全14件 (14件中 1-14件目)
1
我が家で一週間過ごした後、埼玉の浦和に来ています。この一週間、我が家の第二次節電対策に取り組んでみました。第二次と言うからには第一次があるわけで、まずそのことに触れてみます。我が家を建てたのはもう23年前のことなのですが、妻がその時驚いたのは、電気代が2倍になったことだったと言います。単純に広さが2倍になっていたわけで、そのことを考えれば無理からぬことだったとも考えられるのですが、当時は家族も3人の子供が居て5人でしたし、常時使っていた部屋も現在と比較しても2つも多かったわけで、この点でも、電気代が高かったのは当然だったでしょう。しかし、今よりも恵まれていたことは、当時は夏でもエアコンが必要なかったのです。近年のような猛暑がなかったことに加え、周囲にまだ森が沢山残っていたことも大きかったと思います。それでも、体調を崩した妻の希望で、当時としては最新のロータリーエアコンを導入したのです。そして、食べ盛りの子供3人を抱えていたこともあり、冷蔵庫も流行の大型のものに変えました。これで、以前の社宅住まいの時に比べると、3倍を超える電気代、2万円台後半になっていたと思います。そこで、第一次の節電対策として、7年前に、冷蔵庫を当時としては最新の、魔法瓶構造の省エネタイプに買い換えてみました。この冷蔵庫、今でもトップクラスの節電タイプであるだけのことはあり、効果絶大で、何と1ヶ月で2千円を超える、目に見え、実感できるほどの節約になったのです。エアコンも、省エネインバータータイプのものに買い換えました。これは、元々エアコンを余り使っていませんでしたから、効果はよくわからなかったのですが、買い換えて以降毎年猛暑続きで日中家に閉じ込められる猫たちのために使う機会が格段に増えたにもかかわらず、電気料金が変わらなかったのですから、効果は大きかったのだと思います。照明器具も、当初の電球から、電球型蛍光灯に取り替えていきましたが、60ワットだったものが17ワットになったのですから、効果はあったのだとは思いますが、電気料金の差はわからない程度だったと思います。節電コンセントを本格導入し、私個人で事務所に持ち込んで使用し始めたのもこの頃でしたが、これも差はわからない程度でした。その後、3人居た子供達も全員片付きますと、電気料金も逓減していき、気にならなくなってきていたのですが、原発事故の後、計画停電で停電が続いたこと、原発停止で節電が大きな課題になってきたことが契機となって、第二次に取り組むことになったのです。とりあえず最初に取り組んだことは、残っていた電球と、電球型蛍光灯に取り替えたものを、最新のLED電球に取り替えたことです。簡単にできるかと思えば、大間違いで、この23年間触らなかった電球を外してみたところ、電極ごと取れたものまで出たのです。1カ所だけでしたが、電球を外したら真鍮の電極固定ボルトが折れた(というよりも、折れていた状態で、電球がねじ込まれていたから止まっていたとしか思えない。)のです。自画自賛になりますが、この折れたボルトをうまく外した上に、同サイズの代替品を探し出してきてねじ込んで復旧させたのは、我ながら手際が良かった。LED電球、4ワットから9ワットぐらいで、普通の電球にすると、40ワットから100ワット相当の明るさがあり、寿命は20倍を超えると言われています。特に、電球色ではなく、昼光色のものは、明るさが大分アップします。ただ、単純に取り替えてOKかといえばそうもいかないところがあり、ダウンライト等で、調光機能付きのものだと、使えるLED電球も限られてくるのです。(要は、2倍ぐらいする高い電球になる。)我が家は、概ね60ワット相当のLED電球に変えていったのですが、ミニクリプトンライトを使用していた階段と浴室の照明もLED電球に取り替えてみました。結果的には、全体に明るくなりました。60ワット電球よりも、17ワット電球型蛍光灯よりも、6ワットのLED電球の方が明るかったわけです。恐らく、電気料金の差は小さいと思いますから、有意な差が出るかどうかはわかりませんが、生活の質があがった気分にはなりますから、まずはお試しあれ。来週には、天井シーリングライトもいくつかLEDのものに変わる予定ですから、それについても追ってお知らせしたいと思います。画像は、LED電球に取り替えた台所のダウンライトです。妻が感心するほど明るくなりました。
May 30, 2011
コメント(0)
盛岡の仕事も今日で終わり、帰宅できます。しかしまあ、このところの気温の変動、結構大きなものがあります。20日、21日と、福島でさえ30度を超えるかと思えば、昨日などは、20度に届かなかったり、ここ盛岡も、20日、21日はじとっと梅雨のような暑さでしたが、昨日は、仕事場の山の中では何と10度、下界に降りてきても、寒いぐらいの気温でした。私の場合、通常に通勤していても、那須の自宅と東京で10度ぐらいの温度差はざらですから、慣れたものではあるのですが、同じ場所で温度差が大きいと、体にこたえます。暑さの中、福島の避難所や学校では、放射能被害を避けるためと窓を閉め切って授業をしている光景が報道されていました。省エネもいいと思いますし、放射能汚染を恐れるのもわかりますが、エアコン消して、室内にこもっていたら、むしろ健康には悪いと思いますし、現在のレベルの放射能なら、窓を開けてもさしたる影響はないと思うのですが、どうなのでしょうか。我が家のガイガーカウンター、ミリシーベルト仕様のため、マイクロシーベルトは、測定下限以下での計測となるのですが、新聞等に発表されている数値の二桁から三桁高い数値(0~0.4ミリシーベルト)を表示します。確かに東風が吹くと数値が高まるのですが、室内と室外でそれほど大きな差は認められませんから、天気が良くて、在宅中は、常に網戸は開けっ放しにしています。(猫が逃げないように、対策しています。)どうせなら、徹底的に検査して、窓を開けた場合と閉めた場合の差についても発表して、得失を判断できる材料を提供すべきだと思いました。しかしまあ、アメリカが提示した原発の危機管理策、大変常識的で、特別なものはありませんでした。その程度の対応がされていなかったとしたら、日本の危機管理は余りにもずさんだったとしかいいようがありません。海外に行ってみると、日本が如何に安全で、治安もよく、良質の労働力を持った国であるかが、よくわかります。しかし、危機管理については、そんなことは起こらないだろうと怠っていることも事実で、せめてディズニーランド並の危機管理はしてもらわねば、困ります。画像は、盛岡郊外の山の中から見た早池峰山系です。まだ残雪があります。
May 23, 2011
コメント(0)
大震災で大きな被害を受けた岩手県の中心、盛岡で仕事をしています。昨日も触れたように、三陸沿岸は、市街地が更地と化した悲惨な状況ですので、内陸の盛岡にも影響が及んでいるかと思えば、意外にも昨秋仕事で来た時と全く変わらない生活がありました。変わったことといえば、日の丸印と「がんばろう日本」のポスターが目に付くぐらいのものですか。つまりは、それなりに活気もあり、人々の暮らしもあり、がんばっているわけです。ただ、雇用状況は厳しいのです。被災で職を失った人々は、岩手県だけで1万人を超える状況であり、その人々を受け入れるだけの産業はないのです。先週復活した岩手競馬ですが、単なるレジャー産業である以上に、1千人を超える雇用も創出しているのですから、こんな時にギャンブルなんて不謹慎な、と考えるのは筋違いだと思います。どんな産業でも、なくなれば、それだけ路頭に迷う人が増えるだけなのですから。とにかく、被害を受けなかった地域は、以前と変わらぬ生活を取り戻すことが、被災地の復興にもつながるのです。今回の大震災を、阪神淡路大震災と単純に比較することはできません。あの大震災は、巨大都市神戸に甚大な被害を与えたものの、狭い範囲に限られており、となりの更に巨大な京阪都市域の大阪、京都はほぼ無傷で残っていたのです。ですから、大阪京都は、自粛とは無縁に、むしろ明るく騒ぎ、笑いながら神戸の復興につなげていくことができたのです。しかし、今回は、被災地周辺には、大規模な雇用を創出できる産業がありません。確かに、被災地の製造業の中には、日本のみならず、世界につながるものもありましたが、京阪の産業とは桁が違うのです。壊滅的打撃を受けた漁業も、雇用の規模は大きくありません。むしろ、原発一つが、町一つ分の雇用を創出していたのですから、福島の二つと女川が止まっただけで、1万人単位の雇用の喪失になってしまうのです。当面は、被災地復興のための土木建築業が、雇用を支えることになると思います。そうして、地域に雇用とともにお金を落とすことで、復興を助けていくしかないのです。日本の他の地域は、そのための財源に貢献するしかありません。それが、消費増税になるのか、他の形になるのか、まだよくわかりませんが。とりあえずは、単なる一旅行者の見た目かも知れませんが、盛岡が元気なので安心しました。何をがんばるんだと堅いこといわずに、被災地のためにも、がんばろう日本です。
May 21, 2011
コメント(0)
昨日は、我が家の休日で、宣言どおりメダカを30匹買ってきて、5カ所の池に分けて放しました。面白いもので、大きな池で唯一生存を確認できていた茶色のブチのメダカ、新入りが入ってくると、牽制するように追いかけ回す行動を見せました。それでなくとも、大きな池では十匹近いカエルと入り乱れて泳ぎまくっているわけで、私が睡蓮(これまた、メダカが姿を消した池のものは、枯れてしまったのか、芽が出なかったのです。)を株分けして、消えてしまった池に移していると、彼らにしてみたら大津波みたいなものだったのか、カエルとともにメダカも右往左往していました。さて、一日たってメダカも落ち着いたところで、私は仕事のため、盛岡に来ました。今日は福島でも30度を超えた真夏日だったのですが、盛岡も那須と同じぐらい暖かでした。道中、震災の影響はどうなのか興味を持って車窓の風景を見ていたのですが、瓦屋根の被害度を見る限り、ひどいのは白河~福島間で、仙台以北はむしろ目立ちませんでした。しかし、東北新幹線の線路の方は、仙台以北の方が被害が大きかったようで、古川から先は、徐行運転を繰り返していました。仙台、駅周辺は、言われないと気付かないであろうほど震災の爪痕は目立たなかったのですが、少し郊外に出たところで、がれきの山が見えましたから、三陸ほどではないまでも、津波の被害は凄かったのでしょう。そういえば、帯広から帰ってくる途中、三陸上空を飛行したので見下ろしていると、本来家や建物があったであろう海岸近くの平地が、茶色の更地と化しているのが見えました。改めて、津波の威力の凄さを知った次第です。でも、上空から見る限り、茶色の更地の周りは緑の山です。つまりは、住宅建設に適した土地は見当たらないのです。どう考えても、今回の規模の津波に対抗する住宅を建設することは不可能ですから、住民は、不便を承知で離れた高台に移転するか、避難経路だけ確保して、津波が来たら捨てて逃げることに徹するつもりで元の場所にまた住むか、割り切りようだと思いました。とは言っても、心情的に何も無くなった元の場所に住むのは勇気がいるでしょうし、お役所仕事としても、もしまた津波が来た時の責任上、津波に襲われた土地に住めとは言えないでしょうし、難しいところです。先輩?となるインドネシアでは、津波襲来に備えて、1階が素通しのコンクリートの堅牢な避難小屋?を海沿いに築いたものの、住民は元の場所にまた家建てて住んでいます。一般住宅は、日本のような堅牢な建物ではありませんから、壊れたら建て直そうとの割り切りでもあります。ユッケ食中毒事件では、2005年に韓国に行った時の事を思い出しました。国際会議のためだったこともあり、正式なディナーやランチでは、ユッケは出されませんでしたし、国民食キムチすら出されなかったのです。唯一、チェジュ島での昼食レセプションの時、こっそり振る舞われたのですが、「食中毒の危険がありますから、個人の責任でお食べください。」との条件付きのものだったそうです。息子の雇っている中国人と韓国人が、日本に来て感心したことは、「どこの店に行っても、屋台に行っても、お腹が痛くならない。」ことだったのですから、日本のように清潔な環境下で食事が供せられることは、恐らく世界中探しても他にはないでしょう。その分、菌に対する抵抗力も弱くなっていることが考えられます。新型インフルエンザ騒ぎの時に、やはり息子が、「インフルエンザに感染して休むのは、日本人の若者ばかりで、特に都会育ちで抗菌消臭グッズの愛用者ほどかかりやすい傾向がある。キレイ×××なんて使って手を洗っている人ほど逆にかかっているのだから、殺菌剤は、むしろ人間の抵抗力、免疫力を下げているのではないか。」と苦笑していました。私、大学の時は、農学部で食肉関係とも深いつながりがあったのですが、食肉の流通経路は、元々生で食べることを想定されたものではありません。苦し紛れに、トリミングすること、なんて指導をしたものの、肉がもったいないだけで、たとえトリミングしたところで、絶対安全とは言えないのです。皮肉なもので、原発と今回の食中毒は似たところがあります。日本で流通している食肉は、生で食べても安全なぐらい衛生的ではあるのです。原発も、日本は世界一厳格に管理している方ですから、普通に動いている分には安全なのです。でも、世の中、絶対の安全はあり得ないのです。ですから、いくら適切に衛生管理された肉でも、食中毒することもあります。生肉が食べたければ、韓国同様、「個人の責任において、お食べください。」が正しい姿だと思います。原発も、「快適な生活と、産業の発展のためには、原発の電気も必須です。ただし、この電気を使うことには、危険が伴っています。それを承知で電気をお使いください。」と断っておくべきだったのでしょう。画像は、北上の郊外です。水田も整い、工場も動き、その一方で堤防を改修していました。
May 20, 2011
コメント(0)
昨日の昼我が家に戻って、今日はまた東京の事務所に出勤し、帰宅しました。北海道が寒いぐらいだったのに対し、東京は暑いぐらいで大変です。まあ、那須も、今朝はジャンパーを羽織って丁度よいぐらいだったのですが。さて、桜の北海道から戻ってみると、我が家は新緑の季節を迎えていました。ダルマガエルがいっぱい池に来て、ゲコゲコ鳴いています。ただ、一頃何十匹もいたメダカが、震災後数匹しか見かけなくなり、今や茶色のブチメダカ1匹しか確認できなくなってしまいました。ボウフラも泳ぎだしましたから、明日あたり、新しいメダカを導入しようと思います。この2年、天候不順の影響なのか、結構大木になっていたサラサドウダンツツジと、ザクロが突然枯れてしまいました。亜熱帯の植物であるフェイジョアは、寒さに虐げられながらも、何とか生き残っています。でも、山吹ではありませんが、花は咲けども、実の一つだになき悲しさで、種から蒔いて育てて、我が家よりも年月がたっているにもかかわらず、未だに実がなったのは見たことがありません。今年もウスバシロチョウが舞っていて、昨日は、我が家で増やしたムラサキケマンに産卵していました。ウスバシロチョウ、何日か前に紹介した青い花のエゾエンゴサクも食草にしますから、来月また北海道に行ったら、エゾエンゴサクの種を取ってきて蒔いてみようかなと考えています。さて、明日は休日ですが、明後日から盛岡で仕事です。被災地の一端となる盛岡が、どうなっているか、福島と比べてどのような状態なのか、よく見てきたいと思います。画像は、我が家のダルマガエルです。
May 18, 2011
コメント(0)
今日は、曇りがちで寒いものの、風がなくてむしろ暖かく感じた帯広でした。帯広は、初めて来たのが1997年、当時まだ行われていた道営帯広競馬最後の年でした。14年もたつと記憶も薄れるものですが、当時は今よりも活気があったように思います。当時、某水産会社が幅をきかせていて、帯広各所に異常なぐらい大きな店舗が並んでいたのが印象に残っていますが、今や影も形もなくなってしまったところも景気の動向を表しているのかも知れません。また、今の藤丸デパートの近くに、もう一つ西武だったか、デパートがあった記憶があるのですが、それも今や幻で、若い人に聞いても知らないとの答えが返ってきます。六花亭本店近くのアーケード街も、老朽化してシャッター商店街化が進行しています。かと思えば、駅周辺は見事に再開発され、新しいホテルがずらっと立ち並んで、私愛用のコンフォートホテルもできたことは嬉しいのですが、建って数年で早くも経営が変わったホテルもありますし、果たして投資するだけの需要があるのか、少々心配なところです。ともあれ、何の因果かこの帯広、来月も再来月も仕事で再訪する予定になっていますから、美術館以外にも楽しむ方法を見つけようと今から考えています。画像は、エゾエンゴサクです。青い花で、一見豆みたいに見えますが、これでもケシの仲間なのです。
May 16, 2011
コメント(0)
帯広で仕事をしています。仕事場に、文書作成用のぼろっちいウィンドウズXPのノートパソコンがありました。これ、リースアップしたものの再利用で、実は、全国の仕事場にばらまかれているのです。私、そこそこパソコンの知識があるため、各地のパソコンのメインテナンスを買って出ています。それで、帯広のものなのですが、ネットにつながっていないため、放置されていたのです。そこで、ネットが利用できるホテルに持って帰って、メインテナンスすることにしました。まず行ったことは、ウィルス対策ソフトを整えることです。たまたま、無料のアヴァストが入っていたので、それを登録しなおしてアップデートしました。それから、ウィンドウズアップデートを、マイクロソフトアップデートにアップデート?しました。これで、ウィンドウズのアップデートの用意が整ったわけで、自動更新にしてみたら、なんと最初に60件以上がヒット、インストールし終えるのにまず2時間かかりました。再起動したら、また60件ぐらいヒット、インストールし終えるのにまた1時間以上かかり、再起動したら、大物のサービスパック3がヒットしました。これ、相当時間がかかるのはわかっていましたから、放っていったん寝たのですが、古いパソコンだけあって、画面は覆って置いたので暗いのですが、ハードディスクに書き込んでいる音でインストールが続いているのがわかるのです。いい加減たって静かになったので起きてみると午前1時、ここまでで6時間かかっていました。それで再起動してシャットダウンし、1日目終わり。今朝起きてマイクロソフトアップデートを起動させたら、また50件以上ヒットしました。流石にこれで終わりましたが、ここでまた約1時間かかりました。まさか、午前1時まで付き合うとは思わなかったので、今日は少々寝不足です。今朝、仕事に行こうとホテルを出ると、カラスが一羽飛んできて、私をじっと見るのです。私も見つめかえすと、なんと足下までちょんちょんとはねてきました。丁度、昼ご飯にしようと駅の売店で買ってきたパンがあったので、端をちぎって彼?(彼女かも)の方に投げてみました。すると、驚いたのか、ホテルの出入り口の手すりにぴょんと飛び上がってパンのかけらを首を傾げながら見つめていました。ところが、何とスズメが飛んできて、横からパンをかっさらっていってしまったのです。カラス、呆然とした様子でスズメが飛んでいった方向を見ていたので、思わず笑ってしまいましたが、その後、私をまた見るのです。今度はちゃんと食べるからちょうだいという感じで。リクエストにお応えしてもう一度かけらを投げてあげると、今度はまずくわえると、隣のホテルのベランダまで飛んでいってから食べていました。カラスも、なかなか表情があって可愛いなと思いました。今日の帯広、午後から晴れて、昨日よりは暖かかったので仕事は少し楽でしたが、夕方には冷え込み、駅前の温度計を見ると7度しかありませんでした。真冬に来た時、零下17度だったなあと思い出しましたが、冬とはまた違った寒さを感じました。仕事は明日で終わり、明後日には家に帰れる予定です。画像は、帯広からみた大雪山系です。まだまだ寒いわけです。
May 15, 2011
コメント(0)
今日は、帯広の休日だったのですが、一日中雨、しかも気温は昼でも7度の寒さでした。天気が悪いとどうするか、迷うところなのですが、どうさ暇なので、傘さして帯広美術館まで歩いて行きました。北海道の都市、多くは碁盤の目状でわかりやすいのですが、帯広、根室本線が市街地を斜めに横切っていることに加え、鉄道と直角に、駅から緑が丘公園に向かって、どんと広い道公園大通りが斜めに通っているため、方向感覚が幻惑されるのです。もう14年前になるのですが、まだ帯広競馬場でサラブレッドが走っていた時に私は初めて帯広に来て、見事に道に迷ったことがありました。今思えば、西南大通りをそのまま歩いて行くと、いつの間にか90度方向変換していったことに加え、斜めになったところに公園大通りが垂直に交差しているため、見当違いの方向に進んでいったことが原因だったわけです。何度も訪れて普通まず迷わない私が何度も迷った結果、帯広の方向感覚を何とかマスターしましたが、今回帯広美術館に行く時には、順路を再確認しました。何を展示しているのか知らずに出かけたのですが、行ってみたらエッシャー展を開催していました。エッシャーというと、「物見の塔(ベルベデーレ)」や「滝」と言った錯視の絵や、「出会い」のような反復循環するイメージの絵で有名ですが、普通の絵もあり、現代イラストのような絵もあって、なかなか楽しめました。6月22日まで開催していますので、期間中に帯広を訪れる機会のあるエッシャーファンは見に行くことをお勧めします。(月曜日が休館です。)緑が丘公園、昨秋訪れた際は、エゾリスがせっせと餌を探して地面に埋めている仕草が可愛かったのですが、今回も姿を見ることができました。また、丁度カラスが営巣期で、餌探しをしているので、試しにパンのかけらを三つ並べてみました。すると父か母かわかりませんが、そのカラス、一つずつ器用にくわえてていき、三つとも口の中に入れて飛んでいきました。その後、駅の方まで戻って、六花亭の本店に行きました。おきまりというか、我が家と子供達のところに、お菓子を送ったわけです。それで昼食時間を過ぎたので、いろいろ迷った挙げ句、豚丼では芸がないので、駅のハゲ天なるお店で、カキ揚丼を食べてみました。十勝の名物を集めたカキ揚、からっと揚がっていて、大変美味でした。これ、豚丼よりもお勧めです。ハゲ天とはまた変な名前だと思っていたら、創業者が見事なハゲだったことが由来でした。歩き回って疲れたので、14時にホテルに戻って、帯広の休日は終了。画像は、帯広グリーンパークの桜です。まだ咲き始めです。
May 13, 2011
コメント(0)
門別での仕事を終え、昨夜遅くに帯広に着きました。しかしまあ、寒い。北海道だからとは覚悟していたものの、10日に30度近い夏日だった東京から、一挙に半分以下の14度の千歳に来て、昨夜の帯広は何と5度。昨日、一昨日と散策した富川の町内も、いいお天気にもかかわらず、背広の上からジャンパー着込んで丁度よかったぐらい。まあ、静内の桜は満開になったようだったのですが、富川は、ようやく咲き出した頃という感じでした。その富川、歩いていると北国だなあと思う植物に出会います。エゾエンゴサクのブルー、エンレイソウとイチリンソウとニリンソウの白、サクラソウのピンク、ムラサキケマンの紫がかった赤、なかなか楽しめました。そして、森の中で、思いがけないブルーにも出会いました。オオルリなのでしょうか、目の覚めるような青い鳥でした。うん、幸せになれるかな。いや、十分幸せだから、いいか。画像は、そのブルーです。
May 13, 2011
コメント(0)
今日は、久々に我が家でのんびりできました。1週間留守している間に、季節が大分進んでおり、1週間前には越冬したアカガエルしかいなかった池に、今日はダルマガエルがいっぱいいました。また、去年も生えたアミガサタケが、いつの間にか去年とは全く違う位置の、車庫の後ろに生えていました。さて、菅政権、大震災の影響もあって迷走していますが、昨日も変なことを言い出しました。浜岡原発を停止して欲しい。これ、福島の原発が使えない現在、現実的な議論であるか否か、先に考えるべきではなかったのでしょうか。地元にすれば寝耳に水ですし、まして、電力確保の目処も立たないのに一国の首相が言ってよいことなのか、常識を疑います。まず、大震災で東北を中心とした地域の経済活動に大きく支障を来している日本で、しかも、製造業の一大拠点である中部地区の電力の2割弱をカットしようというのは、経済活動をさらに低下させかねない暴論です。それから、東海大地震の確率云々は、あまり意味がなく、単に住民の不安を煽るだけだと思われます。なぜなら、東海地震や関東大震災については、少なくとも20年以上前から言われていることですが、現実に予知できた試しがありません。大体、世界中で地震が予知できると考えているのは日本だけであり、他の国も最初は研究しましたが、事実上不可能で、金をかけるだけ無駄と諦めたのです。実際、今回の大震災や、阪神淡路大震災のように、想定されていないところでも、巨大地震は起こるものであり、地殻変動については、過去の例を見ても急激に起こることも多く、単純に断層だけの問題とは言い切れないのです。原発を停止することの影響は、大変多方面にわたります。直接的には電力不足ですが、地元にすると、雇用の場の喪失はかなり大きなものになります。事実、福島第一原発は、数千人単位の雇用の場となっていましたし、浜岡原発も同様です。電力が不足すると、産業に対する悪影響は、トヨタを筆頭に甚大なものになる可能性があります。地震が起こるとの風評被害も問題です。実際に起こったらもっと困りますが、一国の首相が、「これから30年以内にマグニチュード8程度の想定東海地震が発生する可能性は87%ときわめて切迫しております。」なんて言ったら、原発問題どころではなく、その地域の住民は避難しろと言ったようなものであることを、理解していないのでしょうか。だからこそ現実的に、2年かかると言われている地震及び津波対策を推進しつつ、原発を動かして行くべきではないのでしょうか。大体、浜岡だけ止めるのも、変な話なのです。危険と言い出したら、全ての原発は危険をはらんでいるわけで、全て止めたら、電力の3分の1がなくなってしまうわけで、日本の産業はおろか、国民の生活も破綻しかねません。産業がなくては、雇用も成り立ちません。雇用がなくては、生活も成り立ちません。地震が起こったら危ないかもしれないとの恐れだけで、国民の生活を破綻させては、本末転倒もいいところです。全てのことについて言えることですが、使いながら、取り組みながら、改善していくべきであり、完全な代替手段がないものを、停止させようなんていう理論は、暴論でしかありません。原発反対も、理論的には正しいこともあるでしょう。私の大先輩の湯川秀樹博士も、「人間のやることだから、絶対に事故は起きる。その際、原子力は危険だから、原発には反対だ。」と原発の建設を反対していました。ただ、当時と今とは事情が違います。現在は、電力に対する依存度が遙かに高まってしまっているのです。日本の誇る先端産業は、電力に依存していると言っても過言ではありません。おそらく現在の状況なら、湯川博士も単純に反対できたか、疑問です。原発反対派は、代替エナジーがあるときれい事を言いますが、太陽電池を作るにも、大量の電力が必要なのです。石油と電気、この二つがなくては、現代文明は成り立たないのです。未然の危険のために、現実の生活を捨てる覚悟があるのでしょうか。原発を停止させるために、大量の原油を消費し、CO2を大量に排出し、地球温暖化に拍車をかけることは正しいと言えるのでしょうか。私は、省エネには積極的です。仕事場には自前で節電コンセントを持ち込んだり、自宅の冷蔵庫は、7年前に現在でも消費電力の少なさではトップクラスのものに買い換えています。(これ、電気代で元とれます。お勧めします。)あまり燃費のよくない車に乗っている分、予測運転を心がけ、アイドリングストップもします。LED照明も取り入れています。でも、それらは全て、必要最小限の電力が無ければ成り立たない生活であることを十分認識しています。国民全員をアーミッシュ(キリスト教プロテスタントの一派で、現代文明を否定し、電気や車を使わず馬車を使用し、主に農業に従事する人々。)にさせる覚悟もないのに、原発停止などど言って欲しくありません。沖縄問題しかり、現実を見ない上に、その場しのぎのことばかり考えるのが、民主党政権の悪弊です。
May 7, 2011
コメント(0)
佐賀県鳥栖市での仕事を終え、今は博多のホテルにいます。今回の大震災では、安全について、いろいろ考えさせられました。例えば、津波については、どこまでが安全なのかの見極めです。東日本大震災の津波は、従来の想定をことごとく覆すものだったのです。想定外の一言で済ますのは簡単ですが、ではどうするか、は難しい問題です。正直な話、今回の規模の津波に対抗するスーパー防潮堤は、非現実的です。事業仕分けチームが、何百年もかかると揶揄したこと自体は間違いでは無いと思います。同様に、津波に耐えうる住宅も、非現実的です。津波の威力は、防波堤すら根こそぎ破壊したほどのものがあったわけで、確かに鉄骨コンクリート造の住宅の一部には残ったものもありましたが、それだって、逆にそのまま内部にいたら無事では済まないのですから、むしろ変に安全性の期待を持たせる方が危険でしょう。ですから私は、いざと言うときに絶対に安全な場所を確保し、その場所に早急に逃げることができる手段も確保できるなら、普段は今までどおりに海辺近くで暮らすことを考えてよいと思います。先んじて巨大津波に襲われたインドネシアも、海辺に従来通りに住宅を再建しており、津波が来たら避難できる1階部分が柱のみのコンクリートの避難施設を海辺に建設していますから、私と同様の考え方によるものと思われます。水害にしても同様です。ダム建設において、90年に一度の集中豪雨を想定していることが無駄だと、現政権は問題視していましたが、平成10年8月の那須水害時の降雨などは、1日雨量607ミリ、5日間で1200ミリ超の数値は、確率的に言えば、4千年に一度と言われるほどのものだったのです。それでなくとも、地球温暖化の影響か、近年の水害は、90年に一度の想定を上回るレベルのものが散見されているのですから、事業仕分けの対象にすること自体が間違いだと思います。例えばマニフェストの目玉にした八ッ場ダム、現在吾妻川水系には水害対策に使えるダムが一つもないのですから、将来、あの時八ッ場ダムを造って置けばよかったと後悔することになるのではないかと、私は心配しています。原発問題も、どうも日本人は神経質に過ぎるように思います。現在の原発30キロ圏内の数値、本当に危険なレベルなのか、私は疑わしいと思っています。そもそも、放射線はどのような働きがあるのか、ネガティブ面ばかりを報道しているマスコミの姿勢にも疑問があります。放射線については、癌治療にも使われていますし、照射することにより、分子構造を強化する働きも持っているのです。原爆問題についても、第二次大戦時、日本にも理化学研究所の仁科芳雄博士を中心とした原爆製造チームが存在していたのです。(仁科博士自身は、原子力の軍事利用には否定的だったそうですが。)マンハッタン計画(アメリカの原爆製造計画の名称)を推進しながらも、日本の動きに危機感を持ったアメリカは、東京の理化学研究所を空襲することによって濃縮ウラン製造装置を破壊し、日本の原爆製造計画を挫折させたのですが、その事実を知っている日本人が少ないことも不思議です。私自身は、この事実を、青少年向けの科学雑誌により、10歳の時には既に知っていました。ちなみに、その科学雑誌では、1960年台後半には既にアスベストの発癌性についても紹介しており、欧米では使用を禁止したとまで書かれていたのに、日本が禁止したのは30年以上後の2006年でした。これらの問題に共通するのは、物事の表裏をきちんと教育していないことです。原発が、絶対安全なんてことはあり得ません。大量のエナジーを作り出す事ができること自体、そのエナジーの向く方向が変われば大量破壊兵器である原爆と同じであり、絶対安全はあり得ないのです。いや、原発に限らず、あらゆる物事に対して、絶対安全なんてことはありえないのです。プラス、マイナス、メリット、デメリット両面があることを正確に知らせ、その上でプラスの面、メリットの面を選択している、いや、現在の日本のエナジー政策上、選択せざるを得なかったと何故正直にかつ積極的に知らせなかったのか、教育しなかったのか、それが問題であると思います。背景には、日本には広島、長崎、の原爆による原子力アレルギーがあったこともわかりますが、危険性について隠したことで、今回の原発問題を更に難しくしたように感じられます。福島原発、最初に爆発した時点で、大量の放射性物質が放出されたにもかかわらず、原子炉は無事だ、核物質は放出されていないと大嘘ついたのですから、国内だけでなく、国際的な批判が集中したのは当然です。実際、爆発の直後、福島原発周辺では、100ミリシーベルトを超える放射線濃度が観測され、驚いた地域の消防本部が、周辺市町村に対して避難を指示し、それで慌てて避難したのが事実であり、国の避難指示とか屋内退避命令なんてものはその後であったということも、報道されていません。私が話を聞いた地元自治体の関係者は、避難指示や屋内退避については、集団で郡山に避難した後で初めて聞いたもので、国の言うことは信じられないと憤慨していました。教育は大切です。でも、偏った教育は危険です。特に安全問題については、事実とともに、プラス、マイナス、両面に触れた教育を施す必要性を感じました。
May 5, 2011
コメント(0)
今日の九州は晴れ、でも、先月29日に九州に来て以来すっきりした青空を見ていません。大陸からの黄砂の影響によるものなのですが、今回の黄砂、今まで経験したものよりも白く感じます。九州どころか、本国中国を通り越して朝鮮半島から日本まで覆うだけの黄砂、これってもの凄い環境破壊の結果でもあるわけです。緑だった黄砂高原を、荒涼たる荒原に変えてしまったからこうなったわけで、まあ、人間の自業自得と言えばそれまでなわけでしょう。遅まきながら緑化も始めているようですが、中国、国内事情はそれどころではないようですから、真面目に取り組んでいるとは言いかねる状況です。画像は、黄砂に煙る太陽です。普通なら夕焼けになりそうなところなのですが、まるでお月様状態です。
May 4, 2011
コメント(0)
今日は、世間と違って私は休日でしたので、博多の休日としゃれ込みました。とは言っても、宿泊しているホテルが鳥栖なので、博多までJRで行かざるを得ません。面白いもので、朝夕の時間帯は、在来線特急が走っているのですが、博多は中途半端な距離ですから、普通電車の門司港行きに乗り込みました。すると、途中基山で特急に抜かれ、二日市では後から来た快速に追いつかれたため、急ぐわけではありませんが、快速に乗り換えて博多まで行ったわけです。普通の休日なら、福岡市美術館か、福岡県立美術館に行くところですが、今日は生憎月曜日で両館とも休館日でした。それでまあ、博多をうろうろ歩いてみることにしました。まず目に付いたのが、駅前のブックオフ、結構大規模な店で、立ち読みするだけで、時間つぶしができます。しばらく居た後、キャナルシティの前を通って櫛田神社に参拝しました。何時もは空いているのですが、明日から博多どんたくのお祭りのためか、参拝客というよりは観光客らしき若者達と老人グループで、混雑していました。しかし、博多駅近くのこのエリア、微妙に道路が斜めに交差していて、どうも方向感覚が狂います。実際今日も、駅からキャナルシティまで行って方向修正して少し戻った形の遠回りをしており、以前には天神から駅近くのホテルに帰るつもりで、45度違う方向の祇園に行ってしまったこともありました。方向感覚の鋭い方の私ですらこれですから、自信の無い方は注意しましょう。さて、中洲川端で11時半。少し早かったのですが、博多の昼食の定番コース、ラーメン屋に入りました。博多ラーメンというと、長浜の屋台が有名ですが、どこの店に入っても東京や北海道みたいに馬鹿高くなく、安い店なら一杯300円以下、替え玉付きでもプラス百円で済むので利用しない手はありません。私のお勧めは、とにかく安いラーメンを食べたい人には、中洲川端商店街の真ん中あたりの博多ラーメン「はかたや」、少し高くてもうまい方がいい人には、そのとなりの博多長浜ラーメン「風び」です。前回は「はかたや」だったので、今回は「風び」にしてみました。ランチタイムは、ラーメンに大きなおにぎり二つ付きで550円です。(これ頼むと、満腹になって替え玉が頼めなくなるのが玉に瑕。)ラーメン屋を出て、さてどうするかと商店街の端まで行ったら、向かいの福岡アジア美術館が開館していたので、入ってみました。山下清の特別展をしていて、結構人も多かったのですが、収穫は作品のすばらしさよりも、「裸の大将放浪記」は決して誇張では無く、素顔の山下清画伯そのものだったことがわかったことでした。それで、期待はせずに一般展示のアジア美術展を見たのですが、「モンゴルの光と影」という展示で一つ気になる絵がありました。モンゴルのチェレンナドミディン・チェグミドという舌をかみそうな名前の画家の「不思議なこと」という題名の絵だったのですが、荒涼たる大地にピラミッドのようなものが点在していて、ピューマのような動物がここかしこに座っている奇妙な絵でした。その絵を見た瞬間、この光景をどこかで見たように感じたのです。モンゴルには行ったこともないし、それほど興味も持っていなかったしと記憶を整理した結果、レムリアの前世記憶に行き着いたのです。ああ、これって、中央アジアにあるはずの、女神セイシさまのクンルン宮殿か、天使の居住区マガダなのではないか。大異変前にレムリアから口減らしのために連れて行ってもらった、ピューマのミドとトゥーラの子孫たちがいるはずだから、ピューマのような動物がいっぱいいることとも符合するのです。その絵の絵はがきがあれば欲しかったのですが、それほど重要視されていなかった絵らしく、なかったのが残念でした。(興味のある方は、福岡アジア美術館のウェブサイトから収蔵品検索で見ることができますので、試してみてください。)いい加減歩き回ったし、空は黄砂で微妙に曇っていましたが暑いし、また博多駅に戻って、「博多シティ」を少し歩き回ってみました。「博多シティ」、九州新幹線開業を当て込んだ大規模な施設で、確かに賑わっていましたが、天神地区の客をこちらに呼び込んだだけのような気もしました。博多シティ、思わぬ店があって驚いたのですが、何も博多で東京や大阪の名物や、有名店のお菓子が買えなくてもいいのではと思うのは私ぐらいでしょうか。人が一杯で直ぐ飽きて、今度は快速荒尾行きに乗って鳥栖に戻りました。画像は、お勧めのラーメン屋「はかたや」と「風び」です。
May 2, 2011
コメント(0)
今日の熊本県荒尾市は、明け方の雨から夕方には晴れました。しかし、霞んだような妙な天気だなあと思っていると、どうやら黄砂のしわざだったようでした。さて、我が家の猫たちも総勢23匹になりました。昨年は、1月にチョビ、2月にミール、7月にバーディー、8月にクーと4つのお別れがありました。でも、ケロロとギロロ、夏目、クロミと千葉から4匹やってきて、福島から預かったリンで、元よりも多い23匹になったわけです。猫の集団、新入りを迎える時に多少の軋轢を生じるものなのです。ところが、リンについては、異例と言うべきスムーズさで迎え入れました。考えてみると、リンよりも先に、我が家には原発避難民4名を迎え入れた事件がありました。ほとんど来客もない我が家に突然現れた4人のよそ者に対し、何時もなら無関心を装うか避ける猫たちが、むしろ進んで受け入れ、彼らを癒やしたのです。心に傷を負った存在には、優しさをもって接してくれたのです。子供を共同で大切にすることといい、猫社会、なかなか優しい社会なのです。ですから、故郷から連れてこられた上に飼い主からも引き離されたリンのことも、大切にしてくれたのだろうと思います。でも、リン、今までの我が家のどの猫とも似ていません。妻は、飼い主の姪そっくりの顔をしていると笑いますが、言われてみると確かに似ています。彼がいつまで我が家に居るのか、それは原発問題の終息につながります。早く飼い主の元に返ることができるように、原発が落ち着くことを祈っています。画像は、リンの横顔です。
May 1, 2011
コメント(0)
全14件 (14件中 1-14件目)
1