・日出学園高等学校に進学するも周囲の雰囲気に馴染めず、高校1年生の秋に学校を中退。露天商や喫茶バー等のバイトをしながら音楽活動に専念する(のちに上京)。初期の代表曲『ガラスのブルース』はこのころ作曲された。東京では四畳半の部屋で極貧生活も経験しており、ストリートで演奏したりしていた。ちなみに、BUMP OF CHICKENのいくつかの楽曲の中に「四畳半」というフレーズが登場する。『ガラスのブルース』と『FLAME VEIN』の間の期間、ミュージカル用の楽曲を書き下ろす経験をしている(題は『はしるおんな』で、他のメンバーも出演した)。