ごった煮底辺生活記(凍結中

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なんでも屋神人「殺人鬼」 1



 その昔、武蔵の国に、史上最大にして最深の沼がありました。
 その沼は、底無しの泥に無数の恨みのこもった遺体をもっていました。
 怨念をまとったその沼の名は「魔宮沼」。
 しかし、その沼も今では埋め立てられ、町もできました。
 しかし、怨念は消すことはできなかったのです。
 怨念はその町の住人に影響をあたえて、数々の異常犯罪者を作りました。
 怨念はその町の土地に影響をあたえて、数々の超常現象をおこしました。


 夜の町。夜空は無数の光点に彩られ、地は人工の光点で夜空に負けじと、その身
を化粧する。
 雲が少なく、夜空には満月が白く輝いている。
 美しい夜ではあったが、この町、埼玉県魔宮町…別名"怨霊町"では、夜の
外出は命懸けなのである。昼間さえ過去からの恨みをこめた妖気が渦巻くこの町の
夜は、そう、魔界といっても過言ではないのだ。
 しかし、そんな夜も、二人の子供の遊び心をおさえる事はできなかった。
「げ~~! にっちゃん、もー八時だぜー! うちは門限六時なんだよ~」
「うげー! 怒られるよーそりゃあ! うちもそうだけど!」
 小学5年生二人組。一人は小柄なかわいい男の子。そして、もう一人は帽子を後
ろ向きにかぶった、少々、肥満な"にっちゃん"こと新田伸二。
 二人の門限破りも、数分叱られて終わりだったろう。今日でなければ。
 新田伸二君にとって、一生この日は忘れられないだろう。


 新田家では大騒動だった。
 家族は一人を除きそろっている。
 「んも~~! お母さんあたし、捜してくる!!」
 ブレザーにスカート、制服姿の新田家の長女、秋子が玄関で言った。
 少々、あせり気味に振り返りった。肩にかかるくらいの黒髪がサラリ。
 芸能スカウトが見たら、決して見逃さず、契約金も相当出すであろう可愛い顔も、
今は心配色に染まっている。
「んも~~、部活でくたくただってのに~伸二のやつ!」
 靴をはき、木目のはいったドアのノブに右手をかける。
「ん?」
 異変がおきていた。ノブが…回転しているのだ。すなわち、ドアが開けられよ
うとしているのだった。
 反射的に秋子は手をノブから離した。
 ドアが開く。引きドアだから、家の中から見ると、ノブが遠ざかっていく。
 15センチ開いたか。そこでドアは止まった。
 キラリと何かが光った。
 その隙間から包丁が飛び出して来たのと秋子が右手に切られる痛みを感じたのは
同時だった。
「こんばんは」
 隙間から、やせすぎの男の顔が左半分見えた。目の下に異様に大きな"くま"が
でている不気味な男だった。
 手にした包丁の刃に滴る血は彼女の血。
 秋子は悲鳴をあげようとするが、声にならず、その場に座り込んでしまっていた。
おびえた目に涙をため、震えている。
 日常から一気に地獄へ。
 しかし、秋子にとっての地獄はまだ、その出入り口付近であった。なぜなら、こ
のやせすぎの男は…使命手配中の連続殺人犯人…殺人鬼だったからである。
 彼の"血の快楽"は始まったばかりであったのだ。

 数分後、新田伸二が家に帰った時はすでに、家族は血の海に沈んでいた。
 この町ではあまり珍しくもない事件だが、一人の少年にとって、それは生涯に関
わるかもしれない重大な事件の幕開けだった。

 血臭漂う地獄の夜は明けた。
 少年は悲しみよりも、復讐を選択した。


 新田伸二は自分の前に座る男に、全財産を投じて復讐を依頼しようとしていた。
「まあ、このあんぱんでも食べなさい。牛乳もあるよ」
 菓子箱の置かれた白い木製のテーブルをはさんだ目の前で、右手のあんぱん、左
手の牛乳を交互に口にしているこの男にだ。
 長身の男。黒髪は少々長め。きりりとした眉に…きらりと光る切れ長の目。
グレーのシャツと黒のスラックスで身を包んだその男は、あんぱんさえ食べていな
ければ天があたえた、無類無比・完全無欠の色男であったろう。
 その、あんぱんをうまそうに食う姿を見ていると、不思議に心の悲しみが薄れて
行くような気分に新田伸二はなっていた。が、もう数十分の間、この状態なのだ。
 いいかげん頭にきた。
 本当にこのあんぱん野郎は噂の、なんでもひきうけ、なんでも解決するという
なんでも屋なのか。
(きりさわ じんと)
「霧沢 神人さん! いいかげんにしてください!」
 ふと、霧沢神人の右手が止まった。三口ほど食べられたあんぱんは静かにテー
ブルに置かれた。
「神人さん! どうか頼みます!」
 神人は小学5年生の声を聞いたのか、その不思議な魅力のある--瞳の奥に
無限の空間が見えるような目を伸二に向けた。
 見られて、ゴクリと唾を飲み込んだ。
 が、視線は伸二を通り抜け、その後ろにある、赤い15インチテレビにそそが
れていたのだ。
 拍子抜けして、伸二はこりゃダメだと思った。その時、
「この事件の事だろ? 君の言っているのは」
 いつのまにか、テレビがついている。さっきまでは消えていたのに。
 ブラウン管に写された顔は、まさしく伸二の姉、秋子の、やさしかった姉のか
わいい顔だ。被害者、新田秋子と書いてある。
 スピーカーが口を開いた。
「昨夜、埼玉県町にて発生した殺人事件は、いまだ手掛かりとなる物が見
つからず捜査は難航する模様です。最近、頻発している猟奇連続殺人事件と手口
が似ているため同一犯人による犯行と見られております」
 伸二は頬を流れる熱い涙を感じた。無理もない。小学5年生の少年が、家族を
惨殺されたのはまだ昨夜の事なのだから。脳裏をよぎる思い出。楽しかった事、
悲しかった事、やさしくて、こわくて、大好きな秋子姉ちゃん。そしてその思い
出総てが、今、伸二の口から爆発する言葉の起爆剤となるのだ。
「霧沢神人さん。どうか、恨みを! 家族の、お姉ちゃんのかたきをうって!」
 涙まじりの、熱いうったえ。
「無理だよ」
 …は!? 今、神人はなんと言ったのか。
「それは警察の仕事だよ。うん」
 伸二は呆然と、あんぱんを食う男を見つめるしかなかった。
「神人さん! そんな…」
 呆然としたまま、自分の耳を疑う伸二だったが、
「復讐、いや、敵討ちはこの平成の世の中、ゆるされていないよ」
 現実は非情だった。神人は、なんでも屋神人は、彼の依頼を断ったのだ。
 ………………。
「この、いんちき商売の変態野郎! 一生あんぱん食ってろ!」
 怒りの伸二は、自分の言葉から衣をぬがせて、席を立った。
 出口へ続く木床をドカドカと歩く伸二。彼を止めたのは一人の女だった。
「あら、伸二君。どうしたの!? 神人さんとの話は!?」
 17、8と見える女。さらっとした黒髪を肩までのばし、前髪は眉間で左右に
わけてある。
 ぱっちりした両目は好感を持たずにはいられない。赤い上着に薄茶のスカート、
その上に白いエプロンをつけている事から、彼女は食事の用意でもしていたのか
もしれない。
「うそつき! あいつも、おねーさんもキライだあ!」
「へ!? あ…ちょっと…」
 彼女の声も、ダッシュで出口を抜ける伸二には届かなかった。


「神人さん! どういうつもりなんですか!?」
 顔に怒りの表情を浮かべて、彼女は目前のあんぱんを食う色男に言った。
(あいざわしょうこ)
「相沢章子くん。わしは間違った事は言ってないと思うけど」
自分を"わし"と呼ぶ神人が、彼女に相沢章子に返答する。しかし、わしなどと
いう言葉を使うとは。色男と言っていいものか。
「間違ってます! 何考えてるんですか? うちはなんでも屋なんですよ!」
「わかってるよ。店主だからね。わしは」
「わかっててなぜ…」
 相沢章子はこの問答を自分から止めた。彼は、霧沢神人は、このなんでも屋の
店主なのだ。なにか考えでもあるのだろう。
 その時、店先から声が来た。
「すいません。署の者ですが、店主いますか? 神人さんいますか?」
 警察の刑事だった。そうか、神人はこうなるのを知っていたのか。おそらく刑
事の依頼は猟奇連続殺人事件について、すなわち新田伸二の依頼と同様。
 さすがは神人さん。相沢章子は尊敬の眼差しを神人に注いだ。
    (あかげ)
「ありゃ。阿影刑事か。借金のとりたてだなあ」
「また、冗談ばっかり。さすがは神人さんですね」
 そそくさと店先に出た神人を見て、若い刑事は
「あ、いましたね。さー、この前の賭けの負け分払って下さい。しめて3万円」
と言った。神人は自分の後ろでそれを聞いた相沢章子の笑顔が、みるみると
怒りの表情に変化しているのに気がつかなかった。



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