そういちの平庵∞ceeport∞

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事件とニュース



もう少しのことではおどろかなくなった

小学生が人を殺せば次は幼稚園児か?

親が子供を殺し子供が親を殺し

殺人は日々行われ

詐欺も汚職も当たり前

起こったことを話題にしすぐ忘れ

これまた生産と消費のプロセスだし

今が特別なわけじゃない

対岸の火事や戦争は人の喜び

事件のニュースにはスポンサーがつき視聴率がある

今日の視聴者は明日の犯罪者

新聞やテレビでニュースを知って、泣きたくなったり、むごいと感じたりしたのに、次の日には茶飲み話なのだから

犯罪者だけでなく、事件を見ている者も、罪を罪と感じられなくなっているという気がするのだ

非常に悲しいことが傍らで起こっている、そういう地獄のような現実にいながら、意識のなかには地獄は存在しない

人がこんなことをするはずがない、というような信頼を抱けなくなってる

だから、傍観者的にしかものが見えなくなっている

この構造が「いじめ」だ

人間同士のかかわり方がバラバラになってる

だから「見ない、信じない、感じない」

そういうことだ

それでも人は生きていくのだし

何かをせずにもいれない

信じるものを捜し求め


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