あひるの日記

あひるの日記

礼拝のメッセージ2004/7月分


《内なる人の成長》  エペソ3:16
救い主イエスを生み出すという使命のために選ばれたマリアは、息子イエスと共に受難の道を情熱を持ってその使命に答えていった。
ルカ2:34~35で、シメオンによってイエスに対する預言が与えられたが、マリアはこれらのこと一つ一つを心に留め、「私はこれらの出来事を見届けます」と宣言した。
私たちはイエス様を信じた時点で、イエス様によって新しくされ、「新しい自分」が生まれ、「古い自分」との戦いが始まる。
内なる人は、徐々に戦いながら聖霊によって成長していく。
神様は、私たちの霊と魂を成長させ、内なる人を強めようとされる。
あらゆる試練・困難・病が私たちの内なる人の成長の糧となる。
マリアは内なる強い人を作った女性だった。
私たちの信仰生活の中で、「そのところに踏みとどまる強い意志」を選び取って強い器にしていきたいと神様は願っておられる。
神様の愛と恵みを吸い込むためには?
⇒神様の愛・励まし・力・祝福を求める。
「私には力がない。」と思うから、求めていく。

7/11(日)のメッセージ
今日は、海岸での野外礼拝となりました。

ヘブル12:2  《イエス様から目を離さない》
私たちの人生の文化的背景には、 「恥の文化」 「良識の文化」 という2通りのタイプが考えられる。
私たちは、この文化的背景によって、人生の目の付け所が変わってくる。
「恥の文化」で育ってくると、「こんなことをしちゃいけない。」と考え、自分どころか、他の人の欠点をあら捜しする思考パターンになりやすい。
一方、「良識の文化」で育つと、いいことを積極的に考え、他の人の良い点を見つけ出し、それを取り入れようとしていく。
新米パイロットを教育しているある方は、滑走路への着陸を指導で「こちらの方向に行くといいですよ。」と指導していくが、新米パイロットたちは、危ない所に目が向けすぎて降りようとしてしまうという。
私たちの生き方においても、新米パイロットのような思考パターンがあるのでは?
イエス様から目を離さないでいることで、私たちはやがて勝利へ導かれていく という約束を握っているのである。
第2コリント5:17では、イエス様にある私たちは「新しく造られた。」と書かれている。
つまり、私たちがどんな背景で育っていようと、イエス様を信じ受け入れたことによって、 イエス様は私たちを新しく作り変えて下さる のである。

7/18(日)のメッセージ
奉仕による礼拝  第1ペテロ4:7~11

奉仕 とは?
 ⇒1.慎んで仕えること
  2.神に仕える
  3.国家・社会・他人のために仕えること
  4.商品を安くすること

 私たちは、いつ神様のために働かなくてはならないか?
 いつ休みがあるか?
 といったサラリーマン的発想のクリスチャンであってはならない!
 クリスチャンは1日8時間労働というものとは異なる。
イエス様と共にある1日は、神様と一緒にある。
 神様は、私たち一人ひとりを救ってくださり、導いてくださる。
 神様は、「私のために誰か働いて下さる」よういつも願っておられる。
 イザヤ6:8 「ここに私がおります。私を遣わしてください。」
という心の備え・従順が大切である。

私たちクリスチャンは主の者として歩む中で、毎日奉仕という礼拝を神様に捧げている。
神の奉仕をする=まことの礼拝を捧げる
 ヨハネ15:10「私の愛にとどまりなさい」
 私たちは、日常生活・人とのかかわりの中で、礼拝をしているのであり、小さいことであっても行動を伴わなくては、隣人にインパクトを与えることが出来ず、証にもならない。
神様は私たちの行動をごらんになっている。
 奉仕をやっていくには、「この人に対してどうすればよいか?どういう交わりをすればよいか?」という神様からの知恵を必要としてくる。

 愛の言葉をかける、ちょとした手を差し伸べることが礼拝である。

7/25(日)のメッセージ
ゼカリヤ4:7~10  《これは恵みだ》
この箇所で登場する中心人物のゼルバベルは、もともとバビロン捕囚にあったユダヤ人で、ダビデ直系の子孫だったが、すでに継ぐべき王位のない状況下で生まれ育った。
ゼルバベルらイスラエルが心を合わせて、イスラエルに戻り自分たちの礼拝する神殿の回復を祈ったところ、主がバビロン王の心を動かされ、王は国に戻って神殿の再建を許可し、お金まで与えられた。
しかし、ユダヤ人だけが特別待遇を受けることをよく思わない人々からの抵抗があるため、障害も多く直面し、ゼルバベルは同労者である大祭司ヨシュアと共に疲れ果ててしまった。
 そんな中、神様はゼルバベルに対して「神の能力によって乗り越えられる」ことを教え、「かしら石を運び出そう」と言ってゼルバベルらを励まし、神殿の再建は実現した。

 私たちの人生でも何も問題がないという日はないし、避けて通れない問題もあるが、辛いとき・その問題に対して、つぶやいたところで実は何も始まらない。
キリストにある人生は、初めから終わりまで信仰によるものであるべき!
私たちが 「これは恵みだ」 と宣言したところから、私たちの人生は変わっていくのである。
神様は私たちにとっての問題・災いを最善に変えてくださる。
私たちが信仰を働かせるところに神様の祝福が来る。


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