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ネオリアヤの言葉
sat.
低く水を弾くタイヤの音で眠りが覚めた。
眼を開けたくない怠惰感でいっぱいになる。
瞼の周りの空気が薄暗くて、
そのうえ部屋を漂う二酸化炭素が全部
自分に覆いかぶさっているような重さがある。
一度寝返りをうって知らん顔を決めこむんだけれど、
数分間隔で訊こえる
ガタゴトン、ガタゴトン、ガタゴトン、ガタ、ゴトン、ガタ、ゴ、トン、ガ、トン…
電車の停車していく音が、
朝と昼の中間くらいの時間だということを私に知らせる。
わかりました。
目頭のあたりで呟いてそっと躰を起こした。
真太郎はまだ眠っている。
とても静かに眠っている。
自分の肩に手をやるとヒンヤリと冷たかった。
布団がかかっていなかったのと、雨のせいだ。
雨の休日は何もする気がおきないから、
こうして起きてみても、これといってすぐに活動を開始したりしない。
唇をとじて、上半身を起こしたままで瞼をおろす。
鼻で呼吸をしながら、このまま再び眠りにつけそうか試してみた。
眠れそうだけど、洗濯物が頭を過ぎった。
雨だけど、
溜まった一週間分の洗濯だけはやり過ごせそうにない。
カーテンの白い部分が外の色のせいで生成り色に染まっていた。
ベッドでなくてよかったと思うのは、
先に独りで目覚めたとき。
体重の移動で布団が軋んだり、沈んだりしないから、
一緒に眠っている人の呼吸を乱さずにすむ。
昨夜、真太郎は二時過ぎまでパソコンに向かっていた。
少なくとも二時までは起きていた。
読みかけの文庫本の文字が歪んできて、
もう眠いと思って時計を見たとき、針は二時十三分を指していた。
調子が乗ってくると真太郎は音楽をかけながら仕事をする。
昨日はずっとジプシーバイオリンのCDを聴いていた。
私は洋楽やクラシックには疎く、
真太郎が好んで聴く音楽の種類の文字を読み上げることすら難しい。
とりあえず英語発音ではいことはわかる。
ドイツ語やイタリア語がほとんど。
それに、音楽をきちんと坐って聴くことはまずない。
動きながら、料理を作りながら、
掃除をしながら洗濯をしながら…いつも何かをしながら聴く。
行動が忙しない私にとって真太郎がよく聴く音楽は、
BGMにしてはゆっくりすぎて調子が狂ってしまう。
嫌いではないけれど、
仕事のスピードが遅くなって捗らないので一人のときはあまり聴かない。
昼時にコーヒーを落として、雑誌や本を読むときはたまにかけたりもする。
自分の動きが優雅になった気がして、
精神的にちょっとだけリッチな気分に浸れるから。
でもそういう時に限って電話が鳴ったり眠くなったりして、
満足に聴き終えることもない。
裸に薄手のシャツを羽織って畳のうえを歩き出した。
湿り気を帯びて少し柔らかい。
シャツは真太郎のものだった。
肩の部分の縫い目が、両肩とも少し腕のほうへ下がっている。
二番目のボタンだけをとめて静かにカーテンをひいた。
ベランダにある窓際の靴までは、雨の雫は降りこんではいなかった。
けれど、規則的に空から落ちてくる水の長い点線だけが見える。
外の寒さが、窓ガラスを通じて掌に伝わってきた。
洗濯しようと思っていたのに…。
土曜の朝は決まって洗濯から一日がスタートする。
それが私の唯一の決まりごとだった。
それ以外は気分で決めることが多い。
風で玄関の扉が揺れる。
まるで誰かがそこでドアを押しているみたいだ。
独りで起きていることが怖くなった。
カーテンを再びしめる。
「真太郎…」
名前を呼んでみるが、
深い眠りについている真太郎は簡単には起きてくれそうになかった。
左手を頭のしたに敷くような格好で仰向けで眠っている。
これでは眼が覚めたときに、左手に軽い痺れを覚えそうだ。
私は起こすことを諦めて小さなキッチンに立った。
そばの独身用サイズの冷蔵庫から牛乳を取り出し、
直接口をつけて飲んだ。
換気扇を左手で押してから、煙草に火をつける。
私は喫煙者ではない。
ライターの炎と、
高温で燃えていく硝子のような色を帯びる煙草を見るのが好きだった。
燃えて黒い灰になるだけの固体の隙間で、
オレンジ色にじりじりと光を揺らめかせながら耀く光景は、
ほとんど芸術的でさえある。
少なくとも私にとっては。
ひととおり満足して火を揉み消すと、
することが何もない気がしてきた。
することが、ではなく、
したいことが何もないのだとわかる。
ガス台に背を向けて、足もとを見つめる。
ペディキュアの小指のあたりが薄くはげかかっていた。
晴れたら散歩に行くつもりでいたのだけど、
この天気じゃ無理そう。
一人で起きているのが無償に寂しくなって、
真太郎の隣にくっついて布団に入った。
真太郎の腕に鼻をおしつける。
石鹸と布団と、真太郎の体温の匂いがする。
柔らかい皮膚と男性的な筋肉のあいだにある
薄いわずかな肉感を頬で確かめると、とても安心する。
そっと乾いた唇を押し当て、同じように眠りにつく態勢に入る。
電車の音が相変わらず数分間隔で訊こえる。
小鳥の囀る声で眼が覚めた。
すずめだろうか。
耳に近づいては遠ざかるタイヤの音は朝と変わらず飛沫を上げている。
でも鳥の声がするのは、これから晴れるぞという合図のようなもの。
隣にいたはずの真太郎はいなかった。
「…」
無言で上半身を動かすと、
真太郎は畳の上で煙草を吸っていた。
私が定期購読しているファッション誌をめくっている。
左ひざをたてて、煙草を持つ左手をその上に乗せている。
「おはよう」
まだ半分眠ったままで声をかけると、真太郎は煙を顔中に巻きつけたままで
「おはよう」と笑った。
「気持ちよさそうに寝てたね、十二時だよ」
その声はとても穏やかで優しい。
真太郎となら一緒に暮らしてもいいかな…
と思うのはこういう何気ないひとコマ。
特に朝、感じることが多い。
でも決してそのことを口に出したりはしない。
言葉にすることを望んではいないし、
実際に暮らすことも望んでいない。
私は誰かと暮らすことはきっとしないと思う。
たとえどんなに気心の知れた人でも。
知れば知るほど一緒にいることが苦痛になるような気がして怖くなる。
もう、あんなことを繰り返すのは厭だった。
「雨、止んだみたい?」
「うん…たぶんね」
真太郎は、立ち上がってレースのカーテンの隙間から空を見つめる。
「向こうのほうの空は雲が薄くなってるよ…もうすぐ晴れるんじゃないかな」
黒いランニングシャツを着ている真太郎が振り向く。
肩から手首にかけて、なだらかに自然な曲線を描く筋肉質の造形は、
真太郎の躰をより一層スマートにみせる。
昼間の陽射しの中で真太郎のことをこうして、
二人きりでじっと見るのはこれが初めてだった。
あまりよく見たことも、じっくり触れたこともない。
背中に腕を回して抱きしめたり、腕にしがみついたり、
太もものあたりに手を滑らすことがあっても、
決して不用意に躰に触れてみることはしない。
なぜだろう。
しようと思ったことがないだけなのだけれど、
ではどうしてもっと触れてみたいと思わなかったんだろう。
嫌いなわけじゃない。
むしろ均整のとれた、ひんやりとした好きな躰。
温かみと冷酷さを秘めた、
自分勝手でわがままな躰をしていると私は思う。
そういう人が好きなのだ。
必要以上に躰に触れられることを、
真太郎自身があまり好んでいないような気が、私にはしている。
だからだろうと思う。
「どうする? 出かけますか?」
真太郎は私の隣に腰を下ろして訊ねた。
「雨のなか?」
云い方は、その提案を拒否していた。
「もう止んでるよ。それともゆっくりする?」
そう云ってラグビーのタックルをかけるようにして
私をスローモーションで倒すと、胸に顔を埋めた。
その頭を撫でながら、深呼吸をする。
恋人のような母親のような、
そして姉のような不思議な安定した気持ちが全身に流れていくのがわかる。
こうして私は真太郎にとって、
恋人であり母親であり姉であり、
女性性としての全ての役割を満たす存在として
これからもあり続けるんだろうと、ぼんやり確信する。
幸せだけれど、
どこか納得のいかない複雑な心境も否定できない。
真太郎とは恋愛ではないと思うからだ。
もちろん好きな想いはあるし、
だからこそ一緒に眠ったりできるしベッドをともにすることもできる。
それでも、好きで好きで堪らない、
要らない嫉妬をして苦しんで涙を流したり、
想いをぶつけて真太郎にすがりつくようなことはないのだと感じる。
敢えて云ってしまえば、
そういう恋愛の過程を経た先にある関係のような気がする。
裏切りや嫉妬、苦しみ、悦びや悲しみ、
絶望とか幸せといった様々な感情を経験したあとに訪れる、
一種の落ち着いた関係。
互いの行動を束縛してしまう恋愛感情ではなく、
互いを尊重し合い、
たとえそれが幾多の体験から学んだ自分を納得させる方法だとしても、
距離を保ちながらも好きな想いを続けていける関係。
都合のいい関係と云ってしまえばそこまでの、柔らかい想い。
一緒にいて幸せとか、楽しいとかいうレベルではなく、
それが自然だから一緒にいる。
そういう関係があるものなんだと、真太郎と出逢って初めて感じた。
もっと強い想いを抱いて苦しむ恋をしたいとも思う。
でもそうすることで真太郎を失うのは、
私にとってあまりにも不自然なことだった。
「自分」という存在があるから行動もできるし、
生きていることができる。
それと同じで、真太郎がいるから生きていられる。
全てのことが、真太郎と自分を中心にして放射線状に伸びた先にあるのだ。
原点であり、帰点でもある。
真太郎も同じように感じていると思う。
こんな感覚を、どちらか独りだけが勝手に感じられるはずがない。
でも、真太郎が私と同じように、
「納得のいかない複雑な想い」を抱えているかどうかはわからない。
まるっきり満足してるのかもしれないし、
私以上に遣り切れなくて、家族のような重くて、
それでも心の拠り所的な感情を二人の関係に対して、
持っているのかもしれなかった。
一人でいるときにはあまり考えない、
真太郎の気持ちも私の気持ちも、
こうして二人でいつものように同じ空間にいると不思議に心に浮かんでくる。そして気づくのは、
私があまりに真太郎のことを本当は知らないのかもしれないなあ、
ということ。
かと云って、それで不安を感じることも、覚えることもない。
それはそれでいいような気がしてくる。
いつか、必要なときになったら、互いに知ることになるだろうと感じるから。
「おなかすいたね」
私は真太郎の右手の指を見つめながら云う。
「…そうだね。何か作る? 何が食べたい?」
「ナシゴレンが食べたい」
「また云うことが突飛でいいよね」
「豆板醤ね、昨日買ってきたから冷蔵庫に入ってるのよ」
「ナシゴレンね、作り方知ってる?」
「うん…隣で教えてあげる」
真太郎は苦笑しながら立ち上がると、
炊飯器の中身を確認してから、冷蔵庫を覗いて目ぼしい具を取り出し、
手際よく刻みだした。
料理は二人ともできるけれど、
私の家にいるときは真太郎が作ってくれることが多い。
体育坐りをしたまま私はその光景を眺めている。
好きな男性が自分のキッチンで料理を作ってくれている姿を見るのは
とても嬉しい。
真太郎は嬉しそうな楽しそうな表情をしながら作るわけじゃない。
どちらかというと真面目な顔をして、包丁を握り、
テキパキとこなしていく。
笑いもせずに。それが堪らなく幸せなのだ。
そして後片付けは私がする。
真太郎と私の家は眼と鼻の先。
というか同じマンションに住んでいる。
真太郎は七階に、私は三階に部屋を借りている。
私が引っ越してきたとき既に真太郎はこのマンションに住んでいたし、
二人の関係は始まっていたので、
私たちのことを知っている人たちは一緒に住んだらいいのにと云った。
そして一緒に住むものだと思っていたらしい。
でも私はそんなこと全然考えていなかった。
正確には一度考えた。
そして真太郎とも話し合った。
結果は、別々に暮らしたほうがいいだろうということ。
私たちが一緒に住んだら、
それは一緒に住むことの意味が全くない生活になると思ったから。
なんのために一緒に暮らすのかがわからないのであれば、
一緒にいる必要はない。
わからない理由は簡単だった。
互いが好きなことをし、
好きな時間に帰ってきて偶然にも時間があえば顔を合わせて、
そして一緒に寝たりする。
それは一緒に暮らすことにならない。
それでもいいとしても、やっぱりそれではあまりに空しい。
私たちは、そういう生活を送ってきた。
付き合ってからも、
他の恋人同士のように何かを約束して出かけたりすることは少なかったし、
一緒にいないときの互いの行動をほとんど知ることもなかった。
事後報告だったり、
時には共通の友人を通して、
真太郎が出張に行っていることを知ったこともあった。
「云ってなかったっけ? ごめんごめん」
「何の仕事で出張に行ったの?」
と、そんな具合が普通の二人だった。
でも互いを感じ、一緒にいたいという想いはある。
真太郎も私も決まりごとを作るのも守るのも苦手で、
そこのところも似ている。
一緒に暮らすのであれば一緒に暮らすなりの決まりごとが出てくる。
作らなくても必然的に生じてくる。
それが苦痛になったとき、互いの存在が息苦しくなる。
そのことを二人とも知っているのだ。
だから、それであれば別々に暮らして行き来するほうがいいだろうと思った。そのほうが互いが自分の生活を守りながら、尊重し合えると。
ある意味とてもわがままな自分勝手な結論なんだろう。
それでも二人がそうしたいと話し合い、
もしいつか未来において一緒に暮らすことがもっと自然になったら
そうすればいいと感じている。
だから今はこれでいい。
真太郎と出逢って、
いろいろ話しをしていろいろなところへ行って、
途中で好きな想いに気づいて、好きだと云った。
そうしてようやっと私は自然な生き方を
自分に対して選択できるようになった。
自分の躰と心がラクに、ゆっくりと生きていくことのできる道を。
そのことだけで私には十分幸せだった。
真太郎に出逢えたこと、真太郎が存在していてくれるだけで、
それ以上は本当にどうでもよかった。
その日の夕方、雨あがりの西陽が煌々と輝きだしたころ、外出をした。
ゆっくりと散歩をしながら狸小路まで行く。
「来週末は、泊り込みになっちゃった」
「会社に?」
「施設内のホテルを取ってくれるみたい」
「それはよかった。でもいいなあ」
真太郎はたぶん、そのホテルを想像しているのだと思う。
私は札幌のイベント会社に勤務していて、
イベント企画部に所属しているため、
仕込みやらで泊り込みになることはしょっちゅうあることだった。
今回の施設はアミューズメントとショッピング施設が
一緒になった大型モールで、ホテルも併設している。
「俺も泊りに行きたい」
俯き加減で、呟くように私を振り返った。
「…なんでそんな子供みたいなこと云うのよ。自費で泊まる?」
「アヤが泊まるのに俺は自費なの?」
「私は仕事なんだよ、これでも」
イベント自体が遊び中心の内容なので、
どうしても私が遊びながら仕事していると思っているらしい。
私の楽観的な性格のせいだし、まあ楽しいことに変わりはないけど。
「同じ部屋ならいいんじゃないの?」
「よく担当してる施設だから、ホテルの従業員もほとんど顔見知りなの。無理に決まってんでしょう」
「だよね…冗談だよ」
冗談に訊こえないのが真太郎のいいところだ。
着古したジーンズのポケットに手を入れて歩く真太郎。
Vネックの黒いセーターが躰にフィットしていてとてもよく似合っている。
真太郎は右足のほうがほんの少しだけ長い。
だから本人は気付いていないだろうけれど、
右足から踏み出す一歩はその分だけ大股になる。
歩調を合わせるのが実は楽しくて仕方がない。
ズボンを買っても、裾を切ることはほとんどないけれど、
右足に合わせて買うように私は勧める。
左足を一㌢になるかならないかの幅で切り上げてあげるとちょうどいい。
その作業だけは私が率先して請け負うようにしている。
店に頼んでも成功した試しがないし、
唯一私が真太郎のためだけにしたいと想う行為なので、
誰にも渡したくない。
「今度のイベントって何?」
「ミニギャラリーを作るんだ。広いパブリックスペースがあって周囲が店舗になってるから、音が出なくて集客につながるイベントが欲しいって云われてて」
「誰の作品展示すんの」
真太郎は音楽だけでなく、美術にも興味を持っている。
そこは私と同じで話が合う。
いつもならば、真太郎と盛り上がって、誰の、
どの作品を提案しようかとあれこれ考えていただろう。
けれど今回は真太郎に相談せずにアーティストを選んだ。
念願のプロジェクトだっただけに、
企画に関しては、自分ひとりで遣り遂げたかった。
そして真太郎に報告したかった。
「柘植航行」
「うっそ。現代美術家じゃん。この時期によく呼べたな…本人来るんでしょ?」
「まあね。本人に搬入してもらうから」
両腕を腰にくっつけて、
ちょっと自慢気に私は胸をそらした。
柘植航行、ツゲノコウコウ。
彼は昨年の横浜トリエンナーレをきっかけに、
日本の現代美術界の最前線に躍り出た人物で、
今年のベネチアビエンナーレ出展が決まっている時の人。
私が東京のギャラリーの仕事を担当していた五年ほど前に知り合い、
札幌でイベントの美術面を手伝ってもらったことが何度もあった。
今回は、昨年の横浜での作品を中心に新作を一点加えた内容なので、
搬入の時間を拘束するものの、
それほどの負担にはならないからと本人が快諾してくれての実現。
これまで、
「美術なんて人来るのかなぁ。しかも現代美術でしょ?」
「よくわかんないんだよな」
と云い放ってよく読みもせずに机のうえに企画書を投げ出してしまう、
現代美術やアートに関心の薄いクライアントの中堅どころのおじさまたちも、
「美術界のオリンピック的位置づけのベネチアビエンナーレに今年出展する…」
と説明を始めると身を乗り出してきた。
やっぱり企画書は読まないんだけど。
「日曜の搬入、火曜日夜のオープニングパーティーが終わって、水曜にイタリアに経つんだって」
「オープニング?」
真太郎はますます驚いて訊いた。
私はおかしくて、歩きながらお腹を抱えて笑ってしまった。
「そんなことまですんの? だって仮説ギャラリーだろ?」
「そこまでするからイベントとして意味あるんじゃない。ホテルなんかでやっちゃ意味ないし…ま、それは私がやりたかったんだけどね。面白そうじゃない。オープンスペースでやるオープニングパーティー。ノンアルコールのビールを先着百名まで一杯サービス。勿論事前に美術関係者を招待してあるから、それなりに見た目も人数も伯がつく手はずです。それに、火曜、水曜の夜が特にお客さん少ないって云ってるし、結構反響あるみたいよ。HPに問合せ凄く入ってるって、昨日クライアントの営業さんが電話してきた」
「それは俺も行っていい?」
「真太郎も招待者リストに入ってるから安心してね」
今回は、ちょっとした仕掛けをしているのだ。
招待者、つまり美術関係者やプレスには受付で首から下げるパスを渡し、
会場にいる間中はそれを携帯してもらう。
一種の煽りだ。
実は、その場所でミニギャラリーを行うのは私の希望企画案で、
できれば継続性を持たせていきたいと願っている。
そのためにはクオリティーを上げなくてはならないし、
同時に現代美術の一般的な認知度を高め浸透させたいとも思っている。
招待者の厳選が必至なのは、
そのパスを持つ→自分もそれが欲しい→登録する→
次回優先的に招待される→ちょっと特別な気分(優越感)→
施設の情報を事前告知する…
と最終的には施設の利益へとこじつけているのだけど、
かっこいいもの、ステキなものほど
自分と他との眼に見える差別化を求めたい心理が人には働く。
だからこれが成功すると、施設の求める若い世代の客層を取り込めるし、
私も定期的にギャラリーを開設できる。
今回は、目玉となる柘植航行の存在を中心に、
「パスを下げる」というステイタスを
一般の来客者に印象付けることに重きを置いた。
「ねえ、夕飯どうする?」
「そうだなぁ。さっきナシゴレン食ったしなあ…焼き鳥は?」
「いいよ~そうしようそうしよう」
真太郎は私と違って和食党。
それも、最近流行りの隠れ家のような、洒落た店ではなく、
筋金入りの居酒屋専門だ。
カウンターしかないような狭くて、黒光りした、
一見場末の居酒屋のような店を見つけては一人で飲みにいくのが半分趣味。
今日のような湿度を含んだ晴れの夕方は、
オープンテラスか屋台風のアジア料理を食べて
二人で汗をかいていることが多いのだけれど、
昼間は私の注文どおりだったので、真太郎の要求を呑んだ。
「新通市場って知ってるか?」
「新通市場? 知らない。どこにあるの?」
「狸小路五丁目あたりを南に行ってだな、ススキノも通り越したところにあるんだけど、これがまた異常にさびれた通りでさ。夜はけっこう提灯が下がってるんだけど、およそ昼間は活気がないね」
生き返ったように喋りだす様子からして、
ずいぶんと入れ込んでいる店のようだった。
「仮にも市場という名前がついているんだから、一昔前は通りに並ぶ食堂や八百屋、果物屋なんかも威勢のいい声を出してたんだろうけどな…。住宅地からも離れてるし、繁華街が近いせいもあって、長いあいだ廃墟でしたって雰囲気なんだ」
「焼き鳥の店は普通に営業してるの?」
「混んで入れないということはないけど、常連のサラリーマンが毎日来てるらしいからな。おやっさんが一人で切り盛りしてて、客が素材を持っていくと調理してくれるんだ」
「おいしい?」
「上等なもの使ってるよ。いいもん使って、それなのにサラリーマンが週に二~三回通えるような価格設定してるから儲からないんだよ」
ま、そこが魅力なんだけどね、と嬉しそうに笑ってみせる。
互いの近況を話しているうちに、
その新通市場の東側入り口にたどり着いた。
東西に百㍍ほど伸びた市場は、道幅おおよそ三㍍程度の狭い路地だった。
入り口のアーケードには、
アーチを描いた看板に『新通市場』と赤茶けた錆びた文字で書かれてある。
ほとんど昼間もシャッターが降りたままであることを思わせる、
人の気配の感じられない、暗い道だ。
お化け屋敷の玄関をくぐるような勇気を要する。
確かに通りの奥のほう、西側には、
赤い提灯が暮れ始めてきたうす闇にその色を滲ませている。
それだけが唯一の救いの、
『新通』とは名ばかりの市場だった。
「もうちょっとなんとかならないものかねえ」
私は、真太郎の左腕にわずかにつかまりながら、
両脇の青や灰色のシャッターを交互に見つめた。
張り紙がしてあったような跡が所々残っている。
四角く日に焼けずに元の色そのままだったり、
張り紙の端っこの部分だけが風に飛ばされずにテープでおさえられ、
破れた三角の紙だけが留まっていたり。
「これが本当の隠れ家ってやつだろ」
「…隠れても誰も探しに来てくれなさそうな…それより治安悪すぎて怖いよ」
「もとい、居酒屋はおやじの行く店なり。おっさんの心の拠り所なわけよ。若いやつがほいほい気軽に入り浸れるような店は他人の眼を意識したファッションだからな…こういう感じのほうが入りやすいんじゃないか?」
自分だって若者のくせに、と私は胸中でつっこむ。
「もとい、昨今は中年でも男性でも襲われる時代ですからねえ。気をつけてよね」
お目当ての店は、
路地にも簡易のテーブルと席が出されており、
夜気と夜風に吹かれて涼しげにビールを飲んでいる
サラリーマン風の男性三人が陣取っている。
中からも声が漏れており、人影が揺れているのが暖簾越しに感じられた。
「らっしゃい! あれ、久しぶりだね」
焼き台の前にがっしりと仁王立ちして、
串を焼いている男性が真太郎に向かって大きな声をあげた。
年齢はそう、六十代前半だろうか。
黒いTシャツに、
汚れのこびりついたもとは白かった小さなエプロンを巻いている。
額と鼻のあたまにうっすらと汗をかいている。
店内は暑かった。
「今日は二人なんですけど、席…あ、カウンターでもいいですか?」
「いいよ」
私を見て、もう一度真太郎に視線を戻すと、
やっと初めて笑顔になった。
作り笑いのない、自然な豪快な笑顔だった。
すし屋のようなカウンターで、
焼き鳥屋にしては小奇麗なこじんまりとした造りの内装。
ただし、テーブルにははねた油で薄い膜ができている。
爪で触れるとかすかに沈む感触がある。
ノースリーヴを着てきてよかったと思った。
店の奥には小さなテレビが置いてあり、
その周りには四人掛けの席が四つ並んでいて、
今日はカウンター以外満席に近い状況だった。
入り口左側にカウンターと焼き台、
そして右手には二人用のテーブルが壁にくっついて二セット並んでいる。
わりと若い客層だな~と思いながら、
自分たちが坐る席のすぐ後ろにあたる二人席の客に視線を落としたとき、
私の眼が止まった。
呼吸も、坐ろうとしていた動作も、私のなかの時間も、
一瞬だけ。
けれど、その席に坐っている人間のほうが、
少なくとも私より数秒前から動きが止まっているようだった。
もろに視線が合った。
「一彰?」
「アヤじゃん」
名前を呼んで互いを確認するような行為をしているけれど、
それは何かを隠すような、
周囲の関心を二人の驚きから逸らさせるためのようにも感じられた。
「知り合い?」
先に腰掛けてしまった真太郎は、
躰を左にねじって私と一彰を交互に見比べた。
「え、あぁ、大学が一緒だったの」
私は驚きを隠さずに、片方の眉を上げながら真太郎を見て坐った。
「久しぶりだね、元気だった?」
懐かしさは全然、これっぽっちも湧き上がってこなかった。
一彰は私の問いに曖昧に頷くと、
ちょっと言葉を探してるふうだった。
どうしてもっと違う反応をしてくれないんだろう。
と私は少しだけ腹立たしかった。
相変わらずとっさにその場を取り繕うことのできない人だった。
私に「誰かと一緒に暮らすことはきっとしない」と思わせた人。
ドップラー効果。
そんな言葉が浮かんだ。
高く訊こえていた音が、通り過ぎるそばから低い音に変わっていく。
そして消えていく。
恋愛はドップラー効果に似てる。
たった今そんな気がした。
一彰の厭な面しか、いまの私の心には映らない。
それがわかったからだ。
私がそれ以上話さないので、真太郎もそれ以上訊いてはこない。
真太郎は勘がいいから、
決壊が張られるとそこを無闇やたらに破ったりしない。
私もそういう人間なので、一緒にいても互いがわかるから、
それ以上訊かなくてもストレスが溜まるということはない。
一彰はそうではなかった。
修復する方法を知らず、手段も持たないのに、
それなのに決壊に踏み込んでかき回した。
全てを知らないと気がすまない人だった。
すべてを知っても、
相手や自分のもとに「知ったこと」を近づけていかなくては
意味のないことなのに、そうすることもできないのに、
知りたがった。
そうして互いにただ傷つくだけの日々。
いたずらに言葉にして抉られる気持ちや心。
一彰は私を知りたいと云ったけれど、
言葉にして語られること全てが真実ではないことを、
一彰はわかってくれなかった。
ただただ不安だったのだろうということは伝わってきた。
私にはどうしてあげることもできない不安を抱えて、
一彰は苦しみ、私をその苦しみに巻き込んで消えた。
私はとても人間づきあいが下手だ。
仕事上で出逢う人たちは一様に
「嘘だぁ」と云う。
初対面の人とも臆せず笑顔で話しをするし、
世間話から仕事に運ぶ話題のセンスがいいという。
年齢がかなり離れたベテランのスタッフと共にいることが多く、
彼らとも問題なく驚くほど巧みに仕事をこなしているように見えるらしい。
「あれだけできたら十分だよ」と、云う。
そうなのかもしれない。
実際、そう見えるよう努めているから、
相手や職場の人間からそうやって評価されていることを訊くのは嬉しい。
でも本当はいつもビクビクしている。
どんな話題からふっていけば相手が厭な思いをせずに、
こちらの意図する方向に働いてくれるかを考えなくては仕事が進まない。
人との距離をもの凄く考えるから、
幾通りものやり取りを想像してから、仕事に臨む。
だから楽しくはあるけれど、人と会ったあとはひどく疲れる。
肩から背中にかけて石になったように、姿勢が悪くなり、
しばらくぼんやりすることが多い。
けれど、仕事を離れてしまえば極端な話、
彼らとのそんな緊張関係は存在しない。
だから割り切って接することができる。
私自身ではあるけれど、一日のうち数時間だけ、
自分を社交的に変えればいいのだ。
そう思っているからどんなに初対面の年齢が上の人とでも、
笑顔で慣れた風に言葉を交わすことができる。
でもそれは人間づきあいではない。
個人という、一人の私ではないのだ。
役者のように振舞える私も私なのだけど、
決して内面的な人格を表に出してはいない。
そうすることに慣れてしまったのが先か後かはよくわからない。
表面的な付き合いだけで仕事が進行するわけじゃないから、
勿論ハートの問題だって大切だけれど、
仕事の人間関係が巧く運び過ぎて、
自分自身が一個の人間に戻ったときとのバランスが取れなくなっていた。
相手の意見や話に先に耳を傾け、
その後でまるでその場で妙案を思いついたかのようにして、
実は予定どおり自分の思惑のほうへと相手を巻き込んでいく術。
私の考えは二の次であると振舞ったうえで、自分の出方を決め、
私の描くイメージのほうへ、
相手と並んだりその背を押すようにして連れて行く。
仕事では、それは計算どおりに運ぶ。
目的さえ互いに共通であれば、途中で意見が分かれても、
激しい思想がぶつかり合っても、
決められた時間までに答えにたどり着くようになっている。
割り切った表現をすると、その駆け引きのタイミングが、
遅くなるか早まるか、どこでどちらが妥協をするかが、
それぞれ仕事に関わる人間の腕にかかっているだけのこと。
そして、人と仕事は同じではない。
とてもよくわかることなのに、
私には仕事を離れたときに自分をどう伝えていいのかがわからないのだ。
とくに恋人との話のなかで、
互いの目的がひとつに定まっていることなんかほとんどない。
目的のある会話のほうが少ない。
何がきっかけでそんな話になり、
そうして自分でも知らないうちに
自分たちの本質を探るような話題になっていく。
だから、駆け引きなんてものは存在しなくなる。
駆け引きが意味を持っていられるのは、
恋人になるまで、もしくは恋が恋のまま進行しているときだけ。
恋の駆け引きと、
好きな人のそばでボンヤリと過ごすことが私はとても好き。
何も自分を追い詰めることなしに、
そのまま一緒にいて、
天気がいいね、眠いね、何食べようか、もう少し抱きしめてていい?
そんな会話をしながらただ一緒にいる、
それが許される時間が恋人との時間だと思っている。
どうして、なんで、それは違うよ。
本当はどう想っているの。
一彰はそういう言葉を突然に私に向けた。
そしていつも議論じみた、喧嘩ごしの会話になる。
負けず嫌いな私の性格も手伝って、
それはどんどんエスカレートしてゆく。
どうして私をゆっくりさせてくれないのだろう。
こうして寛いでいるのが本当の私なのに、
それ以上何を求めているのかが私にはわからなかった。
私がそのとき何を考え、どう感じ、
未来にどうしようとしているのかをとても知りたがった。
それも性急に。
そうすることで彼自身が安心できるかのように、
いつも言葉にして求めた。
私だっていろいろに悩んで決めかねている未来のことを、
彼は逐一、その過程までも知りたがった。
わからないことが不安なのだと云って。
言葉にするまでに時間がかかる人間だから、
もう少し待ってと云っても無理だった。
素直な感情を言葉にするために、
わざと喧嘩ごしでふっかけているのかと感じるほどに。
確かに、少しずつ、
想いを言葉にすることに躊躇も迷いもしなくなっていった。
それでもやはり、一人で考えたり、
自分と向き合ってからではないと言葉にすることはできなかった。
「じゃあ私が一人で考えたり、揺らいだりする心の余裕はないの?」
「どうして一人で考えるんだよ。俺がいるのに」
「一彰と分かち合いたいことはちゃんと話してるでしょ。一人で考えちゃいけないの?」
「いけなくないけど、そういう状況にあることを云って欲しいんだよ」
「言葉にできる状態じゃないから、一人で考えるんでしょ?」
「一緒に悩みたいんだよ」
「それとこれとは別よ。一緒に考えて欲しいことは、そう云うから…」
「不安なんだよ」
「どうして? どうして自分の気持ちばっかり…好きで一緒にいるだけじゃ駄目なの…?」
自分が泣きそうになるのをぐっと堪えながら、
いつまでたっても平行線のまま近づくことのない二人の距離を
行ったり来たりする。
私を留まらせるものが何か、わかっていた。
それは自分自身を失い、
一彰だけに頼って生きていくだけしかないだろう自分の未来。
そんな将来だけは選択したくなかった。
一彰と私が別れて生きていくことを考えたことはないけれど、
それでも彼しかいない、
彼しか頼る対象のない人生は私の求める生き方じゃない。
それだけは知っていた。
全てを打ち明け、全てを理解してもらおうとしたら、
一彰との時間以外を過ごすことはとても難しい。
片手間で理解できるほど、人間はそんなに簡単ではないからだ。
一彰と一緒にいながら、
私は私で自立して自分の生き方を生きていたい。
そうして互いに高めあっていたい。
そのために一人で考え、悩むことはとても大切なこと。
一人の時間を過ごすことで見えてるものがあるのに。
なぜ、一彰はそのことをわかってくれないんだろう。
彼の中に支配欲があることは知っている。
権力を持って支配するというほどの強さも割り切り方もないかわりに、
相手を自分の思考に迎合させて支配し、
そうすることで安心していたいという欲求が常にあるのだ。
それは彼自身も認めている部分。
それが大きく幅を利かせない限り、私と一彰はとても自然な関係なのに…。
でも、その部分こそが決定的に二人を近づけない壁でもあった。
「アヤのこと信じられないんだよ」
「何それ…」
その日、学校を休んでずっと一緒にいて、
またいつものように色々議論をしてやっと帰宅した夜、
電話ごしに一彰が云った。
優しい言葉を探すのも億劫になるほどに、私はほとんど疲れきっていた。
居間にある電話のコードをいっぱいに伸ばし、
畳の部屋で扉をしめて坐りこんだまま一彰の言葉を訊いていた。
少し日に焼けたふくらはぎが、
薄暗闇の中に浮かび上がっている。
なんで、電話なんかしたんだろう。
あんなに一緒にいたんだから、今日はすぐに寝てしまうつもりでいたのに。
それは予感だったのだろうか。
彼の声もまた疲れていた。
「不安で…何を考えてるのかわからなくてさ」
「あんなに話したのに? 一生懸命、一彰の質問に応えようとしてるのに、そんな云い草ってある?」
ひどい。そう思った。
「信じるって何? それって一彰の気持ちでしょ? 自分が信じるものを信じられないなら、一緒にいる意味あるの…?」
強く云う元気もなくて、諦めにも似た、ため息混じりの疑問をぶつける。
信じる。
その言葉はとても曖昧で甘美なくせに、
人を簡単に自分のイメージに縛り付けてしまう。
これまで何気なく使っていた「信じる」という言葉を、意味を、
時によっては純粋な想いを伝えるであろうひと言を、
一彰との関係のなかで私は嫌いになっていた。
信じるって何だろう。
信じたいものは一体、
人間関係のなかでどれだけの意味を持つのだろう。
そんなふうに感じてしまう自分も嫌いだった。
もっと純粋に、
人と人の付き合いは、互いをよしとする想いのうえに成り立つものだと思う。
それを「信じる」という言葉に私は置き換えて使ってきた。
けれど、一彰はそれさえ否定してしまった。
自分が信じたいイメージを作り上げ、
それに沿わないと「信じられない」と云う。
信じるのは自分自身の思いや気持ちであって、
人に強要することじゃない。
まして相手に求めるものでもないはずなのに。
宗教で神様を信じること、それだって、
神様に何かを求めてるわけじゃない。
自分の精神的な部分に信仰を置くことで、自らを高め、反省し、
そして信じるものに自分から近づいていく。
そうすることで自分が、自分の気持ちが救われるからだ。
完全に信じきるまでには、勿論、
神様に見放されたから、裏切られたから失敗したんじゃないかと
思うこともあるかもしれない。
でもそう感じることは、
自分が本当の意味で信じきれていないことの証だと、信仰では説く。
信じるとは、あくまで自主的な行為なのだ。
自分との問答が繰り返され、端からみるととても孤独にみえる行為。
だからこそ、信じることは難しいし簡単に言葉にできることではないのだと、
私は思う。
信じる気持ち、信じたい思い、それは誰にでもある。
けれどそれは、自分のうちに留めておくものであって、
やっぱり他に求めることではない。
信じる。
その主語は「私」であり「自分」なのだから。
主体である自分が信じることに揺らいでいる。
まして信じられないとまで断言するとき、
「信じよう」とすることの意味はなくなる。
「信じられない」対象を「信じよう」とするほど、悲しく虚しい響きはない。
それほどまでの孤独と苦しみを向けられても、
私にはどうすることもできない。
一緒にいて何かを見、感じ、言葉を交わす。
たとえ感じる想いが違っても、それだけで十分に幸せでいられる私と、
自分が選択している
「私を信じたい」想いさえ信じられずに苦しんでいる一彰とでは、
天秤がつりあうはずもなかった。
あまりに悲しくて、受話器を持ったまま私は泣いた。
一彰と私の気持ちがこんなにも違っていることが、
ただただ悲しかった。
次の日。
私たちは恋人であることをやめた。
私から切り出した。もうそれしか私には言葉が残っていなかった。
「もう終わりにしよう」
私の言葉に、一彰は黙って、泣いた。
お互い、最後の最後に泣けてくるほど想いあっているのに。
それもとても悲しかった。
「最後にひとつ訊いていい?」
彼は、涙をぬぐってコタツに両手をつっこみながら訊いた。
「結婚したいほど俺のこと好きだった?」
「…」
本当に馬鹿な人だと想った。
醒めた眼の、突き放した感情ではなかった。
最後の質問がそんなだなんて。
終わることを決めるまでに溢れていた色々な気持ちや葛藤が、
ただ音もなく消えて流れ去っていくような感覚だった。
確かに、
このまま一緒にいたら結婚するかもなとぼんやり思った瞬間は何回もあった。
だから私には最後のプレゼントとして、
その質問に頷くことしかできなかった。
それ以外、私にどうすることができただろうか。
恋人である途中から、こんな議論ぽいことが毎日繰り返され、
いつまでたっても私も一彰も互いの想いを分かり合えないのに…
苦痛の度合いが増えてきて、別れこそ考えなかったけれど、
分かり合える日が来るとも予想できず、
そんな日々のなかで、
どうして「結婚したいくらい好きだ」と思えただろうか。
そんな気持ちの余裕や楽観さがあったら、
恋人を解消する必要なんてないのに。
そういうふうには思わないんだろうか。
きっと私はこの人と結婚しなかったんだろうな。
それまで考えもしなかった答えが突如、私のなかに生まれた。
結婚しようとか、
結婚したいとか漠然とも具体的に描いたことはなかったのに、
この思いだけは鮮やかな色彩を帯びて響いた。
それが私の答えだった。
ほんの数秒のうちに甦った記憶。
一彰は、何を感じ、何を思いながら、
私の言葉に返事を失くしたたんだろう。
今となっては、それさえも慮ることができない。
真太郎は煙草をふかしながら、
テーブルの上の、本日のおすすめを見つめている。
「そら豆、もう品切れになっちゃってるよ」
残念だねと真太郎が云う。
そら豆、と書かれた文字の上に、赤いペンで大きく×印がある。
私の大好物だった。
「茶豆でいい?」
「いいよ。それも好きだから」
真太郎のゆっくりとした声が、私を幸せにしてくれる。
背を向けて坐っている人の気配がすっかり排除されてしまったように、
私の心は穏やかに流れている。
「この湿度で雨なんか降らなきゃいいな…」
半袖から出ている腕を左手で掻きながら、真太郎は呟いた。
「でも雨のなか酔っ払って帰るのも気持ちいいんじゃない?」
「いや、洗濯物さ」
肩をすくめて、私の眼を見つめる。
「また明日、洗えばすむもの。今日この瞬間や気持ちは、今しかないけど」
「ま、そうだけど」
アヤらしいよな、と口元の笑いが云っている。
「じゃ腰を据えて飲みますか」
「うん」
「おじさん、生ふたつ下さい」
生暖かい空気が、焼き物の匂いに乗って二人のもとまで届く。
たぶん、帰るころは本当に雨になりそう。
こうしてあるがままに、気持ちよく生きていられる幸せを、
真太郎とともに感じていられることに、
私はとても嬉しくなった。
抑えきれないほどに溢れてくる喜びを唇に浮かべ、
私は揺らした肩を、
真太郎の躰に軽くぶつける。
同じくらいの優しいスピードで、真太郎の左ひじが私の二の腕をこづいた。
まだ土曜日のままだった。
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