煩悩日記

煩悩日記

二つのかんばせ 1(ギ×藍)

 初めて出会った時は、背がまだその人の肩にも届かない程だった。
 市丸ギンはその人と出会った頃の事をよく覚えている。真央霊術院生で他者に言わせれば当時のギンはまだ顔に幼さが残っていた。当然、背の高さも違いその人と話す時、ギンは何時も見上げていた。そして、表現し難いがその人にとても引きつけられていた。真央霊術院を卒業後、ギンはその人の部下になる。明らかに周りと掛離れている年齢差や見た目で子供扱いされてもおかしくない。実際に一部隊士にギンに対してそうした態度をとる者がいた。しかし、その人は他の隊員達と話す同じ口調で話しかけてくれた。ギンが席官に在席しているから特別扱いしているからではない。その人は誰に対しても平等に接し、自身の副隊長の立場を利用する素振りは全く無い人なのだ。穏やかな笑顔と温和な性格だからなのか、彼が在籍している隊のみならず、他の御廷十三隊の隊士からも慕われていた。
 しかし、その人にはもう一つの顔がある。
 元々、身体の芯迄心地よく響くような声と口調なのだが、もう一つの顔は、身体に響くような声は同じだが全く別の印象になる。冷たく何もかも見透かされている様な雰囲気。まるで心を鷲掴みにされているような感覚。尋常な精神の持ち主なら恐れ戦く印象をあたえるが、ギンは相反する双方の姿を刮目し、そしてどちらのその人の姿が好きなのだ。
 その人のもう一つの顔を知る者はギンと九番隊の東仙要の二人のみ。他者には見せないその顔を近くで見れる事がギンは嬉しかった。
 数年の時が過ぎ、今はその人が隊長にギンは副隊長として何時も行動を共にしていた。
「ありがとう。今日の仕事は一通り片付いたから下がって大丈夫だよ。お疲れさま」
 五番隊隊長、藍染惣右介はゆっくりとした口調で微笑んだ。表の顔である。
「お疲れ様です」
「お先に失礼します」
 既に宵の内になっていた。次々に隊士達は藍染に挨拶をして隊首室を後にする。藍染は丁寧に一人一人に返事を返す。最後の一人が退室したのを確認してギンにも声をかけた。
「さ、僕たちも終わろうか」
「はい」
 隊首室を去り、宿舎へと向かう。
「長い時間つき合わしてしまって悪かったね」
 藍染は私室へ入った時にギンに労いの言葉をかける。二人が隊舎に戻った頃には完全に陽は落ちていた。
「構いまへん」
「まだ、副隊長に任して間もないから色々と大変だろう」
「今は楽しゅうて大変やって思ってないさかい」
「そうか」
 何時、何が起きるか判らない。警戒心からなのか二人きりになった時でも藍染は表の顔のままでいる。それとも表の顔でいることが普通なのかはギンにも判らない。いや、ギンに言わせれば表とか裏とか全く関係がない。どちらも藍染には変わりはないのだ。ただ、その完璧さから悪戯をしたくなる衝動に駆られる時がある。
 藍染は既に隊長の羽織を脱いでいるが私室で寛ぐこともなく文机に向かい仕事をしていた。
「『例の件』どうなってはります?」
「あぁ、予想通りだよ」
 『例の件』
 虚の死神化の実験のことである。随分前に魂魄の虚化の実験は終了していた。次いで虚の死神化。だが、崩玉が手に入っていない為か実験の結果は全て『死神もどきの虚』だった。だが、藍染はこの結果も予想の範囲内らしく、全く焦る事も気にしている様子が無い。
 全て藍染の掌の中にある。自身もその掌の中にいるのはギンは判っているがやはり、離れる気持ちは全く無い。
「しっかし、藍染隊長も真面目やなぁ。私室に戻ってもこうやって霊術院の授業の準備をしてるんやから」
 ギンは藍染が向かっている文机を覗き込んだ。
 藍染は月に一度、真央霊術院の書道教室の特別教師をしている。
「月一度の選択科目とはいえ霊術院のちゃんとした授業だからね」
「その授業もえらい人気があるみたいですなぁ」
「人気……なのかなぁ。確かに教室に入れない院生がいるけれど、僕の選択科目意外でも同じ様に勉強熱心に授業を受けていると思うよ」
「………。ホンマに院生のこと判ってはるんかなぁ」
 と小声で呟いた。
「何か言ったかい」
「何もないです」
 時々、ギンも呆れる位、藍染は今回の様な天然的な事を言う。『例の件』に関しては完璧なのにである。藍染が教鞭をとる書道教室のことは聞いている。選択科目にも係らず毎回定員数を超える院生が集まり廊下で参加している者もいるらしい。書道教室でどうやって廊下で授業を受けいているのだとギンは突っ込みたくなる。そして藍染はそんな彼等を『勉強熱心』と言っているが違うとギンは思う。院生達は藍染の人柄に惹かれ授業に参加しているのだ。
「霊術院かぁ。懐かしいなぁ」
「懐かしいと言っても市丸は通常六年かかる過程を一年で卒業したのだから霊術院に殆ど通っていないだろう」
「あ、そうやった」
「あの頃の市丸は小柄だったのに今では僕の身長と同じ位になったね」
「大きいなったんは背ぇだけやあらへんで」
 ギンの僅かな声のトーンの違いに藍染は気が付き筆を置いて振り返る。
「市丸?」
 その呼びかけにギンは答えず無言のまま顔を近づけて藍染を見つめる。刹那、考えもしなかった事態に藍染は一瞬、呼吸をする事を忘れる程驚いた。ギンが左手で藍染の上半身を抱きしめそして、右手を藍染の後頭部に回し自分に引き寄せると強引に口づけをした。
「──ッ」
 藍染はギンから離れようと体勢を変えようとが、抱きしめられた力は思いのほか力強く、身動きが取れない。
「……っ」
 パンッと乾いた音が部屋に響く。藍染が平手でギンの頬を叩いたのだ。ギンは叩かれたと同時に藍染から顔を外したが、その反動で藍染の眼鏡も飛ばされた。
「今のは一寸、痛かったわ」
 笑いながら頬を摩るギンのその言葉には返事をせず、外れた眼鏡を無言で拾いかけ直す。そのままギンに顔を向けるとその表情は意外にも無表情だった。ギンはこの時ばかりは裏の顔を見せるのではないかと考えていたが、期待は外れた。
 暫くの沈黙の後、藍染は二、三秒程瞳を閉じると再び文机に体を向けた。
「部屋から出て行ってくれないかい。僕は仕事がしたい」
 藍染はギンに背を向けたまま文机の資料に目を通し始める。
「そんなつれない事言わんといて」
 ギンは藍染の後ろから手を回し抱きしめる。
「市丸、離れて欲しいんだが……」
 藍染の言葉が終わらないうちにギンが巫山戯たような口調で遮った。
「嫌や」
 その言葉に藍染は溜め息をする。そしてギンに対して鬼道を使い攻撃しようとした瞬間、パチリと音がした。左手首に何かを嵌められたことに気がつき、左手首を確認すると金属製の腕輪が嵌められていた。
「それ、技術開発局の新しい道具の試作品ですわ。これを手首に嵌められたら鬼道も霊圧の解放で威圧することもできひんようになる代物やて聞いて借りてきたんや」
 そして藍染を勢いよく畳に押し倒し、馬乗りになると両手を押さえつけ手の自由を塞いだ。
「こうでもせんとボクが藍染隊長には敵わへんやろ」
「放してくれないかな」
「厭やて言うてるやろ」
 困った表情の藍染をよそにギンは右手の親指と人差し指で藍染の顎を掴むと無理矢理に口を開かせてもう一度口づけをした。開かせた唇に舌を入れ絡ませる。藍染は体を捩らせて離れよとするが覆いかぶされていて思うようにならない。
「ん…」
 長い口づけの後、ギンは顔を離し藍染の表情を見た。最初に比べ抵抗が少なくなった。先程の口づけの後とは違い表情は明らかに嫌悪していた。しかし、裏の顔ではない。
「何を──」
「説明せんでも、この状況を考えたら分かるやろ?」
 そう言ってギンは藍染の襟に手をかける。
「冗談は止めて欲しい」
「冗談やない。それに止めへんで。本気や」
 藍染はその場から逃れようとしたが逆に襟がはだけることを助長し肩と胸が露になる。
「僕はこんな事はしたくはない」
「ボクはしたいんや」
 そう言ってギンは藍染の耳元で囁くと熱の籠った息が藍染にかかる。
「っ……」
 ギンが軽く藍染の耳を噛んだ。そしてギンは藍染耳の後ろ、首筋、鎖骨、胸の飾りと順に舌を這わせた。逆の胸の飾りには手で愛撫する。執拗な舌の動きと愛撫。他人に触れられる事の無い肌を触れられる違和感。そして思うように動かす事のできない躰。そして不快感。
 しかし藍染の躰は不快感とは逆に熱を帯び息も次第に荒くなる。
「市丸、此処を…何処か分かっているんだろう?誰かが、来るかもしれない…」
 このままでは駄目だと藍染は思い、遠のきそうになっている理性を言葉を口にする事で繋ぎ止めようとする。
「此処は五番隊隊舎の藍染隊長の私室や」
「分かっているなら…」
「大丈夫や。隊首室と違て隊長の私室に来るんは副隊長位や。他の隊士が来るとしてもせいぜい三席。その三席も今日は出払っておらへん。なぁんも心配する事無いで」 
「そんな……ことを言ってい…るんじゃない」
 度切れ途切れながらも藍染は言葉を出していたがシュッと音を立てて袴の紐を解かれると同時に言葉を失い躰が強張る。予想外に身体を強く強張らせたのでギンは動きを止めた。
「どうしたんです?」
「……」
 藍染は答えない。
「……もしかして男とするのは初めてなん?」
「当然だろう」
 今度は眉間に皺を寄せはっきりとした口調で答えた。
「そりゃよかった」
 ギンは嬉しそうに笑ったが、藍染は嫌そうである。
「藍染隊長にとってボクが最初の人になるんやで。良かったと思うし、嬉しいに決まっとる」
「僕は……同じように思えない」


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