もこっぺでいきてくんだよ

壊してくれて、どうも!爆発暴露(その2)


(新年明けてから、赤ちゃん組みの担任にとりあえずなった。複数担任>4人だったので少し安心)

これが、どんなに助かったか。その時のわしには、いきなり担任かかえる余裕なんて、なかったし、この保育園でイチからやる、って思ってたので、本当に右も左もわからなかったし、クソ乳児園からみたら、恐ろしいほど、新鮮だったし、今まで自分がどんな間違ったとこにいたか、改めて感じた。


乳児園を辞める辞めないで悩む前、もう10月あたりから、下腹部が時々痛み、要も無いのに、血がダラダラでて、ジャージが生理のように、赤く染まりきっちゃったりしたことも、ベッドにおもらししました!でも血です!ぐらいの水溜りができていたこともあって・・・こりゃおかしい・・と思っていた。

前にも『卵巣出血』というので、緊急入院しろ!とヒト騒ぎになったことがあったから、それかな?ストレスでそうなっちゃったのかも・・・


と、おもって、なんとなーーーく地元の産婦人科にいった。
(このへんだと、他の市でも全部クソ園長の顔が通ってるから、どこでどう、わしの情報が流れるか恐ろしいので、どこにもいけなかった)


色々検査をして(そのとき、完全に鬱ってたので、何の検査をしたか、ろくに覚えてない)

その合間に一週間サンタモニカにアメ友(京大院生)と気晴らしにいっていた。

年末、12月27日。あ、っそうだ。そういえば、検査かなんかしたから、一応結果、聞いた方がいっか。金もはらったしね。

たった、それだけの、アフォまるだしの理由で病院にいったら。


えーーーーーーーーっとね、今一人?
家族や、親御さんいる?


え?なんで?来るまで父親がまってるけど、なんでですか?


と聞くわしに。










エーーーーーーーーーっとね・・・・・・・










子宮ガンの結果がでてますねぇぇ・・・。

ストレスためすぎましたか?ホルモンバランスがかなり崩れています。











ガン?子宮ガン??わしが?ガン?



はぁ・・・・そうですか・・《ボケーーーーーー》



どうやらまだ悪性のところには至っていないものの、境界線にいるらしい、ワシの細胞ちゃん。
レベルが1から5まであって、わしは3のbっていう、ところだった。
4aから、『完全にガンです』ってところで、子宮摘出とか、今すぐ手術!ってやつの、ホントに一歩手前だった。


クソ園長 ここまでワシを追い詰めやがって・・・


でも、ワシの体はこういう風にもう、できてしまったらしい。
こんな仕事してるくせに、将来子供ができにくい、とか言われた。
でもその時には、どんな手段もあるから、今は余計なストレスを貯めるな、といわれた。

今こそ、悲しいことだな、と思うけど、その時は完全に鬱ってて、何を言われてるかよくわかんなかった。
ふーーーーん、こどもか。いいよ、当分誰とも結婚する予定ないし。
ていうか鬱ってて、それどころじゃないよ・・。

ガンでもいいよ、もうどーでも。

そう思っていた。でも、かーちゃん、とーちゃん、泣いていた。
親を泣かせるほど、不幸者の娘はいない。。と、「どーでもいいよ・・」と思いながら、なんども病院に通った。

アレから1年。ぎゃっ!!!

もう半年以上病院いってないぜ!!!フォッフォッフォ。

でも、最後に行ったとき、細胞が少しずつレベルが下がってきてるから、経過を見ましょう・・大丈夫だとおもいますよ・・

といわれたのを、鵜呑みにして、そのままいってない。
なんせ、地元の病院だし、予約しても3時間待ちの5分診察とかで、

ふざけんじゃないわよぉぉーーーーーー!(青木さやか)


ま・・そのうち、もう一回、いっとくか。定期健診、てことで。
ガンはもう大丈夫だとおもうけど、わしは、こういうからだ。
ストレスがあると、とりあえず下半身にきてしまうっつーこと。

わしも、神秘のオトメなのね・・!



だけどね、わしだって、タダの言いなりになってるバカじゃねーぜ?
この乳児園、ぼったクリ園だったので、
10秒でもお迎えにおくれたり、はたまた1分でも早く朝預けにきちゃうと、

30分単位で500円こそぎ取っていた。

そのこそぎ取っていたのは、わしと、名ばかり『主任』のオバサン。

このオバサンも、ワル知恵がすばらしく働き、二人で
『子供最後までみてるのはワシらなんだから、いーーのよっ!』と

時々、貯金していた。(これって、横領ってやつ・・?爆爆!!)

その金を少しずつためて、
給食ババアが帰って、園長も学会やらなんやらで出かけて
二人っきりになった時、

セブンでカップラーメンを買ってきてたべたり、リッチな時はモスってきたり、
何度も腹を満たした。

凄い時には、貯金箱をもって、二人+子供(オシャベリできない2歳未満野やつらしか登園してないとき>しかも3匹とか。)

このメンバーで遠いところまで『公園いってきマース』といいながら、


マックで時間をつぶしたり、
大型スーパーで試食したり、マッサージチェアでくつろいだり(子供はカートに入れといた)

そんなあり得ないこともしていた。


今なら、ごめんね!!と謝るけど、その時のわしには、これが唯一の救いだった。
なんだかんだ、命令だけはイッチョ前の「主任」だったけど、わしのことも気にして、こんなとこさっさと辞めなさい、と、今の保育園をさがしてくれたのも、このオバサンだった。

だから、ワシが消える11月月末も、このヒトはしってたし、ワシらは最後の晩餐観をおでんでしめた。
わしは、残りのお金(つっても150円)でちょっとしたお菓子を買って、(セブンでね)主任に、ありがとねって渡した。


このクソ乳児園で、わしは8ヶ月働いた。そして、ココロとカラダをこわした。
こんなところに、誰も子供をいれないでほしい。つぶれてろ!

そう思って、数ヶ月ぶりに通りかかってみたら!!!


ババア、改築してやんの!!!このやろぉぉーーーー金あるじゃねーーか!!
お前寄せ付けてんじゃねーーーよぉぉ!

わしが、ここでどんなスサンだ、乳児園か、助産院か、叫んでおしえてやりたい。
こんなところで、保育士の第一歩をふみだしてしまったわし・・トホ!!


© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: