むうみんの脳内妄想

むうみんの脳内妄想

麻生外務大臣演説 平成17年12月7日



平成17年12月7日
於:日本記者クラブ

 ご紹介ありがとうございました。主催者のみなさまにはわたくしのため大変良い機会を、それも絶好のタイミングでくださいました。心から、感謝を述べたいと思います。

 良い機会を頂戴できたといいますのは、わたくしは外務大臣に就任以来、まとまった形で自分の考え、とりわけ日本のアジア戦略について、思うところを述べるチャンスが早く来ないものか、ひそかに期待する気持ちをもっていたからです。

 また、これが絶好のタイミングであると思いますのは、われわれは今、アジアの歴史がまさに新しい一章を書き起こそうとする、その場に居合わせているからにほかなりません。

 新しい章とは、「東アジアサミット」の発足によって始まるものです。初の開催地となるマレーシアのクアラルンプールは、今、サミットに向けた最後の準備に追われていることでしょう。首脳会議に先立つ外相会合へ出るために、わたくし自身、明日クアラルンプールへ参ります。熱気のほどを、ぜひ味わってきたいものだと思っています。

 ご列席の皆さん、「東アジアサミット」は、わたくしの見るところ、次の一点において歴史を画する集まりとなります。それは、この会議が、ASEANのリーダーたちがこれまで育ててきたどの組織にもまして、「共に未来の夢を見る」場となるということであります。

●アジア人とは楽観論者の別名
 アジアは今、自信に満ちあふれています。あしたは今日より必ずや明るくなると、そう固く信じて疑わない点、まったくアジア人とは、「楽観論者の別名」にほかなりません。

 あえて言うまでもないことですが、ここでいうアジア人、イコール楽観論者とは、日本人を含みます。

 近年、日本が経験した経済の停滞は、なるほど少々長過ぎました。日本人はそのあいだ、少し悲観論者になり過ぎたかもしれないと思います。

 しかし皆さん、日本企業、ことに大企業の業績は、実は今くらい良かったことなど、戦後の高度成長期を含め過去のどこにも見当たりません。わたくしは政治家である以前に経営者でありますから、ここのところは重みをつけて聞いてほしいと思います。日本経済は、日本人自身の努力が見事に実を結び、いま再び確固たる足取りで歩みつつある。

 振り返りますに、日本人とは、戦後長い間、もしかすると世界一の楽観論者だったではありませんか。未来を信じる力が強ければ強いだけ、人は、足元の苦労を苦労とも思わずはねのけることができる――。「古い」と言われるでしょうが、それが例の、サウジアラビアやイラン、イラクにおいても人気を博した日本のテレビドラマ、「おしん」の主人公が抱いていた人生観です。

 未来の明るさを信じる前向きの生活信条と、そのため今日、足元の苦労を厭わず、骨惜しみしないで働く労働倫理。この2つこそは、近代アジアの中では日本人が他のだれより先に、身をもって世界へ示して見せたものです。わたくしはこれに最も刺激された人々は、当然のこと、アジアの隣人たちだったに違いないと思います。もし日本人が「アジア楽観主義」におけるリーダーたり得た経緯があったのだとすると、これは、もって欣快とするに足ると言いますか、少しばかり誇っていいことだろうと思うわけです。

 ご列席の皆さんに、この際繰り返し関心を促しますが、東アジアサミットとは、「楽観主義者のカウンシル」であるべきでしょう。

 ここから先、アジアにおける政治経済の、どんな統合をわれわれ自身で望もうとするのか――。サミットを、将来の東アジア共同体形成に向け育てていかねばなりません。この際欧州の先例とはまた別の、いろいろな経路があり得るだろうと思います。アジア諸国は政治や安全保障の面においてまだあまりにも多様過ぎる現状にありますから、最初は経済連携、金融、テロ対策といった個別論から入り、分野別協力を重ねていく方式をとるべきでしょう。

 けれども楽観論者の集まりであるからには、東アジアサミットとは、もともとあくまでもオープンな集合です。そして東アジア共同体とは、様々なパートナーを巻き込んだ開放的な協力があってこそ前進できるものでしょう。

 この点わたくしは、オーストラリア、ニュージーランド、そしてインドが、初めから正メンバーとして参加できるようになったこと、民主主義という基本的価値観をわが国と共有する彼らも、「共に未来の夢を見る」親しい同輩となったことを、ことのほか喜びたいと思うのです。また、アメリカ、EUなどとの協力や、APECのようなより広範なグループとの連携が大切であることも忘れてはなりません。

 いまわたくし、日本はかつて「楽観主義にかけては第一人者だった」と言いました。とはいえ、中国をご覧ください。ベトナムを見ていただきたい。いわゆるミドルクラスの人口が倍々で伸びそうな勢いのある国に比べると、今日の日本は、楽観主義で競争しようとするといささか分が悪い。もはや第一人者と呼ぶのはおこがましいと言わざるを得ません。

 それではアジア諸国と付き合っていくうえで、日本が発揮できる力とは果たしてあるのでしょうか。あるとすると、それは一体どのようなものなのだろうか――。今まで述べましたことは前置きとし、次に本論としてこれらの問いに答えていきたいと思います。

 それは言ってみれば、おのれの姿を鏡に映し、等身大で眺めてみようとする試みであります。その結果日本にもし強さのあることが見えたなら、その強さ・力を、まず自分で自覚しなくては始まらない。そして、自分と他人、互いのためになるよう、上手に使っていくことが肝腎になります。

 それこそがまさしく、戦略的外交なるものの要諦です。逆に、自らの力を知らず、従ってそれを活かすことができないなら、個人にしろ国にしろ、情勢の推移にただ受動的に対してゆくよりほかなくなるわけです。

●日本の定義1 アジアの実践的先駆者(ソート・リーダー)である
 さてわたくしはここで、アジアにおいて日本とは「何であるか」と問いを立ててみます。それに対し3つの定義を与えることで答えてみようと思います。次いで、日本としてアジア外交に臨む際いちばん重要と思える当面の問題をいくつか考えて、話を締めくくろうと思っています。

 ご列席の皆さん、日本とは第一に、アジア諸国にとっての「実践的先駆者」でありますし、またあらねばなりません。

 耳慣れない言葉が出てきたと思われたとしたら、これは近ごろのビジネス英語にいう「Thought Leader」という言葉の、わたくし流の訳語であるからです。

 「ソート・リーダー」とは、この言葉が生まれた米国ビジネス界での正確な定義はいざ知らず、わたくしに言わせれば、他人(ひと)より先に難問へぶち当たらざるを得ない星回りにある者のことです。難問であるからには、なかなか解くことができません。けれども解決しようとしてもがく、その姿それ自体が、ほかの人たちにとって教材となるような人――。そういう人を「ソート・リーダー」といいます。

 「成功のみならず、むしろ失敗例を進んでさらけ出す」タイプの人、国を指すのであって、「実践的先駆者」と訳さなければならないゆえんです。ただし、失敗をさらすには勇気がいる。日本にはそれだけの雅量があることを前提にしたうえでの話ですし、もちろん失敗ばかりでなく問題解決の手並み鮮やかなところも、できれば見せたいものであります。

 ここで日本を「実践的先駆者」とした例を、過去から拾っていくつか挙げてみましょう。

 日本が恐らく、最大のコストを払って学んだ難問とは、ナショナリズムの扱い方だったのではないかと思います。

 わが国ナショナリズムの昂じるところ、過去の歴史において、韓国や中国を始めとするアジアの国々で無辜の民を苦しめたことは、引き続き謙虚な反省の念をもって臨まなくてはならない問題です。また先の大戦では、われわれ自身に多くの犠牲を生んだことでもありました。

 そればかりではありません。日本の現代史は、民主主義の激情が、容易にナショナリズムの興奮へと転化しかねない事実をも教えています。若い民主主義は、ないし、民主主義を希求しようとする若いハートは、由来激しやすいのです。

 1950年代末から60年代にかけて、日本はまさしくこの状態を通過しました。わたくしには、アジアのいくつかの国に、政治的にも、経済的にも、当時の日本と似た状況が見て取れるように思えてなりません。日本はこの危機的状況をどうやって潜り抜けたのか。それはわれわれ自身、隣人たちに努めて説いていかねばならないことでしょう。

 しかもナショナリズムには厄介なことに、関係国間でエスカレートしやすいという問題がついて回ります。わたくしには日本が、もはやナショナリズムによって血圧を上げることが全くないほど、老いた国であるとも思えない。だとすると、問題は決してなくなっていないわけです。

 しかし日本には、世論があって、民主主義的な議論の制度がある。ナショナリズムの偏狭を正すには、これら諸制度の健全性がどれほど大切かということを、日本は身をもって示すべきでしょう。「失敗にすら学んでくれ」と、うそぶいてなどいられない問題であることだけは確かです。

 さて日本はまた、環境問題において甚大な出費を強いられました。高度成長の影にはグロテスクな環境破壊があった。それが日本現代史の一面であります。

 けれども日本は、この問題をどうにか解いて見せた国でもあるわけです。今日、GDP1単位を追加的に生み出すのに、中国を始めとするアジア主要国が原油を1必要とする場合、北米諸国では0.5で済みます。それが日本の場合、わずかに0.25しか必要になりません。日本経済のエネルギー効率は、北米諸国の2倍、アジア主要国に比べると4倍にもなる現状があります。

 アジアは一衣帯水といいますが、中国の水や、空気が汚れては、わたくしたち自身が結局は困るわけです。環境破壊と取り組むことによって生産性それ自体の向上を成し遂げた日本の経験は、ぜひ隣邦諸国に熱意を込めて伝道していかねばなりません。

 ナショナリズム、環境破壊と来たら次なる難問は「少子高齢化」であります。これこそ日本が当面する最大の問題であることは、広く知れ渡っています。日本がどう解決しようとしているか、あるいはできずに苦しんでいるか、この先社会の急激な老齢化を経験する中国始めアジアの諸国にとって、それらが教訓とならないはずはありません。

 ことほどさように、日本とはアジア諸国にとって、問題にいち早く直面しまた取り組むことによって、範を示す国であり続けるのだと言えましょう。

 それにしてもどうして日本は、よきにつけまた悪しきにつけ、「教訓の泉」であり得るのか。「実践的先駆者」ないし「ソート・リーダー」たり得るのでしょうか。

 それはわたくしには、単純な道理に思えます。なぜなら日本は19世紀中葉以来、アジアにおいて政治経済、社会の近代化を、最も早く経験した国だという単純な事実によるものです。民主主義と市場経済の建設において、日本はアジア諸国にあって比類なく豊かな経験を積んできたからにほかなりません。

●定義2 アジアの安定勢力(スタビライザー)である
 そこでわたくしは、「日本とは何か」という問いに対する第二の定義として、「最も古い民主主義国家、市場経済国家として、アジアに埋め込まれた安定勢力である」と申し上げようと思います。経済学の用語を借りますなら、「ビルトイン・スタビライザー」だと言いましょうか。これは安全保障面と、経済面とに分けて考える必要がありまして、そのいずれの面でも、日本の役割は同じ。すなわち安定勢力なのです。

 初めに少し数字を引用し、経済面について述べてみましょう。

 韓国に対して83億5000万ドル、マレーシアには43億5000万ドル、インドネシアに対しては、29億3000万ドル。タイとフィリピンには、それぞれ28億7000万ドルと、25億ドル――。 これらは、1998年から99年にかけ、軒並み金融危機に見舞われていたアジア各国に対し、日本が約束した支援の金額です。当時のわが国はみなさんのご記憶にもありますように、不況の真っ只中でありました。しかし隣邦が経済的苦難に見舞われた時、たとえ自らが財政難や不況に苦しんでいようが、このように支援の手を差し伸べる国が日本であります。

 またわが国政府開発援助の役割については、今更多言を要しません。アジアに落伍者をつくっていいはずはないのであります。日本は今後とも、ASEAN統合を支援する文脈のもと、彼らのうち相対的に豊かでない国々に対してODAを重点的に実施していくでありましょう。

 他方、安全保障面で日本がスタビライザーであるゆえんは、日米同盟が持つ「重し」としての役割によって、自明であると言わなければなりません。

 地域の平和と安定なかりせば、アジアの経済発展はあり得ませんでした。冷戦期間そしてポスト冷戦期を通じ、アジアの平和と安定を確保する重要な要素が、米国の政治的、軍事的プレゼンスであったこと、またあり続けることに、疑いの余地はありません。

 米国軍事力の前方展開にとって、常に安心できる場を提供し続けてきたのが日本であります。基地再編を巡る最近の日米合意は、新たな安全保障環境に日米安保体制が一層効果的に対応できるようするとともに、米軍のプレゼンスに避けがたくつきまとう負担を軽くすることによって、日米同盟の基盤をより強固なものとするのを狙ったものだとご理解ください。

 本日おいでくださった皆さん、日本が戦後一貫して日米同盟関係の維持・強化に外交の基軸を置いてきたことは、まさしく正しい選択であったのです。なぜならそれは結果として、アジアの海を平和の海としたからです。アジアに住まうわれわれは、みな偉大な交易国民であります。その交易が常に安心してできるよう、安全と秩序を提供してきたものこそ米国の軍事力であり、それを確かならしめたものは、日米同盟の存在でした。

 これを大事なインフラとして、アメリカはまず日本に、それからアジア諸国に対して、その広大なマーケットを提供しました。貿易のみならず投資においても、米国とアジアは抜き差しならず結びついております。このような米国のアジアにおける重要性は、これから先も変わることはないでしょう。

 皆さん、いまや日本と米国は、「世界の中の日米同盟」によって結ばれ、ともに手を携えあってグローバルな課題に取り組んでいます。日米協力は、その重要度をますます高めていると言うことができます。

 先にわたくしは、日本がスタビライザー、安定勢力たり得る二大要素として、民主主義国家、市場経済国家であること、しかもその両面において、アジアの最古参だという点を強調しました。

 一般に自由民主主義国同士の関係は安定し、信頼の絆は強固です。自由民主主義国であれば国の政策に対する民意のコントロールが働き、国際ルールの遵守や他国への信義、公正の念が保たれるからです。

 お隣の韓国は、その意味でわれわれにとって、価値観の基本的なところを共有する頼もしいパートナーです。これからはわたくしたち両国、アジアの二大民主主義国という気概をもって、共にアジアの安定・発展に尽くしていきたいものですし、できるだけ多くの国と価値が共有できる時代が早く訪れるよう、願わずにはいられません。そのため、民主化やガバナンスの強化に向けた努力を常に支えていきたいと考えています。

●定義3 対等の仲間意識を重んじる国
 最後に第三の定義として、「国対国の関係に、上下概念を持ち込まない」。それが日本である、と申し上げます。

 日本はソート・リーダーたらねばならないということ、アジアのスタビライザーであるということを、今まで指摘しました。第三の定義をもう少し敷衍しますならば、日本はアジア各国と真に同輩同士の関係、対等な仲間としての関係を結んできたし、これからも結んでいく国である、ということであります。

 ここでもあえて標語風に言うならば、わたくしの前職は総務大臣でありますからこの辺りに実は詳しいのでありますが、コンピューター業界で言う「ピア・ツー・ピア」、ないし「P2P」であります。アジア各国と、真に「ピア・ツー・ピア」の関係を結ぼうとするのが日本であると、そう申し上げておきましょう。

 古くから日本はODA政策に、一つの意思を込めてきました。適切な環境とインセンティブ、仲間からの絶えざる励ましさえあれば、人は成長に向け努力をするものであり、その努力を助けることこそが、日本流のODA政策でなければならない。「援助漬け」にしてしまうことは、開発途上国の自立にとって妨げにしかならないとする考えです。

 ここには明確に、援助対象国と同じ目線に立ち、手を取り合って歩む姿勢が表れていたと言ってよいでしょう。1977年、ASEAN発足10周年をとらえて演説した、時の福田赳夫首相は、「真の友人として心と心の触れ合う相互信頼関係」を、ASEAN諸国との間に築くのだと述べました。「福田ドクトリン」と称され、語り継がれていくことになるくだりです。

 それから約30年、いま日韓、日中の間では、それぞれ年間400万人が往来しています。若者文化は国境を超え、地域全体の共有物となりました。アジア諸国民は史上初めて、互いによく似た生活様式を享受し、同じ夢を夢見る時代を迎えようとしている。わたくしは今こそこうした気運をとらえ、中国、韓国、ASEAN諸国との青年交流を一層強化したいと考えています。

 お集まりの皆さん、わたくしは先にも述べましたとおり、過去の歴史においてとりわけ韓国、中国の人々に対し与えた苦痛を重く受け止めるとともに、日本はこれら人々にいつも反省の気持ちと、隣人としての思いやりを持ち続ける必要があると思う者です。

 けれども他方また、両国の人々に対しては、日本の歩みを戦後60年総体の中で見て欲しいと望まずにはいられません。

 わたくしがよく使います表現に、英語ですけれども次のようなものがあります。

 Peace and Happiness through Economic Prosperity.

 「経済の繁栄を通して、平和と幸福を」という意味であります。これこそ戦後の日本で、60年間、われわれ日本人が、いわば一心不乱追求してきたモットーではありませんか。平和を希求し、過去の過ちを繰り返すまいとするわたくしたちの心情に、いささかの偽りもないことは、事実の集積が雄弁に物語っています。そこをぜひ、韓国の人たち、中国の人々に、虚心に眺めていただきたい。

 残された時間を使い、以下3点だけ触れておしまいにすることにしましょう。中国の台頭をどう考えるか。域内安保環境をどのようにとらえ、経済・投資を巡る状況をどう見るべきか、それぞれに言及してみようと思います。

中国の台頭を歓迎したい
 中国とは、古今の歴史を通じ日本が最も大切にしてきた国の一つです。その中国がいま台頭してきた、それこそは、わが日本が待ち望んでいた事態にほかなりません。アジアに近代が幕を開けてこの方、経済の建設、そして政治体制近代化の両面において、日本の独走の続く状態があまりに長く続き過ぎたとは思われませんか。いま中国経済の力強い発展によって、アジアはむしろ万古不易の姿に戻りつつあるのだと言えましょう。

 競争とは経済社会において、ほぼ常に良いものです。強い相手を見てこそ、自らを高めていくことができる。わたくしはそれゆえ、中国の台頭を祝福し、これを心から歓迎したいと考えているものです。経済面で両国は既に、活発な競争をしようとしている。大いに慶賀すべきことで、それによってこそ互いに伸びていくことができるでしょう。

 望むらくは、今後、より広く、政治・社会の面に競争を及ぼしたいものです。この面で、日中がともに切磋琢磨し、高めあう王道を歩むことができるなら、それはアジア全体にとっての利益につながります。そのためには自分の考えを一方に押しつけるのでなく、互いに真摯に、誠意を持って相手の理解を求めるよう努力しなくてはなりません。

 個別の問題で全体を損なわないこと、和解と協調の精神で過去を克服し、過ぎ去った事実を未来への障害としないことが重要です。

 そして単に経済面にとどまらず、軍事予算や軍事行動のあり方、さらには広く社会や政治制度のあり方においても、わたくしは中国に日本にあるのと同じような透明性を求めたいと思います。とりわけ軍事面での透明性に欠けるからこそ、中国は世界に向かって、自らの台頭は「平和的」なものだと言い続けなければなりません。これは本来、言わずもがなのことであるはずです。「平和的」の反対語は、「好戦的」、あるいは「覇権的」なのでありますから。

 中国が被援助国の地位を出て、他の途上国の社会経済開発を助ける立場となりつつあることも、まったく喜ばしいことであります。ただし援助にも、国際的な行動様式に則った透明性が求められます。中国が、この点で諸外国に追いつくことを期待しないではいられません。また、地域や国際社会において中国にはより責任ある役割を果たしてほしいという観点からも、中国がいわゆる「ヴィートー・パワー」、すなわち基本的にノーを言う勢力であることから脱皮し、「建設的な勢力」へと成長していくことを望みます。この面でもわれわれ、まさしく「実践的先駆者」だったのですから、日本は中国と多々協力できると思います。

 これら問題を中国がこの先どう解くか、日本を含む近隣諸国は関心を払わざるを得ません。しかしわたくしはというと、あまり悲観しようとは思わないのです。なぜなら中国において既に、自己実現を夢に見、豊かな生活に憧れる若い世代を中心として、ミドルクラスが日に日に厚みを増しつつあるからです。

 お隣の韓国は、この点でもはやアジアに留まらず、世界のモデルとさえなりました。そして今やますます多くのASEAN諸国が、先ほど申しました「Peace and Happiness through Economic Prosperity」の道をたどり、市場経済と民主主義を力強く前進させています。日本自身の経験に照らしても、このプロセスは一度始まると逆戻りできません。中国において、市場経済の発展とミドルクラスの成長が、より大きな政治参加、自由を求める動きにつながっていくことは、わたくしの見るところ疑いをいれません。

 とはいえなにぶん長い時間軸を持つ国が中国でありますから、われわれも長い目で、そして友人としての暖かみをもって、中国の進歩と変化を見守っていく態度が必要でありましょう。

 それにしても民主主義とは、育てるのに時間のかかるプロセスです。そこへ至る道にしても、各国固有の状況に応じて様々であるでしょう。しかしもはや、民主主義の原則自体を否定する、ないしは故意にその過程を遅らせるというようなことは、アジアの新しい潮流に対しあまりにもそぐわない行為であると言わざるを得ません。わたくしはその意味で、北朝鮮とミャンマーにおける状況を深く憂慮するものだという点を付け加えておきます。

域内安保の課題
 次に域内安保の状況に関し、重要な点を述べておきます。

 初めに北朝鮮について述べましょう。

 北朝鮮が検証可能な非核化をする必要がある点、拉致、ミサイル問題など日本にとってきわめて重要な問題を解決しなければならない点は、強調してもし過ぎることはありません。日本は引き続き、北朝鮮が約束通りすべての核兵器、核計画を迅速に廃棄するよう強く求めます。そのうえで日米両国と正常な関係を持つことこそが、北朝鮮にとっても利益となるでしょう。さらにもし六者会合が成功すれば、この枠組みを、北東アジアの平和と安全のため引き続き生かしていくことができるのではないかとも考えています。

 台湾海峡を巡る問題については、対話を通じた平和的解決を望みます。わが国や他のアジア諸国は、この問題でいかなる一方的な現状変更の試みも、軍事的・政治的な対立も望んでおりません。この機会にわが国として、日中共同声明で表明した立場を守り、中国は一つであるとの認識を改めて確認しておきます。

 アジアを全体としてみれば、軍事面での信頼作りや、そのため基礎となる各国の軍事体制、国防政策に関する情報の透明性が、まだ十分には確保されていません。アジアにおいて信頼を育てる枠組みとしては、アセアン地域フォーラム、「ARF」があります。ARFは、アジア太平洋地域の平和と安定にとって重要な日米両国に加え、ASEAN諸国、中国、ロシア、インドそして北朝鮮などが参加する組織で、安全保障問題について対話するこの地域唯一の政府間フォーラムです。

 現在ARFは、相互の信頼を育てようとする第一段階から、「予防外交」を目指す第二段階へ進展しつつあります。ただしARFが議論の場であるにとどまらず行動の場へと発展し、より実質的な役割を果たすためには、一層の体制強化が不可欠でしょう。

 無論わが国も、紛争予防へ向けできる限りの貢献をしなくてはなりません。けれどもすべては、「人」あってのこと。アジアにおいては、平和の維持と構築、復興と再発防止といった一連の活動を担う専門的人材がもっと必要です。日本は、こうした活動に必要な知識・能力をもつ人材をどしどし育成するよう、今後積極的に努めていきたいと思っています。

 そしてわれわれの生活を脅かす脅威は、伝統的・軍事的なものばかりではありません。国と国が対峙するという関係の中だけから、発生するというものでもない。早い話、鳥インフルエンザは安全保障上の脅威なのです。そして皆さんのご記憶にとどめていただきたいものですが、人間生活にとって脅威となる現象を広くつかまえ、これと取り組まねばならないとするのが「人間の安全保障」という考えでありまして、これはわが国が世界の先頭を切って推し進めているものです。

 エイズやサーズ(SARS)、そしてもちろん鳥インフルエンザのような感染症の予防と封じ込めに対し、日本はこれまでと同様、惜しみのない努力を払うことでありましょう。国境を越えてわれわれの生活を脅かす例えばテロ、海賊、犯罪行為といった非伝統的脅威には、各国がスクラムを組んで取り組まねばなりませんが、できればその輪において、日本は中心を占める一人でありたいものです。

 けれどもこのように非伝統的な脅威にさらされる一方、アジアの安全保障には、古くから積み残しになった課題も残っていることに触れないわけにはいきません。忌むべき遺産の例としては、北方領土問題があります。日露平和条約を締結し、日本とロシアが質的に新たな関係を築くことは、ロシアがアジアの正員となる道だと指摘しておきましょう。これはアジアにとって、また広く国際情勢にとって、広範な戦略的意味合いをもつことも多言を要しません。

経済投資を巡る状況
 各論の最後に経済について述べますと、日本はいま、ASEAN諸国や韓国との間で経済連携協定を締結、交渉し、インド、オーストラリアとのあいだで共同研究を進めています。日・中・韓・三国の経済連携についても、専門家による学術的な研究が始まっています。

 ここでわが国の目指すところは、アジアのまさしく実践的先駆者ならではのこととして、「ベストプラクティス」を提供することにほかなりません。貿易を自由化しようとすると必ず国内に反対の声が上がることは、むしろ民主主義国の証のようなものですが、わたくしが競争とはおおむね常に、自分を鍛えるうえで有益だという信念の持ち主であることは、先に述べた通りです。

 一点、但し書きが必要です。それは投資に対する直接規制の存在、国内法の未整備、法執行上の問題、信用制度の不備など、アジアには投資阻害要因が少なくないという事実であり、とくに知的財産権保護がいまだ全く不十分であるという点にほかなりません。こうした諸問題について、今後中国、韓国始め、アジア各国と作業を急ぎたいと思っています。

 これらの延長上に、東アジア自由貿易地域、東アジア投資地域を実現させ、地域経済統合に向け一歩でも近づいていきたいというのが我々の意向であります。

 この点、市場経済を通じて民主主義へという大道を行くASEAN諸国は、地域協力という名の「船」を操るキャプテンであります。その船はいま、共同体をつくろうとする大きな目標に向かって、舵を切ろうとしている。船長役としてのASEANには、なお一層の働きを期待せずにはいられません。

結びにかえて
 以上わたくしはこの場を借りて、日本よ、かくあれかしというビジョンを述べたつもりです。失敗においてすら教訓を与えることのできるソート・リーダーであろうとする国。アジア繁栄の基礎となる安全を、経済、安保の両面において提供する覚悟のあるスタビライザーたらんとする国。――ここでは日米同盟の堅固な耐久力が何よりも重要です。そして第三に、アジアの諸国と同輩同士、P2Pの関係を結び、共に助け合う者たろうとする国。

 何も突飛なことを述べているつもりはありません。日本がアジアで占める大きさからして、これらはむしろ最低限満たさなければならない資格要件だとさえ言っていいでしょう。

 初めに述べた通り、アジア人とは楽観主義者であります。日本国民もいま、生来の楽観主義を取り戻したかに見えます。60年前、アジアに独立国といっては、わずかに7カ国を数えるのみでした。現在のASEAN+3に相当する地域における一人当たり平均GDPは、1951年前後の時点で、わずか200ドル程度に過ぎなかったのです。

 それが今日では4000ドル近くに上ります。未来を信じる営々たる営みが、わたくしたちをここまで連れてきました。日本はいま再び、「楽観主義者のカウンシル」においても、リーダーの一角を占めたいものと願わないではいられません。

 ご静聴ありがとうございました。


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