煩悩日記

煩悩日記

そらへの階段 5(恋×藍)

 恋次は放心状態の藍染の乱れた前髪を整える。
「藍染さん、起きれますか?」
 そう言って藍染の額に優しく口づけをした。藍染は無言で頷いた。ゆっくりと上半身を起こすと肘の辺りで纏まっていた死覇装を肩にかけ直す。だが、僅かに眼が空ろだった。
「大丈夫ですか?」
「何とかね」
 漸く眼の焦点が定まったようで恋次を見据えた。
「阿散井君、君とこうする事は嫌じゃないんだけど、続けざまに何度もするのは一寸……」
「すみません」
「僕は阿散井君みたいに若くないからね」
「そんなことないですよ」
 そう言われて藍染は苦笑した。
「そろそろ、宿舎へ戻ろうか」
「はい」
 すっと恋次は立ち上がると藍染に手を差し出した。
「立てますか?」
「大丈夫だよ」
 そう言いながらも恋次の手を借りて立ち上がった。すると恋次は身支度をする藍染の死覇装の後身頃が薄暗くなった部屋の中でも分かるほどに皺だらけになっていることに気がついた。完全に死覇装を脱ぐ事無く行為を行った為、後身頃が集中的に皺になったのだろう。
「藍染さん」
「ん?」
「死覇装が皺になってしまって申し訳ないです」
 何時も綺麗な死覇装を身に着けているだけに皺があるだけで不自然さを覚える。
「気にしなくていいよ。羽織を着れば皺は見えないし、部屋に戻ってから手入れをすれば綺麗になるよ」
 そう言って藍染は恋次から羽織を受け取り身に纏う。すると、目の前には見慣れた五番隊隊長、藍染惣右介の姿があった。
「忘れ物は無い?」
「ありません」
「じゃ、帰ろう」
「はい」
 部屋から出ると既に陽は落ちていて、月が空に出ていた。
 宿舎へ戻る回廊の途中で、ざぁっと一陣の風が吹き、二人の間に風に乗って幾つもの花弁が吹雪のように降り掛かる。
「綺麗ですね。桜も、月も」
 この時期は尸魂界でも至る所で桜が咲き誇っている。風は止み、今は只さらさらと静かに桜の花弁が舞い落ち、地面や近くの池の水面を薄紅色に染めている。
「そうだね。月明かりが柔らかで、桜を映えさせている」
 月を見上げる藍染の横顔を見て恋次は言った。
「──藍染さんは月も似合うんですね」
「月も似合う?」
 藍染は恋次を見て小首をかしげた。
「藍染さんって春の暖かな日差しや、風の無いときに静かに舞う桜の花弁の印象があります」
「僕って阿散井君に、そんな風に思われているの?」
「はい」
「僕の印象をそう例えられたのは初めてだよ」
 そう言って藍染は少し笑った。
「そうなんですか?他の死神達も藍染さんの印象について同じような事を言ってましたよ」
「君達はそんな話をしていたんだね」
「すみません」
 恋次はこの数日だけで何度、藍染に『すみません』と言ったのだろうと思った。だが、藍染は特に気にしていないらしい。
「構わないよ。それは褒め言葉と思っていて良いのかな?」
「はい」
「ありがとう」
「藍染さんは春の日差しの印象がありますよ。けれど、この風景に佇むを見ていて空の月や月明かり、桜の花弁、水面に映る月も似合うと思ったんです」
「阿散井君は夢想家なところがあるんだね。意外だったよ」
「俺、夢想家って言われたのは初めてです」
 夢想家、と言われたが嫌な気にはならなかった。今迄の恋次なら今、目にしている風景を見ても気にも留めなかっただろう。藍染と共に見た風景だからこそ、綺麗だと感じられたのかもしれない。
「今日は遅くなってしまったけど、今度はゆっくりと花見でもしようか?僕の部屋からも桜が綺麗に見えるんだ。招待するよ」
「え?藍染さんの部屋ですか?」
 同じ五番隊であるが、隊長である藍染の私室は一般隊士である恋次にとっては全く縁のない場所である。
「嫌かな?」
「そ、そんなことないです!是非、伺わせていただきます」
「そんなに畏まらなくて大丈夫だよ。でも、あまり表立って出来ないね。あまり騒ぐと春水あたりが酒目当てで乱入してきそうだ」
 今度はくすくすと藍染は笑った。
 その時、再び強い風が吹き抜けると地面や回廊に落ちていた桜の花弁が宙へと舞い上がった。雪のように儚くも舞う桜の花弁。それは桜の季節の終わりが近いことを語っていた。



 その後、恋次は五番隊から十一番隊に移動する事となった。まだ成長途中だが、恋次の剣の腕前を見込まれた引き抜きだった。五番隊最後の日、藍染の執務室で二人は逢っていた。移動に関する形式的な会話を終わらせた後、握手をした。これで五番隊から去らなければならない。十一番隊に移動になった事で思う存分、刀を振るう事ができるだろう。しかし、それは愛する人と離れなければならない事を意味している。
 すると藍染は恋次の真意に気がついたのか表情を少し緩ませると、握った手の甲を自分の頬に当てそっと眼を閉じた。
「五番隊は今日で終わりだね。明日から十一番隊。阿散井くんなら剣八の元で十分にやっていけるよ」
「はい」
「五番隊の在籍は短い間だったけれど、色々と頑張ってくれたね。ご苦労様」
 触れらた藍染の手や吐息が何時もより温かい気がする。
「阿散井君には思う存分に力を発揮して欲しい」
「藍染さん」
「ん、何だい?」
 藍染は眼を開けて恋次の顔を見つめた。
「俺、藍染さんの下で働けた事を誇りに思います」
「僕も阿散井くんみたいな優秀な部下が在籍してくれた事を嬉しく思う」
「十一番隊に行っても俺とまた会ってくれますか?」
「そうだね、最前線に赴く事の多い十一番隊だから、会う機会は少なくなると思うけど、それでも良ければ喜んで」
「ありがとうございます」
 この時が何時迄も続いて欲しいと恋次は願ったが、藍染は嬉しそうに笑うと恋次の手を頬から放した。握られたても放されそうになり、恋次は咄嗟に握り返した。
「──ひとつ、言っても良いですか」
 手を離される前にどうしても言いたかった。
「何かな?」
「今日は、俺から言わせてもらいます。『これからも藍染さんのことを好きでいて、いいですか?』」
 それは何時の日か藍染が恋次に言った言葉を名前の部分を言い換えたものだった。その言葉を聞くと藍染は一寸驚いたようで恥ずかしそうな顔をした。
「参ったな。覚えていたんだね」
「忘れる事なんてできません」
「阿散井君の言葉はとても嬉しい。けれど、僕のことは気にしなくていいからね。阿散井君が十一番隊で出来ることに集中して欲しい」
「……はい」
 藍染の言葉が別れを告げているようで恋次は寂しくなったが、顔には出さないように偽りの表情を作る。
「頑張って。応援しているからね」
「俺、もっと力をつけて少しでも藍染さんに近づけるように努力します」
 『強くなりたい』とは以前から思っていた。だが、新たな理由が加わった。近づけば、藍染の元へ戻れる気がしたからだ。
「うん、阿散井君なら十分に素質がある。追いつくのを楽しみに待っているよ。何時迄も」
 そして二人は別れの口づけをした。
 忘れないように、深く心に残るように────。



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