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ハスラー車内で検出されたDNA型について、真犯人によって、工作された疑いが大いにあると冤罪論者が言っていることは既述しました。 この点について、裁判員裁判の法廷で、我が国のDNA鑑定の権威であられるK大医学部法医学教室のT教授は、次のように述べられました。「運転席のシートベルトから所有者のS子さんのDNA型が検出されなかったことは、不自然なことではありません。S子さんのDNA型が付着しにくかったことが考えられます」 この意見に対して、補充裁判員がメモで次のように質問しました。(左陪席判事が代読)「新車で購入後、1年半の間、仕事と私用で毎日乗って、シートベルトには2000回以上触れているのに、S子さんのDNA型が全く検出されなかったのは、本当に不自然ではないのですか。S子さんは車内を掃除するような娘じゃなかったと、お母さんが証言しているのですが。検察が言う、たった一晩乗っただけの被告人のDNAだけがあるというのは不自然ではないのですか」 すると、T教授は次のように答えられました。「可能性としては、被告人のDNAが付着する前に、もともと付着していたS子さんのDNA型が拭き取られたこともあり得ます」と。 このT教授の答弁は、真犯人が存在し、ハスラー車内を工作した可能性を示すものだと冤罪論者は言っています。
2020.03.31
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検察のストーリーによると、殺害放火現場からFさんの軽トラに乗って逃走した受刑者は、いったん、自宅に戻り、しばらくしてから、その軽トラを捨てに行ったということになっています。 その軽トラを捨てた場所が、受刑者の自宅から約3キロ離れたYバス停近くだったと言うのです。 弁護側と冤罪論者は、たまたま、軽トラが捨てられていた場所がYバス停近くだったから、以降の内容は、検察がNとYバス停を利用して作出したものだと言っています。 畢竟、検察はNから次の証言を引き出しました。「私は、事件の日の昼頃、社長(受刑者のこと)から電話で、Yバス停に迎えに来るように言われたので、言われた通り、迎えに行きました。私は、なぜ、社長がそんな所にいたのか、その時は分かりませんでしたが、後になって、犯行に使ったFさんの軽トラを捨てに行ったのだと分かりました。迎えに行くと、社長はYバス停の簡易木造の建物の中に、顔を隠すようにフードを被って待っていました」 弁護側と冤罪論者は、この証言は不自然すぎると言っています。勿論、受刑者は、このような事実はないと言っています。 なぜなら、前にも述べた通り、対馬市がいかに田舎であるとは言え、バス路線の道路はそこそこの車両通行量があるので、真昼間に証拠隠滅のために、受刑者がFさんの軽トラを運転することはリスクが大きすぎるからだそうです。 どんな田舎の道路でも、ドライブレコーダー搭載の自動車がそこそこ走っているので、軽トラを運転しているところを撮影されるかもしれないそうです。 Yバス停の簡易木造の建物内にいる場面も、運転者に見られるリスクが大きすぎるそうです。それに、ひょっとすると、本物のバス待ち客が来るかも知れなかったそうです。 犯行の全過程終了後の待ち合わせ場所としては不適切だと弁護側と冤罪論者は主張するのです。
2020.03.31
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冤罪論者が疑う検察側証人の証言に、元鉄工所従業員Nの証言がありました。 この元鉄工所従業員Nは、事件当時、受刑者の部下として、受刑者が経営する鉄工所で働いていた男です。 冤罪論者が不審に思う根拠は、まず、Nが警察に捜査協力したのが、事件発覚後、かなり時間が経ってからだった点がありました。 2人が殺害され、家屋が放火されて全焼した事件だった割には、Nの動きは遅く、その間に警察との間で何かがあったのではないかと疑われたのです。 そして、次には、そもそも、Nは、狭い鉄工所で受刑者とFさんの3人で漁船の整備作業に従事していましたが、Nは受刑者とFさんが揉めた場面を1度も見たことがありません。 その上、Nは警察に捜査協力する前に、知人にも「受刑者とFさん」の話を任意にしていたのですが、その話の内容は、警察に密告した内容とは真逆の内容だったのです。 つまり、「Nは、警察が接触する前と後とで陳述内容を変えている。この点はおかしい」と弁護側と冤罪論者は言ったのです。 それに、さらに驚くことには、このNは仕事をしている時間以外はほとんどをパチスロ店で過ごすギャンブル依存症の男だったのです。そのために、消費者金融や知人たちから多額の借金をしていました。 実はNは、受刑者からも借金をしていました。そして、その借金を月々の給料から天引きされていました。 ところが、Nは自分の妻には「給料が安い」と嘘をついて、借金が天引きされていたことを隠していました。パチスロ店にも妻に嘘をついて出かけていました。 弁護側と冤罪論者は、Nの証言は作出であると断じ、信ぴょう性は全く無いと言っているのです。
2020.03.31
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対馬放火殺人事件では、裁判の終盤、突然、検察が言い分を変えました。 「Fさんは受刑者の経営する鉄工所で、受刑者により、大量出血を伴なう殴打行為を受けた」という主張を取り下げたのです。 検察は「鉄工所にあったはずの大量出血痕は、受刑者が、警察の捜査に備え、ルミノール反応で検出されないように工作を施した」と言っていましたが、この言い分を取り下げたということです。 冤罪論者は「検察は、受刑者がネットで『ルミノール反応の消し方』というサイトを閲覧したことを持ちだした以上、自分達も、そのサイトを見て、その消し方について検討したはずだ」と言います。 そして、ルミノール反応を消すためには、塩酸や硫酸などを使わなければならず、もし、それらを使ったなら、それら、酸の反応もまた、容易く検出されてしまうことに検察は気付いた筈だと言うのです。 ところが、県警の科捜研の鑑定では、そのような酸性の物質は鉄工所からは検出されませんでした。 つまり、ネットで「ルミノール反応の消し方」を閲覧したものの、実際に、受刑者が、それを実践したという証拠はありませんでした。 弁護側と冤罪論者は、鉄工所で暴行が行われたという事実が証明できない以上、受刑者の犯人性は薄くなると言っています。
2020.03.31
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対馬放火殺人事件では、犯罪発生後、受刑者がパソコンで犯罪系のサイトを閲覧していた事実と、スマホの位置情報を消去していた事実も、受刑者が犯人であることの間接証拠だと検察が言いました。 ところが、弁護側と冤罪論者は、この程度の事実は、犯人であることを示す間接証拠とはなりえないと反駁しました。 この反論の要旨は次の通りです。僕の私見ではないので誤解しないで下さい。 Fさん宅で火災が発生したことを、対馬市住民が知ったのは朝の8時前です。そして、そう時間が経たないうちに、FさんとS子さんが行方不明であることも、この狭い田舎では話題になりました。まだ焼死体が発見される前です。 その際、まだ消防や警察から、頭蓋骨が陥没した2人の焼死体発見という正式発表がなされる前でありましたが、地元では様々な流言飛語が喧伝されました。 「火事に巻き込まれて焼け死んだのではないか」とか。「ストーブを付けたままとかで仕事に出かけて、火事になったんじゃないか」とか。「事件性があるのではないか」とか。 しかし、時間がある程度経って、FさんとS子さんに連絡を取ろうとした人たちが、「連絡が取れない」と騒ぎだして、「死亡説」が現実味を帯びてきたのです。 また、「事件説」も見当違いではなくなってきました。 この「事件説」には他殺説だけではなく、無理心中説なども含まっていました。 その時、受刑者もFさんに連絡を取ろうとしました。漁船を預かって、エンジン換装工事を請け負っていたので、当然のことでした。Fさんは頻繁に鉄工所に手伝いに来ていたので、気になって連絡を取ろうとしたことは自然なことでした。 そして、「死亡説」が現実味を帯びて来た頃だったので、たまたま、受刑者は鉄工所の事務所のパソコンで、「焼死体」とかいうワードなどを検索して、時間を潰しました。 この時、受刑者の鉄工所では、Fさんの漁船の整備以外に仕事がなく、暇でした。その整備にしても、どう整備すればいいか、いつも手伝いに来るFさんがいないと、勝手に整備が出来ず、受刑者は「Fさん待ち」の状態だったのです。 その時間潰しのパソコンの閲覧で、受刑者は「焼死体」という用語だけではなく、検索エンジンのアシスト機能につられて、犯罪一般の用語をどんどんクリックして、その関係のサイトを閲覧したのです。 その閲覧したサイトの中で受刑者はたまたま「ルミノール反応消し方」という用語をアシスト機能につられてクリックしたのです。 また「ルミノール反応消し方」に到達する以前の「ルミノール反応」の検索にしても、最初から狙って、検索したのではありません。 しかし、この点が検察に疑われてしまいました。 また、受刑者は、事件後、自分のスマホの位置情報を消しましたが、この点も「受刑者が犯人だから、殺害放火の現場にいたことを隠すための証拠隠滅だ」と検察から指弾を受けました。 このスマホの位置情報を消した点について、弁護側と冤罪論者は次のように言いました。 「たまたま、消した日時に犯罪の時刻が被っていただけだ。証拠隠滅とは言えない」 「受刑者が犯人なら、そもそもスマホを犯行現場に持って行かないはずだ」 冤罪論者は何度も言いますが、受刑者は理工系の知識が豊富な人間ですから、検察の言う通り、凶器とガソリン携行缶を準備して計画的に犯行に臨んだとしたのなら、位置情報が記録されるスマホを犯行現場に持って行くはずがないのです。 それにスマホを犯罪行為中に携帯することは、位置情報の記録だけが問題になるのではありません。犯行中、誰かから連絡が入ると困るではないですか、とも冤罪論者は言いました。 例えば、親戚や知人から訃報があるかも知れないじゃないですか、と言うのです。 (僕は、私見は一切述べておりませんので、誤解しないで下さい)
2020.03.30
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裁判員裁判で、検察は、自分達のストーリーを裁判官、裁判員、メディア関係者などに納得させるために、FさんとS子さんが暴行された時間を特定できると言いました。 そして、検察側の鑑定証人として法医学のI教授が出廷して、証言しました。 その証言によると、暴行を受けた順番はFさんが先で、それより随分後に、S子さんが暴行を受けたことが、2人の遺体を調べたところ、それぞれの「好中球の痕跡による受傷の時間特定」から分かったそうです。 この「好中球の痕跡による受傷の時間特定」とは、人が暴行を受けた際、その傷口に集まる好中球の性質を利用して、遺体の傷口にある好中球の数量から、時間経過を逆算して、具体的な暴行時間を特定できるというものです。 I教授は、当初、「この鑑定による誤差は1,2時間程度だ」と証言しました。 ところが、弁護側も裁判官も気付かないことに補充裁判員が気付き、メモで質問したところ、この鑑定による誤差が当初、証言していた1,2時間どころではなく、「5時間やそれ以上あるかも知れない」と、遂にはI教授は白旗を上げられました。 これでは誤差が大きすぎて、検察のストーリーが信用できないと冤罪論者は言っています。 つまり、これは、どういうことかと言うと、Fさんは鉄工所で半殺しにされたのではなく、別の場所で、そうされたこともあり得るということなのです。 また、時間的には、Fさんは、S子さんと限りなく近い時間に被害に遭っている可能性だって出てきたのです。 この鑑定に、大きな誤差があることを法医学教授自らが認めたことで、冤罪論者は「鉄工所で暴行が行われたとは言えないから、受刑者以外の犯人の線もある」と言っているのです。 そればかりか、FさんとS子さんが自宅にいる所を、急襲されたという仮説だって成り立つという人もいるのです。
2020.03.29
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検察は「受刑者はFさんを鉄工所の敷地内で、最初に殴打した。それは、大量出血して気絶するほど凄まじかった」と言いました。 ところが、鉄工所の敷地内では、そんな大量出血の痕跡は見つかりませんでした。 ただ、ごく少量の血液の飛沫が付いた軍手は発見されました。 DNA鑑定の結果、この血液はFさんのものであることが確認されました。 この点について、検察は受刑者が犯人であることの証左だと主張しましたが、弁護側と冤罪論者は「とんでもない屁理屈だ」と反駁しました。 たまたま鼻血が出たり、或いは喉や口内を出血していて、咳やくしゃみをして、その際、軍手でブロックすると、少量の血液の飛沫が軍手に付着することはあり得ることだからだそうです。 Fさんは11月から12月にかけての時期に頻繁に鉄工所に来て、作業していたので、全く不思議な事ではないそうです。 11月から12月にかけては、鼻血が出やすい時節です。また、風邪を引きやすく、喉や口内を痛めやすい時節でもあります。 大量出血するほどの暴行があったと言いながら、その証左を示すことができず、こんな軍手を持ち出して事件と結びつける検察を、冤罪論者は不思議がります。 勿論、この軍手は真犯人が受刑者を犯人に仕立て上げるために、鉄工所に持ち込んだとも考えられますが、そうでないにしても、この軍手の血痕は、全く不自然な事ではないと冤罪論者は言うのです。 似たような話ですが、この事件では、他の論点についても「ほんの僅かな血痕」を再三、検察が持ち出しました。そして事件と結びつけようとしました。 そのことについても冤罪論者は次のように言いました。 この「ほんの僅かな血痕」というのは、乾燥する冬場においては、多くの者が体験上、知っている通り、不思議な話ではないのです。出血部位は、鼻や喉や口内だけに限らないのです。 乾燥する冬場は、指先とか唇とか体の至る所の表皮が割れて、自然出血することはよくあることなので、その血痕がいろんな所に付着したとしても、全く、可笑しくないのです。 その上、現場系の作業をする人たちについては、出血するリスクが大きい点も考慮しなければなりません。
2020.03.28
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検察は法廷で、「自分達が主張している犯行手段、犯行方法、犯行態様で現に、この対馬放火殺人事件を完遂することができますよ。その実証実験をしましたよ」とは言っていない。 検察が実証実験で明らかにしたのは、放火をした後、Fさんの軽トラで受刑者の自宅まで「僅かの時間」で運転して帰り、部屋に戻ることは可能だったかも知れないという点のみであった。 この点についても、冤罪論者は、この実証実験は「或る道路区間のみ」の実験に過ぎない不完全なもので、自宅に到着するのは「僅かの時間」では無理だと主張するのだが、この点は後で詳述する。 検察が主張する中で一番、おかしな点は、サンダル履きで犯行を行ったという点だそうである。この点は冤罪論者以外の者も指摘している。 検察は誰かを犯人役にして、実際、この父娘殺人放火事件の全ての工程がサンダル履きで可能だったかどうかを試してみたのだろうかと冤罪論者は言う。 勿論、その実証実験では、犯行時と同様の気温5度程度、体感温度は0度程度で、犯人役となる人には「カパカパ」のサンダルを履いてもらわないといけないと冤罪論者は言うのです。 そして、上の「或る道路区間のみ」の実証実験はサンダル履きで行われたものではないと冤罪論者は言っています。
2020.03.26
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当初、検察は、受刑者が凶器とガソリン携行缶を準備して計画的に犯行に及んだと主張しました。そして、受刑者はFさんとS子さんをそれぞれ執拗に何十回も殴打して惨殺した上に、家屋も全焼させたのだと言いました。 あまつさえ、逮捕後も一貫して無罪を主張し続けて、全く改悛しようとしないその姿勢には死刑以外の求刑はあり得ないと検察は叫びました。 それで、一審の裁判員裁判の「無期懲役」判決には、検察は大いに不満を言って、高裁に控訴したのでした。 ところが、高裁も一審判決を支持して、「無期懲役」の刑罰が妥当だとしました。 このあたりで検察の態度が一変します。 なんと、福岡高検は「無期懲役」の判決に納得して、上告をしなかったのです。 これは一体どういうことか? 地裁の裁判員裁判と高裁の、ともに、無期懲役を相当とする理由が、「人を2人殺したとは言え、計画的ではなく、突発的に犯行を行ったかも知れないし、放火行為もそれほど悪質ではないから、死刑は回避する」というものでした。 結局、福岡高検は、この判断に従う道を選んだのです。 でも、仮に有罪説に立つにしても、次の点はどう説明するのかと冤罪論者は言うのです。 まず、突発的に犯行を仕出かす者が凶器とガソリン携行缶を被害者宅に持って行くでしょうか? それに、ガソリン携行缶の中身を家中に撒いて全焼火災を実現させる行為が、悪質ではないと言えるのでしょうか? そして、なにより、2人の人間がそれぞれ金槌様ないしハンマーのような物で数十回殴打され、頭蓋骨が複数個所陥没し、上半身の至るところが骨折させられている、無残な殺害方法は? 以上の裁判所と変節した検察の対応は、「内心では受刑者は無罪だと思ってるからであろう」と、「死刑が決まって執行されると困るからであろう」と、冤罪論者は信じて疑わないのです。
2020.03.25
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冤罪論者は、受刑者の経歴やスキルなどからも、検察のストーリーを疑問視しています。 なぜなら、受刑者は宮崎大学の工学部に行き、その後、鉄工所で働く技能を習得するために専門学校で修業したという経歴があります。受刑者はガソリンを扱うプロなのです。 もし、受刑者が犯人なら、引火延焼が不可能な場所にハスラーを置くのではなく、確実に燃えるように処置した筈だと冤罪論者は言います。 それに犯行に使った黒サンダルもいつまでも履いてはおらず、始末していたはずだとも。 火事の風上にガソリン携行缶を放置しても、指紋や掌紋は煤で消えないことも受刑者は知っているわけです。もし受刑者が犯人なら、ガソリン携行缶は家の中に放置していた筈だとも冤罪論者は言っています。 冤罪論者は、受刑者を評する検察の姿勢が変節したことも可笑しいと言っています。これは次回述べます。
2020.03.25
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前に触れたとおり、受刑者逮捕の決め手となったLLの黒サンダルも真犯人が工作したものだと冤罪論者は言っています。 すでに話しましたが、もう1度整理して示すと、その根拠は以下の通りです。(その1) このサンダルは通常、受刑者が履いているLサイズのものではない。受刑者が履けばカパカパになる。(その2) このサンダルからは受刑者の指紋、掌紋、DNA型は検出されなかった。(その3) このサンダルからはガソリンや灯油などの成分は検出されなかった。(その4) 検察が言う所の「凶器とガソリン携行缶を準備して犯行に臨む計画的犯罪者」が、被害者宅を訪れるのに、このカパカパのサンダルを履いて向かうのは不自然だし、犯行の実現可能性に大いに疑念が生じる。自動車を運転することも難しい。(その5) 犯行が行われた12月の深夜から未明にかけての気温は5度程度、体感温度はさらに低い0度程度であるのに、このサンダル履きというのは不自然すぎる。 冤罪論者は、このLLの黒サンダルは真犯人が用意したものだと言っています。 ハスラーのエンジンが切れた状態、すなわち足元暖房が効いていない状態のハスラーのブレーキペダルパットにこの黒サンダルを力強く押し付けて、パットに足跡痕を残した上、この黒サンダルは受刑者宅玄関に置いたものだと言っています。 受刑者は、もともと黒っぽい似たようなLサイズのサンダルを履いていたのだが、真犯人がこのLL黒サンダルを玄関に置いた際、真犯人が従来のサンダルを回収したと考えているのです。 これは弁護団が再三、法廷で口にしていたことですが、まず、受刑者の経営する鉄工所は防犯が甘く、1年365日、昼も夜もシャッターをせずに開けっ放しでした。 また鉄工所に隣接する自宅も、鍵なんかせずに、猫を飼っているので、猫が出入りできる程度に常時開けていたそうです。
2020.03.25
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S子さんはハスラーを新車で購入後、殺されるまでの1年半の間、通勤と私用で毎日運転していました。 S子さんのお母さんの証言によると、「S子はズボラでハスラーの掃除などしたことがなかった」そうです。 また、S子さんは、魚臭い、お父さんのFさんがハスラーに乗ることを嫌い、そのためにFさんは、通算で僅か2,3回しかハスラーに乗ったことがなかったそうです。 しかし、反面、S子さんは活発で社交的な娘さんであったこと、結婚を間近に控え、婚約者がいたことなどから、多くの人間をハスラーに乗せていたことは疑いようがありません。識者はみんな、そう言っています。 それで普通に考えれば、ハスラーにはS子さん本人のDNA型だけではなく、お母さん、姉妹、友達、婚約者など、総勢で優に5人を超える分のDNA型があって然るべきだということも識者が指摘するのです。 ところが、県警の科捜研のDNA鑑定によると、ハスラー車内の座席やシートベルトなどから見つかったDNA型は少なくて4人分、多くて5人分という結果でした。 このうち、1人ないし2人分のDNA型は誰のものか不明でした。 そして明瞭に検出されたのは、S子さん、Fさん、受刑者の3人分だったのです。 具体的には、座席シートからはS子さん、Fさん、受刑者の3人分のDNA型が検出され、運転席のシートベルトからは受刑者のみのDNA型が検出されました。 この鑑定結果に、理工系の冤罪論者は大いに疑問を呈するのです。まあ、素人が考えても分かることですが。その疑問とは以下のようなものです。(疑問1) 全部で4,5人分のDNA型しか検出されなかったのは可笑しい。少なすぎる。どうして、S子さんのお母さん、姉妹、友達、婚約者などのDNA型は検出されなかったのか。(疑問2) 1年半の間で、ほんの2,3回しか乗っていないFさんのDNA型が明瞭に検出されたのは可笑しくはないか。(疑問3) S子さん本人は1年半の間にシートベルトに2000回以上触れているのに、なぜシートベルトからはS子さんのDNA型は検出されなかったのだろうか。 冤罪論者は、真犯人が存在して、以下のような工作をしたのであれば、上記疑問はすべて氷解すると言うのである。 すなわち、真犯人は、受刑者が経営する鉄工所から、ガソリン携行缶だけではなく、受刑者が日頃使っているタオルなども盗んだ。そして、暴行を加えたFさんとS子さんの下着なども、それぞれ、剥ぎ取って、ハスラーのDNA工作の準備をした。 そして、確実に受刑者を犯人に仕立てるために、受刑者のDNAは明瞭に付着させる必要があったから、まず、ハスラー車内の座席シートやシートベルトを掃除して綺麗に拭き取った。この時、それまであった全員分のDNA型がいったん消えた。 しかし、その作業は100%完ぺきではなかったので、1,2名分の明瞭ではないDNA型として残ってしまった。 次に、真犯人は、受刑者のタオル、FさんとS子さんの下着などを座席シートに押し付けて、それぞれのDNA型を付着させた。(真犯人は、Fさんがハスラーに2,3回しか乗ったことがないことは知らなかったと思われる) 最後に、特に、運転席のシートベルトには受刑者のDNAを念入りに付着させたが、うっかりS子さんのDNAを付けることは忘れていた。
2020.03.25
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冤罪論者は、ガソリン携行缶の工作と同様に、火事の風上に放置されていた「給油口の開いたハスラー」もまた、真犯人による作為であると考えている。 実は、事件が起きた当初、警察は、この点について、メディアには「ハスラーからガソリンが抜き出され、放火に使われたかどうかを調べる」と話していた。 給油口が開いていたことについては、この程度の認識であった。 つまり、最初は、警察もメディアも「犯人が犯行に使ったから、ハスラー自体も燃やそうとして証拠隠滅のために給油口を開けていた」などとは大々的に主張してはいなかった。 ところが、その後、科捜研によって、ハスラー車内に受刑者のDNA痕跡が発見されるや、「受刑者が犯行に使ったハスラーそのものも火事の延焼で燃やそうとして、その給油口を開けっ放しにしたのだ」と主張を変えるに至ったのである。 でも、この主張は、全くの見当外れであると理工系の冤罪論者は指摘する。 最初に警察やメディアがビジュアルに感じた取った通りのことが、科学的にも妥当するのだと言う。 つまり、風上にあるハスラーの給油口を開けると、そこから漏れ出る気化ガソリンは空気より分子量がかなり大きいため、給油口下の地面を這うように風下側に流れて行くが、2メートルと流れないうちに、その濃度は燃焼可能濃度を下回ってしまう。 ゆえに、風下の家屋火災エリアから離れていたハスラー給油口には引火することはあり得ないことだったと言う。 それでは、なぜ、ハスラー給油口が開いていたのかと言うと、それは真犯人の意図的な所為であり、その意図とは、受刑者が証拠を隠滅しようとしていたと捜査当局に疑わせて、ハスラー車内のDNA痕跡を捜査当局に調べさせることであったと言う。 さらに言うと、そのハスラー車内に受刑者のDNA痕跡を付着させるという工作も真犯人がやったと冤罪論者は主張するのである。この点については次回述べる。
2020.03.25
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対馬放火殺人事件では、Fさん宅火災現場の風上に放置されていた「ガソリン携行缶」から受刑者の掌紋が検出されたことが、受刑者逮捕の決め手の一つとなった。 だが、この点については、冤罪論者のみならず、多くの人達から疑問の声が上がった。 検察が言うところの計画的な放火殺人犯が、こんなポカを仕出かすはずがないからだ。 火災の風上にガソリン携行缶を放置すれば、煤が付かないから、あとあと、指紋や掌紋が検出されることは誰にだって分かる。 凶器とガソリン携行缶を被害者宅に持ち込んで、2人を殺害して、家屋を全焼させるべく、家中の畳を剥して風通しを良くしてから、至る所にガソリンを撒いて放火した、抜け目のない犯人なら、こんな証拠を残すはずはない、と誰もが考える。 だから、冤罪論者以外の者にとっても、あまりにも不自然すぎるのである。 勿論、このガソリン携行缶については、冤罪論者たちは、真犯人が受刑者を犯人に仕立て上げるために、受刑者が経営する鉄工所から盗んだものだ、と主張する。 事実、受刑者が経営していた鉄工所は防犯が甘く、シャッターは1年365日、昼夜いつでも開けっ放しであった。容易に盗まれる状況にあったのである。
2020.03.25
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理工系学位を取得した冤罪論者は、そもそも、この足跡痕の一致は科学的にあり得ないことだと以下のように言います。 以下の話はその冤罪論者の意見です。僕の私見ではありません。誤解しないで下さい。 (理工系学位を取得した冤罪論者の意見) 犯行にS子さん所有のハスラーが使われ、犯人がこのハスラーのブレーキが踏み込んだ際の気温は5度程度でした。ブレーキを踏み込む前には結構な距離を運転しています。 犯行時の風と湿度を考慮した体感温度は0度程度でしたので、サンダル履きのために足元は冷えるし、フロントガラスは曇ることから、当然、犯人は暖房を使うしかなかったわけです。 所有者のS子さんは多くの女性ユーザーと同様に、ハスラーの自動暖房システムを使って、設定温度は25度程度に設定していたと考えられます。ただし、S子さんは気温が物凄く低くなる深夜や未明にはハスラーには乗りませんでした。 だから、気温が物凄く低くなる時間帯にハスラーに乗った犯人は、このS子さんが設定した温度をより低くしたということもまた考えられないのです。 ところで、ハスラーのブレーキペダルのすぐ近くには、暖房の吹き出し口があります。そのため、ゴム製であるブレーキペダルのパットは温められて膨張します。 しかしながら、同じく、暖房の吹き出し口付近にあったサンダルは材質が合成皮革であるために、ほとんど膨張しないのです。 だから、ハスラーの足元暖房が効いた状態で、「合成皮革のサンダル」で「ゴムのブレーキペダルパット」を踏み込んだ場合、その後、温度が下がると、ブレーキペダルパットは縮小するから、そこに付着したサンダルの足跡痕もまた縮小するのです。 それで、「科学的には、受刑者宅から押収したサンダル裏面と、ハスラーのブレーキペダルパットの足跡痕が一致するということはあり得ない」という結果が導き出されるわけです。 もっとも、この科学的見解を冤罪説の根拠とする以前の話として、そもそも、検察が裁判官と裁判員に語った計画的殺人放火事件の受刑者が「サンダル履き」で犯行を行ったという検察の所論自体が、冤罪論者たちの大きな疑問であるわけです。
2020.03.24
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下の写真の1枚目から4枚目は、裁判員として僕たちが拘束されることになった際、地裁から渡された予定表です。 相次いで、この2種類の予定表を地裁書記官から貰いました。 参考までに5枚目に、実際に勤務した日の証明書もアップします。(以前アップしたものです) 最初にもらった「裁判所にお越しいただく日」(下の1,2枚目の写真)は「すでに確定していて、確実に来ていただく日です」との説明を受けました。 また、4枚目の写真をご覧いただければ、お分かりになるかと思いますが、その確実な日以外にも予備日として予定されていた日がありました。「これらの日は一切の予定を入れずにおいて下さい」と、最初に言われたのです。 ところが、現実に裁判員として勤務した日は、5枚目の写真の通りの日でした。 つまり、最初、拘束を予定された日のうち結構な日数が、裁判所または裁判長の都合でキャンセルとなり、勤務しなくてよくなったのです。 ご覧の通り、その日数は1日、2日どころではありません。 裁判所サイドが、拘束される予定日のキャンセルを余裕を持って告知してくれれば、僕たちとしても臨機応変に対応できたのですが、裁判長の都合で、突然、「来なくてよい」と言われたことがありました。10日も余裕がないことがありました。 こんなことをされると、裁判員の中には生活に響く人がいました。 なぜなら、当初、もらった予定表をもとに職場の上司などは、これらの日は仕事ができないと判断しているので、職場では、すでに他の人が代役でシフトされています。 だから、「突然、裁判員の業務が休みになったから、働かせて下さい」と言っても、働くことができないのです。 それに、そもそも、裁判員を務めたことにより、休業した日の賃金は、貰えない人が数人いました。 こんな人たちは、裁判所の都合で突然、裁判員業務がなくなって裁判員手当を貰えなくなると、生活に響くことになったのです。 予定表を渡して、裁判員に仕事を出来なくさせた日は、仮に、公判や評議を休むことになっても、日当は払うべきだと思う。 そうしなかった地裁の対応は法的にも道義的にも問題があったのでないだろうか。 いやはや、「裁判員の日当から宿泊費を出せばいい」と言ってのける御仁たちのやりそうなことではあった。
2020.03.23
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検察が主張した受刑者の犯行ストーリーは次の通りでした。 Fさんは、自宅から受刑者が経営する鉄工所に軽トラでやってきました。そこで受刑者と口論になり、半殺しにされ、大量出血して気絶しました。 受刑者は、Fさんが戻らないことを不審がる家族が騒ぎ出さないように、Fさん家族も殺して、家屋にも放火してやろうと決意して、Fさんの軽トラに乗って、Fさん宅に行き、娘のS子さんも半殺しにして気絶させました。 次に受刑者は、今度は軽トラではなく、S子さん所有のハスラーに乗って、鉄工所に引き返しました。そして、瀕死の状態のFさんをハスラーの荷台に載せて、再度、Fさん宅に戻りました。 放っておいても、死ぬしかない2人に、さらに受刑者は殴打行為を加えた可能性がありました。 そして受刑者は、2人にガソリンをかけ、家中の畳を剥して風通しを良くした上で、家屋の至るところにもガソリンを撒いて、放火しました。 その放火の際、犯行に使用したハスラーも証拠隠滅のために燃やそうと思い、受刑者はハスラーの給油口を開けっ放しにしました。 最後に受刑者は、Fさんの軽トラに乗って、放火現場から逃走しました。 逃走後、受刑者はその軽トラを自宅付近の人目につかない場所に隠して、自宅に戻りました。 自宅に戻った受刑者は、普通に家族や知人たちとコミュニケーションをとって、事件とは無関係であることを装いました。 その後、受刑者は自宅から3キロ離れた場所へ軽トラを捨てに行きました。 冤罪論者たちは、この検察のストーリーは「不自然すぎることだらけだ」と言います。 受刑者の鉄工所とFさん宅は車で20分以上かかる距離にあります。途中には、商店の防犯カメラがあるし、すれ違う対向車はドライブレコーダーを搭載しているかもしれません。検察のストーリーだと、リスクが大きすぎるのです。 はなっから、半殺しにしたFさんを軽トラに乗せて運べばいいだけの話です。冤罪論者は首を傾げます。 Fさんが帰宅しないことを不審に思う家族が騒ぎ出すから、それを阻止するための殺人と言うのもリスクが大きすぎるのです。(冤罪論者が言うには) たまたま、事件当時、Fさん宅にはS子さんしかいませんでしたが、通常は他にも家族がいました。あるいは、知り合いだとかが訪問していた可能性だってありました。S子さんが叫べば近所の人に聞こえたかも知れなかった。(と冤罪論者が言う)
2020.03.22
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公判廷では、各証人への主尋問と反対尋問の終了後、裁判官からも質問がなされますが、最後には、裁判長が我々裁判員にも「皆さんは何か訊きたいことはありませんか?」と必ず、質問の機会を与えました。 この時、正裁判員は直接、証人に対して、質問することができます。 残念な話ですが、この対馬放火殺人事件では、その正裁判員による質問が、全22回の公判期日の中で僅か1,2回行われただけだったことは前に述べました。 しかし、補充裁判員だった僕はメモによる質問を証人たちにしました。 規則でメモによる質問は許されているのです。 ただし、この僕の質問は、メモに書いた内容を裁判長が見て、裁判長がOKと判断すれば、そのメモが左陪席判事に渡り、左陪席判事より証人に質問されるという経路を辿りました。 僕はこれは極めておかしなことだと思いました。 正裁判員は、裁判長の検閲を受けることなく、直に証人に質問ができるからです。 しかも、傍聴していれば分かったことですが、この補充裁判員だった僕のメモによる質問は、全質問中3割程度は裁判長からNGと判断され、日の目を見ませんでした。 あとで、新聞記者から取材を受けた際、彼らはこのNGになった質問内容についても執拗に訊いてきました。(僕は、答えませんでしたが) 下の写真は、大法廷の補充裁判員席の筆記具一式です。 こんなに小さい正方形のメモ用紙に、質問事項を書かなければなりませんでした。メモは、僕→2位の補充裁判員→右陪席判事→裁判長へと渡り、裁判長の検閲後、左陪席判事に渡り、左陪席判事が質問しました。 このメモが読み上げられるまでの過程はワクワクドキドキの時間だったそうです。「一体どんな質問が市民感覚の裁判員からなされるのであろうか」 あとで新聞記者が言っていました。 実は「補充裁判員だった貴方の質問は、大したものだった」とも評されました。 なぜなら、検察弁護側、裁判官、その全員が気付かなかったことに僕が気付いて質問したことで、その後の検察側弁護側の所論双方に大きな影響を与えることになったからです。このことについては、後で詳しく述べます。
2020.03.21
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最初に断っておきます。この対馬放火殺人事件は昨年12月に最高裁で刑が確定し、被告人は受刑者となりました。それで、今後、このブログでは被告人ではなく、受刑者と表記させていただきます。 対馬放火殺人事件は受刑者が逮捕された時から、受刑者の犯人性には疑問を呈する人たちがいました。 なぜなら、自白や目撃者などの直接証拠が全くありませんでした。自白をもとに捜索したら、そこから凶器が発見されたというような事もありませんでした。 そして受刑者は逮捕時から、一貫して、「自分は犯人ではない」と言い続けています。 これから、冤罪論者の人達の意見を取り上げさせていただこうと考えています。 なお、すでに何度も話したことを、また繰り返しますが、僕には守秘義務という制約があるので、罰則を覚悟しない限り、評議の内容や他の裁判員が特定されるような事は話せません。 それに、判決で示された事実の認定や量刑の当否についてもコメントすることは出来ません。 だから、今後、僕が述べることは、その都度、そう感じたり、そう思ったりしたのが誰なのか、きちんと表記をして行きますが、主語は僕ではありません。 主語は、次のような方々です。 弁護士。新聞記者。出版社スタッフ。理工系学位取得者。各種他分野の事務所のスタッフなど。 なお、裁判員制度を詳しく知りたい方のために、厳密に申し上げておきます。 厳密に言うと、判決後、新事実の発見などで事情が変わり、判決の結果と異なる感想を述べること、例えば、判決が有罪であった場合で言うなら、「今は無罪と思う」という感想を述べることは、法律違反にはなりません。 なぜなら、判決で示された事実の認定や量刑の当否についてコメントしているわけではないからです。 このことは某地方裁判所の刑事部から回答を得ています。
2020.03.21
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裁判員業務の最終日、判決前の時間に数種類のアンケートを書いて提出しなければなりませんでした。 既に裁判員の仕事は終わったも同然だし、希望する裁判員は判決後、メディアの記者会見に出る段取りが付いたから、気楽に裁判所と裁判官に対して批判的な事が書けるかと思いきや、評議室には入れ替わり立ち替わり、裁判官と書記官が出入りする上、アンケートの質問事項はほとんどが理由まで詳述させるようになっていた。みんな、狭い評議室で記入するので他の人の動向も気になった。 裁判員の中には、裁判官や裁判所に愛着を感じたり、連帯感を覚えている者が誰もいなかったと言えば、嘘になるだろうと、ふと、僕は思った。 それに、みんなは、この時点では、対馬放火殺人事件の裁判員を務めたことの重荷を良く理解できていなかっただけなのかもしれなかった。 最後に、裁判所の建物を後にする際、「すべて、忘れるしかない」と呟いたある裁判員の表情を見た僕は、やる瀬なかった。 率直な話、裁判員退任後でも、ある数の人達の職場や居住地は知っているので、連絡を取ろうと思えば、取ることが出来た。しかし、僕は、会って話をしようとは思わなかった。 他のみんなも同じだと思う。 だから、アンケートの時に脳裏をよぎった感覚は、所詮、すぐに消えてなくなる、愛着もどき、連帯感もどきの感覚であった。 この事件は昨年12月、最高裁で刑が確定したが、もし、今後、再審の動きが表面化したり、その決定がなされたら、裁判員だった者達は、全員が相当に悩むと思う。 そうでなくても、今現在でも、程度の差があるだけであって、僕のように悩んでいる者がいると思う。 裁判員の予定表・最終頁
2020.03.20
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裁判員に選ばれて初めて評議室に行った日に、K裁判長より、次のような説明がありました。「裁判員になった皆さんは、この任務の間、あるいは退任後に、心身にかつて経験したことのないような変調があるかも知れません。その時は、裁判所指定のメンタルヘルス窓口か精神科医に相談して下さい。場合によっては、評議の秘密を話して、心の負担をなくすという方法を選択してもらっても構いません。メンタルヘルス窓口と精神科医に評議の内容を話す分は、守秘義務違反の例外になりますから」 そして、続けてK裁判長は言いました。「裁判所指定のメンタルサポート窓口への相談は、皆さんは一生涯無料です。しかも1年365日24時間いつでも相談できるので、精神科医を受診するより、お奨めですよ」
2020.03.20
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対馬放火殺人事件の正裁判員6名の構成は全員が男性でした。そして補充裁判員は3位までが男性で、4位と5位が女性、6位が男性という構成でした。 つまり、仮に、正裁判員が欠けるような事態が起きても、余程のことがない限り、女性が正裁判員に繰り上がることはない状態が最初から作出されていました。そうしたのはK裁判長です。 このことについて、新聞記者たちは「法の下の平等を謳う憲法の理念に反する上に、政府の女性登用の考え方にも合致しない、極めて偏向した有り様じゃないか」とK裁判長を批判しました。 評議では、主に裁判官3名と正裁判員6名が議論を繰り広げます。補充裁判員は裁判長から訊かれない限り、自分からは発言できません。 新聞記者たちが言うには、「女性は殺人事件の生々しい論議をすることは無理だろうとK裁判長は考えたのではないか。もし、そうだとしたら、それは女性蔑視の偏見だ。時代錯誤の差別だ」 あるいは、「女性を正裁判員に入れておくと、評議の際、ある方向に議論を誘導しようとする際、支障が出ると判断して、最初から入れなかったんじゃないか」 さらには、男性ばかりの正裁判員6名の年齢構成にも問題があると指摘する記者がいました。 記者が言うには、30代か40代に見える1人を除き、残りの5名は皆50代か60代に見える男性達でした。 ついでに言うと、補充裁判員の3位までの3名も50代か60代に見えたと、記者は言っていました。 新聞記者は、この正裁判員6名、補充裁判員6名の布陣には大いに引っ掛かりを感じると何度も言っていました。
2020.03.20
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裁判員の業務期間中、裁判員は余裕を持って集合時間前に評議室に来ていますが、職業裁判官で最初に入室するのは、M左陪席判事でした。 そのM左陪席判事が毎朝一番に決まって言うセリフが「皆さん、体調の方は大丈夫ですか」でした。 その後、T右陪席判事とK裁判長が数分遅れで集合時間までにやってきますが、この2人も、「大法廷は暖房が効きにくく寒いですから注意して下さい。ひざ掛けもありますから」などと裁判員の健康を気遣うセリフを発することがありました。 親切心から言っていることではないことは、しばらくして、K裁判長の話で明らかになりました。 実は、「正裁判員に欠員が出ると、公判廷を最初からやり直さなければならない。それが怖いから、補充裁判員を多目に任命したが、それでも不安がある」とK裁判長が呟きました。 まさにその通りです。集団感染でもしたら、一発アウトです。 アルコールハンドジェルと使い捨てマスク、それにウイルス除去空気清浄機は評議室の必須アイテムです。 裁判員の日当から宿泊費を出させようとするだけあって、こういう所は抜かりがないです。
2020.03.19
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何度も言いますが、僕には守秘義務があるので、僕が話せることには制約があります。 今回、お話することは、僕が思ったことではなく、新聞記者が言っていることを代わって伝えることとなります。 勿論、それは、評議の秘密を漏洩したり、裁判員個人のプライバシーに触れたり、判決における事実の認定や量刑の当否についてコメントするものではありません。 対馬放火殺人事件の裁判員裁判は公判が22回も開かれ、検察弁護側双方の証人が51人出廷しました。 検察弁護側が主尋問と反対尋問ですべての証人と質疑応答を繰り返すのは当然のことです。彼らは与えられた時間と機会を絶対に無駄にはしません。 また裁判長、左右陪席判事たち3名の職業裁判官が、疑問に思ったことを証人に訊くのも、ごく当然のことです。 しかし、せっかく、全ての証人の出廷の際、最後に、裁判長が「裁判員の皆さんからは、証人に何か訊きたいことはありませんか?」と振っているのに、何も質問せず、黙って座ったままでいる6人の正裁判員達の姿をメディアの人達は妙に感じていました。 市民感覚を司法に反映させ、開かれた司法を実現するためには、積極的に裁判員が法廷で発言しないと、裁判官と対等な事件の評議員としての資質を疑われることになりかねません。 この対馬放火殺人事件はメディアの報道で「識者でも判断が有罪と無罪に分かれる」と言われていました。被告人の自白も凶器の発見も目撃者もなく、直接証拠が皆無の事件であったからです。 だから、有罪無罪の判断は、弁護側が言う所の「胡散臭く、改竄の疑いがある複数の間接証拠」をどう評価するか、という点にかかってくるということをメディアは報じていました。 ところが、「22回の公判期日の総勢51人の証人に対して、正裁判員から質問がなされたのは、1,2度だけだった。こんな重大な事件で正裁判員は何をやっていたんだ」と新聞記者は疑問を呈しました。 公判が終盤に差し掛かると、裁判長が「裁判員の人達と質問することを相談してきますから、しばらく休廷します」と言うことが連発するようになりました。 このことについても新聞記者は不思議だと言いました。 正裁判員の席にはマイクがあって、小さい声で話しても、ちゃんと声が法廷に響くようになっています。 新聞記者が「この事件の無期懲役の判決は、裁判官とりわけ裁判長が誘導して決めたんじゃないか、裁判員に押し付けたんじゃないか。そこを教えてくれ」と僕に詰め寄るのは、このような所にも原因があるのです。複数の記者がそう言っていました。
2020.03.19
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法廷で証人が話している時は、書記官からもらった用紙にメモしながら聴かなければなりません。 裁判官と裁判員の全員でメモをすれば、後で評議室で話し合う時に、誰々がこう言っていた、ああ言っていたという事を間違えることがなくて済みます。 それでも、たまに、誰もメモを取っていないし、誰も記憶していないことがあります。その時は録画機でとった音声付き映像を再生して確認するということになります。 下の写真はそのメモ用紙と録画機です。
2020.03.19
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2020.03.19
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2020.03.19
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対馬放火殺人事件では、イカ釣り漁師のFさんとその娘で看護助手のS子さんがそれぞれ、金槌様のもので頭蓋骨を複数個所陥没させられた上、上半身の複数個所にも執拗な殴打を数十回受けて惨たらしく殺害されました。 その上、2人の体には、2人が完全に息絶える前にガソリンがかけられ、家屋もろとも放火されました。 放火前には家中の畳を剥し、風通しを良くして、全焼火災を実現させたものです。この放火に使われたガソリン携行缶は被害者宅のものではなく、犯人が持ち込んだものです。火事の跡地に置いてありました。 2人を殴打した凶器は発見されませんでしたが、頭蓋骨の陥没痕から、ハンマーのような工具であることは分かっています。火事の跡地から、そのようなものは見つかっていないので、犯人が持参して、犯行後、持ち去ったとした考えられません。 このような事件を起こした犯人が被告人であるとすれば、上記事実に加え、逮捕後、一貫して無罪を主張して反省の色がないことも併せ考えると、判決は死刑しかないとの前評判でした。 一方、この事件は被告人の自白がないだけでなく、凶器の発見や目撃証言などの直接証拠が皆無で、あるのは弁護側が、胡散臭く、改竄の疑いがあると主張する間接証拠ばかりでした。 ゆえに弁護側と有識者の一定数は無罪を主張していました。 結局、一審の長崎地裁の裁判員裁判の判決は無期懲役。その判決理由は概略、法廷で次のように朗読されました。 「人が2人惨たらしく殺されたとは言え、計画的でなく、突発的に犯行が行われた可能性があるし、放火行為も、それほど悪質であるとは言えないから、死刑を回避して無期懲役にします」 この判決には検察、弁護側双方が不満で控訴しました。 不満だったのは、検察と弁護側だけじゃありません。有識者や大多数の市民が裁判官と裁判員を叩きました。その要旨は次のようなものでした。 「死刑か無罪のどちらかのはずだ。無期懲役というのは可笑しい」 「評議で死刑と無罪に意見が割れたから、中間の無期懲役にしたんじゃないか」 「死刑判決を出すのが怖くて、結論を高裁に先送りしたんじゃないか」 「無期懲役に持って行くために、計画性がない殺人と悪質ではない放火に仕立てた んだろうが。凶器とガソリン携行缶を持って被害者宅に押し掛けているのに、計 画性がない殺人だなんて、裁判官と裁判員は気が狂っている」 「裁判官と裁判員の心の中に、被告人が犯人ではないという気持ちがあったんじゃ ないのか」 新聞記者はこれらに加え、次のように言っていました。 「極めて理不尽な判決だと思う。評議の際、裁判官、とくに裁判長の誘導があっ て無期懲役にしたんじゃないですか。本当のことを教えて下さい」 新聞記者の疑問は、世間の皆様方の疑問だと思う。 だから僕は苦しいのです。 守秘義務があるから、何も答えることが出来ないから。 はっきり言うと、懲役6月になるのが怖い。それで新聞記者には話が出来なかったんだよ。 でもね。今、それで本当にいいのか。僕は悩んでいます。それで余計に辛いんですよ。 ,
2020.03.19
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そもそも、最初に僕の不調を作ったのはK裁判長でした。だから、K裁判長が謝罪すれば、僕の心は救済されるだろうと考える人がいるかもしれません。 しかし、そんなことでは、僕は救われないのです。(まあ、K裁判長が謝罪するのは当然のことですが。) 最初にお話した通り、守秘義務があるので裁判員を務めていた当時の僕の見解は表明できません。また判決の内容、例えば事実の認定や量刑の当否についてもコメントできません。 ただ、僕は、K裁判長と地裁とのトラブルをメディア関係者や弁護士、医師、国会議員の秘書などに相談するうちに、この裁判の判決に不満を持つ人たちが多いことに気付き、また冤罪説を唱える人からは抗議を受けて、懊悩を重ねました。 そして、遂には、裁判所で一切触れられていない、つまり、検察側も弁護側も主張していない重大な事実を教えられ、一層、心の不調に悩まされています。 率直な話。この重大な事実を教えられたことで、自殺したくなりました。 それと、もう一つ。 新聞記者の半数ほどは「裁判員は裁判官の言いなりだったんでしょう?」と僕に言いました。裁判官が主導して「無期懲役」の判決に持って行ったと信じています。 このことは、事あるごとに記者たちから執拗に訊かれています。新聞社だけじゃありません。東京の大手出版社の人たち、知人たちも同じです。 このことも、とても辛く思っています。
2020.03.18
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ブログを始めて日が浅いのに、閲覧者の一部の方がネットに「似蛭田妖が言っていることは支離滅裂で話の趣旨が分からない」と書き込んでいるとの話を聞きました。 これは、全く見当違いのご意見です。 最初にお話した通り、僕は、皆さんがお知りになりたい事を伝えたいと思う。なぜなら、このブログを読まれる方は「ほぼ全員」が裁判員の経験者ではありません。しかも、その「ほぼ全員」の大部分は、家族や親しい友人などにも裁判員経験者がいない筈ですから、僕のブログを見なければ、一生涯、知ることが出来ないことが沢山あるはずなのです。 メディアの報道や裁判所の広報から「何となく裁判員のことを知っている」にしか過ぎない方々に、僕の所論を表明するだけではなく、経験者でなければ提供できない情報を差し上げようとして、便宜、このような展開になっているのです。 現に、この11日間、というか、たった11日間しか、僕は話していないのに、皆さんは裁判員業務の実態はこんなものか。裁判官の人となりはこんなものか、と驚かれたことかと思います。これまでの僕の記述内容に嘘はありません。 守秘義務を守らなけらばならないから、これでも、かなり手加減をして書き込んできたつもりです。今後も、ぎりぎりセーフになる程度のことを書きこんで行きます。 そうしないと、皆さんには、裁判員制度、裁判所、裁判官の本当の姿が分からないと思うからです。また、そもそも、皆さんも、そこが知りたいと思われるから、僕のブログを見ていらっしゃるのではないですか。 時に切実に、時に淡々と、また時にはシニカルに書き込んでいます。 僕が裁判員後遺症で苦しんでメンタルケアを受けている状態であることは考慮して下さい。 念のために、再度、僕が精神的にどうにもならない状態となり、このブログを始めるに至った状況を説明します。(1)そもそも裁判員就任時から裁判員退任時にかけて、長崎地裁とK裁判長から理不尽な目に数多く遭わされたが、それらについて、関係者から一切、謝罪がなかった。また裁判員退任後も、再三、謝罪を要求したが無視されている。 厳密に言うと、裁判員在任中から精神の具合は悪くなっていた。夜眠れないので睡眠導入剤の処方を受けていた。(2)判決後、上記のことを知人、メディア関係者に相談したら、対馬放火殺人事件の裁判員裁判の「無期懲役判決」に対して、不満の声が多く、お叱りを受けた。有罪無罪どちらの立場の人からも非難を受けた。 そして、冤罪を唱える人が多くいることを知って、その話を聞くうちに、さらに具合が悪くなって行った。 評議の秘密を話せないことが心の不調をエスカレートさせた。(3)メンタルサポート窓口と精神科医のケアを受けたし、今も継続中だが、メンタルサポート窓口のケアは今、ほとんど受けることが出来ない状態にあります。 その理由は今後、話していきますが、窓口が僕との電話相談を秘密録音していたことが原因でした。 この件では、新聞社、法務局の人権相談、国会議員事務所など多くの人に相談に乗ってもらいましたが、その結果、メンタルサポート窓口は秘密録音を廃止しました。 そしてメンタルサポート窓口は「裁判所と協議の上で秘密録音を廃した」と回答しました。この回答から、秘密録音には裁判所も関与していたことは確実です。 他にも、こんなことがありました。メンタルサポート窓口が「その件は地裁に連絡してK裁判長に相談に乗ってもらいなさい」と言うので、その通りにしたら、電話をK裁判長に取り次いでもらえず、地裁書記官から不愉快な言われ方をされて門前払いにされました。 このブログを目にされておられる皆さま方に置かれましては、以上のような経緯による僕の懊悩について、どうかお汲み取りくださいますよう、お願い申し上げます。
2020.03.18
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裁判員業務が終盤に差し掛かった頃、ランチ休憩で評議室を出て行こうとすると、歩きながら、ある裁判員から、評議の内容の守秘義務について、「一生涯、秘密を守らなければならないのは厳しすぎる」と聴かされました。 また、別の機会にも、他の裁判員から「守秘義務違反の6月以下の懲役または50万円以下の罰金は厳しすぎる」と聴かされました。 それで、この話に関連することで、おそらく裁判員全員が疑問に思っているであろう事を、僕が代表して、3月15日に評議室でK裁判長に質問したのです。 つまり、「裁判員とその経験者の守秘義務違反は6月以下の懲役となっていますが、職業裁判官の皆さんも、裁判員とその経験者と同じく、守秘義務違反は6月以下の懲役になるんですか?」と。 すると、K裁判長は即座に「裁判官の守秘義務違反の懲役はもっと長い」と断言しました。 しかし、この時、傍らで、僕とK裁判長のやり取りを聞いていたT右陪席判事が、突然、話に割って入り、K裁判長の発言を止めようとしました。 それでもK裁判長はお構いなしに言い切ったのです。 「裁判官は国家公務員法の適用を受けるので、守秘義務違反は1年以下の懲役になります」と。 僕はとても苦しくて悲しくなりました。 このことは、裁判員業務が終了した後でも、今なお、ずっと引き摺っています。 実は、このK裁判長の説明は嘘なのです。 裁判官には国家公務員法は適用されません。それで守秘義務違反の罰則はありません。裁判官を辞めた後も守秘義務違反の罰則はありません。 ただ、在職中に秘密を漏らすなどの不行跡があれば弾劾されることはあり得ますが、裁判員やその経験者に課されるような厳しい罰則は裁判官には無いのです。 評議室で左右陪席と全裁判員が揃っている場で、堂々と嘘を言いきったK裁判長。 この嘘が判明してから、何度も謝罪を要求しましたが、結局、回答がありません。 下の写真を見て下さい。評議室の壁に掲示されてあるものです。「嘘を言ってはいけません」「弁護人を個人攻撃することはいけません」等というものも追加で掲げるべきだと思います。
2020.03.17
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僕たちは特別な事件の裁判員だったので、公判期間中は、朝、評議室に入ったら、夕方にその日の業務が終了するまで評議室があるエリアから出ることは出来ません。 トイレは評議室があるエリアを仕切る暗証番号ロック式扉のすぐ外にある刑事部職員専用トイレを使うので、部外者とは終日、全く顔を合わせません。ただ法廷内で関係者と顔を合わせるだけです。 昼食も公判期間中は、評議室で食べます。弁当を持参してもよし、朝、コンビニで買って来てもよしでしたが、多くの人達は、朝、刑事部の事務室で弁当を注文していました。 ただ、刑事部への出入りの業者は3店だけであった上、各店ともメニューが多くはありませんでした。 最初の1、2回は、K裁判長もみんなと一緒に出入りの業者の弁当を食べました。T右陪席判事とM左陪席判事は、全ての公判期日、裁判員と昼食を共にしました。 その昼食タイムと来たら、全然楽しさがありませんでした。そして御飯の味がしないこと。ほんとうに砂を噛むような感じでした。 午前の法廷で、証言台に立った証人の生々しい話だとか、検察側と弁護側の主尋問と反対尋問での壮絶な応酬だとか、鑑定人の吐きたくなるような死体の話などが覚めやらぬ中で、美味しく食べられるわけがなかった。 人が人を裁くという事は大変なことです。しかも、この対馬放火殺人事件は被告人が逮捕時から一貫して無罪を訴え、自白も直接証拠も全く無い事件だったのです。 被告人が犯人なら当然有罪だし、犯人でなければ無罪としなければなりません。どちらの判断をするにも大きな決断のいる裁判員裁判だと思いました。 それを考えると、途端に食欲は無くなりました。 率直な話、僕は裁判員期間中はお腹が減ったから食事をしていた訳ではありません。病気にならないように無理して食べていました。それでも体重が5キロは減りました。 外食がようやく許されたのは、結審後のことです。 下の写真は、その外食で「おすすめの店」を紹介するランチマップです。作成者はM左陪席判事です。まあ、一応、外れはなかったので感謝しました。
2020.03.16
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1月23日の初公判から3月9日の結審までは、メディアや事件関係者、野次馬などとの接触を避けるために、裁判員の出勤と退勤には特別な工夫が凝らされていました。 H書記官は、裁判員の出退勤にこんなに神経を使ったことは初めてだ、と言っていました。 それは、この対馬放火殺人事件がすべてのテレビ局で大々的に取り上げられ、特集が組まれて放送されるような事件であったからです。 通常の事件を担当する裁判員の集合時間である9時頃に、のこのこと出勤すると、地裁前はすでに人だかりが出来ているので、とんでもない事になります。 それで公判期間中は、もっと早い時間に長崎市内の某所の某部屋に集合して、そこから地裁の車で尾行がない事を確認しつつ、遠回りをして地裁に入り、正面玄関ではなく、特殊出入り口から出勤していました。 もし、朝寝坊でもして、某所某部屋での集合時間に遅れると、報道陣や事件関係者、野次馬などが密集している中を1人、サングラスとマスクをして強行突破しなければならなかったのです。 この朝の集合場所の某所某部屋は8時過ぎには開放されていて、ストーブがついていました。裁判員全員が集合次第、地裁に向かう訳ですが、最後に来た人でも、8時20分には来ていました。 集合場所では、みんな会話なんてありません。 「おはようございます」くらいは互いに言いますが、活力なんて感じられません。仕方なく、「さてと、今日も1日、やるしかないな。早く、こんなことからは解放されたいな」っていうような雰囲気でした。 地裁の特殊出入り口に到着しても、すぐには4階刑事部の評議室へは行けなかった。 そこにあるエレベーターは大人数用ではないので、2回に分けないと全員が乗れなかったのです。 退勤する際は、出勤時以上の神経の使いようでした。 公判廷が終了しても、なかなか、報道陣が立ち去りません。弁護士などをつかまえて質疑応答がなされ、地裁入り口付近では延々と大勢がたむろしていました。また報道陣以外の人達もなかなかすぐに帰ろうとしませんでした。 それで、本来の裁判員の退勤時間の夕方5時になっても帰ることが出来ず、地裁を後にする時間が遅れました。 帰りも簡単ではありません。 地裁の車に乗って、ぐるぐるとドライブして、尾行がないことを確認して、朝集合した場所近くで解散です。 解散した後でも気は抜けません。僕は裁判員であることを悟られないように、帰路何度も振り返りながら、長崎市内のホテルへ帰りました。 そもそも、僕は意図的に長崎地裁からかなり離れた場所のホテルに宿泊していました。
2020.03.15
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このブログを目にしている人には、本当に申し訳ない事です。 何度も話すように世間とメディアが大騒ぎしている凄惨な殺人放火事件の裁判員裁判にしては、裁判官と裁判員の裁判に向き合う姿勢には、真剣さの点において、至らない部分がありました。 既述の通り、この原因を作ったのはK裁判長です。 K裁判長がパチスロやネット競馬の話を再三するので、もともとパチンコが趣味だったある裁判員は、心が緩み、裁判員業務が終了後、パチンコ店に直行するようになりました。 その裁判員はパチンコ店の景品のチョコレートなどを評議室に持って来て、裁判官、裁判員の全員に配っていました。 K裁判長は「いいねえ、勝ったんだあ」と興味津々に訊ねていました。 ところで、K裁判長は「仮に仕事が早く終わっても、自分は勤務日はパチスロ店には行かない」と言いました。 実はこれには理由があるのです。ある程度、法律を勉強した者なら、みんな知っていることです。 労働者は労働災害に遭った際、治療費や休業補償などが労災保険から出ますが、その労働災害には、業務災害と通勤災害があるのです。 通常の勤務日に職場と自宅とを往復する際、事故に遭った場合、労災保険がセーフティネットになっているのです。 例えば、事故の加害者が任意保険にも入っていないし資力がない場合、労災保険から補償を受けることが出来ます。 しかし、この通勤災害に認定されるためには、職場と自宅とを単純に往復していなければならず、パチンコ店に立ち寄ったりすると、通勤の定義から外されて、労働災害と認定されないのです。 K裁判長は法律のプロだから、このことを良く知っています。だから、自分自身は仕事帰りにパチスロ店に立ち寄ることをしなかったのです。 K裁判長は、パチンコ店に直行する裁判員にこのことを説明すべきでした。 それに、そもそも、裁判員がその業務(通勤も含む)に関して被災した場合、裁判員が会社員であったとしても、公務員の労災保険が適用されることになっています。このことを一切、長崎地裁関係者は裁判員に説明していません。 対馬放火殺人事件の裁判員は就任日が1月22日、退任日が3月27日でした。 これだけ長い期間、裁判員を務めると、例えば、殺人や放火の痛々しい資料に触れてストレスで内臓が悪くなるとか、メディア関係者などから詰め寄られて揉みくちゃにされて転倒したりとか、地裁内部の階段を踏み外して怪我をするとか、労災が発生するリスクには無視できないものがありました。 K裁判長は、ギャンブルや高級食材、人の悪口を語る前に、本来、話すべきことが沢山あったように思うのですがねえ。
2020.03.14
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結審後、評議室での議論だけとなってからは、K裁判長の専横ぶりが日に日に強烈になって行きました。 議論が熱くなって、時の経過を忘れがちになるのは分かりますが、最初にK裁判長自らが決めた「1時間議論したら、10~15分の休憩を入れる」という約束はきちんと守ってほしかった。 ある時、1時間を超え、1時間30分近く議論が続いて、ほとんどの裁判員がうんざり顔で時計を見ていたので、僕はみんなを代表して「あのう、そろそろ休憩を」と言おうとしました。 すると、まだ話してもいないうちにK裁判長は激高して叫びました。 「あなたには発言の許可を出していないから、喋らないで」 どうせ、こんな事になるだろうと察しを付けて、メモ用紙に「トイレ行きたいです。休憩させて下さい」と書いて、K裁判長の大声と同時に、提示しました。 誤解して怒鳴っておきながら、謝罪はしません。宿泊費の時と同じです。 そもそも、この1時間を超えて評議が長引いた原因はK裁判長が事件とは関係のない笑い話をするから、その分、ロスを作ったのでした。 またK裁判長が「今から10分休みます」とか「15分休みます」とか決めても、その時間が経過せず、全員が戻らないうちに評議を再開したことがあったり、評議が再開しても、だらだらと事件とは無関係の笑い話をして、実質は休憩時間の延長だったこともありました。 前にも述べた通り、僕たちは、父と娘が惨殺され、家屋が放火された重大事件の評議をしているのに、その割には、評議の最中に笑いが多く、しかも、その笑いを主導しているのはK裁判長でした。 その笑いが起こる前兆の把握が、真面目に事件と向き合っている僕にはできませんでした。僕もつられて笑ったことはありますが、毎回ではありません。よくこんな時に笑えるなと感じたことの方が多かった。 K裁判長は、議論が煮詰まって、各裁判員に有罪と思うか、無罪と思うかと訊ねる場面でも、笑っていました。
2020.03.14
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Kさんという弁護側の証人がいました。Kさんは被告人は犯人ではないことを証言する証人でした。 そのKさんへの弁護側の主尋問が始まると、K裁判長は露骨に体を左右に振ったり、首を大きく動かしたり、妙な行動をとりだしました。 そして、遂には、K裁判長は顔を証人から背け、「おまえの証言は信用できないんだよ。だから聞きたくないんだよ」というポーズを決めるに至りました。 そのK裁判長の行動を、呆れて見ていた傍聴席の記者の顔が裁判員の席からは、よく見えていたのです。 後日、その新聞記者から、僕は取材を受け、守秘義務に反しない限度で、率直に答えました。 僕はリアルタイムでも、その後でも、一貫して、このK裁判長の法廷での態度には大いに問題があったと考えています。 こんな姿勢をメディアの人達に見せれば、結審前に「すでにK裁判長は有罪の方針なんだな」と勘繰られてしまいます。 それだけじゃありません。 弁護側と被告人の残りの公判期日の活動に悪影響を与えてしまいます。被告人が犯人であっても、犯人でなくても、どちらのケースでも悪影響が出ると思います。 現に、被告人は、最後にK裁判長から「これが、この裁判であなたが最後に発言できる機会となりますが、最後に言うことは何かありますか」と訊ねられ、「何もありません」と答えています。 僕がもし被告人の立場でも、同じように答えたかも知れません。
2020.03.14
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ある公判期日に次のような出来事がありました。 主任弁護人のO女性弁護士の尋問を「時間が来ましたので止めて下さい」とK裁判長が遮りましたが、それはK裁判長の間違いでした。 時間はまだあったのでK裁判長が「続けて下さい」と言い直した所、O女性弁護士は「キリがいいから、もういいです」と断りました。 しかし、K裁判長が「続けなくていいのですか」と余計な確認を取ったので、O女性弁護士は「そちらが終われって言うし、キリがいいから終わります」と甲高くうんざりした声で返答し、書類を揃える音を大きく法廷に響かせました。 K裁判長はこのことを根に持ちました。 その翌朝、評議室で開口一番、K裁判長はO女性弁護士の個人攻撃のために数分間の時間を割きました。 また、それ以降も何度か、K裁判長は「ヒステリックな女弁護人」という用語を使い、O女性弁護士を個人攻撃しました。 それで、本来、O女性弁護士の私的なことなど、事件の評議とは無関係なのに、裁判員の間では、O女性弁護士が独身なのかどうなのかなどが話し合われました。
2020.03.14
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裁判員就任の宣誓後、評議室で互いに名前を明らかにして自己紹介をする際、K裁判長は言いました。(この名前を明らかにすることも、そもそもK裁判長が提案したことでした)(K裁判長曰く) 「これから、みなさんは裁判員として、長崎県では最長となる期間、この評議室で一緒に過ごすことになるので、名前の他に、皆さんが支障がないと考える範囲でいいですから、何か情報を出してみてはどうでしょうか」 この発言を受けて、大抵の裁判員は、大まかな職種、配偶者の有無、趣味などの個人情報を口外しました。中には、ずばり、勤務先を教えたり、出身高校、出身大学名を出す裁判員もいました。 T右陪席判事とM左陪席判事も結構深く、生い立ちや家族構成を含む個人情報を口外しました。 ところが、言い出しっぺのK裁判長本人は、自分の事を語らず、裁判員たちは、その人間像を掴みかねていました。 K裁判長の趣味が判明したのは、たまたま、公判廷の証人尋問で「パチスロ店に行っていました」という証言があって、その証人尋問終了後、評議室で「実は、僕もパチスロをやってるんですよ。1日で10万円以上儲かったことが何度もあるんですよ。パチスロ歴数十年ですから」とK裁判長自らが得意になって話したことをみんなが聴いたからです。T右陪席判事も「初めて知った」と驚いていました。 また、K裁判長はネット競馬も趣味だと別の機会に言っていました。 そしてK裁判長は2人の若い女性の補充裁判員と親しくなると、度々、「1食数万円する美味しいお店の○○に行った」との話を聞かせ、彼女達から「裁判長~凄い~」と驚嘆の反応を満足気に受けていました。 このやり取りを仄聞して、裁判員たちは高級食材を扱う名店巡りがギャンブルに並ぶK裁判長の趣味であることを知ったのです。 ところが、K裁判長は、親兄弟の事、配偶者ないし恋人の事、友達の事は、一切、語りませんでした。 T右陪席判事もM左陪席判事も「K裁判長の家族の話は、本人から聞いたことがないので、知らない」と言っていました。 ただT右陪席判事はK裁判長がいない時に、「これは私の想像ですが」と断った上で「たぶん、K裁判長は独身だと思います」と言いました。 みんなに個人情報を語らせたK裁判長自身が、妻帯しているのか独身なのかを語らないことを、みんな不思議に思っていました。中には離婚歴があることまで口外した裁判員がいるというのに。裁判長だから、特別だったんでしょうかねえ。 長崎地方裁判所4階刑事部の評議室があるエリアを仕切る暗証番号ロック式の扉です。番号は4桁の数字とアルファベット1文字の組み合わせでした。
2020.03.13
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不謹慎な話ですが、父と娘が残虐に殺されて家屋が放火された事件で、被告人が無罪を主張している裁判だということで世間が大騒ぎして、地裁前はテレビ局や新聞社の記者、傍聴希望者などでごった返しているのに、評議室内はそれに見合っただけの真剣さがありませんでした。 勿論、遊んでいた訳ではありません。でも僕は、全員がもっと真剣であるべきだったと後悔しているのです。 評議を脱線させるのは、いつも、仕切り役のK裁判長でした。それで頻繁に笑いが起きました。裁判員たちには、本当はこんな難しい裁判とは関わり合いになりたくないという意識があるから、つい楽な方向に走りがちだったのです。 K裁判長は、自分が雰囲気を壊して裁判員の議論を阻害しておきながら、議論が遅れ気味に感じたら、次のように言いました。 「もし予定通りに進まなかったら、その時は、皆さんに一か月でも二か月でも延長して裁判員を続けてもらいます。判決は何カ月先になっても構いませんから」 こんな発言をすると、早く裁判員業務から解放されようとする意識を高めるじゃないですか。K裁判長どの。
2020.03.13
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K裁判長は司法修習48期だそうです。この期には、最高裁長官候補と言われているエリート裁判官の前澤達朗さんや法務省エリートで学者肌の松井信憲さんなど、有名で立派な方々がいらっしゃいます。 しかし、K裁判長曰く、「48期の裁判官は、仲が悪く、嫌いだから、互いに付き合わない」のだそうです。 それが真実であるかどうかは分かりません。 ただ、仮にそれが事実であったとしても、評議室で裁判員相手に話すべきことではないと思うのですが。 ちなみにK裁判長は新聞記者にも同様のことを話したそうです。その新聞記者は驚き呆れていました。 下の写真は評議室のソファー横の雑誌ラックです。ここにある雑誌はK裁判長が私費で購入して読み終わったものだと、T右陪席判事が言っていました。
2020.03.13
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評議室では、結審前の段階でも、その日の、あるいは前日の公判廷に出廷した、各証人の陳述内容について、どう思ったか、裁判長から感想を聞かれることがありました。 しかし、証人の陳述だけでは、感覚的に、その時、その場所での出来事が明瞭に理解できないことがあるのです。われわれ裁判員は現場の地形を知らないからです。 この対馬放火殺人事件は、被告人が逮捕以来、一貫して無罪を主張しており、自白をしておらず、かつ直接証拠が皆無であるという特殊な事件でありました。 そのため、有識者の前評判は、有罪なら死刑、そうでなければ無罪と、判断が極端に分かれる事件でした。 こんな重大な事件の裁判員を務めるのだから、いい加減なことであってはならない。少なくとも僕はそう思っていました。 だから、僕はビジュアルな感覚として掴めない、証人が陳述した場所の特徴を理解することに躍起になりました。 それで、ある証人の証言にあった場所をパソコンで検索して、その形状を調べて、K裁判長から訊かれた際、それを話したのです。 裁判員たちからは「分かりやすい」と好評だったのですが、その日の業務終了前、K裁判長から居残るように言われ、他の裁判員達が帰った後、次のように説教を受けました。左右陪席判事も傍で聞いていました。 「検察側と弁護側が出した資料と証人の証言以外のことは、たとえ、真実であったとしても、評議室では話すな。あなたが言ったことは評議とは無関係の戯言だ。この注意も評議とは関係がない。だから、他の裁判員には関係がない」 僕は謝罪せず、そのまま、解任されてもいいと思った。しかし、謝罪しないと、延々と説教が続きそうな気配だった。僕とK裁判長はいいにしても、2人の陪席判事を付き合わせることに罪悪感を感じたので、僕は謝罪しました。 本当は謝罪したくはなかった。 この程度のことを注意するために、解散後、わざわざ1人残して説教する必要があったのか、はなはだ疑問に思いました。 この注意について、まず、最初に感じたのが、宿泊費の件で裁判所と揉めたので、その報復かと思いました。 僕を1人残して説教したのは、険悪な雰囲気を作り、僕を挑発して、僕に反論させて、「なんだ、その反抗的な態度は。それなら解任します」と言うためだったと思います。 つまらないことで解任する場面を他の裁判員に見られると困ると思ったのでしょう。 ちなみに、検察側と弁護側が出した資料と証人の証言以外のことを発言したのは、僕以外の裁判員にも大勢いましたが、居残れと言われて、注意されたのは僕1人だけでした。
2020.03.13
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下の写真3枚を見て下さい。そもそも評議の秘密はリアルタイムで漏れているかも知れないのです。 これは僕がある日、朝8時半より前に評議室に入って撮影したものです。時計の時間を見ていただければ分かります。 早く出勤した理由は、ある事を確認したかったからです。 それは「どうせ、評議室内の掃除とポットの水入れ、ゴミ捨てなどは裁判所の正規職員がやらずに、誰かにやらせているんだろう」と察しを付け、そのことを確認するためでした。 案の定、掃除は見かけない人がやっていました。外見は掃除おばさんでした。朝8時30分より前のことです。裁判所の職員かどうかは確認を取らなかったので分かりません。 ただ、ポットの水入れについては、それより数十分遅れて入って来たM書記官がやっていました。 でも、これらのことって、かなり問題があるのです。 裁判官か裁判員が誰もいない時に人が出入り可能であるということが。 なぜなら、評議室のホワイトボードには評議する事件について議論した内容が書かれているし、裁判員が座る机の上には、公判廷や評議の記録やそれらに対して抱いた自分の感想などが書かれた書類が置かれているのです。 掃除おばさんや雑用の書記官が見ようと思えば、簡単に見れてしまうのです。また、ほんの数分で撮影可能です。 裁判官は、裁判員には貴重品はロッカーに入れるように口うるさく言うし、評議の秘密を守るように執拗に言いますが、自分達の足元にはかなり甘いようです。 評議室の隅に、ホワイトボードと裁判員の業務書類を収納する、暗証番号ロック式の保管庫を作らないと、安心できないと思うのですが。
2020.03.12
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宿泊予約をした後、僕はとんでもないことに気付いて冷や汗が出ました。 もし事故や疾患などで突然、裁判員を辞めなければならなくなった時、宿泊予約はキャンセルしなければならなくなりますが、その際、キャンセル料は誰が払うのか。 長崎地裁のU会計課長は「裁判員の日当を使えば、それで宿泊費は支弁できる」と言いましたが、キャンセルの際の対応については言及しませんでした。 キャンセルした際は、僕は裁判員として働いていないから日当はもらえません。 だから、キャンセル料は貰っていない日当からは払えないのです。 そもそも十分に後先のことを考えずに安易に「各自宿泊の予約を個人でしなさい」と言ったU会計課長に問題はありました。 僕は宿泊予定をキャンセルした場合の料金の負担を「僕が自腹を切るのか、裁判所が出すのか、U会計課長はきちんと説明しなかった」と抗議しました。 長崎地裁の書記官と会計課はなかなか自分達の非を認めようとはしませんでしたが、結局、最後は非を認めて、宿泊費を支給することになりました。 ただ、非は部分的にあるのであって、完全に非があるわけではない、というのが、地裁の見解でした。だから、謝罪はしないということだったのです。 この件に関わった長崎地裁の関係者は、K裁判長、H書記官、M書記官、U会計課長、K会計課長補佐の5人です。いずれも今から2年前、平成30年当時の役職名です。H書記官は、令和2年の現在は総務課にいます。 実は、僕は、この宿泊費をめぐる騒動で精神的に不安定になりました。僕は、精神的に不安定になると絶対ではありませんが、不整脈や不眠が起こりやすくなるので、健康不安を複数の医師に相談しました。 医師の先生たちも、この長崎地裁の対応には問題があると異口同音におっしゃいました。 それで元医学部講師の開業医S先生に診断書を書いてもらい、長崎地裁に提出しました。 のちに、別件で揉めた際、長崎地裁は、この診断書があるから、宿泊費を出すことになった、と嘯きましたが、僕以外の宿泊が必要な裁判員は全員「診断書なし」で宿泊費が出ているのです。 この宿泊費問題を巡る長崎地裁関係者との会話は途中からICレコーダーで録音しました。彼らの中に「そんなことは言っていない」と嘘を言う者がいたからです。 そもそも、K裁判長からして、嘘を言うので、まったく信用できません。また失敗しても非を認めて謝罪をしません。 人間は神様じゃないんですよ。誰だってミスは犯す。それは裁判官も例外じゃありません。僕は軽いミスを捉えて、目くじらを立てているんじゃないんだよ。ある一定限度を超えるミスは謝罪が必要だって言ってるんだよ。 この宿泊費を巡る問題を相談した、すべての人達が言っていました。 「長崎地裁とK裁判長は謝罪すべきだった」と。 結果的に、当初、K裁判長が約束した通り、宿泊費が出ることになったが、それは、僕が抗議したからであって、僕が抗議しなかったら、宿泊が必要な裁判員の人達は裁判員の日当を宿泊費に使い、裁判員として勤務する1月22日から3月27日まで、ただ働きをすることになっていた。U会計課長はこんな理不尽なことを要求していた。
2020.03.12
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それでは、前回の続きです。 K裁判長が宿泊費を出すと言ったため、態度を軟化させた僕たち12名は宣誓をして、正式にそれぞれ正裁判員、補充裁判員に就任しました。 就任後、評議室に異動した僕たちは、互いに自己紹介をした後、K裁判長、T右陪席判事、M左陪席判事の3名からいろいろな説明を受けていました。 その説明が終わる頃、評議室にH書記官とM書記官が来て、宿泊を希望する裁判員にその予定日の確認を取りました。 僕は、原則、全ての勤務日の前日から宿泊することを伝えました。僕の自宅から長崎地裁までは片道2時間30分かかるので、宿泊しないと、この対馬放火殺人事件の裁判員を務めることは無理でした。集合時間に間に合いません。 平成30年1月22日の裁判員選任手続きの日は、この宿泊予定日を書記官に伝えたことで業務が終了しました。 そして、その翌日、平成30年1月23日から公判廷での裁判員業務が始まりました。周知の通り、被告人は罪状認否で無罪を主張したので、大方の予想通り、波乱の幕開けでした。 とにかく、法廷一日目は精神的に疲れました。そんな中、2日目の業務が終わりかけた頃、評議室にH書記官がやって来て、言ったのです。 「昨日、K裁判長が、みなさんに約束した宿泊費ですが、出せないことになりました」 同じことはH書記官が連れてきたU会計課長も言いました。 U会計課長は謝罪した後で言いました。 「宿泊費は裁判員の日当から払ってください」 驚くことに、このやりとりを、K裁判長は悪びれた表情も見せずに近くで聞いていました。 この2人の言い分が通り、宿泊費が出ないことが決定すると、K裁判長は、裁判員就任の宣誓をさせるために、僕たちを騙したことになるというのに! もし、宿泊費が出せないことで決着をつけるつもりだったら、K裁判長もこう言うべきだったのです。「出来ないことを、言って、宣誓をさせてごめんなさい。もう、これで、裁判員を辞めたくなった方は、辞めていただいても結構ですよ」と。 悪いことをやっても、裁判官は頭を下げる必要がないという奢りを感じました。 U会計課長の発言も問題でした。裁判員の日当は薄給です。宿泊費に使うと消えてなくなります。 おまけにU会計課長は、さらに問題のある発言をしました。 「宿泊の予約は各自やってください」と。 それで、その言葉通り、僕は宿泊の予約をしたのです。 次回は、この宿泊予約を巡って、さらに揉めに揉めた騒動に発展した話をします。
2020.03.12
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この対馬放火殺人事件の特殊性については、最初に説明したよね。 自白や直接的な証拠が皆無で難しい裁判だから、公判が22回も開かれ、結審後の評議日数も10日程、その他に予備日まで予定されていたんだよ。 「死刑」か「無罪」かの何れかを選択するという前評判の裁判員裁判だったからね。 これまで長崎地裁の裁判員裁判では誰も経験したことがない、過酷な任務だったんだよ。質、量ともに。 平成30年1月22日に選任手続きで選ばれた6人の正裁判員と6人の補充裁判員は直ちに別室に案内された。そこには宣誓書を朗読する準備がされていたんだ。 しかし、みんな、無言だったが、「裁判員を引き受けたくないです」というオーラを放っていたんだよ。表情が暗いか、不満顔だった。 その上、この事件は主要メディアが注目する全国区の事件だったから、通常の裁判員の業務時間である午前9時30分から午後5時までの勤務ではすまなかったんだよ。 メディアの執拗な取材攻勢や事件関係者、野次馬などとの接触を回避するために午前8時30分集合、午後5時30分解散を長崎地裁は予定していたからね。 僕について言うと、僕の自宅は長崎市内にはないから、裁判員を引き受けると、1月から3月までの寒い中、朝6時前に自宅を出て、夜の8時過ぎに帰宅するという生活を2か月以上続けなければならなかった。 僕だけじゃない。正裁判員6名と補充裁判員6名の半数は長崎市外に居住していたので、ここが最大のネックになっていたんだよ。 なぜなら、規定によると、僕のように地裁まで片道2時間30分かかる距離では「宿泊料」は支給されないことになっていたからさ。 そこで、平身低頭のK裁判長は、裁判員就任の宣誓をさせるために策を弄したのだろうな。次のように言ったんだよ。 「今回、皆さんは特別な裁判を担当することになるから、地裁としても皆さんには特別な配慮をします。特別に全ての人に宿泊料を出しますから、裁判所に拘束される以外の時間は、長崎市内のホテルに泊まって、ゆっくりとお過ごしください。だから是非とも、裁判員就任をご了承ください」 これは有り難かった。僕は内心、長崎地裁とK裁判長に感謝しました。 誰かが「それじゃあ、引き受けます」と言ったら、雪崩を打って、みんな、裁判員就任を了承したんだよ。勿論、僕もね。 でもね。結局、このK裁判長の思いやり発言は裁判員を引き受けさせるための姑息な詐術だった。次回、その点を詳述するね。 僕は思い知ったよ。裁判所と裁判官を信用していた自分が甘かったってことを。
2020.03.11
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2020.03.11
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平成30年1月22日午前9時30分の選任手続きの集合時間に遅れないように、その日は朝6時に起きました。僕の家は長崎地裁から徒歩と電車で2時間30分の距離にあります。 集合時間までに長崎地裁に到着するためには、この時間に起きないと朝食抜きになってしまうのです。 その日、長崎は雨でした。しかも、とても寒い日でした。気温は優に10度を下回っていました。 僕は昔通っていた高校が長崎市に隣接する時津町にあったので、長崎市にもかなりの土地勘がありましたが、長崎地裁前の道路は通ったことがありませんでした。地裁の門もくぐったことはありませんでした。 裁判員候補者である以上、選任手続きに出頭するのは義務であることは分かっていましたが、それはそれは楽しくない一日でした。 正裁判員、補充裁判員に選ばれる過程は、これまで多くの経験者が語ってきた通りのものでした。運良く(悪く?)選ばれた時の「!」という何とも言えない感覚も、先人たちが体験してきたものと同じだったでしょう。 ただ、その時、僕はある事に違和感を感じていたので、補充裁判員に選ばれた驚きは半減していたのです。 なぜなら、挨拶をした刑事部の総括判事が変な事を言っていたので、そのことが心に引っ掛かっていたのです。 その総括判事(裁判長のこと)は「刑事部総括をやるように言われて来ました」とまるで着任の挨拶のような話をしました。この人が着任したのは、この前年の4月のことです。 このK総括判事はこの前年の4月に初めて総括判事に昇格して赴任した職場が長崎地裁刑事部であったわけです。 昇格から10か月経って、裁判員選任手続きの挨拶で「総括判事をやるように言われて来ました」って言うのはなあ。裁判員候補者達にはどうでもいい話なんだけどね。
2020.03.11
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2020.03.11
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「裁判員候補者名簿への記載のお知らせ」と題する書類その他説明の冊子入りの封書が届いたのは平成28年11月16日のことでした。 差出人は最高裁判所となっていましたが、開封すると、真実の差出人は「長崎地方裁判所」となっていました。 そして、それから1年以上経った、平成29年12月中旬には「裁判員等選任手続き期日のお知らせ」と題する書類その他説明冊子入りの封書が長崎地裁から届きました。 僕はその封書に入っていた「質問票」に辞退しない旨の意思表示をして返送しました。当然のことですが、国民の義務を果たそうと思ったからです。 ところが、それから暫らく経った12月下旬頃、時間は夕方でしたが、長崎地裁刑事部の女性書記官のNさんから、自宅に電話が掛かってきました。 そして「来月の選任手続きには必ず来てください」と僕に当たり前のことを言うのです。その時、思ったことは、『まるで、ホステスの営業電話じゃないか』 ちゃんと、辞退せずに出頭するって答えているのに、しつこいなあ、と感じました。 後から考えると、そうせざるをえなかった事情は理解できます。 対馬放火殺人事件は長崎地裁で裁判員裁判が始まって以来、最長となる審理期間となるから、長い拘束期間を裁判員に強いることになります。 主要メディアすべてが注目する全国区の事件であったので、選任手続きに相応の人数が集まらないと、正裁判員6名、補充裁判員6名が1日で決まらない懸念があったのです。 もし、そんな事にでもなると長崎地裁は立場を無くすので、躍起になったのでしょう。 これは、後で福岡地裁刑事部、佐賀地裁刑事部などから聞いた話ですが、普通、何処の地裁も、選任手続きに出頭すると答えた裁判員候補者の自宅に女性書記官を使って電話をさせるなんてことはしないそうです。 周知の通り、全国どこの地裁も、毎年、「裁判員経験者意見交換会」なる会合を催して、裁判員制度が参加した市民にとっても有意義であることをアピールしていますが、その甲斐もなく、裁判員候補者の選任手続きの出席率はどんどん低下しています。 しかし、ここ数年の長崎地裁刑事部に限って言うと、この全国的に顕れている一般的な傾向の他に、もう一つ、長崎地裁刑事部ならではのマイナス要因があって、その要因が選任手続きの出席率低下を大きくしているようなのです。
2020.03.11
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2020.03.10
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