MoMo太郎日記

MoMo太郎日記

Mar 9, 2022
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カテゴリ: 旅の重さ
堤防沿いの道を上流に向かって歩いて行きました。

そして、堤防から下って「 当代島 」(→→→​ こちら ​)と呼ばれる地区に来ました。

児童公園の片隅に地蔵堂がありました。 慈悲地蔵尊 というそうです。
江戸川沿いのこの土地には、度重なる洪水で亡くなられた人たちの余多の霊がこの土地に漂着したであろうし、また災難や事故で亡くなられた地域の人も多く、これらの人々の霊魂の成仏を願うとともに、これからの地域の住民の家内安全幸福な生活が営まれることを祈念して、町内会でこの慈悲地蔵尊を建立したそうです。

更に北に向かうと、船圦緑道(→→→ こちら )に出ます。この道沿いを歩きます。



その船圦川のことを残すかのように人工の水路が流れていますが、元々あった船圦川も、江戸時代のはじめごろに狩野浄天・田中十兵衛(当代島地区を開墾した人物)により人工的に開削されたものであるともいわれています。

また絶命危惧種の二ホンウナギもいる川のようですが、こんなところだと近所に住む「大沢木 小鉄」(漫画「浦安鉄筋家族」の登場人物→→→ こちら )のような良い子のみなさんに採り尽くされてしまうのでは。

安心して下さい。
石でてきた作り物でした。

こちらは石の上に小さな魚が、ハゼでしょうか。

こちらも作り物でした。本物を釣りたければ、やはり旧江戸川に行くしかないでしょうね。

船圦川跡という説明板が設置されていました。



当代島地区は、この川沿いに集落が形成され、発展してきました。
かつては、この川から農業用の水路(堰)がひかれ、田んぼへ水を運んでいました。また、漁業用の船が多く係留され、採ってきた魚介類を荷揚げする光景がよく見られました。漁へ行くときは、ここから旧江戸川に出て、海へと下っていきました。「船圦」という呼び方は、ここからきたものを思われます。
川の水は、飲料水や洗い物などの生活用水として、日常的に利用され、地域の人々の生活を支える大切な役割を果たしていました。
しかし、漁業権の放棄や宅地化によって、川であることの必要性が次第に薄れて、昭和48年(1973)には、川の埋め立て工事が始められました。そして昭和52年(1977)、緑化推進事業の一環として、道路中央部に木々が植えられた緑の道路が完成しました。
この道路は、市民の公募により「船圦緑道」と名づけられ、いこいの散策道として親しまれています。
                平成17年1月 浦安市教育委員会


(浦安散歩のコースです)

【つづく】


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浦安物語(その8) 当代島の船圦緑道





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Last updated  Mar 9, 2022 12:10:08 AM
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