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平成16年(2004)甲申のスタートから、はや一ヶ月が過ぎていく。次の申歳を達者で迎えられるかどうか‥、だから、今年を待ちに待っていたのに、あっという間にひと月が終わろうとしている。自室に、昨年手に入れた『京都・龍村の經錦 ラーの猿』がかざってある。龍村のHPには、次のような説明が載っている。「ナイル河流域、無数の神々と諸王達が独自の文明を築いた古代エジプト(紀元前305~330)では、猿は日の出の太陽に向かって礼拝の姿勢をとるという俗信からラー(太陽神)の聖獣とされていました。 ラーを崇拝する擬人化された猿達と、背景に配列したヒエログリフ(聖刻文字)とを構成し、エジプト古代王朝芸術の格調高い風韻を、彩り豊かな經錦として織り成しました。」と。このラーの猿が、私の一ヶ月間を見ていたに違いない。「お前の人生、最後の申年になるかも知らないぞ。それでいいのか?悔いのない毎日を過ごせよ」とでも言いたげに、ジッと私を見ているラー猿である。昨夜というか、今朝というか、国会ではイラク派遣が与党単独で衆議院を通過した。自民のなかには、二人の「元」幹事長が棄権した。いったい、どうなるんだろうか。野党第一党の民社党も、あの古賀潤一郎問題でモタモタしている。自民党としては「敵失」で点を取ったような具合である。明日から閏年の2月がスタートする。2月は、長女の夫、長女の長女と三女の息子が誕生日を迎える。孫娘は満19歳、三女の息子はうるう年生まれだから、第2回目の誕生日ということになる。昔から「二月は逃げる」と言われている。商売人は「二八」といって、商いが振るわない月とされている。暦の上では立春を迎えるが、寒さはこれからが本調子になってくるのが二月である。老人にとっては寒さがこたえる。体だけではなく、懐の寒さも、けっこうこたえる。「梅は咲いたか、桜はまだかいな」と唄いたいのが、二月であろう。正月を送るにあたって、自らを省みて内心忸怩たるものがある。
2004年01月31日
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選挙公報にウソの学歴を記載したということで民社党の代議士が批難されている。調子に乗りすぎたか政府首脳の一人(Fさんのことを、通常こう呼ぶそうな)は「嘘つきは泥棒のはじまり」と、いつものように口を滑らす一幕もあって、肝心な時なのに民社党は大きい打撃を受けている。アメリカのなんとか大学卒業という肩書きが当選のキーポイントになったのかどうかの詮索は、お偉い評論家のセンセに任せておけばいいが、対抗馬だった、あの「拓おやじ」の例の問題がずいぶん影響されて、当選の幸運に恵まれたとみるほうがいいかも知れない。それにしても、日本は学歴社会から脱することは難しいのだろうか。堂々と東大を出た人が「大学卒だからといって、大したことじゃない」というのなら分かるが、赤門を潜ったことのない、入試に縁もないような人が「東大出だから、どうした?」と言うのは、おかしい話である。霞ヶ関をはじめ、大企業には今も歴然とした「学閥」があって、大きな壁になっている。学歴詐称が後を絶たないのは、社会全体が人間を評価する基準として「○○大学卒」というレッテルがほしいのであろうか。その意味では、今度の事件の渦中の人の場合、あの泣き男だけに罪を押し付けるのは、ちと酷であろう。日本の国、日本人の価値観を改めて見直し、捉え直すことが必要ではあるまいか‥。
2004年01月28日
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いま「あなたのホームページのアクセスカウンターが、20000アクセスを超えました。」というお知らせがあった。こんな「さるのちえ」にアクセスしてくださった方々が20,000を超えたということは、ほんとうに有り難いことである。現代社会は人間関係が希薄になっていると言われるなかで、インターネットをとおして、これまでにはなかった人と人との結び合いが生まれている。とくに都会に済む者にとっては、雑踏の中の孤独などと言われている。家庭のなかでも、家族の絆があやしくなっているのに、見知らぬ人とネットをとおして出会い、メル友になっていく。不思議な人間関係が新たしく生まれている。一年半のうちに20,000人との人とつながっているとは考えもしなかったが、それだけに、つねに自分を確かめていかねばならない時代であると思う。そうでないと、ここからいったいどこへ行くのか、どうなっていくのか‥を見失ってしまうかも知れない。アクセスしてくださった人々に感謝を申し上げると同時に、これからも、いい人間関係の道を歩みたいと希うものである。
2004年01月22日
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友人から電話があった。「昨夜から、熱があって、今朝は頭が痛い」と。さらに「鶏インフルエンザじゃなかろうか?」と。「そりゃぁ、思い過ごしだよ」と答えたものの、当の本人はけっこう真剣だった。高熱で「頭が上がらない」という。頭は、「~がいい」「~が痛い」「~がおかしい「~が重い」「~が硬い」「~を働かせる」「~が弱い」「~にくる」「~切れる」など、ずいぶんいろいろな言葉がくっつくから、おもしろい。この他にも「~の上の蝿も追えない」「~は使いようだ」「~をたたく」(先制攻撃)「~を撥ねる」(ピンはねする)「~を下げる」(謝る)など、ほかにもある。枚挙に暇がない。頭を「かしら」とも読む。「かしら」は、統領、親分、人形の頭のことをいう。ずいぶん前に、お年寄りから「かしらの雪」というのを聞いたことがある。「白髪」の意である。「かしらをおろす」(出家する)というのも、味のある言葉である。「しゅっせがしら」(出世頭)「出会い頭」「目がしら」「かしらを縦にふる」(承知する)などもいい。頭を「ず」とも読む。「頭(ず)が高い」というと、時代物の芝居や映画を思い出す。「頭寒足熱」「頭痛のタネ」「頭痛鉢巻」「頭突き」などがある。また「頭」を「とう」とも読む。「番頭」(ばんとう)「年頭」「念頭」(ねんとう)「平身低頭」(へいしんていとう)「冒頭」(ぼうとう)「没頭」(ぼっとう)「毛頭」(もうとう)。こうして挙げてみると、まだまだあるように思う。「頭」は、辞書を見ないで、思いつくままに挙げてみたが、口、鼻、耳、首、腹、尻、手足など、身体に関する日本語、言葉を挙げてみると、さぞかしたくさんあるに違いない。羅列してみると、意外な日本語に出会うかもしれない。友人の高熱頭痛が鶏インフルエンザでないことと、早く快くなることを祈って‥。
2004年01月20日
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淡路阪神大震災9年目の今日、おこたさんの日記に「乾パン」についての記述を読み、ちょっと乾パンについて駄弁ってみる。非常時の食糧として「乾パン」は、昔からあるので、懐かしい。だが、こんにち「非常食品」乃至「保存食」は、実にバラエティに富んでいる。フリーズドライは、一度作った食べ物を急速冷凍して、その後その水分を全て昇華させることにより、その食べ物の栄養分を損なうことなく長期保存できるようにする。食べる時には水または湯を使う。よく似たものに「アルファ米」というのがある。フリーズドライとは、別物ではあるが、水、湯でもどして食べることは一緒である。相変わらずのものに「缶詰」がある。嵩張るのが欠点ではあるが、火も水もいらないのは便利であり、内容も種々ある。保存期間は、ものによって異なるが、3,4年である。非常食ではないが、保存がきく上においしく手軽に食べられるレトルト食品は、とてもよい非常食にもなる。また、普段から置いておけば非常食と言わずに何かの時にもすぐに使える。「こんなものまで」と思うほどバラエティがある。非常災害用として、アルミ袋に入っているレトルト米(3年間保存)がある。また、「水もどし餅・あんこ」もある。そして、非常食の定番「乾パン」がある。昔と違って、このごろのは缶詰入りである。おこたさんも疑問にされていた砂糖は、昔から、色つき「コンペイ糖」と決まっている。糖分補給のためらしい。味、食感など、昔から比べると、今のはなかなかイケル。ビスケットなどが原型らしい。終戦直後、進駐軍の「作戦用食糧」(オペレーション・レーション)というのも懐かしい味だ。初めて食べた時、「これじゃ、戦争に負けるはずだ」と痛感したものである。最近のには、「Meal.Ready-To-Eat, Indivisual」と記入してある。「個人用、即席食品」ということだろうか。大災害は起きないほうがいいに違いないが、「いつ起きても不思議じゃない」と、物騒なことが言われている。非常食やラジオ、乾電池、タオル、懐中電灯など、平生に点検しておく必要がある。
2004年01月17日
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一月もアッという間に半月が経った。今日一月十五日を小正月という。私は小正月が日本本来のお正月であると思う。元日を大正月、男正月、本正月というのに対し、十五日を小正月、女正月、若正月とも呼ばれてる。大正月は女性にとっては、決して楽しいものでなく、雑用に追われて、かえっていそがしいものである。だから、この十五日は、女性のための正月であるとして、女正月と呼ばれたという説があるくらいである。小正月の前日の14日には若餅をついて、食紅で色をつけたものと白い餅をならの木につけて部屋の四隅に飾る。丸い形をした「餅菓子」を枝に飾る。小正月には前日についたお餅で小豆粥を作る。上方(関西)では根強く残っている風俗習慣である。そして午前中には、門松やしめ飾りをはずして燃やす。これを「どんと祭り」と呼ぶようになったのは戦後からである。小正月に行われる有名な秋田県の「なまはげ」は、年神が各家庭を訪問するという行事。小正月の朝は粥を食べる習慣があり、平安時代の「延喜式」には、天皇・皇后らに七種粥(ななくさがゆ:この場合は7種類の穀類の粥)、諸臣に小豆粥とあり、今も一般に小豆粥を食べる。ハッピーマンデーとやらで、成人の日が毎年日が変る(これはあまりいいアイデアとは思わぬが)。しかし、十五日に「お年玉郵便」の当り籤の抽選は変らず、今日行われる。これも七不思議の一つか。今年はハワイ旅行が当るとか。罰は当るが籤はめったに当らない。宝くじも同様である。
2004年01月15日
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私の三番目の孫の誕生日は2月29日のうるう日です。「うるう」とは漢字で「閏」と書き、もともとは太陰暦で月の周期と1年のずれを調整するために挿入された「うるう月」を意味していたそうな。中国で王は通常宗廟内で政務を摂ったけれども、うるう月には門内にいることから「門」+「王」のこの字が出来たそうな。一方、日本語の訓「うるう」はこの「閏」を「潤(うるおう)」と読み間違えたといわれている。日本が太陽暦を採用したのは明治5年。政府は江戸時代までの年俸制に代えて月給制を採用したが、明治6年が旧暦の閏年にあたり、給料を13回支払う必要があることに気付いて慌てて太陽暦を採用したのだとか。閏年でも財政は潤うどころか苦しくなる、というわけ。ところで英語では閏年のことを「leap year(リープ・イヤー)」と呼ぶ。「leap」は「跳ぶ」という意味。例えば「馬跳び」のことを「leapfrog(リープフロッグ=カエル跳び)」という。では一体何が「跳ぶ」のか?通常1年は365日ですが、365を7で割ると1余ります。従ってある年の3月1日が月曜日ならば翌年の同じ日は火曜日、翌々年は水曜日、と1日ずつずれていくはずだが、閏年には2日分ずれてしまうことから「1日跳ぶ年」という訳だ。今年は閏年。小学2年生のわが孫にとっては第2回目の誕生日を迎える。ちょうど日曜日にも当るところから、ちゃっかりと、わが孫は「誕生日パーティ」の招待状を、いろんなところへ出している。2月29日 午後4時から、場所は「じいじいんち」としてある。わが財布は、潤うどころではないようだ。
2004年01月13日
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明日は恵比寿さまのお祭り日である。関西では大阪、西宮の戎神社が有名である。戎さまは、ご存知のように左脇に鯛を右手に釣竿をもっているお姿は、もともと漁業の守り神であり、海からの幸をもたらす神を象徴しるようである。今では「商売繁盛」の神さまとして関西では一月十日のお祭り日と前日の今日(宵戎)が賑やかである。実際には正月三日から十三日まで「今宮戎神社祭礼」が続く。十日戎を象徴するのが、神社から授与される小宝は別に「吉兆」(きっきょう)と呼ばれ、銭叺(ぜにかます)・銭袋・末広・小判・丁銀・烏帽子・臼・小槌・米俵・鯛等の縁起物を束ねたもの。「野の幸」・「山の幸」・「海の幸」を象徴したものである。別の言葉として「山苞」「海苞」「家苞」とも呼ばれている。苞というのは、外からは内部が見えない簡単な容器のことで、もともと山や海や家からの「贈り物」を入れるうつわのことであった。「山苞」は山の神の聖なる贈り物、「海苞」は海の神の聖なる贈り物、「家苞」は里の神の聖なる贈り物となる。これを「市」でそれぞれ交換する。それぞれを「替える」わけです。これが「買う」という言葉になったといわれている。この「野の幸」・「山の幸」・「海の幸」を象徴した吉兆は、その中にこもる「御神徳」をいただく信仰を受け伝えたものである。一つが1,500円くらいだから、一本の笹は少なくとも5,000円以上にはなる。もう一つは、元禄期から十日戎の祭礼を彩る宝恵駕籠(ほえかご)の奉納である。紅白の布で飾られた駕籠に盛装した芸者が乗り込み、その周囲を幇間が取り囲み、「ホエカゴホエカゴ、エライヤッチャエライヤッチャ」の掛け声とともに参詣する。現在では地元商店街の協力の下、昔の様式を残しつつ、なおかつ現状にあまり乖離しないよう、芸能人、野球選手、文楽の人形の参加を得て行列を華やかに盛り立てている。また、前年秋ごろから選ばれる「福娘」たちは、宝恵駕籠にも参加し、また揃えの衣裳を着け、金の烏帽子を冠り、戎まつりの主役とも言われるほどの奉仕をする。関西には欠かせない祭典である。100万人を超える参拝客があるという。
2004年01月09日
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太陽の黄経が二八五度の時。陰暦の12月初旬から中旬までで、太陽暦では、今日である。寒さの厳しい時期である。しかし、暖冬のせいか、東京は、さほど寒いというわけではない。朝のうちは、それでも吐く息が白かった。内外ともに激変の幕開けの今年だけに、暦どおりの寒さには、なんだかホッするような気がした。明日は「七草」である。正月7日の朝は、七草かゆを作って食べる日である。春の七草は、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、仏ノ座、スズナ、スズシロである。幼いころは、白い米に大根、人参、小松菜、ねぎ、ホーレン草、ミツバ、セリなどのはいいたものを食べた記憶がある。七草かゆは正月の餅腹を休ませるため、青い物を食べる日と年寄りが語っていたが、春の七草は越冬の強い植物だから冬枯れの季節に青い物を補食する意味があるのだろうか。これは、昔聞いたことだが、七草の日は初めて爪を切る日と言われ、セリなど浸した水に指を入れてから爪を切れば、一年の間爪の病からのがれると聞かされてた。考えてみると、秋の七草がどれも見て楽しむものの植物。春の七草はことごとくが食用とされているのは面白いことを昔の人は考えたものだ。寒の入りといい、春の七草といい、昔の人が暦をたいせつにし、生活の節目をたいせつにしていたことが分かる。現代は暑ければ冷房を、寒ければ暖房を、という時代であり、年中「シズンレス」で、「旬」というものがない時代だから、風情というものがない。
2004年01月06日
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平成16年、2004年、去年とは変るのか、去年の続きで、モヤモヤした一年になるのだろうか。先のことは、だれにも分からない。けれども、こころのうちではみな、希望はもっている。夢はある。こうなりたい、ああなりたいとひそやかに思ってはいるに違いない。始まったばかりの新年。今日は2日である。初荷 書初め 皇居一般参賀 初辰 お芝居初日‥と、新年のスタートする日でもある。初夢というのも、2日にみる夢をいうそうな。「一富士、ニ鷹、三茄子」という、アレである。アレって言えば、姫はじめというのも今夜?甲(きのえ)申の今年。私の大好きなメル友のひとり(Sさん)が教えてくれたことだが、申歳は993万人いるそうな。でも昭和一桁に限っていえば、サテどうなるか。今年は幸運が去る年とせずに、いいことがいっぱいある一年にしたいと夢見ている。
2004年01月02日
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