第22回 早坂茂三さんの遺言 その15

早坂茂三さんの遺言 15 あらためて『矛盾論』『実践論』


「イノウエさん。あのマンガ家さんも取材の中で学んだことがたくさんあったのでしょ!!その後の彼の生き方にも影響はあったと思いますよ。彼はその後もヒットを続けたことはそういうことでしょ!?」と早坂茂三さんは静かに語るのでした。

 もちろん左の指にはタバコがはさまれています。

「ニイゼキさん。私は先ほどあなたに(毛沢東の)『矛盾論』『実践論』を読んだか問いましたね。どんな仕事でも、どんな生き方であってもこの本は役立ちますよ。あのマンガ家は取材の中でそれを学んだんだと思いますよ。なぜか? オヤジ(田中角栄元首相)も私も『矛盾論』『実践論』を実践していたからです」

「あの論文には人と組織の可能性と限界が理論的に書かれている。そうだよね、嘉久治さん。」と早坂さんは相澤さんに確認するように言うのでした。

「きみたちが読んでいないとは意外だなあ。あの文庫本は薄いし読み易い。そんなに時間が掛からないから読んでみなさい」と相澤嘉久治さんが私と新関寧さんのふたりに言うのでした。

「早坂先生、政治家として人間としても私は●●先生を尊敬しています。世界平和に対する●●先生の実践は素晴らしいと思います」と新関さんが言いました。

「ニイゼキさん。私はその先生を新聞記者時代から知っていますが、この人の限界は部下や彼を慕っている人を大切にしないことです。」

 そういってある事例を述べるのでした。その事例は聞いていても辛い場面が想像できるものでした。平和運動をしている方とは思えない行動でした。
 それを聞いてショックを受けたのは新関さんだけではありません。私もそうです。相澤さんも唖然としていました。

「これではリーダーにはなれない。人を育てることも、世の中をほんとうによくすることなどできないと思いますよ。政治も平和も人のためなのだから……人への接し方も政治と同じリアリズムなのです。実践なのです」

相澤さん、早坂さん
早坂さん(右)、相澤さん(左)に囲まれて


 政治家秘書○○さんの話、本宮ひろしさんの話、そして○○議員の話など、それらは矛盾論や実践論の事例に思えてなりませんでした。
 思うこと、行動すること、組織を作ること、すべてが人間が対象であり、みんながしあわせになるためのそれは手段であることを忘れてはいけない……なるほど「相澤嘉久治の人間塾」の原点を垣間見ると同じではないかと思う私でした。

 「相澤嘉久治の人間塾」とは、かつて私たちが若かりし頃に相澤さんを囲んで行っていた塾のことです。相澤さんがいろいろな人のの生き方を紹介しながら、人間としての生き方や社会のあり方を説いていく集まりでした。その塾生のひとりが私でした。

 あの時から相澤さんは「主体的、創造的に生きること」を一貫して生きるテーマにされていました。塾生の私は常に自分の生き方を問われながら、叱咤激励され今日まで生きてきました。
 相澤嘉久治の「主体的、創造的に生きること」と早坂茂三の「矛盾論」と「実践論」には同一線上の生き方の信条を感じるのでした。

「ニイゼキさん。日中友好協会の方々には『中国の赤い星』と「『矛盾論』『実践論』を読んでいただきたい」と言いながら、早坂さんは隣に座っている新関さんに右手でお酌をするのでした。

 新関さんは盃を両手で受けて「わかりました……」と深く頷くのでした。そして盃の酒をグイッと飲む干しました。

 2004年11月3日記


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