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内海から山口、西村とつないで、危なげなく勝利。数少ないチャンスをものにし、投手陣は粘って最少失点に抑える。。投手が打たれた時には、打線が反撃し、打線が最少得点の時には、投手陣が踏ん張る。理想の形で3連勝。さあ、火曜日からは甲子園の借りを返すべく、虎退治です。
Apr 14, 2013
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内海はボール球は多いものの、7回を2安打無失点の粘りの投球。そして、3回の好機には、慎之助の先制タイムリー。そして、好調のボーカーが追加点となる三塁打。ボウカー様の打球は、センターライナーの様に見えたのが、フェンスまで飛びました。そして、ファンのコールに答える姿も余裕。。
Apr 14, 2013
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大友工さんが亡くなられました。サイドスローからの力のある球で、巨人の第二期黄金時代を支えたエース。別所、藤本、中尾、松田と投手陣を支えました。1953年には、来日したニューヨーク・ジャイアンツ相手に1失点の好投。平井選手の本塁打の2点を守りきって、日米野球(プロ野球)史上初の完投勝利投手に。ご冥福をお祈りします。大友工氏が死去、55年に最多勝、沢村賞 元の巨人投手の大友工氏が12日午前5時28分、急性白血病のため東京都内の病院で死去、88歳。兵庫県出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は次男の泉(いずみ)氏。 軟式野球出身で、1949年に巨人入り。52年7月26日の松竹戦では無安打無得点試合を達成。53年は最多勝、最優秀防御率などに輝き、沢村賞とベストナインにも選ばれた。55年には30勝を挙げて2度目の最多勝を獲得するなどエースとして活躍した。 60年は近鉄で15試合に登板。 通算成績は294試合130勝57敗、防御率2・11だった。大友工氏 Wikipediaよりhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E5%B7%A5
Apr 13, 2013
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今季は、ロペスと共にダブル・クリーンアップ。昨年は、一体何だったのか。でも、日本シリーズで起用した首脳陣、そして、期待に応えたボウカーは凄い!ボウカーは、今日も2発。ブランコに続いて、ホームランダービー2位。もう、昨年のシーズン以上のホームランなのですね(汗)もう、ボウカー様と呼ばねば。。
Apr 12, 2013
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甲子園での貧打は、何だったのか。ボウカー、ロペスのアベックで猛打爆発。橙魂ユニフォームは偉大です。
Apr 12, 2013
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ジャイアンツ、72年振りの開幕7連勝!72年前の巨人は。。。澤村栄治投手1941年(昭和16年)は、年末には太平洋戦争が始まった年。ジャイアンツ、いや東京巨人軍は、1934年(昭和9年)に設立された、まだ創設期の時代。1938年(昭和13年)に補強された、川上、千葉、吉原が主力選手となり(内海投手の祖父五十雄さんは同期)、1939年(昭和14年)から三連覇を達成(後に言う「第一期黄金時代」。戦争中の飛ばないボールの中、川上選手は「弾丸ライナー」のニックネームと共に打ちまくり、首位打者に。打撃上位の10位が2割台の前半の中、ただ一人3割は凄い成績です(まるで統一球の中でのおかわり君の本塁打みたいだ)。昭和16年の打撃成績(打率、本塁打、打点)1.川上哲治(巨人) .310 4 512.白石敏男(巨人) .267 4 323.中島治康(巨人) .255 3 394.水原 茂(巨人) .253 3 276.吉原正喜(巨人) .250 4 259.千葉 茂(巨人) .234 1 31(ジャイアンツの歴史、越智正典より)投手陣が、創設時に巨人を一人で支えた澤村投手は徴兵の影響から、かつての絶対的な力はなく、1939年、1940年と42勝(現在でもNPBのシーズン最多勝)、38勝をあげたスタルヒンは体調を崩していた。その中、京都商業から入団した中尾投手を中心に、シーズン中盤からは新鋭広瀬投手が加わり、優勝の栄冠を見事達成。中尾投手は、(リーグ戦における)初代18番の前川八郎投手を継いだ、2代目背番号18番(背番号18の左腕は中尾、杉内の二人だけ)。「巨人の星」では、二軍監督(当時)で星飛雄馬を怒鳴っている場面が出てきます。ちなみに、創設期の巨人は、背番号10番台は投手の番号。川上選手は投手として入団したので16番。また、巨人は昭和11年から国内でのリーグ戦を戦っていますが、昭和13年に入団した川上哲治が初代16番、内海五十雄(内海投手の祖父)が初代26番。当時の総監督だった浅沼氏が何故か6番が好きではなく、空いていた様です。ただし、昭和13年に大量補強、結果背番号が空いている番号から割り当てられたとか。。上田龍『戦火に消えた幻のエース 巨人軍・広瀬習一の生涯』(2009年06月・新日本出版社)ISBN 9784406052535
Apr 9, 2013
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この試合日は、故木村拓也さんの三回忌。ジャイアンツは見事勝利で飾ると共に、試合後には勝利の1-9(先発メンバーの応援歌)から、原監督の応援歌、そして現役時代の木村選手の応援歌で祝福!木村選手の活躍は、数多くあるのですが、思い出されるのは・ アテネ五輪(2004年)、登録メンバー制限もあり、野手の控えは木村選手(内外野を守れるユーティリティープレーヤー)、と捕手のみ。レギュラーとしてチームでは活躍しているにも関わらず、裏方さんの仕事や、イニング間のキャッチボールを進んで行なう姿が。・ クライマックスシリーズ(2008年?)、中日との激戦の中、外野手にアクシデントが。延長に入り、巨人の外野手の控えはいない状況。選手の治療中、内野で守備に就いていた木村選手は、万一に備え、外野の準備を率先して始めていた。・ あまりにも有名なキムタク捕手。延長11回、打者加藤健は頭部に死球を受け退場。木村選手は、ほぼ10年振りの捕手に。捕手だけでも大変なのに、藤田、野間口、豊田と3人の投手の球を受け、12回表を乗り切った。・ そして、引退会見。日本一と、「勝っても、負けても、野球は楽しいです」の言葉を残して、引退。数多くの殊勲打がある中で、この様な場面が思い出されるのは。。やはり、木村さんのひたむきさと野球への愛情の賜物なのでしょうね。過去のブログよりキムタク捕手(2009年9月4日)https://plaza.rakuten.co.jp/mrgiants/diary/200909040000/引退挨拶、ファンフェスタにて(2009年11月23日)https://plaza.rakuten.co.jp/mrgiants/diary/200911230000/追悼試合(2010年4月24日)https://plaza.rakuten.co.jp/mrgiants/diary/201004240001/
Apr 8, 2013
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松本のダイビングが巨人を救った。どこかで見た場面。そうだ、1994年日本シリーズ、巨人×西武の第2戦。1-0で迎えた9回表、2死2塁。あわやセンター前という当たりを、センター屋敷が好捕、槙原は完封、MVPに!開幕ダッシュも重要だけど、もっと大事なのは、有終の美を終えること。V9以来の連続日本一が待っている♫
Apr 7, 2013
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この試合でも逆転3ラン、そして追加点に関わるヒットを放ち、阿部慎之助、1500安打を達成!思い起こせば、慎之助のデビューは2001年。開幕戦にスタメンデビュー、そして安打を放ちお立ち台。今年から、選手紹介で出る様になった出身校と年数。13年、長嶋監督時代を知っている数少ない現役になりました。
Apr 7, 2013
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9回を8-4で、巨人ファンのみんなが楽勝と思ったのが、まさかの展開に。高木京介が連打を浴び、緊急登板の西村が打たれて8-6。無死満塁で一打同点のピンチ。なんとか、二死までこぎつけた中、センター前と思われる打球に、この回からセンターに入った松本がダイビングキャッチ、試合を決めた。レフトの大田が駆け寄る。そして、ナインからのお出迎え。お立ち台がこのプレーの価値を示しています。
Apr 7, 2013
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誰からも愛されるその人柄、そしてその打撃力(守備は除く)。明るく、一生懸命、ファンを大切にする、球界からのお祝いの言葉も。でも、巨人戦では、あまり打ち過ぎないでね………【DeNA】ラミレス外国人初2000安打!今季1号で決めた ◆ヤクルト3─6DeNA(6日・神宮) DeNAのアレックス・ラミレス外野手(38)が6日のヤクルト戦(神宮)の6回、1号左越えソロを放ち、プロ野球史上42人目、外国人選手では史上初の通算2000安打を達成した。1695試合での到達は、川上哲治氏の1646試合目に次ぐ史上2位のスピード記録。 バットを振り抜いた瞬間、ラミレスの頭をよぎったのは13年間の記憶だった。「ファンの歓声が聞こえて、本塁打と分かった。最高の気分だよ」。6回先頭。石川の低めスライダーをとらえたライナーが左翼席最前列に飛び込んだ。外国人選手初の通算2000安打を、思い入れある神宮で、今季1号アーチで決めた。 壮大な物語は、米国から来日した01年に始まった。「日本に来た大きな理由はお金。ある程度のお金をもらって、1年で帰って米国で続けようと思っていた」。現実は甘くなかった。言葉が通じない。食事が合わない。苦痛だった。 ひたすら走りまくる日本の練習、キャンプでの早朝散歩は驚きではなく、冗談かと思った。疑問を感じていても「WHY(なぜ?)」と言わない日本人選手の姿は、いら立ちを通り越し、もはや謎でしかなかった。 元大リーガーのプライドもへし折られた。ボール球を振らせる配球に苦しんだ。焦燥感は危機感となり、やがて絶望感へと変わった。自宅に戻ると、気がつけば聞き慣れたカントリー音楽に耳を傾け、眠っても母国・ベネズエラで楽しく生活する夢を何百回と見た。 最初に頭を下げたのは当時ヤクルトの正捕手だった古田だ。捕手目線の配球を聞くようになり、世界が変わった。試合後の議論は白熱した。遠征先のホテルでもパソコンを開き、配球をひたすら研究した。「最初の2球でどう攻めてくるかが分かるようになった」。力任せの発想を消すことで、球界屈指の強打者へと成長していった。 技術以外でも日本流を受け入れた。巨人時代の11年7月、初めてスタメン落ちしたラミは、ベンチ裏でつぶやいた。「このチームは若手が育ってきている。もう自分の力は必要ないのかもしれない」。そこに「WHY?」の発想はなかった。ヤクルト、巨人を優勝に導いたが、引き際はいつも侍のように潔かった。 日本人らしさを追求して、T・ローズやリー兄弟でも成し遂げられなかった外国人初の偉業を達成した。「練習を指示されても、外国人のラミちゃんは『WHY』と言うけど、日本人になったラミちゃんは『ワカリマシタ』という。とてもいい言葉。日本人の血が流れているね」。1695試合での達成は長嶋茂雄の1708試合を抜いて史上2位のスピード記録だ。 日本はもう、異国ではなくなりつつある。「帰化? 時間の問題。将来的には日本人になりたいと思っている。今年手続きしようとも思ったけど、あと1、2年待ってみようと。『タナカ・ラミレス』。いいね」。ラミちゃんはこれからも、多くのファンを魅了してくれるだろう。 DeNA・中畑監督「いいゲームだった。ラミに花を添えようという一体感があった。あの本塁打、かっこ良かったな~。でも、びっくりするわ! あの高さで入っちゃうんだもんな。あれで火がついた。見事な2000本。ラミちゃん、おめでとう!」 ◆アレックス・ラミレス(Alex Ramirez)1974年10月3日、ベネズエラ生まれ。38歳。サンアントニオデパウラ高から92年、インディアンスに入団。98年メジャーデビュー。00年途中にパイレーツへ移籍した。01年からヤクルト、巨人を経て、昨年からDeNAでプレー。MVP2度のほか、首位打者1度、本塁打王2度、打点王4度、最多安打3度獲得。180センチ、100キロ。右投右打。既婚。(2013年4月7日06時04分 スポーツ報知)
Apr 7, 2013
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そして、開幕6連勝♫そして、さらに嬉しいお立ち台YGマークの帽子も嬉しげだ。。いつかは原監督のお立ち台も超えるまでの活躍を。でも今日は、初勝利おめでとう。
Apr 6, 2013
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初回の先発では打線の援護に恵まれなかったが、今回は序盤から得点の援護が。菅野も、順調な投球を続けるも、終盤に2発を被弾。。ただ、8回の失点の後も、後続を絶ったのは大きい。そして9回は、西村健太朗が締め、菅野は嬉しいプロ初勝利!でも、これはまだ夢の第一歩!
Apr 6, 2013
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WBCではいまひとつの結果だけど、やはり巨人の打線は坂本、長野が活躍すると大爆発。読売新聞 2013年4月4日 開幕前に打線活発化の条件を尋ねられ、幾つかのパターンを口にした巨人の原監督は「しかし、最大値は、ライバル関係にある長野と坂本が相乗効果を発揮したときだろうな」と解説を締めくくった。(中略) うちの柱は(阿部)慎之助だが、長野と(坂本)勇人が脇を固めてこそ、うまくかみ合う」と見る。昨季も「よく『勇人。長野はボール球を振らないぞ』とか『長野。勇人は思いっきりがいいな』などと、いい意味であおった」そうだ。ふと、思って調べてみた。伝説のV9の主軸、ONとの比較。年齢的にも似ている。主砲という意味では慎之助がいるけれど、チームになくてはならない主軸の二人。投手力も、整備されていて、目指すは連続日本一。そして第四期黄金時代。長嶋茂雄 1936年2月20日王貞治 1940年5月20日V9(連続9年間日本一)は、1965年から1973年。長嶋29歳、王25歳でスタート。長野久義 1984年12月6日坂本勇人 1988年12月14日2013年の日本一の年は、長野29歳、坂本25歳。平成のON砲。大田と中井にも頑張って欲しいのだけど。。
Apr 4, 2013
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長嶋&松井で、ダブル国民栄誉賞!!長嶋、松井氏に国民栄誉賞…プロ野球発展に貢献読売新聞 4月1日(月)16時23分配信 政府は1日、プロ野球読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏(77)と、大リーグ・ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏(38)の2人に国民栄誉賞を贈ると発表した。 長嶋氏は人々の記憶に残るプレーでプロ野球の発展に貢献し、松井氏は大リーグの名門ヤンキースで活躍するなど日本野球の価値を大いに高めたことを評価した。 栄誉賞は1977年の創設以来、王貞治氏ら個人では20人が受賞。2月25日には、今年1月に死去した大相撲の元横綱大鵬の納谷幸喜さんが受賞した。 長嶋氏は58年に立教大から巨人入りし、翌年に天覧試合でサヨナラ本塁打を放つなど勝負強い打撃で活躍した。通算打率は3割5厘、444本塁打、1522打点。首位打者6回、最優秀選手(MVP)5回を獲得した。74年に引退後は、2度にわたり巨人軍監督を務め、2001年に退任後は巨人軍終身名誉監督に就任した。 松井氏は93年、石川・星稜高からドラフト1位で巨人に入団し、MVP3回、本塁打王と打点王それぞれ3回、首位打者1回。03年にフリーエージェント(FA)移籍でヤンキース入りし、09年のワールドシリーズで日本人初のMVPを獲得した。日米通算成績は、2504試合で打率2割9分3厘、507本塁打、1649打点。
Apr 1, 2013
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もちろん、お立ち台は脇谷&慎之助のダブル。脇谷は開幕シリーズで2度のお立ち台。高木京介は2勝。続いて、お立ち台に立った慎之助からは、「最高です!」の言葉も出ました。今シーズンも、こんな姿を何度も見たい!
Mar 31, 2013
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11回表、エルドレッドの一発を許して、1-2。その裏、代打の矢野、長野の連打で無死1、2塁。脇谷の一打が前進していた外野手を越えた。ここで強攻なら、ロペス、坂本のバントは何だったのか。でも同点、無死2、3塁のさよならの好機。坂本、敬遠の無死満塁で、慎之助の一打はライト線に飛び、さよなら慎ちゃんがまたヒーローに!逆転勝ち、開幕カード勝ち越し。
Mar 31, 2013
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前田健太に無得点に抑えられていた7回裏、坂本が甘く入ったスライダーをレフトスタンドへ。
Mar 31, 2013
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5回終了、試合が成立した時点で、川口審判員が、1500試合出場。場内からの拍手!
Mar 31, 2013
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開幕第3戦は、巨人が内海、広島が前田健太のエース対決。広島に併殺崩れの失策からみで先制を許すも、巨人は甘く入ったスライダーを、坂本が一発!1-1のスコアで、2戦続いての延長へ。
Mar 31, 2013
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安打は出るも、タイムリーが出ず、延長12回引き分け。。。菅野、高木京、西村、マシソン、山口、アコスタとつなぎ、ファンが心配していたアコスタも無失点に。菅野に打線の援護が付かなかったのは残念だけど。
Mar 30, 2013
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巨人ファンが、そして菅野本人が待ちに待った、東京ドーム初登板。。試合開始直前には、東京ドームの雰囲気を味わうかの様に、ライトポールの前まで来て、遠投を行っていました。勝利投手にはなれなかったものの、7回を1失点と堂々の内容。まずはローテを守ること、そうすれば勝ち星が付いてくる。そして、V9以来の連続日本一を!
Mar 30, 2013
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贈呈式に参加したメンバーも多彩。長嶋、金田、張本を初め、清原の各氏が参加していました。
Mar 30, 2013
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Mar 29, 2013
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2-3のビハインドで迎えた7回裏。2死2、3塁のチャンスで、脇谷が逆転タイムリー!そしてマシソン、山口が最小得点差を守りきり、開幕戦勝利!お立ち台は、逆転打の脇谷。お立ち台でインタビューを受けている脇谷に、祝福の水を浴びせるハプニング?も。背番号6、7、48が見えた様な。。。。
Mar 29, 2013
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巨人の2013年の初得点&初本塁打は、新外国人のロペスの一発!初打席、初本塁打。また、明日のスポーツ紙に、歴代の記録が載るのだろうなぁ。。
Mar 29, 2013
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3年目の宮國が栄光の開幕投手に。今年の更なる活躍が期待されます。宮國は走者を出しながらも、序盤は無得点に抑えるも。同点の7回表、1死2、3塁の場面で降板。
Mar 29, 2013
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開幕戦の前には、ジャイアンツOBが多数駆けつけてくれて、2012年の優勝を祝う、Champion Ring 贈呈式。長嶋終身名誉監督と原監督
Mar 29, 2013
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オープン戦も終了。14年振りのオープン戦1位。さあ、金曜日には開幕です。
Mar 24, 2013
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これだけの活躍を見せてくれると、野球ファンならわくわくしてしまう!プロ野球創成期(当時の職業野球)では、投手がクリーンアップを打ったり、代打から投手に入るのもあったらしいが。現在では、プロでは打撃で期待される投手も少ない。150kmを超える豪球も、場外で叩き出す豪打も素晴らしいけれど、エースで四番なんて姿も見てみたい。それもプロです。ファンもマスコミも大切に育てたいですね。大谷が最速157キロの二刀流デビューデイリースポーツ 2013年3月21日 九回は右翼の守備に就き、「投手→打者→外野手」の投打二刀流を実戦で初めて披露した。守備機会はなし。攻守交代時には再び、スタンドが大きく沸いた。九回は、あと1人出塁すれば2打席目が巡るところまできたが、2死三塁で二岡が左飛に終わり、ネクストサークルで試合終了を見届けた。 試合後、大谷は「すごく大変なのはわかっていたけど、マウンドに立っても、守備に就いても、楽しかった。1軍でしっかり活躍できるように頑張りたい」と力強い言葉を残した。 そして次打者・森山の時に驚がくの数字をたたき出す。初球のファウルはこの試合最速の157キロ。2球目も156キロを計時した。だが3球目の外角高め直球を左前に運ばれた。さらに嶋の初球に一塁けん制を悪送球。走者を得点圏に背負ったが、嶋は156キロ速球を外角低めに続けて追い込み、最後は128キロスライダーで見逃し三振に仕留めた。 2死二塁で迎えた鉄平の初球は高めに大きく外れる暴投となり、今度は走者を三塁に進めてしまう。だが最後は150キロ直球で捕邪飛。無失点で切り抜けると、大谷は笑顔でマウンドを降りた。 登板を終えると、打席が巡った。八回無死二塁。対するは小山。初球の137キロ直球を鋭いスイングで捉えた。強烈なゴロは飛び込んだ一塁・小斉のミットをはじいたが、素早く処理されて、一塁アウトに終わった。だが初球から振りに行く積極性、その力強い一振りは非凡さを感じさせた。 九回は右翼の守備に就き、「投手→打者→外野手」の投打二刀流を実戦で初めて披露した。守備機会はなし。攻守交代時には再び、スタンドが大きく沸いた。九回は、あと1人出塁すれば2打席目が巡るところまできたが、2死三塁で二岡が左飛に終わり、ネクストサークルで試合終了を見届けた。 試合後、大谷は「すごく大変なのはわかっていたけど、マウンドに立っても、守備に就いても、楽しかった。1軍でしっかり活躍できるように頑張りたい」と力強い言葉を残した。
Mar 22, 2013
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純国産チームで挑んだ第3回、台湾戦での感動、オランダ戦での大爆発。準決勝の敗北で帰国の途へ。台湾戦での鳥谷の9回2死からの2盗が日本を救ったのは事実だけれど、準決勝のこの場面で「『行けたら』行け」というのはさすがに。ランナーが一人、または1、3塁ならともかく。試合終盤、ビハインド、ただでさえ緊張する場面、かつランナー二人(しかも所属チームは別)の場面でこのサインは。。。山本監督は、二転三転した監督選考、そしてイチローを初めとするMLBの選手が辞退を続けた中での功績は多大。前田、田中、坂本、中田と行ったJAPAN新世代の選手の活躍も生んだ。誤解のない様に言えば、育てる監督としては大満足。一ファンとしては、「重盗」というサインであればOK。ただ、「『行けたら』行け」というのは、監督の選手への責任転嫁の様で少し寂しい。もちろん、序盤からの攻撃が繋がっていれば、展開はちがっていたのだろうけれど。監督首脳陣、選手、そして裏方さん達もお疲れ様。まずは、ゆっくり(は出来ないかもしれないけれど)疲れを取って。球春、そして日本の野球ファンが待っています。「重盗OK」サインも…走塁ミスで消えた侍ジャパンV3(スポニチアネックス)2013/3/19 7:02 第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は17日(日本時間18日)、準決勝1試合を行い、侍ジャパンはプエルトリコに1―3で敗れ、3連覇を逃した。8回に1点を返し、なおも1死一、二塁の好機で、一塁走者の内川聖一外野手(30)が盗塁死。終盤の勝負どころで痛恨の走塁ミスを犯し、3大会目で初めて対戦した中米の強豪に屈した。失意の侍ジャパンは、19日に帰国する。 痛恨のミスで3連覇は消えた。8回、井端の適時打で1点を返し、内川も右前打で続いて1死一、二塁。打席に4番の阿部を迎えた。願ってもない反撃の機会だったが、2球目に一塁走者の内川が飛び出してタッチアウト。反撃ムードは一気にしぼんだ。山本監督は「重盗に行ってもいいというサイン」と説明。いわゆる自らの判断で盗塁できる「グリーンライト」だった。だが二塁走者の井端はスタートが遅く、すぐ帰塁した。「行けたら行けということだったので(途中で)立ち止まって…」。その動きに内川は気づかず、二塁へダッシュした。顔を上げたのは二塁手前だった。 プエルトリコの守護神ロメロのモーションの大きさは事前に分かっていた。ただ捕手は強肩のY・モリーナ。重盗では二塁走者のスタートを見てから一塁走者が走るため、三塁ではなく二塁で刺しにくるケースがある。内川にも大きな重圧がかかる場面だった。その状況下で井端から目を切り「やってはいけないこと。全部自分のワンプレーで終わらせてしまった」と責任を背負った。 グリーンライトに笑い、そして泣いたのだ。2次ラウンド初戦の台湾戦でも1点を追う9回2死から鳥谷が二盗に成功。井端の同点打を呼び込み、延長で逆転勝ちした。これが勢いを生んだ。今大会トップの7盗塁。打席に主砲を迎えても、果敢な走塁で2点差を追いつこうとした。だが、結果的に3連打の勢いは足でそがれた。それでも、山本監督は「一つでも先の塁に行く、この作戦に悔いはない」と言った。
Mar 19, 2013
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準決勝を賭けた大一番は、キューバを破ったオランダとの対戦。鳥谷の先制弾に続いて、松田、内川とアーチが続き、序盤から大量リード、そして坂本の満塁弾でなんとなんと、6本塁打で、7回コールドゲーム。福岡ラウンド、そして東京ラウンドの台湾戦が一体何だったのか。本塁打の打球も飛距離も凄いものばかり。先発の前田健太は、完璧すぎる程の出来で、テレビ解説の桑田真澄さんが「WOW!」なんて(笑)。内海も出来は悪くない(解説の槙原さん)けれど、球との相性はまだ少し。確かにシーズン中に死球なんてまず見ない。メジャーで活躍する打者が上位に並んでも、日本の投手力できっちり投げれば抑えられる、そして打線もふっきれた様で全開です。12日に予選ラウンドを締めくくり、さあ、米国準決勝が待っている。
Mar 11, 2013
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3月8日の東京ドームで、配られていた選手応援歌です。日本中の声援と力を選手へ!
Mar 10, 2013
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10回裏は杉内が登板。ランナーを出すも、最後は併殺に仕留め、日本は台湾との死闘に勝利。延長11回に入れば、日付が変わろうかという時刻で試合終了。ファンも、選手も、そして監督がほっ、としたのでは。日本代表山本監督インタビューお立ち台は、決勝犠飛の中田選手インタビュー終了後も、スタンドからは「井端コール」が続いていました。いつまでも、いつまでも。さあ、米国の決勝ラウンドまであと1勝!です。
Mar 9, 2013
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坂本が送りバントを決め、2、3塁の場面で、中田翔が深々とレフトに。これが犠牲フライになり、この試合で日本初めての勝ち越し!球場の「中田コール」に力強く、右手を突き出してくれました!
Mar 9, 2013
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9回表2死、絶対絶命の場面で、福岡ラウンドに続き、井端が値千金の同点タイムリー!この瞬間、ドーム内の日本サポーターは狂喜乱舞。スタンドには、日本代表に加えて各チームのユニフォームを着て応援。普段なら決して交わらない?人達も、ただただ日本、そして井端に声援。スタンドの声援に答える井端(ボケていますがお許しを)いつまでも、いつまでも井端コールが続いていました。
Mar 9, 2013
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8回表、待望の日本の反撃開始。阿部のタイムリーに続いて、坂本が同点打!貴重な貴重な同点打。ただ、この流れで一気に勝ち越せなかった…
Mar 9, 2013
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序盤、日本は相手を上回る安打を放ち好機を作るも、あと一本が出ず。台湾の先発王建民を崩せず。一方、日本先発の能見は、1回はパーフェクトの滑り出し。ただ、2回からボールが目立つ展開に。ライトスタンドからは、「巨人戦みたいに投げればいい、ヤクルト戦じゃなくて」と鋭い応援。(能見は、巨人戦に強く、ヤクルト戦に弱い)そして、まさかの押し出しの展開。後を受けた摂津がピンチを抑えるも、失点で0-2。三番手は田中将大。力のあるボールでテンポよく相手打者を打ち取り、8回表の日本の反撃につないだ。
Mar 8, 2013
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国歌斉唱スヌーピーの始球式
Mar 8, 2013
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もう少しで日付が変わろうかという10回裏。ダブルプレーで試合終了、日本は死闘に勝利。ドーム内の選手はもちろん、ファンも、日本シリーズを上回る気力で応援。もうヘトヘト。その時に、ふとグランドへ眼をやると、マウンドの周りに選手が集まっている。日本チームかと思えば、台湾チーム。死闘の末、そして敗れた状況でこれはなかなか出来ない。(というか、私なら出来ない)https://twitter.com/okada014/status/310053067154415616/photo/1https://twitter.com/hpgoodjob/status/310050417939734529/photo/1(ツイッターを共有させていただきます)しかもマウンドの周りを円になって、外に向かい、球場全体に挨拶。勝利や政治が全面に出てくる国際大会の中で、こんな台湾チームとそのサポーターに大拍手です。できれば、こんなチーム、そしてサポーターと決戦を米国で戦いたい。激戦の中、爽やかな風が吹きました。
Mar 8, 2013
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何度ももう駄目かと思う展開の中、9回2死から井端の値千金の同点打!そして10回表には中田の決勝犠飛で台湾に勝利!さあ、米国の決勝ラウンドまであと1勝!
Mar 8, 2013
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福岡の第1ラウンドは、2勝1敗で2位通過。ブラジル戦は、あわやという場面に追い込まれるも、井端の値千金の同点打!そして阿部慎之助の勝越打で逆転勝ち。中国戦は、順調に得点を重ねるも最終回には失点。この時点で第2ラウンドへの進出決定。キューバ戦は、序盤からの好機にあと一本が出ず。最終回に、反撃を行なったものの力負けの感あり。第1回WBCでは、米国審判の誤審、あと一歩で敗退のところまで追い詰められた(メキシコが米国に勝って準決勝進出)。第2回WBCでも、第1・第2ラウンドでも韓国と幾度となく戦い、次の試合を負けたら敗退という場面もあった。さて、今日からの東京ドームでの第2ラウンド。日本全国の声援を受けて戦うのみ。ホームアドバンテージも生かして、「米国へ行こう!」(山本監督)。第2ラウンドは、もう1回だけは負けられる。。
Mar 8, 2013
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さあ、いよいよWBC予選が今夜福岡で開幕。頑張れ!侍JAPAN巨人との試合(強化試合)でのスタメン
Mar 2, 2013
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昭和40年代、強くて人気のあるものの代名詞。巨人は、ONの全盛期でV9街道をまっしぐら、そして横綱・大鵬も無敵の強さを誇った(らしい)。玉子焼きはそれ程人気だったのかどうか分からないが。酒豪で有名だった王さんと、飲み比べをした逸話とか。どちらかが寝てしまって、そして起きてももう一方は飲み続けていたとか。天国から相撲界と野球界、そして日本への応援を続けてくれるのでしょう。ご冥福をお祈りします。長嶋さん「ともに時代を彩り光栄」…大横綱・大鵬死去スポーツ報知 2013年1月19日 日本相撲協会によると、大相撲史上最多の32回の優勝を記録した元横綱・大鵬の納谷幸喜(なや・こうき)氏が19日午後、心室頻拍のため東京都内の病院で死去した。6連覇2回、全勝優勝8回、45連勝などの大記録を樹立した1960年代の国民的ヒーローで「巨人、大鵬、卵焼き」の流行語も生まれた。 同時期にプロ野球・巨人で活躍し、不滅のV9主力として同じく国民的ヒーローとなった長嶋茂雄終身名誉監督(76)=報知新聞社客員=は、「圧倒的な強さと揺るぎない精神力は戦うものの究極の姿を示してくれました。ともにひとつの時代を彩ることができたとすれば『光栄』のひと言に尽きます。まさか病との闘いでも大鵬さんと同じ道を歩むことになるとは思ってもみませんでしたが、元気なお姿を拝見するたび、自分の励みにしてきただけに大変に残念です」と哀悼のコメントを寄せた。
Jan 19, 2013
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松井が巨人に入団した1993年は、第二期長嶋政権の最初の年。ミスターの復帰、松井、そして一茂(ヤクルトからトレード)の入団で、宮崎キャンプが週末には5万人の大賑わいとなったのも懐かしい。ドームの登場曲はゴジラのテーマ、そして低い弾道でライトスタンドに叩き込まれる本塁打を見て、巨人ファンは黄金時代の到来を予感したもの。2000年、2002年には、四番打者として全試合、全イニング四番に座り、リーグ優勝、日本一を巨人にもたらして、メジャーに旅立って行った。ヤンキースでは、日本人初のワールドシリーズMVPになって幸せだったのではないかな。丁度、日本で10年、米国で10年のプロ生活。本当に、ご苦労様。来年からは、OB戦に巨人の55番で登場して欲しいなぁ。。特別だったヤンキースでの7年間 松井「最高に幸せな日々だった」 スポニチアネックス 2012年12月28日 レイズからFAとなっていた松井秀喜外野手(38)が27日(日本時間28日)、ニューヨーク市内で会見し、「本日をもちまして、20年間に及ぶプロ野球人生に区切りをつけたい」と語り、現役引退を表明した。日米通算507本塁打、平成最強のスラッガーは日米通算20年間のプロ生活に終止符を打ち、バットを置くことを決断した。 会見では「ジャイアンツはふるさと、ヤンキースはあこがれ」と20年のプロ野球人生を振り返った松井。10シーズンを過ごし、通算332本塁打をマーク、本塁打王に3度輝き、MVPも3度受賞した巨人時代については「充実した時間を過ごせた」と語った。 また、巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(76)から「ディマジオを目指せ」と伝説の強打者の名前を聞いたことが、ヤンキースを意識するきっかけだったと告白。「7年間もプレーできたことは最高の出来事であったし、最高に幸せな日々だった」とヤ軍での日々を振り返り、「初めてヤンキースタジアムでプレーしたこと、最後にプレーした日のことは、一生忘れることなく心の中にあり続ける」と特別な思いを口にした。
Dec 28, 2012
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ファンとのキャッチボールでも、村田兆治さんは熱い!子供には、グラブの位置、足、手とひとつひとつ指導。子供連れのお父さんには、子供と是非キャッチボールをして下さいと声を掛け。そして、ある程度上手い(野球経験者)には、つい力が入ったのか、(素人目には)目にも止まらぬ快速球が、キャッチボールをしていた相手に直撃。硬球ではなく、大事に至らなかった様なので一安心ですが。。。村田さんの教えでは(私なりの理解なのでご容赦を)、・軸足はプレートと平行に(セットポジションの要領)・腕を上に上げた時に、(頭の上で)グラブは縦に・振りかぶって前足を踏み出すに、つま先だけで伸び上がる(もし可能であれば)そして、・投げた後のフォロースルーでは、手は反対の腕を交差する要領で村田さん曰く、「キャッチボールをしていれば、四十肩、五十肩にならない」。日頃の運動不足解消の一つとして、家の中でもシャドーピッチングをしてみようかなぁ、と思いました。
Dec 18, 2012
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午後の部には村田兆治(元ロッテ)が登場。村田さんの話を聞くのは初めてで、奥様の「昭和生まれの明治男」というイメージがあったのですが。ざっくばらんな近所のおじちゃんの様な雰囲気でした、でも野球の事になると真剣。トークショーの後に、ファンの女性にボールをプレゼントする時でも直接捕球するまで繰り返すとか。スタッフ相手に快速球を投げたり(室内でもキャッチボールできる様に開発されたゆうボールなので怪我はしないのですが。。http://www.naigai-rubber.co.jp/yuuball.html)、ファンとのキャッチボールでは子供(6才位?)に熱く、グラブ・足・手の動きから指導。。1. 人生先発完投村田さん曰く、下手だったからやりぬくしかない。プロに入ってレベルの高い中に入り、やる気はあるが結果が出ない。そこで、「見る」、「聞く」、どうなりたいかやる「意思」をもち、分析した上で成長につなげる。最終的には「やればできる」ということ。それを支えてくれたのは球場のファン。ただ、村田さんの場合、やると言えば徹底的にやる。マサカリ投法のモーション(片足立ちでのスクワッド)を1000回、4時間掛けて行なう。トークショーでも、参加者(聞いている人)に「実際にやってみなさい」と(実際にみんなでエクササイズ。村田さんは「100回」と冗談で言うも、とりあえず10回で終了)。当時のロッテには成田、木樽という名投手がいて、村田さんのから見てもアウトコースのスライダー、フォームが綺麗だったそうです。2. フォークボールフォークボールを身に付けたのはウイニングショットが欲しかったから。プロの一流打者を相手にしていると、(ストレートだけでは、最初の)5~10年は良くても打たれてしまう。村田さんは、村山投手(元阪神)が伝統の一戦でONと戦う姿を見て、ああいう風になりたいと思い憧れたそうです。有名な指でビール瓶を挟むと、引っ張っても抜けない話に触れて。色々な場所で練習を重ねる中、同僚にその姿を笑われるのは構わない。ただ、ファンに(打者に打たれて無様な姿を)笑われたくないという言葉に、村田さんの投手としてのプライドを感じました。ただ、やりすぎて腱鞘炎になったことも。ただ、3ヶ月程して治ると、一升瓶が抜けなくなる位、挟む力が強くなっていたそうです。南海野村監督との戦いフォークボールが完成して、猛威をふるい出すと。南海戦では、三塁コーチャーのブレイザーがフォークの時に口笛を吹いて打者に知らせる。すると打者は、バットを短く持って当てにくる。当時の大阪球場は、観客が少なく、これ(口笛)が良く聞こえる。最初は「何だろう」と思ったそうですが。。ただ、それからはフォークの握りで、ストレートに握りを変えるなど駆け引きも。逆にこんな場面もあったとか。打者にフォークの握りを見せて投げる、そしてその通りフォークを投げて討ち取る。そう言えば、フォークの元祖杉下投手(元中日)も同様なことをしたとか。村田さんは、パンチ佐藤(元オリックス)、原辰徳(現巨人監督)とも対戦したのですが、彼らにとって村田さんのフォークは「消えた」と思える程のキレだった様です。一流投手の基礎は下半身、足、膝を鍛えること。ロッテが日本一になった1974年(昭和49年)の監督はカネやんこと金田正一さん。ただ、村田さんも人一倍カネやんには逆らって、「投手はボールを足で投げろ(下半身を鍛えろ、という例え)」に対して、本当に足で投げた(蹴った)ら、物凄く怒られたそうです。。。
Dec 17, 2012
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12月16日(日)のスポーツフェスティバル@東京ドーム・プリズムホール。最初のゲストは槙原寛己(元巨人)、ソフトな語り口とユーモア・機転が利く楽しいトークでした。1. ミスターパーフェクト今季、巨人の杉内投手があと一歩でパーフェクト(完全試合)の試合を見ていて。。「杉内が(パーフェクトを)したら、自分の影が薄くなる」「現在は、槙原(1994年)以来のパーフェクトと言われるのが、杉内(2012年)以来となる」と思いながら見ていたとか。27人目の打者にフルカウントから四球(完全試合ならず)となった場面では、「小さくガッツポーズ(本人談)」をしたとか(笑)。(なかなか言えない本音。。)自分の完全試合(1994年、福岡ドーム)では、9回の場面、1アウト後のサードゴロをさばく長嶋一茂を不安そうに見ていたとか。。この少し前に門限破りをして、「この試合に勝ったら、(謹慎を)解いてやる」と言われて、「むちゃくちゃモチベーションが高かった」。結果、完全試合、他の試合でも追い詰められた時には強みを発揮したと語っていました。先日、テレビで語った花火事件。堀内(前監督)が解説をしており、「槙原は血豆を作りながらも力投している」と誉めていたものの、実は花火で水ぶくれを作ったのが真相。しかも、自宅のベランダで花火をしたら犬がどんな反応をするかを見たくて、花火をしたとか。結果は、犬は「キャン!」と言って驚いた様ですが、それを見て槙原氏は笑っていた。ところがその花火で水ぶくれに(汗)。。でも、完投したそうですが。追い詰められた時には強いという話の続きで。1994年の日本シリーズ(長嶋巨人×森西武)。巷の予想では西武有利、また1983年、1990年の日本シリーズ(巨人×西武)で敗れている巨人にはコンプレックスがあるのではと言われるも。槙原さん曰く、「でも10.8(1994年10月8日、中日×巨人、勝った方が優勝というシーズン最終戦での決戦)に勝った自信は大きく、負ける気はしなかった」。今年(2012年)の巨人も、クライマックス・シリーズで3連敗から逆転優勝、そうなったら日本シリーズでも負けるはずがない。最後に、1994年のFA宣言。(当時、色々と報道され、長嶋監督がバラの花束を持参の上、慰留。そして巨人に残留)ただし、本人によれば、「(巨人を)出て行く気もないのに、巨人(球団)が何も言ってくれない」というのが真相とのこと。2. 甲子園三連発その試合では、当時使い始めたシュートが面白い様に決まった。そしてその場面、バースには甘く入ったシュートを叩き込まれ。。。これではいけない、自分はストレートで勝負する投手ではないかと思い投げたストレートは、掛布に2本目を被弾。そして、お前には別の球もあるじゃないかと思って投げたスライダーは。岡田に3連続でバックスクリーンに叩き込まれ。。。センターを守っていたクロマティ(クロウ)は、外野にホームラン性の打球が飛ぶと、背走しながら背番号の49が見えるのだけれども、岡田の3本目の打球はまるで万歳をする様な格好で手を挙げていたとか。面白いキャラクターです。三連発を喰らって、現実は甘くないと思った。ただ、槙原さんの初先発・初勝利・初完封は甲子園。しかも初登板の試合ですべて達成。当時はただがむしゃらに投げていて。10回表に1点が入った、普通ならそれで投手交代のところ、藤田監督(当時)に「このまま行け(続投)」と言われ、「はい」と言って完封してしまうのでが凄いところ。最後に、昨今の野球について。統一球(低反発球)の導入で、1点台の投手が続出。ただ、槙原さん的に言えば、日本的な頃合の良い程度に反発を調整できないものなのか。今季も、シーズン当初よりも7~8月あたりには本塁打が増えたのも少し調整されたのではないかと思う。。過去から言えば、球場が広くなって(ナゴヤ・札幌・福岡ドーム)、同時に球が飛ぶ様になった。かつては、両翼90メートル程度であったナゴヤ球場や広島球場で野球を行なっているとバッテリーは、細かい野球を行なっていた(外角低めとか)。現在の球場はフェンスが高い、外野のフェンスの高さを見直せば(下げれば)外野手の凄さが出てくるのではないか。最後に来季期待する選手に、澤村(巨人)を挙げました。クライマックス・シリーズの投球は良かった。来季成長にて何年も活躍・ファンに応援される選手に成長して欲しい。
Dec 17, 2012
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Dec 16, 2012
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人生先発完投この後、みんな(観客)も一緒に。。フォークの握りストレートの握り引っ張っても抜けない子供が引っ張っても抜けない。ただ、何回か行なった後で「指が痛い(本人)」(汗)
Dec 16, 2012
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