NO11 ゆうの 25年間の記録

3catto


小学校に上がるまでの、ゆうの ハプニング集を ここでひとつ・・・書いて見ます。

・新しく 勉強机を 買ってもらった ゆうは 机に付いている電球を触り・・・人差し指に火傷をしてしまいました・・・が、自分からは 何も言わないので 余り大人しいから 様子を見に行くと・・・そーっと 大きな水脹れが出来た 人差し指を、差し出しました。

「(/∇≦\)アチャ-! どうしたの~~これ!?」

「ここ触った・・・」と、電球を 指差しました。

「ま~熱かったでしょうに・・・何で、ワ~とか ギャーとか 言わんとね!」

「・・・・・・無言」

「こんなに腫れて、早く 水で冷やさなくっちゃ~~」と、慌てて 冷やし 手当てをしました。

・今度は、本を買ってあげた時に、紐で結んであったので、それを はさみで切ったのは、良いんですが・・・・・またまた、大人しいので 様子を見たら・・・
「ギャー! ゆう~手首から、血が出てるよ~~どうしたの~~」

「・・・・・・無言」

「ママに。見せてごらん!」と、 よく見ると手首のところに はさみで切ったVの形の切り傷・・・・(/・_・\)アチャ-・・
「あ~~~痛かったでしょうに・・・と、手当てを しました。(;´д`)トホホ

・それから、ある時は、 なにげに ゆうの顔を見ていた私・・・・・アレッ・・・ナンカ変?

「ね~ゆう~こっちを見て~ちょっと見てごらん。」

「・・・・・・無言」(この無言が、こわいがな~~~)

「アラッ・・・ゆう・・・まつげがなんか変よ あれ~もう少し こっちに来て・・・・ギャー 両方とも まつげが 無いじゃない~~~~あ~ぁ~」何と、言う事を・・・両方のまつげを はさみで 切ってしまっていました。(/∇≦\)アチャ-!ミテランナイ
「もう、 ゆう!左目は閉じれないから はさみが目に入ったら、目がつぶれてしまうとよ!もう~~危ないでしょう~~」

無言になる時は、 大体 脳圧が上がって 頭が痛いときか、何かやった時
この様な次第で・・・ゆうの 無言は恐怖でした・・・ハイ~~!(T^T)

次男坊だからかな・・・「ごめんなさい」は、言わないし・・・怒って

「もう、勝手にしなさい!」と、言うと

「はい!」(。_・)ドテッ

お兄ちゃんも、悪い事をした時は お外に出していたので・・・・(お兄ちゃんは、直ぐに謝って 「ごめんなさい~~もうしません~」と、言っていたから

ゆうは、出したら その辺に 居ません・・・・・・・でした。(ノ_-;)ハア…

仕方ないから、3畳の 小さな部屋に 入れると・・・謝るどころか・・・(-_-)゜zzz がな~

そんな、ゆう だったので、本当に目が離せませんでした~~~~(∩.∩)

それから その頃の、質問攻めには、参りましたがね!
「僕、どうしてお耳が小さいの?」と聞かれたら

「ゆうが、ママのお腹に居た時に ゴロンとなってね、腕枕して耳を 押さえていたからよ!」なんちゃって(∩.∩)

「ママ~どうして、僕の顔 曲がっとうと~~?」

「それはね、ゆうが お腹の中でプロレスしたけんたい!」すると、ゆうが

「ふーん、そうね。うん分かった!」と、みょ~な納得(∩.∩)ウフフ

その頃までは そんな、無責任な答え方でも通用していたのでした~。

何と言っても、3年の命が倍の6歳・・・それだけで、満足でした。

ただ・・・ゆうの洋服は 毎年必要な分しか、買う事が出来ませんでした・・・怖かったからかな・・・


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その頃に成ると 新しく MRIやCTのバージョンアップなどで、それまで はっきりしなかった ゆうの 病気が段々と 解き明かされて来ました。(この時点では それでも、まだまだ 解明されて無い部分があった) 

頭の病気の為に、左半身に 軽い麻痺があるのと、

左目弱視(殆ど、見えてない)

左耳 難聴

アーノルドキアリ奇形3型(小脳が、脊椎まで下がっている病気) 

左小脳欠損の為 歩くと左~~~左~~~に、行ってしまうしね~~~(今でも、エスカレーターの登りが 苦手です~何か、後ろに落ちそうな感じになるんだって!)

アーノルドキアリ奇形は別として、他の障害は どれを取っても 直ぐに 命に関わる事ではなかったので、あまり、考えて いませんでした。ハイ~!

何より辛かったのは、 ゆうの 頭の中の 脳圧が上がり、脳が 腫れて苦しむ事のほうが、とても つらい事でした。

どんなに、苦しんでいても、親は何もして上げられないし・・・ただ 黙って見守るだけ・・・注射の1本も、してあげる事も 出来ないんですからね。

そんな時は、 心の底から 親の無力さを 痛感していました。

でも、どんなに辛くても、私は一切 ゆうには 不安な顔は見せませんでした。もちろん 家族にも・・・

不思議な事に、私の気持ちが、直ぐに ゆうに 伝わったから・・・いつでも、馬鹿な事ばかり言って 笑っていましたっけ・・・

手術の時も、いつも 笑顔でピースサインで 送りました。
そして、私は喫茶店で 一服・・・

だから、手術室から出て来た ゆうは 先生がびっくりされるのだけど、笑顔で私や家族に ピースサインを 返してくれていました。

(泣くも一生、笑うも一生 同じ一生なら 笑わなければ・・・ね!・・・笑う門には福来る・・・って事も、あるしね~~(^o^)ハハハ・・・ただの お馬鹿かも?o( *^o-)b-☆ネッ!


                     明日へつづく


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