ネオリアヤの言葉

ネオリアヤの言葉

誕生日




 こうなることはわかってた。
 電話をくれたときから。
 約束したときから。
 その前から。
 この前キスをさけたときから。
 初めてキスしたときから。
 出逢いの手前から。
 ―――――
 いつからかは、
 本当のところわからない。
 どうだっていい。

 ただわかってた。
 こうなることをわかってた。


「もうすぐ誕生日だな」

テレビのサッカー中継から驚いて眼を離し、ルイは隣の秋川を見た。

「来週だろ? ルイの誕生日」

合わせた彼の眼は優しくて、そしてちょっと真面目だった。

「うん」
「ごめんな、一緒に居られそうにないんだ」
「仕事でしょ?」

秋川は頷いて、テーブルの上のワインを飲み干した。
責めるつもりはない。
今日彼と逢う時間を作ったのは、
自分の誕生日を一緒には過ごせないだろうことをわかっていたから。
でもまさか、その日を覚えてくれているなんて、思ってもみなかった。
予想外の幸福感に包まれ、ルイは秋川の躰に両腕を回す。
彼の眼は既にテレビへと戻っていたけれど、右腕でルイを抱き寄せると、
腕を優しくさすってくれた。
畳のうえに置いた、祖母からもらった漆喰のテーブルと、
限りなくこげ茶に近い墨色のソファの間で寛ぐ。
自分の気持ちが解きほぐされていく、贅沢で大好きな時間。

「何歳だっけ?」

突然にキスをしながら訊ねる。

「訊くわけ?」
「三十五?」
「三十です」
「そうか」

笑い声が響いて、テレビ映像がリモコンで消された。
よく響く、乾いた秋川の笑い声も、ルイは大好きだった。
次の言葉を、優しく運んでくるような空気が流れる。
彼は話をするとき、ほとんどいつも、頭の中で別のことを廻らせていた。
話を訊いてないというのじゃない。
数十手、数百手先を読んでいく、棋士に似ていた。
そして、ほんの時たま呼吸の間を横切る、別の誰かの存在。
それがわかってしまうのと、ルイ自身、
秋川ほどそこまで思考回路が回転しないのとで、いつも不安を抱え、
構えてしまうのだ。
その度に、自分の方がより多く、秋川を愛しているのだと、
否が応でも気づかされることが辛かった。
でも、彼が笑うときだけは違った。
予想も想像もない、まして相手を自分のペースに撒きこむのでもない、
純粋に感じたままを言葉にする彼がいる。
秋川の頭の中にいるのは、その瞬間、自分だけなのだと感じることができた。だから。

「明日は? 伊部に行くの?」
「おととい窯だしが終わって戻ってきたところ。次は来週かな」
「じゃあゆっくりしようか…久しぶりに。俺は最終の便で福岡に行かなきゃならないから、明日の四時には会社に戻るけど」
「そんなにいていいの? 一人じゃないんでしょ、出張」
「資料は任せてあるから大丈夫だよ。準備もできてるし」
「いい上司を持つと、部下も仕事のし甲斐があるわけだ」
「なんでそうなるかな」

苦笑いをしてルイから躰を離すと、ソファの脇に置いた鞄を取る。
そして中身の厚みで張ったチャックを引き、中から本を出した。

「はい、これ」

秋川は、ルイの細い両腕にその本を渡した。

「プレゼント。前から欲しいって云ってたろ、その建築家…なんてったっけ?」
「…サンクテリア」
「そう、それ」

まるで興味ないよとでも云うように、わざと無関心を装う。
建築家サンクテリアのプライベートコレクション集。
腕の中にあるそれは、プレミアム中のプレミアムだった。
イタリアで開催された彼のコレクション会場で、関係者にのみ配布された、
この世に五〇〇冊しか存在しない本だ。
建築に関心を持ち、自分の作品に建築性を取り込もうと思ったきっかけが、
彼のデッサン。
本当はイタリアまで行きたかったけれど、時間的にも金銭的にも、
ましてその本を手に入れる資格さえもないルイは、
しきりにそのコレクション集の存在を触れ回っていたのだ。
もちろん、彼にも。

「どうしたの、これ」
「もらったの」
「誰から。なんで? 行ったの?」
「そんないっぺんに訊くなよ」

困った奴だと苦笑して、緩めていたネクタイを外す。

「そのコレクションに行ったのがいてさ、前の会社の部下に。そいつの親父さんがサグラダ・ファミリアの仕事してるとかで、云えば簡単に手に入るって云うから」
「サグラダ・ファミリアね…」
「ヨーロッパでは権威らしくて…どう、気に入った?」
「もう…なんかごめん。びっくりし過ぎてなんて云っていいかわかんないや」
「いいねその反応」

楽しそうにキッチンへ向かい、冷蔵庫を開ける。
白いシャツに黒いズボンの後ろ姿とコレクション集を、交互に眺める。

「ありがと」

冷蔵庫を覗く横顔が、
「どういたしまして」と笑ってる。

「ガーリックポテト食べる?」

床に置いた籐の野菜かごから、しゃがんでジャガイモを三つ片手に取り、
振り返る彼。

「食べる。ニンニクは」
「あった」

ルイの言葉を待たずに、冷蔵庫の扉についている卵うけから、
ニンニクを持った左手を上げた。
彼は、家では料理をしないのだという。
アウトドアや別荘に行く時だけ、家族に披露するものと決めている。
ルイは唯一、味見をする権利を与えられている――彼が云うには――存在らしい。
愛人、と云うと彼が厭な顔をする他の二人の女性たちは、
自分が料理をすることさえ知らないんだと得意気に話しては、
その特権を神聖化してみせる。
彼女たちが、彼のそんなことには興味がないだけなのだと、ルイは感じていたけれど。
自分専用のエプロンを腰の低い位置に巻き、彼は手早く包丁を動かす。
南青山にある、何とかという、どこにでもありそうな名前の店の、
オーナーシェフから貰ったエプロンだそうで、
琥珀色した染みが外国の地図のように広がっている。
もともとは真っ白だったことを窺わせる、見方を変えると単に使い古したそれを、
秋川は大切にしている。
確かによく似合っていた。
180㌢という長身に、スポーツで均整のとれた体格、
ブラウン管に出てきても見劣りしないだろう、整った顔立ち。
一緒に歩くと気後れしそうなほど、彼はちょっとしたハンサムだった。
だから、そのエプロンでも許される。
秋川でなければ、こっそり捨てているだろうと、それを見るたびに思う。

「トマトのサラダ作ろっか」
「いいよ。今日はルイの誕生日のかわりだからさ」
「優しいじゃないですか」
「明日あたり雪降るかもね」

自分でちゃかしながらも、手際がいい。
瑞々しいジャガイモの切り口が、電気に照らされて白く光る。
中から水分が染み出てきて、断面がじんわりと濡れていく。

「あの時の赤のボールペン、まだ使ってるのよ」
「ボールペン? 何だっけ?」
「最初の会話」

あぁ、と思い出したように目尻に細かな皺が寄る。

「すいません、赤いボールペン持ってますか」

ルイは、秋川の低い声色を真似て顔を覗き込んだ。
照れ笑いをして、覚えてないよと云いつつ彼は、
「あ、はい」とルイの真似をする。

「駄目かと思ったな、あの時は」
「だめって?」
「関心ゼロかと思ったよ。笑いもしないから」
「誰だかわからないけど、なんでこんなにかっこいい人がここに居るの? ってカンジだったから、びっくりしてたかな。…授賞式の主役が誰だかわかったのは、あなたが席を立って壇上に上がった時だもん」
「かっこいいと云ってくれる割に、そんな様子は伝わってこなかったけど」

秋川は、可笑しそうに笑ってニンニクをフライパンに散らした。
熱に水分を奪われる瞬間の軽やかな音と、換気扇に吸い込まれていく白い煙が、
空気中で香ばしい匂いに変わる。

「自分が格好いいってわかってる人には、そういう態度しちゃだめなの」
 食欲を刺激するいい匂いに、ルイは眼をとじた。
「俺のこと?」
「さぁね。でも赤いボールペンは常套句だって人から訊いたけど」
「いつ」
「授賞式の数日後かな。やっぱりねって」
「誰にでも使うわけじゃないよ」

否定するわけでもない彼の性格に、ルイは心のどこかで親しみを感じていた。
「ルイだけだよ」なんていう言葉に、なんら意味がないことを、
この人はちゃんと知っている。
自分が自分であるための嘘はついても、相手を満足させるためだけの嘘は云わない。

「あの時だって実際必要だったんだし…赤ペン。でも、あの席にルイが一人で坐ってたから声かけたんだよ。目立ってたし。まだほとんど誰も坐ってない会場に、前から二列目のど真ん中でさ」

思い出すような眼をしながら、ジャガイモに焦げめをつけていく。

「本当は一番前に坐りたかったんだけどね」

最前列のテーブルには、プレゼンターと書かれたプレートが置かれてあり、
やむなく二列目に陣取ったのだ。
けれど、そこに来るプレゼンターが誰で、
その授賞式自体が果たしてどれほどのものなのか、それさえその時は知らなかった。

「こなれたカンジで堂々と坐ってるから、関係者かと思ったんだけどなぁ。俺の眼も節穴だったらしい」
「残念でした」
「でも、同じ創り手ではあるわけだし」

差し出された菜箸の先のジャガイモを、唇につかないように歯で受け取る。
湯気が立ち、程よく焦げめがついて、
すっかりジャーマンポテトになったジャガイモは、薄くあら塩がまぶされて、
悔しいけれどおいしい。
悔しさを見破られないよう、肩をすくめてみせる。

「よし」

彼は、ルイの表情を見て一人納得する。
おいし~いと云って微笑む人の感想を、あまり信用しないんだと彼が云ったことがあった。
そんなことは、おいしいという言葉を知ってる人間なら誰でも云えるんだと・・・。
それって少しひねくれてない? と訊いたら、黙ってしまったけれど。

「ねぇ、何て書いたの?」
「何が?」
「ボールペンで」

すぐには返事をせずに、彼は真剣に、備前焼の皿に盛り付けをしていく。
秋川が独立する時の記念にルイが焼いて、ひとつを彼にあげた片割れの皿。
轆轤を使わない、小学生が初めて焼き物の粘土に触れたそれのように、
不均等な力が加えられたカタチは、僅かに歪んでいる。
灰を被った備前の色に、じゃがいもは鮮やかに映え、光を放つ。
二年前、ルイは備前焼を創りながら、アルバイトをして生活していた。
いつかプロになるんだと思ってはいたけれど、何かに出展するとか、
コンペに参加するとか、弟子入りしようとか、
いわゆる競争の中には身を置かなかった。
ホテルに勤めていた友人が、

「評価されるのを厭がってたら、生計立てるまでにおばあちゃんになっちゃうから」

と、笑って紹介してくれた仕事が、と或る授賞式会場入口の装飾だった。
そのホテルで毎年秋に開催される式で、
日本の広告を担う人が大勢参加するもの、らしかった。

「モノと人を繋ぐ仕事をしてる人たちだから、作品が良ければ話は早いんじゃないの? それで食べていきたいならその方が手っ取り早くていいでしょ」

彼女の言葉を間に受けたわけじゃなかった。
それに、それまで手っ取り早さを優先させて巧くいった記憶もない。
けれど、自分のいる場所とは違う世界を覗いてみたいと思った。
広告イコールCM、ポスター程度の感覚しか持ち併せていないことも、
何故か怖くなかった。
その頃のルイは、岡山県備前の伊部にある窯元を借り、
備前焼を勉強していた無名の陶芸作家のタマゴ。
そして秋川は、その前年のベストクリエイターの一人として認められ、
仕事と時代の波に乗っている、広告業界のトップランナーだった。

「もう教えてくれてもいいでしょ」
「そんなたいしたこと書いてないよ」

秋川は、大事そうに器を両手で支えてテーブルの上に置く。
じっと見つめた後で、顔をこちらに向けた。

「これ、なんて云うんだっけ」
「どれが?」
「この銀色の部分」

破片をつなぐようにして器に細く走る、幾筋かの銀色の線を指でなぞる。

「銀継(ぎんつ)ぎ」
「あの時から、この銀継ぎが入ってたよね」
「純粋な備前焼だけじゃ、私にはなんか違ったんだ…ちょうど東京で、この銀継ぎをしてる職人さんがいて、しつこく通って教えてもらったの」

銀継ぎとは、安土桃山時代から日本にある技術で、
割れた陶器を修復する作業のこと。 
ルイはその技術を用いた備前焼を制作している。
まず、焼き上がった器を割る。
それを、漆や砥石材の粉末等を混ぜたもので接着した後、
銀粉を蒔いて仕上げていく手法。
どちらかと云うと、金粉で仕上げた金継ぎの方が一般的かもしれない。
のせた銀の色が孤立しないよう、焼き上がりに照りの少ない穴窯を使う。
そして、灰に埋もれたり、空気の流れが悪い場所でいぶし焼きされることで青黒く仕上がる桟切(さんぎ)りだけを作品にする。
耐火度の低い伊部のひよせ土を、二週間ほどかけて焼くことで生まれる、
備前焼独特の風合いのひとつだ。
「光のあて方ひとつで、焼きものがあんなに艶っぽく光るもんなんだな。…あれは印象的だったよ」
「よかった?」
「まさかその作者が、あの席に一人で坐ってるとは夢にも思わなかったけど」

おどけて笑うと、膝に両肘をついてソファから身を乗り出す。

「熱いうちに食べようよ。いただきます」
「どうぞ」
「この塩、いい味だしてるね。うちにあったの?」
「…この前、沖縄土産で買ってきたんだよね」
「え…そうだっけ」
「ま、忘れてるだろうとは思ってたけど」

彼のあきらめにも似た優しい言葉を訊きながら、心は一人歩きし始める。
ソファの上に置かれたサンクテリアの本を見ながら、
ルイは秋川と仕事をするきっかけとなった、授賞式の作品を思い出していた。

幅三㍍、高さ二㍍ほどのオブジェ。
長方形に焼いた大きな深向(ふかむこう)を横一列に並べ、
等間隔にではなく、背の高い秋の草花を生けた。
その草花の空間を埋めるのに使用したのは、
型付け――着物の染め道具――として使われ、その役目をすでに終えた和紙。
それは、文様染めの役割を終えたあと、
骨董関係者によって買い付けされることの多い、
A3サイズ程の立派な骨董品だ。
様々な色の染料を吸収して、鈍色や錆色に斑(むら)染まった和紙は、
蝋燭にかざすと、着物の模様の型に切り取られた細かい穴のせいで、
まるで灯篭のように美しい光を紡ぎだす。
ルイは、繋ぎ合わせた幾重もの和紙、銀継ぎ、備前焼という日本固有の伝統から、
現代の東京の街や灯かりを表現した。
不揃いなビルに見立てた和紙の隙間からは、
蝋燭の替わりに使った、明るさを抑えた白熱灯のあかりがチリチリと洩れてくる。
それは同時に、暗中模索のような広告という存在を、ルイなりに形にしたものでもあった。
そして、授賞式のあとで、秋川がその作品の作者に会いたがっているらしいと訊いて、
当時彼が籍をおいていた会社を訪れたのが二度目の偶然。
応接室に坐っているルイを見たときの、秋川の驚いた表情を、
今も覚えている。

「よかったよな、あの作品」
「オブジェのテーマが決まらなくてね…。クリエイター? それって広告のどのへんを創ってる人たちなの? ってレベルだったし」
「痛いくらい大胆に世間の核心ついてくるな」
「本当だもん。それが東京のビルにつながったのは、サンクテリアがデザインした建築物と、たまたま出逢えたから」
「サンクテリアね…」
「いろんなものが偶然重なったから、今があるんだよね」
「偶然やチャンスを引き寄せるのも、自分の力だよ」

コレクション集の頁を飛ばし飛ばしに捲る。

「でもね、壇上のうえで云ったこと。あれ結構、いまの作品に影響してるのよ」
「云ったことって、俺が?」
「『ドキッとする瞬間。その心のざわめきを誰にも知られたくなくて、隠そうとするんだけど、気にしてるから結局はばれちゃう。そんなドキッとする作品、広告を創りたい』って。それを訊いて初めて、広告の輪郭がひとつ、見えた気がするしね」

彼は、微笑むルイを、何か云いた気に見つめた。

「どうしたの?」
「ルイ…」

言葉にはならないけれど、静かで強い、確かな想いが流れてくる。

「それだよ」
「え?」

優しい、低い声が耳元で響く。

「ルイから借りたペンで書いたこと」

大きな温もりに、躰中が包み込まれるのを感じた。

「あの日さ、先にちょっと会場でも覗いとこうかなと思って。そうしたらルイがいて、なんか…ドキッとしたんだ。一瞬そのまま控え室に戻ろうと思った」

けれど、踵を返した瞬間に、その動揺が周囲に伝わりそうだった。
だから、躊躇した気持ちを押し留めてルイの前に席をとり、
自分を納得させるために声をかけたのだという。

「後ろのルイを振り返るまで、なんて話かけようか迷ってたんだけど、結局ボールペンでさ。もっと気の利いた言葉を思いつきたかったのにな」
「凄く当然のように声かけられたけど…?」
「顔をあげたルイと眼があった瞬間、これでいいんだってわかったからさ。あとは忘れないうちに気持ちを書いとくだけだったから」
「これでいい、って?」

云わせるの? という表情をしながらも照れを隠さない彼の横顔。

「…ドキッとしたくせに、それを隠そうとして自分の中で矛盾した想いがおきたり、でも気づいたら、最終的には手繰りよせられてる気持ちかな。そういう心のくすぐったさを、ね…」

これ以上は企業秘密です、と微笑む。
突然。
ルイは、こうなることをもうずっと前からわかっていたような気がした。
初めて彼と眼が合った瞬間に見えていたものが、いまなら、はっきりとわかる。
絡まっていた細い紐がほどけて、一本の線になる。
本当は、かっこいいと感じる余裕なんて、あの時なかった。
「この人」だという感覚だけが、頭の上から足の先まで、
まさに矢のように刺さってしまって動けなかった。
その直感だけでここまで来たことが、ずっと信じ難かったし、
言葉にすることも躊躇われていた。
でも、これでよかったのだ。
これまでも、そしてたぶんこれからも、
自分は自分で感じ、描いた未来の中にいるんだろうと、
ルイは感じ始めていた。
それは自信にも似て…。




© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: