ターシャ・テューダーに憧れて

ターシャ・テューダーに憧れて

生きていく頁5


私が18歳でだんな様に出合った時、もう、義母(はは)は、この世の人ではありませんでした。。
仏壇の遺影の面差しがだんな様にとてもよく似ていて、血というものの不思議を思いました。。
体が弱かったけれど 決して泣き言を言わずに、職業軍人だった寡黙な商売人の義父(ちち)を、いつも支えてきたそうです。

ははは、入退院を繰り返していましたが、車で2時間かかる大学病院に転院したとき、ちちは、毎日かかさず通ったのだと聞きました。。
何を話すわけでもなく、ただ顔を見に、毎日通ってきたと聞きました。。

だんな様は、当時名古屋の大学を卒業したばかり。。姉が神戸に嫁いだばかりでしたから就職をしばし断念してははの付き添いをすることになりました。。
長い看病の甲斐もなく ははが亡くなった時、だんな様は、病院の寝台車でなく、自分の車に ははを寝かせてつれて帰ったのだそうです。
ははの死の後には、祖母の看病が待っていました。
そして、やはり祖母も、大事に自分が、家につれて帰りました。

「お母さんとおばあちゃんの下の世話もした子なのよ。。MIちゃん、幸せにしてやってちょうだい。」
嫁いだ後で、姉から聞かされたとき、だんな様は、
「そんなこと言うなよ。。」ちょっと怒ったようにそれだけ言いました。

3月23日は、ちちの命日でした。。
遅れましたが今日、娘と二人でお墓参りに行ってきました。

いつ行っても、店先で「ようきたね。。」と、「またおいで。」くらいしかしゃべらない ちちでした。。
今日も、きっとそうだわ。。。と、思いました。。。

ちちの、「ようきたね。。」と、「またおいで。」が聞こえました。。。



       お墓のあるところから、車を少し走らせて
            娘と食事をしました。。






「おじいちゃんたらね、おかあさんをご飯を食べに連れて行ってくれて、なに食べようかなと迷っていたら、勝手に天ぷら定食って注文しちゃったのよ。。。」
「おじいちゃんらしいねぇ。。。」

のどかな春の午後に、ゆっくり 娘と ちちのこと ははのことを偲んだのでした。。。

      お父さん、お母さん、だんな様をこの世に生んでくださったこと。。。
           心より感謝します。。。






Last updated March 25, 2006 16:09:10




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