そういちの平庵∞ceeport∞

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般若の面


一説には般若坊という僧侶が作ったところから名がついたといわれている。あるいは、『源氏物語』の葵(あおい)の上が六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の嫉妬心に悩まれ、その生怨霊にとりつかれた時、般若経 を読んで御修法(みずほう)を行い怨霊を退治したから、般若が面の名になったともいわれる。

象牙で出来た般若の面が我が家の柱に飾ってあった
母がこの面に向かい
「私は鬼になってやる」と叫んでいた
何故叫んでいたかというと
父が外で酒ばかり飲んで帰宅が遅く
兄弟の借金の保証人になったり
子育てや家庭に対して全く協力的でなかった

母は子供が好きでなく
育てる自信もなかった
人間的にも未熟だった

こんな家で僕は育った
家にいる父は僕を溺愛した
そんな僕に母は嫉妬したのだと思う
もとからの性格も加わってか
とにかく怒鳴る、叩く、悪感情や暴力は僕にぶつけられた
姉は部屋の隅でそんな光景を見つめていた

子供の頃は柱にかけられた般若の面が恐く
母に何度もはずしてくれと頼んだ
「絶対、はずさないこれは私だ」
「私は鬼になってやる」と叫んでいた
だから僕はずっと般若の面を嫉妬や鬼だと思ってきた
般若の面は邪気を追い払う守り神だそうです、
邪悪なものからいつでも守ってくれるそうです
守り神と言うものは、知らず知らずに私の近辺にいてなんでもない状態でいるものですね、
だから全然気づきませんでした、そんなものです。

僕は恐れていた存在に守られていたのかもしれない
僕や姉の人格形成にこの時期の母の感情は多大の影響を与え
僕や姉が病気になったり色々あったけど母も一人の弱い女性に過ぎない
父にも責任の半分はあった
そしてその時の傷は未だに僕の心を苦しめる
そんな時以下の言葉を思い出す

コリント人への手紙第1・13章4節
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。」

コリント人への手紙第1・13章7節
「愛はすべてをがまんし、すべてを信じ、
すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」


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