8.失望と疑惑


仕事の覚えも早く、気がきくため仲間たちからも信頼されるようになっていた
ネフェル王女もまた、ひたむきに働くティティを可愛がり
ティティを常に傍らにおくようになっていた

今日も庭園の池に船を浮かべ、王女はティティだけを連れてゆったりとくつろいでいた
鳥のさえずり・・さわやかな風・・静かな水音・・
ティティは優しくネフェルの腕を香油でマッサージしていた

「ティティ・・そなたは本当に上達が早い・・」
「光栄でございます。ネフェル様」
「気持ちが良いこと・・」


しばらくすると、剣と剣がぶつかり合う音が聞こえてきた
男たちが手合わせをしているようだ
音から真剣を使っていることがわかる。一体誰が・・?
徐々にはっきりと見えてきた
あの濃紺のマントは・・セナトス将軍だ!

「船をとめなさい!」

ティティは驚いてマッサージの手を止めた
ネフェル王女の強い口調にビクッと肩がすくんでしまった
ネフェル様?どうされたのだろう?

ネフェルの顔色が完全に変わっていた。羽扇で口元は隠しているが、表情すべてを隠すことはできない
ティティの視線も自然と王女の視線を追ってしまう

剣舞が得意とあって、セナトスの動きは無駄がなく華麗だ
舞と違う所は表情が厳しく、まさに真剣そのもの・・

相手は・・
「・・あぁ・・ハルノートン・・」
ティティの横でネフェルが思わずつぶやいた

二人の剣のぶつかり合いはますます激しさを増す

あぶないっ!

「チィッ!」

セナトスの頬に一筋の血が流れる

「なかなかやりますね、王子」
「そなたこそ」
「この手合わせ、もし私が勝ったら・・」
「勝ったら?」

今度はセナトスが王子を追い詰めていく
剣が風を切る

今度はハルノートンの頬に血が流れる

「くっ!こしゃくなマネをする!」
「やられっぱなしは嫌いでね!これでおあいこだ!」

羽扇を握るネフェルの指に力が入る・・強く握りすぎて指先が白くなってしまっている
ティティは恐くて見ていられなかった
それでも瞳はセナトスを追ってしまう
あの人の魅力には逆らえない。見ずにはいられない!

「セ・・セナトス将軍!」

ティティが思わず叫んだ瞬間
ハルノートン王子の剣が宙を舞った・・

「私の勝ちだ・・」
「何が望みだ・・?」

二人とも激しく息を切らしているが、あくまでも冷静さを装っている

二人の荒い息づかいだけが響く

「我望みは・・」
「望みは・・?」
「あなたの婚約者、ネフェル王女をいただきたい・・!」
「ネフェルを?」

二人の会話は船上の二人にもハッキリと聞こえた



セナトス将軍はネフェル様を・・愛しておられる・・
無理もない。世の男なら誰でも心奪われる素晴らしい女性だもの・・それに将軍とは言え、生まれは王族・・私は商人の娘でしかない・・何を期待していたのか・・思い上がりも甚だしい・・みじめだ・・将軍に恋をしているってハッキリとわかった瞬間に将軍が誰に恋をしているのかも、ハッキリとわかってしまうなんて・・・どうあがいたって叶わない・・
諦めなければ・・諦めるのよ、ティティ・・

この場から消えてしまいたい・・
ティティは身体が冷たくなっていくのを感じた

誰の目から見てもティティの様子は尋常ではなかった
しかし、王女ネフェルもまたこの時、動揺していた

ハルノートン・・「ネフェルは誰にも渡さぬ」と言って!
なぜ何も答えようとはしないの?何を考えてるの?
お願いだから答えてちょうだい!私の気持ちを裏切らないでっ!

どれだけの時間が流れたのだろう・・?
それは一瞬のことかもしれないし、五分、十分にも感じられた・・

「・・・ネフェルは・・」

ハルノートンの唇がやっと動いた

「ネフェルは物ではない。彼女の気持ちが一番大切だ」

ネフェルの手から羽扇子がすべり落ちた

「ほう・・王女の気持ち次第ということですか」
「そうだ・・」
「それはそれは・・たいした自信ですね」
「・・・・」
「お聞きになられましたか?ネフェル王女!」

突然、セナトスが振り返り、船上のネフェルを見た

「・・船を・・出しなさい・・」

船はゆっくりと水面を滑り出した・・

「ティティ・・このことは他言無用ですよ・・」

ネフェルの声は少し震えていた

「はい・・王女様。決して・・」

それ以上二人は言葉を交わすことはなく、ただ水音だけが二人を静かに包んでいた




今宵はリビアの使者のための宴が行なわれる
初めネフェルは気分がすぐれないという理由で欠席を申し出たのだが、ファラオがそれを許さなかった。ネフェルの美しさを使者に見せつけたかったのだろう
ティティも今宵の宴は出たくはなかった
セナトス将軍を見るのが辛かった・・恐かった・・

皮肉なことに、物憂げな様子のネフェルは一層美しかった
ファラオは得意満面である
元来、女好きのファラオはネフェルも我が物にしようと思っている。しかし、ネフェルは常に彼を拒絶していた

「ネフェルよ」
「・・はい」
「今宵こそ、そなたと飲み明かしたい」
「・・今宵は気分がすぐれませぬゆえ・・」

傍らに控えているティティでさえもファラオの眼差しがネフェルの全身をなめるように行き来しているのがわかる。身の毛がよだつとはまさにこのことだ。ネフェルはファラオから視線を反らし、やんわりと拒絶し続けていた

「え~い!ならぬ!これはわしの命令だ!わしはファラオぞ?!ファラオの命令に従えぬというのかっ?!たとえ王女と言えど、これ以上は許せぬ!」

激昂するファラオを冷ややかに見つめるネフェル。まるで駄々をこねる子供と冷静沈着な大人のやりとりだ。
それがまたファラオをいらつかせ、怒らせた

ファラオは持っていた杯を力任せにネフェルに向かって投げつけた
誰もが息を飲んだ

杯が砕ける音と、鈍い音が同時に響いた

「ティティっ!・・なんてことっ!」

ネフェルの悲鳴に近い声

ネフェルをかばうようにしてティティは倒れていた
その額には鮮血が流れている

「ティティ!あぁ・・早く手当てを!誰か!」
「う・・大丈夫です・・王女様・・つッ!」

「侍女の分際で邪魔しおって・・」

思いもよらぬ展開にファラオは苛立ちを隠せない

「フン。おもしろい。おい、何かやれ!舞うなり歌うなり何か見せてみよ!」

「ファラオ!」
ネフェルがファラオを見上げる

「興醒めさせたのだから本来なら殺してやるところだがネフェルに免じて許してやる。ただし、ただで許してやるわけにもいかぬ・・それともネフェル、そなたが代わりに舞うか?!ワハハハハ!」

ティティは怒りに震えていた・・
痛みよりも怒りの方が強い
何がファラオよ!何が興醒めよっ!私こそ許さない!
 でも、ここはネフェル様のために、何かやらなければ・・
感情のまま暴走してしまっては、ご迷惑がかかる

「ティティ・・?」
「ネフェル様、大丈夫です」

ティティは立ち上がり、真っ直ぐ楽士たちの元へ歩いて行き唖然としている楽士からハープを奪う
ハープに触るのは久しぶりだ。気持ちを落ち着かせよう・・
こんな荒ぶった気持ちじゃ良い歌は歌えない・・
セナトス将軍もきっとどこかで見ておられる
私の気持ちを伝えることはできないけれど、せめて
歌に想いをのせて・・

セナトスが眉間にしわを寄せてこちらを見ているのがわかる

セナトス将軍・・私を見ているの?それとも私を通り越してネフェル様を見ているの?

血が右目に入ったようで、視点がうまく合わない
ティティは静かに両目を閉じて歌い始めた

その歌声は、決して「朗々と歌い上げる」という感じではなかったが、澄み切った湖のように透明感にあふれていた
聞いている側の心が浄化されるような歌声であった
そして何よりもティティの「心」に人々は心打たれた
誰もが知っている恋の歌だが、むくわれない恋に苦しむ少女の想いが痛いほど伝わってくる
あの人にこの気持ちが伝わりますように・・

すると、もう一つの歌声がティティの耳に入ってきた

まったく違うタイプの二つの歌声が世にも美しいハーモニーを生み出し、聞いている者の溜息を誘う・・中には涙する者もいた・・もう一つの歌声はティティを優しく包み込むようにうだった・・
心地良い・・このままずっと歌っていたい・・
その時、ティティの意識は遠のき、グラリと身体が傾いた・・
一瞬セナトスが駆け寄ってくるのが見えたが、幻なのか現実なのかティティにはもう考えることはできなかった・・


それは幻ではなかった。セナトスはティティに駆け寄った
セナトスがティティの腕を掴む一瞬前に、優しく彼女を抱きかかえる腕があった

「ハルノートン王子・・あなたは・・?」
「侍女の怪我の手当てが先だ」

ハルノートン王子は軽々とティティを抱き上げた
「誰か、医師を呼べ!手当てを急げ!」

ティティを抱いたハルノートンは会場を急ぎ足で出て行った



ネフェルはまるで金縛りにあったように動けなかった
 皆がヒソヒソと耳打ちしながら、私の方を見ている・・
皆が何を言っているのか手にとるようにわかる
どんな目で私を見ているのかも・・・
ファラオがニヤリと笑いながらネフェルを見ている

今日は何度も打ちのめされている・・
愛するハルノートンによって・・
一度目はセナトスとの手合わせの際の発言
二度目は・・
ネフェルをかばって鮮血を流しながら歌うティティにハルノートンの歌声が重なった時・・
三度目は
ハルノートンがティティを抱き上げて会場を出て行った時・・

ハルノートン、あなたはもしやティティを?
いや、そんなはずはない。ティティは商人の娘に過ぎない
自分のどこがティティに劣っているというのか・・?

額と衣装を血に染めて懸命に歌う少女を助けたいがために思わず歌ってしまったのだろう・・
彼女が心配で抱き上げてまで怪我の手当てを急がせたのだろう・・

 もし、私がティティと同じような状態だったら同じように人々の好奇の眼差しをものともせず、共に歌い、抱き上げ心配してくれただろうか?

・・・私・・ティティに嫉妬している?
栄華を誇るエジプトの王女が商人の娘に?

「・・ありえないわ・・」

誰にも聞こえることのない小さな声でネフェルはつぶやいた

「・・お願い・・」
ハルノートンがティティに心を奪われていませんように・・
私はハルノートンもティティも憎みたくはない・・



「ティティ?気がついたの?」

頭がボーっとする・・

「ティティ、私がわかる?」
「・・・ルカ・・」
「あーっ!よかった!心配したのよぉ~!」

頭が割れるように痛い・・ルカの甲高い声がさらに響く

「私・・どうしたの?」
「おぼえてないの?ウソでしょ?」

ネフェル様をかばって・・歌って・・そうだ、誰かの歌声が優しく私を包んで・・セナトス将軍が駆け寄ってきた・・?

「アナタの歌、すばらしかったわ!私産まれて初めて歌を聴いて涙が出たわ~!」
「・・フフッ・・」
力なくティティが微笑んだ・・
「アナタのせつない想いが痛いほど伝わってきたの・・ティティ、今、恋をしているのね・・しかも辛い恋を・・」
「・・・・」
「もしかして・・ハルノートン王子?」
「はっ?ち、ちがっ・・!ぁイタッ!」

思わず怪我を忘れてガバッと起き上がろうとしてしまった

「何してるのよ!出血がひどかったのよっ!もう!」
「だって、ルカがとんでもないこと言うから・・」
「ハルノートン王子じゃないの?」
「違うわよ~!次期ファラオでネフェル様の婚約者よ?」
「そう・・?」

珍しく真剣に、静かにルカは宴での一部始終を語った

「ルカ・・頭がガンガンする・・」

そんなことが・・王子が私を抱き上げて退出した?
しかも、途中から一緒に歌ってくれたのは王子だった?
ネフェル様が愛しておられる王子が私を・・?
ネフェル様はどう思われたのだろう?

「頭イタ・・」
「今日はゆっくり静養してなさい!傷口が開いたら大変!」
「そうね・・そうするわ・・」

なんだか嫌な予感がする。厄介なことにならなきゃいいけど
とりあえず、今は何も考えずに眠ろう・・






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