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~吹雪と心配事~●米沢の雪その2第1006回 2008年1月2日~吹雪と心配事~●米沢の雪その2 吹雪の写真は私のような素人には撮りにくい。それでもドコモケータイP905iで撮影してみた。 皆川ママは埼玉に帰っているがパパは迎えに行けただろうか? 鈴木クンは食事を取っているだろうか? タカちゃんは奥さんとの冷戦状態は解消しただろうか? トミーの疲れは取れただろうか? ミッチョの腰痛はどうなっただろうか? さすがちゃんの体調はどうだろうか? 治虫は情にほだされて蜘蛛の巣だらけになっていないだろうか? この吹雪だからいずれも心配だ。 ■(文中の敬称を略させていただきました)~吹雪と心配事~ ●米沢の雪その2つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第54回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2008年01月02日
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~結いのき物語~●芋煮会と誕生会第976回 2007年10月11日~結いのき物語~●芋煮会と誕生会朝の冷え込みが厳しくなりましたが、今日はグループホーム結いのきでは芋煮会をして楽しみました。「グループホーム結いのきを支える会」の会員らが昨日から自慢の料理作りに励み、美味しい芋煮を食べました。また、入居者6人のおじいさんとおばあさんの誕生会も行われ、市内のボランティア組織の踊りが披露がありました。午後からは東部小学校の26人の生徒さんたちが草むしりに来てくれたお陰でグループホームの周囲はきれいになりました。今日はまさに結いの一日でした。 2007年 10月11日 木曜 記 写真・ノンた すねオ■~結いのき物語~ ●芋煮会と誕生会つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第41回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2007年10月11日
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藤波辰爾さんが来訪第944回 2007年7月1日グループホームへ藤波辰爾さんが来訪 6月30日午後から私たちのグループホームにプロレスラーの藤波辰爾さんが来訪されました。 この日は藤波さんが社長をされている「無我ワールドプロレスリング」米沢大会で、藤波さんは限られた時間の中での来訪でした。 今年の1月に藤波さんと食事をする機会があり、社会福祉について意見を交換したのでしたが、そのときにも藤波さんはプロレスラーとして青少年育成と同じくらい社会福祉に貢献したいと言われたのが印象的でした。 そのご縁もあってか、この度の来訪になりました。 さて、おばあさんたちの反応ですが、それはそれは大喜びでした。 やさしい笑顔でおばあさんたちに声を掛け、握手や力こぶを見せる藤波さんにみなさんは声を掛け、励ましの言葉を掛けていました。 退院後で部屋で食事をしていたおばあさんにも藤波さんは両手を取って話し掛けると、そのおばあさんはハミングして歌で応えるのでした。これにはビックリです。 「あんなにみんなが喜ぶとは、藤波さんから溢れ出るオーラのようなものを感じたのかもしれないね」 と、この日の司会進行を担当した新関さんの感想です。 職員たちにも労いの言葉を掛けてくださるなど、職員のみなさんも大喜びでした。「みんさんから元気をいただいた!後10年は頑張ります!!」 と、おばあさんたちに挨拶をしてグループホームを後にしました。 藤波辰爾さんのやさしさがみなさんを感動させていただいたひと時でした。photo :Tatumi tamura
2007年06月30日
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正月三箇日が終わり第795回 1月4日 正月三箇日も終りました。休みのない私にとっても全国的に休日だとホットします。 その理由は来客が少ない、電話が少ない、そしてなによりもゆったりと仕事が出来る「贅沢な日」なのです。 明日からはまた忙しい日々が続くでしょう。人間には余裕が必要です。疲れてくるとイライラしたり、判断が誤ってしまったりします。 あっ電話です。 一人暮らしのTママからでした。正月早々屋根から雪が落ちて、それが歩道まで飛んで行き、大きな雪の塊が歩道を遮断してしまいました。その雪を何とかしてという電話でした。 早速、市役所の土木課に連絡しました。丁寧に対応してくれました。そして土木課では担当業者に連絡してくれました。数時間できれいに雪を片付けてくれました。ありがたいものです。 Tママは大喜びでした。おせち料理をたくさんもらってきました。みんなで分けて食べたいと思います。 2006年1月6日記
2006年01月04日
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正月二日目の出来事第793回 1月2日 徹夜の仕事で午前6時近くに帰宅しました。午後1時まで睡眠をとりその後出勤しました。 晴天に恵まれて三日目になります。こんなに晴れていると気持ちがいいものです。 ホームやたくろう所の雪消しをして、夜は早目に帰宅し、NHKBS2で「男はつらいよ」を鑑賞しました。いつ観ても完成度の高い映画です。それにシリーズ化にもまだ無理のない時代だったのでしょう。俳優の若くて生き生きしていることで人物が引き立ちます。 夜遅くには遠くの友人たちから電子メールが届いてきました。一番遠くはシアトルでした。返事のやり取りをしていくうちにあっという間に深夜2時近くになり眠りました。 ハードながら余裕のあるお正月の二日目をおくりました。 2006年1月3日記
2006年01月02日
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バタンキュ~第785回 12月26日 出張を一日早めることにしました。吹雪がすごいからです。 明日もしや大雪で新幹線が止まったり、遅れたりしたらたいへんです。 ところが風邪が酷く、お昼にお医者さんに行きました。いただいたクスリを飲むと眠くなってきました。山形新幹線に乗ったとたんに眠ってしまいました。 宿泊所に着くとバタンキュ~で眠ってしまいました。 2005年12月28日記
2005年12月26日
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クリスマスイブはローマの休日第783回 クリスマスイブだというのに、この大雪でおもうように仕事が進みません。 私は午後からホームの屋根に上がって雪下ろしです。300坪もある屋根のうち約100坪を私が担当して屋根の雪を下しました。 屋根の上には私の股のところまで雪が積もっていました。床暖房のある場所は屋根の上の雪も多少柔らかく下しやすいのですが、それ以外のところはガンガンに凍って固まっていました。スコップで割りながら下すのもたいへんです。 夕方の5時過ぎまで屋根に上がっていました。雪は遠慮なく降り続き、汗と鼻水でグショグショになりました。 町では自動車の渋滞が夜遅くまで続きました。家に帰ったのが夜の9時38分でした。テレビでは「ローマの休日」をしていました。 名作といわれながら私はこの映画をまだ観たことがありません。疲れ果てていましたが、途中から珍しい白黒の画面この映画を楽しむことにしました。 心身症になったアン王女(オードリー・ヘプバーン)が親善旅行中にローマの宿泊先の宮殿から脱出して、ローマの街を一泊二日彷徨う模様を描いたものです。 アメリカ人の新聞記者ジョー・ブラドリー(グレゴリー・ペック)と遭遇し、彼のアパートに一泊し、その後、ジョーからお金を借りてローマの街をひとり楽しむアン王女。ジョーはそれを最大のスクープにしようと尾行します。しかし、アン王女のローマを楽しむ無邪気さやけなげさにジョーは次第に引かれていき、アン王女も彼に恋心を抱くのでした。 翌日、宮殿ではアン王女の記者会見が開かれます。そこにジョーが新聞記者として出席することでアン王女は彼の正体を知ることになります。 「ローマは永遠に忘れ得ぬ街となるでしょう」とアン王女が記者たちに言います。それをジッと見つめて聞き入るジョー。ふたりにしかわからない昨日までのローマでの想い出。そして恋心をふたりの目にうっすらと涙を浮かばせて表現していました。 なんと美しいお話でしょうか。クリスマスイブにこんなロマンチックな映画を観ることが出来て、私はとてもうれしかったです。 なんだか雪下ろしで冷えたからだまで温めてくれました。 ウイリアムワイラー監督のすばらしい娯楽作品です。ぜひ若い方たちにも見ていただきたいものです。 2005年12月26日記ローマの休日 制作50周年記念ホームページhttp://www.roman-holiday.jp/index.htm/
2005年12月24日
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神の光・希望の光第752回 昼食を兼ねて打ち合わせをしました。 場所は山形県川西町大塚にある「レストラン・学」(がく)です。置賜総合病院の近くです。話し合いが終わってから自動車で走っていると、ラブちゃんが歓喜をあげました。「わ~空が素敵!雲からのあの光は神の光みたい!?」 西側の空には神秘性のある希望の光が山に降りているようです。 神の光、希望の光をラブちゃんにあてたまえ!! 2005年11月23日記
2005年11月23日
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川井旅館第739回 今晩は岩手からのお客様です。Nさんは息子がたいへんお世話になっている方で、山形に仕事でおいでになったので我家に寄っていただきました。久々にヤッちゃんも一緒に飲んでいます。 楽しい話で盛り上げるのはヤッちゃんです。Nさんも楽しく焼酎を飲んでいます。我家はこうやって時々宴会場になってしまいます。そしてみなさんは泊まっていかれます。 ひとは我家を川井旅館といいます。 夜も更けNさんとヤッちゃんは話も焼酎も尽きることなく、楽しく過ごされています。 むむむっ旅館の原点ここに見たりです。 2005年11月10日記
2005年11月10日
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眠れない夜第738回 昨夜は眠れない夜でした。 こんな夜は読書も音楽も聴くになれません。真っ暗な部屋で布団の中で想いを募らせる年齢でもありません。私はただからだを海老のように丸めて、静かに長い夜を耐えました。 気付くと午前2時を過ぎてしまいました。 今朝の目覚めは友人からの電話でした。 起きたら家族は出勤して誰もいません。続けざまにメールと電話の嵐です。 眠れない夜だったのに寝不足も感じません。不思議なものです。 布団から起き上がると左腰が妙に痛く、ひねってしまったのかもしれません。湿布をしながら昨夜のことを思い出していました。 眠れない夜はとても淋しいものです。今日はぐっすり眠れるといいなあとこころの中で祈る私でした。 あっ、また電話だ!メールだ!! 忙しい一日が容赦なく始まりました。 2005年11月9日記 追記 ピノコから「つづらご(帯状疱疹)はいかがですか?」と心配そうに言われました。そうでした。今回の帯状疱疹は痛くって痒くってしょうがない症状でした。でも大事にいたらないで終わりました。みんなにはご心配掛けました。ありがとう。 また、一昨日から訃報の知らせが続きました。同志Fさんのおかあさんや組合員のご主人、市役所OBのGさんなどが続いています。みなさんのご冥福をお祈りいたします。 合掌
2005年11月09日
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秋の色第737回文翔館(旧・山形県庁) 山形市の街並みを歩いてみました。秋風が歩く人々に吹いてきます。しかし、11月というのに20度を越す気温と青空が歩く人々を守ります。 10分ぐらい歩いて行くと、左側に文翔館が見えてきました。 文翔館とは山形県郷土館「文翔館」といいます。文翔館のホームページにはこのように紹介されています。山形県郷土館(重要文化財「山形県旧県庁舎及び県会議事堂」、愛称:文翔館)は、大正5年6月に建てられました。 県庁舎と議事堂の2棟から成るイギリス・ルネサンス様式を基調としたレンガ造りの建物で、設計は米沢市出身の中條精一郎を顧問として、東京都出身の田原新之助が担当しました。 昭和59年に国の重要文化財に指定された後、昭和61年から修理工事を始め、10年の歳月をかけて平成7年9月に完成しました。当時の工法を基に忠実に復原された建物は、大正の古き良き時代の薫りを今に伝えています。 ここは小学校の修学旅行、中学校の時の表彰状をいただくときに訪れた山形県庁でした。それに父の職場であったので幼い時に、父に連れてこられた思い出もあります。 なつかしさに誘われて正門から入りました。文翔館(旧・県議会議事堂) あいにくの休館日でしたが、老若男女が秋の陽射しを楽しんでいました。 私もベンチに座って読書を楽しんでいる隣の女性を見ていました。からだの不自由なおじいさんが杖を付きながら建物の方からゆっくり歩いてきました。このおじいさんの歩くペースが気にならないのは、この建物がどっしりとして落ち着いているからでしょう。 この建物はレンガ造りで赤が基調になっています。それが長い年月の中で渋い落ち着いた色になってきたのでしょうか。 空は青空です。若者はデジタルカメラを取り出して建物を撮影をしています。私もその光景に刺激されてデジタルカメラで建物を撮影しました。 空の青さと建物の赤が秋の色に見えてきました。 カップルの若者が楽しそうに話をしながら建物を横切っていきました。 2005年11月8日記 追記 11月7日の出来事を書きました。文翔館ホームページ http://www.yugakukan.or.jp/bunsyokan/
2005年11月08日
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小さい秋みつけた!第736回 今日は山形に出かけました。米沢からはローカル電車に乗りました。 稲刈りが終わった田んぼは、土の色と稲の茎ですっかり茶色になっていました。曇りの空に青空が広がってきたのは米沢からしばらく行った高畠町辺りからでした。 山はすっかり紅葉ですが、盆地の中でも低い山は、緑に黄色と茶色が混じった独特の色を放していました。 赤湯駅を出ると銀河鉄道のように電車はどんどん山の辺に上がって行きます。林を横切るたびに高くなり、町並みが小さくなっていきました。白龍湖が見えて来ました。 デジタルカメラを取り出して電車の窓からシャッターを押しました。シャッターチャンスを逃してしまい、ひとりで残念がる私でした。 白龍湖の水面に小さな光がキラキラと沢山輝いていました。 2005年11月7日記
2005年11月07日
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白樺と紅葉 西吾妻スカイバレーは紅葉でこの秋最高の美しさです。 紅葉の中に白くすっきりとした白樺並木も山を淡く彩ります。 西吾妻スカイバレーは米沢の白布温泉を桧原湖の北側までつながっています。標高1500メートルの白布峠のヒトコマです。2005年10月31日記
2005年10月30日
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写真に感動! 私は写真を見て、こころが動かされたことは滅多にありません。ところが偶然に見た写真に虜になってしまいました。 その写真は「神々の譜 小野川湖」です。 作家は「黒原範雄」さんです。 この写真は「裏磐梯風景 光彩の詩」黒原範雄さんの著書です。(発行者・くらんぼ~ん写真企画 制作・歴史春秋出版株式会社 定価2500円) きれいな写真は沢山観てきましたが、オリジナルティの写真は珍しいです。 「芽吹きの頃 曲沢沼 5月」 「終章 大沢沼 12月」 ページをめくる毎に胸がときめいてきます。 魂が入っている写真です。 2005年10月29日記
2005年10月29日
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スランプ ここのところスランプになっています。今月中にまとめようとしている「中期計画の第1カ年案」も頭の中でバラバラになっていてまとまりません。 言葉では案の一部は理事や職員に話していますが、まだ理事会と事務局の責任者会議に提案できるまでのまとめになっていないので焦っています。 おまけに私は大学通信教育部生徒の一面も持っています。こちらもスクーリングは終わりましたが、テキストではまだ2教科に手を付けはじめた段階です。 それに地元誌の連載対談や原稿執筆もあり、すべてが頭の中で固まって動いていない状態です。唯一のストレス解消はひとりで書店めぐりをすることや本を読むことですが、これも最近は遠のいています。何とかしなければいけないという焦りだけと気負いだけが強くなります。「これはスランプだな!」と思いました。 2005年9月25日記
2005年09月25日
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ラブちゃん早く元気になって 私の机の上が書類と雑誌と新聞の山になって久しいです。 いつも書類などの整理を手伝ってくれるラブちゃんが体調を崩して、この3週間ほど休んでいるからです。 ラブちゃんも体調不良には敵いません。あんなに丈夫そうに見えてもそこは人間です。体調不良から病気に発展しないためにも休養は必要です。しっかり休んで元気になってください。 意外に整理整頓にはコツがあります。私は整理整頓は大の苦手ときています。私の傍で飴と鞭でラブちゃんから鍛えてもらっても、やはり、苦手なことは最後まで残ってしまいます。 ラブちゃん、早く元気になってまた手伝ってください。待ってます。 2005年9月25日記
2005年09月23日
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9月の空 9月の米沢は朝晩肌寒くなってきています。日中はやわかな日差しとそよ風でとても気持ちよく暮らせます。 今日は空がとてもきれいでした。 近所の北村公園に出向き、そこで学習をしました。 かなり遅れている大学の学習は、さらにこの一週間はほとんど手につかない状態でした。気持ちは焦りますがなかなかまとまった時間が取れません。そこで今日は午後から学習時間をまとめて取ってみました。 北村公園を選んだのは、先週の土曜日にグループホームのおばあさんと散歩に来たことがきっかけでした。約一時間、おばあさんに先導されて北村公園を探索しました。 桜の木に蔽(おお)われた歩道の脇には、その他の木々も伸びており、そこに日差しが緑の葉を輝かせていました。その光景がとてもきれいでした。 その光景が忘れられなくて、学習会場に選びました。お陰で気持ちもよく室内よりも集中して学習することができました。 気が付くと近くには読書と書き物をしているお嬢さんがいました。日焼けを気にしてか帽子を深く被っていました。 また、散歩されていた金婚式が近いようなご夫婦が一休みされました。どちらの方も私に気を使ってか、静かにしておられました。 公園整備の作業員のおふたりも私に背を向けて静かに休憩をしています。 夕方近くになると公園には草を機械で刈る音とテニスボールを打つ音が響きます。大通り沿いなので自動車の音も聞こえてきます。 近くの堤防には犬の散歩や自転車の中学生の集団が行き来します。時刻は17時を過ぎ、大通りには公務員の帰宅の車が込み合ってきました。 さあ、ぼくもそろそろ帰ろうか。 9月のある日の午後のお話でした。 2005年9月24日記
2005年09月22日
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ピンクのあき子さん帰郷 埼玉からピンクのあき子さんが愛車で帰郷したのが8月13日未明です。 13日の夜にはやすしさん、賢ちゃん、妻と私であき子さんをお迎えしました。語り唄い夜中まで騒ぎました。あき子さんの歌はプロ並みの実力で、つなきさんとダン池田さんの指揮を再現するやすしさんでした。 翌14日は隣町の川西町ダリア園に行き、花の好きなあき子さんは感激をしていました。高畠ワイナリーにも行きました。そして米沢に戻り、米沢ラーメンを食べて、その後上杉神社周辺の探索をしました。 夕方からはお寿司屋さんでおしゃべりです。今度はりつ子さんも参加してのおしゃべりになりました。 ところでピンクのあき子さんは米沢出身の埼玉人です。彼女は私たちとは高校時代からの友人です。正確にいえば卒業式の日から共通の友人たちとの縁で親しくなりました。 いまでは埼玉にいる私の息子がお世話になっています。「埼玉のお母さん!」と息子はあき子さんを尊敬しています。 フォークが好きでボーイッシュだったあの頃とはだいぶ違って、演歌の女王になったピンクのあき子さん。この二日間はとても楽しいひと時となりました。 2005年8月30日記
2005年08月30日
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夕暮れの代々木公園 大学のスクーリングの会場が国立オリンピック記念青少年総合センターでありました。私は前日に会場に行きました。 夕方になって帰ろうと歩き出すと、隣の代々木公園に人影が見えました。 ジョギングをする男性や緑を楽しむ女性がいます。 気が付いたら私は公園に向かって歩いていました。ゆったりとした石畳を歩いていくと子犬を連れ立った集団がグランドで遊んでいました。「ドッググランド」です。 木陰になっているところには気を効かせたベンチがところどころにありました。そのベンチに横になっている男性などが休んでいます。 私はゆっくりと歩道を歩いていきました。そばをジョギングする中年男性や中年女性たちが時々追い越して行きました。その人の気配を消すように鳥や蝉の鳴声が公園の木々に反響してきます。 私はNHK方面に向かって歩いて行きました。いつの間にか歌をハミングしていました。そして若かった二十代を想い出していました。「そうだった、こんな光景を何度あこがれたことか……」 木立を抜けると蒸し暑さが襲っていきます。同時にコンガを叩く音が聞こえてきました。にぎやかな若者たちの姿が見えてきました。 私は自動販売機を見つけて冷えた缶コーヒーを買いました。噴水がある池のほとりのベンチに腰掛けました。ベンチは仔犬を連れて散歩をしているひとや落ち着いた男女たちがいます。みんなが同じ方向に向いて噴水を見ています。 ちょっと離れたところでは少年たちが池に向けて花火をあげていました。その音と立ち上る煙がせっかくの静寂を壊してしまいます。 それでも噴水と池を見ているとこころが落ち着きます。噴水が上がるたびに、なつかしい少年時代から今日までが水しぶきと一緒に舞い上がってきました。 私にとって忘れていたことや、忘れられないことが、噴水と一緒に舞い上がり、霧になって夕空に消えていきます。 缶コーヒーも飲み干して、気が付いたらすっかり暗くなっていました。 2005年7月15日の穏やかなしあわせなひと時でした。 2005年7月18日記
2005年07月18日
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夜空の星 最近夜空を見ると星がぼやけてみえます。 いつかみたプラネタリウムのように、すっきりとした星を見てみたいのです。 コセコセした毎日やどうでもいいような問題も、夜空の星を見るとこころや気持ちが晴れるように思えます。 ジッと見ていると吸い込まれていきそうな大きな夜空の星の下で、壮大なロマンを感じたいのです。 今晩も星がたくさん光っていましたが、ぼや~っとしか見えないのが残念です。 2005年6月6日記
2005年06月06日
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癒しのプロレスラー メイちゃんは四国へ巡礼の旅にでかけるといいました。その相談にのってくださったのが新崎人生さんでした。 人生さんは週刊アエラなどで紹介されている「癒し系のプロレスラー」です。人生さんは毎年6月に「新崎人生と行く 四国八十八ヶ所霊場巡り」を企画しています。 福島県の田島町に新崎人生さんが社長を務める「みちのくプロレス」が興行に来るというので、メイちゃんは会場に足を運び、人生さんに相談をしたのでした。 人気レスラーでニューヨークでも大活躍した人生さんですが、相談には真剣に対応してくださいました。そしてメイちゃんを今回のツアーに参加することを薦めたのでした。 この「四国八十八ヶ所霊場巡り」はまじめな企画で、霊場巡りの基本を身に着けるのにうってつけのようでした。 メイちゃんは早速決断をして参加することにしました。会場からスキップをして出てきたメイちゃんは、すっかり新崎人生さんのファンになってしまいました。「目を見てしっかりお話をする人生さんの目はとてもやさしい」と感激していました。 弘法大師につながる道を歩む新崎人生さんならではのエピソードを紹介しました。ホームページ「新崎人生同行記」http://kobe.cool.ne.jp/sjinsei/ 2005年6月4日記 本日はお隣の南陽市でみちのくプロレスがありました。仕事の都合で行けなくて残念でした。
2005年06月03日
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新緑の南会津へ 今日の午後からは福島県南会津郡の田島町に向かいました。 国道121号線を米沢から大峠を越えて喜多方をとおり、会津若松を目指した車を走らせました。会津からはさらに車を走らせると、標識には「栃木」や「福島空港・須賀川」が出てきました。新緑の山並みの中をすがすがしい風が吹き、身近に見える山々と木々がとてもきれいでした。 米沢市から3時間で約130キロのところに田島町がありました。この地に来たのは2回目ですが、街道の面影を残しているこの121号線はとてもすてきです。 鉄道もあり、会津から浅草まで走っているようです。一度乗ってみたいと思いました。 新緑の南会津はこころのリハビリになりました。 2005年5月21日記(写真は国道121号線・米沢市田沢街道)
2005年05月20日
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若葉の頃 米沢の自然はいまが若葉の頃です。 峠も公園の木々も新しい葉が吹出して、淡い緑と黄緑がコントラストを出して初夏を持つ準備にかかっています。 5月15日にグループホーム結いのきのバザーにスペシャルゲストとして4人のリブレーヴ・サクソフォン・クァルテットが演奏に来てくれました。 リブレーヴ・サクソフォン・クァルテットは男性2名、女性2名の構成です。その中にかわいいなつみちゃんがいます。 なつみちゃんは高校2年生です。彼女は音楽が好きで好きでたまりません。学校で吹奏楽をしていますが、自分の時間を利用して社会人のお兄さんたちと一緒に演奏活動をしています。 この日もおじいさんやおばあさんに喜ばれる曲を選択しての演奏でした。「天城越え」、「川の流れのように」など若い演奏者には馴染みがないだろうという曲を見事に演奏されていました。 なつみちゃんの真剣な演奏光景はとても初々しく、なつみちゃんが光って見えました。「若いっていいねえ~」としみじみと言うメイちゃんでした。 なつみちゃんもいまが若葉の頃でしょうか。どんどん新しいことを吸収して成長していくことでしょう。 彼女たちの演奏は街頭に流れていきました。歩いているひとも立ち止まって聴いていました。それは若葉の頃の結いのきの清々しい光景でした。 2005年5月19日記
2005年05月19日
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花見だ 今日はグループホーム結いのきBユニットの花見をしました。入居者9人に職員6人、そして事務長に私が応援に入り、総勢17人が5台の自動車に分乗して桜の木が並ぶ米沢市内や上杉神社周辺をドライブしました。 最上川上流にあたる松川の河川敷には、川を横断してたくさんの鯉のぼりが吊るされていました。皆さん歓喜で喜びをあらわします。Mちゃんは「ドンドンパンパン、ドンパンパン……」と歌い始めました。 上杉神社(上杉謙信公と代々の上杉家を祀る)と松ヶ岬神社(米沢藩第九代藩主上杉鷹山公を祀る)の間にある上杉城跡苑(お土産・休憩)で一休みしました。 どのおばあさんもおじいさんも、にこやかに桜と風景を眺めて喜んでいました。幼児が近くに来ると声を掛ける場面はほほえましいです。 桜は5分から7分咲きです。天候にも恵まれて人出も多く、4月29日からはじまる上杉祭りには桜が満開になることでしょう。楽しみです。 外出も2時間を過ぎると疲れて来ます。 Tさんの「もう、かいんべは~(帰ろうよ)」のひとことで散歩も終わりにしました。 2005年4月27日記
2005年04月27日
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ピンクのあき子さんと再会 昨日は「ピンクのあき子」さんと32年ぶりの再会をしました。中学高校時代の共通の友人を持つ私たちでした。彼女は地元の女子高を卒業後、就職のために上京しましたが、私たちの付き合いはここから始まるのでした。 彼女は上京後まもなく帰郷して1年間米沢で過ごしました。そして結婚のために再度上京します。私とのお付き合いもここから途絶えました。 あき子さんはお母さんの一周忌で帰郷しました。そして私たち昔の仲間との再会となりました。お迎えしたのは私のほかにヤスシさんと賢ちゃんでした。 ヤスシさんは高校時代の生徒会を通して、賢ちゃんはフォーク仲間でした。そうはいってもあき子さんにはほとんど記憶がありません。 昔々の話題を通して記憶をたどりました。共通話題がたくさんあるのに、やはりお互いゆっくり顔をあわせて話をするのは始めてのようでした。私との交流もほとんど忘れていました。純喫茶田園でよく話したことも忘れていました。 それでも気持ちが通じるのでしょうか、10分もするとヤスシさんとは30年以上の空白を埋めるように意気投合して話が弾みました。とにかくふたりはよく話します。私と賢ちゃんはふたりの話にうなずくばかりでした。 夕方からはカラオケに行きました。「私は演歌が好きです」と香西かおりさんの歌を見事に歌いこなしました。私たちは彼女の歌唱力に聞き惚れるのでした。あき子さんにつられて私たちも歌うのですが、とてもあき子さんのようにはいきません。 あき子さんはヤスシさんと見事なコンビを組んでデュエット曲を歌いました。あき子さんに助けられてか、なぜかヤスシさんの歌もうまく聞こえるのは不思議でした。 楽しい時間はあっという間に過ぎていくものです。 あき子さんは私の運転でみんなを送っていく途中に、この再会のきっかけをつくってくれた共通の友人Mさんに電話をしました。 あき子さんと賢ちゃんはMさんと楽しそうに電話で話していました。「みちのくさんは運転中なので後で個人的に話してください」とあき子さんがいって電話を切ってしまいました。ちょっぴり残念な私でした。 あき子さんのバイタリティーにはみな頭が下がりました。そしてまたの再会を誓い合いました。ヤスシさんは再会が待てなく、早速今朝電話を入れました。 2005年4月25日記
2005年04月24日
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夜空を仰いで 今晩はめずらしく星が出ていました。カーステレオからは加山雄三さんの曲、「夜空の星」や「夜空を仰いで」が流れてきました。 星の光が街の灯りよりも弱く感じますが、山沿いの星はキラキラしていました。 そんな星空を見ているとこころが洗われるようです。 次の曲は「ぼくの妹に」が流れてきました。 この曲もすてきな曲です。私にも妹がいるとすれば、きっとこの曲に描かれているような「まぶしい娘」でしょう。そして妹からの相談の一言ひとことに、私は「だって、ぼくの妹だろう」と答えるでしょう。 そんなことを考えながら運転をしていると携帯電話が鳴りました。 自動車を止めて電話に出ると、相手はなんと米沢の青大将ことヤッちゃんでした。「はじめちゃん!今日は妻が(家に)いないから、(きみの家に)泊まりたい!!わかっているかい」 と、かなり泥酔しているのか、声が震えていました。小料理屋「串ぼうず」に迎えに行き、私の家に向かいます。 ヤッちゃんが自動車に乗り込むと、自動車の中に酒の匂いが充満しました。クラリとする私に再び「夜空の星」が流れてきました。 ♪ぼく行くところへ ついておいでよ…… 家に着きました。自動車から降りて、夜空を見上げると星がやさしく光っていました。 私もあの星のようにいつまでもやさしく光っていたいと願うのでした。 曲は再び「ぼくの妹に」が流れてきました。 2005年4月9日記
2005年04月09日
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Y子さんの再婚 友人のY子さんからメールが来ました。「突然ですが、再婚することにしました」 えっと、びっくりする私です。 秋に会ったときに私は、「もういい加減、自分の人生を考えてもいい時期だよ。いいひとを見つけて再婚しろよ」と言いましたが、実現するとは驚きです。 さっそくお祝いのメールを返しました。すると「品定めをしてください」とおのろけメールが返ってきました。品定めなんて失礼な、Y子さんが選んだひとだから間違いはないでしょう。 Y子さんはご主人と死別してひとりで苦労をして来ました。家が遠いこともあって、たまにしか会えませんでしたが、私たち友人は彼女を励ましながらも、まだまだ若いんだから再婚をしてもらいたいと願っていたのです。 Y子さんは明るい性格で、酒豪です。それでも酔ってくると涙をぼろぼろと流していました。今度は彼氏の前で酔って甘えてほしいものです。そして今までの分もしあわせになってほしいです。 2005年4月9日記
2005年04月08日
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「みちくさ」に学ぶ 同僚の紀子さんからCDを借りました。 先日の卒園式での新沢としひこさんの曲「はじめの一歩」の日記を読んだ紀子さんは、「こんな素敵な曲もあるんですよ」 と紹介してくれたのです。 そのCDタイトルは「みちくさ」です。紀子さんがとても好きな一曲で、「この曲を聴いたときに涙が溢れてきました。私の生き方をもう一度振り返ることができたんですよ。焦ることも世間と比べることもないんだなあって……」 と静かに語るのでした。 新沢としひこさんを、今から5年前に保育園の職員学習会講師に招いたときに、このCDを購入したのでCDには「紀子さんへ しんざわとしひこ 00.11.11」と本人のサインが書いてありました。 早速、家に帰ってこのCDを聴きました。急に肩の力が抜けました。素直になって聴けました。そして私の人生も世間からはみちくさのように見えるかもしれませんが、気にしないであせらないで生きていこうと思っています。 紀子さん、ほんとうに素敵な曲をありがとう。●みちくさ 作詞作曲 新沢としひこ 編曲 クニ河内 まわりばかりを気にしていると 自分のことが見えなくなるよ 他人の服はきれいに見える 自信を持っているように見える あせらない あせらない きみの歩く道は 石ころだらけで素敵じゃないか あせらない あせらない 水たまりに映った空が あんなにきれいじゃないか 自分ひとりで生きられるほど 力もないし 勇気もないし ひとに合わせて生きてゆくほど 素直じゃないし 器用じゃないし あせらない あせらない きみの歩く道が ひとにはみちくさに見えたとしても あせらない あせらない 風に揺れる花が 君の来るのを待ってたんだよ あせらない あせらない きみの歩く道が ひとにはみちくさに見えたとしても あせらない あせらない 水たまりに映った空が あんなにきれいじゃないか 2005年3月30日
2005年03月29日
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疲れたら休もう ひとは疲れてくると、急にこころもからだも小さくなります。そして本人ばかりか周りのひとたちへも影響を与えてしまうことがままあります。 疲れてくると物事が正確に把握できなくなり、誰かに当り散らしたくなったり、自分を責めたりしてしまいます。それはとても残念なことです。 疲れたら休みましょう。疲れたら眠りましょう。それが大切です。過ちやひとを傷付けないためにも。 2005年3月14日記
2005年03月12日
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こころ洗う時間 その2 鯛の釜飯 そうこうしているうちに大きな釜がド~ンときました。釜飯の登場です。 私はこの釜の大きさから量は数人分と思いきや、続いて友人の分も運ばれてきたではありませんか。直径15センチもあろう釜で一人前なのでした。「あと3分ほど蒸してからお召し上がりいただければ美味しいと存じます」と店員のナチュラリストが言いました。「大きいですね」と友人が目をパチクリして言いました。「すごいね、中身はどうかね?」と私が言います。そして釜を見つめること5分はたったころ、大きな釜の蓋を開けると湯気がぱ~っと立ち上りました。 中からは見事な頭付の鯛が現れました。ごはんも結構な量でした。鯛の頭をお皿によけてから、小さいしゃもじで、鯛の腹を丁寧に練るようにしてごはんと混ぜていきます。湯気に運ばれてくる鯛の薄い塩味が鼻を覆ってきました。 鯛をまぶしたごはんを茶碗に盛ります。湯気が大きくなりました。その湯気越しに小さいたくあんが上品に小皿に光って見えます。 ごはんを口に頬張ると、鯛のやさしい塩甘い味が口中に広がってきました。「旨い!!」と私が一言、「う~ん」と唸る友人。その瞬間、しあわせが口中に広がっていきました。「旨いたい(鯛)!!」 お昼だというのに外を見ると鉛色の冬空です。雪は降っていませんが、相当な寒さで空気がジンジンと音を発てているように光って見えます。 「お食事処 笹谷越えの からす君」の広い空間には蒔きストーブのとても暖かい空気が舞っています。 2005年3月3日記 つづくひかり工房 「お食事処 笹谷越えの からす君」ホームページhttp://www.hikari-kobo.co.jp/index.html
2005年03月03日
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こころ洗う時間 その1 笹谷越えの からす君 先日山形市に用事があって出掛けました。ちょっと遅い昼食をどこで取ろうか迷っていました。友人が一軒のおもしろい店を紹介してくれました。 友人は(きっと、気に入ってくれる……!)と目で語ってくれました。 山形市から仙台方面に数分走っていくと「新山釣堀」という大きな看板が見えてきました。その看板から100メートルくらいの左側に自動車が曲がりました。 そこは山添に大きな三角屋根の建物がありました。とても太く長い氷柱がたくさん下がっていました。 「お食事処 笹谷越えの からす君」という変わった名前のお店でした。「企画屋がつくった甘味とお食事」……これがこの店のコピーのようです。 大きな三角屋根の周りにも丸太を利用した建物がありました。この店は建築屋さんが経営するお店のようです。 入り口を入ると靴からスリッパに履き替えるようになっていました。 建物中は蒔きのストーブがありました。蒔きストーブは暖かさが違います。やさしい暖かが私たちを迎えてくれました。 そして高い天井にペンション風の居間が広がっています。 二階も見えます。和室と洋室があると友人は教えてくれました。室内は木の机に木の椅子です。現代的デザインの置物や彫刻が高い天井からぶら下がっています。丸い蛍光灯も上手にデザインとマッチして光を放しています。「………」「……」 音楽も自然をテーマにした、いわゆるナチュラリストが喜びそうなメロディーがゆっくりと流れています。 おしるこ、コーヒー、スパゲティー、そばに釜飯とメニューだけ見ればどのお店とも違わないように感じます。ところが……。 私たちは鯛めしを注文しました。準備に20分以上は掛かっているでしょうか。その間にナチュラリスト風に頭を布で巻いて青年が、2箇所のストーブに蒔きを入れています。 中位の火鉢がきました。網がのっています。小さなお餅が一緒にきました。友人はそのお餅を器用に網にのせました。 静かな雰囲気の中で友人と話していました。でも、なかなか餅が焼きあがりません。私は炭を「フ~ッ、フ~ッ」と吹きました。すると炭がチカチカと光り始めて燃え出しました。小さなお餅はあっという間に焼きあがりました。「火男だね」と私が言うと、友人は「えっ?」と訊き直しました。「ほら、フ~ッ、フ~ッって息を吹くと火が起きるだろう。これが火を起こす男だ、火男、ひょっとこ、だよ」と言いました。「なるほどね~。ひょっとこの語源だねえ~、へ~知らなかったあ」と楽しく笑いました。 2005年3月2日記 つづくひかり工房 「お食事処 笹谷越えの からす君」ホームページhttp://www.hikari-kobo.co.jp/index.html
2005年03月02日
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遅れてきたバレンタインデー 彼女は恥ずかしそうに「これはバレンタインデーのチョコレートです。遅れてすいませ~ん」と包みをくれました。 ああ、うれしいなあ~と、こころの中で叫びました。 51歳のおじさんになればバレンタインデーも義理チョコばかり。その中で気持ちのやさしい彼女からもらえるなんて本当にしあわせです。 遅れてきたバレンタインデーは、むしゃくしゃした気持ちに安らぎを感じさせてくれました。ありがとう若い彼女よ。素敵な遅れてきたバレンタインデーに感謝します。 2005年2月18日記
2005年02月18日
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友人と行く雪のよねざわ 2月12日は夜遅くに上杉雪灯篭まつりに行きました。雪がモサモサ降る中でしたが、友人が自動車で迎えに来てくれました。途中、ご学友にも連絡をしましたが仕事が忙しいのか連絡がつきませんでした。 雪灯篭まつり会場は、米沢市の街の中にある上杉神社と松が岬神社周辺で行われました。夜の10時近くのためか人通りは少なくなってきましたが、それでも家族連れがまだまだ楽しんでいました。 会場にはカメラと三脚が並び始めました。人通りがいなくなるとカメラマンたちの出番になるのです。幻想的な雪灯篭をカメラにおさめるには見物客が引いた後でなければなりません。この時間にはそれぞれのカメラマンが陣取り合戦と構図を決めていました。 雪灯篭を見ながら友人とそれぞれの思い出を語りました。私には家族と雪灯篭祭りに来たのは1回ぐらいしかないために、思い出らしい話は出来ませんでした。それでも滑らないように迷路のような雪灯篭の会場を楽しく歩きました。 上杉神社へのお参りでお互いの健康を祈りました。 翌日の13日はこの楽天のホームページで知り合った「はるる」さんが来てくれました。そこで私どものグループホームを見学していただき、さらには「はるる」さんの青春時代の話やアジア諸国への旅の話をお聞きしました。 その後、上杉家の御廟所に行き、上杉謙信公のお墓にお参りしました。さらには笹野観音堂、山形大学工学部、東光の酒蔵へご案内しました。 出不精の私はこの二日間で雪の米沢を探索して、とても楽しいひとときでした。 2005年2月14日記はるるさん!のホームページあやしいふるほんやさん http://plaza.rakuten.co.jp/ayashi/
2005年02月14日
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「坂田晃一」さんって知っていますか? 日本テレビのドラマの音楽を担当していた作曲家です。他にもNHKのドラマやフジテレビのアニメなどの音楽を手掛けていました。 私が好きな曲は「目覚めた時には晴れていた」(伝書鳩=荒木とよひさ)、「さよならをするために」(ビリーバンバン)、「冬物語」(フォークローバズ)、「愛の伝説」(まがじん)、「さよならの夏」(森山良子)、「もしもピアノが弾けたなら」(西田敏行)、「鳥」(杉田かおる)などです。 他にもたくさんの曲があるのでしょうけれど、心に染み入るような旋律が私にとってはたまらない魅力です。 昭和48年ごろにラジオ番組の「日立 ミュージックインハイフォニック」で「坂田晃一作品集」が放送されました。そこで初めて彼の曲と日本テレビのドラマの曲が一致したのでした。そして山本直純さんに師事していたことがわかりました。 その後、NHK朝のドラマ「雲のじゅうたん」や「おしん」で一躍有名になりました。 最近、あまりテレビで名前を見ないのです。みなさん、坂田さんの情報をなんでもいいですから教えてください。 お願いします。 2005年2月4日記
2005年02月04日
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福島へ 身体とこころを癒す 朝から福島に向かいました。珍しく晴天に恵まれ自動車の運転も快適です。 さとう日出夫整形外科で診察をしました。1週間位前から首から肩一面に痛みを感じるようになりました。腰痛もあります。 レントゲンを見ると頚椎が少し変形していました。ホットパックで患部を温めて、その後マッサージをうけました。冷湿布をはり、緩和剤をいただきました。 診察後は久しぶりに蓬莱団地入り口のカフェレストラン「風の谷」で食事をしました。女性たちで満員でした。このレストランには何回きたでしょうか。その都度面倒な話をしたことしかおもいではありません。 食事をゆったりと取り、その後115号線を土湯方面に向かい「ゆず沢の茶屋」に立ち寄り、お茶にしました。田楽と豆ずりを食べました。ボリュームがありお腹がいっぱいになりました。 この茶屋はなかなか落ち着いた木造の二階建ての屋敷です。窓からは雪景色が見えます。広い二間の茶の間にはゆったりとした雰囲気が流れています。 ボ~ッとしてお茶を飲み、このゆったりとした雰囲気を味わいました。「こんな時間の流れがたまにはいいなあ」 午後3時が過ぎました。外は強い風が吹いてきました。さあ、米沢に帰らなければ……。 2005年1月27日記カフェレストラン「風の森」の紹介ページへ「ゆず沢の茶屋」のトップページへ
2005年01月27日
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治まる 昨日の午後から急に咳の回数が少なくなり、顔の表情も元に戻ってきました。とても楽になりました。みなさんには何回もご心配をお掛けしました。ありがとうございました。 吸入器効果に薬が代わったことなど、いいことが重なりました。夜咳が出ないことで、眠れることが最大の効果になりました。 心配を掛けた友人に電話で報告すると「喉は耳鼻科だから、初期のうちにちゃんと診てもらうように……」と言われました。自分でも身体が弱いことをすっかり忘れてしまい、友人から「体の弱いはじめくんだから注意しないと」、「もう、いつまでも若くないんだよ。歳を考えて」と言われて、「そうだよなあ~」と考えなおした次第です。 今日のお昼はラブちゃんたちとラーメンを食べに行きました。夜は友人たちとスパゲティを食べました。とても美味しかったです。2週間ぶりかな、こんなに落ち着いて食事をしたのは。デザートのケーキはあまりに大きくて半分しか食べられませんでした。友人たちはみんな私に気をつかってくれました。うれしかったですよ。 まだまだ過密な仕事が続きますが、時間を区切って休息を入れながら計画をこなしていきます。 2005年1月8日記
2005年01月09日
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青大将と若大将 1月2日の夜に仕事が終わって我が家では友人たちが新年会を行っていました。 その友人とはご学友の新関さんと皆川さんです。 同じ年の私たちは息が合うのでしょう。いくら飲んでも話題は尽きません。中学や高校の思い出を話すうちに、私が挫折して埃だらけになっているアコースティックギターを取り出しました。 実は中学時代からギターを弾いているのが皆川さんです。また、新関さんは大学時代には母校の上郷中学校体育館で全校生を前にフォークコンサートをした実績があるのでした。 早速、ギターを手にした皆川さんは新関さんのリクエストで倍賞千恵子さんの「さよならはダンスの後で」を演奏し、新関さんが歌いました。妙にこのおふたりはピッタンコなのです。「ほら~皆川パパ歌え~」と新関さんがせかすと、皆川さんはうれしそうに加山雄三さんの「ぼくの妹」を歌いました。その甘いマスクと歌声に私も新関さんもうっとりして聞き惚れてしまいました。「うまいじゃないか~やれば出来る」と新関さんは酔いに任せて勝手なことを吠えまくります。 続いて新関さんの大好きな「海・その愛」を皆川さんが奏でて、新関さんが歌います。それはそれはすばらしい演奏と歌になってきました。歌の途中からは新関さんは立ち上がり、そして大きなアクションをして歩き始めます。皆川さんがはもってコーラスになってきます。 新関さんがこの歌を好きなのは、亡くなったお母上が大好きだったからです。この歌を歌うときの新関さんはいつもお母上を想い偲んで歌うのでした。 丸山圭子さんの「どうぞこのまま」、マイペースの「東京」、伝承鳩の「目覚めた時には晴れていた」、前川清さんの「そして神戸」など次々と歌は続くのでした。 スマイリー小原さんが好きな新関さんは体全体で指揮を始めます。腰の動きや手の動きはまさしくスマイリー小原さんです。 このおふたりは抜群のコンビネーションです。どこかで見たことのある光景だなあと考えてみると、加山雄三さんと田中邦衛さんを思い出しました。 そうです。東宝映画の若大将シリーズです。加山さんふんする若大将と田中さん扮する青大将のコンビにそっくりです。こちらでは皆川若大将に新関青大将です。 このおふたりでボランティアコンサートをしたらきっと楽しいのではないでしょうか。1月16日にある阪神大震災10年の神戸重度心身障害者父母の会にこの企画はいかがでしょうか?このおふたりのコンサートはみなさんがしあわせになると思いますよ。 2005年1月4日記
2005年01月04日
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お見合い 今日はお昼をはさんで「お見合い」をしました。 以前から顔見知りでいろいろお世話になっている方がお相手でした。ご本人が現れるまでの緊張感は相当なものでした。 ドドドドッーと現れたNさんはとてもお見合いとは思えない「いつものNさん」でした。 登場するとすぐに「はじめさんの趣味は何です」と質問でした。答え終わるか終わらないうちにNさんは「これ旨いね」とふぐのお刺身を頬張ります。 今度は私の生い立ちを検証するNさんでした。緊張のあまりよく答えられない私に、生い立ちから私の心境や性格を分析するNさんでした。「そういえばお見合いといえば仲人がいるはずだ」 「仲人」のSさんは私たちのやり取りをニコニコして聞いています。 おっNさんのまぶたが落ちてきたぞ……Nさんもお昼寝の時間かなあ?そろそろ私も話のネタ切れです。 そして場所を移して向かいの茶屋で抹茶を飲みました。 ここではもっぱら生活協同組合の話でした。そしてお互いの家庭への話題に移りました。 仲人のSさんは「はじめさんのところはいつも泊まり客がいて忙しいのですよ。奥さんはたいへん。よく(対応)していますよ」(あっそうだ。私には妻がいた!?)と我にかえるはじめちゃんでした。 Sさんが「今日は私が仲人でお見合いですよ」という言葉にすっかりその気になってしまった私でした。 ああ恥ずかしい。でもとても楽しませていただいたひと時でした。Sさん、Nさんありがとう。 2004年11月29日記
2004年11月29日
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ノン太さんが大工見習い 10月11日から中鉢末太(なかばち・すえお)さんが千葉・君津市から「大工ボランティア」に掛けつけてくださいました。 グループホーム結いのき正面玄関の雪囲いを作るための出張ボランティアです。前回は新関さんが助手をつとめましたが、彼は10日から日中友好協会で中国へ行っていますから、今回の助手は結いのき事務局長のノン太さんとわが息子の治虫が交代でつとめました。 設計には緻密な計算が必要です。中鉢さんと息子が寸法を測り、A4判用紙にびっちり絵と計算式が書かれていきます。 材料を調達してからいよいよ大工仕事に入ります。すると何を血迷ったかノン太さんが電気カンナをかけています。心配で見守る私と岩さんです。 ノン太さんには失礼ですが「大丈夫かい?」と私が訊ねると、「指導していただきました」とノン太さんはニコニコして答えました。 昨日になると「トントントン」と釘を打つ音がしました。私は「まさか?」と思いながらも玄関を出ました。そのまさかでした。 ノン太さんが中鉢さんと一緒に木の枠にナマコ板を打ち付けていました。その姿はかっこよく、ノン太さんの奥さんや同僚の美雪さんたちにも見せてあげたい「感動の場面」です。「やれば出来る!!」とノン太さんの真剣な顔が語っているようでした。 昨夜はお疲れ会をしました。弁舌さわやかなノン太さんです。どうして私の友人たちはこうも喋りが上手なのでしょう。大工見習いに感動して中鉢さんにその感動を一生懸命伝えようとするノン太さんでした。「やはり先生が良いと違いますね」とあらためて中鉢さんに尊敬と感謝をするノン太さんでした。教え上手に教わり上手のふたりは夜遅くまでお酒を飲んでいました。 2004年10月13日記 追記 「午後10時には着くだろう。また、30日に来ますからそれまでノン太さんに宿題をお願いしました」と中鉢さんは午後5時ごろ君津に向けて出発しました。中鉢さんいつもありがとうございます。今後もよろしくお願いします。*雪囲い=雪よけのために玄関や庭木を板や簡易の建造物で囲むことをいいます。
2004年10月13日
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今日は山形へ 体調はよくなってきています。 めまいと耳鳴りから開放されつつあります。田中先生からいただいた薬を飲むと、うそのように耳鳴りが治まりました。また、めまいも弱くなり間もなく万全になると思います。 今日は山形市の取引銀行へお邪魔をして、支店長さんともいろいろお話をして来ました。私どもの生活クラブやまがた中期計画の中で、もっと県民に活動や存在をアピールしていくためにはどのような戦略が必要かを考えながらお話を伺ったところです。 また、恩師の相澤嘉久治さんの事務所にも行き、相澤さんからはチャリティー映画へのご協力をいただいてきました。いつも気を使ってくださって感謝しています。 いよいよ明後日が映画「母のいる場所」を上映します。できるだけ多くの方々に鑑賞をしていただきたいと思います。2004年10月6日記母のいる場所あなたの家族が病気になったらどうしますか?あなたのお母さんに介助が必要になったらどうしますか?あなた自身に介護が必要になったらどうしますか?「そんなこと考えたこともない」という方がおられたら、ぜひこの映画を鑑賞してください。 私どものグループホーム結いのきに入居されているご家族からの企画で、この映画の上映が実現するはこびとなりました。 その映画「母のいる場所」です。久田恵さんの原作を映画化したのは監督の槙坪夛鶴子さんです。 60歳以上の方が30%住んでいるこの米沢では介助や介護が当り前になっています。突然の病気や事故をはじめとして高齢者介護などそれぞれの家庭でおきている介助や介護をみなさんで考えてみてください。◆チャリティー映画上映会 「母のいる場所」◆日時:10月8日(金)第1回 午前9時30分会場 10時上映第2回 午後6時会場 6時30分上映場所:伝国の杜 置賜総合文化ホール(上杉神社近く) (福島、山形、喜多方から自動車で1時間です)入場は無料です。ただしチャリティー券1000円にご協力ください。みなさんの暖かいチャリティーに寄せられたお金はグループホーム結いのきを支える会の活動に役立てられます。お問い合わせ生活クラブやまがた生活協同組合 電話0238-23-7232 Fax0238-22-6120または グループホーム結いのき 電話0238-37-0960 Fax0238-37-0961E-mail mirai21@trust.ocn.ne.jpチケットと原作はブックスマツヤ、マツヤ書店でどうぞ。 電話0238-23-2314ストーリー フリーライターでシングルマザーの主人公・久野泉(45歳・紺野美沙子)は7年間、脳血栓で右半身不随になった母・道子(馬渕晴子)の在宅介護と子育て、そして仕事に追われる。70歳まで仕事人間だった独断的で頑固な父・賢一郎(小林桂樹)とは、介護をめぐって終始喧嘩が絶えない。 小学生の息子・遼は、チック症になり、「僕にはお母さんがいない」と作文に書く…。高校に入ると、すぐ不登校になった。 泉はユニークな有料老人ホームの施設長・悠子(野川由美子)に出会い、入所を選択する。「Noを言わない」のがホームの方針で、痴呆の人を、「お分かりにならない方」と呼び、酒もタバコも恋愛も自由、入居者もスタッフも“ともにいきいき輝いて”暮らしている。やがて、母は笑顔を取り戻し、そこが「母の居場所」となる。 父の鼓に合わせて舞う母…イメージの舞台に、八重桜が舞い散る。 ◆監督 槙坪夛鶴子さん 人は誰でも老いを迎え、病気や障害を抱えたり、不安と孤独から痴呆になったりする可能性があります。 “男女共同参画”が叫ばれる時代ですが、老親介護、子育てを依然として女性たち(妻、嫁、娘)が担い、「子育てにお金のかかる四十代、五十代の世代が老親介護で家族崩壊の岐路に立って」います。 この作品は、原作者・久田恵さんの実体験によるものです。介護する者される者、それぞれの自立とは何か、介護とはどうゆう事か、ふさわしい最後の居場所はどこなのか……。 この映画が、夫婦のあり方や親子関係を見つめ直すきっかけになりますように。 ◆原作者のコメント 原作:久田恵さん 日本中で、今、介護を巡ってさまざまな物語が生まれています。百の家族に百の介護物語あり、です。 この映画もそんなあまたの物語の中のひとつ、十年の在宅介護の果てにユニークな老人ホームにたどりついた我が家の奮戦模様が描かれています。でも、そこには多くの人が体験するであろう親子の葛藤、老いの哀しみ、おかしみ、家族って、人生って、老いるって、どういうことなの? という切実な問いやら発見やらが詰まっています。 車椅子の槙坪監督が、老いた母同伴で撮影に通い、介護世代の女たちへの深い共感を元に完成させた真情溢れる作品です。撮影現場は実際の我が家や母のいたホームが使われ、作品を一層ビビッドにする効果を果たしました。 ご自身の家族の物語に重ねて観ていただきたく思います。 「母のいる場所」ホームページと予告編http://www.pao-jp.com/movie/haha.htm
2004年10月06日
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たくましい女性たち 今日は猪野さんと電話で話し、美雪さんとお茶を飲み、とても楽しい数十分を過ごしました。何しろ昨日も今日も打ち合わせと来訪が多く、メモを取りながらも頭がグルグル回ってしまいます。 トミーは腰が痛いといっています。ゴトーは体調不良です。タカちゃんの奥さんのヤスコちゃんも体調を崩したといいます。そうそうノダッチも熱を出してようやく本調子にもどりつつあります。 それに比べて美雪さんとメイちゃんは丈夫です。風邪や熱など関係ない人です。不死身です。健康保険料金も出しっぱなしで、利用など数えるほどではないでしょうか? このふたりの共通点は、よく笑い、よく食べ、大声で話す ことです。「男は気も身体も弱くってダメね」と言いたげな目で私たち男を見ます。 あっ、忘れていました。もうひとりスワちゃんを。 彼女も強い女です。めげたりしません。常に男を励まして?こき使います。たくましいスワちゃんは初々しい20代からのお付き合いです。そのスワちゃんも四捨五入すると私と同じ50代になりました。 親孝行で実父母を面倒みながら、婿さんと娘さんふたりを育てて?います。 私はこの三人の「たくましさ」に支えられて頑張っています。感謝しています。 2004年9月30日記追記 美雪さんとメイちゃんはお酒が好きで強いです。かなりの酒税を納めて社会に貢献しています。スワちゃんはシャレやあだ名を創作する名人です。三人共に気持ちが優しく、こころが豊かであることをしっかりと書いておきます。
2004年09月30日
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やすらぎ芋煮会 宮下さんご夫婦にお誘いをうけて芋煮会に参加しました。(宮下さんの家は9月6日の日記でご紹介しましたので、あわせてお読みください) お邪魔するとすでに県議会議員の木村忠三さんとそのご家族がおみえでした。しばらく懇談して、いよいよ芝生の庭での芋煮会となりました。 宮下さんの手入れによるきれいな芝生はとても居心地がよく、じゅうたんの上を歩いているような感触でした。本宅の屋根にキャンプ用のシートを庭まで伸ばして屋根を作りました。また大きなパラソルを2本立てて、4箇所に分かれて芋煮を食べるように仕立ててありました。 宮下ママさんの味付けによる芋煮がお椀に山盛りに盛られます。大きな里芋と牛肉、長ネギ、こんにゃくがどっさり入り、それらのエキスとしょうゆの味がしっかりとミックスされていました。中鍋と大鍋がありました。どちらも微妙に味が違いますが、どちらもとても美味しくいただきました。 簗沢のローケーションも素晴らしく山沿いの景色は格別でした。 こんな素晴らしい芋煮会がある傍らで、山形市では「日本一の芋煮会」が話題づくりに一役買って?いるようです。 わが師の相澤嘉久治さんがご自分が発行している「素晴らしい山形」で何回か提言されていますが、「日本一の芋煮会」をニュースや新聞で観た人の中には「山形の文化度が疑われてもしかたがないのではないか」と思うような光景です。 直径5.6m、重さ1.5tの巨大鍋にドラム缶で材料を準備して3万5千食分を一気に作るようです。ヘリコプターで鍋を運び、クレーン車で中身をかき混ぜるような光景がテレビから全国に流れるたびに、「神戸の震災を経験した人が観たらどう思うだろうか?」と考えてしまうのです。 宮下家の芋煮会は芋煮会の原点がありました。「一緒に山形の地酒を飲み、芋煮を食べ、談笑する。“交流”するのだ」(相澤嘉久治さん・記)あいにくお酒飲みは少なかったのですが、談笑に、交流し、簗沢のやさしい風と秋のまばゆい陽の中で安らぎを感じたのは私だけではありません。 久々にこころも身体もゆったりとした気分になりました。また行こう!宮下家へ。 2004年9月26日記追記 「素晴らしい山形」の再発見を探求する相澤嘉久治さんのホームページ「スペースA」もあわせてご覧ください。「スペースA」のトップページへhttp://www.space--a.com/「宮下家を紹介した みちのくはじめの気ままな日記」「自然家族 宮下家の人々」のトップページへhttp://plaza.rakuten.co.jp/mirai21/diary/200409060000/
2004年09月26日
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