MURDEROUS PLOT

MURDEROUS PLOT

02.触れた指先


俺は、今、何をした?
わからない。
自問自答をしても答えが出ない自らの行為の意図が、わからない。

例えば、俺が世の中で言う『プレイボーイ』とやらに成れたなら、この行為にも何らかのMotive《動機》を付けられたのだろうか。
或いは、俺が人間心理の専門家だったなら、今の自分がした行為を多方面から推理して、きちんとした理由、結論を導き出せただろうか。

それすら、自問自答の域を出ることは決して無いのだけれど、俺は考えてしまう。
受験勉強にナーバスになっているだけなのだろうか。でもだからと言って、彼女の手に触れることは何の意味も成さない筈だ。




彼女は、俺の男友達の恋人だ。
ふわふわとした天然パーマのかかった長い髪をゆらゆらと揺らしては、男友達の元へにこにこと駆け寄っていた。何がそんなに楽しいんだか、いつも幸せそうに会話をしている。俺は彼らを見るにつけ、いつも不思議な思いに駆られていた。
対する俺は、『勤勉』という文字を人間に置き換えたようなガリ勉少年だ。(と、友人にも屡言われたし、実際俺も自分をそういう奴だと捉えている。)
国語と英語が好きで、しょっちゅう図書館に引きこもっては蔵書を読み漁るような、根暗と見られても可笑しくない奴だった。
でも、彼女はいつもそんな根暗っぽい俺に、普通に話しかけてくれた。彼氏の男友達だったからなのかもしれないが、そういった気兼ねのない態度が、俺にとっては救いだった。
彼女は、とても視野の広い人間だった。俺の返す言葉を、より広い意見で評価したり、時には俺と好きな作家の討論を交わしたりもした。
そんな風に、切磋琢磨しあえる相手と出会えたのは、本当に幸せだと思う。男友達には、ひたすらに感謝せねばならないだろう。
因みに、彼女の彼氏である俺の男友達は、あまりにも一つの視点に固執する人間だったので、俺と会話をしていると、互いに話が平行線を辿った。それはそれで面白いものだったので、俺は彼との会話の時間も、満更嫌いではなかった。

今日も今日とて例に漏れず、俺は図書館へと足を運んでいた。何という理由もない。強いて挙げるとすれば『何となく』というのが理由になるだろうか。
図書館の蔵書は、ここ数年で半分程は読み終えていた。ただし、それは全て日本語の蔵書であり、英語で書かれた文章の蔵書には、まだ手を付けていないのだが。
図書館のエアコンから出る温い冷気が、本のページの端を捲りにかかる。それを見て、まるでエアコンが、本を読むのを急かしているようだと思った。
「待っていろ、すぐに次のページに進むから。」と一人ごちて、ゆっくりと蔵書に目を通していた。「なに、焦ることはない。夏休みは始まったばかりだ。」と俺はエアコンに語りかける。返事代わりに、エアコンの風が一段と強くなった。

その時だった。

「秀一さん。」

鈴を鳴らすような、彼女の声がした。どき、と心臓が驚きの声を上げる。
「あぁ、夏海さんじゃないですか。」
ふ、と顔を本から外して、彼女の声のする方へ向ける。蕩けるように甘い笑顔で、「こんにちは。」と彼女は挨拶をした。
「怜二はどうしたんですか?いつも、此処に来る時は一緒でしたよね?」
怜二とは、俺の男友達であり、尚且つ彼女の彼氏である男の名前である。彼女らは、しょっちゅう二人で図書館に来ては俺と会話をし、小説か何かを借りていっていたのだ。初めてではないだろうか、彼女が一人きりで此処へ来たのは。
「怜二さんは、どうにも図書館の空気が苦手らしいの。無理に付き合わせるのは可哀想かと思って。」
そういえば、怜二は堅苦しい雰囲気が苦手な奴だ。今まで彼女と一緒に此処に来ていただけでも、褒めてやるべきだったのかもしれない。まぁ、あいつのことだから、大方、彼女と少しでも長く居たくて無理をしていたのだろうが。
「そうですね。」
“怜二は、貴方と一緒に居たくて、今まで大嫌いな図書館にも足を向けたのでしょうね。”と言おうかと思ったが、それはあまりにも蛇足な気がしたので、黙っておくことにした。あいつの性格を熟知している彼女のことだ。言わないでも、きっとあいつの今までの努力を喜ばしく思っていることだろう。現に今、彼女は神々しいまでの微笑みを湛えている。
ふと、彼女の笑顔を見ながら思う。
いつも、あいつは彼女を自転車の後ろに乗せて、図書館まで運んでいた。でも今日はあいつが居ないのだ。自転車で此処まで来たのだろうか。でも、自転車で来るには、彼女の家から此処までの距離はあまりにも長すぎる。
それに、今日の気温は例年の同日よりも3℃ほど高い、32℃である。長い道を自転車でひたすらに走り続けていたとしたら、体が不調になったりはしないだろうか。
それとも、良家のお嬢様である彼女だから、矢張り車で送られたのだろうか。
彼女の交通手段を気にするのもどうかと思うが、気に留めたものを放って置くほど、俺はものぐさではなかったので、
「ところで、夏海さんは一体どうやって此処まで来たのですか?今日は例年よりも3℃ほど高いとテレビで聞きましたが。」
と尋ねた。彼女はさして気にも留めないといった風情で
「あぁ、歩きですよ。」
と言った。
「は?」と、ややもすれば失言ともとれる発言で、彼女に同じ言葉の催促をする。矢張り彼女は「徒歩です。」と、あっさり返した。
「…夏海さん。今日の日差しを知っていての暴挙ですか?地球温暖化の影響で、相当に威力を蓄えているのですよ?」と聞き返す。「第一、貴方の家は此処から歩いて1時間30分は優に超えるじゃないですか?!」と付け足すのも忘れずに。
「だって、今日はとても空が綺麗なんですもの。車で来るなら、窓越しではあまり楽しめないでしょうし、自転車で向かえば、空を見ていて運転をしていたら車にぶつかってしまうやもわかりませんし。その点、徒歩ならば、ゆっくりと空を見ながら歩いて来れますでしょう?」
…彼女らしい持論だ。それはそれで、素晴らしいことだと思うが。
しかし彼女は、俺の友人の恋人なのだ。帰り道に何が起こるかもわからない。日差しの強さで彼女が倒れては、きっとあいつも悲しむだろうし、何処かで彼女をストーキングする男が居るかもしれない。俺はあいつの友人として、彼女を徒歩で(しかも1人で)帰らせるわけにはいかないと考えた。
「帰りの道中、俺の自転車の後ろでは、空を楽しむことは出来ませんか?」
控えめに問うと、彼女は「滅相もありません。」と、右手をさらりと振って見せた。
「ならば、俺が夏海さんを無事に送り届けましょう。」
彼女ほどではないが、出来る限り優しい声色で、優しく笑って言う。
「ありがとうございます。」
これでもかというほど深々と頭を下げる彼女は、俺に育ちの良さを感じさせた。


本も読み終わり、借りる本の手続きを済ませると、歴史小説に目を通している彼女に「夏海さん」と声を掛ける。本を読む時にのみ掛けている眼鏡をすっと外して、「手続き、終わったんですね?」と言うと、すかさず手に抱いている本を俺の方へと持ってきた。
「秀一さん。ご迷惑でなかったら、この本の手続き、秀一さんにお願いしても良いでしょうか?」
「カード、忘れたんですね?」という俺の問いに、彼女は『こくり』と頷いた。
何処の図書館でもそうだが、本を借りる時には図書館カードが必要だ。彼女は、どうやらそのことをすっかり失念していたらしい。
「わかりました。まだ俺は1冊しか借りていないから新しく借りても大丈夫ですし、この本の手続きをしてきますね。」
「待っていてください。」と言い残すと、俺は貸し出し口へ向かった。
この図書館の一人へ貸し出せる限界の冊数は、10冊までだ。いつもなら俺は何冊も借りていくのに、今日は、まるで彼女がこう申し出るのを知っていたかのように、1冊の本しか借りていなかった。
「はい、どうぞ。」
貸し出しの手続きを済ませて手渡すと、彼女は、しきりに礼を繰り返した。
そんなに感謝しなくても良いと思うのに。たかが本1冊じゃないか。
でも、俺はそんな律儀な彼女が嫌いではない。寧ろ、どちらかと問われれば「好きだ。」とさえ答えよう。断じてLoveではなく、Likeの意としての「好き」なのだが。

「あぁ、夏海さんの言うように、今日は素晴らしい青空ですね。」
外に出て、顔に手をかざしながら空を盗み見る。雲の動きがいつもより少し速い。風は強くないのにどうしてだろう?と考えていると、
「そうでしょう?」
と、彼女が至極嬉しそうに微笑んだ。

『夏海の笑顔はな、凄く温かいんだ。』
怜二が以前、そう言っていたのを思い出す。あぁ、確かに温かいな、と思う。
『あの笑顔は、何度も俺を救ってくれた。だから、俺は――』


「あいつの側で、あいつを守ってやりたいんだ…。」
「?」
彼女の不思議そうな表情を見て、自分がその言葉を声に出していたのだと悟る。
「あぁ、いえ。何でもありません。」
「変な秀一さん。」
クス、と軽い声色でおどけてみせると、彼女は俺の前を歩き始めた。
「道中、お願いしますね。」
「ええ。お任せください。」
俺の愛車である自転車をそっと撫ぜて、彼女はペコリと頭(こうべ)を垂れた。


「秀一さんって――…」
「…はい?」
自転車の後ろに彼女を乗せて、俺は彼女の家へと向かっている訳なのだが。
如何せん、この態勢はその気のない俺にも、こう妖しい気持ちを呼び起こすというか…。
彼女の両手が、俺の腰に回っていて、更には胸が背中へと押し付けられていては、流石に鉄の自制心を持つ俺であっても、良からぬことをしてしまいそうだ。

落ち着け、先ずは深呼吸だ。すー、はー。すー、はー。

「いっつも本を読んでいらっしゃるから、まるっきり文学少年だと思っていたのですけれど…あの、その…失礼なことを言っても宜しいですか?」
あぁ、さっきの会話の続きだな。
「構いませんよ。」
「結構、力持ちなんですね。」
「それはまぁ、一応は男ですから。」
沈黙の隙に、更にペダルを漕ぐ足に力を入れる。早く彼女を家に送り届けてやらねば、お互いに疲れてしまうだけだ。



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