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だらだらと、不妊に加え不育症についての治療の事を書いてきましたが、
流れとしてはこれが最後だと思います。
他にもまだいろいろ残しておきたい記録はあるので、また不育症についても書くと思いますが、
とりあえず【1】~【4】が、ブログをお休みしている間の1年の出来事です
前回の続きですが、あれから夫婦で考えた結果
気持ちを新たに刺激メインのところから、低刺激のところに転院してみようと決めました。
愛知の不妊治療助成は、4月からの年度単位申請なので(年に2回まで・各15万を上限)
4月から転院するとして、それまで間が空くので
4か月、好きなことを目いっぱいして体を整えるか、
まだお迎えにいってない子をお腹に戻すか・・・
この子は6月のときに3つ採卵した時の1番成長のいい9分割の子でした。
転院して、もし自分に低刺激が合わなかったらまた元のクリニックに戻ってくるかもしれない。
そうなったときにまた採卵から始めるより、凍結してある子をお迎えできる。
普通なら、成長のいい受精卵があるならすぐに戻すかもしれませんが
いつまでも悩んでいたのは、自分の中でまだ一人待っていてくれるという、
どこか保険のような気持ちがあって、その子がいるのといないのでは
転院する勇気もなかなか出なくて
何もないところからの1からのスタートと、
だめならまた戻ってこようという安心感みたいなものがグルグルしていたのです
でもきっと、その子は早く迎えに来てほしかったんだろうな。
チョチョが、 「転院は先にこの子を迎えに行ってからでもいいんじゃない?」 と言ってくれました。
そうだね、待ってるよね。一瞬でもズルイ考えをした自分を反省しました
移植する前に、不育症のクリニックに相談したところ、ピシバニールは12月に打っているので1番よく効くピークが2か月後。
今が1番効いているころだと思うのでそのまま移植してくださいと。
2月中旬、8か月も待たせてしまった9分割の子をお迎えに行きました
移植当日、培養士さんからの説明では、融解してもグレードは変わらず、きれいなままとのこと。
融解が刺激になって、変性したりグレードが落ちることは知っていたのでドキドキしていましたがよかった
ただ、受精卵を包んでいる透明帯が少し凍結により厚くなっているので
うまく外に出られないかもしれないから補助(アシスティッド・ハッチ)をしましょうと。
6回目の移植でしたが、これをしましょうと言われたのは初めてでした
お任せして、無事にお腹に迎えました。
同時に不育症の方も治療開始
バイアスピリンを移植日から飲み始め、判定までの14日間はゆったりと過ごしました。
そして判定日
妊娠反応が出て、医師から
「おめでとう。妊娠してるよ。いろいろあったけど、よく頑張ったね。まだまだ不安は尽きないけど、でもよかったね!あなたの場合は周りのサポートがとても素晴らしいから、無理だけはしないでこのままいくといいね。来週、胎嚢確認しましょう。」
と言っていただけました
その時にすでにお腹が痛かったので相談すると、
前回の事もあるしできれば仕事を休んでゆっくりしたらどうかと言われ
職場に電話すると、院長は快くお休みの許可をくださったので1週間仕事を休むことにしました。
そしてお腹があんまり痛くなったら飲むように、とダクチルを処方されました。
車で待っていたチョチョに報告すると、 「えっ。うそ!ほんとに?よかった。」
冷静・・・(笑)
チョチョは2回悲しいお別れをした時のことをしっかりと受け止め、
まだ最初の段階ではあんまり喜びすぎないように。といつも冷静でした。
そして妊娠できたらすぐに電話くださいと不育症のクリニックで言われていたので
早速その日のうちに行くと、院長はとっても喜んでくれて、
「絶対大丈夫!治療もできるし、今度は絶対に大丈夫!信じていきましょう。」
その笑顔が、とても心強かったです。
妊娠したら赤ちゃんが成長していくために細い血管から栄養をもらうので
とにかく血液を固まらせないように・・・と、
バイアスピリンに加えてカプロシンという自己注射が1日2回開始となりました。
あとは、ピシバニールをまた打ってもらい、帰宅しました。
藁にも縋る思いで治療の効果を信じ、赤ちゃんの生命力を信じ、
ずーーっとお腹に 「ガンバレガンバレ」 と話しかけていました。
バイアスピリンは安定期の5カ月まで。
カプロシンは10週まで。
妊娠判明の4週から1日2本ずつ10週までだから
82本も毎日おなかに自己注射していたのでお腹はシコリや内出血で痛い・・・。
でも、お腹の子のため…と思うとむしろ注射を打つその時間が楽しみでした
赤ちゃんは無事に成長し、9週目に入った頃、不妊症のクリニックは卒業。
それと同時に、分娩する病院を決めなくてはいけないため不育症のクリニックも卒業。
わたしにとって、卒業までのこの期間が本当に長く、不安な日々でした。
でも、 「なんで自分ばっかり」 という気持ちにはなったことがありません。
それよりも、ひとつひとつ原因が分かっていくたびに治療ができることへの安心感の方が強かった。
原因が分からないことの方が怖い。
治療ができないことの方がつらい。
自分にはまだチャンスがあって、挑戦する機会がある。
ダメなところがあれば改善すればいいし、とにかくできることがあれば努力する。
そういう気持ちでこの2年間がむしゃらに走り続けてきました。
妊娠できたときの喜び・子宮外妊娠かも言われて緊急入院になったあの日
ごめんねって空に見送るとき。
また私をママにしてくれた二人目の子。
その子ともお別れすることになった時の絶望感。
手術が終わったときは、いつも涙が出ます。
自分のせいではないこと、赤ちゃんの運命であることはわかっていても
やっぱりごめんねって思ってしまいます。
そんなときにも、いつもチョチョがそばにいてくれたから
何度も何度も立ち上がり前を向いて挑戦できたのだと思います。
一緒に泣くこともなければ、期待しすぎることもなく
いつも冷静な彼の言葉は
「なによりモコの体が1番大切だから。」
でした。
いつでもどんな時でも私の体の事を1番に考えてくれる人。
わたしは幸せです。
大げさかもしれませんが、ここまで来るのに
本当にいろいろな方(特に職場のスタッフ)に迷惑もかけたし
家族や友達に心配もかけた。
妊娠したよ、と報告をした時には、本当に喜んでくれて。
今、自分がお腹が大きいこととか胎動を感じることとか
なんだか夢みたいなんです。
まだまだこれからが大変ですが、どうか無事に出産までたどり着けることを祈って。
そして、今がんばっている方がどうか授かりますように。
妊婦に富士山の絵をかいてもらうと子宝に恵まれるというのを聞いて、
当時妊婦だった友達に頼んで書いてもらった絵があります。
のちに、実は陣痛のときに赤富士を書いてもらうと1番いいと知ったのですが(笑)
その時はそんなこと知らず・・・
彼女がめっちゃ立派に書いてくれたので記念に残しておきます
ジャン!!
すごいリアル(笑)
もちろん効果ありましたよ(笑)
わたしのときは、ぜひとも陣痛の真っ最中に赤富士・・・かけたら書きます
・・・え。
需要、ないよね・・・。(笑)