羂索

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私と阪神タイガース


今日、七月八日。阪神タイガースに待望のマジックが点灯いたしました。

それを記念して、私の阪神タイガースへの熱き思いをぶちまけたいと
思います。

私が阪神タイガースを本格的に応援し出したのは、85年です。
そう、21年ぶりに優勝した年であります。
私は小学三年生、阪神は親父が好きだったから、知らない間
に阪神のファンにはなっていました。
しかし、私にとって阪神は強いチームではないという認識がありました。
その時も阪神が首位を走っているということを友人から聞き、
嘘つくなと子供心に思ったことが、今でも頭に残っています。
しかし、本当に強い阪神に私は心をうばわれた。

今では阪神グッズというのは充実していますが、
私が小学生だったころ、それほどなかったように思います。
なので、私は青色の下敷きに阪神タイガースのスターティング
メンバーを書き込み、授業中いつも眺めていた。
しだいに、その行為がクラスではやり、そのクラスの男の子は
下敷きに名前を書くということがステータスとなったようでした。

父親は、その当時ではまだみんなもっていないビデオを購入し、
阪神優勝を納めていた。今でもそのビデオがのこっています。
楽しそうにビールかけをする吉田監督がうつり、
むりやり奥さんまで登場させてしまう、TV局。祭りのような
光景に、大人になった私にとって夢のようなビデオでした。

それから、低迷期をむかえます。
まったく勝てない時期があります。
親父と試合を見てるときでした。めずらしく阪神が先制し
四点ほど奪ったのでした。よろこぶはずの親父が私に聞きました。
「ここまま勝てると思うか?」
阪神タイガースに信頼がまったくなくなった発言でした。
私自身も「負ける」と答えを返したのでした。
そして案の定逆転され負けたのでした。
今の横浜を見ているようです。

それから、長い年月がたちます。
92年に2位になります。そとでラジオをならし2位が決まった
という試合結果を聞いた私は、持っていた傘を力任せに
壁に打ち込んだ記憶があります。悔しさを味わった夜でした。
あまり関係のない話ですが、その当時チームに貢献した
新庄は現在3A。阪神優勝には縁のない男なのでしょうか?

それからもとてつもない低迷を描きます。
石にかじりつき、がまんし、
そして、タイガースが動き出します。

野村克也のタイガース監督就任でした。
私は喜びました。これで優勝が出来ると。
しかし、それはつかのまの喜びに。
前半だけ強い阪神。結局は六位に落ち込みます。
だが、今までの阪神と違いました。光が少し見えてきたのでした。

野村克也の解任があり、そして星野仙一の監督就任。
野村ですら、阪神を強く出来なかった。
私は星野でも、無理ではないだろうか。また何年かけるのだろうか?
と一抹の不安があったことはいうまでもありません。

しかし、今年ついに、優勝の文字が見えてきました。
私のこのHPのプロフィールは阪神の隆起とともに私の
人生も投影し、書き込んであります。
「阪神優勝」
その文字が書き込めるその日。
私の人生はどうなっているだろうか?
タイガースを応援することは、人生をかけるということでもあります。
日本の経済が今日、日経平均が一万円台を超え、景気の兆し
が見えてきたのも、偶然なのか。
私と阪神タイガース。
がんばれタイガース。がんばれ俺。
ここらへんでおわらさせていただきます。


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