旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家

旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家

1≪東京物語≫   2.≪お茶漬けの味≫


2.≪お茶漬けの味≫

「東京物語に見る老いの哀切!」

溝口健二ーーー明治31年生まれ
小津安二郎ーー明治36年生まれ
黒沢明 ーーー明治43年生まれ

他に優れた監督はいるがこの3人は
ほぼ同じ時期に活躍し、その作品は甲乙付け難い.
黒沢が長命だった為に
他の二人が、遠い人のように感じられる。
戦後日本でも映画産業が盛んになったとき
世界での評価は、溝口、黒沢が、圧倒的で
小津はそこそこだったらしい.

小津の映画はサイレント時代はあの親子や家族を家庭を
中心にした形のものではなかった。
(浮草物語)あたりから、テーマが一貫して
親子、家族へと変わっていった.

ここ10年くらい前から、若い人たちが小津映画はいい、と言う声を聞くようになった.
どう良いのか?
なぜなら、当時のつまり、リアルタイムで見ていた人たちの
評価は、それ程でもなかった筈だ.
しかしそう言っていた人たちもある時期がきて、ひょっとしたら
黒沢以上かもしれないと思い始めたという声も聞いた。

私の場合は父の影響もあって幼い頃から、黒沢、溝口に
劣らない魅力ある監督だと聞いていてそういう目で観て来た。

戦前戦後と取り上げたい作品は多だあるが、
世に認めさせたのは、やはり、(晩春)、(麦秋)、
東京物語で決定的になる.この3作品だ.
黒沢の(七人の侍)と双璧を成す映画だ.

彼の映画の特徴は、人物や、風景の反復、つまり、
台詞も何度も同じことを繰り返す。
”そう言ったの?””そう言ったんだ”
”そう言ったのか.””そう言ったの”
と言う具合にーーこれも意味があるはずだ。

アングルも以前(彼岸花)や(秋日和)で紹介したように、
観客の座った目線で撮らえている.
よーく観るとわかるが、撮り方に非常に特徴がある.
そして、カラーになってからの作品は
様式美の世界になる.

なぜ、小津か再評価されたか?

なんの変哲もない家族の日常を描いた映画だと採るか、
その奥にあるものが、見える作品だと採るか....?
それは、観る人の感性によるだろう.

出てくる家族はいつも、鎌倉、京都の」中流以上の家庭。
戦後あのような生活の出来る家族の割合がどれだけであったか。
それなのに、彼の作品には、汚いものが、出てこない。
戦後の闇市だとか、ルンペンだとか、
それは、淡谷のりこが戦時中兵隊さん達の慰問に
行く時に決してモンペを履かなかった逸話にも
似ているのではないかと思う。
明日は死ぬかもしれない兵隊さんたちの目に美しい衣装で
キレイな思い出を頭に焼きつかせてあげたいと.....

つまり、戦後の廃墟の中であの美しい家庭、やさしい怒鳴ることもない上品な母親、きれいに片付いた部屋.穏やかな父親、躾の良い娘。
小津の映画を観ている間 自分の置かれた状況とは、全く違う世界に身を置き、一時のやすらぎを得たのではないだろうか.

そう精神安定剤的な役割を持った映画です.
心地よい映画なのです.
母と娘が鎌倉や京都をゆったりと、そぞろ歩く。
今 鎌倉や京都に行ってもあの当時の雰囲気は見られない.

他の監督達がイタリアのネオリアリズムの影響で現実を生々しく描いているなかで、
小津は自分の中にある日本の伝統や生活様式にとことん
こだわった.
それが、どんどん失われれば、失われるほど彼の作品の評価は
上がっていくでしょう.

何かは分からないんだけど若い人たちには、新鮮に写り
我々世代から上の方たちには懐かしく写る。

若い頃、東京物語(S.28年作品)を見たときに
自分の祖父や祖母とオーバーラップして観た記憶がある.
尾道に住む老夫婦が東京に住む長男夫婦を訪ねる。
しかし、長男夫婦の家も、次男夫婦のうちも落ち着ける場所ではなく、亡くなった三男坊の嫁の(原節子扮する)家が
一番居心地が良かった.

この映画では何を描いたか。
小津は家族制度の崩壊というテーマを投げかけた.
どの家庭にもあったことだろうが、そういうことを具体的に口
にする、また説明できると言う時代でもなくそのことすら、
気付かなかったであろう。

こういうことがいま福祉と言う形になるなど、あの当時の何人が
予測し得たか?
尾道に帰った老夫婦が、岸壁に座ってする会話
(笠智衆と東山千栄子)は淡々と日常の会話を穏やかに交わす・
その温かい気持ちを子供たちはついに汲み取ることはなかった.

今こんなに穏やかに話せるお年寄りが何人いるのか、
嫁の悪口ばかりを言うお年寄りもいる.
子供もしかり、お年寄りの気持ちを理解しようとする
子がどれだけいるか.
新聞の社会面をにぎわす事件を見ると悲しくなる。

その、会話が、穏やかで、理想だからして、この映画は
いっそう無常感がつのるのではないだろうか?
親と子を通して、日本の家族制度がどう崩壊するか・・・このころ誰がこんなことに気が付いただろうか?

そして、この老夫婦が佇む尾道の繊細な風景も
一層哀切を感じさせた。
そして、私の母がそのような年齢になった今 
改めてみるこの映画は2.30年前に観た時に
受けた映画と全く違って見えた.

おそらくいや確実に、この先 母の死と対面する。
その後に見るこの映画はもっと違ったものを投げかけてくるような
そんな気がする.


日本と日本人を描いたという意味では日本映画が到達した最高峰
であると思う.

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2.≪お茶漬けの味≫


今日のテーマは中年の夫婦の愛情のあり方、表わし方
といったところかな?

≪お茶漬けの味≫

≪麦秋≫に続く昭和27年度の作品である.
やはり、絶妙な会話のやりとり、ユウーモア、
感動、哀愁、洗練、スマートさ、戦後7年しか経っていない
時代にこれだけのおしゃれな映画を作る小津監督は独特の
切り口でストーリーを展開させる.

倦怠期を迎えた中年の夫婦.
妻はお嬢様育ちがなかなか抜けず、お芝居だの、野球観戦だの
好き勝手に、女友達や。姪っこを連れまわして遊んでいるが、
夫は会社の部長となって生活が豊かになった今でも、
質素で、大人しい。
子供はいない.

妻からすれば口には出さねど、
そんな夫がつまらなく友達の前でも
平気で”どんかんさん”とのたまう.
一方夫はと言えば、そんな妻を気にする風でもなく
のんびりと生活を楽しんでいるようだ。

しかしお互いになんとなくしっくり行ってないことも感じながら
淋しい思いをしているようだ.

夫に嘘をついて女友達と温泉に行った事を姪は
夫婦が上手く行ってないから嘘をつくんだと批判する。

妻はそれがどうしてかをまだ気づいていない.
夫は妻に文句ひとつ言わない。

姪にお見合いの話しが来るが、叔母夫婦を見ていて
見合い結婚はまっぴらだと、一応父の手前承諾したものの、
歌舞伎座でさっさと行方をくらます.

抜けてきた姪は叔父と(夫の方)、若い友人と一緒に競輪へ
遊びに行く。
この夫は若い友人にパチンコや競輪を教えてもらった.
庶民的な遊びは夫にとってホッとするようだ.
付いてきた姪もこの叔父が好きで競輪についてきて
一番はしゃいでいる。
そして、この若い友人と姪は仲良くなりそうだ.

昭和27年...
歌舞伎座、パチンコ屋、野球場、競輪場と
当時のあり様が興味深い。

パチンコやのおやじに笠 智衆が扮している。
パチンコ屋にお嬢さんが入って打っていても、
不良だのと言われる その前の時代なので、自然だ.
まだそこまで、パチンコが普及していないのだと思う。

ラーメン屋も珍しい.
小津作品では育ちの良いお嬢さんがラーメンのおつゆを
すするシーンガ良く出てくる。

この映画でも若い友人と姪は一緒にラーメンを食べる。
”世の中にはね.安くて旨いものがたくさんあるんですよ”
と教える。”美味しいわ!”

叔父は見合いをすっぽかした姪を叱るでもなく、
妻の小言を上の空で聞いている。
どうやらお互いに言い訳、相談が面倒で嘘も方便という
関係になってしまったようだ.

夫は汁かけご飯が大好きだが、妻はそれを品がないと嫌う。
妻のいないとき、お手伝いさんに汁かけご飯を
用意してもらう。
”ああた、そんなご飯の食べかたよして頂戴”
”○○ちゃん、旦那様いつもこんな食べ方なさるの?”
”ハイと言えよ。”ととつとつと答える。”・・・”
感情的には決してならない.

そんないろんな出来事を経て、
夫が海外出張に飛行機の都合で夜遅く一旦帰ってくる。
お茶漬けを食べたいという夫に根が利口な妻は
すでに全てを反省しているようだ.

妻はいつもはお手伝いさんがしている食事の支度を断って
お茶漬けの準備をする.

糠床にも手を入れ、台所で二人で冷ご飯をよそい、
卓袱台でさらさらと二人で食べる。

このとき妻は夫が何を求めていたかを悟り、
素直に謝る。大事なことが分かっていなかったと.

決して愛情が冷めたわけではない妻をいとおしく思いながら、
肩を落として美味しいお茶漬けを食べるのでした。


夫は名家ので出もなく、金持ちの出でもないが、
平凡で、真面目で、決して下品ではない
気楽に生活したいだけだ。
気安く、遠慮のない生活がしたいだけだが、
妻に強要する気はなくそのままでいいと思っている。

妻は夫の食事のし方が気に入らないことから、
他のことまで気に入らなくなってしまっていた。

育った生活環境が違うとどちらかが
合わせなければならないだろう。
ここでは夫が折れて合わせていた。

夫婦が仲良くやっていく上では価値観が一緒の人と結婚したい
とよくいうし良く聞く。
生活習慣もあまり違わない方が良いとも聞く.

でも、うまくいっている間は、生活習慣の違いなど許せる。
だけど価値観はうまくいっていようがいまいが、
固執するだろう.

どちらがいいのかひとそれぞれだけど、無理をして合わせるのは
いつか息切れがするし、続かないものだと思う。

上手くいく方法は、只ひとつ
気に入られるように努力することではなく、
ありのままを好いて一緒になった二人なら、
相手の 嫌がること、嫌なこと をしないことに尽きると
思います。そしてそのことを楽しむことでしょうね。


この映画ではお茶漬けを二人して食べて
夫がほっとする家庭を作ろうと妻は思うのだが、
おそらく妻は肩を抜いてお茶漬けを一緒に食べるだろうし、
汁かけご飯を食べる夫を微笑んでみる妻になるであろう.

そのことによって価値観も近づくに違いないと思いますね。

わたしもお茶漬けが食べたくなりましたので
早速今から....!!

製作 松竹 1952年度
監督 小津安二郎
出演 佐分利 信/木暮美千代/淡島千影/鶴田浩二/
   笠 智衆/津島恵子

≪追≫
北原三枝さんが女給の役でちょっと出ていました。
セリフは”いらっしゃいませ”だけでしたが..



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