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memories★korean


※内容は、私がワーキングホリデイをした2001年1月~2002年1月の話です


Hello~♪


□■未知の世界■□

 私のワーホリ生活の日々には必ず韓国人がいました。切っても切れないような存在です。

 渡豪前から、日本人と韓国人はよく仲良しになるって聞いていたけど、自分の事としては全く当てはめずにワーホリに行きました。それまで韓国に行った事も興味もなく(スミマセン…)、韓国に関することもほとんど知らずに、私は沢山の韓国人と出会いました。

 初めの1ヶ月に通った語学学校で同じクラスだった面々とは(日本人含)、取りあえずその後しばらく飲みに行ったり、週末会ったりして顔を合わせる機会も多く、そのあとは個別に仲の良い友達が出来ていきました。身近にいるせいもあって、私は韓国人といろんな話をしました。その中で韓国の事や言葉やカルチャーなど、いろんな事を教えてもらいました。私が知らない未知の世界でした。

 恥ずかしながら私は当時、韓国の大手企業であるHYUNDAI(現代自動車)もLGも知らず(唯一サムソンは知っていた)、韓国の国の代表的な会社であるのに私が知らないと言うので、友達はかなりビックリしたようです。




□■日本の…■□

 私は韓国の事を何にも知らなかったけれど、韓国人の友達達は、自分が知っている日本がらみの話をしてきてくれました。

 語学学校に行っている時、同じクラスの韓国人の男の子は、日本のアニメを見たことがあるようで、なんだかニコニコしながら「スラムダンク」とか「エヴァンゲリオン」だとか「ドラゴンボール」だとか言っていました。

 韓国人が知っている日本語の中に「お元気ですか~」があります。これは日本の映画「Love Letter」(岩井俊二監督)の有名な台詞です。日本では、もう結構前に公開された映画で、私も見たのは確か学生の頃…。でも韓国で公開され有名になったのは、その頃はまだ新しい話だったようです(韓国では、ああ言う切ない純愛物はすごくうけがいい)。韓国人がよく知っている日本語・よく言ってくる日本語・日本の映画で知っているものと言えばこれらです。ちなみに「リング」を知っている人もいました。

 私がオーストラリアにいた頃、韓国人が知る日本の歌に「I Love you」がありました。尾崎のあの名曲です。でも韓国人が知っているのは同じタイトル・同じメロディーですが、ポジションと言う韓国人歌手が歌うカバーバーバージョンの方です。私も当時知らなかったので、聴かせてもらいました。曲が良いのでカバーにしろいい感じなのですが、歌詞は結構違うようです。それから、解散してだいぶ経っているけどX-Japanも人気があるようでした。クラスメイトの中には、バンドでコピーしている人がいました。熱狂的ファンだったようです。韓国でのX-Japan人気の噂は聞いた事がありましたが、本当でした。私には理解不能ですが(ごめんなさい)。

 私がボーエンのファームで働いていた頃、韓国人の男の子二人と休日にアーリービーチまで遊びに行きました。移動中暇なので、車の中で順番に唄う遊び(?)をしたのですが、彼らが唄うのは私も知っているような日本のアニメの主題歌。もちろん韓国語だけど!例えば「マジンガーZ」とか(古い?)。きっと幼い頃に彼らも見ていたのだろう。なので私も知っている曲のいくつかを、韓国語バージョンで聞いたりしたので以外&ビックリでした。

 韓国人の中には、授業で日本語を多少習った事があると言う人もいました。でもだからと言って日本語を操れる人は余りいませんが…。でもラウンド中に日本語ペラペラな韓国人に一人会ったことがあります。片言の日本語が話せる韓国人はボーエンの時にいました。でも、その人が日本語を話したのは一度だけ。周りのコリアンに「日本語で何かしゃべってみろよ~」って感じにふざけた感じで言われたから。そんなノリなのに、その人が私に話した日本語は…「日本の教科書問題をどう思いますか?」「靖国神社参拝をどう思いますか?」でした。「えええええっ?」と私。あの頃日本ではそんなニュースがあった年でした。失礼ながら、それらのニュースは詳しく見ておらず、無責任な発言も出来ないのでそのままそう伝えました。ああ私って勉強不足!と思い知らされた一幕でした。海外にいても、日本のニュースはちゃんと知るべきなんだよね…って言うか、日本にいても詳しく知らないニュースって沢山あると思うのは私だけか…。


韓国焼酎チャミスル


□■料理にはまる■□

 韓国料理屋に行く機会も結構あり、あの辛さや美味しさに、私はすぐにはまりました。韓国焼酎も初めて飲み、韓国では当たり前だと言う無料のつきだし(ナムルとかのおかず数種類がお代わり自由)にビックリし、チゲ(鍋)をスプーンで直接食べる(盛り分けたりしないで皆でつつく)事にも、ごはんの器を持って食べない事にも、とにかくいろんな事に驚きの連続でした。

 Chinatownのフードコート内の韓国料理も良く食べました。フードコートなのでお手軽な値段、と言っても$7位からですが(中華料理はもっと安いですけどね$4.50~)。でもボリュームがあって、お腹にずっしりくるぞぉ~って感じです。満足満足!

 お店に限らず、Koreanの友達と一緒にいると、韓国ものを食べる機会が多くありました。筆頭はやっぱりキムチかな。分けてもらって帰ってきた事もあります。チャプチェ(春雨の炒め物)も辛くないけど私好みで好きだし、インスタント食品だけど、ジャージャー麺や、辛ラーメン(これは有名!)を初めとした韓国ラーメンの数々はかなり・かなり食べました(round中)。プルコギも作ってもらったし、チヂミも良く食べたなぁー。キンパッ(韓国海苔巻)も一緒に良く作ってました。

 辛い物は好きだし、ワーホリ後はすっかり韓国料理好きになってしまいました。韓国料理は種類が豊富。私はまだちょっとしか知りません。今後韓国に行った際は色々開拓していきたいと思っています。嫌いな物がない私ならきっと、どんな物でもいけちゃう気がするなぁ。


書いてもらってたメモ


□■共通語!?■□

 私との会話は英語でした。でも私は機会がある事に、韓国語を教えてもらい時々使ったりしていました。「ケンチャナヨ(大丈夫)!」「ゴマップスムニィダ(ありがとうございます)」「ヨボセヨ(もしもし)?」とか。「カッチ ガチャ(一緒に行こう)!」とかも。私が尋ねると、皆はどんどん教えてくれたし、ノートに書いてもらって、時々使っていました。教えてもらうのもすごく楽しかった。

 後々、「もっとちゃんと覚えたいなぁ」と思い初め、基本から教えてもらいましたが、初めにやった基本母音「ア」「ヤ」「オ」「ヨ」「オ」「ヨ」「ウ」「ユ」「ウ」「イ」の時点で、挫折(悲)。それでも3時間位ずっとずっと書きながらやってたでしょうか(バカすぎる?)。それでも発音できない音が…難かしさを実感。それに、身内(?)に教えてもらうもんじゃないですね。「違うって!」「だからー!」と、教える方も余りの出来なさに、段々むきになってきます。おかげで私も「I can’t!!(悲)」となり、韓国語講座(?)はThe endでした(笑)その後はRoundで時間がなくなって、ゆっくり覚える時もなかったのは事実です。余り良くない言葉なんかは教えてもらったり(?)しましたが(笑)。そう言うのに限って覚えが良かったり(笑)。でも私が使う時ないぞーって感じですね。でもとにかく、教えてもらうのなら第三者が良いでしょう(これは何でもですね)。それに、出来れば日本語もわかる人の方が、例えとか発音とか教えてもらえて、わかりやすいかもしれません。

 韓国語は、これからがんばりたいと思ってます。今度は挫折しないように!(笑)


□■なんだそれ?■□

 ヌナとかオッパとかを使う話を聞いたのも、私にとっては面白い話でした。海外で出会っているから私の事を皆は名前で呼ぶけれど、韓国にいたら「ヌナ(男の人から)」とか「オンニ(女の人から)」って呼ばれちゃう(私は皆より年上だったので)。韓国人同士は海外にもかかわらず、韓国社会を持ってきたかのように使ってましたが…(砕けている場合もあるが)。私の事は基本的に名前で呼んでくれたけど、年齢の話になると…「名前で呼んでね~」と、一応念を押しておきました。

 韓国人の男の子の場合、年下の女の子から「オッパ」って親しげに可愛く呼ばれたら、みんな嬉しいみたいですよ。

※この仕組みを知らない人もいますよね。一応説明しますと、韓国人はとっても仲の良い友達は年齢関係なく名前で呼んだりしますが(同い年も)、自分より年上の人の事は名前では呼びません。

*男→年上女「ヌナ」 *男→年上男「ヒョン」 *女→年上男「オッパ」 *女→年上女「オンニ」となります。

年下は「(ヨーまたはナム)トンセン」と呼ぶ場合もあります。  

□■驚き■□

 ビックリした話も沢山あります。韓国人は誕生日を祝ってもらう時、誕生日を迎えた本人がご馳走しなければいけないと言う事。日本は逆だから(割り勘が多いだろうけど)、この話を聞いたときはビックリ(割り勘も韓国ではあり得ないけどね)!日本人の誕生日に呼ぶときは(私も含む)、「割り勘になるけどいいか?」って前もって断ってました。それでも知らずにおごってもらえると思って来た人もいましたけどね。お金ないのに結構払うことになって、後で悔しい思いをしてたみたいです(?)。前もって教えてたと思うんだけど、予想外の出費でゴメンね。

〔確認〕→ でもやはり、年齢や環境にもよるようでした。誕生者がおごる場合は、その人が年長者って言う場合があったり、立派なプレゼントを貰ったら食事はおごるだとか、逆に豪華なプレゼントなどがない場合は、誕生者以外が食事をおごるとか、いろんなパターンがあるそうです。これは日本で友達になったKoreanのBに確認して聞きました。

 しかし、おごりおごられの社会である韓国では、日本では普通である’割り勘’は、あり得ない考えのようです。特に日本人のデート中の割り勘は、韓国人からしたら絶対信じられない!話だそうですよ。そうだろうね~。


□■そんなバカな■□

 探して探して、悩んで悩んで苦労して選んであげた誕生日プレゼント。なのに簡単に「別の物と交換したいから、レシート頂戴!」とか言われた事がある。探して探してやっと選んだ(ナイキのリュック)のに、「バカものーーー!」と私はかなり怒りが込み上げた・・・。が、韓国人の中では、そんな人もいるらしい。怒らないでくれと、一番の仲良しYHになだめられました(笑)。

〔確認〕→ 韓国人Bにこの話をしたら、「その人はちょっと変わってる。特別だ。」って言いました。でも確かに、服や化粧品等なら、サイズや色が違って交換するのはよくある事らしいです。Mも化粧品を貰って「色が違ったら交換してきて大丈夫だよ、買ったところは…」って教えてもらったりしたんだって。そして結局一式交換したらしい。色とかじゃなく、商品違う物にね(笑)。

 まぁでも、私とYHが苦労して・苦労してプレゼントを探した話を聞けば「交換したい」と言う人がおかしいと、誰もが思うと思うけど…。違う???


□■韓国人も手放せない■□

 日本人で、海外に行った際、自分の国の食事が手放せない人も沢山いますが、韓国人もそう。日本人以上に自分の国の料理が手放せないようです。極端な人で、私が一人で旅をしていたブリスベンで出会ったKoreanの人は、オーストラリアに住んでからも(ワーホリ)、韓国料理しか食べていないんだと言っていました。その人はケアンズから来ていて旅行中だったらしいですが、そんな時でもすべて外食して韓国料理を食べていました。極端だし、その人の場合はなんだかわがままって感じにしか見えなかったけど・・・。

〔確認〕→ 私が日本で出会った韓国人のBは、そんなに韓国料理は必要ないみたい。自分でも言っている。そんな韓国人も初めて見たけど、若者はやっぱり、キムチや韓国料理よりも、お菓子やハンバーガーなどを日常の食事として食べ、欧米化しているみたい(韓国の若者のキムチ離れの話を何かで読んだ事がある)。Bもそんな若者らしい(と話を聞いて思ったのだ)。そんな事言っても、Bが食べ慣れた韓国料理やオンマ(母)の味は、話をしてたら食べたくなってたし、なんだかんだ言っても、やっぱり韓国料理は好きみたい。

Bowenで出会ったKorean達


□■キムチ ハゴ コチュジャン■□

 私が出会ったKoreanの皆さんは、コチュジャン(唐辛子味噌)とキムチは常に常備していました。やっぱりキムチは欠かせない!取りあえずキムチがあれば、落ち着く(?)みたいですね。日本人のお漬物と同じ!コチュジャンは、取りあえず手軽に韓国の味が味わえる代物で便利です。ラウンド中もずっと使ってました。常温で平気だったので、重宝しました。辛くない物も、これを入れれば辛くなる!きゅうりやにんじんにつけたりしても美味しいのよ。私ははまっちゃいました(今でも家に常備!の私)。

 韓国では、家庭によってコチュジャンを作るらしいです。だからその家の味があるみたい。あくまでも私がずっと見ていたコチュジャンは市販の味と言う事らしい。

 キムチですが、朝からでも食べるみたい。私も時には一緒に朝食から食べていました(キムチ大好き♪)。実はキムチ臭かったかしら?私。フフン。

 それから聞いた話によると、お酒をすごく飲んだ日の次の朝は、韓国人は辛い物を意図的に食べ、沢山汗をかいて体の中の循環を良くさせるそうです。んー、納得できる話だ!他の話を聞いても、韓国人が食べている物とか食べ方は、身体にとっても良い気がします。


美味しいご馳走目の前に!


□■キムチを作る■□

 シドニーにいた時は、チャイナタウンに行けばキムチが手に入ったりしたけど、私がラウンド途中住んだBowenでは買う事は当然出来ませんでした。田舎でしたから。沢山のKoreanの皆はどうしていたかと言うと…自分たちで作ってました。

 それもね、男の子たちが多かったんだけど、まめな人も多くてね、逆に女の子の方がなにもしなかった気がするわ(日頃から)。キムチは男の人たち3~5人で作ってたよ。味もまぁまぁいける(韓国人には少々物足りないようだったが)。取りあえず作るだけ立派じゃない?偉いよね!とにかく作ってるって聞いて、「作るところ見たい」って言って見せてもらった。

 作るのに混ざりたかったんだけど、ほとんど触らせて貰えなかった。それまでにも何度も作っていたから、工程を同じメンツで淡々とこなしていたので「見てて」って言われちゃったんだ。彼らは白菜を切ったり、塩づけしたり、沢山のにんにくをむいて瓶の底でつぶしたり・・・手際良くこなして、必要な調味料や唐辛子と混ぜて、キムチを作り上げていった。それは正式な作り方とはまたちょっと違うのかと思うけど、とにかく作ることが素晴らしい!「SUGO~I!」私は連呼した(私の口癖・・・と言うより日本人の口癖じゃないか?)。

 彼らにはキムチの他にも手打ち麺(多分うどん)もご馳走になったことがある(他にも色々ご馳走になったが…)。こね方が力強くて真似できないくらい。肉のだしが出てる温かいおつゆをかけて食べたんだけど、おいしかったーーー!偉いな~こんなの作れて…皆スゴイよ…って感心しました。まぁでも、2人ほど料理の得意な人がいて(でも男の子だよん)、その人の助言を受けて皆動いてましたが。でも片付けとかも皆まめだったよ。エライエライ!

〔確認〕→ またまたBにこの話をした所、男の子がキムチを作ったりするのは稀らしい(笑って聞いてた!)けど、男が皆まめなのは事実らしい。そして、女の子は何もしない・出来ない場合が良くあるらしい。Bも何も出来ないってさ。私も人の事は言えないけどさ、フフン。


□■激辛■□

 韓国では、青唐辛子を生で食べる。韓国でお店に行っても家庭でも、そうやって食べるべくして、皿にのった生の青唐辛子が出てくる。

 私もAUSで何度かそうやって食べていたけど(あまり辛くない物が多く、味的にはピーマンみたいな感じかな…?)、大抵一袋の中には激辛が1~2個混じっている。J(Korean)がそれに当たって、「すっごい辛い!辛い!辛い!」って笑って(楽しんでいるかのようだ)暴れているのに、「食べてみー」と言われてた私。なんとなくどの程度の辛さなのかに興味があったのか、言われた事になんとなくのってしまったのか、アッサリ食べてみちゃった。しかも普通に(量)かじった!

 韓国人が辛いって言ってんだ、そりゃ辛いに決まってる。なんで普通に食ったんだ、私。なんでやめなかったんだ、私。バボだ・・・。

 かじって数秒後、相当な辛さがやって来た。当たり前だ。韓国人が辛いって言ってんだ。

 もう今までに味わった事のない辛さだった。もー!もー!立って食べたのだが、動かずにいられなかった。kitchinの中を小走り。「きゃ~!きゃ~!」もうどうしようもない。Milk飲んだ・・・余計に火がついたように思える。でももっと飲んだ・・・変わらな~い。「どうすればいいの~!」って小走りにkitchinを行ったり来たり。そんな様子を見てたJは、さぞかし面白かっただろう。ずっと笑ってみてたからね。

 しばらくkitchinを走りまわった私。bananaを食べた・・・ちょっぴりおさまった。もっと食べた・・・落ち着いてきた。数分後、やっと辛さも取れてきた・・・。ハァ~ッ。あの辛さは、生まれて初めてだったわ・・・・刺激的ね(笑)




私がSydneyを発つ日仲良しこよし


□■Forever friend■□

 語学学校で一緒だったYHとは、学校に行っていた時はそんなにも仲良くはなかった。なんでだろう。あんまり話をした事がなかった。

 でも学校が終りかけの時、クラスの皆で行ったブロードウェイショッピングセンターで、話をする機会があった。話してみたらAUSに来る前の職業が同じで、なんだかいろんな所で話が合った。もっと早くに話をしてたら良かった!

 その後私が学校を終えてからも、良く会って話をしたり、電話で話す機会が多くなり、あっという間に仲が良くなった。速攻だった。

 どの国の人間であろうと、気が合うとか合わないとかには、国は関係ないと思う。フィーリングってやつだよね。この事はワーホリに行ったおかげで尚更良くわかったよ。言葉だって、メチャクチャな英語を使ってもなぜか分かり合える。

 YHとは沢山会って沢山語って、ますます友情を深めていった。もう切っても切れない関係だ。YHがvisaの関係で、一時帰国をしたり再びSydneyに戻って来たり、私がRoundに出たりで、ゆっくり一緒に過ごせたのは半年もなかったけど、お互い一生の友達でいよう!と誓った。素直にそう思える相手であった。

 私がラウンドに出る数日前、YHのノート(出会帳みたいな物)にYHと出会って思った事を書いた。2人で泣けてきた。行く事が多く気に入っていたMartin Placeのベンチで、2人して泣きながら語った。
「私達は、死ぬまでずっと友達だからね・・・」

 そして私がSydneyを出る日、2人で私の住んでいた家辺りから、またまた大好きだった場所であるWatsons Bayまで、写真を撮りながら海を眺めて歩いた。私がRoundに出て数週間後には、YHは韓国に帰ってしまう。だからこの日の後は、いつ再会できるかわからない。いろんな思い出が私達の頭を駆け巡ったものだった。

 私達は今でももちろん、コンタクトを続けている。心が通じる者同士だよ。シドニーにいる時、YHは弱く・悩みも多く、私はいつも励ましていた。お互い帰国後、立場が変わり、私はいつも励ましてもらっている。YHはとても強くなった。

 私はこれからもずっと、YHとは友達。おばあちゃんになってからも、ずっとずっと友達だからね。

(2003年)



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