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ご愛読頂いているこのメルマガは、残念ながら、今回をもって配信が終了する。最後を意識して、読者の記憶に残って、長く役に立つ内容をお伝えしたい。今回は、お金の運用を行う上で重要な心得を五つお伝えしよう。前回「初級編」をお届けしたので、今回は、「上級者編」だ。その一、「自分の買値にこだわらない」ご記憶のいい方は、「前回の初級編にも同じ心得があったのに、なぜまた同じ心得を?」と疑問に思われるかも知れない。それでも、この心得はもう一度繰り返す価値がある。それは、プロのファンドマネージャーになっても、自分の買値に対するこだわりが抜けない者が少なくないからだ。「自分は、この株(通貨でも、債券でもいいが)を一体、幾らで、なぜ買ったのだろうか、という反省はプロの場合常に必要だが、それが現在の意思決定に影響するようではプロ失格だ。意思決定は、既に起こった今後修正できない出来事に影響されて行うのではなく、現在の状況を前提として、将来の想定に基づいて行われなければならない。過去の損は、現時点では取り返しの利かない「サンク・コスト(埋没費用)」として理解されて、今の意思決定からは切り離されなければならない。チャート分析に基づいて売買するようなレベルの投資家は別として、ある程度以上の常識のある投資家なら「サンク・コスト」を少なくとも頭では理解しているが、一つには、将来の想定が難しいので、過去に起こったことや予測に関係ない事情に頼りたくなるからだ。たとえば、「機関投資家は、毎年の決算があるから、長期投資が出来ない」とか「アマチュアの方が有利だ」と言うプロがたまにいるが、冷静に考えると、たとえば今年の決算に実現損を出さなければ、来年以降の決算で出さなければならない損が増えるだけなので、長期的に考えると、「正しい投資行動」はそう大きく変わるものではない。「決算があるから」は浅慮に基づくつまらない言い訳だ。もう一つの理由は、勝ち負けにこだわる本能から自由になることが、誰にとっても難しい、ということだろう。これは、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンらが創案した「プロスペクト理論」が大きな業績として認められて継続的に理論の地位にあることが雄弁に物語っている。しかし、買値に対する拘りは捨てた方がいい。投資を遥かに、自由に且つ合理的に考えることが出来るようになる。その二、「エコノミストのようには考えない」かつてフィデリティ社のマゼラン・ファンドで優れた実績を残したファンドマネージャーであるピーター・リンチ氏の得意な台詞の一つに「私は、マクロ経済について一年間に15分ほど考える」というものがある。リンチ氏は、こう言って、聞き手の顔色をうかがう。多くの場合、聞き手は、ファンドマネージャーは毎日のように経済見通しについて考えているものだというイメージを持っているので、意外な顔をする。そこでリンチ氏は、マクロ経済の見通しが運用の役に立たないことと、自分の投資哲学である、投資対象企業の把握に集中することの優位性を説く訳だ。詳しい説明は省くが、専門的な分析を踏まえると、マクロ経済見通しに基づく投資戦略は、(1)マクロ経済の見通しを他人よりも優位に形成することの難しさ、(2)戦略のリスク分散が利きにくいことによる当たり外れの大きさ、の2点によって上手く行きにくいことが指摘できる。企業分析が他人よりも上手く出来るか、という問題はあるが、他人に聞かせて、他人を納得させられるようなストーリー(エコノミストは、これを語るのが商売だ)は、既に株価や為替レートに織り込まれていることが殆どなので、投資戦略のポイント(アクティブ・リターン)の「種」にはならない。その三、「逆ではなく裏に張る」株式市場では、投資家の話題を集めて売買が過熱し、値動きが激しくなる「注目銘柄」や「注目セクター(あるいはテーマ)の銘柄群」が登場することがある。このような注目銘柄が生じた時に、この銘柄(の動き)に「乗って」順張りで勝負をしようとする人が多い(だから、注目銘柄になるのだが)。一方、人々が順張りなら、自分は逆張りで勝負しようとする参加者もいる(だから、出来高が増える)。それぞれ、他人よりも自分の持つ情報と判断が勝るという確信があるなら、それで構わないのだが、問題なのは、「買い」にせよ「売り」にせよ、注目銘柄で勝負しなければならないと思い込む人がいることだ。しかし、注目されている銘柄は、一つには、売り買い両サイドから多量に研究されていて「自分に有利な要因となる情報」の可能性が乏しい。多数の参加者が注目する中で、市場を出し抜くのは大変だ。少なくとも、過去に発表された情報は、価格に織り込まれていることが多い。また、注目されている銘柄は、その時に状況自体が動いている銘柄であることが多い。プラス・マイナスどちらに動くのかを五分五分と見るとしても、リスクが拡大していることが多い。投資で稼ぐ場としては、不利な条件だ。順張りか、逆張りか、と力むのではなく、どちらでもない、「注目の蔭にあるチャンス」を探すアプローチが有効な場合が多い。「裏張り」という言葉はあまり聞かないが、敢えて一言でまとめると、逆張りよりも、裏張りにチャンスが多い。その四、「株式投資は不美人投票と知る」かつての英国の大経済学者、ジョン・メイナード・ケインズは、株式投資を美人投票に譬えた。自分が美人だと思う美人に投票するのではなく、他の大多数の平均が多数投票するような美人をこそ選ばなければならないゲームだ、というのが、ケインズのこの譬えの直接的な意味に関する筆者流の要約だ。「自己中」(ジコチュー。自己中心的な考えや態度)への戒め、といってもいいだろう。しかし、投資家にとって、「美人銘柄」を買うのがいいことなのだろうか?株式投資によって儲かるパターンを考えてみると、典型的には、「現在、美人の銘柄」ではなく、「現在は美人ではないが、将来、美人(=多数の人気を集める)銘柄」を買うことによって、後に儲かる、という儲け方の筈だ。また、儲かるためには、対象が「美人」でなくても構わない。経営その他が「非常に不出来な会社」が「少しましな会社」くらいに改善して、多くの投資家がそれを評価した時、場合によっては、「美人」が「超美人」に変化した場合以上に儲かることがあっておかしくない。要は、株式投資は(多かれ少なかれ、他の投資も)、「人気の変化を当てるゲーム」なのだ。そう考えると、これ以上上がり目がないくらい人気が沸騰している銘柄は、むしろチャンスが乏しいと考えるべきだろう。いわゆる「バリュー効果」(割安銘柄のリスク調整後の相対リターンが高い現象)の存在は、いわゆる「グラマー・ストック」のその後の不振傾向と裏腹の関係にある、と筆者は理解している。その五、「お金はポーカーチップのように扱う」当メルマガでお伝えする最後のメッセージに辿り着いた。最後のメッセージは、投資にあっては、お金を貴重だと思って、これを儲けることや失わないことを意識することが邪魔になるということだ。ポーカーというゲームは、かつてジョン・フォン・ノイマンが注目したくらいで、ゲームというものの本質を代表するゲームだと思うが、ポーカーの世界で強調されているのは、「お金を意識せずに、正しいプレイをする」ことの重要性だ。損を取り返そうとする心理が代表的なものだが、お金への拘りは、その時に最適なプレイから、実際のプレイを遠ざける原因なりやすい。「行動ファイナンス」が研究しているように、投資の世界には、投資家の非合理的な行動が満ちているが、その多くは、投資がお金に関わる問題であることに起因している。合理的に考えて、正しい行動をせよ。それだけに集中すべきで、それ以上を望むべきではない。最後にお伝えしたいのは、このことだ。長い間のご愛読、どうもありがとうございました。別の話題も含めて、投資・運用にご興味のある方は、是非、楽天証券のホームページにお越しくだささい。お待ちしています。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第107号 2011年10月28日発行より) ==========================================================皆様に長きにわたりお楽しみいただいておりました「楽天マネーニュース」ですが、勝手ながら、今回の2011年10月28日号をもって終了させていただくことになりました。これまで「楽天マネーニュース」をご愛顧いただいた皆様に厚く御礼申し上げますとともに、引き続き楽天グループのサービスをお楽しみいただけますよう努めてまいります。
2011.10.28
ご愛読頂いているこのメルマガは、残念ながら、今回と次回をもって配信が終了する。そろそろ最後を意識して、読者の記憶に残って、長く役に立つ内容をお伝えしたい。今回は、お金の運用を行う上で重要な心得を五つお伝えしよう。その一、「よく分からないものは決して買わない」金融商品は数が多い。しかも、その数が今も増えつつある。今後も増えるだろう。こうした環境でお金を運用する場合、最も大切なことは、自分が完全に内容を分かっているもの以外には大切なお金を投じないことだ。完全に分かっているとは、商品の内容を曖昧な点なく他人に対して説明できてどんな質問にも答えることが出来るくらい理解していることだ。どのような時に、どのような利回りになり、どんなリスクがあって、売り手は実質的にどれだけ手数料を取っているか、といったことが、金融商品を購入する前にはクリアに分かっていなければならない。商品の内容をクリアに理解していること、且つその条件に納得できることが、金融商品を購入してもいい必要十分条件だ。その二、「セールスを断っても自分は損をしないことを知る」多くの金融商品は、顧客が自分で探して見つけることよりも、金融業者のセールスによって、その存在を知ることが多いだろう。しかし、セールスマンから商品の紹介・説明を受けると、「自分は話を理解した」ということを示したくて、時間を使ってくれたセールスマンに恩義を感じて、あるいは、「今の機会にこの商品を買わないと損をする」といった心境に陥って、商品を買わないと悪いとか、勿体ないとかいった気持ちになることが多い。だが、これらの感情は、いずれも、セールスマンがそのように仕向ける意図を持ってプロフェッショナルな努力をした結果生じるものだ。しかし、金融商品は、株式市場、債券・金利市場、為替市場といったフェアなマーケットから「素材」を持ってきて売り手の利潤を実質的な手数料として乗せて売っているものだ。その時にセールスを断ったからといって、マーケット変動による結果論的な損は将来あり得ても、これを確実に予測できる市場参加者は(ほぼ)いないのであって、その行為自体が「意思決定として損」だということはあり得ない。つまり、申込期間限定で売っている商品であっても、このセールスを断った時に、その時点では顧客の側は意思決定として損をしない。確実に損をするのは、時間と手間を掛けたセールスマンだけだ。付け加えると、金融商品を購入する顧客は、セールスを断った他の客にセールスマンが費やした時間と努力の対価も支払わなければならない仕組みになっている。もう一歩踏み込んで言うと、そもそも対面営業のセールスマンの話を聞くこと自体が、時間の無駄であり、愚かなのだ。「自分で調べて、ネットで注文する」という行動を強く推奨する。その三、「金融商品は実質的な手数料で選ぶ」中身の性質が似た金融商品を購入する時(たとえば「国内株式」の投資信託を買う時)、商品の優劣を決める際に最も重要な要素は、商品の「実質的な手数料」だ。手数料は「確実な(基本的にリスク・ゼロの)マイナス・リターン」だ。前述のように、運用の中身はフェアなマーケットで行われるものだ。プロといえども他のプレーヤーの平均に勝つことは簡単ではないし、それが高い確度で可能な情報や判断力を持っているなら、自分のためにその情報なり判断力を使うはずだ。少なくとも同じアセット・クラスの商品に投資する場合、最重要な要素は、商品の実質的な手数料であり、過去の運用実績や、商品や運用会社のブランドなどではない。結果に影響するものであって、自分が影響を及ぼすことができる要素に集中しよう。それは、「実質的な手数料」に他ならない。たとえば、今のところ、株式で運用する商品であれば、手数料差を考えると、インデックス・ファンド以外の選択肢は考えにくい。その四、「分散投資のメリットを知る」分散投資でリスクが低下することは広く知られている。分散投資は、投資家自身の努力によってポートフォリオを改善する手段であり、これを利用しないのは「もったいない」。ここでも、自分が影響を及ぼすことができる要素に集中することが大事だ。結果論だけで見ると、集中投資こそが投資の醍醐味であり効率性も高いかのように思いがちだが、いかんせん将来は不確実だ。分散投資の効用を軽視しない方がいい。但し、分散投資は、投資の中身が実質的に分散されていることが大事なのであって、同じような中身の金融商品を複数持つような分散は無用だ。たとえば、MSCI-KOKUSAIに投資する外国株のインデックス・ファンドに投資すれば、一つの商品に対する投資で、実質的に20カ国以上に先進国の株式に投資できる。その五、「自分の買値に拘らない」筆者が長年投資家の行動を観察していて、投資家が合理的な投資行動から遠ざかる最も大きな理由は、投資家が「自分の買値」に拘る傾向だ。1,000円で買った株式が900円の時、あるいは、1万円で買った投信が9千円に値下がりした時、人はしばしば「今売ると損が出るから売れない」と言う。筆者は、決して頻繁な売買を推奨する訳ではないが、自分の買値に拘ることで、リスク資産への投資を減らしたいのにそれが出来なかったり、お金が必要なのに保有している金融商品を売却できなかったりする人が多いことには疑問を感じる。お金の運用で(実は人生全般で)重要なのは、過去に起こったことではなく、これから起こりうることのみに意識を集中して意思決定することだ。この際に、邪魔になるのが、自分の「買値」ではあるが、これを無視して、将来に向かって何がベストかを考えることが重要だと申し上げておく。初心者向けの心得のつもりで選んだのだが、自分の買値への拘りは、プロでも捨てられない場合が多い。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第106号 2011年10月11日発行より) ==========================================================
2011.10.14
ギリシャの状況が深刻の度を増している。最近数カ月で行われている先進国の蔵相レベル以上の会議では、もっぱらギリシアを含む欧州の問題にどう対応するかがホットトピックのようだ。日本国内では、円高問題に対する関心が高かったが、世界的なレベルでは、大きな問題とはされていなかった訳だ。 ギリシャの問題について、筆者は、昨年の5月に、このメルマガで原稿を書いている。自分が何を言っていたか、どこが間違っていたか等を点検することは、投資にあっても重要なので、少々振り返ってみたい。 当時、筆者は、ギリシャ問題の日本に対する短期的な影響を大きく見積もっていない。これは、当時の株価の動き等から見て、やや過小評価だった。 また、当時の筆者は、ギリシャ一国の問題は、金額にして最大限でも数千億ドル・レベルの問題なので、EUはこの問題を遅かれ早かれ解決するだろうと見ていた。しかし、「EUレベル」の得失を見ると、確かにそうかも知れないが、たとえば、ドイツ国内が、「どうして、我々の税金でギリシャを救済しなければならないのか」という問いに対して有効な説得材料を提示することが出来ないといった、現実の政治プロセスの問題について見落としがあったことは反省せざるを得ない。国やまして世界の利益で考えた結論を、個々の人や企業、あるいは国が、実際に実行するとは限らないことは、経済を考える上でしばしば見落としがちなことなので、注意したい。 一方、中・長期的な問題として、筆者は、当時のギリシャ問題を、日本の不良債権問題に譬えると「住専への公的資金投入」くらいのもので、問題の本体は、欧州の金融機関が抱える不動産関連の不良債権にある、と大きく考えていた。「中・長期」の問題はまだ答えが出た訳ではないが、「ギリシャのソブリン・リスク」という比較的扱い易いはずの問題を扱いあぐねている欧州の状況から見て、まだまだ先があると思われる不良債権の問題は、過小評価しない方がいいと(今でも)思う。 欧州の問題は、リーマン・ショックの後のような、いわば金融危機の第二弾につながるものなのか。 この問題を考える上では、「危機」を幾つかのパターンに分類することが、有用だろう。 会社の場合でも、危機的状況には幾つかの段階がある。切迫度の順番からいうと、手元資金が不足する決済の危機、必要な資金を調達できなくなる信用の危機、もう一つは業績の急激な悪化だ。 国の経済単位で考えると、国が外貨不足に陥るか或いは金融機関が決済資金を調達できなくなる「流動性の危機」、大規模な信用の収縮が起こる「信用危機」、さらに「深刻な不況を招く何らかの危機」ということだろう。 流動性の危機は、国単位で外貨の決済を巡って起きることが多く、経常収支の赤字を資本収支の黒字で補っている新興国から資金流出及び新規資金の流入枯渇が起こるのが典型的な流動性危機だが、サブプライム問題に続くリーマン・ショックの後には、民間の国際的な金融システム全体で流動性危機が起こりそうになった。これは、政府と中央銀行の努力によって深刻化が回避されたが、前回の銀行救済に対して各国の国民から相当の批判を受けた後である今回の欧州問題が流動性の危機に発展した場合、これが十分に回避できるかどうかについては、不安が全くない訳ではない。 信用危機は、日本の場合で言うと、金融機関がバランスシートに問題を抱えリスク回避に動いたことと、借り手の側の信用度にも疑義が生じたことで、「貸し渋り」の形で顕在化した。信用危機は、投資の減退から不況を招くと共に信用収縮からデフレを招いたことは、日本人のよく知るところだが、今後数年の推移によって、欧米人も実感するところとなるかも知れない。 不況に至る危機には、バブル崩壊による資産価格の大幅な下落がもたらす逆資産効果によって生じる需要不足のような需要面の危機もあれば、オイルショックや、東日本大震災後のサプライチェーンの損壊のような供給側の要因による危機もある。何れも、生産の縮小から、所得や雇用の減少につながる。 米・欧を中心とした現状は、こうした危機の何れかに至る可能性があるのだろうか。 筆者は、流動性危機にまで至らないと思うが、一時的な信用危機を含む景気後退期は十分あり得るのではないかと考えている。 再び日本の経験から判断すると、信用危機は、金融機関と借り手の両方にあって潜在的な損失が十分に顕在化することと、十分な資本の手当が行われることによって解消するが、特に欧州の現状はこれからかなり遠い。 ただし、この危機が、先進国の財政危機からインフレに至るような経済破綻を直ちに導くものでは無い点には、特に投資家として注意が必要だ。民間の資金需要が減退し、また、貸し手がリスク回避的になることで、政府部門は大きな資金吸収余力を得るし、民間の信用収縮を借り手としての政府が補わないと信用収縮からデフレに陥る(これも日本は経験済みだ)。資産運用上は、今後、欧米が「日本化」する可能性を軽視しないことが重要だろう。財政赤字の拡大から「次は、インフレ」と即断して、インフレ対策モードの資産運用に早く移行すると(極端な典型は国債の空売りだ)怪我をする。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第105号 2011年9月30日発行より) ==========================================================
2011.09.30
ある金融業界誌を見ていたら、対面営業の金融機関が投資信託の販売をどう強化したらいいか、という特集記事があった。この記事の中で、対面営業の金融機関寄りと思われるファイナンシャル・プランナー(FP)は、顧客に「運用の目的」を明確に意識させることの重要性を説いていた。 このFPによると、例えば、老後の生活設計のために訪れた客には、老後の生活のイメージを明確化させ、手持ちの資金を、「生活資金」(入院費など突然の出費への備え)、「ゆとり資金」(年金等で足りない生活費を補填するための資金)、「残す(増やす)資金」に分けると、考えやすいのだという。このFP氏によると、生活資金は普通預金口座、ゆとり資金は「リタイヤ後に備えるのならば分配型ファンドや変額保険などの年金形式で受け取れる商品が合っています」、最後の増やす資金は「国際分散投資をしながら長期運用」するのだという。 はっきり言って、「ゆとり資金」と「残す(増やす)資金」の区分がムダであり、「老後のキャッシュフローで足りないお金を補填する、ゆとり資金」というものをイメージさせることによって、分配型の投信や個人年金保険といった、銀行にとって手数料の大きな商品に資金を誘導する手掛かりにしている。 分配型のファンドの多くは為替リスクを大きく取っており、この上さらに、国際分散投資をしながら長期運用という資金を設けると、為替リスクが過大になることが多いし、全体を見通した時の運用計画には、「ゆとり資金」のリスクも考慮されるべきであり、余計な資金区分が運用の非効率性につながっている。 金融商品の売り手側が、顧客へのコンサルティングサービスとか金融商品の目利きとか言っておこなっているのが、こうしたインチキ・セールスなのだ。はっきり言おう。対面型の相談窓口に行ってもろくなことはない。自分の手持ち資金などのデータを提供しつつ、先のFPの話のように、役に立たない話を聞かされて、金融商品を売り込まれるだけだ。 思い切って断言すると、「運用目標」とは、顧客の目を純粋な運用の損得から逸らすための方便だ。 運用の目標は、「お金を増やすこと」に決まっている。もちろん、増やし方の「事前の時点での」評価は、負うことになるリスクと期待収益の効率に依存するが、適切な大きさのリスクの下に、ベストな効率で資産を増やそうとすることが資産運用の一般的目的であり、その際にコスト(実質的な手数料=確実なマイナス収益)が特に重要だ。 老若男女、立場の違いを問わず、運用判断に必要なのは、それだけだ。後は、どれだけ運用に資金を回すか、あるいは、どのようなペースで運用資金を取り崩すかといった、キャッシュフロー・マネジメント(会社で言えば「資金繰り」)があるだけだ。 お金、あるいはもう少し範囲を拡げて金融資産のいいところは、処分の柔軟性だ。お金があれば、老後の生活資金のために、あるいは、結婚資金のために、子供の学費のために、病気の時のために、いざという時の備えのために、あるいは、将来の各種の「夢を実現する」ために、何れの目的にも使うことが出来る。 この目的意識は、貯蓄や運用のモチベーションになるので、全てが悪いわけではないが、資金の使途別にお金を用意しなければならないと考え始めると、余計な金融商品に目が向きやすくなり、運用の資金効率が落ちる。 たとえば、ある保険専門家は、率直に当面自由になるお金が100万円か200万円ある人にガン保険をはじめとする医療保険はいらない場合がほとんどだ(健康保険の高額療養費制度で医療費がカバーできるから)と言うが、「病気への備え」という過剰な運用目的をイメージすることによって、「5千円の医療費を、1万円の保険料で買う」と言われるような、非効率的な契約を結ぶように誘導されている。 実際には、先のFP氏が言う分類だと、「生活資金」と「増やす資金」があればよく、増やす資金の中でどれだけリスクを取ることが出来るかを考えた上で、リスク資産部分はそれこそ「国際分散投資」の最もリスク当たりの効率のいい組合せで行えばいい。突然の病気など、出費要因があれば、運用資金を取り崩せばいいだけのことだ。資金使途別にお金を用意しなければならないという余計な先入観が運用の効率性を損ねる。もっと言えば、運用目的に過剰に首を突っ込むことで、金融機関のマーケティングに絡め取られやすくなっている。 FP系のマネー・アドバイザーの中には、「運用目的」の重要性を強調しすぎる人が少なくない。 人生の一般論として、「目的」を持つことがいいことだ、という刷り込みがあるのだろう。あるいは、少々意地の悪い推測を許して貰うと、彼らは、運用の効率性を測る手段と正しいアセットアロケーションの作成能力を持っていないから、顧客の「運用目的」に頼るのだろうし、そこに話題を持っていかないと、語るべき事がないのだろう。もちろん、こうした人々が、金融機関の手先となって、保険や運用商品の販売を仲介して、手数料を貰っていることもある。==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第104号 2011年9月9日発行より) ==========================================================
2011.09.09
ドル安と共に、金(きん)に注目が集っている。もちろん、直接的なきっかけは、近年の金価格が高いことにある。テレビなどでも、円高問題の特集に加えて、最近の金価格上昇について取り上げることが増えてきた。もっとも、金価格について「これから買ってもまだまだ儲かるのではないか」と考える方向でばかり取り上げられる訳でもない。「随分値上がりしたから今のうちに売っておこう」と所有している金地金や金貨、金製品などを貴金属取扱店に持ち込む人も多いようだ。金には、複数の顔がある。第一に、金は、工業製品の原材料だ。電子部品などに使われるので、景気が良くなって一次産品の商品相場全般が上昇するような時に、金価格も上昇する。第二に、金は装飾品の原材料でもある。近年、経済の発展が目覚ましい中国やインド、特にインドでは装飾品として金製品が好まれるので、同国経済の成長は、金に対する需要を下支えすると見込まれる。金がまだまだ買えるという理由を挙げる時によく登場する話だ。もっとも、装飾品のような形で広く保有されているということは、金価格がいよいよ上昇した時に、あちこちから個人の現物売りが出て来やすいということでもある。かつて、銀の買い占めが起こったことがあるが、この時に、買い方の失敗を招いた一つの原因が、銀相場のあまりの高騰に、食器などの銀を売る新たな現物供給が買い方の計算外であったことを挙げる向きもある。第三に、金は伝統的に通貨の材料として用いられてきたこともあって、通貨に準じる資産として扱われる性質がある。多くの国の中央銀行が金を準備資産として保有しており、この点で、金は他の商品と一線を画す。中央銀行の売買は、金の需給を読む上でも重要なファクターだ。この第三の性質によって、金は、通貨の価値が揺らぐような場合に需要が増加して価格が上昇する傾向を持っている。金融危機のような金融システムの信頼が低下するイベントも買い材料だし、戦争も金が買われる典型的な要因の一つだ。近年の金価格の上昇の背景には、世界の基軸通貨である米ドルの価値の下落傾向がある。また、現在、米国が自国の通貨の下落を望む環境にあり、同時にユーロの信頼性が揺らいでいる。これらの要因が金価格上昇の追い風となった。しかし、金は保有していても、株式・債券・不動産のように、資産が経済価値を生む活動に参加する訳ではない。金は、利息も配当も生まない。金を現物で持っていても、他人に見せて「拝観料」でも徴収できるのでないなら、経済的な価値を生みはしない。つまり、金の購入は、価値を保存する動機を脇に置くと、金価格の上昇に賭ける「投機」であり、生産活動に資本を提供してその果実を得ようとする「投資」ではない。金相場のリスクは、基本的に、これ以上金価格が上がるか、あるいは下がるか、というお互いの見通しの違いに賭けるゼロサム・ゲームのリスクだ。より大きなリスクに対してより大きなリターン(超過リターン、あるいはリスク・プレミアム)の補償が期待できるという「ハイリスク、ハイリターンの原則」が当てはまるような投資のリスクとは根本的な性質が異なる。世間では、「金の積立投資」のように、金の購入に対して、「投資」という言葉を当てようとすることがあるが、リスクを負担する行為である点が投資に近いとしても、株式投資や不動産投資のような経済活動への参加としての投資とは意味が異なるので、注意を要する用語法だと思う。筆者の結論をはっきり言うなら、原則として金は長期の資産形成に不向きだ。これは、金相場に対してどういう見通しを持つのかとは別種の議論だが、重要な認識だ。金相場との関わりは、「投資」ではなく、あくまでもゲームとして、投機としての覚悟を決めて行うのが正しいと思う。ゲームと割り切るなら、金貨や金の延べ棒のような現物を買うのは実質的な手数料が高くて割りが悪い。筆者のお勧めは、ネット取引の商品先物取引だ。もちろん、「買い」から入るのか、「売り」から入るのかは、読者がご自分で決めて欲しい。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第103号 2011年8月26日発行より) ==========================================================
2011.08.30
先週の世界のマーケットは、米国債のデフォルトに対する懸念に注目が集まった。米国では、政府の債務残高の上限が決められており、これを議会が引き上げなければ、上限を超える債務(国債やTビルなどによる借り入れ)を持つことができない。リーマンショックに続く金融危機の発生後、米国では金融・財政共に非常に積極的な政策を実施したので、政府の債務が急拡大しており、まさにこの上限に近づいていた。議会の合意が8月2日までに成立しない場合には、米国債の利払いが滞る可能性があるとして、デフォルトの発生が心配されていた。デフォルトという言葉は、債券投資の世界でよく出てくるが、読者はどんなイメージをお持ちだろうか?この言葉が使われる文脈は、なんとなく不吉な場合が多い。金利も元本も全く返ってこない、全面的な「貸し倒れ」のような状態をイメージされる読者が多いかも知れない。しかし、言葉の定義の上では、債務に関する契約のどんなに些細な問題であっても正確な履行がなされなかった場合、それは、すべてデフォルトなのだ。従って、元本を全く返済しないのもデフォルトだし、金利の支払いが一日遅れるのもデフォルトなのだ。デフォルトという言葉が出てくるのは、債券投資の世界ばかりではない。企業同士、あるいは企業と金融機関のお金の貸し借りの契約にもデフォルトはあるし、プロジェクトの資金を融資するローン契約のようなケースでもデフォルトがある。プロジェクト・ファイナンスの契約書は、紙に印刷すると何センチもの厚さになることが珍しくない。英文で書かれた分厚いローン契約書を読むのは骨の折れる作業だが、コツは、デフォルトの定義とその関連項目に集中して読んでみることだ。ローンの貸し手の立場からすると、お金を貸した相手が、お金を返せなくなるかもしれない事態が発生した場合には、法的な手段に訴えて自らの債権の価値を保全できるようにしておかなければならない。利息の支払いが順調であっても、たとえば、借り手の会社が債務超過になった場合などには、直ちに債権を保全する手続きを取ることができないと、他の債権者に先に資産を差し押さえられてしまうような事態が起こりかねない。従って、ローンの契約にあってはデフォルトの定義の中に借り手が債務超過になることを含めたり、債務超過にならなくても、自己資本比率が一定以下に低下したりした場合にこれをデフォルトと定めるというような条件をつけて、契約書を作成することが一般的だ。また、ローン契約にあっては、同一の借り手の他のローン契約でデフォルトが起きた場合には、この契約もデフォルトとみなす、という趣旨の規定(「クロス・デフォルト条項」と称する)が含まれていることがしばしばある。ともかく、デフォルトという言葉は、債務契約の不履行全般を指す言葉であって、何がデフォルトに該当するのかは、個々の契約(債券の場合は発行条件)で何を定めるかに依存する。従って、契約を結ぶ場合には、その契約において何がデフォルトに該当するのかについて、借り手も貸し手も細心の注意を払うことが肝要だ。そして、プロジェクト・ファイナンスのような大きくて複雑になりやすいローン契約も、デフォルトに注目して読んでみると、案外簡単に理解することができる。デフォルトと関連する言葉で、誤解しやすいのが「リスケジュール」(日本式に略すると「リスケ」)だ。借り手に十分な返済能力がなく、金利支払いや元本の償還について、当初に決められたスケジュールから、別のスケジュールに組み直すことを(多くの場合、返済期間を延ばすことが多い)リスケジュールと称する。ここで誤解しやすいのは、リスケは一見デフォルトのように見えるが、借り手と貸し手の双方が合意して返済スケジュールを変更することなので、その合意ができれば契約不履行の状態が解消してデフォルトの状態には分類されない。いったんデフォルトに該当する事情が起こっても、後からリスケジュール等の合意ができて、現状が契約不履行に該当しなくなると、デフォルト状態が解除されることになる。通常、何らかの契約でデフォルト状態にある主体は、追加的なローン契約を結ぶことができないが、後から当事者間でリスケジュールが合意されることによって、国際金融の舞台に復帰することができるようになる。今回、仮に米国債に関してデフォルトが起きたとすると、米国債の信用が大きく毀損する可能性があった。ぎりぎりではあったが、デフォルトが回避されたことは幸いだった。もっとも、現在の米政府の場合、支払い能力やそのための資金の調達力に疑問が生じてデフォルトになる訳ではなく、手続き的な問題で、デフォルトが起こるかも知れないということだったので、仮にデフォルトが起きたとしてもギリシアのようなケースとは異なるし、短期間でその状態は解消したはずだ。デフォルトの可能性にもいろいろあるので、その性質を正確に掴んで、正しく恐れることが重要だ。もっとも、米国債のような、本来は最も信用度が高くあって欲しい対象で、今回のような心配が生じるようなことは、頻繁には起きて欲しくない。==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第102号 2011年8月12日発行より) ==========================================================
2011.08.12
為替レートは毎日ニュースで報道されるし、外貨投資もずいぶんポピュラーになった。しかし、「為替」については、初心者ばかりでなくベテラン投資家や時にはプロでも勘違いしやすい誤解が二つある。一つ目は、「高金利通貨の期待リターンが低金利通貨よりも高い」と考えることだ。「為替」とは支払い手段のことであり、為替取引は支払い手段を取引しているのだから、常に資金取引を伴っている。つまり、為替レートは必ず金利と共に取引されているので、「事前の」予想の段階にあっては、どの通貨と金利の組合せのリターンが高いということが言える訳ではない。これは、銀行や商社などで為替予約を扱うと実感として分かることなのだが、株式のように金利を直接的に意識していない対象しか売買経験がない場合にはなかなか納得しにくいことのようだ。高金利通貨も低金利通貨も、預金や債券の将来リターンが「どちらが高いとも言えない」し、自国通貨の預金・債券と、外国通貨の預金・債券のリターンについても同様のことがいえる。この場合、外国通貨の預金・債券にあっては、為替レート変動のリスクがあるので自国通貨の預金・債券と比較した場合、大まかにいうと「リスクはあるのに、期待リターンは同じ」ということになる。つまり、割りが悪い。現実には、金利物への外貨投資は、預金でも債券でも外債に投資する投資信託でも、国内預金・債券で運用するよりも高い手数料を支払いがちになるので、この割りの悪さがさらに拡大する。二つ目の誤解は、為替のリスクをハイリスク・ハイリターンの原則の対象になるリスクとして解釈してしまうことだ。この誤解は、第一の誤解と絡んで、「高金利通貨の預金・債券は、リスクはあるものの、期待リターンが円の預金・債券よりも高い」という誤解につながりやすい。為替市場である期間(円を売って)外貨を買うということは、「外貨の買い持ちの為替リスクを持つことと、円資金を借りることと、外貨資金で運用すること」の組合せであり、市場の反対側に同金額で「円の買い持ちの為替リスクを持ち、外貨資金を借り入れて、円資金で運用している」人がいるということだ(為替のディーラーがやっているのはこうした資金取引なのだ)。この場合、外貨を買う人と円を買う取引相手は、価値の変動という意味で同等の大きさで反対側のリスクを負っていることになる。つまり、二人は、同じリスクを持っているが、損益の合計はゼロだという「ゼロサム・ゲーム」的な関係にある。このゼロサム・ゲーム的なリスクは、株式投資のように資本を提供してリスクを負う「投資のリスク」と異なり、リスクを補償する超過リターンが期待できるようなリスクではない。しかし、時には、プロのファンドマネージャーや運用会社の経営者であっても、高金利通貨の債券は為替リスクがあるけれども、「リスク負担に相応の期待リターンの高さ」があると誤解していることがあるから、注意したい。必ずしも広く通用する分類ではないが、筆者は、為替リスクのようなゼロサム・ゲーム的なリスクを「投機のリスク」、株式投資や不動産投資のような生産活動に資本を提供する場合のリスクを「投資のリスク」と呼んで両者を区別することにしている。投機のリスクも投資のリスクも、リスクとしての警戒が必要なことは同じだが、後者の場合は理屈上リスクを補償する追加的リターン(リスク・プレミアム)が期待できる点がちがう。リスク・プレミアムが期待できるのは一定の前提を置いた理屈上の根拠によるものだが、長期にわたる資産形成にあっては、「投資のリスク」を取り込むことの方が、投資家にとって「割りがいい」といえる。それでは、現実の投資の世界では為替リスクとどう付き合ったらいいのだろうか。一般に期待リターンを増やさないリスクは取らない方が賢いが、例えば、株式に投資する場合、日本とは異なる景気循環や市況、日本にはないビジネスに投資できる点で、外国株式への投資は分散投資上の意味が大きい。理想的には、為替リスクのヘッジを行いながら外国資産に対して投資の範囲を拡げていくといいが、個人には為替ヘッジのオペレーションは手間やコストが掛かって現実的ではない場合が多いだろう。一方、為替リスクも株式などのリスクと同様に一つのリスクに対する投資ウェイトを大きくすると、その悪影響が大きくなる類のリスクだ。現実的には、個人が為替リスクをある程度取って運用することを甘受しつつ、そのリスクは外貨預金や外国債券ではなく、外国株式に「割り当てる」ことがいいのではないか。巨額の公的年金資産を運用する機関投資家であるGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)のような機関投資家も為替ヘッジを行っていないことを考えると、この程度が現実的だろう。==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第101号 2011年7月27日発行より) ==========================================================
2011.07.22
投資を勧める記事や、投資の入門書を読むと、どんな理由で投資をはじめるべきかについては、過剰なくらい多くの理由が載っている。だが、いったん買った株や投資信託をいつ売るのかについて判断基準を述べているものは少ない。そのせいか、投資をはじめてみたものの、自分が買った株式や投資信託をいつ、どのような時に、売ったらいいのかが分からない投資家が少なくない。「売り時」に関して、不適切な思い込みで代表的なものを三つあげてみよう。一つは、自分の買値を基準に、「何割上がったら売り」あるいは「何割下がったら、売り(損切り)」と決めておくやり方だ。たとえば、「3割上がったら、あるいは、2割下がったら売り」と決めておくと、売り買いに迷わないし、自分の買値から見て大損することはないので、気分的に楽だからいい、といった理由で勧められていることが多い。しかし、精神的には楽なのだが、この方法は正しくない。株価や基準価額が上がるとしても下がるとしても、投資の意思決定をどうするべきかの問題は、今後の可能性であって、過去の買値との比較ではない。上がった株価も、企業の今後の見通しに対しては上昇不足なのかも知れないし、株価が下がったとしても状況が悪化していないのなら、投資対象としてはむしろ魅力的になっているのであって、その場合、損切りは愚かだ。「上がるか、下がるか、判断できないから、機械的な基準を決めて置いた方がいい」という反論を聞いたことがあるが、これは、そもそも、その株や投信を買うと決めた時に何らかの判断をして、その判断が有効だと思って実行に移したことと矛盾している。判断は難しいが、判断なしで運用ができると考えることは誤りなのだ。二つめは、「長期投資だから売らない」と決めつけるやり方だ。株式は、株主になって会社の利益の配分を受け取る手段なので、会社が順調である限り、投資期間と共に利益が増える。この意味で長期投資が基本になる。ただし、リスクを考慮に入れた時に、他の資産の方が有利だと判断される時、端的にいって、株式なら、現在の株価が高すぎると判断できた時に、「長期投資」を理由に漫然と保有し続けることは適切ではない。この場合も、買う時には買うか買わないかを考えたのだから、売る時にそれを考えないのはおかしい。三つ目は、適切でない根拠に基づいて、「売り」(「買い」もだが)を判断するケースだ。さすがにプロのファンドマネージャーの場合、テクニカル分析に基づく投資は顧客から相手にされないことがほとんどなのだが、素人投資家の場合はチャート分析にもとづいた売買が多い。チャート分析による売買は、売り買い共に無駄な売買を増やしがちだ。買値を基準にした売りがダメで、チャートによる売り判断もダメ、かといって長期投資を決め込んで、できるだけ売らないと開き直るのもダメ、となると、途方に暮れる方がいるかも知れない。それでは、いつ、どんな時に、持ち株や投信を売ったらいいのか。適切な「売り」の基準は存在するのか。売りの判断基準は存在する。大まかにいって、以下の二つのケースでは、持ち株や投信を売ることが適切だ。第一に、お金が必要な時だ。生活費であっても、不動産や車などの買い物のニーズであっても、お金が必要な場合、借金をするよりは、株や投信を売る方が断然「得」なので、売りを躊躇する必要はない。投資は、リスクとリターンを考えてそれなりに有利だと思って行っているはずだが、その「有利さ」は、ほとんどの場合、確実に返さなければならなくて金融機関の利益(スプレッド)が乗っている借金の「不利さ」には及ばないと考えることが妥当だ。この場合、心配なのは、株式や投信の現在の値段が自分の買値よりも安い場合に、売りを躊躇して、借金に及んだり、有効にお金を使えなかったりすることだ。もう一つの売りの基準は、「買った理由が消滅した時」だ。たとえば、予想される利益に対して株価が安いと思って買った株式の株価が上昇して、すでに割安とはいえない水準に達したとしよう。これは喜ばしいケースだが、「長期投資」その他の合理性の外にある理由に拘って売りを躊躇する必要はない。逆のケースとしては、たとえば、利益の成長性を評価して買ったはずの株の予想利益が下方修正されたような場合、株価の回復を祈ってこれを持ち続けても、簡単には株価が回復しないことが多い。投資は、祈るだけでは、どうにもならないことが少なくない。冷静に考えよう。投信の場合も、投資を決めた時の経済や市場の状況が大きく変化した場合に、投資額を縮小した方がいい場合がある。もっとも、株式でも、投資信託でも、持っているものの全てを売り切るような極端な行動ではなく、部分的に売却してリスクの大きさを調節する程度の行動が適切な場合が多い。「売り」でも「買い」でも、投資にあって極端な行動は、長期的には、成功しにくい。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第100号 2011年7月8日発行より) ==========================================================
2011.07.08
ギリシャへの支援がEU(欧州連合)の大きな負担になっている。ギリシャは、国家であるにも関わらず、普通にはお金を借りられなくなっているのだから、ドイツをはじめとする援助する側の国の国民はできればギリシャにお金は貸したくないだろうし、事実、この政治問題が大きな不安定要因になっている。さて、日本の財政赤字の残高が対GDP比でギリシャよりも大きいこともあって、日本もギリシャのようになるのではないか、という意見を時々聞く。中には、ギリシャは欧州諸国に支援を求めることができるけれども、日本は頼るべき相手がいないので、ギリシャよりも大変ではないかという声もある。ギリシャとの比較では、確かに支援を求める相手があることは、ギリシャの強みだ。ある意味では羨ましいと言っていいのかも知れない。しかし、同時に、親に甘やかされている子供が歳を取ってもなかなか一人前にならないように、これは、ギリシャが良い方向に変わることを妨げているのかも知れない。一方、ギリシャを日本と比較した場合に、ギリシャが気の毒なのは、EUに加盟してユーロを使っているため、通貨安という選択肢がないことだ。この点、日本には、一つ大きな安全弁がある。日本政府の債務の信用が損なわれた場合、国債の金利は上昇するだろうし、通貨も大半は国の債務が担保なので、インフレになるだろう。そうなった場合、あるいはそれ以前に、そうなることが確実視され始めた場合、日本円は安くなるはずだ。日本円が大幅に下落すると、外国、たとえば韓国に「一人当たりGDPで抜かれた…!」などというニュースが流れて、日本人は大いに悲観に浸るのかも知れないが、日本に立地する産業は競争力を回復し、日本の雇用も改善するだろう。つまり、変動する為替レートには、リスクを吸収する効果もある。また、インフレは現金の購買力が減少することであり、高齢者のように収入のない資産家にとっては嬉しくない現象だが、国をはじめとする借金を持った主体の負担を軽くする。もちろん、これまでのようなデフレの悪弊を取り除くことができるので、これも悪いことばかりではない。また、日本の場合、国債の9割以上が国内の投資家によって保有されている。その多くは銀行であり、背後には預金者がいるが、預金者も元本価値が確実でさえあれば円建ての低金利に満足して(我慢できるのも満足のうちだ)、資金を預け、銀行はより大きなリスクを取るよりも国債の利回りに満足していることが、今日の長期金利の低水準をもたらしている。加えて、日本の場合、欧州諸国などと較べて財政の国民負担率(GDPに対する税金、社会保険料など国民の負担の割合)が低く、将来の増税の余地が大きい。これは、現在の財政赤字要因の一つでもあるが、将来の潜在的負担力を意味する強みでもある。日本の諸々の意外な強みを考慮すると、欧米の国々の財政・通貨状況と将来どちらが強いのかは、必ずしも判然としない。もちろん、日本の財政や経済運営に問題がないわけではないが、日本の状況だけが圧倒的に悪いと決めつけたり、まして、ギリシャと日本の状況を同一視したりする意見は、かなりピント外れではないか。相場というものは、時に非常に皮肉にできていて、侮りがたいものだ。たとえば、過去20年くらい、「貯蓄から、投資へ」と言われてきたが、国内では個々のタイミングにも依るがおおむね株式に投資していた人よりも貯蓄していた人の方が、多くの場合、ましな結果だった。日本財政破綻論から円安に賭けていた人が大損を被るような事態があって、それから円安がやって来る可能性もある。ギリシャと日本の比較だけでも随分誤解があるようだ。為替レートも株価も、相手が相場であることを忘れずに、他人の意見に流されずに、自分でとことん考えて参加するようでありたい。==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第99号 2011年6月24日発行より) ==========================================================
2011.06.24
先般、東京都内で行われた「コツコツ投資家がコツコツ集まる夕べ」と題する集まりに出席した(最近、他の地域でも分科会ができている)。この集まりは、金融業者ではないが投資分野に関わりを持つジャーナリストやブロガーなどが声掛け人となって、主に投資信託で積立投資をすることに関心のある個人投資家が月に一度自発的に集まっている(金融会社のスポンサーなどは付いておらず、会費制の集まりだ)。この日は会の一周年ということもあり、数十人が集まる盛況だった。この会の出席者の中に、母親と息子(大学生で金融を勉強されているらしい)の二人連れの出席者があり、投資家の話の輪に加わっていた。筆者もお話しさせてもらったが、親子で投資の勉強とは素晴らしいと思った。しかし、親が子に投資、もっと範囲を拡げて、お金についてどのように教えるべきかは、なかなか難しい問題だ。しかし、難しいけれども、重要な問題だろう。親が子供に最初に教えるべきなのは、おそらくお金の収支の管理方法だろう。お金が貴重であることと共に、入ってくるお金以上のお金を使ってはいけないことを教える。古くからある「こづかい帳」はこれを具体化したものだろうし、多くの場合、学生時代に一人暮らしをしてみて、金銭管理の価格を体得することになる。お金持ちの親が子供を甘やかして育てた場合などに、この感覚が育たないままの大人ができ上がってしまうことがあるようだが、まずは、この点が金銭教育の第一歩だろう。親としては、子供に説明しにくいかも知れないが、高校生くらいになったら、家の資金繰り全般を例にして具体的に説明してやるといいのではないか。これは、親の側でも、子供の恥ずかしくない金銭管理を行うきっかけになりそうだ。次に教えるべきは、正確な損得計算の必要性と方法、具体的には、利回り計算のやり方だろう。もっとも、この点については、現在の投資信託の売れ筋商品などを見ると、親自身が、計算ができていないケースが多いのではないかもと思われ、困難が懸念される。キャピタルゲインとインカムゲインの合算、単利と複利、税金の損得、割引現在価値などについて、親が子供に教えられるようなパンフレット的テキストが必要だろうし、学校教育でもサポートすべきだろう。インカムゲインとキャピタルゲインを合わせて判断しないと損な取引を行ってしまう可能性があること、同じ利回りなら先に税金を払うような商品は損になることが多いこと、不動産を借りるのと買うのではどうちがうか、といった金銭判断が親子共にできるなら素晴らしい。親が子供に教える第三番目の要点は、金融取引における「情報の非対称性」と他人を簡単に信じてはいけないという世間知だろう。もちろん、情報の非対称性という抽象的な言葉をそのまま教えるのではなく、一方が情報を持っていて、他方が情報を持っていない場合に(たとえば生命保険の原価を知っている場合と、知らない場合に)、情報を持っていない側が不利で危険な立場にあることを教える。金融に関する事件(典型的には投資案件に関わる詐欺など)などを題材として持っていると、説得力のある話ができるだろう。また、金融機関に限らず、商売一般にあって、売り手は買い手から儲けるために様々な努力(一見親切に見えるような行為も含めて)をしているのだ、と教える。子供が、他人の「うまい話」を簡単に信じなくなれば成功だ。リスクを取った運用、具体的には株式投資や投資信託への投資などについて教える時期はいつがいいのかが次の問題点になる。株式投資の内容自体は、高校生で十分理解できると思うが、ある程度お金を自己管理することが必要になる大学生になってから教える方が、無理がないかも知れない。投資には、もちろんゲーム的に面白い側面もあるのだが、株式投資は、模擬売買のような形のトレーディングのゲームとして教えると悪い癖が付きやすい。資産形成のための手段として投資に取り組むことを教え、教養の一部として、投資の考え方や過去の市場の推移などについて学ばせることができると理想的だが、これについては、個々の家庭の事情に差はありそうだが、最大公約数的には、親子で一緒に学ぶスタイルが最も現実的であるような気がする。「親子のための投資教室」のようなものがあるといい。投資家の集まりで、真面目な親子にお会いして、筆者は、そのようなことを考えていた。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第98号 2011年6月10日発行より) ==========================================================
2011.06.10
お金の運用全般を解説する本を久しぶりに書いた。『お金の教室』(NHK出版)というタイトルで5月下旬に発売される。ここのところ、内外のインデックス・ファンドを組み合わせて投資する方法を解説するような、「こう投資すればいい」という結論を説明する入門書を書いてきたが(『超簡単お金の運用術』、水瀬ケンイチ氏と共著の『ほったらかし投資術』。共に朝日新書)、『お金の教室』は、お金を扱う考え方一般を説明する、マニュアルあるいは教科書というよりは、副読本型の本だ。タイトルに含まれる「教室」という言葉にも表れているが、筆者が、獨協大学で学部の学生(2年生から4年生が対象)を相手に講義している「金融資産運用論」の授業内容を生かして書いてみた。大学生を相手にお金の運用について授業をしてみると、リターンとリスクから始めて、投資の理論を一通り説明し、アセットアロケーションから個別の資産の運用方法に至るという通常の投資テキストの流れ(証券アナリスト試験用のテキストがほぼこの流れだ)では、学生にとって必要以上に難しく感じられるらしいことが分かった。これは、多分、一般の大人を相手にする投資教育でも同じなのだろう、と思われた。そこで、授業では、まず、学生が新社会人になった時点くらいを想定して、個々の金融商品(「預金」、「株式」、「生命保険」といった大まかなくくりで)の主な性質と扱い方の注意を説明して、実用的な関心の下で、金融商品をイメージしてもらうことから始めることにした。次に、お金の問題を考える上で不可欠な「基本的な考え方」について、具体的な例をあげながら「なるほど!」と理解してもらい、最後に、まとめとして運用計画の作り方を考えるという構成が分かりやすいのではないか、というのが、まだまだ試行錯誤中ではあるが、現時点での授業(半年、約15回でワンセット)の構成案だ。この中で、お金の問題を扱う上での「基本的な考え方」を、実感を伴って理解してもらうための副読本的なテキストがあると便利だと思うようになり、これは一般向けにも役に立つのではないかと考えた。これが、『お金の教室』を執筆する動機となった。お金を扱う上でのいわば「基本思想」として筆者が重要だと考えたのは、以下の5点だ。(1) 損得の計算(2) 時点が異なる価値の比較方法(3) 「市場」というものの性質(4) ビジネスとしての運用の構造(5) リスクとの付き合い方まず、お金には扱い方によって厳然と損得があり、取引にあっては、相手が儲けると自分が損をするという関係がある。従って、お金の損得に敏感になり、正確に計算する習慣が重要だ。次に、たとえば「家を買うのが得か、借りるのが得か?」といった人生における重要な経済選択では、異時点の価値を評価する方法を知ることが重要であり、きっちり結論が出ることを知らなければならない。また、市場には参加者の行動を通じて情報が反映し、誰にとっても市場で「うまいことをやる」のは難しい一方で、市場が常に正しいわけでもない、といった「厳しくも、しかし、いい加減でもある」という市場の「感じ」(敢えて言葉を当てはめると「機微」)を知っておくと、お金の運用だけでなく、経済の理解も深まる。加えて、運用や金融の世界は「ビジネス」として営まれていて、顧客としての投資家は手強いビジネス主体である金融業者の側が何を考えているかを知らなければならないし、敢えて言えば、「金融マーケティングを解毒する」予防接種が必要だ。最後に、不確実性が大きな金融の世界でお金を現実的に扱うためには、リスクがあることを自覚して、どこまでなら「無難か」という見当を付けながら、効率性を追求する加減を学ぶことができれば、この投資家は、自分でお金の運用の問題を解決することができるだろう。住宅ローンの話や、株式投資入門、バブルの解説や、退職金の運用、といった例であれこれ説明してみたが、今回の本の「思想」を要約すると、以上の5点だ。これらについて、具体的によく分かるし、他人にも説明できるくらい分かる、という人は本書を読む必要はない。一方、上記の中の一つでも、もう少しスッキリ分かりたい、と思われる点がある方は、ぜひ、書店で本書を手に取って見て欲しい。==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第97号 2011年5月27日発行より) ==========================================================
2011.05.27
東日本大震災の発生と、これに続いた東京電力福島第一原子力発電所の事故に関心が集中したことで、今年の春は、「新入社員」にあまり注目が集まらなかったような気がするが、「就職(大!)氷河期」で数が減っているとはいえ(その分「精鋭」だろう!)、4月はじめには多くのオフィスに新入社員が登場したはずであり、それから1カ月が経って5月に入った。 5月は、主に大学のキャンパスで使われる言葉だが「五月病」と呼ばれるような、憂鬱を伴う中だるみのような気分に陥りがちの時期で、新人にとって、就職の際の非日常的な興奮が消えて、毎日のルーティンワークがのしかかってくる頃合いだ。新入社員の皆さんは元気にお過ごしだろうか。 多くの新入社員にとって、4月は大きな環境変化の月であって、研修などのイベントも多く、まだ職業人としての生活ペースが固まっていない時期だっただろう。5月からの過ごし方が、今後しばらくの生活ペースを作って行くことになるだろう。主に新入社員に対して、お金に関する生活ペースの作り方について、筆者流の(少し、普通とちがうかもしれない)アドバイスを贈りたい。 まず、当面の大目標は、どのように生活したら毎月の収入以下に支出が収まるかを感覚で把握して実行できるようになることだ。収入以上に支出するということは、財産の蓄えが乏しい新入社員の場合、(最初は)少額ではあってもカードローンなどの借金をすることになるが、個人が借りるローンの金利は、担保として住宅がある住宅ローンを除くと高率であり(15%くらいのものが多い)、これは、とても運用などで取り返せるような利回りではなく、ひどく不利だ。ともかく、借金をしない生活を確立することが大切だ。 銀行との付き合い方もよく考えて、今のうちに方針を決めておこう。 一般に、多くの銀行口座やクレジットカードを持つと、お金の管理が複雑になり、無駄が生じやすく、効率が悪い。給与振り込みのある銀行に公共料金やカードなどの決済を集中させておくと、その口座の履歴がお金の管理に関する多くの情報を集約することになるので具合がいい。給与振り込み口座は、会社の取引関係などで銀行を指定されることもあるが、自由に決められる場合は、銀行の経営状態と自分にとっての利便性(将来転勤した場合のことも考えて)を両方考えて決めるといい。 日頃使う銀行口座は一つに絞る方がいいと筆者は考えるが、最近のATMの制限(オレオレ詐欺への対策もあって、1日の引き出し額に上限がある場合が多い)や、大手銀行でもシステム・トラブルがあることなどを考えると、別の銀行にもう一つ普通預金口座を持って、予備のお金をある程度入れておくことをお勧めしたい。 なお、銀行口座を開いてキャッシュカードを作ると、キャッシュカードにクレジットカード機能が付いてくることがあるが、この利用には注意したい。特にカード利用の際のリボルビング払いは、高い利率の借金の残高が残ることになるので「絶対に」避けて欲しい。キャッシュカードにも、つい(小口ではあっても、大いに不利な)借金をしてしまうような仕掛けがあるので、是非注意して欲しい。 なお、銀行の預金は一人一行1千万円を超えると預金保険の対象外になるが、銀行にはお金の運用に向いた商品がないので(定期預金の金利は市中金利よりも大幅に低いし、窓口で売っている投資信託は手数料が高すぎて、ほぼ全てダメ!)、銀行に置いておくお金は、せいぜい数カ月分の生活費程度で、貯まったお金の運用は別の場所で行いたい。 次に、新入社員に是非伝えたいことの一つだが、生命保険に入らないことの重要性だ。独身で子供もいない新入社員に、生命保険は必要ない。先輩社員の紹介するセールスが勧める保険であっても必要ない! 死亡保障の保険のセールス攻勢を凌いでも、病気が不安でつい医療保険に入ってしまうこともあるが、これも「確率と費用を計算すると、非常に無駄!」だ。会社で健康保険入っている人は、特別に重い病気になりやすい人でない限り、民間生保の医療保険に入るのは損だ。重病や怪我で高額の医療費がかかっても、健康保険の「高額療養費制度」でカバーできることがほとんどだ。医療保険に払うお金を貯蓄しておく方がずっと得だ。もちろん、病気にならなければ、別の目的に使える。 5月の時点では、「もう生命保険(死亡保障であっても、医療保険であっても)に入ってしまった!」という新人社員がいるかもしれないが、今なら間に合う。是非解約を検討して欲しい。生命保険のセールス行為に見合う手数料は、最初の2年程度の保険料から集中的に徴収されるようになっている。5月なら、まだ被害は小さい。相手は、相当に嫌がるはずだが、それは、それだけこちらの解約のメリットが大きいということだ。 生命保険が必要なのは、資産がない同士が結婚して子供ができたケースだろう。こうした場合は、最も安い死亡保障の定期保険(10年といった期間のある保険)で保険料が掛け捨ての保険に入るといい。現状では、若い人については特に、ネット専業の生命保険会社の保険料が安いケースが多いように思う(ご自分で調べて下さい!)。 新入社員にとっての5月で、もう一つ考えて欲しいのは、確定拠出年金だ。特に、会社が確定拠出年金制度を用意している場合は、税金面で有利なので、是非、最大限に利用することを検討して欲しい。確定拠出年金の有利な利用方法は、また、別の機会にご説明したいと思っているが、税金面で有利なチャンスは逃さない方がいい。 さて、先のことも考えておこう。 「新人の5月」では無理かも知れないが、貯めたお金にある程度の余裕ができたら、次には、ある程度のリスクを取ることも視野に入れた「有利なお金の置き場所」を考えたい。お金は、適切な場所に置くと、お金自体がお金を稼いでくれるようになる。運用するお金の「適切な置き場所」とは、最終的にお金が有効に投資される対象として生産性の高い対象と、その経路としてコスト(主に手数料)が低い経路を指す。 最後のアドバイスは、ネット証券に、なるべく早く「お金を長期的に増やすための」口座を開くことだ。 良い投資対象が、国内株式なのか、外国株式なのか、あるいは投資信託のようなものなのかについては(結論は「組合せ」なのだが)、いろいろな意見があるし、本人の方針や好みもあると思う。何に投資するかは難しい問題だが、同じ物(実質的にほぼ同じ物も含めて)に投資するなら、その際の手数料が安い投資方法が得だということはお分かり頂けるだろう。本稿は、ネット証券のメールマガジンなので、この点に関しては、読者は内容の真偽を疑ってお調べになるといいと思うが、傾向として、株式にしても、投資信託にしても、個人投資家がお金を運用する場合、ネット証券の手数料が安いことが多い。 お金を増やすことが目的で運用するのだから、同じ内容の運用をする場合に、手数料が安い手段を使うのが合理的だ。 加えて、セールスマンからの接触がないネット証券は、自分で考えて、自分のペースでお金を運用する上で都合の良い取引相手だと思う。 今後お金を長期的に殖やすための運用商品を取引する相手はどこがいいかについては、どのネット証券がいいかも含めて、広い範囲を、ご自分で調べて、完全に納得された上で決定して欲しい。 新入社員の5月。最初にいい方針に向かうと、その有利性は長きにわたって継続する。==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第96号 2011年5月13日発行より) ==========================================================
2011.05.13
最近、アマチュアの投資家同士が集まる会合について、話を聞いたり、参加したりする機会が多い。大規模なものでは、インデックスファンドに関心を持つ投資家が集う「インデックス投資ナイト」といったイベントがあったし、コツコツと投資する投資家の集いをコンセプトとする会合も、東京だけではなく、日本のあちこちで開かれているようだ。こうした会合の最大の長所は、金融機関のビジネスの影響を受けないで、投資家同士が情報を交換したり、知識を強化したりすることができることだ。銀行・保険・証券・その他の金融会社(FX会社や商品先物取引業者など)、あるいは何らかの金融業界の団体が主催するイベントでは、どうしてもスポンサーの利害に、内容が影響されがちだ。金融会社がスポンサーになっても、ビジネス上の利害関係を会の内容に持ち込まないという方針を貫くことは可能だが、会の継続性(つまりスポンサーの資金の継続性)を保ちつつ、会の出席者が全くスポンサーに気を遣わず、「投資家のため」という目的のみで会を運営するには、相当の努力が必要だ。また、そのように会が運営されるとしても、その会がビジネス上の利害から独立なものとして広く認知されるためには、相当の継続実績が必要だ。そういう意味では、金融ビジネスの側から見ると、既存の投資家の集まりを利用したいという誘因が発生することがあるので、投資家同士の集まりの側でも、メンバーや話題の選定を含めて、運営には注意が必要になる。アマチュアの投資家同士の集まりで、多い話題は、自分の投資の現況報告と、初心者投資家に対する指導であるように思われる。お金の運用は、将来に不確実性を孕む不安な行為でもあるので、投資家は、自分の投資について話す機会を得たり、他人の投資の状況を聞いたりすることで(「ああ、あの人も苦労しているのだ」などと思うことで)、精神の安定を得たり、時には、やり甲斐を再確認したり出来る。この点では、ブログのような直接顔を合わせない環境でのコミュニケーションよりも、直接会って話をする投資家の会合の方に大きなアドバンテージがある。しかし、一つには個々の投資家が持っている資金量が異なるし、もう一つには投資家の運用成績にはばらつきがあるから、自慢したい人がいたり、逆に、ひがみっぽい人がいたりすると、それらが少数でも、会の雰囲気が壊れてしまうリスクがある。初心者に対する指導も、話が盛り上がりやすいテーマだ。投資になにがしかの趣味の要素があるとすれば、他人から投資について学ぶことも喜びだろうが、投資について教えることも、劣らない楽しみになり得る。これは、ゴルフのような趣味を観察すると明らかだが、投資についても指摘できる傾向だ。「会社の確定拠出年金の商品選択をどうしたらいいのか」とか、「海外ETFをどうやって買ったらいいのか」といった質問に対して、直接投資家が教えてあげたり、より詳しい仲間を紹介したり、といった有意義な親切が展開する様子を目にすると、「投資家が投資家を教える」という関係はいいものだ、と思う。こうした試みの延長線上に、たとえば、投資家同士の集まりで、投資について一から体系的に勉強することはできないかという可能性も検討してみたい気分になる。基本的に利害が一致している同士で、相互扶助の精神の下に、ビジネスのしがらみに影響されない勉強がローコストでできるなら、素晴らしい。この可能性は、是非追求してみたいものだと思うが、注意を要する点を三つ挙げることができる。一つ目は、参加者のレベルをどの程度揃えられるかだ。知識や経験のレベルがあまりに違うと、参加メンバー同士で何を勉強することがプラスになるのかが一致しない。二つ目の心配は、メンバーの中で正確な知識が伝わるかどうかだ。影響力の強いメンバーが、自己流の押しつけや、誤解の擁護に回ってしまうと、同レベルの人たちの間で、正しい知識に辿り着くのに苦労することになる。投資の世界では、「儲けたのだから、私のやり方が正しいはずだ」という悪しき結果主義と呼ぶべき感覚がはびこることがあるし、有名な書籍をテキストや副読本に使うとしても、本の内容に間違いがあるケースも少なくないので、この点は注意したい。三つ目の問題は、ギブ・アンド・テイクのバランスが崩れやすいことだ。これは、メンバーの知識レベルの差にもよるが、教える側と教えられる側の関係が一方に偏ると、教える側の負担や苦労ばかりが増えてしまい、勉強会に疲れてしまうことが起こる。はじめのうちは意義とやり甲斐を感じていても、バランスの偏りがあまり長く続くと、継続が難しくなる心配がある。こうした点に注意しながら、教材やテーマを工夫して選び、時には外部のアドバイザー(ビジネスから独立した意見の言える人を!)を上手に利用して、投資家が投資家を教える仕組みが実現できるなら、日本の投資教育は大きな問題を一つ解決する糸口を掴むことができるだろう。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第95号 2011年4月22日発行より) ==========================================================
2011.04.22
近年、多くの投資家が個別株の投資を相対的に軽視しているような感じがする。筆者自身を振り返っても、個別株への投資をテーマに原稿を書くことが減ってきているように思う。個別株への関心の低下には、いくつかもっともな理由がある。一つには、投資信託、特に手数料コストの安いインデックス・ファンドが普及した。この中には、ETF(上場型投資信託)の発達も含まれる。インデックス・ファンドの手数料は、現在競争の過程にあり、今後も低下しそうだ。加えて、数年前まで信託報酬が高いアクティブ・ファンドばかりだった外国株式でも手数料コストの低いインデックスファンドが登場したことが大きい。個人投資家は、インデックス・ファンドを利用することによって、手軽に分散投資の効果を享受して、機関投資家に多く劣らない運用ができるようになった。また、投資信託の影響はインデックス・ファンドの影響ばかりではない。毎月分配型ファンドや通貨選択型ファンドのように、分配金を強調して売ることができる投資信託は、投資家に売りやすいことに加えて、個別の株式よりも手数料を稼ぎやすい。対面型の営業を行う証券会社のセールスマンにとって、今や、株式ではなく、こうした「手数料の稼げる」投資信託が主力商品だ。加えて、個別株への関心が盛り上がらないもう一つの理由は、株価の形成に当たって、外国人投資家のウェイトが大きくなったことだろう。彼らは、流動性の高い時価総額の大きな銘柄に広範な注文を出し、目下の市場では株価の決定力が大きい。かつてのように、日本の投資家が市場のテーマを決めたり、セクター毎に物色傾向を定めたり、といったことがない、いわば無機質なマーケットになって来たので、日本の投資家にとって株式投資が馴染みにくいものになった。また、約定スピードが上がった東証の新システムは、注文の「板」を見ながら行う、いわゆる「1カイ、2ヤリ」的な個別株トレーディングを難しくした。この影響は、個人投資家もさることながら、中小証券会社の株式トレーダーの仕事を苦しくしているようだが、個人投資家のチャンスが減っているように見える要因になっている。しかし、以上のような要因は、いずれも、株式をポートフォリオで保有して長期投資を行うオーソドックスな投資家にとっては、大きな問題になっていないように思われる。低コストなインデックス・ファンドがあること自体は、個別株式の株価形成にとって大きく影響する原因ではない。かつての日経平均採用の品薄銘柄のように、インデックス運用資金の拡大で株価形成が歪むなら、これは、アクティブ運用を行う投資家にとって、むしろチャンスというべきだ。外国人の売買にしても、彼らが個別銘柄をよく知らずに投資しているのであれば、アクティブ運用者にとってはチャンスの広がりを意味するはずだ。現状は、個別株投資家が新しい株価形成の中で、どのような戦略を取ることができるかを見つけ切れていないに過ぎないのではないか。一方、長期投資を行おうとする投資家の側でも、自分のポートフォリオの管理がどの程度できるのかという点について、問題がないわけではない。自分のポートフォリオのリスクの大きさを数値で知っている投資家はほとんどいないだろうし、投資する銘柄やウェイトを変化させたときに、これがどう変化するのかを把握しながら運用できる投資家はもっと少ないだろう。ポートフォリオのリスクの把握が十分でない場合、自分で自信のないまま個別株のポートフォリオを作るよりも、インデックス・ファンドに投資しておく方が無難であり、運用全体が管理しやすい、ということになる。従って、今、個人投資家に必要なのは、ポートフォリオのリスクを測ることを中心とした、ポートフォリオの管理ツールだろう。ポートフォリオの管理ツールがあれば、かなりの程度安心して株式ポートフォリオを持つことができる。ある程度長期間にわたって株式を保有するような運用スタイルであれば、東証のシステムが高速すぎて、画面に見えている板が正確でないといったことは、何ら問題にならない。加えて、インデックス・ファンドにも弱点がないわけではない。銘柄の入れ替えや、ウェイト付けの変更の際に、市場参加者にこれを利用されることによるインデックス自体のパフォーマンス低下の影響の心配は完全に払拭されたわけではない。インデックス・ファンドとアクティブ・ファンドの手数料の差を埋めるほどの大きさではないようだが、現場のインデックス運用者に聞くと、これらの悪影響は今も存在している。ツールやアイデアが少々補強されたなら、という条件付きでだが、個別銘柄を自分で選んでポートフォリオを組んで運用する株式投資は、今後、十分復活し、普及する可能性がある。付け加えると、この運用スタイルを上手くハンドリングすることができれば、効率が良く、可能性があるだけでなく、「面白い!」という長所がある。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第94号 2011年3月11日発行より) ==========================================================
2011.03.11
近年、雑誌のマンション特集を見ると、人気のエリア(地域)がどこであるかというテーマの記事が多い。『週刊ダイヤモンド』の2月26日号でも同様の特集をやっていて、地域別に過去10年間の新築マンションの値下がり率を最寄りの駅別にまとめて比較している。同誌は経済誌なので、詳しいデータが載っていて、なかなかおもしろい。 特に、家賃に対して物件価格がどのくらいの倍率かという、株式投資でいうとPER(株価収益率)に相当するデータが載っている点が興味深い。たとえば、地下鉄東西線の神楽坂駅は70平米換算の新築マンションの価格が6,724万円で、家賃PERは24.1倍だ。対して、同じ東西線の浦安は3,742万円で家賃PERは13.8倍だ。 サンプル数の問題もあって、鵜呑みにはできないが、神楽坂と浦安では、家賃相場はあまり大きく違わないけれども、マンションを買う場合の価格には大きな差があることが分かる。実際には、同じ広さの同様のグレードの物件を借りる場合、神楽坂の方がかなり高いとは思うが、傾向としては、物件価格の比率ほど家賃は違わないように思う。 一方、各所の過去10年間の新築物件値下がり率を比較すると、都心ないし都心に近い価格の高いエリアの方が値下がり率は小さく、物件の価格が下がる郊外のマンションの方が大きな率で値下がりする顕著な傾向がある。 これは、過去10年の間に、住居立地として都心の人気が高まったということもあるが、以下のような原理が働いていると考えられる。 たとえば、都心のマンションは価格が6,000万円のうち、建物の価値が2,500万円で立地の価値が3,500万円だが、郊外のマンションは同じく建物の価値が2,500万円でも立地の価値は1,500万円で価格が4,000万円だとする。「同じグレード」のマンションの価格差を説明する要因は主として立地の差だから、この想定はそう非現実的でもないだろう。 すると、経年変化で建物の価値が共に1,500万円失われたとしても、物件価格の変化は都心ではマイナス25%だが、郊外ではマイナス37.5%になるという差が付く。つまり、建物の価値は下がっても、立地の価値は保たれるので、「立地代」の高い物件は値下がりしにくいということだ。 立地に関しては、人気の移り変わりがあるので、人気エリアの高額物件を買っておくと資産価値が有利に保たれることが保証されているという訳ではないが、物件の価値を、建物の価値と立地の価値に分けて考えることは有効かも知れない。たとえば通勤時間が片道30分短縮されるなら、一月の通勤日数が20日として、時給にして20時間分くらいの差が家賃にあってもおかしくない。個々の事情と立地の価値の大きさは一人一人で異なるが、平均的な好立地の条件は割合安定的だろう。 株式投資の場合は、投資家の最終的な目的は、株式を通じて得られる利益なので、PERの差は、主として利益の成長性の評価に対する差になるが、同じ利益状況なら純資産部分の差がPERの差の相当部分を説明すると思えるケースもある。ただし、有効に使われていないキャッシュなどは配当される可能性があるし、最終的には保有する資産の価格も利益に関連するはずなので、不動産の価値の場合ほど、高PERは安定的ではないはずだ。 不動産価格に関しては、いわゆるバブルの頃には「日本の不動産価格は、理論的には説明できない特別なものだ」という意見が多かったが、その後のバブル崩壊を経て、特に「収益還元価格」(家賃収益から計算される価格)という言葉が有名になってから、価格形成の合理化が相当に進んできたように思う。 日本では、株価は不動産よりも一足先に価格形成の合理化が進んできたが、現在では、株価・不動産共に「かなりの程度」合理的な価格付けになってきたように思う。しかし、それが、経済全体が低成長化し、人口が減少する前提条件で将来見なければいけない時期に達成されたことは、いささか皮肉でもあり、投資家としては少々残念だ。 ========================================================== 楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元 (楽天マネーニュース[株・投資]第93号 2011年2月25日発行より) ==========================================================
2011.02.25
先般、スタンダード&プアーズ・レーティング・ジャパン社(以下「S&P社」)が、日本政府の長期債務(簡単に言えば長期の日本国債)の格付けをAAからAA?まで一段階(「ワン・ノッチ」という)引き下げた。引き下げの詳しい理由は、 S&P社のホームページで同社のリリース文を読んで欲しいが、現政権の財政に対する取り組みが実効を上げそうにないという批判が背景にあると筆者は思った。この批判には大いに共感するところがあるのだが、格下げの発表後、長期金利(日本国債の利回り)はほぼ変わらず、為替レートはやや円高という展開になっている。格下げが重大な意味を持つなら、長期金利は急上昇(国債価格は暴落)し、為替レートは円安になるはずなのだが、そうはならなかった。S&Pだけではなく、格付け会社はサブプライム問題で大きく信用を損ねた。彼らが高格付け(AAAやAA+)を付けていたサブプライム・ローンの証券化債券の多くがその後にデフォルト(債務不履行)を起こしたのだ。今回のS&Pによる日本国債格下げが大きな影響力を持たなかったことの背景にも、格付け会社の信用失墜の影響はあると思う。サブプライム・ローンの証券化商品は、多くのローンの債権を組み合わせてリスク分散したものになっていて、加えて、債務弁済の順位が高い「シニア」の部分は、多くのローンが同時にデフォルトを起こさないと毀損しない。平時にあっては住宅ローンのデフォルトは、個々の債務者家計の別々の問題によって起こるからリスク分散が効くから計算上はかなり安全なのだが、全米の不動産市況が同時に悪化するような事態では、多くのローンが同時に悪化する可能性があり、この場合はその限りではない。直接的には、S&Pに限らず、格付け会社はこの点の想定が甘かった。1990年代に不動産価格の全国的な大幅下落を経験した日本から見ると、これは「当然想定しなければならない可能性」に思えるが、プロであるはずの格付け会社はこの点を見落とした。見落としは人間なら誰にでもあることだが、この見落としには、うっかりや不運だけでは片付けられない背景があった。それは、格付け会社が格付けされる対象債券の発行会社から手数料を貰うビジネスモデルを採用しているからだ。森田隆大氏の著書「格付けの深層」(日本経済新聞出版社)によると伝統的な社債の格付け手数料は額面金額の3bp(ベーシスポイント。1bpは1%の百分の1)だが、証券化債券はその倍以上 6~13bpなのだという。そして、サブプライム問題が発生する前の時点で、格付け会社にとって証券化債券の格付けは重要な収入源だった。そして、債券の発行者やアレンジャーは、格付け会社を選ぶことができる立場にあった。率直に言って、格付け会社には自分の商売を増やすために、格付けを甘くして、格付け対象債券の発行会社や証券化債券のアレンジャーに取り入ろうとするインセンティブ(誘因)がある。そして、より正確には、そのインセンティブが影響を及ぼすのは、格付け会社そのものよりも、格付け会社のアナリスト、営業マン、経営者といった「個人」だ。格付け会社そのものは、甘い格付けを出して評判を落とすと長期的には困るかも知れないが、格付け会社の社員や経営者は、短期の業績に応じて報酬(特にボーナスやストックオプション)を貰うことができるので、時々の商売を得るために格付けを甘くする誘惑がある。この弊害が表面化したのがサブプライム問題だった。そして、格付け会社のビジネスモデルの構造的な欠陥に対して、現時点では有効な修正案が見つかっているとは言い難い。格付けは「疑いながら参考にするしかない」というのが現状なのだ。しかし、疑いに対して有効な結論を持つことができる人は、能力的にプロないしプロ以上だろう。ところで、格付け会社のビジネスモデルと同じ構造の問題が、個人の運用の世界にもある。たとえば、投信評価会社は相当程度格付け会社と似たビジネスモデルだし、新聞や雑誌に登場する評論家、マネーライター、ファイナンシャル・プランナー(FP)などの多くは金融商品を供給する金融機関のセミナー講師で報酬を得たり(一般に講演料は原稿料よりもかなり高い)、金融機関が広告を出すメディアに登場して報酬を得たり、していることが多い(筆者も同類であることを認める)。彼らをどの程度信用していいかは難しい問題だ。一つには、彼らが、どこからどのような収入を得ているかという利害関係に注目することが有効だ。その意味では(たぶん、その意味でのみ!)、新聞や雑誌の「広告特集」の登場人物と内容は参考になる。そして、結局は、投資家が自分で情報そのものの信頼性を判断しなければならない。しかし、自分自身がそれをできる投資家には、そもそも評論家やFPは必要ないことになる。結局、お金の問題で他人を頼ってはいけない。自分が分かる範囲で、失敗しても納得できる範囲で、自分で決める、という以外に安心な方法はない。自分が間違える可能性まで含めると、それでも絶対の「安心」ではないが、他人を頼ってだまされることだけは避けて欲しい。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第92号 2011年2月18日発行より) ==========================================================
2011.02.18
前回の総選挙では、独自の年金改革案をマニフェストに掲げて政権交代を果たした民主党政権だったが、その後、参院選で躓き、すっかり失速した観がある。公的年金制度を大幅に変える大規模な法改正を行う力は、おそらく、現政権にはあるまい。望ましい制度は何か、という問題はさて置くとして、現実問題として、個々の国民は、現行制度の延長線上で物事を考えざるを得まい。現状の延長線上で考えると、向こう20年くらいのスパンで、公的年金の「使いで」は、現在予想されているよりも大きく減少する可能性が大きい。現行の枠組みでは、保険料の引き上げには上限があり、積立金の運用は上手く行っても制度全体への効果としては、たかが知れている。いずれにせよ、給付の調整は必要だし、調整が遅れると、その後の調整幅は現在想像するよりも大きくなる公算が大きい。そこで、たとえば、現在の現役ビジネスマン世代はどうしたらいいか。まずは、公的年金に対する依存度や期待を今までよりも大きく引き下げるリタイアメント・プランニング(退職後生活設計)が必要だ。現在の中年現役ビジネスマンは、年金の支給開始年齢が引き上げられるかも知れないという可能性と共に、年金支給額が、特に実質価値ベースで、期待よりも小さなものになるかも知れない可能性に対して準備を考えておく必要がある。そして、コストの半分を税金が負担する国民年金はともかく、厚生年金では現在働き盛りの世代が「割を食う」リスクが小さくない。現実的には、老後の生活コストを落とすことが一番現実的で効果があるだろうし、それで不幸せになると決まったわけでもないが、これは、最初から目指す方針ではあるまい。なるべく有利に老後の備えを作りたい。個人に適用される税率、従って年収にもよるが、年金保険料の所得控除のメリットは十分取りたいが、厚生年金の条件は不利かも知れないと懸念する世代・個人の場合、個人型の確定拠出年金で所得控除を確保して老後に向けた貯蓄を有利に確保するのが得な場合が多いだろう。確定拠出年金の場合、自分の積立金の運用状態が分かる完全な積み立て方式なので、年金制度自体の中で世代による割を食う可能性は一つ小さくできる。ただし、相対的に高額納税者の場合、税金を通じて国民年金に関して相対的に多く負担することは逃げようがない。厚生年金を回避する仕組みとしては、個人が独立して会社と契約する通称「インディペンデント・コントラクター」のような形が年金の上では今後有利になるかも知れない。この場合、個人型の確定拠出年金の非課税枠はなかなか大きい(月額6万8千円)。従業員が厚生年金に加入しなければならない企業の場合も、確定拠出年金を上手に活用すれば、企業・従業員とも実質的に有利な年金を利用することができる。企業の場合も、確定給付型の運用リスクを伴う企業年金は避けたいとしても、企業型の確定拠出年金を導入すれば、個々の従業員の適用税率によっては、かなり大きなメリットを従業員に提供することができ、これは、ひいては企業自身にとっての人件費節約にもつながるはずだ。また、会社員であっても、厚生年金以外の独自の年金制度がない会社の社員の場合、個人型の確定拠出年金に独自に加入することができ、この場合、月額上限2万3千万円までの掛け金が所得控除の対象になる。個人の事情(所得と年齢)によって、損得計算は複雑に変化するし、将来の損得自体が確実なものではないが、確定拠出年金を利用して得になる場合が多いことは頭に入れておこう。ちょうどいい具合に、『日本経済新聞』(1月23日、朝刊「SUNDAY NIKKEI」面)に確定拠出年金の利用に関するまとめが載っていたので、ご興味のある方は参考にしてもよいかもしれない。現状の確定拠出年金は、制度としてそれなりに普及してきたところではあるが、利用者の側から見て、制度のコスト、運用対象のラインナップの自由度、運用商品の手数料などの面でまだまだ改善して欲しい点が多い。特に、個人型の確定拠出年金については、使い勝手のいい運営管理機関がないのが残念だし、普及も遅れている。確定拠出年金のポータビリティを活かす点でも、個人型の確定拠出年金は、政策的に普及にもっと力を入れてもいいはずだし、投資話と違って、確実なメリット(税制上のメリット)を利用者に提供できる点で、ビジネス上も大きなチャンスがあるはずだ。政策的には、現行の公的年金をなるべく歪みの小さな形で立て直すと共に、確定拠出年金の使い勝手の改善と節税枠の拡大も含めて規模的な拡大を目指すといいだろう。確定拠出年金は、公的年金制度に触らずに改善することができる。個々の国民は、年金制度の改革に関して政府や政治をあてにせずに、現行制度の有効利用を心がけるのが現実的だ。==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第91号 2011年1月28日発行より) ==========================================================
2011.01.28
あけまして、おめでとうございます。本年も、ご愛読よろしくお願い致します。さて、新年なので、投資家にとっての今年の目標を「一つだけ」考えてみた。考えてみるに、自分も含めてだが、投資の世界で人間はなかなか進歩しないものだという気がする。何が原因だろうか。たとえば、ゴルフなら、悪い癖を一つ矯正できれば、スコアが目に見えて改善するが、投資の世界は、本人の進歩がそのまま運用利回りに表れるとは限らない。実は本人が進歩したのかも知れないのに、結果が悪化することは珍しくないし、その逆も頻繁にある。結果によるフィードバックを参考に、何が正しいかを判断することが投資にあってはずいぶん難しい。何百年も生きることができて、且つ原因と結果を正しく分析できるなら別だが、投資家が経験だけから学んで賢くなることは、ほぼ不可能に近い。多くの場合は、単に売買に「慣れる」だけだ。投資家が自己の改善を図るには、どのような判断と行動が正しいかについて論理的に納得しながら、自分を矯正していくしかない。それでは、今年一年を通じて、投資家が自らの「投資力」を高めることができる改善のポイントとして、何に狙いを定めるといいだろうか。筆者は、「自分の買値にこだわらないこと」がいいと思う。個別の株式にせよ、投資信託にせよ、個々の投資対象について、自分がいくらで買って保有しているかにこだわることは、「害多くして、益少ない」総合的には有害な癖だ。投資の判断は、あくまでも「現在の価格に対して」行わなければならない。まず、この点を深く理解するところから始めて欲しい。一投資家の過去の買値や平均買いコストは、株価や投資信託の基準価額の将来の値動きに影響する材料ではない。従って、買値よりも高いから気楽に売ろうとか、或いは、買値よりも下がってしまったので損が拡大しないうちに売却してしまおう、といった「自分の買値」を基準にした投資判断は誤りだ。投機やトレーディングの世界では、「損切り」が重視されるが、トレーディングは、そもそも短期的なチャンスと判断した材料に対して異例のリスクを取る行動であり、高すぎない価格を条件に資本の生産の果実を、時間をかけて享受しようとする「投資」とは別のリスク・テイクだ(ただし、トレーディングであっても、買値へのこだわりが判断の歪みをもたらすことがよくある)。投資家にとって必要なことは、現在の状況、つまり現在の資産価格を前提に、自分の財産(ポートフォリオ)の状態を最適に保ち続けることだけだ。これは、数百万円の個人投資でも、数十兆円の年金資産でも変わらない。また、個人の場合、お金の必要があれば、自分買値にこだわらずに保有する株式や投資信託を売って構わない。かなり理解の深い投資家でも、「自分の買値より安くは心理的に売れない」と言っている人がいるが、これは感心しない。通常、個人向けのローンの金利は、株式投資に期待できるリターン(機関投資家の運用計画では金利プラスせいぜい5~6%くらい)を大きく上回る。価値のあるお金の使い道があるなら、株式でも投資信託でも、いつでも買値にこだわらずに換金すべきだ。もっとも、この買値にこだわらない、ということは、誰にとっても簡単なことではない。2002年にノーベル経済学賞を取ったダニエル・カーネマンらがプロスペクト理論という名前のモデルにまとめたように、人は、気にしている価格(投資家の多くは自分の「買値」)の上と下とで感じ方行動が異なる。率直に言って、機関投資家のファンドマネジャーでも、自分の買値をまったく意識せずにファンドを運用できる人は少数派だろう。つまり、この行動目標は、ほとんどすべての投資家にとって意識する価値のある改善項目なのだ。完全な実行はなかなか難しいが、それだけに、目指す価値のある目標だ。ぜひ、目指してみて欲しい。========================================================== 楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元 (楽天マネーニュース[株・投資]第90号 2011年1月14日発行より) ==========================================================
2011.01.14
年末年始の休みが近づいてきた。読者は、どんな計画をお持ちだろうか。まとまった休みを取るときに、投資家として、少なからず気になるのは、自分のポートフォリオをどう処置するかだろう。考えるべき第一のポイントは、自分のポートフォリオは「長期運用として望ましい状態になっているかどうか」、あるいは、「自分のポートフォリオの長期運用と短期運用部分の区別はついているか」という点だろう。原則として、長期運用として望ましい状態にあるポートフォリオは休みの間もそのままでよく、他方、短期運用のポートフォリオはポジションを手仕舞うのが基本だ。長期運用のポートフォリオは基本的に長い時間に晒すことで成長するのだから、休みの期間といえども、現金化したり、ヘッジしたりするのはもったいない。逆に、1週間や2週間の休みでヘッジを考えたいほどリスクが気になるポートフォリオは、長期的資産形成のためのポートフォリオとしては問題があるかも知れない。一方、短期のディーリング的なポートフォリオの場合は、価格のゆがみなど例外的なチャンスを見つけて、これを収益化しようとしているので、時間が経つことに伴う不確実性の増大は好ましくない。旅行などに出かけるのは、ポジションを手仕舞ってからというのが基本だろう。損していても、儲かっていても、いったん手仕舞う方がいい場合が多いと思う。対象で分類するなら、株式や債券のように「投資のリスク」(資本を生産活動に提供するリスク)を取るなら長期投資に分類すべき場合が多いだろうし、FX(外国為替証拠金取引)は「投資」ではなく基本的にゼロサムゲームなので、ポジションを放置しない方がいい。もっとも、長期運用のポートフォリオであっても、いざというときに動かす手段は考えておきたい。PCを持って行くのか、携帯電話が通じるのか、といった「念のため」の確認は必要だ。リーマンショックにせよ、ブラックマンデー(1987年に起こった大暴落)にせよ、そのときに旅行していた人はいるはずで、そういう人に自分がならないという保証はない。とはいえ、もともと長期投資を意識して組み立てたポートフォリオの場合、ほとんどのケースで「大丈夫」だと思う。来年はどんな相場になるだろうか?今年は今ひとつぱっとしなかったが(特に日本株が)、資産市場のバブル化もインフレもまだまだ先のようだし、米国のFRBも日本の日銀も、基本的には金融緩和を続けるしかない。そして、特に、日本の株価は、政府の経済政策が頼りにならないことなど悪材料がもう十分織り込まれたものになっている。鬼が笑うかも知れないが、私は、来年の相場が「まあまあ」なのではないかと考えている。本年も一年間、このメルマガをご愛読頂き、どうもありがとうございました。来年が、読者の実生活にもポートフォリオにもいい一年になることをお祈り申し上げます。========================================================== 楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元 (楽天マネーニュース[株・投資]第89号 2010年12月24日発行より) ==========================================================
2010.12.24
11月下旬に家電量販店を訪ねてみたら、平面テレビの売り場が大混雑していた。エコポイントが半減する前に対象商品(地デジ対応テレビ)を購入しようとする顧客が殺到したためだが、筆者が訪ねた店では、整理券を配って10人単位で顧客に対応する大盛況だった。家電の場合、通常、同一の商品を買うとして、大型量販店が一番安い訳ではない。商品にもよるが、インターネットで安い店を探すと、量販店よりもざっと1割くらい安い店が見つかることが多い。ただし、どの商品を買ったらいいかがまだ決まっていない人の場合、量販店に行くと複数のメーカーの商品を較べることができるし、付属品(テレビならケーブルなど)や消耗品(ブルーレイ・ディスクなど)を揃えたり、配達サービスが便利であったりと、量販店で買うことのメリットもある。しかし、商品について事前に詳しく知っていて、セッティングなども自分でできる人の場合、主にネットの情報を使って、まず、全メーカーの製品の中から自分に良さそうな商品を絞り込み、それらを安く買うとどこでいくらで買えるのかを調べた上で、商品と購入する店を決めて買い物に行くだろう。あるいは、手間や交通費などを考えるとネット・ショップで買うのが最も賢いかも知れない。この種の消費者が、家電製品の消費者としては、最強の人々だ。さて、投資信託のような金融商品は家電製品と似ている。家電製品の場合、メーカーと型番が同じ商品を買えば、新品を買う限り、どの店で買っても性能、即ち効用は同じだ。金融商品も、同じ商品を同じ時期に保有していると利回りは同じになる。金融商品の場合、同じ商品なら個々のモノとしての当たり外れがないから、家電製品よりもさらに安心だ。問題は、金融商品の場合に、消費者が家電製品を買う場合ほど賢くないことだ。典型にして悲惨な例が、退職金を、その退職金が振り込まれた銀行で運用する高齢者だろう。退職金での運用が本格的な運用デビューになる場合が多いのだが、銀行に限らず、購入窓口を先に決めてしまうと、まず、自分が買おうとする商品カテゴリーの中で最も有利な商品を選ぶことができない場合が多い。家電量販店なら、まだしも複数のメーカーの商品を扱っているが、対面窓口のある銀行や証券会社の場合、自社の系列グループの商品が多いし、他の金融グループの商品を扱っている場合があっても、多くは、同カテゴリーの中で手数料が高い商品だ。また、給与振り込み口座がある銀行の場合、顧客の貯金の内容(定期預金なら残高も満期も知っている)も経済取り引きも分かる(家賃の引き落とし額、カードの決済額、証券会社からの振り込みの有無なども分かる)。もちろん、分かっていて使う分には人好きずきだが、銀行のセールスマンから投資商品を購入するのは、百貨店の外商部から家電製品を定価に近い価格で購入するくらいの「いいお客さん」になる行為だといえる。しかも、お金持ちが、家電製品などの商品を高く買うのは、豪華な消費行為として理解できるが、金融商品の場合、目的が「お金を効率よく殖やすこと」なのだから、手数料の高い商品を買うことは単に間抜けなだけなので、お金持ちでも不愉快なのではないか。運用商品を購入する際の手順は、(1)自分の家計を把握し、(2)運用計画(特に資産配分計画)を作り、(3)個々のカテゴリーでベストな運用商品を広い範囲から選び、(4)手数料が最も安い窓口で買う、が基本だ。そして、これらを、他人からのセールスやアドバイスに従うのではなく、自分でやることこそが「安心」なのだ。==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第88号 2010年12月10日発行より) ==========================================================
2010.12.10
個人に対する資産運用のアドバイスで時々疑問に感じるのは、お金を小分けにして目的別に運用するのがいいという教えだ。「攻めのお金と守りのお金をしっかり分けましょう」、「お金に色を着けましょう」、「将来の目的別に、お金の運用を考えましょう」といった具体的な提案が続くのだが、はっきり言って「素人の生兵法」であることが多い。何をどう運用したらいいのか皆目見当がつかない運用の初心者が、運用を始めるためには、手持ちの資金を幾つかに分けて考えることが効果的な場合もあるかも知れないが(「何もしないよりはいい」という程度の消極的なプラスだが)、難しい話ではないのだから、個人の資産運用といえども、正しいセオリーを踏まえて運用するようアドバイスするべきだろう。個人の運用資産は、ただでさえあまり大きくないことが多いので、運用資金を細分化してしまうと、分散投資の効果を十分に発揮できない場合が多い。たとえば、レジャー費、子供の学費、老後の資金、などと目的を分けて、別々に最適な運用を考えると、それぞれの費目で予備資金を持って、結果として、予備の資金が多くなりすぎて、運用のチャンスを十分活かせない可能性がある。また、資金が小さい場合、日本株、先進国の外国株、新興国株などへのバリエーションを十分拡げることができずに、リスクの大きさだけを変えて、似た内容のリスクを取る可能性がある。弊害が具体化しやすいのは、確定拠出年金の運用だ。「将来のための大切な年金」という先入観念があると、たとえば債券と内外の株式半々といった内容の運用商品を選ぶことがあり得るが、これは、確定拠出年金の長所の一つである「運用益に対する非課税」のメリットを十分活かしていない。このメリットを最大限に活かすには、期待リターンの高い資産の運用を確定拠出年金部分に集中して、残りの資産で低利ターンだが低リスクな資産を持って、「全体のバランスを取る」のがベストだ。多くの人が、自分の確定拠出年金で、必要以上に年金であることを意識して、定期預金のような安全資産だけに留まったり、バランス・ファンド(債券・株式両方を含む運用商品)を購入したりするのだが、これは得ではない。なお、再来年から導入が予定されている、個人向けの非課税運用枠である「日本版ISA」も運用が非課税になる点のメリットは確定拠出年金と同じだ。詳しくは別の機会に書くつもりだが、日本版ISAでの運用には、確定拠出年金と同じ注意点と、異なるコツがあるのだが、どんな資産運用でも、資金の持ち主にとっての「運用資産全体」を最適な状態にキープすることの重要性は同じだ。もっとも、「全体として最適化を図るべし」という原則は、プロでも時々逸脱することがある。かつて、一時的な人気を博した日本株に投資する投資信託で、割安株・成長株・小型株の三分野に資金を分けて、個々に運用させるスタイルの大がかりな仕組みの商品があったが、これは、完全に運用のセオリーから外れていた。「反面教師!」である。自分の運用資金について「全体として」考えることは、慣れていないと難しい場合があるかも知れないが、初心者から上級者まで、全ての個人投資家が意識して欲しい運用の基本だ。この「基本」に立ち返ることで、「確実な改善」が可能な場合がしばしばある。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第87号 2010年11月26日発行より) ==========================================================
2010.11.26
お金と時間には切っても切れない関係がある。諺に「タイム・イズ・マネー」と言う通りだ。近年は金利水準が低いのでお金には時間の価値があることを忘れてしまいがちになるが、お金は、箪笥の引き出しの中などに入れておくのではなく、これを銀行(本当に低金利だけど)などに預けると、何らかの収益が得られる。何らかの選択を行ったことによって、他の選択をすれば得られたであろう収益が得られなくなり、この収益を損失と考えるのが「機会費用」の概念だが、お金の置き場所を考える際には、この機会費用を考える必要がある。ちなみに、個人の時間もある程度までならお金で買うことができる。例えば、職場から1時間の場所に住むのと、30分の場所に住むのとでは損得が大いに異なる。たとえば、1時間当たりの収入が3,000円の人であれば、1月に20日通勤すると考えて、月間6万円の損得が発生している。住居として似た条件で、家賃差が6万円以内なら、近い場所に引っ越した方が得だという計算が成り立つ。好立地の不動産の家賃が高いのは、基本的にこうした経済原理が働いているからだ。ところで、お金が、時間に伴って、何らかの収益を稼ぐことができるのはなぜだろうか。それは、何らかの意味で生産活動に参加しているからだと考えることができる。ビジネスを行うには、地代、設備投資、人件費、材料費(仕入れ)などにお金が必要だ。お金を使って、使った以上のお金を稼ごうとするのがビジネスであり、その差額が「付加価値」と呼ばれるものだ。お金は、これを効率のいい生産活動に好条件で参加させることができると、高い収益を生むはずだ。自分のお金を、どこに運んで置いておくのがいいか、ということが「運用」(運んで、用いる)という言葉に込められた意味なのだろう。正しい場所に置いて活用することができれば収益を生むはずの「お金」だが、長い時間を越えてその価値を維持することは、必ずしも簡単ではない。近年は物価が下落するデフレなので、お金の価値を維持することの難しさを意識するというよりも、お金そのものを抱えておくことが価値であるという気分になるが、デフレの世の中でも、付加価値の生産はあるわけだから、そこに自分のお金を参加させることができれば、お金は価値を生むはずだ。インフレは、お金の価値が下落することだから、お金を持っているだけの人には歓迎できない事態だが、デフレであるよりは、インフレの方が価格調整は円滑であり、経済活動はより活発になりやすい。先般、アメリカの中央銀行であるFRB(連邦準備制度理事会)は、長期国債を大量に買い入れることで、民間経済に流通するお金を増やそうとする政策を発表した。これは、アメリカが日本のようなデフレにならないようにすることを目的とした政策であり、金融危機後の落ち込みからなかなか回復しない雇用情勢を意識したものだ。こうしたお金の量を増やす政策を受けて、雇用はまだ顕著に回復しないものの、アメリカの株価は、いわゆるリーマン・ショック以前の水準まで回復した。他方、日本は、物に対してお金の価値が上昇するデフレであり、民間経済に流通するお金の量が十分拡大していないこともあって、株価の上昇は、アメリカにも他の先進諸国にも遅れている。お金が民間経済にどの程度出回っているかを知るには、銀行貸出残高を見るといいが、9月の時点で前年比マイナス1.8%と低調だ。デフレが円高の原因になっていることもあり、外国の金融緩和に負けてはいけないと、遅ればせながら日銀も金融緩和を強化しようとしている。率直に言って、日本の経済の現状はパッとしないが、株価はこれを織り込んで形成されている。これから金融緩和が進むと上昇する可能性を大いに残していると考えてもいいのではないだろうか。現状では、お金がビジネスに投資されることを通じて、時間の経過と共に新たなお金を生む効果が、日本では過小評価されているのではないだろうか。あくまでも仮説に過ぎないが、来年は、日本株の相対パフォーマンスが優れた年になってもおかしくないと思う。日本経済全体は低調であっても、株価にとって問題なのは期待の変化率であり、現状からの改善だ。加えて、世界の経済活動が金融緩和によって活性化するなら、日本の企業もそのメリットを受ける。お金が時間と共にお金を生むということについて考えてみたら、日本株は、現在、案外悪くない投資対象なのではないかという結論に辿り着いた。==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第86号 2010年11月12日発行より) ==========================================================
2010.11.12
海江田万里経済財政担当大臣は、10月17日のテレビ番組で、来年度の税制改革で法人税率が「下がることになると思う」と述べた(ロイター、17日。http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-17700820101017)。法人税の引き下げは、財界が長年要望しているものの、なかなか実現しなかったが、ここに来てついに現実化しそうな流れが見えてきた。日本経済は、金融危機で他国に較べて大きかった落ち込みから十分回復していない。加えて、近時、日本企業の海外進出が本格化しており、特に、今まで日本の外貨獲得を大きく支えると共に関係会社まで含めると大きな雇用を吸収してきた自動車メーカーが、相次いで生産拠点を海外に(たとえば、タイに。タイの現地の部品メーカーの製品品質は日本の部品メーカーに迫るという)移しており、産業の空洞化に勢いがついてきた。何らかの手を打たなければならないという問題意識が、税務当局にも芽生えてきたのだろう。法人税引き下げは、いうまでもなく株価にとってはプラス材料だ。実効税率40%といわれる日本で、仮に法人税率が5%下がると、税前利益の60%が純利益だったものが、65%に増えるから、これは、1割近い増益要因だ。株価は、おおむね将来純利益の割引現在価値だと考えることができるから、株価には直接的な効果があるはずだ。少しでもいいから、ともかく実現して欲しい、というのが株式を持っている市場参加者の切実な願いだろう。利益のあるビジネスを行うことの税引き後の実質的な収益性が増すのだから、不動産価格に対してもプラスのはずだ。株式、不動産、両方の価格にプラスということは、消費者は持っている資産の価値が増えることを意味するので、これには消費を増やす効果もある(「資産効果」と呼ぶ)。以上が法人税率引き下げで考えられそうなプラス効果だ。しかし、心配な面もある。一つは、法人税率引き下げに見合う財源を、直ちに調達しそうなことだ。報道記事を読むと、租税特別措置の見直しなどで財源を調達するとの考え方があるようだが、増税のタイミングや内容によっては、減税分の景気に対するプラス効果を上回るマイナス効果が出る可能性もある。また、法人税の減税幅は、正式には今後の議論で決まるのだろうが、現在議論されているのは「5%」程度の数字であり、大幅な引き下げは期待しにくい。アジアや欧州に較べて日本の実効法人税率が高い状況に変化がないので、世界的なビジネス立地の選択において、「他国(特にアジアの国々)ではなく日本」という答えを引き出すには全く不十分だろう。ところで、法人税に関しては、個人的に「夢の腹案」がある。法人税の税収は、過去を見ると、好況時でも13兆円程度であり、意外に大きくない。消費税に置き換えるなら、ざっと5%消費税率を引き上げるなら、法人税を廃止することができる計算だ。こうすると、どうなるか。増減税同額で景気に対して、直接的な効果は中立的だとしても、先に述べた資産価格への効果が大きいので、プラス効果が大きくなるだろう。加えて、「法人税ゼロ」ということだと、さすがに立地として日本を選択して、オフィスを移す国際企業が出てきそうだし、日本への投資が活発化するだろう。日本に投資資金が流入すると、この資金が国内で支出されるので、この景気浮揚効果も大きい。また、企業では、法人税に関する業務が必要なくなるので、経理関係のコスト削減効果も大きい。机上の計算ではいいことずくめに思える「法人税ゼロ」なのだが、予想の問題としては、ほぼ絶対に実現しないだろうと思っている。企業の税務の仕事がなくなると言うことは、税務当局の影響力の低下と人員余剰を招くし、それに加えて、税務署OBが多数ビジネスとしている税理士の仕事が減るので、財務省が大反対するにちがいないからだ。ともかく、「ゼロにして」とまでは言わないが、法人税率は、早急に、かつなるべく大幅に引き下げて欲しいものだ。いったん海外に流出したビジネスを呼び戻すのは、極めて難しい。==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第85号 2010年10月22日発行より) ==========================================================
2010.10.22
先頃、国税庁が発表した「民間給与実態統計調査」によると、民間サラリーマンが昨年一年間に得た平均給与(ボーナスを含む)は税引き前のグロスの数字で平均406万円(千円単位を四捨五入。以下同じ)であり、これは、対前年比5.5%もの落ち込みという衝撃的な結果だった(1949年の調査開始以来、幅、率ともに最大の落ち込みだ)。給与所得者の平均年齢は44.4歳、平均勤続年数は11.4年だ。性別では、男性が500万円、女性が263万円だ。 ちなみに、平均給与のピークは、1997年の467万円であり、61万円も下がったことになる。加えて、失業率も高止まりしており、日本人の所得環境は相当に悪い。給与の高い団塊世代の大量退職といった理由もあるが、長引く不況とデフレ、さらに企業のコスト削減の影響が大きい。経済の論議としては、政策として、デフレ脱却のための金融政策(財政的な補強を伴うものも含む)と、雇用に関する対策、さらには成長戦略が必要だという話になる。しかし、率直にいって、「望ましい」とされる政策について議論で結論が出ても出なくても、そうして政策が速やかに実行される公算は小さいし、実行された政策の効果が出るまでには時間がかかる。ところで、政策について「諦める」ことは国民として適切ではないが、残念ながら「望ましい政策は実現しない」あるいは「政府は頼りにならない」という前提の下で何が起こり、個人や企業はどうしたらいいのかという点を議論しないと、経済の論議として実りが少ないのではないかと、筆者はこの頃強く思うようになっている。 やや長期的に見ると、物価がデフレなので、実質的な購買力はそう落ちていないが、前年比の5.5%という落ち込みのひどさを見ると、「生活防衛」という言葉が頭をかすめる。「サラリーマンは体が資本」という言葉があるように、勤労者は将来の稼ぎを現在価値に換算した「人的資本」(人間の株価のようなものだ)を持っていると考えられ、これが、資産運用を考える場合にも重要な要素になっているのだが、この多くの人にとって最大の資産である人的資本の価値が下落するような状況が起こっているということだ。生活防衛のもっとも基本的な方法は、第一に生活の必要コストを下げることだ。もっとも、誰もが直ちに失業したり収入が減ったりするわけではないから、いざというときに、生活コストを縮小する方法を確保しておくべきだということだろう。生活のコストを考える際には、大きな支出項目から順に考えていくのが定石だ。住んでいる地域や職業にもよるだろうが、住居にかかる経費の削減、自動車の節約(持たないで済ませられないかの検討を含む)、生命保険料(特に医療保険は不要で且つ不利な場合が多い)といった辺りが、大きな削減対象候補だ。日頃から、生活をシンプルに、身軽にしておくことが役に立つだろう。住居については、たとえば二世帯住宅で親子の連携を図りつつ一世帯あたりの負担を下げて、同時に共稼ぎの環境を改善するといった方法が考えられる。交通と生活に便利な立地に住宅を持つことができれば、自動車の費用を節約することもできるかも知れない。街中に住むと、自家用車を持つよりも、必要な場合にタクシーを利用する方が総コストは安くつく場合が多い。男性勤労者の500万円という平均年収は、女性が結婚相手に期待する年収水準(600万円くらいから上を希望することが多い)を考えると、晩婚化やそもそも結婚する率を引き下げる要因になることが考えられるが、「共稼ぎが普通」という割り切りを持って、早めに結婚する方が人生全体のクオリティを上げやすいのではないだろうか。以前に本コラムで指摘したように、働く女性の出産時期の選択として、若年期の方が出産に伴う仕事の空白期の「機会コスト」が安いことを考えると、何とか、共稼ぎと、女性が子育てで離職せずに済むような生活体制の構築大事だ。もちろん、経済要因としての子供は大きなコスト要因であることは間違いないのだが、大きな張り合いであり楽しみであることも事実だ。子供を持って、さらに生活の質も落としたくないとなると、かなりの戦略性が必要だ。資産運用はどうすべきだろうか。多くの人にとって最大の資産である人的資本のリスク(価格変動リスク)が大きくなったということ自体は、リスクに対する態度が同じなら、直接的には金融資産運用でのリスク・テイクを縮小させるべき要因だ。世の中がますます縮んでしまいそうな話で恐縮だが、理屈上は仕方がない。ただし、生活の必要コストを下げて、リスク・テイク上の余裕を作ることができるとすると、人的資本の収益率が悪化しやすいとすると、金融資産運用でリスクを取って稼ぐことは有力な選択肢だ。生活をシンプルにして、金融資産を手厚く持つと、失業や病気のリスクに対する抵抗力が増すので、保険料を一層節約することができるかも知れない。従って、若年時点から金融資産形成に積極的になることは、現代の生活戦略の一部としてプラスだと考えられる。筆者は、最近、若い頃から貯蓄や積立投資に積極的な「感心な若者」と会うことが多いのだが、この点は評価できる。この上は、結婚する時期を早めたり、子供を早く持ったりする積極性を持つと、もっといいのではないかと思うのだが、どうだろうか。==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第84号 2010年10月8日発行より) ==========================================================
2010.10.08
9月15日、日本政府は円の対ドル為替レートが15年ぶりの高値を更新して82円台に入ったところで為替市場に介入した。その後3日間、為替レートは84円~85円で推移している。予測の難しい為替レートのことなので、今後どうなるかは予断を許さないが、今回の為替介入は、そのタイミングや方法がなかなか巧みであった。為替介入を行ったタイミングだが、前日の民主党代表選での菅直人代表再選の結果を受けて円買いが出て、82円台に入ったところであった。代表選の二人の候補の政策を較べると、小沢一郎元幹事長の方が菅直人首相よりも円高対策については積極的だと見られていた。菅首相の就任以来これまで為替市場に介入していなかったので、菅氏は円高対策に消極的だとの印象を持たれていた。そこで、菅氏の再選を受けて円買いが進んだのが介入前の状況だった。日本政府の円売り介入にあたっては、現在、自国通貨安を望んでいる欧米諸国から、「為替市場に介入するのは良くない」という批判を浴びると、却って逆効果になるのではないかと思われていて、82、3円のこのレベルでは、まだ介入には至らないのではないかと観測する向きが少なくなかった。ところが、こうした見方に反して、日本政府による介入が行われた。なお、介入は、財務省の指示の下に、日本銀行が行うので、直接的に市場に関わるのは日銀だが、意思決定は財務省だから、政府の意思で行われるものだ。このタイミングは、二つの意味で効果的だった。なんといっても、介入がないだろうとの観測が有力な中、円レートの高値更新に伴って、短期的な円買い・ドル売りのポジションがたまったところで行われたので、円買いで市場に参加した短期の参加者の損切りによるドルの買い戻しを誘発できるタイミングであった。今回、一回の介入でこれだけの効果があった最大の背景は、円高を積極的に仕掛ける市場参加者を集中的に叩く、このタイミングにあっただろう。ついでに言うと、相場には直接関係ないが、介入は民主党代表選の翌日だった。菅首相サイドが選挙対策の意味で介入を行ったと批判されないタイミングであったことも、悪くなかった。もう一つの効果は、円の高値更新のタイミングで介入が行われたことで、しばらくの間この介入が、一定のレベルのレートを目指して行われているものなのか、単に市場の急変を避けるために行われているものなのかが分かりにくいことだ。後者は、値動きをスムーズにするための介入という意味で「スムージング・オペレーション」と呼ばれるが、この趣旨の介入なら、他国の批判はかなり和らぐ。一方、円を買い進みたい市場参加者から見ると、再び82円台に入るようなことがあると、あるいは現在のレベルであってもさらに、円安に向けた介入があるかもしれないとの予想が可能なので、しばらくの間、介入を警戒する理由が残る。この「どっちつかず効果」は何時までも続くものではないが、一回の介入でこれだけ余韻を残すことができたのは、上手くやったといって良い。また、おそらくは欧米諸国への根回しを済ませてから介入し、日本市場での取引時間帯の後に欧州、米国の取引時間帯にも介入したことは、日本政府の「本気」と、他国の介入への同意の可能性を臭わせて、効果的でもあった。この他国との調整については、菅首相が代表選の討論会の中で、市場に介入した際に他国から「少なくともネガティブなことを言われないように、いろいろやっている」と述べていた。後から振り返ると、ヒントはあったわけだ。また、介入の金額は約2兆円と発表されているが、これは、一日の介入額としては、1984年にあった介入以来の巨額だという。政府として、今後にどのような規模の介入をするつもりがあるのかは分からないが、仮に、他国から批判されずにできる介入が今回限りだったとした場合、一度にまとめて大きな金額を使ったことで、市場参加者に対してはまだ大きな介入があるかも知れないという「不気味な感じ」を持たせることができた。もろもろの状況を考えると、随分上手く行ったように見える今回の介入だが、今後はどうだろうか。実は、すでに、欧州でも米国でも、日本の介入に対する批判の声は上がっていて、今後、G7、G20といった場で、日本の介入に対する理解が得られるか否かが、大きなポイントだ。これは、簡単ではあるまい。欧米各国は自国の通貨安を歓迎しているし、日本も含めて、中国の為替レート操作を批判している立場だ。金融危機後の日本経済の落ち込みが他国よりも大きいことなどで、上手く説得できればいいが、筆者は難しいと想像する。また、もともと今回の一連の円高は、日本国内の要因よりも、米国景気に対する懸念が大きな理由だったと見られている。仮に、米国の景気に関して大きな悪材料を示す統計でも発表されると、今回の介入の効果はいっぺんに吹き飛んでしまっても不思議はない。もともと、為替レートのレベルについては、介入だけの効果では長続きするものではないと考えられている。今後の推移に影響を与えるのは、第一に米国の景気がどうなるか、第二に日本のデフレ対策としての金融緩和がどれだけ力の入ったものになるか、の二点だ。日本の政策としては、為替市場への介入よりも、金融緩和を徹底して円安に導くのがより根本的であって、且つ理想的な展開ではないだろうか。==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第83号 2010年9月24日発行より) ==========================================================
2010.09.24
ここのところ株価が低迷していることもあって、日本経済に関する悲観論を聞くことが多い。特に、人口減少を背景とした内需の低迷を原因として、相当に暗い将来像を持っておられる方が多い。日本経済の将来性に関して、筆者はもう少し明るい見通しを持っているが、現在の若者世代は、経済的な豊かさにおいて親の世代を超えることができないのではないかとも言われており、「生活が苦しい」と感じる人が増えている。 現在の状況には、政策が解決すべき問題もあるし、時間が解決してくれるであろう問題もあるが、個人個人が生活を合理化することで解決できる問題も多いのではないか。 以前に、このメルマガの拙稿で、初産年齢の高齢化トレンドに疑問を呈して、できれば若い頃に子供を生む方が経済合理的なのではないかと指摘したことがあったが(注;特に産休前後の時間の「機会費用」が安いことに注目した)、これと似た感覚で、トレンドに逆らうけれども、実は経済合理的ではないかと思うのは「生活における規模の経済性」ということだ。 「規模の経済性」というのは、主に生産において、小規模よりも大規模に行った方が生産されるモノの単価コストを低下させることができることを指す経済学用語だが、これを個人の生活にももっと活かす余地があるのではないかと思うのだ。 規模の経済性を個人の生活に適用すると考えると、いささか乱暴だが、戦前から戦後間もないころまでの、日本がまだ物質的に豊かでなかった頃の、「貧乏人の子だくさん」などと言われた頃の大家族同居の生活形態を思い出す。当時、子だくさんで人数が多くても、何とか暮らせたのは、住居や炊事など基本的な生活要素をまとめることで、生活に規模の経済性が働いていたからだ。 その後、日本は経済的にどんどん豊かになって、それと共に、個人の自由とプライバシーを重んじるような生活形式が浸透して、いわゆる「核家族化」が進んだ。 もちろん、単身生活も含めて核家族的な暮らし方の気楽さも捨てがたいのだが、核家族の生活スタイルは、一人当たりの生活コストが高いことが否めない。 だからといって、現代にあって、昭和の前半のような大家族にいきなり戻ることは難しそうだ。しかし、例えば、いわゆる「二世代住宅」のような居住形式で、生活のコストを合理化することは可能ではないだろうか。直接的には、住居のコストが、二軒分の土地と家屋を別々に用意するよりも安いし、家屋の形態にもよるが、炊事や掃除のような家事にあってもコストの節約が可能だろう。自動車などを持っていても、有効に使えるだろう。 また、筆者が最も重要なポイントだと思うのは、若い方の世帯の妻の仕事の問題だ。夫と妻の両方が働くいわゆる「ダブル・インカム」が、生活を支える上で必要な場合もあるし、人生のやり甲斐を考える場合に女性も十分に働きたいと思うケースも多い。しかし、こうした場合に困るのが子育てを中心とする家事だ。 子供の保育園を首尾良く確保することができても、定時に子供を迎えに行かなければならない状況であれば、残業ができないなど、仕事の自由度は大きく制約される。ここで、例えば、子供のおばあちゃんが、保育園に迎えに行くことができると、妻の仕事の自由度は顕著に改善する。 女性のキャリア・プランニングを見ると、当初は男性社員と同じように働いていても、出産によって何年か離職し、その後、パートタイムのアルバイトのような形で復職することが多いのだが、復職後の収入は若い頃の収入を大きく下回るようなケースが大半だ。近年、産休を制度化して、1年ないし2年程度の休職と元の職への復職が可能な会社が増えてきたが、子供が小さいときに復職する上では、近所の保育園だけでは不十分な場合が多い。こうした状況下で、親世代の家族が同居ないし、近所に住んでいると、元の職場に復帰したい女性にとって、決定的に貴重なサポートになり得る。 規模の経済をさらに推し進めて考えると、住居用の不動産の規模を拡大して、何らかのビジネスに貸し出すような収益化も考えられるし、もちろん、アパートを併設して賃貸収入を得る、昔からあるような大家さん業も組み合わせることも考えられる。 また、親世代夫婦と子世代夫婦が住む文字通りの「二世代住宅」も規模の経済性を活かす方法だが、複数の友人と同じ敷地に住むルームシェアの進化形のような暮らし方もあり得るだろう。二世代の方が、相続上のメリットがありそうだが、親子同居以外にも、生活に「規模の経済性」を持ち込むという基本的なアイデアの下に、現代にふさわしい形を模索すればいい。考えてみると、結婚だって、家族以外の他人との同居だ。 もちろん、ライフスタイルは人それぞれだから、押しつける気はないのだが、生活の経済効率を考えてみると、通念とはむしろ逆方向の暮らし方が合理的な場合がある。以下は一例だが、先入観を捨てて、損得を考えて見て欲しい。 「結婚は早い方がいいか?」、「早い方が経済的だ」。「出産は早い方がいいか?」、「早い方が合理的だろう」。「子供は多い方がいいか?」、「多い方が一人当たりの育児コストが下がる」。「核家族よりも二世代住宅がいいか?」、「二世代が効率的だ」。「不動産は大きい方がいいか?」、「可能ならいい。ただし、経済的に有効活用したい」。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第82号 2010年9月10日発行より) ==========================================================
2010.09.10
ここしばらく1ドル85円台に踏みとどまっているが、円高が話題になっている。外貨建て資産に投資している投資家は円高で直接損を被っているし、日本株を買っている投資家も、円高が日本の株価の足を引っ張っていることはご存知の通りだ。景気全般も、海外経済の懸念と円高によって急ブレーキがかかりつつある印象だ。そこで、日本政府は円高を是正するために、為替市場に介入を行うべきではないかという意見がしばしば話題になる。たとえば、『日本経済新聞』(8月21日、朝刊)は社説の文中で、「過剰な円高に対して、為替介入を辞さない姿勢を見せてほしい」と書いている。微妙なニュアンスの文章だ。今後、為替介入があるのかどうかは分からないが、為替の世界を理解するためには、「介入」について知っておきたい。さし当たり、三つのポイントをご説明しておこう。介入とは、政府が市場参加者として外国為替市場に参加して、為替レートに影響を与えようとする行為だ。日本の場合、財務省が意思決定の権限を持っている。第一のポイントとして、介入は効果がある場合も、無い場合もあることを覚えて置いて欲しい。いささか乱暴だが、印象に残る相場格言をご紹介すると「初介入には、逆らえ」。これは、介入が行われるということは、政府自身が為替市場に一定方向の(その時に政府が望まない方向の)勢いがあると認識しているということだ。従って、第一回目の介入水準は後に破られる場合が多い。介入があると、市場参加者が驚いていったんポジションを手仕舞うことがあり、こうした場合は、介入に逆らうポジションを作るのに絶好のレートが現れることがある。もちろん、この格言は、絶対にこうなるというものではなくて、相場に参加する上での一つのヒントを提供するものに過ぎない。今後いずれかの時点で本当に介入があって、読者がそれに逆らってみた場合に必ず儲かると主張する(まして「保証する」)ものではない。介入の効果が絶対ではない場合があることを思い出し、勝機がないかと検討してみることは無駄ではない。第二に、介入にあたっては、外国、特に米国の意向が重要だ。日本円の場合、過去の経緯から、介入を米国が容認するか、外国政府との協調介入でなければ、十分な効果は期待できないというイメージがかなりの程度できあがっている。2000年代の前半の為替介入は、米国経済が好調だったこともあり、日本がデフレ脱却のために行う金融緩和の手段として「ゼロ金利+量的緩和+為替介入(ドル買い・円売り)」というメニューを米国が黙認してくれたことが重要だった。今回はどうだろうか。米国、欧州は共に自国の経済について不安要因を抱えており、マクロ的には自国の通貨(ユーロと米ドル)が安い方が目下、好都合だ。加えて、貿易ウェイトと物価変動の影響を調整した「実質実効レート」(日銀のホームページで見ることができる)を見ると、現在の円相場は、せいぜい2005年並の円高であり、1995年や1999年の円高よりも「実質的には」かなり円安である。1ドル85円程度の状況は、日本が国際的に同情を買うことができるほど円高なのか、という点では疑問がある。現在、為替相場をあからさまに「誘導」している主要国は中国だけだ。米・欧は、現状を「容認」している。日本政府が為替レートのレベルを力ずくで変えようとすることは、かなり難しい。第三に、為替介入は、介入の結果起こる自国通貨の通貨供給量の変化を放置するのか、中央銀行の市場操作で相殺するのかによって、印象と効果が変わる。自国通貨の売り介入の場合、その結果市中に出回る自国通貨を吸収してしまうと、介入でもたらされた金融緩和効果を減殺することになるので、「自国通貨の価値を本気で落とそうとはしていない」とみなされることになる。そういう意味では、自国の金融緩和を徹底させて、通貨の価値を落とす意志をはっきり示すと、為替レートも自国通貨安に向かう公算が大きい。1ドル=85円で、そのレベルが実質的にはそれほどの円高ではないという解釈が出来るのは、日本の物価が長年下落し続けて(つまり日本の通貨の価値が上昇し続けて)、これまでデフレではなかった外国の物価の動きと異なっていたことの結果でもある。今回の円高の場合、デフレ対策に十分力が入って、デフレ脱却が期待されるのと共に円レートが円安に向かう展開になれば、日本の景気と株価には理想的だ。==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第81号 2010年8月27日発行より) ==========================================================
2010.08.27
アクティブ運用とは、市場平均よりも高い利回りを目指して行う運用のことで、アクティブ運用で運用される運用商品のことをアクティブ・ファンドと呼ぶ。この辺までは、投資信託について記述のある投資の入門書を読んだことがある人にとっては常識だろう。 運用の世界ではアクティブ(運用)の反対語はパッシブ(運用)だが、パッシブ・ファンドの大半は、事実上、市場の平均を代表する何らかのベンチマーク指数に連動するように運用されるインデックス・ファンドだ。インデックス・ファンドは市場平均を上回るパフォーマンスを目指さないし、そのための投資調査その他の努力を要しないので、運用手数料(投資信託の場合は「信託報酬」)が安価なのが通例だ。 対して、アクティブ・ファンドはインデックス・ファンドよりも運用手数料が高く設定されていることが多い。これを当然と思うかどうかは、投資家の考え方にもよるが、アクティブ・ファンドの運用手数料はどのように決まるのか、説明できる人は案外少ないはずだ。 アクティブ運用の手数料は「サービスの価格」だから、最終的には、このサービスの需要と供給のバランスで決まる。問題は、需要側が「払ってもいい」と思う価格と、供給側が「これは欲しい」と思う価格とが、どのように決まるかだ。 需要側がアクティブ運用に払ってもいいと思う価格は、当然のことながら、アクティブ運用の能力に対する評価に依存する。たとえば、市場平均よりも年率2%以上稼いでくれることが確実なら、インデックス・ファンドに払う手数料よりも2%までは払ってもいいと考えるのが当然だろう。 しかし、「市場平均よりも年率2%以上稼いでくれることが確実」であるようなことはあり得ない。現実にはアクティブ運用のリスク(「アクティブ・リスク」と呼ぶ)があるし、そもそも、本当にそれが「確実」なら、この運用者は「もったいなくて」他人のお金など運用しないだろう。 現実的な意思決定の状況で考えると、アクティブ・リスクをとって、そのリスクに対して一定のアクティブ・リターンが「期待値」として想定できるという状況はあり得る。ただし、この期待値の価値は、追加的なアクティブ・リスクの効果によって割引されると考えることが妥当だ。 実は、詳細は省くが、投資家にとって最適なアクティブ・リスクと期待アクティブ・リターンの組み合わせで運用者が運用した場合、運用手数料の上限は、その状態で期待されるアクティブ・リターンの半分までなのだ。 プラスのアクティブ・リターンが期待されるとしても、そこには追加的なアクティブ・リスクがあるから、そのリスクのペナルティーを評価しなければならない。一方、手数料は必ず実現する「確実なマイナスのリターン」だ。結局、アクティブ・リスクの効果を考慮すると、「期待されるアクティブ・リターンの半分」がアクティブ運用に追加的に払うことができる手数料の上限なのだ(この計算が分からない専門家は、運用のセンセイとしては、少々物足りない。読者は手近な専門家をテストしてみるといいだろう)。 一方、運用サービスの供給側では、ファンドの運用にかかる費用は是非回収したいところだが、ファンドの金額が大きくなると、ファンドの運用資産全体に対するこの費用は下がっていくことになる。 結局、運用者のアクティブ運用の能力がそれなりに高く評価されるなら、需要側が許容する運用手数料と、供給側が是非とも必要と考える運用手数料との間には、かなり大きな幅がある。理屈の上では、この幅の中で、アクティブ運用の価格は変動することになる。実際の運用会社の運用商品・サービスが求めている手数料を見ると、数百億円以上の規模の運用なら、顧客がプロで且つ運用会社側が競争させられる投資顧問(主に年金資金が対象)の場合、運用手数料(投資顧問料率)は運用資産残高の0.1%~0.2%くらいの場合が多いし(運用会社の料率表は投資顧問業協会が発行する「投資顧問会社要覧」で参照できる)、同じ運用会社のアクティブ運用サービスでも顧客が一般投資家である投資信託の場合は信託報酬が年率1.5%くらいの場合が多い。 両者の差は驚くほど大きい。適正価格がいくらだと断言できるものではないが、基本的な理屈と(大きな差がある)現実は知っておく方がいい。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第80号 2010年8月13日発行より) ==========================================================
2010.08.13
先般の参議院選挙で、与党である民主党が大敗して、参議院は民主党・国民新党を合計した与党合計の勢力で過半数を割り込んだ。一方、衆議院は民主党が圧倒的な多数を持っている。俗に言う「ねじれ国会」の状況であり、与党と政府が法案を通そうとしても、衆議院は通過できても、参議院を通過できずに、廃案となるケースが続出する可能性がある。今回とは逆に、自民党政権が衆院に多数を持ち、参院で多数を取れなかった時期に、野党第一党だった民主党は、日銀総裁の国会同意人事をはじめとして、いくつもの案件で、参議院を使って政府案を否決した実績がある。本稿では、政党への賛否を別として、今回生じた「ねじれ国会」の状況が、経済、ひいては株価にどのような影響を与える可能性があるかを確認しておきたい。国会審議で、経済に最も大きな影響を与えるのは予算だ。予算については、衆参両院が対立した場合に、衆議院の優越が認められているので、参議院で野党が徹底的に与党に抵抗した場合でも、来年度の予算案自体は衆議院の議決を以て成立する。従って、通常の行政が予算のレベルで停滞することはなさそうだ。しかし、予算自体は通っても、支出を行う根拠に法律の制定や改正が必要な項目に関しては、「予算県連法案」が軒並み参議院で否決された場合には、支出が行えないケースが出てくる可能性がある。ここで重要なのは、与党側が、衆議院で多数を持っているとしても、参議院の議決を衆議院の三分の二以上の賛成でひっくり返すだけの勢力を持っていないことだ。つまり、現在の国会の勢力分布を考えた場合、理屈上は、重要法案が停滞する可能性があるということだ。これは、日本の経済にも影響してくる可能性があり、今後のリスク要因として認識しておきたい。たとえば、予算案を審議中の来年の通常国会で、与党の政権支持率が大きく低下した状況で、重要法案の審議が紛糾した場合、政権の運営がままならなくなる事態があり得る。ただし、こうしたリスクがあっても、今回の参院選で与党大敗が、少なくとも株式市場の大きな売り材料になっていないのは、「消費税率10%」をはじめとして、与党と野党第一党である自民党との政策が近いことと、昨年来の民主党政権の運営を見ると、予算を含めて実質的に財務省を中心とする諸官庁によって政策運営がなされているという認識が広く国民の間にあるからだろう。大雑把にいえば、民主党がやっても、自民党がやっても、経済運営に大差はなさそうだという、良く言えば「安心感」がある。株価、つまりは企業の利益の立場から各党の政策を見ると、今回10議席を獲得して党勢を伸ばしたみんなの党の政策が、デフレ対策の必要性の強調、規制緩和の推進などで、日本の株価(上昇)にとって追い風的な方向にある。株式市場的には、みんなの党が、先般の政権交代後の国民新党のように、参院でのキャスティング・ボートを握って政策運営に影響力を持った場合に、これを好感する公算が大きい。ただし、今回、民主党が大きく後退したために、「民主党+みんなの党」では参院の過半数を得ることができない。この点、何らかの追加的な動きが必要だが、みんなの党の発言力が強くなった場合に、株価的には好材料が発生する可能性があることを覚えておきたい。近年、政権が頻繁に変わるなど政治的な動きが大きかった割には、これが株価の材料にはならなかった。あえて言えば、日本の首相交代よりも、アメリカの雇用統計の方が日本の株価には影響が大きい状況だった。しかし、今後、政治の状況の変化によって、経済運営が大きく変わる可能性が出てきているように思われる。衆参両院のバランスは、ほんの数人の動きで変化しかねない。議員の政党間移動、政党の分裂、多数派工作の状況といった要因で、政治の風景が大きく変わり、ひいては、それが経済に影響する可能性が生じているように思う。また、事の良し悪しはともかくとして、日本の政治は、政権支持率の変化に大きな影響を受けやすい。投資家としては、政権支持率も含めた、政治の動きに気をつけておきたい。==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第79号 2010年7月23日発行より) ==========================================================
2010.07.23
筆者は、今年の春からある大学で、主にキャリア・プランニング(職業人生設計)を中心に人生の経済的な側面を考える講義を担当している(それ以外に「金融資産運用論」も担当)。 キャリア・プランニングを考える上で、特に女性は、結婚と出産・育児をどうするかが大きな問題になる。もちろん、女性だけが育児を担当すべきだとは思わないが、出産は女性特有の問題で、キャリア・プランに対する影響が大きい。 結婚や出産は、経済的な損得やキャリア上の有利不利だけで考えるべき問題ではないが、経済的な側面から考えると、どうも、早婚・早期出産の方が有利ではないか、というのが、筆者の暫定的な意見だ。 仕事を持って働く女性にとって、出産の前後と初期の育児にどうしても必要な仕事上の空白期間を、キャリア・プラン上の何時の時点に持ってくるかが悩ましい問題だ。会社によっては、退職を余儀なくされる場合もあるし、十分な産休制度など、理解のある会社でも、1年から2年程度の仕事の空白期間ができてしまう。 経済的な損得でこの問題を考える場合に鍵になる概念の一つに「機会費用」がある。職業上の空白となる産休期間にもし働いていたら得られたであろう利益を、費用(利益のマイナス要素だから)として把握するわけだが、本人が中堅社員になってから産休を取るよりも、若い頃に産休を取る方が、犠牲にする収入は小さく済む。現実的には、仕事上の習熟や社内のライバルとの競争などが気になるようなこともあって、社内で確固たる評価を得るところまで頑張って、それから出産と考えるケースなどが多いのかも知れないが、仕事も出産も思うようにいくとは限らないし、仕事を休まれることの会社にとっての損失は、本人の年齢が上がってからの方が大きいように思う。 もちろん、職業によっても違うだろうし(たとえば、女優やアイドルなら、明らかに違うだろう)、会社によっては出産後の復職が難しい場合もあるので(この場合の損得計算は難しいし、微妙だ)、一概にどちらが得とは言えない。 ただ、初期出産年齢が高齢化する傾向に反して、キャリア上の早い時点で子供を産んでおく方が実は得なのかも知れない、というやや逆張り的な「視点」はあってもいいだろう。 さて、結婚の時期についてはどうか。 初婚年齢も男女共に傾向として高齢化しているが、一つの原因は、主に高学歴化だろうか。高学歴化自体は、将来の収入を拡大する「投資」として正当化できそうだが、近年、もう一つの理由として、若い時期に低収入で結婚できない場合が多いという理由を聞く。 だが、ここでも逆張りを考えてみることが有力なのではないだろうか。 共稼ぎが前提ということだが、結婚して世帯人数を増やす方が生活が楽な場合が多いからだ。経済の概念に結びつけると「規模の経済性」だろうか。実際、結婚しても一人暮らしの頃から見て生活費が増えなかったという話をよく聞く。また、OECDが「相対貧困率」を計算するときの所得の計算方法では、世帯の所得を世帯の人数の平方根で割る。何やら、分散投資によるリスク低減効果の説明に似ているが、世帯人数が2倍でも生活費は約1.4倍でいいということだ。 今さら大家族制に戻るのは大変だが、かつて日本が先進国の仲間入りをする前の貧しかった時代は、大人数が同居して暮らしていた。特に、共稼ぎということになると、生活を一つにまとめることのコスト節約効果は大きい。 早めに結婚して、もちろん同居して共稼ぎし、生活を簡素化してお金を貯めて運用に回すようなライフ・プランだと、生命保険の費用なども節約できるし、経済的な余裕を早く作ることができそうだ。 個人のお金の運用には、生活の形態や職業上のプランニングが大きく関わる。運用の問題はもちろんだが、これらの問題についても、単なる常識や大勢に流されずに、何が本当に合理的なのか、よくよく考えてみたい。意外な選択が正解かも知れない。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第78号 2010年7月9日発行より) ==========================================================
2010.07.09
音楽は、かつてはLPレコードで、次にはCDで、最近はMP3などの電子データで楽しむものに変化した。25年くらいの間に起こった変化だ。もちろん、アナログの音の豊かさを愛してLPレコードを聴き続ける音楽ファンもいるが、多くのファンがLPレコードのコレクションを始末して、CDに切り替えた経験を持っていると思う。そして、近年は、ショップでCDを買うのではなく、音楽をダウンロードで買うことが普及してきた。 この間、最も大きな影響を受けたのは、オーディオメーカーとレコード・CDなどを売っていた小売店だろう。マニア向けは残ったとしても「ステレオ」や「コンポ」は売れなくなったし、CDを売る店はどんどん少なくなっている。 楽曲の提供側にもビジネス的な変化があった。近年、日本では、CDのミリオンセラーが出にくくなり、ヒット曲が小粒化した。音楽のダウンロード購入が一般化することで、店頭に大量に並ぶCDでなくともファンの元に楽曲が届くようになったので、ヒット曲が分散した。少数の曲を大量に売るというスタイルが緩和されたこともあって、TVの歌番組がかつてよりも減った。 アーティストの側は、多様な楽曲がファンに届きやすくなり、こまめにファンを集めるコンサートで稼ぐ方向にシフトしているようだ。もちろん、国民的な人気と巨大なセールスを有するアーティストもいるが、中規模くらいの売れ方でも「食べて行きやすく」なったようだ。 最近よく話題になるのは、出版の変化だ。アップルのiPadやアマゾンのキンドルなどの書籍リーダーの登場と書籍の電子化でどんな変化が起こるか注目されている。出版関係者の一部では、紙の本が廃れると共に、出版社の経営が傾いてしまうのではないかという悲観論もある。 確かに、デジタル化された本は便利だ。何百冊分ものデータをハードディスクやUSBメモリで持ち歩けるし、いわゆるクラウドにファイルを置けば、パソコンでもiPadでも読める。 紙の蔵書をスキャンしてデジタル化することを「自炊」と称するようだが、断裁機(PLUSのPK-513)、スキャナー(富士通ScanSnapS1500)共に標準的な機械があり、これらで簡単にPDF化できる。筆者も、これらの機械とiPadを手に入れて「自炊」をやってみたが、簡単だった。新書一冊が1、2分でPDF化でき、8MBくらいのデータサイズだ。音楽CDをデジタル化するのと待ち時間は似たようなものだ。iPadで新刊を一冊読んでみたが、快適に読めた。 書籍にあって紙が不要になると、紙代や印刷代が要らなくなるほかに、輸送や保管のコストも節約できる。出版社としては、本の過剰在庫を持つ心配がなくなるから、本を安く、たくさん作ることができるだろう。ただし、印刷設備を持つ必要もないし、ダウンロードで配本ができるなら、出版社でなくとも本を作ることができるようになる。編集プロダクションと出版社とで、何ら差がなくなるかも知れない。 電子化された書籍の価格がどのレベルに形成されるかが興味深いところだが、本が安くなる一方で、著者の取り分は増えるだろう(注;現在、紙の本では定価の10%程度が印税として著者に支払われるのが普通だ)。本を書く側にとっては楽しみな面もあるが、本を出しやすくなるということは著者間の競争が激化するということでもある。著者にとって良いことばかりかどうかは、まだ分からない。 電子ブックの普及スピードがどのくらいのものになるかも、未だ分からない。音楽は最終的に音を聞くという点で、レコード、CD、デジタルデータの差が小さかったが、本の場合、デバイスが進化してきたとはいえ、紙の本とは感触に差があるから、音楽ほど早く交替は進まないかも知れない。紙の本とデジタルデータの本はかなり長い間共存するのではないだろうか。 いずれにしても、技術が変わると、ビジネスが変わる。投資にあって重要なことは、利益がどこに集まることになるのかが変わる点だ。利益の行き先を読む際に大事なのは、どのプロセスで競争が激しくなって利益が圧縮されるか、どのプロセスの供給が不足して供給者が利益を得るかの二点だが、投資家には楽しみの多い時代だ。 ========================================================== 楽天証券経済研究所 客員研究員 山崎元 (楽天マネーニュース[株・投資]第77号 2010年6月25日発行より) ==========================================================
2010.06.25
先週は、政治的に大きなイベントがあった。鳩山由紀夫首相が6月2日に辞意を発表し、菅直人副総理兼財務相が後任の首相に選出された。また、鳩山首相の辞任と共に、民主党の実力者である小沢一郎幹事長も辞任する展開となった。今週は、新しい内閣の顔ぶれとと与党・民主党の新しい執行部の話題と共にスタートすることとなりそうだ。ここで、新しい内閣になったことで、今後の相場と経済を見る上でのポイントが何かを整理しておきたい。鳩山首相辞任の背景については、さまざまな報道や意見が流れているが、本稿は、政治について意見を述べる意図を持つものではない。新首相に就任予定の菅直人氏に対する、株式市場の第一の反応は、「どちらかというと円安を目指す政策に対する期待から、好意的」というものであった、と解釈できる。ギリシャ危機以降、日本の株価がまたしても他の先進諸国の株価よりも大きな下落率を記録した理由は、外国人の影響を受けやすい日本株の売買構造と共に、ユーロに対してだけではなく対米ドルでも進んだ円高によるものだろう。菅氏は、財務大臣就任時に、「もう少し円安が望ましい」、「90円台半ばくらいがいいという声が多い」と、財務大臣としては異例の踏み込んだ言及を為替レートに対して行ったので、円安推進論者だと見る市場関係者が多いのだ。菅氏は、デフレを何とかしなければならないという意識をお持ちのようなので、円安に対しては好意的だろうが、今度の立場は首相なので、相場に関わる発言に対しては、もっと慎重になるのではないだろうか。前回の発言はかなり批判された。ただ、先般の円安待望的な発言に見られるように、思ったことは口にしてみるタイプなので、発言は細大漏らさずフォローしておきたい。菅新内閣の経済政策上の注目点は、「日銀」と「消費税」の二つだ。日銀に関しては、デフレ脱却のために、日銀がもう一段以上金融緩和を進めることを公然と要求するか否かが注目される。はっきりとした発言がある場合は、もちろん日銀の行動に影響があるだろうし、その行動の影響も含めて、為替レートが、円安に反応しやすいだろう。もちろん、当面、円安は日本の株価にプラスだ。他方、菅氏が直接的に何も言わなくても、日銀が先回りして、何らかの緩和措置を発表する可能性もある。もっとも、この場合は、効果の大きな大規模な追加緩和策は出しそうにないので、為替レートなどに関する影響は限定的だろう。もう一つの注目点は、消費税だ。民主党は、前回の総選挙のマニフェストで、(総選挙から)向こう4年間は消費税率を引き上げないと公約していたが、鳩山内閣の成立後、マニフェストは必ずしもその通りに実行されていない。今回、首相が代わることで、この傾向が益々進む可能性がある。菅氏は財務大臣に就任後、急速に財政再建に積極的な発言が目立つようになっていた。消費税率の引き上げが、前倒し気味に現実化する可能性は大いにある。消費税率が引き上げられる場合、相場的には、引き上げ前の駆け込み需要と引き上げ後の反動、さらに、消費税率引き上げの景気下押し効果などについて考えなければならない。また、消費税の課税が「インボイス(送り状)方式」に変更されて、品目別に税率が変わるようなことになると、業種毎の有利不利に響いてくるので、物色対象にも注意が要る。政権運営としては、与党の幹事長及び幹事長室を中心に政策が動く、小沢一郎氏が作りつつあった仕組みを、菅氏の新体制がどの程度引き継ぐかが注目される。政策決定に関しては、政策を検討する「政調会」を民主党内に復活させる方針が打ち出されているが、陳情の窓口一本化や、議員立法や議員連盟の活動に対する規制などが緩和されるかどうかに注目したい。たとえば、陳情の窓口が変わるということは、政治と民間の接点の場所が変わるということなので、政策ウォッチング上は大きな影響がある。==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第76号 2010年6月11日発行より) ==========================================================
2010.06.11
株式市場は、ギリシャ危機の余波を吸収しきっていない。日経平均も、ついに1万円を割った。 ギリシャ問題への欧州各国の対応を見るにつけて、この問題は長引きそうに思える。直ぐに次の問題が起きるかどうかは分からないが、今後何年かかかる問題のような感じがしてきた。 ここまでの段階では、欧州各国の国家財政が問題であるように見えているが、ドイツが独自に発表した空売り規制の対象に、同国の銀行株が入っていたことを見るにつけ、真の問題は、不良債権を抱えた欧州の銀行のバランスシートに対する信認問題だろう。 次に表に出る問題が、ポルトガル等ギリシャに次ぐ欧州国家のソブリン問題なのか、欧州のどこかの大銀行の経営問題なのかは、今の段階では分からないが、問題の根源には、不動産ブームとその後の崩壊で抱えた不良債権と東欧向けの不良債権を抱えた欧州の銀行のバランス・シート問題がある。銀行は、それぞれの国の単位で支えるしかないが、国によって政府の余力も世論も違う。 個々の問題は細かく見る必要があるとしても、欧州の大まかな状況は、バブル崩壊後の日本に喩えると、90年代の半ばだろう。住専への公的資金投入に手間取った日本だったが、その後に、真の問題として銀行の不良債権問題が登場した。欧州もこのパターンではないだろうか。 バランスシートの傷みを隠している銀行はリスクを取って融資を拡大できないし、不良債権の真の姿が発覚することを恐れる。また、同類の銀行に対して「傷み」の類推ができるので、他行との間の資金のパイプも詰まり気味になる。欧州版、失われた10年の始まりだ。 緊急時の流動性の問題に対しては欧州中央銀行が対応できるが、個々の銀行の不良債権を表に出して十分な引き当てを行った上で資本を増強する「支援」は、国家単位でやるしかない。すると、今回のように、「ギリシャのために、ドイツ人の税金は使えない」といった国単位の感情的な問題が持ち上がるリスクがある。バブル崩壊後の日本の政府・中央銀行の対策もスムーズでなかったが、国境を越えて錯綜する欧州の事情は複雑なので、欧州版の「長期停滞」に陥る危険性が大いにある。 この場合、ポイントは二つ考えられる。 まず、欧州の金融問題の構図がかつての日本と似通っていることを思うと、問題が峠を越えるには、銀行のバランスシートの実態を明るみに出すことと、同時に資本の手当てを行うことが重要だ。これが先に伸びるほど、停滞は長引く。日本では、いわゆる「竹中プラン」の下、何度も銀行に金融庁の検査が入り、その度毎に不良債権が膨らんでいった。その間、不良債権の処理が小出しであったために(そう「せざるを得なかった」のかどうかは、見解が分かれる)、銀行への信頼が戻らず、金融の回復に時間がかかった。欧州の、銀行がバランスシートの膿出しを早く終えるなら回復は早いだろうが、必ずしもそういう訳ではなさそうだ。 もう一つの問題は、世界の中央銀行の金融緩和のつづき具合だろう。今のところ、米国の金融緩和の「出口」は来年の半ばくらいかという予想が多いようだが、どうなるか。もちろん、欧州中銀も、そして早期引き締めに定評のある日銀の動きにも要注目だ。インフレに対して「予防的引き締め」をという議論が出てくるようだと危ない。たとえば、今後少し景気が回復してきた場合に、ドイツがインフレの懸念に我慢できなくなったときに欧州中銀が利上げに動くと、耐えきれない(自国の銀行を支えきれない)国が出てくる可能性がある。こうして考えると、危ないポイントが今後数年の間に幾つもある。 今のところ、かつての日本の不良債権問題にあまり関係なく米国や欧州が成長できたような展開になることが日本にとっての希望だ。この場合、米国の金融緩和の継続と、中国経済が成長を維持することが必要条件になる。いずれにしても、海外の経済次第ということになる。しかし、心配を抱えながらも、こうなるのではないか、というのが筆者が考えるメイン・シナリオだ。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第75号 2010年5月28日発行より) ==========================================================
2010.05.28
ギリシア・ショックは、正直なところ、筆者が当初思ったよりも影響が大きかった。ギリシアの財政が困難な状況にあることや、EUにとって重荷であることは周知の事実で、一つにはこの問題はもう少し迅速にコントロールされると思っていたし、もう一つには、欧州経済の苦境は米国を中心とする先進国の金融緩和を長引かせる要因になるので、これが新興国への投資を支えている、現在の景気回復の構図が長く続く要因になるのではないかと思っていたからだ。 今後の日本の株価、経済に考えられる影響だが、個々の問題を、短期の問題と、中長期の問題に分けて考える必要があると思う。 まず、日本株価への影響だが、短期的には、まだボラティリティーが高い状態が続く可能性がある、5月9日現在日経平均は1万5百円近辺で取引されている。「1万円割れがあり得ますか?」と質問されたとすれば、5百円の値幅ならば、欧米市場の2回の大幅下落程度のインパクトで起こる可能性があるので、「ないとはいえない」と答えるのが正解だろう。ただし、中長期的には、前述のように「米国の金融緩和が新興国の経済成長を後押している」というのが世界と日本の景気と資産価格を支えているエンジンである状況は変わらないので、これで上昇相場が終わるというような意味での、大きなトレンドの転換にはならないと考えている。 欧州経済の停滞が日本の景気に対する影響は、ゼロとはいえないが、アジアや米国よりも影響が小さい。日本の景気回復基調自体を反転させるような大きな要因にはならないのではないか。 ただし、ギリシア・ショックで欧州の問題が終わりかというと、そうでもないような気がする。欧州全般に不動産バブル崩壊後の不良債権が溜まっているはずであり、ギリシアの問題の処理にこれほど異様な緊張感が漂うのは、他国への飛び火を恐れるからだろう。他国の金融機関、あるいはこれを救済しようとする政府の財政問題、さらには金融だけリンクしていて、財政のリンクが切れているEUの構造的弱点が、今後クローズアップされる可能性がある。 日本の不良債権問題に喩えて言うと、ギリシア問題は後から見れば少額でも公的資金投入で大いにもめた住専問題の位置づけに近いのではないか。その後、大銀行のバランス・シートまでが疑われる展開になったが(事実大きく毀損していたわけだが)、欧州経済が抱えるより大きな問題は、ギリシア以外の国の銀行のバランス・シートに溜まっているのではないか。これがどうコントロールされるか、コントロールに綻びが出るかは、今後の問題だ。 なお、ギリシア財政との連想で、日本の財政問題がクローズアップされている。中には、一波乱起こらないかと期待する向きもあるようで、特に相場的には、国債の暴落が半ば心配、半ば楽しみにされているような趣もある。しかし、日本の場合、国債の約95%を日本の居住者が保有しており、これを売り崩すのは相場的に難しいだろう。公的年金等の投資家の運用事情を考えても、たとえば実質金利があと1%上昇するなら、喜んで長期債を買いたい性質の資金がまだ大量にある。 日本の経済問題の難しいところは、目下低金利で且つデフレなのだから、短期的には金融緩和と共に財政赤字を拡大することが常識的な状況なのだが、政治的にはそれが難しい状況に追い込まれていることだろう(財政赤字は増えているが意図的なものではないし、もっと必要である公算が大きい)。有効なデフレ対策を取れないまま、長期的に財政状況を悪化させていく悪いシナリオにはまる可能性もあり、その場合には、将来、ギリシアの問題が他人事でなくなるかも知れない。 ========================================================== 楽天証券経済研究所 客員研究員 山崎元 (楽天マネーニュース[株・投資]第74号 2010年5月14日発行より) ==========================================================
2010.05.14
米国のSEC(証券監視委員会)が、米国の有力証券会社であるゴールドマン・サックスをサブプライム・ローンを組み込んだ証券化商品の販売に関わる詐欺の嫌疑で告発した。現段階で、ゴールドマン・サックス社はこの訴えを無根拠であるとして全面的に否定して争う構えであり、事実関係はまだ詳しく報道されていないが、これまでの報道によると、証券化商品の組成にあたって、元ゴールドマン・サックス社のCEOだったヘンリー・ポールソン氏が率いるヘッジ・ファンド(このファンドは不動産関連の空売りを行っていた)が関与しており、この事実を顧客に開示せずに販売したことが問題とされているようだ。 SECの告発を受けて、4月16日には、ゴールドマン・サックス社の株式が大幅に下落すると共に、NYダウも100ドル以上の下げとなった。ゴールドマン・サックス社自体への影響の他に、他の証券会社でも同様の問題がないかという懸念、さらにはこの問題の立件によって、金融機関に対する規制強化が一層進むのではないかという懸念から全般的に株式が売られた。証券会社が摘発されたり、規制が強化されたりすると、対象金融機関が投資のポジションを縮小することが予想されることが売りの理由だ。 情報が少ない現段階では、ゴールドマン・サックス社に本当に報道されているような問題があったのかどうかは断定できない(従って、本稿は、同社を批判するものでもないし、逆に弁護しようとするものでもない)。 しかし、仮に、ゴールドマン・サックス社に非があるとされた場合には、同社の経営に相当に大きな影響が及ぶ可能性がある。 この件で第一に思い出すのは、1991年に米国債の入札で不正を行って摘発された、ソロモン・ブラザーズだ。同社は、「ウォール街の帝王」と呼ばれる存在だったが、この件一つで経営が傾き、有力投資家であるウォーレン・バフェット氏の出資と経営参画を得て倒産はまぬがれたものの、トラベラーズ・グループに売却され、現在は、シティグループの中で同グループに買収された旧スミス・バーニーの陰に隠れる形になっており、「ソロモン・ブラザーズ」ブランドはほぼ消滅したといっていいだろう。 また、ウォール街では、ジャンクボンドに関連して、一時は最大手にのし上がったドレクセル・バーナム・ランベール社が、ごく短期間で倒産したことがある。 他に、サブプライム問題による巨額損失の発生とリーマン・ショック後の金融環境に変化によって、長らく独立系でブローカーとしては米国最大手だったメリルリンチ証券がバンク・オブ・アメリカの傘下に入って、命からがら生き残っているような事例もある。 目を日本に転じても、巨額の損失を隠していた(「飛ばし」と呼ばれた)当時の証券業界第4位の山一證券が1997年に自主廃業の発表に追い込まれた例がある。 こうして過去を振り返ると、大手といえども、証券会社、特に米国では投資銀行と呼ばれるような自分の資本を大きく投資リスクに晒すような業態の証券会社は、一つか二つのミスで会社の存亡が危うくなる「危ないビジネス」だ。 大きなリスクを取る経営スタイルは、投資それ自体のマーケット・リスクの他に、自分の投資の利害と他のビジネス(通常はブローカレージ・ビジネス)の利益相反に絡むリスクも発生させやすい。今回のゴールドマン・サックス社への嫌疑である詐欺罪や、インサイダー取引などに関わる可能性が存在する。 何らかの相場的なチャンスがあれば、自分でリスクを取る証券会社は、自分で相場を張りたいと考えると同時に、そのために顧客などに逆のポジションを押しつけたいという誘惑に駆られる。ここを我慢するのは難しいが、やりすぎると相場とは別のリスクの穴に落ちてしまう。 証券会社に限らないが、自分で相場を張っている(ポジションを取っている)組織や人は、自分が持っているポジションの影響を受けることがしばしばある。投資家としては、できるだけこうしたリスクのない、自分では大きなポジションを持たない相手とつきあうのがいい。 ========================================================== 楽天証券経済研究所 客員研究員 山崎元 (楽天マネーニュース[株・投資]第73号 2010年4月23日発行より) ==========================================================
2010.04.23
個人がお金の運用を考える場合に意識すべき原則は、「長期」「分散」「低コスト」の三つだ。これら三つの意味を正しく覚えておくことが、資産形成の基本になる。 一つ目の「長期」は長期運用・長期投資の“長期”だ。これは、時間をかけて資産を増やそうということでもあるし、資産を増やすには時間がかかるということでもある。株式・債券・不動産などへの投資は、生産活動への資本参加がその経済的な意味だ。たとえば、企業の株式に投資するとしても、企業に利益を稼ぐ時間を十分与える必要がある。「投資」の本質は、生産活動に資本を投じることであって、その果実を十分得るためには、時間をかける必要がある。時間をかけることによって、投資は、単なるゼロサム・ゲーム的な「投機」よりも有利な賭になる。 もっとも、長期投資で「絶対に儲かる」という訳ではない。これは、過去20年くらいの日本の株価を見るだけで十分わかるだろう。投資に絶対はないから、長期投資を「信じる」というのは利口でない。条件が揃えば有利だ、というだけのことだ。 「分散」は、分散投資の“分散”なのだが、意味のある分散投資は、複数の投資対象に分散する投資ウェイトの分散だ。 投資するタイミングを分散することを「時間分散」などと称して意味のあることのように言う向きがあるが、たとえばタイミングを分けてゆっくり買ってリスクを下げたつもりの人がいるが、投資金額が減っている分リスクが小さくなっているだけで、同時に期待収益も小さくなっているので、投資対象の分散のような意味で有利になっている訳ではない。有り体に言ってしまうと、気休めだけだ。 これに対して、投資対象の分散の場合、たとえば、値動きが違っていて、期待収益率が同じ銘柄を複数持つと、期待収益率は変わらないままにリスクだけを低下させることができるので、投資の効率が改善するという意味で「有利に」なる。この有利は、投資家の努力によって作ることができる有利なので、是非活用したい。 端的に言って、国内株はTOPIX、外国株はMSCI-KOKUSAI(日本を除く22カ国の先進国株式が計算対象だ)といった代表的な株価指数に連動する投資信託(インデックス・ファンド)に投資すると、実質的に幅広い分散投資の効果が手軽に得られる。加えて、内外の株式に投資する投資信託を、たとえば半々のウェイトで持つと、国内株、あるいは外国株だけに投資するよりもリスクを下げることができる。 「低コスト」の“コスト”とは、金融商品の手数料のことだ。株式の売買手数料、投資信託の購入時の手数料のような取引の際に一時的にかかる手数料、投資信託の信託報酬のように投資期間に比例して継続的にかかる手数料、デリバティブを含んだ商品の条件の中に実質的に含まれている手数料の三通りの手数料がある。 コストは「マイナスの投資収益」だ。変動するコストもあるが、多くの場合、確実に投資収益を低下させる原因になる。ハッキリ言って運用の良し悪しを事前に見分けることはできない。同様の内容の運用商品であれば、コストの安い商品を選ぶのが正解だ。 コストの影響は非常に重要なのだが、運用商品を販売する金融機関や運用会社がこの点について教えてくれることは稀だ。 このメルマガに目を通して下さった読者は大変運がいいと申し上げておく。 ========================================================== 楽天証券経済研究所 客員研究員 山崎元 (楽天マネーニュース[株・投資]第72号 2010年4月9日発行より) ==========================================================
2010.04.09
日本航空の会社更生法申請にあたっては、企業年金の減額が大きな問題になった。一方、3月22日の『日本経済新聞』(朝刊)には、「三菱重工、年金減額へ」とある。ここのところ、企業年金が頼りないと感じるニュースが多い。 記事を見ると、三菱重工業の場合、企業年金の「給付利率を0.3%引き下げる」とある。これは、加入者が退職時まで積み立てた積立金を年金額として計算するときに適用する想定運用利回りを0.3%引き下げるということだ。これまで、三菱重工業では、10年物国債の金利(直近3年間の平均)に1.3%上乗せした利回りを使っていたが、上乗せ幅を0.3%引き下げるのだという。端的に言って、運用が難しくなっているから、利回りを下げるということだと理解していいだろう。 企業年金の多くは「確定給付型」と呼ばれる、一定の方式で決まった年金額を、積立金の運用利回りに関係なく支払うと約束する方式のものだ。この方式だと、企業年金基金、ひいては企業が運用のリスクに関して責任を持たなければならないが、近年の運用環境で、端的に言って、多くの企業が酷い目に逢ってきた。 これではたまらないと、運用リスクを加入者に持たせる「確定拠出型」に年金制度を切り替える企業も出てきたが、経営体力のある大企業を中心に、まだまだ確定給付型の企業年金が残っている。 だが、低金利に加えて、株式の運用が上手く行かなかった近年の運用環境に耐えかねて、確定給付年金の基金を解散したり、そこまでやらないまでも、企業年金の条件を下方改訂しようとする動きが出てきているというのが目下の情勢だ。 先の記事によると、三菱重工業は昨年3月末の時点で2591億円の積み立て不足があるという。同社の株式時価総額が約1兆2千億円だから、これは決して小さい額ではない。 企業年金の負担の大きさ、あるいはリスクの大きさの故に、年金給付を減らすという企業は、これからも続々と出てくるだろう。 現役世代は「年金額を守っても、業績が圧迫されて給料が減るのでは仕方がない」と思って年金額の下方改訂を諦めることもできるが、JALのケースのように、退職後にいったん決められたはずの年金額を後から引き下げるようなことが起こると、老後の生活設計に大きな影響を及ぼす可能性もある。 公的年金も、今後長期的に年金給付を引き下げていく方向で財政のバランスを取ることになっている。 月並みな話で恐縮だが、年金が、今後益々小さく、頼りにならないものになっていく傾向にあることは間違いない。自分でどのような備えを作るかが、これまで以上に重要な問題になってくる。 一方、投資家の立場で企業年金問題を考えると、先の三菱重工業の例でも分かるように、企業の投資価値に対して、企業年金の財政・運用状態やリスクが重大な影響を及ぼしていることに注意が必要だ。 企業年金の運用資産は、おおまかにいえば投資信託のように運用されている。つまり、確定給付型の企業年金のある会社の株式を買うということは、その企業の普通株と一緒に投資信託がセット販売されているものを買うような意味になっている。持ち合いの株式なども同様の意味があるが、これは、投資家にとっては、あまり都合のいい事態ではない。 企業の経営者側の事情からも、株主・投資家側の事情からも、確定給付の企業年金は縮小・廃止に向かう必然性がある。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第71号 2010年3月26日発行より) ==========================================================
2010.03.26
最近、ギリシアの財政危機が大きな問題になっている。ユーロは、通貨と金融政策が共通になるが、財政は国が別々である以上、基本的に個々の国に任せられる枠組みだ。財政赤字に一定の約束事があるものの、個々の国の政府が経済運営に失敗する可能性もあるし、今回のギリシアのように、失敗に粉飾が加わることもある。 ギリシアが財政赤字を意図的に小さく見せていた問題については、米国の大手投資銀行の関与が問題にもなっているが、本来であれば、ギリシアを援助してもおかしくない欧州の有力国であるドイツやフランスの世論がギリシアに批判的になっていて、スムーズな援助が難しくなる悪影響を及ぼしている。悪いことはできないものだ。 ヨーロッパでは、ギリシアの他にも、ポルトガル、スペイン、イタリア、アイルランド、などの国々が財政状態に信認上の懸念を抱えているとして、悪材料視されている。 ギリシアを含めてこれらの国々の財政問題が深刻化することは、国際的な金融機関の経営問題になりかねない。第一義的には、日本も含めた他国の株式市場にとっても、悪材料だ。日本株に関しては、欧州からの資金逃避が日本円に向かう円高の悪影響も加わる。 ただし、これらの国の問題によって金融システムが脆弱化すると、先進国の中央銀行は金融緩和を続けざるを得なくなる事が予想される。その場合、中国をはじめとする高成長新興国に先進国から資金が流れ続けることになるし、結局、先進国の経済と株価もサポートを受ける可能性が大きい。 波乱はあっても、先進国の金融緩和が続いている限り、株価が上がりやすい状況が続くのではないだろうか。ただし、財政危機が複数の国に連鎖して止められないような状況になると、世界の経済や株価が大きなダメージを受ける可能性がないではない。 筆者は、先進国の金融緩和を背景とした世界的に流動性が豊富な状況は、株式投資をする上ではプラスなので、多少の悪材料は気にせずに、いわゆる「鈍感力」を発揮して、株式のエクスポージャーを持ち続ける方が得だろうと現在の状況を判断している。ギリシアをはじめとする欧州の財政問題は、現在この判断を覆すに足るだけのインパクトを持っているとは思っていないのだが、波及効果の大きさの点で要注意の材料ではある。 ところで、ギリシアの問題は日本にも波及するのではないかという意見が一部にある。日本の財政は二つの点で特殊だ。一つには、日本政府は大きな債務を持っている一方で、世界的に突出した資産も持っている。実質的な政府債務が900兆円に迫るという数字だけに危機感を煽られるのは、いささか賢くない。また、もう一点の特殊性は、債務が90%以上国内で消化されていることだ。郵貯、簡保、生保、公的・私的両方の年金など、長期的な将来の債務に対して確実な給付が必要な運用需要がかなりあり、加えて、有望な融資先が少ない銀行が資金の多くを国債に振り向けている事情がある。 たとえば、ヘッジファンドの立場に立って、日本国債の売りを仕掛けようとした場合、10兆円や20兆円の空売りでは、簡単に吸収されてしまうのではないだろうか。 ただし、堅固な官僚制を背景として、支出と歳入両面における財政の硬直性は相当なものなので、バランスの修正を行うのに、ひどく時間がかかりそうな点は心配だ。 だが、あらためて考えてみるに、投資をするにあたって、心配がない状況というのはほとんどあり得ない。現実を直視することは大事だが、ある種の「鈍感力」も必要だ。 ========================================================== 楽天証券経済研究所 客員研究員 山崎元 (楽天マネーニュース[株・投資]第70号 2010年3月13日発行より) ==========================================================
2010.03.12
人は、自分自身のための「お金の思想」を持つべきだ。お金の思想を持つ、とは、自分にとってお金がどのようなものであるかを言葉で定義し、且つどう扱うのかを具体的に決めておくことだ。 お金は便利なものだし、だいたいはある方がいいものなのだが、お金の思想を明確に持っていないと、人はお金に苦しめられることがある。 お金のいいところは、おおむね何にでも変えられる自由度がある価値を蓄えることができることだが、この「何にでも変えられる」というところが、なかなか曲者だ。 たとえば、他人よりも収入の多い人は、自分よりも収入の少ない人に対して優越感を持ちがちだ。しかし、こうした優越感を生む精神は、自分よりもさらに収入の多い人を身近に知ったときに劣等感を生むことになる。ストレートに劣等感を持つのは誰しも嫌だから、「私はそこまで稼がなくてもいい」とか、「ああまでして稼ぎたいとは思わない」とか、現実認識を歪めながら自分を慰めることになるので、有害に働くことがある。 お金を持っている人が偉いわけではないと建前では思っていても、他人のお金は羨ましいことが多いし、「お金をより多く稼いでいるということは、他人により高く評価されているということだ」という命題に、心底納得できるレベルで反論するのは難しい。お金は、人の価値観の中に勝手に忍び込む性質がある。 お金の思想を定義する上で大切なのは、自分にとってお金がどれくらい大切か、お金のためならどこまで我慢や犠牲を払うか、他人のお金についてどう考えるか、といった、ある意味では下世話なテーマの具体的方針決定だ。抽象的で高邁なフレーズではない。 お金のためなら、何をどこまで犠牲にしてもいいと思うか、という問題は重要だが、なかなか方針が定まらないのが現実だ。 大まかに言って、お金と自由、およびお金と時間は、緩やかに交換可能だ。 自分の好きなことを仕事にできるのは自由の高度な実現だが、一般に、多くの人が、やりたいと思う仕事、格好のいい仕事、楽な仕事は、報酬が安いかその仕事に就くこと自体が難しい。反面、人が嫌がる仕事は、職を見つけやすいし、同程度の難しさの仕事に較べて報酬がいいことが多い。 個人の倫理との関係も難しい。法律に触れなくとも、他人を騙すようにしてお金を稼ぐのは気持ちのいいものではない。「どこまでならやるか」を決めておくことは重要だ。 お金と時間の関係も悩ましい。お金のために自分の時間をどのくらい犠牲にしてもいいかという程度の調節は、フリーランスで仕事をしている人がよく悩む問題だし、サラリーマンであっても岐路に立つことのある問題だ。もう少し頑張ると、もう少し稼げるだろうと思って、自分が自由な時間を減らして、ストレスをため込んだり、クリエイティブな仕事がしにくくなったり、果ては健康を害したりする場合がある。 お金の思想を適切に持つために大切なことは、お金を客観視できる余裕を、生活的にも知的にも持つことだ。そのためには、大切な人や物、楽しい事柄などをたくさん知っている方がいい。 こうしたものをよく知るためにもお金が必要だというのが一方の現実ではあるが、お金持ちの側から見ても、名誉、才能、恋人、友人、それにある種の経験など、お金だけでは手に入らないものが多々ある。何よりも、「時間」がなければ、お金も有効に使うことが難しい。 たぶん「時間」が大切で、自分にとってのお金の価値は、最終的には、「自分の時間」で測ることができるような気がするのだが、現実の生活上は、時間をお金に換算する方が何をしたらいいのかが分かりやすい。油断していると、価値観の中心に居座ってしまうところがお金の厄介なところだ。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第69号 2010年2月26日発行より) ==========================================================
2010.02.26
筆者は現在満51歳だ。自分では、年より若くもないし、年以上に老け込んでもいないつもりでいて、特に不満もないし、年齢を意識することもないが、取材などで「老後についてどう考えて、何か備えていますか?」と訊かれることがたまにある。 昨年は「ねんきん定期便」が送られてきた。過去に12回転職した筆者の場合、記録にミスがあると思い出すのが大変なので、おそるおそる開封したが、幸い、記録は完璧に見えた。だが、この郵便物が来るということは、そろそろ老後のお金の問題を考えろということだろう。 「老後」の経済的な意味で最大のものは労働による追加的稼ぎに制約が生じるということだろう。加齢と共に働いて稼ぐことが一気に全て不可能になることは少ないが、体力的にも、社会的にも、30代、40代の頃のようには稼ぎにくくなる。また、病気などで働く能力が急低下するリスクが加齢と共に大きくなる。 人生にとっての意味としては「残り時間が少ない」ということが最大の問題かも知れないが、老後の経済にとっては、残り時間が少ないことは、可能性縮小のデメリットと共に自分を養わなければならない期間が短縮されることのメリットがあるから、案外大きな問題ではないし、むしろ「長生きしすぎることのリスク」がクローズ・アップされることもある。年金というものの最大の意味は想定外の長生きに対する集団的保険である。 筆者の場合、老後に対して今まで備えてきたことがあるとすれば、仕事のやり方を多様化したことだろうか。半ば意図的で、半ば結果論なのだが、筆者は40歳代の前半くらいから、仕事(端的にいって収入源だが)を複数持って、いわば「ジョブの分散投資」をしている。これは、その時々のやむを得ない現実適応の結果でもあったが、定年後の年齢になってからも自分のペースで働くことができる仕事とその場を確保しておきたいと考えたことが大きな理由だった。働き続けることができる場を会社ないし個人で取れる仕事だとすると、時間的余裕と体力を持っているうちに基礎を作る方がいい。そう考えると、定年の年齢が中途半端に高い職場の場合、自分で計画的に手を打っておかないと、後が寂しくなるかも知れない。 万全のリスク分散ができているわけでもないし、たとえば病気にでもなれば働いて稼ぐことが難しくなるのだが、この年齢まで来ると少しメリットを感じ始めている。 ただ、高齢化してからも働けることのメリットは、金銭的な稼ぎもさることながら、精神的な張りを保つことにあるような気がしている。筆者の場合、子供が小さいので、なるべく長く働きたいという個人的な希望もある。 父親の友人など、高齢の先輩達の話を聞いていると、明確な傾向として、高齢まで働いている人の方が老け込んでいない。身体は健康でも、早く定年を迎えて働かなくなった人は、話題として自分の「現役時代」の昔話が多いし、年齢よりも老けていることが多い。 もちろん、高齢になるほど、「これから稼ぐお金」ではなく、「これまでに持っているお金」を中心に生活設計を立てる必要がある。「備え」を求め出すと、ある意味ではきりがない。 しかし、一方で、年を取ると生活の内容も変化する。生活費は若いときほどかからなくなる場合もあるし、経済状態の変化に対して柔軟に対応することが不可能なわけでもない。「最低○○○○万円ためなければ老後は不安だ!」というような観念をあまり強く持たない方が幸せなのではないかと思うが、どうだろうか。 お金の運用は、体力の制約を比較的受けないので、高齢化してからもできるだけ有効に行いたい。諸々の経済的な与件を考えると、年を取ったからといって急に運用のリスクを落とすべき理由はないし、高齢者にとって効率的な運用と、若い人にとって効率的な運用に差があるわけではない。ある程度の資金的な余裕があって、運用対象がいつでも数日以内くらいで換金できるものなら、高齢者も若者もリスクを取る部分の運用内容は基本的に共通で構わない。 それがどのような運用なのかは、そのうちに、続きを書くことにしよう。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第68号 2010年2月12日発行より) ==========================================================
2010.02.12
米国FRBのバーナンキ議長の住宅ローンがちょっとした話題になっている。議長は、米国の「TIME」誌で2009年のパーソン・オブ・ザ・イヤーに選ばれたが、同誌のインタビューで、これまで変動金利型だった自分の住宅ローンを固定金利型に借り換えたと明かした。借り換えを行ったのは2、3カ月前で、5%を少しこえる金利の30年固定型のローンを契約したのだという。 FRB議長は金利に対する影響力が世界で一番大きな人物だから、彼が固定金利のローンを組むということは、将来金利が上昇する公算が大きいということか、などの憶測を呼び、一部で話題になっている。バーナンキ議長自身が将来金利を上げるのではないかという推測を言う人もいるようだ。インタビュアーも、これがインタビューの中で最も重要な情報になると言っていたが、議長の立場を考えると、随分大胆な発言ではあった。オバマ大統領にも再任されたし、パーソン・オブ・ザ・イヤーに選ばれるし、よほど上機嫌だったのだろう。 米国の短期金利はほぼゼロだから、ここから先の金利政策は金利の引き上げしか選択肢がない。つまり、バーナンキ議長は、将来FRBが政策金利を動かした時には、必ず「自分の住宅ローンを固定金利にしておいてから利上げしたFRB議長」と呼ばれることになる。住宅ローンは、たぶん彼の国でもインサイダー取引の範疇に入らないのだろうが、物事の性質を考えると、議長の在任中に大きな利害の絡む金融取引を行ったのは少々軽率だったかも知れない。 30年のローン期間を考えると、一般論として、変動金利のままだと将来大きく金利が上がって返済が苦しくなる可能性は考えておく方がいいのも事実だ。 米国の銀行は現在「しばらくは上げない」とほぼ確約された短期金利で資金調達してこの資金を運用し、高収益をあげている。彼らが公的資金の返済を急ぐのは、このある意味では簡単な環境で稼げるトレーディング益に対する多額のボーナスを早く貰いたいからだ。 しかし、短期資金での資金調達に頼って将来の金利上昇局面で破綻するのは、銀行の破綻としては典型的な形であり、銀行の監督者であるFRBとしては、こうしたリスクテイクに行き過ぎがないか将来はチェックしなければならない立場に立つ。この際に、FRB議長が自分の住宅ローンは変動金利だというのはいささか間抜けな話ではある。もっとも、バーナンキ氏がこれが理由で固定金利に借り換えたということではないだろう。 ところで、バーナンキ議長は1953年生まれだから満56歳だ。見かけよりは若いが(失礼!)この年齢で、30年の住宅ローンとはいかがなものなのか。 彼はこれまで学究の徒であったので、金融機関出身のポールソン前財務長官のような大金持ちではないはずだ。サマーズNEC(国家経済会議)委員長のように、研究者時代にもヘッジファンドから多額の顧問料をせしめるような商才があったようにも見受けない。また、グリーンスパン氏が議長だった頃から大きく変わっていないとすると、FRB議長の年収は、日本円で1千万円台の後半くらいのはずであり、そう高給取りではない。日銀総裁の半分くらいだろうし、日本の中央官庁の局長クラスの方が年収は多いだろう。 バーナンキ議長の個人的な経済生活は、庶民の生活の延長に案外近いのかも知れない。 もっとも、前任者だったグリーンスパン氏は退任後に回顧録の印税と高額な講演で短期間に大金を稼いだ。バーナンキ氏もFRB議長を辞めたら、程なく住宅ローンを全額期前返済できるようになるのかも知れない。 ========================================================== 楽天証券経済研究所 客員研究員 山崎元 (楽天マネーニュース[株・投資]第67号 2010年1月22日発行より) ==========================================================
2010.01.22
政府によるデフレ宣言を待つまでもなく、国民の大半がすっかり「デフレ慣れ」してきたように見える。趨勢的に賃金はデフレ以上のスピードで下落しているし、困った、大変だというニュースには事欠かない。初売りでも、連休の旅行でも、ニュースは「人々の財布の紐は堅い」と締めくくられるのが定番だ。また、労働組合の多くが、今年の春闘ではベース・アップ要求を見送り、定期昇給の維持を交渉目標にするようだ。確かに、これでは力が入りにくい。 心理として定着した「デフレ慣れ」を払拭するには、相当のインパクトのある政策が必要だろう。デフレ対策のハードルは随分高いものになってしまった。 さて、世間がデフレなら、人々の関心は、デフレ経済の中でいかに幸せに暮らすかに向かう。書店に立ち寄ると、節約術を中心とした、生活と金銭管理のノウハウ本が数多く出ている。また、雑誌の記事やテレビ番組でも、「得をする」方法が頻繁に取り上げられる。これらのすべてが、とまでは言わないが、多くのものが、たとえばスーパーマーケットで食品を買うには月の何日・何曜日がいいか、安売りの目玉商品とそうでない商品をどう見分けるか、計画的なまとめ買いで月にいくら節約できるかといったよくいえば身近な方法論が語られている。 また、家計のどこを切りつめたらいいのか、という昔からある家計相談の類も相変わらず人気を博しているようだ。そもそも家計簿を緻密につけていないとこうした相談ができないが、金銭管理をしっかり行うことが奨励されていて、ビジネスマン男性向けの家計簿本が出版されたりもしている。 さて、節約がゲームのように楽しいという向きにまであえてケチをつける気はないのだが、細かな金銭管理と、少しでも安い物を買おうという節約術をずっと考えていて生活が楽しいのだろうかという点が少々心配になる。お金の出入りを細かく管理し、お金の使い方の計画を立てて、これが実行できれば、論理的には望ましい状態に近づくのだろうが、お金に生活を管理されているような息苦しさを覚えないだろうか。 お金の出入りを細かく把握することが重要な場合も時にはあるが、あえて言わせてもらうと、お金のことを気にせずに済ませて辻褄が合うような金銭感覚を持っていると理想的ではないだろうか。現在及び将来のお金の出入りを予想し、これに無意識的に適合して、その時々の支出を調整するのだ。 経済学の世界には「恒常所得仮説」と呼ばれる有名な理論があって、これによると、人々は将来の所得を適切に平準化した「恒常所得」に従って消費を調節するということになっている。かつてミルトン・フリードマンが唱えた説だが、実証的にもそれなりの支持を得てきた。これは、人々が半ば無意識のうちに無理なく自分の支出を調節できるのでなければ、達成できない状態だ。つまり、自分の収入と支出のバランスを保つ感覚が、多くの人に自然に備わっていなければならないし、現実にそれは備わっている。 あえてコツを述べるなら、「大きな支出から順に考える」ことと「計算が難しい状況では、間違えるとしてもなるべく無難な方に間違える」ということを意識しておくといいと思うが、生活のお金については、細かな記録と計算を常時行うよりも、自らのバランス感覚を磨いて、これに委ねるのがいいのではないだろうか。 ただし、金融関係の取引だけは、動くお金の単位が大きいし、自分が損をすると取引の相手方が儲かる性質が明確なので、損に鈍感だとこれを繰り返し利用されて、損が拡大しかねない。マーケットや金融業者を甘く見てはいけない。特に、貯蓄や投資は「お金を使って、お金を稼ぐ」ことを目指す行為なのだから、シビアに計算する方がいい。 金融的な損得には厳しいが、生活まわりのお金は無意識的に扱って辻褄が合う。そんな感じの金銭感覚が理想的だと思うのだが、どうだろうか。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第66号 2010年1月8日発行より) ==========================================================
2010.01.08
政権交代の前後から「成長戦略」という言葉を時々聞くようになった。「○○党の経済戦略には成長戦略が欠けている」というような使い方で登場することが多いが、具体的に何を指して成長戦略というのかは、はっきりしないことが多い。どの政党が政権を取っているとしても、文字通り経済を成長させる戦略があるなら望ましいことなので、何が成長戦略なのか分からないのでは残念だ。 生産の水準や5%を超える失業率からみて現在の日本が不況の最中にあることは間違いない。不況の場合には、財政支出や金融緩和で需要を喚起しようとすることが多いが、これは成長戦略なのか。こうした景気対策は、直接的にはGDPの成長率を引き上げることが目的だから成長戦略と呼んでも良さそうなものだが、一般的な用語法としては、こうした短期的な景気対策を成長戦略と呼ぶことはない。 同様に雇用対策も、経済の効率がめざましく向上するような雇用制度でも導入すれば別だろうが、成長戦略と呼ぶことは一般的でない。 いくらか理屈っぽい話になるが、長期的な経済成長率は労働人口の増加率と広義の技術進歩で説明されることが多い。いわゆる供給側の要因だが、労働人口の増加率が人口構成からおおむね決まっていて動かせないとすると、新しい科学技術や新しいビジネスのやり方が生まれるように働きかけることが成長戦略だということになる。 ここでどうしてもイメージされがちなのが、「傾斜生産方式」などと呼ばれた日本の高度成長の頃の政策的な重化学工業振興のような、政府主導の産業政策だ。新しくて将来有望なビジネスを政府が見つけて、これに対する研究開発を支援したり、金融的な支援を行ったりするような政策はないのか、といったイメージだ。 もちろん、政府の誰かが有望なビジネスのアイデアを見つけて民間をリードするということが絶対にあり得ないという訳ではないのだが、「儲かるビジネス」を政府に見つけてもらおうというのは、あまり現実的ではないような感じがする。携帯電話の規格や放送のハイビジョンなど、公的な関与があったビジネスは、上手く行っていないものが多いように見えるし、かつてのように日本よりも進んだ先進国の産業を後から追いかけるような分かりやすい答えは現在の日本にはない。 日本の成長分野としてあげられることが多いのは、たとえば、医療、介護、教育などのサービス業だ。こうした分野のビジネスは政府による規制が非常に多いので、規制を緩和することが成長戦略になるという議論もある。確かに、介護の報酬が低くて人が集まりにくいといった現状には、介護分野が大きな公的な関与の下で営まれていて、多くの規制が存在することの欠点が出ているように思える。規制を緩和することは、少し長い目(数年単位くらいで十分だが)で見ると一定の成長促進効果があるように思う。 「成長戦略」という言葉は耳障りのいい言葉なので、これからも聞こえてくることになるだろうが、結局、政府がリードして儲かるビジネス分野を作ってくれるといった期待は持っても仕方がないもののように思える。規制の緩和は必要だろうし、教育も含めて技術に対する公的な投資も必要だろうが、チャンスは個々の企業や個人が見つけるべきものだ。 考えてみると、日本の人口は縮小するとしても、外国に目を転じると拡大しそうな市場は幾らでもある。政府をあてにしないで、チャンスを自分で見つけようとする企業が将来成長するのだろうし、投資家もそうした企業に投資することで成長に参加できる。もちろん、お金だけでなく、起業や就職・転職などで「人生を投資する」のもありだろう。 ========================================================== 楽天証券経済研究所 客員研究員 山崎元 (楽天マネーニュース[株・投資]第65号 2009年12月25日発行より) ==========================================================
2009.12.25
先々週は急激に進んだ円高が、投資家のみならず、広く世間の注目を集めた。 この円高については、先々週の前半と後半に分けて考えるのがいいと思う。前半は、アメリカの金融緩和政策が長く続くだろうという市場の見方に伴って進んだ「ドル安」だった。円以外の通貨に対しても米ドルは値を下げた。次に、先々週の後半は、ドバイ・ワールドセンターの返済猶予要請を巡って、ドバイに対する融資債権額の大きい欧州の銀行のダメージが懸念されて、ユーロその他の通貨も日本円に対して値を下げた。こうして、「円独歩高」といわれた動きができあがった。 ドバイ・ショックの影響を考えると、ドバイに対する貸出債権という意味で、邦銀はもともと外国の大手銀行に比して営業的に出遅れていた。これが効を奏して日本の銀行システム、ひいては日本円に対して、「相対的にはマシではないか」ということで、消去法的に円が買われた。 この感触は、サブプライム問題の前半と似ている。いわゆるリーマン・ショックが起こったときも、日本の金融システムに対する悪影響は小さいと言われていたし、このこと自体は正しかった。しかし、サブプライム問題では、リーマン・ショック以後の世界的な景気後退が耐久消費財の輸出を得意とする日本に対して金融からではなく、実物の需要減として大きな悪影響を与えた。今回のドバイ・ショックには、まだこれと同じ心配をしなければならないほどの波及効果はなさそうだが、今後、確率は小さいと思うが、新興国一般に信用不安が拡がると、似た状況になりかねないリスクはある。 為替市場では、先々週進んだ円高が、先週円安方向に大きく戻る展開になった。特に、週末、アメリカの雇用統計が予想されたほど悪くなかったことで、大きく円安に戻った。 当面、たぶん向こう1年を見渡したときに、各種の相場の動きにもっとも影響する要因はアメリカの金融政策であり、これに最も大きく影響するアメリカの雇用情勢だ。 雇用情勢が悪い間は、FRB(連邦準備制度理事会)が金融緩和を止めることはできないだろう。アメリカの金融緩和は、現在、アメリカ国内だけではなく、新興国の株式市場や不動産市場(香港、シンガポールの不動産価格は上昇している)、金をはじめとする商品市況などに「ミニ・バブル」的な影響を及ぼしている。金融緩和が終わる時は、景気の改善がはっきりするときだから、その時直ちに株価が下落するという形にはならない公算が大きいが、政策金利が上がり始めてしばらくすると、株価が下落する局面が近づくはずだ。 もちろん、景気が大幅に悪化し続けると日本の経済にも株価にも悪影響が出るのだが、そうでない場合は、アメリカの失業率が高い状態の方が、FRBの金融緩和政策が長く続くはずだから株を買いやすいという、やや皮肉な状況がつづくことになる。 ただし、FRBの金融緩和が長く続くだろうという予想は、米ドルの為替レートに対して弱気材料なので、今後も円高に対する警戒は必要だ。 もっとも、景気の回復期は心配材料が常にあるものだ。海外景気や円高や、不安要因がありながらも、景気や企業の業績は、徐々に回復していく展開を辿る公算が大きいと筆者は考えている。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第64号 2009年12月11日発行より) ==========================================================
2009.12.11
動画投稿サイトで有名なユーチューブに自動的に字幕をつける技術が開発されたという ニュースを見た(日経ネット:http://it.nikkei.co.jp/internet/news /index.aspx?n=AS2M2101V%2021112009)。ネット電話サービス向けの音声認識装置のために開発された技術がもとになって いるようだが、音声を文字化して字幕として流すようなものが想像できる。今のところテスト段階で、精度はそれほど高くないようだが、将来的にはユーチュー ブの全ての動画に字幕がつく可能性があるという。 ユーチューブの夥しい数の動画に自動的に字幕をつけられるということは、その字幕の文字が検索対象になるということだ。そうなると、ユーチューブ を保有するグーグル社が得意とする検索語を対象とした広告がユーチューブの動画に対して半ば自動的に可能になる。これは、字幕化が厳密でなくても、相当程 度実用になるだろう。 英語で「フリー」、すなわち無料をベースとしたビジネスについて面白く書かれたクリス・アンダーソンの新著「フリー」(高橋則明訳、NHK出版社)の中で、ユーチューブは非常に有名であるにもかかわらず、まだ十分に収益化していない、いささか不名誉なビジネスの例として出てくるが、一転して収益を生む金の卵になるかも知れない。 ただし、それを期待してグーグルの株式を買うには、まだ話が遠すぎるし、グーグルは巨大に過ぎる。少なくとも筆者の好みの投資ではない。 しかし、動画の音声が文字データ化されて、これにローコストで広告がつくようになるだろうという方向性には大いに興味が持てる。 これまで文章で情報を発信できる人や会社は、メールやウェブサイト、ブログなどを使って自分自身が持つコンテンツを直接発信し、何らかの形でこれ を収益化する場合があった。これらに加えて、動画による情報発信も検索が容易になることから、広告の対象になり、収益化できる道が拡大するのではないだろ うか。ジャーナリストや映像作家に加えて、芸能関係者、音楽家、アーティストなど広い範囲のコンテンツ・クリエーターが、インターネットをコンテンツの マーケティング窓口としてより強力に利用できるようになるだろうし、それと同時に収益化の手段としてもより大きく期待できるようになるのではなかろうか。 この場合、コンテンツのクリエーターとユーザーが直接結びつけられて経済圏を作ることになるから、テレビやラジオ、新聞といった既存のメディアの相対的な価値は益々低落する事になるかも知れない。特に、既存メディアの広告上の価値は低下しそうだ。 現在、ユーチューブとテレビや映画などの既存の映像メディアには画像・音声のクオリティに大きな差があるが、ユーチューブ、あるいはユーチューブ的な動画配信サービスは画質も音質も配信スピードもそして検索を通じたアクセスの上でも、今後クオリティを高めて行くだろう。 ここ2年前くらいから、プロの動画の世界に、一般のデジタル一眼レフカメラの動画撮影機能が使われるようになっていて、その画質の高さが注目を浴びている (CMや旅行番組の制作などで使われている)。たとえば、キヤノンのEOS5D-Mark IIの動画は、画質面ではある部分でこれまでのテレビ撮影用のカメラの上を行っているが、このカメラを使うと撮影機材もコストもこれまでの機材を使うより もずっと安く済むようになった。 かつて(20年くらい前)、自動焦点合わせと自動露出のカメラが出回ったときに、あるカメラメーカーが「カメラマンに残されたものは哲学しかない」という印象的なキャッチコピーのテレビコマーシャルを流したが、これを思い出した。 「何かを発信したい」と思い、その実力がある個人にとっては、大いに楽しみな時代になった。もちろん、ビジネスも投資もこうした時代に寄り添いながら栄えていくはずだ。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第63号 2009年11月27日発行より) ==========================================================
2009.11.27
日本航空(以下「JAL」)の再建問題が連日報道されている。この中で、公的な支援を行う前提として、特にJALのOB(退職者)の企業年金の給付減額の可否が注目されている。現時点で正式決定ではないが、政府は特別立法でこの強制削減を可能にすることを選択肢の一つとして検討中だと報じられている。 本稿では、年金減額の是非や現在の政府の対応の良し悪しを論じるのではなく、JALの年金問題を題材に、個人がお金について認識しておくべき教訓を探る。 企業年金は多くの場合、退職時に将来もらえる金額が確定する(これを年金額の「裁定」と呼ぶ)。年金は老後の生活設計の基本になるものなので、いったん裁定された年金給付額を後から減額するための条件は非常に厳しいものになっている。基本的にはOB全体の3分の2以上の賛成がなければ減額できない。JALのケースで問題になっているのもその点で、現時点では、年金引き下げに必要な減額への賛成は得られそうにない情勢だと報じられている。 退職者の年金積立金は、これを貯金として眺めると「給付利率」と呼ばれる利率で運用される(正確には預金というよりも保険だ)。JALの場合、給付利率は4.5%だ。会社によって制度が異なるが、年金積立金の一部ないし全部を、退職時に退職一時金として受け取るか、年金として将来にわたって受け取るかを選択できる場合が多い。近年の金融情勢なら、4.5%の運用利回りは魅力的なので年金払いを選択する人が多いだろう。 しかし、年金を支払う側から見ると、将来の給付支払いのために積立金を運用する利回りとして、現在の金利情勢で4.5%はいかにも苦しい。現在の金利情勢を前提として将来の年金給付を支払うためにはざっと7千億円程度積立金がなければならない計算なのだが、現実の積立金は4千億円程度しかなく、3千億円の積み立て不足がある、というのがJALの年金の大まかな現状なのだ。そこで、OBの年金積立金に適用する給付利率を引き下げる形でOBへの年金支給額を再計算して減額しようというのが、現在の政府の再建計画で検討中の内容だ。ただ、そもそも年金は給料の後払い的な性格を持っているし、しかも高齢ですでに裁定を受けたOBの年金額を事後的に引き下げると、彼らの老後の生活への影響が大きい。OB年金額の事後的な引き下げには、財産権上問題あるがのではないかとの意見も少なくない。 このケースから、個人が学ぶべき教訓の第一は、長期間にわたる金利のリスクの大きさだ。給付利率、あるいは年金の積立金の利回りとして想定される「予定利率」は、かつて5.5%や4.5%といった当時の金利水準によって決められた場合が多いのだが、それから年月が経った今、この利回りで資産を運用することは容易でない。これは、そもそも、昔の年金の制度設計が金利変動の可能性を十分想定していなかったことに大きな問題があった(これで良しと考えた企業も、こうした制度を認可した監督官庁も、両方迂闊だった)。個人の場合も、将来の運用利回りを高く見積もりすぎた場合に、将来金利が下がって予定が狂う場合があるし、住宅ローンなどを変動金利で借りていて、将来金利が上昇して返済が苦しくなる可能性もある。金利のリスクは甘く見ない方がいい。 投資家として、現実的に重要な教訓は、企業年金の負担に苦しんでいる企業がJALだけではないということだ。JALよりも大きな金額の積み立て不足を企業年金に抱えている企業が何社もある。OBの年金を事後的に削減できるなら楽だと思いつつ、JALのケースに注目している企業は少なくないはずだ。 たとえば、総合電気メーカーなどは年金が手厚く従業員数が多いので、数千億円単位の積み立て不足を抱えていて、これが収益を圧迫しているケースが複数ある。株式を買っているということは、投資対象企業の企業年金の損得のリスクにも投資しているということだから、将来の給付が確定した大きな企業年金を持っている会社の株を買うと、企業年金のリスクがまるで投資信託のセット販売のようについてくる。株式の投資家は、自分が投資している企業の企業年金の状態をよく把握しておくべきだ。 最後に、JALを巡る今後の推移にも影響されるが、サラリーマンは自分の会社の年金がどのような状態になっているのかに注意しておきたい。個々の企業年金の財政状態、あるいは企業の業績によっては、あてにしていた企業年金が将来減額される可能性がゼロではない。嬉しいことではないが「年金にもリスクがある」という認識が必要だ。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第62号 2009年11月13日発行より) ==========================================================
2009.11.13
金融危機の発生に伴う世界の景気後退で、先進国中最も大きな影響を受けたのは輸出が急減した日本だった。前回の景気後退は、日本が固有の要因(バブルの後始末とデフレ)でスランプに陥っていたので、円安に誘導して輸出主導の景気回復を追求することが許されたが、今回は濃淡はあっても世界同時の景気後退なので、各国とも内需が拡大する成長復帰が求められている。 その後に誕生した新政権の方針からも、日本は以前よりもさらに内需拡大主導型の経済運営を目指すことになるのだろうが、問題はなかなか内需拡大型の成長のイメージが湧かないことだ。 製造業は最終的に商品が物なので、輸出入によって生産地以外の場所でも消費できる。日本の輸出品が海外市場で競争に晒されるのと同時に、日本国内で消費される製品が輸入品と競争することを通じて、日本の製造業の製品は海外の製品と競争し、この競争を通じて、日本の労働者は外国の労働者との競争に晒されることになる。従って、円高は、日本の労働力の国際価格上昇を意味するので、雇用の点では輸出産業関連だけでなく、日本全体にとってマイナスになる。しかし、前述の通り、意図的な円安誘導は難しい情勢にある。 日本の「ものづくり」の多くが相対的に高度な技術に支えられた貴重な産業だが、技術やデザインなどのレベルが外国と似てくると、相対的に高い日本の労賃が競争上不利に働くことになる。技術の伝播するスピードがかつてとは比べものにならないくらい速いので、「ものづくり」にこだわると、日本の経済は伸びてゆくことが難しいだろう。 内需としてこれから伸びる可能性のある産業は何だろうか。 雇用が問題になるときによく話題に出るのは、介護だ。確かに、介護は成長産業だろうと思われる。現在、親などの介護の主力になっているのは、人口の多いいわゆる「団塊世代」を中心とする年代の人々で、まだ家庭内に介護の担い手がいる。しかし、今後は徐々に人口の少ない年代が介護をする側に回っていくので、「介護は家庭内」でというこれまでの政府の方針は遠からず修正せざるを得ないだろう(施設介護がもっと拡がるはずだ)。プロによる専門的な介護サービスは成長の余地が大きい。プロによる介護を利用することで、働くにせよ、余暇を楽しむにせよ、これまで介護に手を取られていた人の活動の自由度が拡がることの効果は大きいはずだ。 介護と共に医療関係もマクロ的には成長産業だろう。OECD諸国と比較すると、日本のGDPに占める医療費支出は相対的に小さい。これは、今までの健康保険制度などを含む医療制度が割合上手く行っていたことの結果と思われるが、今後は人口の高齢化もあり、医療費支出が増えていく傾向になるだろう。 製造業ではない内需産業ということになると、旅行やエンターテイメントを含むレジャー産業も有望なはずだ。内外の製造業の効率が上がって生活に必要な製品のコストが下がると、レジャーに振り向ける支出が拡大可能になる。日本は、独自の文化を持っているし、国内の安全・交通などの面でも優れているので、観光産業は国内旅行者のみならず、外国人旅行者に対しても有望な産業のはずだ。芸能、スポーツといったエンターテインメントにも成長の可能性があるはずだ。 サービス業の場合、その場所でなければ供給できないサービスが多いので、外国との競合が直接的なものにはなりにくい。海外製品も含めた製造業の生産性の改善は、消費者にとって、サービス業に使える予算の増額を意味する。 介護や医療は規制の緩和によるビジネスチャンス創出環境の改善が必要だし、旅行のようなものについては現在話題になっているような航空政策のような政策面での環境整備が要る。また、日本の内需産業全般に言えることだが、日本は人口が減っていくので、日本国内だけに需要が限定される商品やサービスの場合、成長性を確保することが難しい。たとえば、観光の場合でも、日本人観光客だけでなく、中国をはじめとした外国の観光客に対してマーケットを拡げる工夫が必要だろう。 金融はどうだろうか。現在、世界的に米国の金融業が強いので、日本の金融業が競争に勝つイメージが湧きにくいかも知れないが、国内に潤沢な資金を抱えており、サービスがきめ細かな国民性を考えると、言語のハンディキャップを克服できれば、日本の金融業は十分成長産業になりうる資格があるのではないだろうか。もっとも、金融の業務はグローバル化しており、これは純然たる内需産業ではない。 高度成長期の工業への集中のように政策的に特定の産業を育成するイメージはもう通用しないだろう。経済環境を整えながら、主に国内を相手にするサービス産業の成長を待つのが「内需主導型成長」のイメージだ。焦点が絞れないのでインパクトが乏しいが、不可能ではない。急成長は無理だろうが、悲観する必要もないだろう。経済は逞しいので、将来に向けて成長する産業・企業がきっと登場するはずだ。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第61号 2009年10月23日発行より) ==========================================================
2009.10.23
8月の消費者物価指数がマイナス対前年比2.4%と大幅な落ち込みになった。前年の同時期に原油高によって物価が上昇していたので、対前年比の物価下落が大きめに出るということもあるのだが、対前月比で4ヵ月連続でマイナス0.2%の下落となっていて、物価が下落傾向にあることは間違いない。現状を「デフレ」と呼んで差し支えないだろう。 街を歩いていても、夏物衣料品の「セール」と銘打った値下げ期間が例年よりも長かった気がするし、値引きも大きかったように思う。特に、全国百貨店売上高はここしばらく10%前後の対前年比マイナスを続けており、マイナス2%台で推移する小売業販売額よりも悪い。金融危機による資産価格の下落は、富裕層の消費に大きくブレーキを掛けた。 平均的な勤労者の状況も良くない。現金給与支払総額の対前年比の数字は6月がマイナス7.0%、7月がマイナス5.6%と、厳しい状況が続いていて、要は、勤労者の場合、物価の下落による実質購買力の改善を収入の下落がさらに上回る状況になっている。生活がじわりと苦しくなっていると感じるはずだし、何せ、現実に収入が減り気味なのだから、将来の不安もあって、財布の紐が堅くなっている。物が売れないのは仕方がない。小売業者は在庫を持つのが怖いから、値引きしてでも売りたいと思うし、従って、物価は下がる。しかし、消費者は物価が下がる傾向にあることを感じているから、買い急がない。 勤労者の所得環境が厳しいのは、労働需給が労働者側にとって不利だからだ。8月の失業率は前月から小幅に改善したが5.5%と依然高く、有効求人倍率の0.42倍は歴史的な最低水準であり、賃金が上がる環境ではない。 売上・業績の好調を伝えられるのはユニクロのファーストリテイリング社を代表とするような品質に対して価格の安い商品を提供する一握りの企業だ。「安くて、得だ」と思えるものなら、買ってもいいと自分を納得させやすいという辺りが現在の典型的な消費者心理だろう。 一部には、ユニクロ的な低価格販売がデフレを悪化させているとする向きもあるが、こうした販売者の低価格は主に相対価格が低いのであって、彼らをデフレの元凶と見る考え方は適切ではない。彼らが安い商品を提供してくれることによって、生活者は他の品目やサービスに充てる支出に余裕が生じるのだから、彼らを恨むのはお門違いだ。デフレの主な原因は物価水準全体にあり、さらにその背後には、経済全体としての需要不足がある。 最近の円高の進行もデフレ的な方向に作用する。輸入物価が下がることに加えて、特に製造業で業績が圧迫されることになる。国民にとって、円高は購買力の向上を意味するので、決して悪いことではないのだが、景気にとってマイナスであることは否めない。輸出企業でなくとも製造業では輸入品と競合することが十分にあるし、ソフトウェア業種などでも海外のライバルと直接競争しなければならない。国際比較した労働者の賃金は円高によって上昇するわけだから、円高は日本の労働者の競争力にとってマイナスに働くのだ。 現在のデフレが解消されるか否かの大きなポイントは二つある。一つは、今後、日銀が追加的な金融緩和策を採るか否か、もう一つは、新しい政権が財政収支をどうするかだ。日銀は、残存期間の長い長期債をもっと購入するなど、金融緩和効果を追加する方法をいくつか持っているが、現状ではそのようには動きそうにない。 一方、民主党政権の今後が財政収支にどのような影響を与えるかは、今一つ不透明だ。子ども手当のような家計に対する継続的な支出は、個人消費の回復に役立つはずだが、仮にその財源が全てこれまでの支出の削減で賄われるなら、需要に対するトータルな効果はややマイナスになる公算が大きい。民主党のいう「支出のムダ」の削減はいいことだが、トータルの財政収支がどうなるのかが、今後の景気とデフレの行方に関して非常に重要だ。 来年度予算の内容に大いに注目したい。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第60号 2009年10月9日発行より) ==========================================================
2009.10.09
米ドル/円の為替レートが90円に近づいてきた(9月14日執筆時点)。今後さらに円高が進む可能性もあり、為替市場に注目が集まってきた。 為替レートは、輸出入が多く、海外旅行も一般的なものになった今日の日本にあって、身近な数値の一つだが、これがどう決まるのかというと、すっきり説明できる人は少ないのではないだろうか。 為替レートの決まり方として有名なのは「購買力平価説」だ。これは、為替レートは二国相互の物価の変動によって決まるとする考え方だ。全く同じ物の価格がA国で上がり、B国で上がらない場合、為替レートが変化しなければ、この物をB国で買ってA国に輸出してA国内で売れば簡単に儲かることになる。これを「物価全体」にあてはめると、インフレ率がより高い国の通貨の為替レートが安くなってつじつまが合う。 購買力平価の考え方は、素朴で理解しやすいが、1年単位くらいの期間で見たときに、これが有効に働いているかというと、まったくピンと来ない。また、物価の変動を為替レートに反映させるとしても、いつの物価と為替レートを始点にして、どんな物価(消費者物価、企業物価、輸出入価格、など)の変動率をこれに反映させるのかによって、計算される為替レートの理論値には相当に大きな幅がある。 購買力平価が有効に働くのは、為替レートが調整されないと、貿易によって国際収支に大きな偏りができてしまうからだ。それなら、国際収支、特に経常収支の動きによって為替レートの動きが説明できるのではないか、という考え方が出てくるのは自然だ。 国際収支、特に経常収支による為替レートの説明は、国際的なお金の動きが小さかった頃に、割合上手く行っていたように見える時期があるが、国を越えた資金の動きが大きなものになって、かつてほど有効ではなくなった。 国際的資金の動きは、預金・融資・債券投資・株式投資・さらにビジネスへの直接的な投資など、様々なものがある。金額的に大きいのは、預金や融資、さらに債券に関連する資金移動なので、金利の影響が大きい。金利の差で為替レートを説明すると、上手く行く場合がある。大まかな方向は「高(低)金利→通貨高(安)」だ。最近の米ドルの下落は、米国の金利、特に長期金利が低く、さらに低金利が長引きそうだという見通しが拡がってきたことの影響が大きい。 しかし、購買力平価や貿易に絡む国際収支の為替レートへの影響がなくなった訳ではなく、これらに加えて、資金自体の動きが為替レートに影響するようになったと考えるのが妥当だ。 たとえば、金利が高くなる時は、好景気で物価が上昇している時が多いから、購買力平価説的には自国通貨高になるべきだし、好景気では輸入が増えるから国際収支も赤字方向に変化しやすい。他方、好景気で株価が好調だと、外国からの株式投資が喚起されやすいという要因もある。つまり、同じ時に、通貨が高くなる要因と安くなる要因が引っ張り合う状況が発生しやすいのだ。ただし、高インフレが問題な場合、インフレ率以上に金利が上昇している場合があり、この場合は、株価はむしろ下がるから、投資資金は国外に逃げる可能性もある。相対的に金利が高いと通貨が高くなるかというと、必ずしもそうはならないのだ。 自分で説明しておいて言うのも気が引けるが、読者が、ここまでの話を頭の中で追うのは大変だったと思う。しかし、為替レートに関しては、ここまでの話は「初歩の初歩」なのだ。さらに改良された為替レート決定理論は「ある」が、率直に言って難しいし、それは毎日の為替レートの動きの予測に役立つようなものではない。為替レートは、予測することは勿論、説明することも簡単ではない。 そこで、為替レートの説明が難しいことの帰結は二つある。一つは、為替市場が、参加者の誰にとっても予測の難しい「フェアなゲームだ」ということだ。もう一つは、為替レートと金利はセットで取引されているのだから、たとえば高金利通貨の預金が平均的に儲かるというような「事前に分かる偏り」は存在しにくいということだ。 FX(外国為替証拠金取引)でも、スワップポイントを目当てに、高金利通貨の買い持ちポジションを「安定的で有利な運用だ」と誤解して、その後の円高で損をした参加者がいるのではないかと心配だ(実は、FXの初心者向けの解説本には、間違いが多い)。 為替市場に「安定的で有利な運用」などあり得ないことだけは知っておこう。 ========================================================== 楽天証券経済研究所 客員研究員 山崎元 (楽天マネーニュース[株・投資]第59号 2009年9月18日発行より) ==========================================================
2009.09.18
「お金とは何か」とあらためて訊かれると、案外、一言では答えにくい。学校の社会の教科書には、交換の手段、価値の尺度、価値の保蔵手段といったお金の機能に関する羅列的な説明があったような記憶があるが、お金そのものの説明としては今一つ心に響かない。 なるべく短く答えるとすると「お金とは、支払い手段として信用されているもののことだ」ということになるだろうか。コインも、紙幣も、銀行預金も、それを使って支払いを済ませることができるので「お金」だ。 現代の取引を考えるとすると、「現代にあって、お金とは、主にコンピューターの中のデータの形を取る」という説明を付け加える必要がある。高額の商品やプロジェクトなどの代金は、特に企業間の取引では、預金から相手の預金口座に送金することによって支払いが行われる。この場合に、動いているのは、「口座の持ち主が持っているとされるデータ」であり、これが相手の口座に移ったとされることで、支払いが完了する。 これが支払いとして認められるのは、預金者が預けた貨幣なり日銀券なり別の銀行にあるデータなりを預金を受け入れた銀行がその人の「お金」だと認めてデータ化し、このデータを、取引の対価を支払う側と受け取る側の双方が「お金」だと認めていることによって成り立っている。「お金」は、お互いにこれを「お金」として認めようという共通の信用から成り立っている。 このお金とされているデータは、国債や外貨準備など自国政府又は外国政府の債務を中央銀行が買い、その対価として紙幣や預金(のデータ)を取引相手に渡し、さらにこのデータを将来やりとりできるという前提で銀行がお金を貸すことによって増える。これを信用創造と呼ぶから、やはり「お金」のベースは信用だ。この増え方をコントロールして経済に影響を与えるのがマクロの金融政策ということになるが、この辺まで来ると、かなり複雑だ。 観点を変えよう。では、お金があると何がいいのか? 一言で言うなら、積極的には、「お金があると、自由が拡大できる」ということだろう。お金を持っている人は、モノ・コト両面で、できることが多い。また、やや消極的な言い方だが「お金で避けられる不幸は多い」ことも現実だ。空腹も、病気も、退屈も、お金があるとかなりの程度解決できる。実感としては、後者を重要に感じる方が多いかも知れない。 「お金で幸せになれるか?」というのもよくある問いだが、幸せを常識的な範囲で定義する限り、明らかにお金だけでは幸せになれない。たとえば、人は、何らかの意思を十分に実現するために健康な精神と肉体が必要な場合が多い。また、人は、他人に認められたい生き物だから、友人ないしこれに近い他人がいなければ、幸せを感ずることができない。 人それぞれだから、決めつけてはいけないのかも知れないが、健康が損なわれていて、家族も友人もいない人が、亡くなる寸前に生涯最高額の使い切れないほどのお金を持っている、という状態が幸せだとは思えない。でも、同じその人が、お金を持っていなかったら、もっと不幸せかも知れないと思われるところに、お金の厄介さがある。 多くの場合、お金は、無いよりもある方が好都合だ。「お金は、いくらあっても邪魔にならない」と言われることが多いのだが、そうとばかりも決めつけられない。お金がたくさんあると、これを失うことが心配になる。そのうちに、利回りが気になるようになり、時価が気になるようになる。あるいは、十分なお金をもらっていても、同僚がもっともらっていると気分が悪いというような状態もあり得る。もらうお金にせよ、貯めたお金にせよ、「お金が気になる」という状態は幸せではない。 お金は、今の時点で皆がそれを『お金』だと認めたものに過ぎない頼りないものだ。ドルだって、円だって、将来お金の役割を果たさなくなる可能性が十分あり得る。しょせん人間の信頼が作り上げた虚像に絶対などない。お金だけに頼り切るのは、心許ないし、寂しい。 お金で悩むことのない、お金のことが気にならない人生が理想的に思える。ただ、そのためには、お金で「不自由や」や「心配」をしないために、お金を上手に扱うことが必要になる。お金を気にしないで暮らすために、お金について正しく知らなければならない、というのだから、世の中は皮肉にできている。 ==========================================================楽天証券経済研究所客員研究員 山崎元(楽天マネーニュース[株・投資]第58号 2009年9月11日発行より)==========================================================
2009.09.11
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