第10回 早坂茂三さんの遺言 その3

早坂茂三さんの遺言 3   早坂さんと相澤さん、そして私

 早坂茂三さんがお亡くなりになった後に、私は何人かの知人や友人から「惜しい方を亡くされましたね」と声を掛けていただきました。

 私の周辺での早坂茂三さんはマスコミから時折流れてくる剛健な早坂像とはほど遠く、「ニコニコしている笑顔でやさしい、気さくな早坂さん」なのでした。「早坂さんの話には楽しませていただいた」、「あの人情味厚い早坂さん」という印象が強いのです。

 一方では、
「相澤嘉久治さんは悲しんでおられるでしょうね」、「相澤さんに出会わなかったら早坂さんともお話をする機会はなかったでしょう」と山形市の相澤嘉久治さんの心境を察する声が同時におきています。

 私が早坂さんと直接お話をする機会に恵まれ、職場の理事や友人たちが同じように気さくにお話をすることが出来たのは、この方、そう相澤嘉久治さんの紹介があったからこそでした。

 相澤嘉久治さんは劇作家であり、地元文化に出版物をとおして貢献されている方です。相澤さんとあの田中角栄氏の大物秘書早坂茂三さんとの関係を知る人は、それほど多くはいないと思います。そして、知っている人の中には「なぜ、相澤さんがあの権力の中枢にいた早坂と?」と疑問に思ったり、なかには「何か裏があるんではないか?」などと勘ぐったりする人もいたようです。

 実は早坂さんは相澤さんの大学時代の先輩のひとりで、この早坂さんとの出会いが相澤さんの人生に大きな影響を与えることになったのでした。

 相澤さんは山形県山辺町出身です。山形南高等学校を卒業後、1954年に早稲田大学に入学し、この大学で先輩の早坂茂三さんと出会うのです。学部や学科ではなく、民科(民主主義科学者協会)早大班の先輩としてでした。そこで学生運動をとおして、その後の相澤嘉久治さんを決定づけた“人間の生き方”を学んだのでした。

つづく

 2004年6月30日記

追伸 「素晴らしい山形」の再発見を探求する相澤嘉久治さんのホームページ「スペースA」もあわせてご覧ください。
「スペースA」のトップページへ



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