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お正月には気持ちも新たに「今年こそは」とスタートした今年も、アッという間に一年の12分の1が過ぎようとしている。かけがえのない一日一日をいかにやり過ごして来たか…反省しきりである。明日は朔日である。一年に朔日は12回あるが、2月朔日といえば、年に一回しかない。平成15年2月朔日となれば、一生にたった一回こっきりである。いくらお金を積んでも、たった一回である。ところがその一日をうかうかと過ごしてきたことを深く反省し、ここに一月最後の日を送る。
2003年01月31日
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近ごろ本屋に「老い」をテーマにした本が並んでいる。わが国が高齢社会になっている証左であろう。老後のことを憂える読者が少なくないから、この種の本が売れているのであろう。確かに年金、老人介護、核家族、一人暮らしなど、老後のことが不透明、不確実である。しかも、私は日々老いる厳しさを感じる年配になってきた。老練、老熟という言葉がある。経験を重ねて物事に熟練しているということである。今の世の中にこれらが受け容れられることは少ない。年寄りの出る幕はないのが現実である。濡れ落ち葉と言われ、掃いても掃いてもべったりとくっついてはなれない落ち葉は、社会のゴミのように扱われている。私自身も「晩節を飾る」生き方を心がけているが、考え方が後ろ向きになり易く、ハッと気がつくと、頑迷固陋になっている自分を発見し、自己嫌悪に陥ることが多い。老害といわれず、美しく老いる、晩節を飾ることが、わが日々の暮らしである。
2003年01月30日
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24日の「はないちもんめ」に竹親爺さんから「懐かしい」とのお言葉をいただいた。「何とかも褒めれば木にのぼる」というから、調子に乗って「昔懐かしの思い出」の歌を掲げてみる。ウン十年も前のことだから「うろ覚え」で、ちょっと自信はないが、ボケ防止の一環として挑戦してみることにした。この歌は、「お手玉」(大阪では「おじゃみ」といっていた)のときに唄っていた?と思う。一かけ 二かけて 三かけて四かけて 五かけて 橋をかけ橋のらんかん 腰をかけはるか向こうを 眺むれば十七八の 姉さんが花と線香 手に持って姉さん姉さん どちらです私は九州鹿児島の 西郷隆盛娘です明治十年三月の 切腹なされた父上のお墓参りに まいりますお墓の前に 手を合わせ南無阿弥陀仏と目に涙もしもこの子が男なら師範学校卒業しイギリス言葉を習わせて夢にウグイス鳴かせますまあ、こんなところか…。途中まではメロディも唄えたが、だんだん怪しくなって、後半は古い脳みそをかき混ぜながら、だから自分でも自信がない。こうして昔のことを思い出して書いてみるのは、最適なボケ防止法であると思う。ちょっとクセになってきた。これからも昔の思い出を探っていきたい。
2003年01月27日
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昭和10年~15年ごろの大阪。その頃は道路で子どもたちが遊んでも交通事故もなかった。「ひろっぱ」と呼ばれる広場もあった。凧揚げもできた。「べったん」(めんこ)もした。創造的な遊びもした。先日、孫(小学一年生)が宿題で「おうちの人に聞く━昔遊んだ遊び」を調べるということで、「じいじいが小さい頃に遊んだこと」を訊かれた。そこで孫と対話が生まれた。こんな遊び、どんな遊びという問答ができたことは嬉しいことであった。そのなかで「はないちもんめ」のことを説明するが、なかなか理解ができない。近ごろは大勢の子どもたちが遊べる広場がない。道路では遊べない。「はないちもんめ」が理解できないはずである。もっと基本的には「いちもんめ」が分からない。この歌詞は、一説によると人身売買のことだそうな。「はな」とは、女の子のことで、「いちもんめ」(一匁)という最低の価格を指す。小さいわが子を売りに出さねばならぬという悲しい現実があったのは、昭和初期のころのことである。しかし、遊んでいた私たちにはそんな悲壮感はなかったが、今ごろの子どもにはまったく理解不能のことではある。大阪で歌われていた「はないちもんめ」を思い出して、歌詞を書いてみる。「勝ってうれしい花いちもんめ負けてくやしい花いちもんめたんす長持ちどの子が欲し あの子が欲しい あの子じゃわからん相談しよう そうしよう(ここで相談)決まった ○○ちゃんが欲しい △△ちゃんが欲しい ○ちゃん△ちゃん:じゃんけんぽん!」うろ覚えであるから確かではない。また、地方によって歌詞が違っているとも聞いた。
2003年01月24日
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予報どおりの降雪となった。暖かい部屋から窓越しに庭の木々に少しずつ積もっていく雪を見ながら時を過ごす。ふと、円山応挙筆の雪松図屏風を思い出す。美術館であれを見たのは、もう20年以上も前のことである。たしか、あの日もどんよりと曇ったお天気だった。いまにも雪が降るような日であった。円山応挙ほどの画家が描くと雪を被る松がいきいきとしているように見える。しかし、わが庭の木々はブルブルと震えているように見える。細い枝は雪の重みに耐えかねているように見える。雪景色のいいところは、普段汚れているところを白く覆い隠してしまうところである。狭い貧相なわが家の庭も、まるで一幅の墨絵を見るように美しい。 わが庭を墨絵のごとく見せる雪
2003年01月23日
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「ああ、春はもうすぐなんだなあ」というテーマに添えない自分が恥かしい。年の所為なのか、今年の寒さに心身とも萎縮する毎日です。自分ながら情けない。わが家の猫の額のような庭に沈丁花の木がある。捨て育ちのようなこの木にたくさんの花のつぼみがついているのを発見。また、家の近くの児童公園には大きい桜が何本かある。すっかり葉を落としているが、少し離れたところから見ると、霞がかかったように見える。きっと花芽がついているのだろう。私にとっては春日遅々だが、自然は「春の近いこと」を教えてくれている。
2003年01月22日
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昨日、とうとう貴乃花が引退した。選りによって、こんな日に全勝街道を突っ走る大関が負ける。勝負の世界は厳しいものである。貴乃花ではないが大相撲自体が「満身創痍」状況である。これでは人気が落ちるのもむべなるかなである。ヒーロー待望論も出るはずだ。形振り構わず外国人力士をスカウトしてくるしか方法はないのか。情けないことである。個性ある力士の出現をまつ。さて、貴乃花の引退でいろいろと考えさせられた。とうの貴乃花は引退記者会見では「覚えてきた台本」どおりという感じであったが、兄の若乃花が小さいころの兄弟の思い出を語り、泣いて言葉にならなかった…。引退の美学とでもいうのか、私は貴乃花の記者会見を見ながら、千代の富士の引退のときを思い出した。ウルフと呼ばれた横綱が堪えきれずに涙を流し、「体力、気力の限界」を述べたが、あのとき、私は引退の美学をみたように思ったが、勝負の世界に限らず、人間はその出処進退を決めるときには、そこに美学があると思う。進むときには勢いがあるが、退くときには「飛ぶ鳥、跡を濁さず」というか、惜しまれていきたい。死ぬときも同様だ。
2003年01月21日
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大相撲も中日を迎えた。それにしても「ヤ」の力士が多い。早い者勝ちとばかり、横綱・大関陣が休んでしまう。せっかく休場して再出場の貴乃花も昨日の負けで怪しくなってきた。モンゴル出身の大関に全焼してもらって、横綱になっていただくよりないのか。もし、貴乃花がこのままズルズルと引退にでもなったら、横綱は外国人ばっかりということになりかねない。こなったら、もう「国技」とはいえなくなる。栃錦や若乃花の時代には特色のある力士がいて結構おもしろかったが、力士もサラリーマン化したのか、血わき肉踊るような勝負が少なくなってしまった。いっそのこと、茶髪の力士でも出てきたらおもしろうかろう…。
2003年01月19日
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東京にいる私は、たった8年前の阪神淡路大震災のことをすっかり忘れている。むろん、あの時には他人事と思わず救援金を拠出したほどであったのに…。直接の痛みがなかったからであろうか、大震災は遥か忘却の彼方である。いつ起きても不思議じゃないと言われて久しいが、首都圏の直下型地震も、聞きなれてしまっている。慣れることの大事さと恐ろしさを知らなければならない。文字どおり「天災は忘れた頃にやってくる」である。非常時の連絡方法、避難場所、持ち出す物etc.などを家族で話し合うことも必要だし、予備の水、食糧、コンロ、ラジオ、電池etc.などの備蓄もしていない。まさに「油断」である。東京は9月1日の関東大震災(今年は80年目になる)に「防災」が言われるが、8年前の阪神淡路大震災のほうが身近なわけだから、「思いついたが吉日」とばかり、早速にわが家でも対策を講じたい。
2003年01月17日
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十五日は小正月とよんで、七日の七草粥と同じように、十五日の朝はお粥を食べたという。関東では正月七日までを松の内、あるいは松七日といって、この日までは門松やしめ縄を飾り、七日の早朝に松送りをするが、関西では十五日になって初めて松送りをするのが一般的である。従って「松の内」といえば、十五日までのこという。いわば、今日を「小正月」といって、お正月気分を終わるということであろうか。関西では、その翌日から「薮入り」といって、奉公人(こんな言葉も今は死語になった)が里帰りをする。これは嫁に来た女性も同様で「堂々と」里帰りをする習慣があった。ちょっと前までは、この日が「成人の日」であった。これは日本の文化に根ざした日付であったに違いない。こんにちの社会は「週」単位でことを運ぶようになって日本の古来からの慣習が消えつつあると言える。
2003年01月15日
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姑息な官僚か政治家たちが考えた「ハッピーマンデイ」とやらの所為で、定着していた1月15日の祝日だったのに、第2月曜日とかになった成人の日。成人になったという認識も自覚もない20歳に、いまさら成人の日といっても、ほとんど意味がない。髪の毛を染めて、酔っ払って、くわえ煙草の若者が、七五三のようななりをして街中を群れて歩いている姿を見て、慨嘆するのは、なにも年寄りだけではないと思う。男性ばかりではない。見た目も、はっきりと「初めてキモノ着せてもらいました」と分かる女性、しかも歩き方さえ知らない…。「親の顔が見たい」と言わずにおれない。20歳を成人とするところが、すでに間違っているのかも知れない。いっそのこと、成人の日なんてやめにしてはどうであろうか。少なくとも官製の式典は税金の無駄遣いだから、中止してほしい。成人になった若者よ、寄生虫に甘んじることなく、自分なりの価値観をもって、責任のある生き方をせよと叫びたい。
2003年01月13日
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大阪弁は他の方言と同じく、場所によって違いがある。その辺のところに精通している人が聞くと、たちまちどの地域の大阪弁であるかが分かる。なかでも「河内弁」といわれる方言は独特なものがある。一般的には 河内弁というと、他の地域の人は、きたないことば、喧嘩腰のことばといったイメージを持つ。たとえば、「うちと、なんぼ喧嘩さらしたか、あのガキ」(あたしと、どれだけ喧嘩したことか、あいつ)、「あのあんだらめ、こんなことしやがって」(あのバカ、こんなことして)、「死んだ、いうのん聞かんよって、メシ食てとりあえず生きとるんやろな」(死んだって聞かないから、食いつないでなんとか生きてるんだろうね)、といったものがあげられる。河内弁は、大阪府のほぼ東半分で話されている方言であり、大阪市以北の摂津方言、堺市以南の和泉方言と並ぶ大阪府の三大方言の一つである。これは関西弁一般に見られることだが、話し言葉で『が』『と』『の』『に』『は』『を』などの 助詞の省略がみられるという特徴がある。【例】歯(が)痛い→はあいたい 目(が)痒い→めえかい。今ひとつの河内弁の特徴は、助詞の省略の例に見られる様に、1音説の単語は会話の中ではその母音を残して発音される特徴がある。【例】歯あ、目え、蚊あ、手え、鵜う、胃い、尾お。といった具合である。田辺聖子や今東光の小説に出てくる「河内弁」は正統であると思う。大阪弁のさらなる情報はまたの機会に譲る。
2003年01月11日
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今日は一月十日、商都大阪は昨夜から戎神社は大賑わい(のはず)。「商売繁盛で笹もってこい」と、笹にいろんなものを提げて、あの境内を練り歩く人で一杯になる。況や平成の大不況にアップアップしている大阪商人たちにとっては、十日戎は「藁にも縋る思い」であろう。40年前に東京へ出て来てからは、テレビで見るだけの賑わいであるが、今年の「商売はんじょで、ささもてこい」というあの掛け声には、どこか哀愁が感じられた。全国でいちばん「不景気」を体感している大阪人たちの悲痛な叫び声のように聞こえた。本来は賑々しいものなのに…。小泉さん、日露も、日朝も大事だが、なんとかしてほしいという庶民の哀願を聞き届けてほしい…それが「怒り」にならないうちに。
2003年01月10日
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トイレの隠語に続いて「警察」の隠語を紹介する。これはホンの一部であると思う。なにしろ、われわれ庶民には馴染みの薄いところだから…。アトランダムであるが、一応あいうえお順とする。アンパン=シンナー。一当(イットウ)=交通事故の第一当事者。イヌ=捜査機関等に侵入するスパイ。ウタウ=自白、自供(関西)。ウカンムリ=窃盗。オシドリ=二人組のスリ。オヨガセル=逮捕せずに監視する捜査。オチル=自白、自供。ガサ=家宅捜査(ガサイレ)。カクヒ=秘密事項の最上級。この下は極秘、マル秘。ガセ=嘘の情報。カンモク=完全黙秘。クロ=有罪または犯人。ケツ持ち=バックについている暴力団のこと。サンズイ=汚職事件。シキテン=見張り。シマ=縄張り。スミ=刺青。タレ=被害届。チャカ=拳銃。デカチョウ=巡査部長の刑事。ナシワリ=遺留品や証拠品の出所、行方を探す。ニンベン=偽物。ノビ=家宅不法侵入。バンカケ=職務質問。ハコ=交番。メン=顔。モン=指紋。ヤサ=住居。ヤマ=事件。ワッパ=手錠。なかには「知ってる、知ってる」という語もあるはずである。この他にも限りなくあるのが「隠語」である。
2003年01月08日
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私は生まれも育ちも大阪であるが、今はゆえあって東京に住んでいるという似非東京人である。深層心理というほど大げさなものではないが、心のどこかに大阪人がもっている江戸に対する劣等感の裏返しのような優越感を未だにもっている。JRの時刻表を見ても、東京へは「上り」になっているのに、大石蔵之助じゃああるまいに「東下り」的な発想が心の奥底にある。だからというわけではないが、私は大阪市のマーク「澪漂」が好きである。「海や川に立てて、船の通う水路を示す杭」のことを澪漂(れいひょう)という。すなわち「みをつくし」である。百人一首にも次の二首がある。『わびぬれば 今はたおなじなにはなる 身を尽くしてもあはんとぞ思ふ』(元良親王)(こうなった以上、どうなろうと同じこと。難波の澪標ではないが、わが命が尽きようと、あなたに逢って思いを遂げようと決心しているよ)『なにはえのあしのかりねのひとよゆえみをつくしてや恋わたるべき』(皇嘉門院別当)(難波江のほとり、葦を刈って拵えた小屋に泊まって、道中知り合った男に一夜の契りを誘われた。そんな、葦の一節みたいな果敢ない情事のために、身を尽くし、命が尽きるまで恋し続けることになるのだろうか)「みおつくし」は澪漂であると同時に「身を尽くし」といういのちがけの一途さを意味する。私の大好きなことばではある。
2003年01月07日
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今年のNHK大河ドラマ「武蔵」が、いよいよ明日から放送される。主役の武蔵は歌舞伎の市川宗家の御曹司、市川新之助である。お父さんの團十郎さんとは違う。むしろお祖父さんの十一世團十郎にそっくりの美形である。荒事向きの大きい目玉は父親譲り。お祖父さん似の口跡、さらに今風の若者でスラリとした長身、坊主頭…若いお嬢さんたちは、もうヘロヘロである。それが一年間、毎週日曜日の夜、茶の間に現れるのだから、タマリマヘン。予告篇を見る限りでは、いくらご自慢ではあっても、ちょっと目を剥き過ぎるのではないかと、要らぬお節介をしたくなる。近ごろ、いいドラマにめぐり会わないので、余計に「武蔵」が待と遠しく思われる。
2003年01月04日
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正月三日に行われていた「元始祭」は天孫降臨・天皇の位の元始を祝って宮中三殿で天皇が親祭する祭である。三日が「瞳の日」だって、知らなかった。ひと=1、み=3で「ひとみ」だそうな。この種の語呂合わせ的「なんとかの日」ってのは、日本独特だ。また、1868(慶応4)年の1月3日、戊辰戦争が始ったので「戊辰戦争開戦の日」だそうな。1938(昭和13)年1月3日、女優の岡田嘉子と杉本良吉が、樺太の国境を越えてソ連へ亡命。だから「駆け落ちの日」だそうな。ここまでくると、噴飯ものである。三日正月。今日三日までは松の内で、職人さんもお休みで、大ぴらで昼間から、いや朝から呑める。昔はのんびりしていたのか、こんにちでは元日から開店するデパートもあって、のんびりとお正月を休むという余裕はない。そうこう言ううち、今日は早や三日。外は雪。うろうろ出歩かずに家でのんびりとお正月を味わいたいものだ。
2003年01月03日
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あれもこれも、積み残しのまま平成十五年を迎えてしまい、そして、はや二日も暮れようとしいる。書初めは、ちょこっと真似ごとのようなお習字をして、ごまかした。今日は嫁いでいる娘たちが子ども連れでやってきて、賑やかであった。百人一首もトランプも、もうプロモーターの役は勤まらなくなった。今年一年、何をするのか、どうするのかと話し合ってみた。それぞれに自分の進んでいく道について語るのを聞いて、私も子どもや孫たちに遅れをとらずにがんばらなきゃあと、情熱を燃やした。
2003年01月02日
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