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2024.01.01
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カテゴリ: 神社仏閣・御朱印
中村区栄生町に鎮座する八幡神社から、北へ徒歩5分程の塩池町にある塩池公園へ。
今回掲載する土江(ひじえ)神社はこの公園の一画に鎮座します。

塩池公園の南西角から公園の眺め。
街中の公園としては広々としており、遊具のある陽当たりのよい公園、のび〃と枝をはる樹々が公園を取り囲んでいます。
塩池町の由来は旧町名の日比津町字池口前と池口西の「池」と字塩辛の「塩」を組み合わせた町名だとか。
土江神社は公園北側に社殿を構え、公園南入口に社号標が建てられています。
遠目からこの石標を見たときは「塩池公園」と彫られているものと思ったが、公園入口から参道のようです。

「郷社 土江神社」の社号標は昭和3年に寄進されたもの。
寄進された年代の古い地図を見ると、当時は今の町割が行われる前で当然公園もなく、栄生町の西外れの田畑の中に神社だけが建っていたようです。


公園から眺める社殿。
公園北側を玉垣で囲い、拝殿・本殿の社殿と右側に社務所が建てられている。
境内には社殿を優に超える楠の巨木が聳えています。

鳥居から社殿の眺め。
鳥居の右に由緒、左に手水舎があり、参道の先に切妻の拝殿がある。

「郷社 土江神社
祭神 少彦名命
由緒
この場所で最初に祭られた年月は不明ですが、本国神名帳には「従三位土江天神」と記載されています。尾張誌によれば、現在の社地は狭くなり、荒れ果てています。詳しい社伝は不明です。天神という祖号を持つため、帳内神社の一つとされています。古代には国司や長官が参拝し、着任を申告したり、朔幣を奉じるなどの儀式が行われていました。
御神徳
当社の由緒記は、当氏神少彦名命は神代の昔大国主命と力を合わせて天下を治められたが、人々のために病を治す方法を定めた。
特に鳥獣昆虫の災害を払うための方法を定め、是により百姓は今に至るまでその恩恵を受けている」
上は尾張志の土江天神の記述。
それによれば、日比津村にあり府志云く本国帳に「従三位土江ノ天神」と記載されていますが、現在の社地は荒廃しており、詳しい伝承は不明ととある。
「土江天神」という名前は本国帳だけで、貞治の他の古文書では「入江ノ天神」とあるが「土江天神」の名はなく、土江天神のある古本には「同郡泥江(ヒヂエ)縣ノ天神」とも記され入江天神は見当たりません。
これは、土江と入江と名が違うものの、泥江縣と土江を同じ神社と混在しているように見えますが本来は別の場所で、異なる神々を祀っていたように見えます。

「日比津(ヒビツ)」は泥津(ヒヂツ)が後に訛ったもので、日比津村の常徳寺に応永8年(1401)に愛知郡の「泥津」長秋山に常徳寺が建立されたと記された古文書にもヒヂの名が見られるといい、更にヒヂという言葉が誤解されるは、万葉集に比治奇(ヒヂキ)の奈太のことを「ひびきの灘」と呼ぶのと同じで「ヒヂエ」は、古代に愛智海の入り江の湿地だったためにつけられた名であるとある。
その地域はかなり広く、現在の廣井から日比津のあたりまで、すべてが泥江の一部だったと思われます。
その場所の特に高い土地を泥江(ヒヂエ)縣と呼んだと見え、縣はもともと上田を意味し、公の官舎の所在地を指し現在の廣井村にあたる。

愛智海の入江の形状は、古い地図がなければ知る由もないが、古い伝説や古い書物を考えると、熱田から北は古渡村、廣井村あたりまでの西側を東の端とし、西南の方は海東郡の榎津村、伏屋村などの東側、北の方へ広がり、その北東の極はこの泥津、西の方は甚目寺村あたりまで広がる入海だった。
950年以上前の仁和の時代、甚目寺、萱津あたりは阿波手の浦といい、上萱津村の帳簿には仁和3年までこの村は濱だったと書かれているという。

国の帳簿には土江入江と社号の異なるのは、元々二つの古い説があったと思われ、古事記や伝説が混ざり合っているようです。
土江泥江縣の二神が広江泥津の二村に坐すも、何かつながりがあるようだ。
泥津にあって土江という社号が異なるのは、川原神社が川名に坐すように、他にも例がある。
府志によれば、この神社の土地は狭くなり荒廃したが、遺跡はまだ存在している。
天神という社名さえ正しければ、社殿は戻して帳内神社の列に称えるべきだと締めている。

冒頭でひじえ神社と聞くと中区錦のひじえ縣神社と混同してしまうと書いたけれど、尾張志の泥江(ひじえ)縣神社の記述には従三位泥江縣天神とあり泥江から廣江に変わり、後に廣井となったとある。
時代〃で様々な要因から呼名は変わるにしても、南北朝時代に記された入江ノ天神は現在見られず、それが土江天神、土江神社とするには無理があり、日比津村の長秋山常徳寺も山号は同じだが寺号が「常」ではなく「定」だったような気がする・・・いまだ腑に落ちず泥沼にはまったままですが先に進もう。

手水舎の龍口、鹿の角とされる立派な角、最近春日大社を訪れたが1本角の鹿は見かけなかった、1本角になった訳はなんだろう。

拝殿全景。
白く塗られた切妻平入のコンクリート造り。

拝殿前の狛犬、寄進年は未確認。
左の献灯台に「泥江神社」と刻まれており、寄進年は大正七年(1918)?と思いきや「大正七八年」としか読めない、大正十八年の見間違いかァ、あれ十八年あったか?
まだ泥から抜け出せない。


祭神は少彦名命をお祀りする。

本殿右に板宮造りの境内社が祀られているが社名不明。
左に本殿の屋根が見えますが、高い壁で囲われ造りなどは分からなかった。

拝殿の鬼の紋は六つ唐花の紋に見えるが亀甲枠の中に入るものは見慣れないので違っているかもしれない。

白く綺麗な外観の社殿全景。


公園同様に境内には陽射しが良く入り、明るく綺麗に手入れされた境内。

公園から見る社地全景。
12月とはいえ、風もなく穏やかな昼下がり、陽射しのぬくもりはベンチに腰掛け転寝したくなる、そんな環境に土江(ひじえ)神社は鎮座しています。
土江(ひじえ)神社
創建 / 不明
祭神 / 少彦名命
境内社 / 不明
所在地 / 名古屋市中村区塩池町2-6-17
八幡社から土江神社 / 北へ徒歩​ 5分程 ​(塩池公園)
参拝日 / 2023/12/08
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Last updated  2024.01.01 00:00:26
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