ふょんさんへ
お久しぶりです。お元気にしておられますか?

言葉は「言霊」とも言われるように、ある意味生き物のようなものだと思うんですよね。
言葉が発せられる状況や背景など全く無視して無機的に括るということが横行してますが、根本的な解決にはならないと思いますし、このままエスカレートするとどういう社会になるか、想像しただけでも恐ろしいです。
英語圏でもそういうことってあるんでしょうかねぇ。 (2025年11月08日 21時45分37秒)

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2025年10月28日
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カテゴリ: 何かヘンだぞ
職場で「〇〇ちゃん」と名前を呼ばれたのはセクハラだとして、佐川急便の営業所に勤めていた40代女性が年上の元同僚の男性に約550万円の慰謝料を求めた訴訟の判決で、東京地裁は23日、「許容される限度を超えた違法なハラスメント」と認定し、22万円の支払いを命じた。(共同通信)


ただよく読むとこの女性社員、件の男性上司の「ちゃん付け」だけでなく、「かわいい」とか「体形いいよね」といった言葉も受けているようなので、一概に「ちゃん付け」だけの問題ではないのだろう(個人的にはむしろ「かわいい」とか「体形いいよね」の方がずっと問題だと思う)が、とりあえず現状問題になっている形に沿って考えてみた。

まずはそもそも「ちゃん付け」で呼ぶこと自体に問題があるかどうかだ。結論から言えば、個人的にはそのくらいの自由度はあってもいいと思っている。上司から見て明らかに「見下した」ような言い方(呼び捨てとか)は、それこそ「パワハラ」とされてもおかしくない要素を有しているだろうが、「ちゃん付け」はまだそんなレベルではないと思う。

問題は状況とか言い方とかそういった付随する条件、そして個人差、ではないか。たとえばサラッとした言い方なのかねちっこい言い方なのか、一瞥して言うのかいやらしく見つめながら言うのか、そういった条件次第で受け取り方は全く異なる。あとは誰が言うか、イケメン若手上司と脂ぎった中年上司とでは、受ける感覚もまた違ってくる。そして受け手側の問題。中には堅苦しいのは嫌だからむしろ「ちゃん付け」で呼ばれたい、という女性もいるかもしれない。

こうなると条件次第でいくらでも状況は変わってくる。これを十把一絡げに論じることに危うさを感じないでもない。ただ社会の趨勢は、「少しでも誰かが傷つく恐れがあれば未然に防がなければいけない」という流れになっているから、わずかでも危険性があれば「アウト」判定となってしまうんだろう。昨今の「○○ハラ」って、みんなそうやってできているのだ。

でもそういう社会って、なんか息苦しくないか?

何かを言われて嫌な思いをする人がいる。それは厳然たる事実だし、被害者の方はお気の毒だと思う。それならそういった恐れのある言葉は全て封印しましょう。それもひとつの方法だ。ただそれは言い換えれば「臭いものにフタ」、あるいは「事なかれ主義」とも言える。それは事を未然に防ぎはするかもしれないが、根本的な解決にはなっていない。逆にどんどんエスカレートする恐れもあり、最終的には職場でいうっかり口もきけないような状況になってしまいかねない。効率重視ならそういうのもアリかもしれないが、職場ってある程度の「潤い」は必要だと思うし、言葉がその大きな要素であるのは間違いない。

今のこの「○○ハラ」の流れって、ある意味「言葉狩り」の様相を呈しているような気がする。

まあこういった問題は「根本的解決」などどだい無理だろう。それならそれで「対症療法」に切替えてみるのも手ではないか。前にも言ったように「ちゃん付け」されたい人もされたくない人もいる、「ちゃん付け」で呼んでほしい人も呼んでほしくない人もいる、そう考えると、いやな人はそう思った時点で「やめてください」と拒否する。拒否された人は今後やめなければいけない。



例えは適切ではないかもしれないが、青少年のバイク事故を無くすためにはバイクを禁止するよりも正しいバイクの乗り方を教育する方がいい、ということをよく聞く。これと同じ考え方で、アウトと思しき言葉を片っ端から排除していくのではなく、言葉が適切に使われていない状況でそれに異を唱えられる環境づくり、そしてそれに起因するパワハラなどを監視する社内的機関の整備、等々こういったところから手を付けていった方がいいように思う。

とかく「○○ハラ」というのは、それが該当しないような環境下でも言葉だけが独り歩きしかねない。そういう流れがある意味社会の閉塞感を助長していると感じるのは考え過ぎだろうか?





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最終更新日  2025年10月28日 23時22分59秒
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Re:ちゃん付けの是非(10/28)  
ことばを文字通りにしか受け取れない人が増えてきて、その裏にある思いよりも字面にこだわる社会になってきているように思います。

禁句を増やしていった方が社会的に安全だということなのでしょうか。
でもその割に、イジメは減らないどころか悪質化していますね。 (2025年11月06日 02時36分38秒)

Re[1]:ちゃん付けの是非(10/28)  
リカーマン1号 さん

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