第1回 出会い



 相澤嘉久治さんの本当の職業は劇作家である。ある時は出版社の社長であり、ある時はタウン誌の編集人であり、ある時はテレビの脚本家である。いろいろな顔を持つ相澤さん。私の人生はこの方との出会いによって大きく変わった。
 相澤さんが地元山形に帰って来たのが1977年頃だっただろうか。当時の私はマンガを描いていた。相澤さんが創刊したタウン誌「ういずy」(ういずわい)に私のマンガが掲載されていると、友人の中島勝夫さんから連絡が入った。そのマンガは米沢の商工会議所から依頼されて描いたものだった。若気の至りで「断りもなく勝手にマンガを載せてケシカラン」と怒ったところ、「発行人の相澤嘉久治です。このたびはたいへんご迷惑をお掛けしました」とお詫びの電話が入った。私が怒っていることをういずyに中島さんが連絡をしたのだ。
 これがご縁となり、相澤さんとのお付き合いが始まるのだった。彼は当時テレビキャスターや若い芸術家や山形のいろいろな運動をしている者を対象に「総合藝術雑誌・場」「場通信」をとおして発言する機会を与えていた。 米沢では私や南陽の石川さん、焼き鳥十兵衛石井さん、洒井写真館の洒井さんが中心となって「相澤嘉久治のにんげん塾」を月1回開催しすることになった。そこには20代の若者が集い、毎回相澤さんの芸術や政治そして人間の生き方をテーマにした講話を聴いては座談会をしていた。当初は話が難しく私などは話し合いにもついてはいけなかった。しかし、ある時を境に相澤さんの生き方や話す内容が半端なものでないことを知るのだった。それは相澤嘉久治が命がけで一人闘う孤独の始まりでもあった。

つづく

 次回は12月2日に更新予定です。またご覧下さい。



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