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メジャーリーガーだったイチロー選手はイメージングを良くしていたそうです。スポーツ選手はイメージトレーニングをやっている方が多いです。良いイメージを潜在意識に落とし込むことで、そのイメージが現実になる。イメージという心の絵が、この世の現実世界の絵として現れる。転ぶ。転ぶ。とイメージトレーニングをしている方がいたら、スムーズにスタスタ歩いているというイメージトレーニングをやることで、しっかりと歩くことが出来るようになる。現実に歩きが安定してくると、イメージもスタスタ歩くから、踊りながら歩くみたいなイメージに変わってきます。自信がつけばつく程イメージも更に力強いものへと変わっていきます。
2020年06月05日
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その人にとっての異常事態を調べる時に、歩く様子を見て、つまずいたり、転びそうになったりする場面に遭遇しなければ異常事態が分かりません。転ばぬ先の杖で付き添って、少しふらついたら手を差し伸べるということをしていたらなかなか異常事態が見えてこないです。ここのバランスがとても難しい。基本は歩行練習をする時にその異常事態の状況を作ってどんな感じになるかテストをするというのが良いのかなと思います。転ぶかもしれない!転ぶかもしれない!と転ぶことをイメージングしてしまう方がいます。そのような方には自己イメージをスムーズに歩いているというイメージに置き換えることも必要です。
2020年06月04日
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転倒をする時は、その人にとって普通ではないことが起きた時に転倒します。例えば若い方が転倒する時のことを考えてみると、慌てていた。焦っていた。急かされた。動揺した。自分のペースを乱された。こんな感じでしょうか?どれも普通の状態じゃない。ということが言えると思います。転倒させないということを考えた時に、その人にとって異常時はどんな状況かということが把握できていれば、一人で自由に歩いてもらい、観察しながら、その人にとっての異常事態が起きたら駆けつける。付き添うことで緊張して異常事態になる可能性もあるので。一人で自由に歩いてもらい、自信をつけてもらって、更に歩くことに対して積極的に自信を持ってもらうことが出来るのではないかと思います。
2020年06月03日
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人間には魂の記憶があると言われています。それをアーカーシャの記憶と言います。人間は生まれつき身についているものがあります。絵が上手だったり、歌が上手かったりと、もちろん、それを職業にして金を稼ぐ手段にするためには、天性の輝くスキルを更に磨きをかけなければいけないと思いますが、その天性のものは、過去の転生で何度も何度も磨いてきた魂の記憶が今世に現れてきているからだそうです。天性のスキルで過去の転生において人々に愛と喜びを与えてきた記憶と考えられるので、天性のスキルはその人にとって喜びや幸福の源泉であると思います。天性のスキル、得意分野を使い、人の役に立つ仕事、感謝してもらえるような仕事をしてもらう為の支援をしていく。それにより認知症と魂が癒されると思います。アカシックレコードを知りたい方https://ja.wikipedia.org/wiki/アカシックレコード
2020年05月27日
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体で覚えた記憶のことで、自転車に乗るとか車の運転などです。この手続き記憶を利用することにより、その人の自信回復を図ることが可能です。その人がどのような手続き記憶を持ち、それをどのように使用したら認知症ケアに役立つのかを考えなければなりません。それには生活歴や仕事歴を調べなければなりません。その生活で行ってきたもの、仕事をしてきたものが、嫌で嫌で仕方なく早く辞めたい。こんな仕事自分の人生の汚点だ!と思っているとしたら、その手続き記憶を使って認知症ケアをするのは難しいと思います。認知症状を悪化させてしまう恐れがあるからです。何でもかんでも良い効果が出るとは限らないので、一つの手続き記憶を利用する前に、シミュレーションをしてどんな効果が期待できるのかを予測することも大切です。
2020年05月26日
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着替えは認知症の見当識に影響を与えると言われています。着替えにより朝か夜かが見当がつくということです。認知症で朝か昼か夜か分からない人が、何故着替えして時間の見当つくのかと言えば、それは認知症になる前に朝、普段着に着替え、夜、パジャマに着替えていた習慣があったからです。極端なこというと夜の仕事していて、朝、パジャマに着替え、夜、普段着に着替えていた習慣の人に、パジャマから普段着に着替えたらその人は夜と認識するということです。その人の生活習慣が大きく影響しているので、生活スタイルをしっかり調べたうえで着替えをすることで、着替えの効果が発揮され、認知症の方の混乱を少しばかり緩和することが出来ます。#着替えは見当識に影響を与えている#生活スタイルが大きな影響を与える#生活習慣を調べることで大きな効果が期待できる
2020年05月25日
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食事が摂れず、水を飲めなくなったら、あの世へ行くのが早いです。本当に早いと3日くらいで旅立ってしまいます。何かを食べると咽て食事を摂れない人が、大好物のうなぎは咽ることなく召し上がったと聞いたことがあります。自分の好きな物には興味を示す時があります。全ての身体機能は、自分の念(おも)いによって変えられるのではないかと思うのです。大好物で身体の機能が一時的、一瞬でも普通になるという奇跡が起きたのなら、この奇跡を梃子にして、廃用性症候群から脱出する方法が無いか考えることが必要です。最終的に亡くなってしまったとしても、絶望して亡くなるか、希望を持って亡くなるかでは、本人にとっても、家族にとっても全く意味が違ってきます。
2020年05月21日
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廃用性症候群になっている状態は、人生に絶望しているので、希望を与えないとどうにもなりません。このような方に希望を感じてもらうには、生きていて良かったなと実感してもらうこと。「早ようございます」などの挨拶から始め、スマホの写真を見せながら「今はこんな綺麗な花が咲いているんですよ」と話しかける。私はあなたに関心があるとを態度で示す。きっと反応が無いか薄いかのどちらかが多いと思います。自分の実践していることは相手の心に希望の栄養を与えていると信じることが大切です。どんな時も希望を持って接し、相手の絶望を希望に変えてしまいましょう。
2020年05月20日
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介護の現場で働いていると、廃用性症候群になる方がいます。これは、精神、身体機能が著しく低下していく病気です。身体が弱くなり、いろんなことが出来なくなっていく自分にもう死んだ方が良いと、真剣に思うようになる。そうすると、身体が意思を持っているからのように、全細胞が意思を持っているかのように死へと走り出していく感じがします。本人は身体が動かなくなり、生きる希望も失い、絶望して生きる気力が低減するから食事をしてはムセ。水を飲んでもムセてしまう。希望を持ってもらう方法はなんだろうと日々考えています。
2020年05月19日
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感謝してもらうのが目的で仕事はしていませんが、感謝してもらうことが出来なければその仕事は先細りするばかりだと思います。自然と感謝されるような仕事をしなければなりません。介護の仕事は自立支援。自立には、自分で立つ「自立」と自分を律する「自律」があります。自分で立つ自立はどちらかと言うと生活(日常生活動作や家事などの手段的日常生活動作)の自立、経済的な自立。自分を律する「自律」は心の自律、生き方の自律になるかと思います。この2つの自立支援をしていくことで、利用者はポジティブシンキングで自分のできるところに目をやり、自分の心を律することで、出来ないところに執着せずに、見栄の欲を断ち切り爽やかに生きていくことが出来ると思います。こんな支援をすることで自然と感謝されるようになると思います。
2020年05月18日
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介護士が付き添えば転倒のリスクを低く出来るのに、100%歩けなくなる、介護士が責任を取らないという安全安心のリスク0を取る施設の実に多い事。だから介護技術も向上しない。介護技術が向上しなければ、介護の質も上がらない。プロの介護士がアマの家族介護者と同じもしくはそれよりも低い介護を提供している。それでは介護士は尊敬されない。感謝されない。給料も上がらない。社会的地位も上がらない。そんな介護士はいらないと、最終的にはここまで来てしまう。そんなリスクを考えてしまいました。ハイリスクを取ってその中で技術に磨きをかけるから、真剣に、前向きに、慎重に、真に安全に介護に向き合うのだと思う。
2020年05月17日
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転倒しやすい利用者様に転倒というリスクを負わすか、それとも安全という安心を与えるかということを調整するのがリスクマネジメントの仕事。歩いてもらうには介助がいります。転んだら歩けなくなる可能性は高いです。車いす生活では100%歩けなくなります。この時どうやってリスクを分散させるかです。リスク0は車いす生活。これはマネジメントとはいいません。毎日歩く機会を作ることにより、確実に歩行能力を向上させ、転倒のリスクを低くしていく。生活行動を把握して環境整備をし、動線を確保する。1日の中でふらつくときはどんな時か観察して情報を共有する。私たちが守るから安心してくださいと、絆や信頼関係を構築する。そうすることでリスクは限りなく小さく分散されます。
2020年05月16日
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ヒヤリハットに気がつくことで未然に事故を防ぐことが出来るというのは周知の通りですが、例えば高齢者にとって転倒というのは下手をすると死亡事故につながる可能性があります。しかし、転倒をさせない為に、歩かず車いすに乗るようになってしまったら、介護者は自由に利用者を動かせますが、利用者の自由は制限されます。ヒヤリハットはあくまで危険を予知して、利用者の自由を拡大するために使わなければなりません。自己保身に走らず、利用者の人生を豊かにするために、ヒヤリハットの智慧を使わなければいけないと思います。
2020年05月15日
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利用者が立位介助をする時、立ち上がれなかったとします。その時、立ち上がれない理由を科学的根拠に基づいて説明できる人が。この人立ち上がれないです。と言って来た職員に変わって立位介助すると、何の問題もなく立ち上がれることがあります。それは、手すりとの距離とか、軸足が滑っていかないようにするとか、足が床に着いていない。逆に浅く座りすぎる。など、何が原因で立ち上がれないのかを分析できていないのです。分析できていて立位が出来ない場合、立ち上がりのメカニズムの知識が乏しい。分析能力と知識があってエビデンスが成り立つのだと思います。常に学ぶ姿勢と分析能力に磨きをかけていかなければ、質の高いケアは提供できません。
2020年05月12日
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介護の世界はエビデンスの意識が薄いように思えます。たぶん、利用者に寄り添うという立場がエビデンスの真逆にあると思っている方が多いのかもしれません。ケアアプローチとして、白黒ハッキリさせると利用者の葛藤や悩みをスパッと切り捨てる。割り切ってしまうと冷たい感じになってしまいます。葛藤や悩みを共に考え、悩みその人が答えを導き出せるようにするにはこちらが答えを出さない。例えその方が最善の選択をしなかったとしても、一度はその決定を受け入れるということをします。そのアプローチの仕方にエビデンスが不要だったとしても、大きな方向性として、こちらの道に行きますという、行き方、道筋を組み立てる時にエビデンスを使って導いていく。介護にもエビデンスは必要不可欠な考え方です。
2020年05月11日
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エビデンスとは科学的根拠があるか。という意味ですが、もっと簡単に言うとしたら、原因と結果の法則です。認知症は脳の病気ではないというのも、その原因は全て脳に結びつかないからです。認知症のBPSDが出た時、例えば徘徊時、徘徊の原因の仮説を立ててその仮説が実証できるか実験する。その繰り返しをやり徘徊の原因を突き止めていく。もしかしたら家に帰るという徘徊とトイレを探している徘徊では行動が違うかもしれません。仮説→実験(ケアアプローチ)→BPSD消失、BPSD悪化。悪化なら仮説からやり直しです。質の向上という観点で考えると、BPSD消失しても、認知症の方が今よりも元気になるにはという視点で仮説→実験を続けていくことが大切です。
2020年05月10日
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『発展思考』という本があります。その中に理想像から見て計画を立てることを教えてくれています。例えばメジャーリーガーになりたい子供がいたとします。その子供がメジャーリーガーになって活躍している。そこが出発点で計画を立ていく。そして、今、何をしなければいけないのかを考えて、実行、実践していくという考え方です。認知症ケアも理想像や夢があり。その理想像や夢から出発して、今、何をしなければいけないかを考える。時々理想を語るとそれは理想論だよね。と揶揄されることがあります。それでも理想論を貫き、質の高いケアを実現していけるように情熱を燃やしていかなければならないと思います。発展思考(電子書籍版) 楽天市場https://books.rakuten.co.jp/rk/603f487a98d6306582fd002b8220bf79/アマゾン(電子書籍)https://www.amazon.co.jp/発展思考〔改訂版〕-無限の富をあなたに-大川隆法-ebook/dp/B015QPK6AM単行本https://www.amazon.co.jp/発展思考-books-大川-隆法/dp/4863951663/ref=tmm_hrd_swatch_0?_encoding=UTF8&qid=&sr=
2020年05月09日
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以前、パーソンセンタードケアはその人中心のケアですよ!と言いましたが、利用者側、認知症の方側からの視点で見なければ正しいケアは出来ません。それが分かっていて、職員の人数的な問題や環境的な問題でやらないのならいいとしても。実際良くはないけど。それに気がついていなかった場合、職員の人数や環境が整っても利用者視点でのケアが出来ません。職員視点でケアが進められていくと、業務を終わらせることがケアであるということになってしまいます。それでは本末転倒です。どんな環境下においても利用側、認知症の方側からのアプローチがどうしたらできるのだろうかと考え続けなければならないと思います。
2020年05月08日
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認知症の方が不安で落ち着かなくて、立ち上がったりする時、施設系でも通所系でも「座ってください」と声をかけるところが多いと思います。だんだん立ち上がらなくなると「落ち着いてきたね」という評価をします。本当に落ち着いているのですか?認知症が重くなって、気力低減しているか、立ち上がることが出来なくなるほど、下肢筋力が低下したかどちらかじゃないですか?現に歩けなくなる。もしくは歩行能力が著しく低下している方がほとんどです。落ち着いたのか認知症が重度化したかは、その後の認知症の方の行動で判断するのが良いと思います。
2020年05月07日
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立位介助するとき、自然な立ち上がりが出来るようにすることが大切です。立ち上がる時に自分の力で立っているという感覚を少しでも持ってもらう為に、健常者が立ち上がる自然な動きと同じ動きをするように介助しなければいけません。1、イスに浅く座る。2、足を引いて、床に足の裏をつける。3、前かがみになり、お尻を少し浮せる。4、膝を伸ばしつつ、バー(棒)をくぐるようにして背中を伸ばす。5、膝を伸ばす。立ち上がりの一連の流れです。3番のところで身体を支える、少し腰の辺りを押すなどして介助をするとスムーズに立ち上がれます。
2020年04月27日
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認知症でなくても高齢になってくると、自信喪失をする機会が多くなってきます。加齢によって出来なくなることが多くなってくるからです。立位支援、介助をする時、介助をするのですが、自分の力で立っているという錯覚を起こさせるような介助が理想的です。ヨッコラショという感じで手伝っている感満載だと、手伝ってくれるから立てるのだ!という風に刷り込みしてしまうので、自分で立っているんだ!自分は立てる!自分は出来る!という刷り込みをしていくことで、自信の回復と歩くことへの意欲が出てきて、更に丈夫になっていきます。
2020年04月26日
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薬に偽薬(英語プラシーボ。仏後プラセボ。)があります。本物の薬だと信じていること、薬を処方した医師を信じていること。この2つの信じる力が起こす効果だと思います。これと同じような効果で、立つ力がある人が立てません!と言った場合、立位環境を整えて「お手伝いします」と腰のあたりに手を当てて掛け声をかけるだけ、腰に当てている手は、力を入れることなく腰に触れているだけ。それなのに普通に何の問題も無く立ち上がってしまいます。これを偽介助(ぎかいじょ)と言います。
2020年04月25日
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認知症の方は大勢の居る場所は苦手です。何故かと言うと、いろんな人の話し声が一気に耳に入ってきて処理できない状態になっているからです。普通は自分に必要な声を選び取るのですが、認知症の場合はそれが出来ない方がいるため、耳元でガチャガチャいっている状態になって耳を塞ぎたくなる感じなんです。だから大浴場みたいなところで、声が更に反響してしまうような場所はうるさくて仕方がなく、気が狂いそうな感じになっているために、個浴で対応するか一番もしくは最後に入ってもらうとスムーズにいく場合があります。
2020年04月24日
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認知症高齢者で入浴拒否する方がいます。理由は様々ですが、「お風呂に入りますよ」と言って「お風呂ね」と答えとしても、ただオウム返しに言っただけで、実は『風呂』を認識していない方がいます。そのような方には桶に風呂の湯を汲んできて触らせる。その時に「お風呂ですよ」というと今から風呂に入るんだと分かり拒否が無くなります。
2020年04月23日
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最近では入浴時シャワーを使うのが当たり前だと思いますが、高齢者の方だとシャワーになじみがなくて、シャワーの跳ね返りが嫌いな方がいます。認知症が無ければ、特に問題ありません。認知症だと跳ね返りの水が冷えているので、シャワーの湯がかかっているのに冷たいという印象を受け、不穏になることがあるので、シャワーの勢いを調整して跳ね返りを少なくしましょう。
2020年04月22日
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