NO12 ゆうの25年間の記録

しずく2


桜の花が咲く4月、ゆうは 普通小学校に、入学いたしました。

頭には、皮で作ったヘッドギア(ボクシングをしている人がかぶっている様な物)をかぶり、3歳児様の スーツを着て、ちょっとテレながら、新しい教室に入って行きました。

お友達と、頭一つ違うから 女の子から「可愛い~~!」と言って、取り囲まれ、戸惑っていました。

同じクラスに、障害を持った子が、ゆうも入れて3人 いました。

特別に、担任の先生も 2人、いらっしゃいました。

学校との話し合いで、毎日 付き添って居る事になり、入学した日から、一緒に 学校に通いました。


1年生の、可愛かった事(∩.∩)・・・入学した、次の日は まだ緊張していて、全員が、黙~~って 席に着き シーンとしていましたが・・・2日目からは、ボス決めの様に あっちこっち 揉め出しちゃって・・・

(ふ~~ん 成るほど・・・こうして、いろんな幼稚園から集まってきた子同士が、強い子を見定めているんだな~~)って (∩.∩)

通っている内に、子供たちとも 段々仲良くなって来て、お昼休みは もう大変!

「おばちゃん、遊ぼう~~」女の子は、引っ張るし 男の子は、抱きついて来るし・・・ゆうを、ほったらかして 他の子と遊んで居ました。
(お昼休みの 長かった事・・・なんか 保母さんに 成ったようで 参ったな~でも、このコミュニケーションが 6年間の小学生、生活を少しは助けてくれました。)

ゆうが、1年生で お兄ちゃんが6年生だったので、お兄ちゃんと お友達にも 教室に来てもらって、お昼休みの ヘルプを頼む程 大変でした。

ゆうは、女の子たちの弟の様な存在で、みんなで面倒を、見てくれてとっても助かりましたが・・・

勉強の方は、と言うと ゆうにはついて行くのが 精一杯の様子・・・入学式の時に、校長先生が お名前を書けて、10までの数が言えたら 良いですよ~~な~んて 言われていましたが、実際は 授業の進み方が早過ぎて、本当に大変でした。(本音とたてまえの違いだね~あ~やだやだ)

一応、自分の名前は 書けましたが、数の概念が いまいち理解できず、 帰ると、毎日 予習 復習で、あっという間に 夜になるって 感じでした。

そんな、1年間でしたが 一番 嬉しかった事は、 学校から2キロ以上離れた公園に、徒歩遠足の時 帰りに歩けなくなった ゆうを お兄ちゃんが、背負って帰って来てくれたことが、何より 嬉しくて 良い思い出になりました。

2年生に成ると、お兄ちゃんも卒業して 私も付き添わなくて 良い事になり 一人で、身体が見えなくなるような ランドセルを、懸命に背負って 学校に行くように なりましたが・・・

クラス変えがあり 障害を持った2人のお友達とも別れ 先生も一人になり おまけに 教室が、2階になったので 階段での事故が心配で・・・心配で

「階段は、みんなが 下りてから ゆっくり下りなさい!」と、毎日 念仏のように繰り返し 言い聞かせていました。

それから、1年生の時は、一緒だったから 具合が悪い日は、お休みしたり 直ぐに帰って来たり 出来ていましたが、一人になってからは、学校から電話があると 走って迎えに行っていました。

学校に行っている時は 今の様に携帯電話が無かったから、買い物にも 行く事が出来ず 電話の音が恐怖で、リーンと鳴ると心臓がドキッ!間違い電話だったら 
「も~~まちがっても 間違い電話なんか 掛けないでっ!」


ゆうは、小さい時から 手術の前には、食事が出来ないで、我慢をし また、どんなに痛くても 脳に負担が掛かるから 泣くことさえ 我慢をしていましたので いつも ぎりぎりまで 先生に言えなかったようでした

時には・・・痛みが 激しくなるまで 我慢をして 吐いてしまったり・・・そんな 切ない思いもさせて いたようです。

このように、3年生までは 何とか ゆうなりに頑張って通っていました。


                     明日へつづく


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