってるの?寝たら苦しいに決まってるでしょ?
その言葉に反論したいが、息苦しくてしゃべれない。悔し泣き状態の私
どうやら、喘息は座っている状態が1番楽な姿勢で、水分を摂り、痰を出す
事で発作を乗り越えるという事らしいとその時に学習した。
喘息発作という事の認識。喘息は普通の時の状態という区別。そして、薬を
切らせないという事。成人喘息は完治しにくいと云う事。入院生活の中
色々学習した。でも病気を受け入れたくない自分がいて、仕事もあるし、
色々悩み、この時胃潰瘍にもなってしまった。タール便が出て、胃の辺りが
どんよりした感じが続き、胃のレントゲンを撮り発見された。二つの穴が
開いていたらしいけど、幸いにも胃潰瘍は、薬を飲む事で完治した。
今迄は切れば、手術さえすれば、克服できた病気だけど、気管支は手術
できない。私は又、ひとつ病気を背負うのだ。そして発作がくる度に
激しい苦しさに見舞われる。嫌えば嫌うほど、発作に襲われた。神意的な
ものも大きく関っている様だ。喘息の本を読みあさった。死にたくないと!
死にたい!が交差している感じで、発作がくると生きる為に必死になる自分
そして発作から解放されると、死にたいと思う自分。矛盾しているけれど
まさにそういう表現がふさわしかった。病院も何度か変わてもみた。
そして今も通院している訳だけど、そこで兼村先生という尊敬できる
医師と出会えた。どんなに多忙であっても、患者の話に耳を傾け、
目を見て話をしてくれる。〔僕は、お手伝いをするだけで、自分が自分の
主治医にならなくては・・・〕この言葉が私を勇気付けてくれた。
ピークフロー(筒状でメモリがついていて、肺活量を測る)による
自己管理。薬を飲む前と、飲んでからのピークフローをグラフにして
危険なラインを見極める。私はステロイドを常に服用していない。
スプレータイプの気管支拡張剤も使っていない。状態が悪い時だけ
頓服でステロイドを飲む様にしている。あとは、朝夕、気管支拡張剤と
抗アレルギー剤と、去痰剤を飲んでいる。気管支拡張剤は、即効性の
あるものと、効き目が長く穏やかに効いてるものを兼用している。
それと、吸入する為のコンプレッサーを持っている。スプレータイプの物は
低血圧で頻脈の私には不向きで、使用していない。喘息も千差万別。
人それぞれみんな違う。私は普段、ピークフローの数値が高く、呼吸も今は
乱れる事もなく暮らしている。腹筋、背筋を鍛え、複式呼吸の練習もしてる
複式は歌を唄う時の呼吸。最近は風邪に気をつけて、疲れない様にする事で
かなりコントロールがてきる様になった(笑)喘息になってから、自分を大切に
できる様になった気がしている(無理がきかないのが本音)一病息災
喘息に対しても、そんな風に意識を代えられた。
喘息の患者さん・ここ数年増えているけど、喘息は、自分の状態を認識する
事が大切です。その中でなんとか折り合いを付けられれば、悲観的にならずに
やっていかれると思います。私は小児喘息の子供達から、勇気や元気を
沢山もらいました。同じ様に喘息と戦っている皆さん、喘息って辛いけど
自分の心に耳を傾け、自分を大切にする事で、少しは楽になれます。
そして発作と戦うパワーを備えて下さい。生きて居る事を感じながら・・
投げやりにならずに、諦めないで、一緒に喘息と戦いましょう(笑)
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