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月曜日には金沢の休日で、まちのりレンタサイクルで市内を巡っていたのですが、火曜の仕事後、水曜日は東京で仕事、木曜一日休んで、今日は北海道の帯広に来ています。今年は、異様な暑さのせいか、我が家のブルーベリー、イチジク、栗、キウイは豊作で、昨日1日の休みにキウイ取りをしたのですが、例年よりもずっと粒が大きく、数も多く、3時間かけても恐らく4分の1ぐらいしか収穫できませんでした。また、今年は我が家に来る野鳥たちにも異変があり、メジロが数は少なくなった者の夏の間も居座っており、例年優勢のヒヨドリが、秋になった今、余り来ていません。その代わりの今年の新顔がヤマガラで、家内が面白がって餌付けしているのが仲間中に知れ渡ったのでしょうか、大群でやってきて、シジュウカラの独壇場だった餌場のヒマワリに群がってシジュウカラと空中戦を演じています。ヤマガラ、大変人なつっこい、というよりは大胆で、私が餌場の前を通りかかっても、そのまま食べていたり、頭上1メートルぐらいから、早くどけよとばかり文句をたれてきたりします。我が家に居着いているキジバトも、結構どんくさいやつらで、食べるのに夢中で、気がつくと私が前に居たもので、あわてて逃げようとして我が家の窓に衝突し、中からバードウォッチングをしていた猫たちを驚かせたり喜ばせたりもしています。他にも、オナガの集団もよく来ていますし、スズメは折角の餌を散らかす罰当たりなのですが、今年に限って言えば、カラスの数が減ったように思います。いずれにしても、周囲の森がどんどん無くなっている昨今、半分森のような我が家の庭は、バードサンクチュアリーと化しているようです。ビオトープでは、メダカが減った反面、代わりに入れた金魚が大きく育っています。特に一番大きな池に放した七人の侍ならぬ7匹の金魚、1年で大きく育って、毎朝餌をくれーと水面に上がってきて要求しています。帯広から帰ったら、キウイ取りの続きです。画像は、兼六園と言えばこれ、琴柱灯籠、そして、東茶屋町の町並み、そして、町中で見つけた変なお店、まむしの黒焼き本舗です。
Oct 26, 2012
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今日は、午後からの仕事でしたので、午前中、3日前に休館日だった大阪歴史博物館に行ってきました。特別展である「ウクライナの至宝スキタイ黄金美術の煌めき」展だけでなく、常設展との共通券を買ったら1,680円でした。博物館としては高めの料金でしたが、まず10階の常設展からと言われてエレベーターで上がると、大変眺めのよい所に出ました。歴史順というと少し違うのですが、10階が難波宮以前の展示で、丁度見下ろした場所に難波宮大極殿の跡地があったのです。大変スケールの大きな展示とも言えます。それから、歴史順に階を追って降りていき、6階が特別展だったのですが、常設展だけでも楽しめました。ただ、私は大阪出身だからよいのですが、自動の説明アナウンスがほとんど大阪弁でされていますから、大阪弁が嫌いな人には勧めません。6階の特別展ですが、正直よくもこんな黄金装飾を昔の時代に作ったものだと感心しました。スキタイという民族自体、よくわからないことも多いのですが、紀元前7~3世紀頃に黒海北岸を中心に勢力を持っていた騎馬民族であったようです。不思議なのは、大変写実的に表現されているライオン、ヒョウ、シカとともに、ワシとライオンのキメラのようなグリフィンが描かれていることです。想像上の動物で片付けられていますが、同時代のペルシャでも、グリフィンの彫刻が多用されていますから、興味深いことです。とにかく、なかなか見ることができない展示だと思いますから、興味のある方は、11月25日までに見に行きましょう。常設展示とともに、大阪城にも足を伸ばしてみることをお勧めします。画像は、大阪歴史博物館から見た、難波宮大極殿跡と大阪城です。
Oct 19, 2012
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大阪に来ています。我が家には帰れなかったのですが、今日一日は休日となりましたから、大阪市内を巡ってみました。いずれも50年ぐらい前に訪れたことがある場所なのですが、最初に天王寺に行ってみました。公園の入り方でちょっと戸惑いましたが、動物園ではなく公園の方に行ってみますと、市の美術館がありました。これ、50年前にあったかどうか記憶が定かではありませんが、とにかく当時は動物園にしか入った覚えがありませんでしたから、恐らく初めて入ることになったと思います。入ってみますと、紅型の特別展をしていました。琉球の染め物であることは知っていましたし、色鮮やかな着物というイメージがありましたが、普通の色柄の着物もあったことを、今回初めて知りました。また、素材はほとんどが木綿か苧麻(カラムシ、ラミー)であり、絹は希でした。私としては、国宝の着物よりも、松坂屋コレクションにあった防寒用に下着のように使ったのではという黄色のチャイナドレス風絹の着物が一番印象的でした。博物館を出て、河底池なる池を一周し、また元のところに戻って来て外に出て、一心寺と四天王寺に詣でました。四天王寺も50年ぐらい前に訪れているはずなのですが、全然記憶にありませんでした。聖徳太子が亀を可愛がったとかで、池に亀がいっぱい居たのですが、全てミドリガメ(ミシシッピーアカミミガメ)だったのは驚きでした。飼っている内に大きくなってもてあまして持ってきて放す人が多く、そればかり増えてしまったそうです。四天王寺から、帰宅途中と思われる女子学生たちに混じって歩いて行くと、地下鉄谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘の駅に出たため、そこから地下鉄にのって谷町四丁目で降りてみました。大阪歴史博物館で、スキタイの特別展を開催しているというので行ってみたら、何と休館日でした。丁度大阪城の前ですから、これまた45年ぶりに、大阪城公園に行ってみることにしました。行ってみて驚いたことは、観光客の半分は外国人、しかもその中の八割方が中国人だったことでした。尖閣問題で騒いでいますが、ほとんどの中国人は、日本を悪くは思っていないようです。息子が雇っている中国人留学生たち(本国では富裕層の子弟たちです。)は、「尖閣諸島は日本のものです。中国は間違っています。日本はもっと強く出るべきです。私たちは中国に帰りたくありません。日本の方がずっといい国ですから。」と明言していますし。大阪城といえば豊臣秀吉ですが、現存している種々の彼の肖像画を見た私の感想としては、アニメや漫画に書かれた彼のキャラクターの中では、NHKで放映されていた「へうげもの」の秀吉(信長を殺したのは彼であるという設定)が、一番実像に近い様に思いました。天下の名城大阪城を後にして、天満の方に歩いて行き、谷町線天満橋駅から天神橋筋六丁目まで地下鉄に乗り、今日は天神橋筋商店街を北から南まで踏破してみました。以前に来た時よりも活気がなくなったような気もしますが、それでも人でも多く、閉店している店も少なく、日本一とも言える商店街であることには変わりは無さそうです。その後一旦中津のホテルに戻り、夕方には、なんばから心斎橋筋商店街を心斎橋まで歩いてみました。天神橋筋との一番の違いは、売っているものの値段でしょう。天神橋筋は庶民的に対し、心斎橋筋は高級品揃いという感じです。それでも大阪ですから、安くするようですが。今日一日で、6時間ぐらい歩き回っていた勘定になりますから、流石に少し疲れました。さて、明日から仕事を頑張るぞ。画像は、背景に高さ300メートルの日本一の高層ビルあべのハルカスがそびえる四天王寺、大阪と言えば通天閣、そして大阪城です。
Oct 16, 2012
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1週間で、高知、那須、大阪、京都、高知と巡ってきて、今日また大阪に移動です。こんな風に出張中心の仕事をしていますと、まず大きな問題は自宅で過ごす時間が少ないことです。幸い子供たちは育ち上がっていますし、妻も、「亭主元気で留守がいい。」とどこぞやのコマーシャルのようなことを言ってくれていますが、実際は結構大変だと思います。妻、ここ10年ばかりパート勤めをしていたのですが、8月に辞めたのです。何のためかと言うと、病気や老いた猫たちの介護のためで、パートに充てていた時間をそのまま猫の世話に充てるようになりました。その分、獣医さんに診せることもできるようになり、猫関係の出費は大きくはねあがりましたが、何とかなっていますからいいでしょう。私の困りごとは、ぐっすり休めないことです。特に、仕事が夜のシフトであったりすると、12時に寝たところで、我が家で猫が呼んでいるのか起きるのは習慣的に6時前で、本当に眠っているのは4時間程度なのです。飲酒喫煙暴飲暴食は全くしませんから、それでも何とかなっているのかも知れませんが、すっきりしないのが悩みです。それから、以前から時々書いていますが、私の夢、パラレルワールドではないかと思われる世界のものが大変多いのです。中にはそのまま正夢になって実現するものもあるぐらいで、困ることは、現実との明確な区別なのです。幸い現在のところは、二つ以上の世界の区別をきちんとつけられているのですが、出張が続くと、今自分がどこに居るのかふとわからなくなると同時に、現実(と信じているのですが?)世界と、夢で経験しているパラレルワールドとの境界線があいまいになってくるわけです。本当に困ったらどうするかと言いますと、自分で自分の頭にリセットをかけます。つまり、その段階での思考を中断し、消去するのです。ここまでやることは大変希ですが、3日前に高知に移動して来た時に行いました。それまで考えていたことを忘れてよいのかという問題はありますが、フリーズするよりはよいと思ってやっています。妻には、認知症予備軍かも知れないから、今のうちに受診してみたらと言われていますが、とりあえず自分の状況は認知できていますから、問題は無さそうです。認めたくはありませんが、私に似た面を持っていた母は、認知症(アルツハイマー型)のどんな薬も効きませんでした。私自身は、母以上にアルコールや麻酔薬が効きにくい体質ですし、頼らずに何とかしていこうと考えています。このブログの更新がばったり途絶えたら、ああ、ついにおかしくなったんだと笑ってください。
Oct 15, 2012
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またもや旅の日々、自宅には丸1日の滞在で、今は大阪、午後には高知に移動です。実は一昨日、献体した母の慰霊祭があり、遺骨を引き取ってその足で大阪に来て、昨日彼女が帰りたがっていた京都の家に運んだわけです。母の人生、お世辞にもよいものではなく、私もそのとばっちりを受けてというか、大変貴重な経験をいっぱいすることができました。そんな母だから言うわけでもないのですが、解剖した医学生たちに感謝されての慰霊祭は、大変よいものだったと思います。その会の会長さんの謝辞の中に、自分の父は、医学に役立つならば、葬式もせずに献体してくれと望んだとのエピソードがありましたが、母の場合は、祖父が残した財産を使い果たし、体裁悪くて葬式は悪口の会になりそうだし、呼ぶような親戚もいないし、葬式をしないよい言い訳になるから献体してくれというのが本音だったのだと思います。献体の場合、それなりの謝礼もいただけましたし、お葬式を出さずに済みましたし、ついでに、ほとんど会ったこともないような親戚の悪口も聞かずに済みましたし、最後はお骨にして返してもらえましたから、遺族である私にとっても、そのメリットは小さくなかったのです。誰もが献体できるわけではありませんし、するためには親族の同意が必要ですが、私自身、これだけ丁重に扱ってもらえるなら、献体しようかなと思っていますし、妻や妹も、私もしようかしらと言い出しました。医学の進歩のためというよりは、面倒くさくなくていいっていうのが本音ですが。余談ですが、献体した者には、医学の発展に貢献したとかで、厚生労働大臣の感謝状をいただけるのですが、私は辞退しました。ところが、その連絡がうまく行っていなかったのか、遺骨とともに、大きな額縁を渡されたのです。幸いというか、感謝状自体は、内閣改造のお陰?で、厚生労働大臣が替わったため間に合わず、額縁だけでしたから、とても一人で持てる荷物ではありませんでしたから、丁重にお断りしました。遺骨にしても、それだけで重量の9割を占めるのではないかと思われる大変立派な木の箱と骨壺に入れていただけたのは有り難いのですが、運ぶのが大変でしたから、もっと簡素な箱と骨壺でよかたのではないかと思いました。もっとも、約200名分の遺骨を受け取りに来た遺族の中で、一人で来て電車で帰ったのは何と私唯一人で、他の人たちは、複数かつ車で来ていたのです。わざわざ、花束、供物等がございますので、複数でお越しくださいますようにと案内状に記載されていた理由がよくわかりました。遺骨が入るようにかなり大きなリュック(以前旅の友として紹介したヘドグレンの大型リュックです。)を用意していったのは大正解で、それでなかったら、遺骨丸わかりの白い包みを抱えて右往左往することになりましたから、目立つことこの上なかったでしょう。どうせ自分は死んでしまった後のことですから、少しでも社会の役に立つ献体は如何でしょうか。
Oct 12, 2012
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短い我が家での休日を過ごしています。私は仕事で全国飛び回っていますが、線量計を持っていますので、行く先々で測定してみています。1970年代までの核実験の影響もあり、放射線量0の地点は日本中に存在しません。最低でも北海道と広島以西の0.05マイクロシーベルトであり、面白いことに、岡山あたりまでの西日本よりも、北海道の方が明らかに線量は低い傾向があります。また、避難指定地域の福島県双葉郡でも、我が家よりも低い地域もあります。でも、我が家を含め、ほとんどの地点で除染をしなくても線量はどんどん低下していますし、スリーマイルアイランドやチェルノブイリの事故の知見から見て、今の線量なら、3年も立てば、福島第一の地元でも危険のないレベルまで低下するものと思っています。下手に除染すると、持って行き場のない廃棄物を増やすだけのように思います。最近、政府の方針で、30年代の原発0と、核燃料サイクルの維持の、一見相反する政策が示されることになりました。ただこれ、真相を知れば、決して相反するとは言えない面があるのです。何故なら、現在保有している核燃料、使用済み核燃料とも、そのまま放って置いておけるものではありませんから、半永久的に処理、管理は続けざるを得ないのです。まして、今の契約?では、核燃料サイクルを廃止した場合、使用済み核燃料は、使用した原発に戻されることになっています。これ、大変な危険をはらんでいるのです。何故なら、原発が運転され、核燃料サイクルが維持される限りは、各原発もそれなりに安全に管理され続けますし、使用済み燃料は、青森県六ヶ所村に運ばれて処理されることになっているのですが、原発が廃止されたら、使用済み核燃料は地元に戻ってきて保管されることになるからです。また、核燃料サイクルを維持する限りは、使用済み核燃料を加工してガラス封入した高濃度核廃棄物を、地下深くの安全な場所に保管する計画ですが、それも頓挫するわけですから、各原発は場合によっては使用済み核燃料の形でそのまま保管することになりかねません。原発が動いている限りはそれなりに管理されると思いますが、政策どおりに30年代に停止してしまった場合、以降の使用済み核燃料の管理体制も、手薄にならざるを得ません。核燃料及び廃棄物が、全国にばらまかれた状態となるのです。これって、原発を運転し続けるよりも危険かもしれない状態です。一旦使っておいて、危ないとなれば放り出すのは無責任この上なく、アメリカが反対するのももっともです。ドイツは廃止すると明言したではないかと言われる人もいるでしょうが、ドイツの場合、偉そうなことを言っていますが、不足する電力は、隣国フランスの原発による電力を買って済ませることができるのです。また、現在運転中の原発から出る廃棄物にしても、隣国フランスに処理を委託することができるわけです。だから、自分たちだけ危険を遠ざければ良いとの、無責任かつ偽善的考えでしかありません。日本も、現在、使用済み核燃料の処理を、フランスに委託しています。わざわざフランスまで運び、処理したものを、青森県六ヶ所村まで戻して保管しているわけですが、計画としては、フランスで行っている部分まで六ヶ所村で処理しようとしていたのです。ですから、ドイツと同じことをすればよいとの考えは短絡的であり、フランスが隣であるドイツと違って、地理的な条件を考えると、大変な困難を伴うわけです。一度使い出したら、使い続けるしかないのが原発なのです。興味深いおとぎ話があります。一度はいたら最後、死ぬまで踊り続ける赤い靴のお話です。原発は、赤い靴なのです。使い始めたら最後、それこそ人類が滅亡するまで使い続け、管理し続けなくてはならないものだったのです。日本の場合、お金がありますから短期的には、天然ガスその他で電力不足を補うこともできますし、実際できていますが、発展途上国は、今後の電力エナジー源としては、原発に頼るしかないのが現実なのです。さて、赤い靴をはいてしまった人類は、今後どうなるのでしょう。谷山浩子の「赤い靴」という歌が面白い。興味のある方は、以下のサイトをどうぞ。http://www.youtube.com/watch?v=-NEyxCEXcxs&playnext=1&list=PL29E221791E70232D&feature=results_main
Oct 4, 2012
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