あひるの日記

あひるの日記

礼拝のメッセージ2004/9月分

9/5(日)のメッセージ
《こうして教会は・・・》使徒9:31
人に歴史があるように、教会にも歴史がある。
 私たちの教会も、戦後の苦しい経済状況の中で、神学校を卒業したばかりの牧師夫妻がカナダからの宣教師の開拓応援に支えられて、傘屋の倉庫を借りて礼拝を始めたのがきっかけで、当時の信者の信仰に支えられて、現在の会堂で礼拝するまでに成長してきた。
 聖書の「使徒の働き」では、エルサレムの初代教会の成長について記述されているが、イエス様の昇天後、弟子たちが集まって10日ほど御言葉の約束を信じて祈った結果、聖霊が訪れ、弟子たちはその後大胆に語り始め、人々が悔い改めて1日に3000人が救われてイエス様に従っていったことが記述されている。
 弟子たちは、御言葉に従って祈っていくことで自分たちの信仰を強め、迫害を恐れる者から迫害を誇とさえ感じるまでに信仰が変えられた。
 私たちの信仰生活においても、木が年輪を重ねて大きな実を実らせる木のように信仰が成長していくことで、教会の柱となっていく。
 信仰による歩むチャンスはいくらでもあるが、それを選んでいくのは私たち自身である。

9/12(日)の礼拝のメッセージ
今週は、先週に引き続いて同じ箇所(使徒9:31)から「こうして教会は・・・Part2」というテーマのメッセージだった。
 使徒の働きは、聖霊が下って初代教会が生まれ、宣教の働きがダイナミックに行われて教会が広がっていった時代である。
 今回は、この中でも12弟子の一人であるペテロの生き方について着目していくことになった。
 ペテロは元々兄弟アンデレと共にカペナウムに住んで、ガリラヤ湖で漁師をしてまずまずの生活をしていた。
 弟のアンデレはバプテスマのヨハネの弟子で信仰熱心であったが、ペテロは熱心ではなく、「人生はこんなものだろうか?」という漠然としたものが心の中にあったと考えられる。
 彼らがイエス様に出会ったとき、「この方こそが私の人生の扉を開いて下さる」と思って、後先考えずに網を捨ててイエス様に従って12弟子の中でもヨハネとヤコブと並んでいつも一緒にいるポジションにまでなった。
 ペテロの肉的思いは、イエス様がイスラエルの王となったときに、一番弟子として側近に立って自分も偉くなりたいという思いがあったが、イエス様がまもなく人々から捕らえられて死んでしまうと聞いたとき、「何かちがったことをしたかな」としか考えられず、イエス様が死を通して何をなさるか?というところまで考えが及ばなかった。
 死から蘇られたイエス様から「あなたは私を愛するか?」と3度も確認され、「私には何もできませんと主に完全に明け渡したときに、「私の羊を飼いなさい。」という言葉が与えられた。
 イエス様の昇天から聖霊を待ち続けて祈って10日目に聖霊が下り、ペテロは12弟子の中でも真っ先に神様によって用いられ、朝9時からの説教によって多くの人の心を打たれて悔い改めに導いて3000人が救われた。
 また、美しの門の前に座って足が不自由で物乞いをしていた人にイエス様のように癒しと奇蹟のわざを行ったことで多くの人が聞きつけて集まって男性だけでも5000人という大集団が弟子に加わった。
 聖霊がくだったときに、ペテロは「父なる神様を知り」、「父なる神様と交わり」、「父なる神様と共に働く」という3つのことを聖霊によって教えられて実践した。

9/19(日)のメッセージ
ルカ5:1~11 《使徒ペテロの歩み》
 ペテロは聖霊を受けて説教者として使徒として長老として用いられた人物であるが、行動も早いけど軽率な言動から失敗することも多かった。
 ガリラヤ湖で夜通し漁から戻ってきて、全く魚が釣れないまま岸まで戻ってきて網を洗っているところで、イエス様をボートに載せて漕ぎ出してイエス様の説教を聞いた後、網をかけたら大量に魚が釣れて、すぐに網を捨ててイエス様に従ったことがこの箇所に書かれている。
 ヨハネ21:7~19の箇所では、イエス様が死から復活された後に、ペテロが「主です。」と聞いて上着をまとって湖に飛び込んだが、3度イエス様から「わたしを愛するか?私の羊を飼いなさい」と念を押されたことが書かれている。
 これは、主からの恵みをイエス様がペテロに予告するものであった。
ペテロという名には「岩」という意味があるという。
彼は多くの失敗を重ねながらも、イエス様の愛する弟子として成長していっ たことを示している。
私たちも、神様に愛され、力と知恵を受けて歩んでいくことで神様に認められていく必要がある。
 そしてペテロにはパウロという仲間が与えられ、信仰による一致によって宣教の働きがなされていった。
「私が・・・」というところには一致はない。
意見が合わないときでも共に祈りあうことが出来るように。

9/26(日)のメッセージ
ルカ10:38~42《力強い信仰のフォーカス 関係と行動》
 教会は、「キリストの体」と呼ばれているが、実体は私たち一人ひとりの有機的つながりで、「神様との関係に生きる人々の集まり」である。
 教会は何にフォーカスしているか?
 ここでは、イエス様の旅行中にマルタとマリアの姉妹の自宅にお招きしたという有名な箇所で、マルタはいろいろ気を遣ってもてなす一方でマリアは手伝わなかったことでイエス様に八つ当たりしてしまったとある。
 確かに私たちの生活でもいろいろ気を遣うことがたくさんあるが、一番大切なことは、主の前で神様から御言葉を聞くことであり、神様との親密な関係は時間をかけて生み出されるもので、神様との関係なしで私たちは健全に生きていくことは出来ない。


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