









当代島地区は、この川沿いに集落が形成され、発展してきました。
かつては、この川から農業用の水路(堰)がひかれ、田んぼへ水を運んでいました。また、漁業用の船が多く係留され、採ってきた魚介類を荷揚げする光景がよく見られました。漁へ行くときは、ここから旧江戸川に出て、海へと下っていきました。「船圦」という呼び方は、ここからきたものを思われます。
川の水は、飲料水や洗い物などの生活用水として、日常的に利用され、地域の人々の生活を支える大切な役割を果たしていました。
しかし、漁業権の放棄や宅地化によって、川であることの必要性が次第に薄れて、昭和48年(1973)には、川の埋め立て工事が始められました。そして昭和52年(1977)、緑化推進事業の一環として、道路中央部に木々が植えられた緑の道路が完成しました。
この道路は、市民の公募により「船圦緑道」と名づけられ、いこいの散策道として親しまれています。
平成17年1月 浦安市教育委員会
思い出の佐賀へ(その8) 七つ釜と鏡山、そ… Nov 16, 2025 コメント(24)
思い出の佐賀へ(その7) 呼子大橋とイカの… Nov 15, 2025 コメント(28)
思い出の佐賀へ(その6) 呼子朝市と呼子港 Nov 14, 2025 コメント(20)
PR
Calendar
Keyword Search
New!
super☆makoさん
New!
ヴェルデ0205さん
New!
コーデ0117さん
New!
まちおこしおーさん
New!
あけやん2515さん
New!
歩世亜さん
New!
ヤスフロンティアさんComments
Category
Freepage List