Wyhappyの部屋

Wyhappyの部屋

神様がくれた休み。その5



---A君のこと---

 病室は6人部屋だった。窓際には牢名主と呼ばれた男前で寡黙な青年A君がいた。朝晩の挨拶以外は自分から話をしないで、いつも雑誌を読んでいた。

 4月から入院しているとのことで、入院生活は一番長い。彼は25歳位で、アルバイト中のバイクに乗っていたときに、車にぶつけられ、右足がバラバラになったそうだ。犯人は捕まったが、物的証拠である車を処分したらしく、警察でも困っているとのこと。

 A君の右足はスネ2箇所に金具をつけ、補助具を用いて骨全体を固定していた。傷口には目を背けたくなるような、ひどい痕が残っていた。

 週末になると体の細い恋人が来て、いつもベッドの上で話していた。父親は見なかったが、50を過ぎた位なのに、背中を丸めた不幸そうな母親が時々来ていた。右足は左足の半分の太さしかなかったが、装具をつけて歩けるようになった8月のお盆にやっと外泊許可がでた。(9月には退院したと思うが、)

---Sさんのこと---

 Sさんは長老格で63歳で話好き、しかも面白い人だった。右足を複雑骨折でなんと過去15回もやっていて、入退院を10年間以上繰り返しているらしい。

 集団就職で東京に来て、裸一貫で会社を起こしたそうだ。将棋が強く、アマで3段以上はあるようだった。「**さん、将棋はやるの?」「初段くらいです。」と言うと、入院した3日目からもう差していた。嵌め手が好きでよくやられた。手術後は足の状態が良くなく、自分が打てないと相手を見つけては将棋をやっていた。

 毎日3時になると家族が見舞いに来て、夕食が終わるまでいた。小学生になる拓馬君が少年らしい素直な子供で、ジッチャンが大事に育てていることがにじみ出ていた。Sさんは夏休みの間中孫がきていたことに、「もう少し小学生としてやることがあるだろうに、しょうがない奴だ。」と言いながら、嬉しそうな顔をしていた。

 父親似で小太りの娘のYさんは30歳とのことであるが、良く気が付く控えめな人であるが、早く嫁に出したいとSさんは言っていた。父親と甥の世話をきちんとしており、誰か好い人が見つかると良いなあと思った。

 奥さんと3人の子供達、その連れ合い、そして孫たちが入れ替わり立ち代り、隣のS町からバスに乗って台風の中でさえ毎日くる。良くまとまった家庭だと感心した。それはSさんが家族を愛し、家族がそれに応えている事ができているからである。自分ができていないだけに、Sさんが眩しく見えた。

---少年Xのこと

 通路側には入れ替わり、患者が入った。1日早く入院していた18歳位の少年は祭りで神輿に挟まれて入院したらしい。母親がきては少年に「勝手なことをして!」とか「あんたはいつもボッートしてるから!」とか毎回怒鳴っているか、殴っていた。しかし、彼はいつもエヘラエヘラしていた。少し可笑しな少年だったが、1週間で退院した。

---H君のこと---

 H君は仕事中にコンベアーに挟まれ両腕を骨折して救急車で運ばれた。笑顔の楽しい若者で、「痛みはないの?」と聞くと、「とても痛いです。」とニコニコして答える。両腕をギブスで固められているため、何をするにも不自由そうだった。

 彼は手術後間もなく、比較的軽いほうの左手を器用に使い、メシを食べるようになっていた。毎朝出る牛乳と不味いパンを上げるととても喜んで食べていた。ちょっと気になって「ちゃんとトイレでできるの?」と聞くと、「何とかしています!」と笑顔で答えてくれる。短い期間であったが、人懐っこい笑顔は、看護婦や助手の人達もファンにしてしまっていた。

 彼は父親が経営する会社の従業員で、将来は跡を継ぐと言っていた。仕事の能力は判らないが、あの笑顔で依頼されたら殆どの人はやらざるを得ないだろう。奥さんと2歳の娘がいて、千住から車で毎日見舞いに来ていた。抜糸が終わったら近くの病院に転院して行った。

---T君のこと---

 その後に、T君が入ってきた。T君は26歳の塾の先生で、会社の慰安旅行で北海道へ行き、帰りの飛行機を待つ時間までの間バスケットボールをしていたとき、アキレス健を切ったらしい。「その時は、応急処置をしてもらい、翌日東京の病院で切れていることが判ったんです。入院ということで、実家のあるK病院に来ました。」

 ちょっと小太りであるが、屈託の無いT君は羨ましいくらいに若い女性の見舞い客が多かった。「皆友人の奥さんか、友達ですよ。」と言っていた。息子と同じ年でご両親が北海道出身ということもあり、妙に親近感があった。

 彼の母親が、部屋の人達に「入院中に減量させるので、病院食以外のものを食べさせないで下さい。」と言っていたが、色々な差し入れを貰っては廻りに配るのが半ば慣習であり、一人だけ除外するにもいかない。SさんやAさんがおすそ分けする時に「Sさん、T君に餌を与えてはいけません!」と言っては彼をからかっていた。ハーゲンダーツのアイスを差し入れされたときもT君に渡したら、彼はカーテンを閉めて、彼女と食べていた。(子供じゃないんだから、自分で判断するよね?)

 本当は1週間早く出られたのだが、ご両親が北海道旅行のため、その後にということで説得され、T君はお盆過ぎに退院した。

---花火職人のSさん---

 S町の花火大会の日だった。5時ごろ遠くで花火の音がしたと思ったら、それっきり何も起こらない。入院仲間と変だねえ、と言っていたら、1時間後位にSさんが救急車で運ばれた。Sさんは花火職人で、点検しているときに急に導火線に火がついて、気が付いたら花火が暴発したらしい。3人のうち一人が重体だった。

 火薬の力で右手が骨折、顔特に喉まで火傷したらしく、ベッドに入ってからも唸りぱなしだった。手術はその日行われなかった。痛みが酷くて夜中もズーットうめいていた。隣にいた私はうるさくて一番中眠れなかった。

 病院で静寂の中で寝られるというのは入院中のささやかな安心である。1日ならばお互い様と我慢できるが、何日かとなると、それだけで憂鬱になる。

 翌日、寝ているSさんはうめき声を上げているか、いびきをかいているかのどちらかで、夜は堪らないと思ったので、看護婦に手術が終わるまでは配慮してくれと頼んだ。7時過ぎにベッドごと移動され、3日間は戻ってこなかった。Sさんは戻ってきてから「普通の骨折なら我慢できるんですが、火薬の骨折はたまらない痛さなんです。ご迷惑をおかけしました。」と言われ、なんだか、バツが悪く、「Sさん、ごめんネ。」と思った。

 労災は労働者を守るためのものであるが、一方で小さな会社ならばそれだけで倒産となる。隣の部屋にいる17歳の少年は仕事中にコンクリートの挟まれ、中指を骨折したが、健康保険で処理しているらしい。もっとも治療費は社長が出してくれていると言っていた。彼は労災のことを知らないから、会社の言うがままに従ったのである。

 Sさんの会社は今回の事故で、1年間は仕事がなくなると言っていた。入札資格が喪失するのだそうだ。結果的には従業員の生活がなくなる。安全のことを全く考えない会社なら、罰を加えるのも良いが、従事する人達は安全第一で仕事をしているはずだ。もっと柔軟に考えられないものかと思う。




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