MURDEROUS PLOT

MURDEROUS PLOT

IMPERFECT DEATH


  …然し、我が家の中においては、更にその上を行く者が存在するのである。

IMPERFECT DEATH        



0…At First《先ず初めに》

『 《先ず初めに》
私がこの日記を記そうと思ったのは、きっと偶然では無かった。何か、大きな流れの中で意図的に組み込まれた、運命ないし宿命のようなものだったのではないかと思う。
 日記の冒頭にこのようなことを書くのは、間違いで場違いのような気もする。でも、きっと書いておかなければこれから先の物語が成立しないと思う。だから敢えて書こう。
この日記帳に日々の出来事を書いている期間中に、必ず何かが起きる。しかも恐らく、その原因は私の娘が担う。
だからきっと、今この少しの期間だけでも日記をつけておかないと、私は今後の将来で後悔を抱えてしまうと思う。
何も起こっていない今、こんなことを書くのは、非常に下らない行為だと思う。馬鹿馬鹿しいことだ。でも、それが巡り巡って、後に続くという妙な確信も併せ持っている。
追記しておくけれど、私は決して運命論者などではない。ましてや新興宗教の勧誘者などでもありはしない。ここに日記を記させて頂くのは、ただの平凡な、どこにでも居る専業主婦である。そしてこれは、大衆に向けて発信する情報ではなく、私個人のためだけに存在する本であるという事実も、付け加えておこう。 』



1… Road To Death《死への道》

「 『二〇〇六年 三月 十日 【金】

 今日から、この日記を書き始めることにする。まだ買ってきたばかりの日記帳に触れた瞬間、やっぱり照れくさいような、むず痒いような…不思議な感覚に襲われた。
 さて、では今日は、何故この日記を「今日」という日から書き始めたかについて言及しておこう。
 この日記を書こうと思った(…と言うよりも「書かなければならないと感じた」)理由は、《まず初めに》の部分で述べている。
 でも、今日をこの日記の始まりとした理由は未だに述べていない。
 実は、今日は娘の誕生日なのである。
彼女は今日からが期末テストということで、あたふたしていた。
ここ一週間辺り、彼女はずっと自室に閉じこもり気味だ。いつもなら、あの人に咎められるのを恐れて毎日顔を見せるのだけれど、流石に一年の総決算とあって、焦る思いがあるらしい。

だから誕生日用のケーキは、テスト期間が終わった後、あの人が毎週恒例の「社交ダンス」をしに出かける時間までのお預けになっている。

これが小説ならば、唐突に出てきた「あの人」についても言及すべきだろうけれど、これは日記で私の好き勝手に進む物語なので、展開の仕方は気にしないで頂きたい。(…なんて格好良く書いても、過去を確認したい自分以外は誰も読まないのだから、あまり意味は無いのだけれど。)

何故あの人が居る時間を避けて彼女を祝うのか、そも「あの人」とは誰なのか。これは中々、筆不精な私が一日で書ききるにはハードすぎるシナリオなので、前述したように明日の日記に記すことを約束しよう。

それでは。今日はもう眠いので、筆…もとい鉛筆を置くことにしよう。』 」

懐かしい文章を、声に出して読む。声になって放出された日記の文章は、私だけの空間で霧散した。
この日記を書いたのは、今から十二日前の夜だ。あの時も今と同じように、ひっそりと自室にこもっていた。
あの夜について振り返る。そういえば、あの人も癇癪を起こしたりせず、私はほっと胸を撫で下ろしていたんだ。
あの人。それは…私の父である、堵峰 伊都のことを指し示している。娘にとっては祖父に当たる人だ。
「あの人」と遠回しに形容することで、出来るだけ彼を私達家族から隔絶させたかった。それは何故か。答えは簡単。彼が我が家を傀儡にしていた、忌むべき傀儡師だった所為なのである。
 生物界の頂点を牛耳るのは、紛れも無く私達人類だ。然し、我が家の中においては彼が絶対的支配者であり、私の家族は皆その奴隷である。彼が何かを望めば、その要求を満たさなければならない。彼が拒絶したら、その行為を二度と犯してはならない。彼がこの家の法律。ルールブック。
 昭和の匂いが色濃く残るこの家は、私が小さい頃から共に寄り添ってきた家である。父が望む建築家に依頼をし、父が望む建物を造らせた。そんな父と結婚した母は、慎ましく傍らに佇む、まるで白百合のような人だった。
確かに昔から父は力をもって物事をねじ伏せようとする気があったけれど、当時の父親というのは皆そういう人だったので、私達家族は、何の反発も出来なかった。
でも今は違う。あの呪われた因習は、静かに消えようとしている時代だ。だから、彼に私達が逆らいたいと思うのは、ある種では自然の摂理と言っても良いだろう。
だのに、父はまだ、自分の「力」に自信と確信を持っていた。振り上げた拳で全てを思い通りにしてきた実績が、強固なまでに今の父を形成していた。…完璧主義者の父を。悪いのは、その当時の『男尊女卑』の空気だ。それが無ければ、或いは……。少なくとも、娘達が辛い目に遭うことは無かっただろう。
娘や夫には、本当に申し訳ないと思っている。母が死に、父がしおらしい表情で「お前の家族と暮らしたい。」と提案してきた時に、一つ返事でOKしてしまったのは、他でもない私なのだ。
…覚えていた筈なのに。服に隠れて見えない私の肌に、消えずに残っている青痣を残したのは、他ならぬ父だって。


その「あの人」は、昨日…三月二十一日に、唐突にこの世を去っていった。自殺だった。不眠症の気があった彼は、どうやら病院から貰った大量の睡眠薬を纏めて呑んでしまったらしい。
あの日の風は未だに忘れることが出来ない。春の風にしては冷ややかで、私の体温を無慈悲なまでに拭い取っていったから。
第一発見者は娘の結佳だった。朝は娘が祖父を起こす決まりがあったので、それは何ら不自然なことではなかった。
彼女は、ただでさえ青白い頬を更に青くさせ、血相を変えて私の部屋へと走ってきた。来るなり、「おじいちゃん、死んでる!」と叫んだのだ。そのあまりの動揺っぷりは、まるで彼女が私の父を大切に思っているかのようだった。。
でも、結佳に限ってそんなことは有り得ない。だって彼女は、己の祖父を目の仇にしていたのだから。
結佳は、完璧主義者の父に「常に完璧であれ」と指導されていた。まだ年端もいかない頃から、父は私の娘に、残酷なまでに完璧を要求していたのだ。
娘は、父のことを信頼し、尊敬している風だった。羨望の眼差しを我が父に注ぎ、「おじいちゃんの望むことなら。」の一言を繰り返し、繰り返し…。どんなことでも、自分の限界を超える程に努力をし、結果を出してきたのだ。そして、そんな我が娘のことを、父は「目に入れても痛くない孫だ。」と絶賛していた。毎週通う社交ダンスの場で、ダンス仲間にこう語ったらしい。「私には、本当に素晴らしく誇らしい孫が居るんだよ。」と、切々と。
…でもそれは、彼女が中学生になるまでの昔話。中学という世界に飛び込んだ娘は、段々と父の望む結果が出せなくなった。勉強も運動も、それまでとは違って、深く広い世界に突入した為だろう。彼女の意志や努力と、結果が齟齬するようになってしまったのである。
そうなると、父は掌を返すかのように、それまでの態度を豹変させた。かつて私にそうしたように、大切な孫である筈の結佳を虐げるようになったのだ。時にはその節くれだった手で、そして時には言葉で。こんな父のことを、それでもまだ当時の娘は信じていた。「おじいちゃんが望む結果を。おじいちゃんの望むように。」と、時折呟く様子が見られたことからも、それがよく窺われる。
そうして――…彼女の肌の青痣が、服で隠れる範囲内に増えて…――いくに連れて、次第に娘は「完璧」を恐れるようになった。完璧で非の打ち所の無い人間を見かける度に、それを忌避していく。最初こそ避けるだけだったのだけれど、いつしか彼女は憎悪の感情を露出するようになっていく。その気持ちが諸悪の根源である父へ向けられるのに、大して時間はかからなかった。居間で食卓を囲む時は、父と顔を付き合わせる位置には絶対に座らず、誰かの陰に隠れてその視線をかわしていた。…時折、睨みつけるのも忘れていなかったが。
無理もない。それまで誠心誠意尽くしてきたのに、全てが無かったことのように扱われ、存在そのものを蔑まれ、更には軽んじられてしまったのだ。羨望の念が嫉み、怨み、怒りの念に摩り替わるのは、私にも覚えがある感情の変化だし(但しその気持ちを表立って表現したことは無かったけれど)、彼女には些かな親近感を抱いてしまう。
こんな哀れな娘の負の感情が臨界点を通り過ぎたのは、恐らく今年になってからだ。飽和と呼べば良いのだろうか。

そこまで考えて、私は机の傍らに置いたコップに口付ける。コップの中で揺蕩う黒い液体を見つめ、少し前の自分の行動を思い返す。
少し前の時間、私はキッチンでコーヒーを注いでいた。不注意で注ぎすぎたコップから漆黒の液体が溢れた時、私は自然と彼女の心の闇を連想していたのだった。



2…Why Did He Die?《どうして彼は死んだの?》

 父が死んだと伝え聞いた時、「何故彼は死を選んだのだろう?」と直ぐに思った。
 妄執なのではないかと疑う程に完璧を追求し、その真理を追究しようとしていた父。彼の美学に、果たして『滅び』の二文字が存在していたとでも言うのだろうか。私が見る限り、答えは「NO」なのだけれど。でもそれは、父と神のみぞ知る、秘め事である。私の与り知るところではない。
 然し、一つだけ確実に分かることがある。それは、私の家族は皆一様に、心の中で快哉を叫んでいるということだ。誰もそれをおくびにも出さないけれど、態度や表情ですぐに判然とする。これは明確で明白で明晰な事実である。
 特に顕著なのが、我が娘の結佳である。今日の朝早くに廊下で擦れ違った彼女の顔色は、憑き物が落ちたようにすっきりと澄み渡っていたのだ。更には、「これでもう暴力に怯えなくて良い。」とでも言うかのように、歩く背中には安堵が色濃く見えていた。
 然し、その挙動には一部疑問を禁じえない。父の葬式の準備の話などを掲げると、ビクリと震えるのだ。特に遺書の話に触れると、彼女は、えもいわれぬ表情を私に向けた。
 そう、遺書の話と言えば…。少し、奇妙なことがある。完璧主義者な筈の父が、一切合財、遺書の「い」の字さえ用意していなかったのである。これは、少しばかり検討の余地がある事実だと思う。
 確かに、我が家は遺書で何かを示すほどの金銭がある訳ではない。それでも、完璧主義者の父のこと。何かしらの主義主張を紙の上に乗せていくのではと思っていたのだ。遺書の無い自殺なんて、「完璧」というロジックからは縁遠いのではないだろうか。これではまるで逆効果だ。
 夫も同じように考えたらしく、出勤をする前に「おかしいね。」と同意を求めてきた。彼はまた、「オお義父さんの『完璧』を側でずっと見てきたのだから、その不自然さは嫌でも目に付いたんだ。」とも言って出て行った。帰ってきた後にさえ、「何処かにしまってあるんじゃないのか?」とさえ訴えてくる始末である。

 少しの疑問が、娘の態度や夫の言葉で大きく膨らんでいくのが、自分でもはっきりと分かる。この気持ちを日記に綴っておこうと思い立って開けた日記帳に、今までの私は暫し囚われていた。
 今日…三月二十二日の欄に目を遣る。そして、軽く鉛筆を握り締め、不安や疑問を綴っていく。
 そうして辿り着いた結論は、書き込む前の自分には思いもよらないものだった。

『二〇〇六年 三月 二十二日 【水】

 昨日の父の自殺には、不自然な箇所が一つ、ある。それは、遺書を残さなかったということ。私は父の完璧主義の徹底ぶりを、誰よりも身に染みて知っている。殴られた肌の痣こそが、何よりの証拠だ。
 娘は、遺書の話をすれば動揺してみせるし、夫は「遺書はある。彼の側に無かったのは、しまってある所為だ。」と言う。因みに、私も夫の進言に賛成である。…と言うより、同意見である、と言った方が正しい。
 ただそうすると、色々と矛盾が生じる。完璧主義者が遺書を隠すというのは、完璧の理念から逸れているのではないか。まさか完璧主義の理念を、彼が取り違える筈は無い。となると、三つの可能性が生じることになる。
 一つ目は、「遺書があることによって、『完璧』に済ます筈の何かが成り立たなくなる。よって、わざと父が遺書を作成しなかった。」という可能性。
 二つ目は、「確かに父は自殺をし、遺書を作成した。だが誰かが遺書を隠した。だから見つからなかった。」という可能性。
 そして最後は、「そもそも父の死は自殺ではない。よって、遺書が無い事実に不審な点は無い。」という可能性。

 …まてよ?最後の可能性は…他殺という可能性…。遺書について触れると動揺する娘…。
 まさか、若しかして…。矢張り、この日記の前口上の推測が当たってしまったのだろうか?
 娘が、睡眠薬を投与して父を殺害したのだろうか?
その可能性は、一概に否定は出来ない。彼女には動機がある。「父の暴力に耐えかねた」という、人一人を殺害するには十分な理由が。

 …どうやら、もう少し調べる必要がありそうだ。 』



3…Truth Is Stranger Than Fiction《事実は小説より奇なり》

 真相を調べようという決意にまで至った日記を書いた翌日。娘も夫もそれぞれの行くべき場所へ出ていった後、私は父の自殺した場所…父の寝室に足を運んでいた。
既に父の死体は業者の方に頼んで、この場から移動させていた。主の居ない部屋は、所在無く、力無く佇んでいる。
私は、「事実は小説より奇なり」という言葉を思い返しながら、父の遺書を探すことにした。
机の引き出しの中、花瓶の下敷きの下、枕の下、枕の袋の中、布団の中、畳の隙間、障子の裏、三面鏡の裏、手提げ鞄の中、社交ダンスに使う服のポケットの中、普段の服のポケットの中、箪笥の中、日本画の額の裏。出す穴の無い貯金箱があれば金槌を持ってきて割った。妖しげな置物も、壊して確認した。
結果として分かったのは、「遺書が無い」という事実。但し、気をつけなければいけないのは「『父の部屋には』遺書が無い」ということ。何故ならば、まだ疑惑の渦中に存在する娘の部屋を調べていないのだから。

父の部屋の隣は、娘の部屋である。娘は幼い頃は私と部屋を同じくしたが、高校生になって新しい部屋を与えられた。同じ部屋に人が居ては勉強に集中出来ないという娘の願いを、父が聞き入れたのだ。昔なら彼は努力した孫によく何かを与えていたけれど、大きくなった彼女に物を与えたのは、この部屋が最初で最後だった。若しかしたら父は、まだ己が孫に一縷の望みを託していたのかもしれない。
「さて、こっちに真実が隠れているのかしら?」
父の与えた孫への部屋に、自然と愉しそうな私の声が漏れる。それに返事をするものは、果たして現れるのだろうか。


粗方、父の寝室で調べたような範囲は探った。しかし、結果は父の部屋と同じく、「遺書が無い」という事実が眼前にそびえているだけだ。この事実が指し示すのは、私の推測した最後の可能性。
そこまで考えを巡らせると、軽く周囲を見回す。チラリと、机の上の本が視界に入った。
その本に視線を注ぐ。注がれた本は、困ったように私を見つめ返してきた。


そういえば、小さい頃から娘は読書家だった。熱心に色んな本を読み漁っていた彼女は、沢山の本を同時に読もうという無茶をよくしていた。そんな風に中途半端に色んな話を覚えて、記憶が混乱してしまうのではないかとこっちが勝手に心配してしまう程、彼女は机の上に本を乗せていたものだ。その本の全てに挟める程の栞を持っていなかった彼女は、何でも栞代わりにした。時には、二千円札が犠牲になっていた。ある時には、友達からの手紙が入っていた封筒が。またある時には、鉛筆が、ボールペンが、綾取りの紐が。彼女の部屋を掃除した時に本の山が崩れて、男の子からのラブレターが現れたこともあった。


娘の過去を思い出して、ふと小さな好奇心が頭をもたげる。この本には一体何を挟んでいるんだろう?まさか、この本の中に父の遺書が隠れてるなんてことは無いだろうが…。
軽く本の表紙を撫で、そっと摘み上げる。ハードカバーのその本は、触り心地が良いフェルトの生地に包まれている。一頁、二頁…。まだ栞は現れない。本の中程まで差し掛かった時、私は驚くべき「栞」を目にする。そこには、父の字で「遺書」と銘打たれた茶封筒が挟まっていた。
「まさか。」その一言に尽きる。吃驚してしまい、開いた口が塞がらない。
そんな私に降り注いだのは、すっかり忘れかけていた「事実は小説より奇なり」の一言だった。




4…The Will Which I Found《私が見つけた遺書》

意を決して、私はその遺書の封を切る。誰かが…いや、わざとぼかすのは止めよう。娘が、封を開けた形跡は無い。
「カサリ」と大きな音を立てながら、封の中身に手を寄せる。中の紙は、折り目をきっちりと揃えて二つ折りされている。取り出した紙には、虫眼鏡を使ってみなければ読めない位に、所狭しと父の字が敷き詰められていた。


『 私が死を決意したのには、ある理由がある。それはまだ、此処には記すべきではないだろう。その理由を記さないことが「贖罪」になるだろうと、私は信じている。
すると「贖罪」の為に死んだのかという疑問が浮かぶかもしれない。然しそれは間違いである。よしんば贖罪の為に生を投げ打ったのだとして、それで果たして私の悪行全てが雲散霧消するのだろうか。答えは否である。この事実を忘れずに、文面を読み進めていって欲しい。

私の幼い頃の家族について、娘の家族である皆に対して終ぞ言い及ばなかったな。いや、碌な会話を交わしたことなど、果たして皆と私の間にあったろうか。娘である閑にさえ、話す機会を持たなかったな。怠惰の塊のような両親から生まれたという些細な話すら、していなかっただろう。それには理由がある。「語るだけで虫唾が走るような輩達の話でお前達の耳を煩わせることも無いだろう。」と考えていたという、きちんとした理由が。
しかしよくよく考えてみると、この手紙こそが、お前達と会話を試みることが出来る最初で最後の機会なのだ。もう、二度と話しかけることも無い。何も語らなければ、お前達には一生、只の偏屈な老爺と思われたままだろう。それでは面白くない。私を理解しろとは言わない。ただ、この性格を形成するまでに至った原因を知っておいて欲しいと思った。だから、下らない話を箸休め代わりに語ることを許して欲しい。

私が生まれたのは、今から七十七年前だ。当然だな。それがそのまま私の年齢なのだから。一九二九年、昭和が始まり四年目を迎えた年の七月七日に生まれたのがこの私。豪農の家の一人息子として、特に物に困窮することは無く、当時としては中々良い待遇の中で育っていった。
然し、両親が良い人達だったのかと問われれば、私は即座に否定する。彼らは不幸な人々だ。少しばかり他人より多く金を持っていたが為に、金の亡者となり、己を省みることを忘れがちになっていったのだから。同時に、子供である私のことも見ようとはしなかった。寧ろ彼らにとっては、金こそが我が子だったのかもしれない。兎も角、彼らは揃いも揃って、当時の厳格な雰囲気にはそぐわない「放任主義」な人達だったのである。
私は、そんな家族が大嫌いだった。もっと自分をしっかり見て欲しいと願っていた。応援してくれれば何でも頑張れるような気さえもしていた。他人は違う考えを持つかもしれないが、私の中では「努力」はそうやって成り立つものとして認識されていたのだ。そして恐らく、当時の人達も、そうした「努力」や「協力」によって社会をより良く発展させようとしていた。我が両親だけが、例外だった。――…少なくとも、私の知る限りでは。
「いっそ、この家に生まれなければ良かったのに。」と溜息を吐く数は、年齢に比例して増えていった。そして、それと同時に私は己を厳しく律するようになっていったのだ。そうしていって、私なりの世の真理なるものを見つけた。その一例は以下のようなものである。
「怠惰こそ敵だ」
「不完全な者程、この世に生きる価値は無い」
「常に完璧であれ」
それから、こうも学んだ。「金は本来、何か【対象物】を手に入れる際に使う『手段』でしかない。だからこそ『手段』そのものに目が眩むなどということは、絶対にあってはならないのだ。」と。何故なら、『手段』に心酔してしまえば全てが本末転倒になってしまうからだ。「手段」や「媒体」に依存する人間の、なんと見苦しく愚かなことよ。『手段』ばかりにかまけて、それを使う自分達の『仲間』を蔑ろにするなどというのは、『手段』に支配されているのと同義ではないか。それは無知な人間のみの愚劣な行いだ。
こうして見つけた真理は、その後の自分を形作る、最も重要な誘引物質になった。まさかこの真理がいつまでも私の心に根強く残るとは…。当時の自分は予想だにしなかった。…まさか、自分がこの真理を娘や孫に当然のように押し付けるなんて、本当に予想しきれない事実だった。
しかし、私はそうやってきたことを恥じ入るつもりは毛頭ない。そこには確固たる信念が礎として存在したのだから。私は、娘や孫に、あんな無気力で怠惰の塊のように堕落しきった人間になっては欲しくなかった。その為に選んだ方法が暴力と強制だったというだけのことだ。…まあ、結論がやや独断に陥った感は否めないのだが。

昭和に生きた者ならではの、暴力という力を笠に着た今までの我が悪行。その理由の一端位は、皆に知って貰えたのではないかと思う。
重ね重ね言うようだが、私のことを理解しろとは言わない。ただ、少しだけで良い。哀れなこの老爺の、哀れな過ちの全てを…その体に残してしまった痣を…。努努忘れてくれるな。

この、言い訳ばかりが積もった遺書も、そろそろ終わりにすべきだろう。最後に、娘である閑へ一つ言っておきたいことがある。

娘へ。私が完璧主義を貫いていることは知っているな。ならば此処に記そう。「私の【意志・思想・主義】は、この一つで終わるとは限らない。その【意志・思想・主義】は、私の間違った【意志・思想・主義】の中に、今も尚、息づいている。」この言葉を、じっくりと吟味して欲しい。亜米利加かぶれのお前なら、きっと真相を探し出すだろう。真相は、全てを探しても出ては来ない。何処かに一つだけ残されているもの。それが真相…そして真実である。真相は、行ったり来たりを繰り返してこそ見つかるものだ。もし「真相」なるものが幾つも見つかったなら、一つを除き、その他全ては夢幻である。 』

全てを読み終えて、自分に何か途方もない役割が任されたのではないかと考える。まだ何をすべきか分からない今の私には、ただ浅く溜息を吐くことしか出来なかった。

 どうやら、神様は私にまだ真実を教えたくないらしい。



5…Look For The Truth !《真実を探せ!》

 父の遺した書面に、もう一度目を通す。そうして、何が何だか未だに上手く呑み込めていない自分がいることに気付いた。思わず溜息が漏れる。
 そもそも、亜米利加かぶれっていう文面はどうだろう?私はそんなに亜米利加を贔屓している訳じゃない。寧ろ、どちらかと言ったら日本の方を贔屓している…と、思う。然し、だからと言って、彼は耄碌していた訳でもない。
…となると、父は何かのヒントのつもりで「亜米利加かぶれ」と書いてくれたのだろう。そうとしか考えられない。
矢張りここは「亜米利加」と書かれているから、セオリー通りに英訳してみることにしよう。そうなると辞書が必要になる。「この娘の部屋にある和英辞典をこっそり借りてしまおう。」と思い立ち、私は悪戯っ子宜しく一人笑みを零す。軽く本棚を探すと、お望みの和英辞典を見つけた。
ただ、訳す際に気になる点が一つある。それは「【 】」の存在だ。中に入った三種類の言葉も訳すのだろうか。三つとも同時に訳すのは骨が折れるので、それぞれの言葉を、元の文に振り分けて訳してみよう。
…と、思ったのだが、如何せん英文を訳す作業なんて久しぶりで、さっぱり上手くいかない。にっちにもさっちにも思考が及ばなくなったので、違う方面から攻めることにする。
「【 】」という表記方法は、テストの問題の選択肢を彷彿とさせる。まるで、「この中の正しい言葉を選んで○をつけなさい。」という、典型的な問題のようだ。
「…ん?待てよ?」
今、自分が物凄く重要なことを考えたような気がして、慌てて自分の脳内に声を掛けて、ストップと巻き戻しを要求した。もう一度、今度はゆっくりとその考えを咀嚼する。そして、それに付随する内容をゆったりと思い返していく。
 「この中の正しい言葉を選んで○をつけなさい。」
「【 】」という表記方法が指し示す真の意味は?
真相は全てを探しても出て来ない。何処かに一つだけ残されているものが真相。幾つも見つかった真相は、一つを除いて全ては夢幻…。
私の考えた「まるで」は、若しかしてまるきりそのまま真実なのではないだろうか?「【 】」の中のどれか一つが、父の示す「真実」への手がかりなのでは?
そして、その中のどれかを英訳すると、真実に一歩近づくのではないだろうか?
まず初めの「意志」を英訳してみよう。娘の和英辞典をパラパラと捲る。すると、「will」という名詞が現れた。
「…やっぱり、英訳するだけじゃ何もわからないか…。」と言いながらも、一応「思想」を探してみる。「thought」と出た。矢張りこちらも、これだけでは何の判断も出来ない言葉である。最後の「主義」は「principle」で、これだけではどう足掻いても父の真意を推し量れない。
どれだけ睨めっこをしていても、敵は中々に強力で、私に屈してはくれない。
いっそ自棄になって、この英語を和訳してみようか?折角本文にも「行ったり来たりを繰り返して」って書いてあることだし。
そうと決まれば、早速和訳の始まりである。全く意味の無い行動を取っている自分が、訳も無くおかしかった。
然しこの後、私は再び口をあんぐりと開ける羽目になるのである。
「『遺書』…?」
…それは、「will」の意味を探した口から放たれた言葉。なんと辞典に依れば「will」の名詞には、「意志」以外の意味も潜んでいるのだという。そして、潜んでいる意味の中の一つが…「遺書」なのであった。遺書の中で「遺書」という単語が使われている。果たしてこれは偶然の一致と言えるだろうか?否、言える訳が無い。
…でも念の為、他の単語も和訳しておこう。「思想」の「thought」は「思想」、「主義」の「principle」は、「原則」という言葉に摩り替わった。だが、どれも父の死に近づきはしなかった。――…たった一つ、「will」を除いて。
暫定的な正しい意味を理解したところで、父が私に宛てた文章に、翻訳し直した言葉を当て嵌める。遂に「 」の本文中を正しく読み直す機会が訪れた。透かさず大声で読み上げる。
「私の『遺書』は、この一つで終わるとは限らない。その『遺書』は、私の間違った『遺書』の中に、今も尚、息づいている。」
読み上げたことで、予感は確信に変わった。父は、もう一つ遺書を作っている。そしてそれは、彼が間違えて書いてきた遺書に埋もれるようにして、今尚父の部屋に存在している筈なのだ。つまり、間違えた遺書が仕舞われる場所を探せば良い。普通、間違えたものはゴミだから捨てる。よって、ゴミ箱に真実がもう一つ隠れているに違いない!恐らく私はまたしても「事実は小説より奇なり」を痛感することになるのだろう。
 半ば強引な「推理もどき」を心に抱えて、私は隣の父の部屋へ続く引き戸を開けた。


 「…あった…。」
部屋に入ってから暫しの時を経て、漸く私は真相への片道切符を手に入れたのだった。手に入れた瞬間に、今までのお子様遊び用の切符なんて何処かへ手放していた。



6…The Ticket Which Follows The Truth《真実に続く切符》

『 よくこの遺書を見つけてくれたな。今これを読んでいるのが、願わくは我が娘であらんことを。孫の結佳には、閑が教えて良いかを判断してから伝えてやって欲しい。
もし結佳がこれを読んでいるのなら、読むのはここまでにして引き返して欲しい。その方がお前の為になる。こんな戯言に耳を傾けても、お前に何の益も無いだろう?
だがもうこれは命令ではなく、ただの老爺の哀願でしかない。だから、このまま読み進めてくれても構わない。全てはお前の意志に任せる。これを読んでいるということは、つまり暗号が全て読み解けたのだろう?暗号が解けた人間を今更拒むなんて、むしの良すぎる話だしな。
誰が読んでくれているのかは分からないけれど、すまない。本当のごみらしく見せる為に、ぐしゃぐしゃに潰しておいたから、ひょっとしたら何が書いてあるか読み取りにくいかもしれない。気合を入れて読み取ってくれ。


私が完璧主義なのを、お前は知っているだろう?だから、あちらの遺書に自殺の理由を何も書き留めずに「贖罪」の二文字のみを掲げたことに、少なからず疑問を持ってくれているものと信じている。否、若しかすると疑問を持つどころか、お前は困った思いをしたかもしれないな。
あの遺書は、万一「公」に見せる必要が生じた場合でも、結佳に世間の非難の目が向かないようにと作ったものだ。 
因みに「公」というのは、何も新聞記者のような大衆媒体ばかりを指し示す訳ではない。例えばそれは隣家であったり、この一帯の集落であったりもする。要するに、自分達以外の者達のことだ。
これから先に書く話は、この家に住む者の中だけで話が止まるとは到底考えにくい。心無い者の詮索で露見するかもしれない。或いは、この家の誰かがうっかりと、ことの顛末を話してしまうかもしれない。奇天烈で、奇妙な類の話だからこそ、人の間を一度流れれば収拾がつかなくなるに違いない。そういった話は生来人の好むものだからな。「人の口には戸が立てられない」という諺も、それを良く表している。
もし自殺理由を記載しても誰かを傷つけるようなことが無かったなら、公に見られても良いような遺書を作っただろう。だが、結佳が傷つく可能性を見つけてしまった。この文を見聞きした者に、あることないことを囁かれてしまえば、結佳はきっと何もかもから逃げ出したくなってしまう筈だ。
だから、「回りくどいことをしたな?」と咎めることは控えて欲しい。これでも精一杯だったのだ。

長い前口上だったな。だがこれで漸く私が死んだ理由を伝えられる。結佳にとっては、驚くべきことかもしれない。
私はここ暫く、結佳の殺気がいつにも増して満ち満ちていくのを感じていた。初めは、それは私に向けられたものでは無いと思おうとした。違うものへのやり場の無い怒りなのだと思っていようとした。
だが無理だった。結佳は昔に比べると、明らかに私を避けるようになった。…その癖、ご飯時にはしっかりと私を憎悪の目でねめつけてくるのだから。
私は、そんな結佳を見たくなかった。例え、それが私の行ってきた数々の暴力の最悪の結果だとしても。否、寧ろ、そうだからこそ私は目を瞑って見ないふりをしたかった。
私は、完璧な人間こそがこの世に生きる価値のある者なのだと、両親を見ていて自然と学んだ。だから、娘にも孫にも、そういう人間であって欲しかった。その為に、何としてでもお前達を導いてやりたくて拳を使った。私には、そういうやり方以外は分からなかったのだ。自分の持つ唯一の力は「暴力」しかないと思っていた。それ以外の私が持つ力を教えてくれる人は、何処にも居なかったのだ。その当時の環境も、「男尊女卑」が取り巻く中だったから、その勘違いは肥大してしまった。幸か不幸か、娘が暴力のお蔭か何かで殆ど完璧な人間に育ったが為に、それは更に大きく膨れ上がっていったのだ。

勘違いを止める術を知らない私は、初めは暴力で結佳の殺気を抑えつけようと考えていた。だが、ある時ふと考えてしまったのだ。それまでに自分のしてきたことの意味を。
「私が怠惰な両親を見て完璧主義者になろうとしたように、娘の閑や孫の結佳は、完璧であれと指導されれば反発をして、怠惰な人間になってしまうのではないか。」と。だけれど、それを考えたのはつい最近になってのことだ。最早全ての歯車は新たな場所へ進もうと歩みを進めている。止めることは不可能だった。そんな情けない私の脳裏には「後の祭り」という言葉が常につきまとっていたことを、お前は知っていただろうか?
程無くして、私は偶々広辞苑を借りに行った孫の部屋で、殺害計画書を見つけてしまう。…ここまでの話の流れで想像はついているだろう。…その計画書には「お祖父ちゃん」が標的であるとはっきり書かれていたのだ。それが何処に隠れていたかというと、彼女の広辞苑の真ん中辺りのページに挟んであった。隠れていた場所が場所だけに、一瞬冗談か何かかと思いかけたが、最近の殺気を思い出せば容易にそうではないと判断出来た。
更に詳しくそれを読んでみると、結佳の私を憎む気持ちがつらつらと書かれていて、最後の一行には「『完璧』をずっと要求してきたお祖父ちゃんに『不完全な死』を与えるのが最大の狙いであり、復讐だ。」と書かれていた。
それを見た時、本当に自分のしてきたことは無駄で意味の無い妄執だったのだとはっきり気付いてしまったのだ。
私のしてきたことは、彼女に幸せをもたらすどころか、悪影響しか与えていなかった。それに気付いた時、私はなんて馬鹿なんだろうと思った。
「何が完璧主義だ。結局何の場面においても、私は完璧では無かったではないか。ありもしない己の力を拳による暴力だと思い込み、それを最大限に利用してきたことにも不完全な部分が窺えるだろうが。」
そう思ったけれど、これも矢張り、止める術は無いことだと感じた。…そう、最初の内は。
然し途中である案を思いつき、それを実行に移すことに決めた…。それが私の自殺である。こうすることで何を止めることに成功したかと言えば、孫の手を犯罪に染めさせることだ。決して「孫が犯罪に手を染めること」では無いことを付記しておく。全て私が蒔いた種。刈り取る作業は私がすべきことだろう?
こんな不完全な完璧主義者の為に、孫である結佳の手を汚すことは無い。そう思った私は、誰かに強制されての「死」を作るのではなく、自分なりに納得行くまで考えての「死」を作ることにした。そうすれば、結佳に公の目が及ぶ可能性は極端に減る筈だ。偏屈な老爺の自殺なら、誰も面白おかしくは感じまい。
私はもう七月七日に生まれてから七十七年も生きた。その二つの語呂も中々良い。折好く今月には三月二十一日という、三・二・一と、これまた語呂の良い日もある。この日は大安で、縁起も良い。更に元々不眠症の気がある私の手元には、眠るように死ねる程の睡眠薬がある。
取り敢えず、そういう考えを背景にして、完璧な自殺計画を組み立てていった。…偏に、結佳を守る為だった。

結佳を守りたいなら、何故遺書に適当な自殺の理由を書かなかったのかと叱られるかもしれない。だがこれもまた、彼女を守ることに繋がると思ったのだ。
遺書に自殺の理由が書かれていなければ、お前は私の完璧主義さとそれは矛盾していると気付くだろう。気付いてくれれば、こちらの真の遺書を探してくれる。そうすれば、私が結佳に殺されかけていたことを知ってくれるだろう。このことを知れば、結佳がそれ程までに追い詰められていたのだと理解してくれるだろう?そして、情緒不安定な彼女の支えとなって、不完全な完璧主義を押し付けていた私に代わって、彼女を正しい道へ導いてやってくれる筈だと…。そう、考えての行動だったのだ。浅はかだと哂っても構わない。これが私なりの「完璧」な論理である。

…さて、もうこちらから話すべきことは全て話したつもりだ。最後に、返事を目の前で聞くことは叶わないが、尋ねておきたいことがある。
私が居なくなって、お前達家族は笑顔を取り戻しているだろうか?
孫は、安心しているだろうか?
娘も、ほっと胸を撫で下ろしているところだろうか?
私が勘違いをして振るってきた拳の制裁が無くなって、心配事が一つ減ったのだろうか?

…もう、薬を飲むと決めた時間を迎えようとしている。
今これを書きながら、私は色々なことを振り返っていた。お前達一家に無理矢理同居を頼んだ時や、結佳と一緒に遠出した日のことを。そして、大きく成長した彼女が作った殺害計画を発見し、自殺を決意する瞬間までも。
皮肉なことだな。自殺を決意した瞬間から、私はお前達が望んでいた父親・祖父の姿そのものに変わり始めてしまったのだから。それまでの徹底した完璧主義にさえ疑問を持ち、「もし生きていられたならこうしてやりたかった」ということも沢山思いついた。
これもまた、歯車を知らず知らずに押し進めてしまったが為の「後の祭り」であろう。 』



7…The Truth That Father Does Not Know《父の知らざる真実》

父の書き残した遺書は、何故だか私を悲しくさせた。訳の分からぬ何かが、私の感情を突き動かした。その所為で涙を誘うありきたりなドラマなんかよりも、よっぽど心が締め付けられ、今にも張り裂けてしまいそうだった。
そんな風にさせた父の問いかけに、他の皆に代わって、私が答えよう。
先ず一つ目の問いに対する答え。お父さんが居なくなってから、家族がしっかりと互いを見あう機会を今まで持っていないから、残念ながら家族皆が笑顔を取り戻した瞬間は見ていない。(父が亡くなってまだほんの数日だから、まだまだこれからの話だとも言えるけれど。)
二つ目の、答え。先程よりも更に残念なお話がある。貴方が自分の身を犠牲にしてまで汚したくなかった孫の手は、貴方の遺書を隠匿するという罪で既に汚れてしまっているのだ。私は弁護士や検事、或いは裁判官などといった職業に就いていないからそういう刑法や民法についての境目を詳しく知らないけれど…。恐らく、きちんとしたところに出て確認して貰えば、彼女は何らかの法律にひっかかってしまうのではないだろうか。だから、彼女は遺書について触れられることを異常に恐れている。きっと貴方が亡くなってから向こう、気の休まる時を味わったことが無い筈だ。
何故彼女が遺書を隠したか。それは、殺害計画を発見した貴方にも…そして、その内容を知る私にも、今となっては痛い位に良く分かる事実だろう。殺害計画の最後の一行にあったこの一文。
「『完璧』をずっと要求してきたお祖父ちゃんに『不完全な死』を与えるのが最大の狙いであり、復讐だ。」
これがそのまま、その理由を示している。遺書の無い自殺程、不完全な死に方…当時の貴方が屈辱と考えただろう死に方は無いのだから。
 そして、最後の答え。確かに、貴方の拳に怯える必要は、あの子にも私にも無い。心の中で快哉を叫んだのも事実。
 だけど本当に不思議だ。あれだけ恐れて貴方の言いなりになっていた筈なのに、解放されてからも、心の何処かは貴方に束縛されたまま。拳で言いなりにしてきたのは、形だけでなく、どうやら心までも、だったようである。
 それから、貴方が刈り取った筈なのに、私には新たな不安の種が蒔かれた音が聞こえたような気がする。
 貴方が守ろうとした孫、結佳のことだ。
 貴方の最後の完璧な理論は、残念ながら後半は全くもって不十分で不完全だ。確証も無く、そんなことを書かれてもこっちが困ってしまう。
 殺人計画まで立てた程、結佳が追い詰められていたことは分かった。彼女が情緒不安定なのも分かる。だって、私も経験したことなのだから。それはかつて、私の通った青春の道だ。もう、通りたくもない道。振り返るだけで蕁麻疹が出そう。おぞましい。
それなのに、貴方は娘である私への配慮を、一切欠いているとは思わないのだろうか?「彼女の支えとなって、不完全な完璧主義を押し付けていた貴方に代わって、彼女を正しい道へ導け」?そんなことを頼むより、私にするべきことが沢山あったのではないだろうか??

遺書の端から端まで読んで悲しくなった理由が、貴方の質問に心で答えていて分かったような気がする。

…私は、ただ父親の貴方に、愛されたかっただけなんだ。

貴方が気付いた真実が、私には何故か適用されていないことが悲しかった。まるで、「閑はもう大人だから、許してくれると思っている。」と言っているみたいに感じられたから。そして、私に振るってきた暴力が、まるでもうとっくのとうに時効を迎えた事件のようにぞんざいに扱われているから。
それだけじゃない。何故最後の最後になって、そんな何処にでも居る今時の優しいお祖父ちゃんとしての側面を見せたのか?それを見せられてしまった今、完璧を押し付けてきた筈の父親が、まるでまやかしのように感じられてしまう。それでは、私が貴方に対して持ってしまっていた恐怖・涙の全てが放出されることは、二度と無くなってしまうではないか。やり場の無い悲しみ・怒り・怯え…。これら全てを内包して、私に生きていけとでも言うのか?どうせなら、最後まで厳格で暴力で人を言いなりにする暴君であって欲しかった。
心の中に抱えたこの澱みきった思い達が、最終的に何処に辿り着くか…。私には、もう分かりきっている。
貴方が守りたかった「孫」の、結佳。それ以外に向かう場所は有り得ない。だって貴方は、娘の私を愛さずに、孫のあの子を愛したんでしょう?
私は貴方がどういう意図を持ってあの真の遺書と大衆向けの遺書を書いたのか、もう既に知っている。
私は貴方の出鱈目な論理には従わない。真の遺書に隠されていた貴方のあの子への思いを本人に伝えてやろう。一字一句、間違うことなくはっきりと。貴方は私にその権利を認めたのだから。…まあアレは、貴方の論理に逆らわないという前提が付いたものだったのだろうけれど。貴方が私にしてきた仕打ちに比べれば、軽い裏切りというものだ。
さて、それを聞いたら情緒不安定なあの子は一体どんな行動を取るだろうか?祖父は、結佳を守る為に死んだなんて…。
…あの子には、少しばかり重い荷物を背負ってもらうことにしよう。ああ、想像するだけでも面白くて仕方が無い。


「ただいまー。」
すっきりと晴れ渡った声が、玄関に響くのが聞こえる。そう言えば、結佳は春休みを目前にして、帰宅時間が早まっていたんだった。ここ数日は父のことばかり考えさせられていて、身の回りの変化をすっかり忘れてしまっていた。


 さて。素敵なゲェムの始まりと洒落込もうじゃないか。


私の口端に邪悪な笑みが浮かぶと同時に、結佳が居間に辿り着く。
彼女は、私の笑みの意図に気付かぬままに、いつものように軽く微笑んでみせるのだった。


                      END



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