milkyの心のままに独り言

パンドラの箱 最終章



どれくらいの時間が流れたんだろう?施設の中での毎日は、決して孤独ではなかっ

た。他愛のない悪さをして、よく先生に叱られはしたけど、自分に正直でいられた

気がした〔ごめんなさい〕反省の言葉、心から感じた時に口にする言葉〔ありがと

う〕感謝の言葉、自然に口から出る言葉。私はその二つの言葉の意味を取り戻し

た。時々父親から、手紙が届き、そこには、また一緒に暮らせる時がきたら、今度

こそ良い父親になろうと思うと書かれていた。馬鹿ではなく、君という言葉で私に

書かれていた文字。頬を涙が伝うのを感じた。私が受けた心の傷は、こんなもので

片付けられてしまう程簡単ではなかった。手紙が届く度に虚しさがこみ上げてき

た。虚しさという表現。それが的確に思える。そして、あの日無くなった筈の通帳

も押入れから出てきたらしいが、それがなくてもいずれは・・そんな曖昧さでごま

かされた。高校受験に向けて、父親から引き取りの申し入れがあった。高校ぐらい

は・・そう思ったのかも知れないけど、私はきっぱりと断った。今でも鮮明に覚え

ている。自分が先生に伝えた意志。今度戻ったら、父が私を殺すか、私が父を殺す

かどっちかしか無いかと思うから、帰らない。先生は頷き、お前がしたいようにす

ればいいと肩を叩いた。15才になった私が口にした言葉は残酷だったかも知れな

い。でもそれは本心で、私が1番望まない予測される結末だった。そこから高校へ

進学する子は少ない。でも私は定時制を受験した。馬鹿ではない証。浴びせられた

罵倒を一つづつ拭い去る作業。ひとりで生きて行くための作業。心の中の掃除。親

子という感情があるから甘えが生まれ、何かを期待し裏切られた事に傷つく。他人

だと思えば、期待する事も傷つく事もないのだ。私は、父親を他人にしてしまっ

た。父が祖父を恨み続けた様に私は生きたくなかった。退院も近づいた頃、定時制

も合格し、就職先も見つけられた。施設には沢山の悲しみがあった。みんな自分の

心の中でそれぞれに戦い、自分の心と折り合いをつける。でもその階段を上るには

幼すぎる気もした。自分だけが辛いのではない。私は施設で暮らした事を良かった

と思っている。それは今でも変わらない。社会と切り離された場所ではあるけど、

私はここから出る日、感情のままに泣いた。仲間や先生達と別れたくない。本気で

そう思った。私が居てもいい場所。そこは私にとっての居場所だったんだ。でも留

まる事は許されない。社会の中で生きなくては。去年何十年かぶりにその場所へ行

ってみた。懐かしさと、あの日その門からどんな思いで、出てきたのか、過去の自

分に出会った。私はひとりで生きるって決めて、あの門を出た。不安を拭い去る様

に、あの門を出たんだよね。そして父親と他人になる事を決めた場所。そこは、今

の私の出発点になっている。恩師の言葉の中に、自分の事だけしか考えられない人

間になるなっていうのがあって、それはとても難しく、生きる中で私の永遠の課題

になっているけれど、その言葉は今も生きている。虐待が何故いけないか・?それ

は自分の心に問うべき事。憎しみからは憎しみしか生まれないのなら、繰り返すの

はやめよう。私の中のパンドラの箱、それは自分との戦い。過去を断ち切る為の。

新しく自分を生きる為の戦い。私は父親という人を、今は憎んでいない。可哀想だ

と思っている。そして親としてではなく、人として彼のした事は、やはり間違って

いたと言切れるから、私は同じ過ちをしない。弱者を自分の気持ちの当たり所にす

るのは、その人間は弱虫だから。自分の心と向かい合えないから。そして、この瞬

間も、何処かで行われている虐待が、一つでも減る事を強く願っている。苦しんで

いる子供達が救われる方法を、私の経験から模索できたらと思う。虐待のチェーン

を断ち切る事は、きっとできるから。私の転機とし、書き上げる事を支えてくれた

方々、心から感謝します。長い人生色んな事があります。辛い事も自分の意識の持

ち方で、前向きに置き換える事もできます。貼られたレッテルをはがす事は可能な

んです。失敗しても後悔の少ない日々を、生きられたら人は幸せですよね。












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