エレファントピア

エレファントピア

2046(仮)(王家衛)



2046を観に行った。
王家衛(ウォン・カーウェイ)監督が5年間かけて制作した(長すぎ..)作品。
トニー・レオン、コン・リー、チャン・ツーイ、などなど中国、香港、台湾、日本の錚々たる俳優が集った作品でもある。


夫という人はこの作品の発表を2年間の間、今か今かと心待ちにしていた。
それで昨日のレイトショーに友だち夫婦を誘って観に行ったのである。


始り方、かっこいい。より中国感が出ている。
木村拓也のボイスオーバーで物語が始まる。

で…


ん?


んん???



始まって5分、夫と私は顔を見合わせた。




主演のトニー・レオンの声がなんと北京語に吹き替えられている!


↑…と、言っても日本人や外国人には分かりにくいだろうが、
香港出身のトニーは広東語をしゃべっている。
で、カントニーズの夫にはもろ、
例えば大阪人がお気に入りの吉本芸人の漫才を標準語吹き替えで聞いた時のような、なんとも言えない気持ち悪さを感じたらしい。


↑まあ、この例はありえないとしても、私にとっても例えばお気に入りのフランス映画を英語吹き替えで観るような、なんとも物足りない感じがした。


2046の前作である「花様年華」は、始めテレビ、それからVCD、DVDで観た。始めVCDで観た時、北京語吹き替えから途中でオリジナル広東語に変えてみたのだが、方言(ダイレクト)の分からない私にもはっきりと違いが分かった。


役者は身体も表情も声も全部使って演技している。
昨日の経験で、本当に声って大事なんだなあと思った。
声、話し方、話す速度、間の撮り方、声の高低、雰囲気…全てひっくるめて演技になる。特にこういうアート入ってる映画は、役者の全部をひっくるめて初めて作品になるのにな~

さらに夫には北京語の言い回しと広東語の言い回しの細かい違いなんかも分かってしまうので、悲しさ倍増だったっぽい。

多分昨日のショーでその悲しさを味わっていたのは、ヤツ一人だろうな。孤独なヤツ。



なんでこんなことが起こるのかというと、それはシンガポールの一つの中国語政策のためである。
シンガポールでは英語、マレー、タミル、中国語の4言語が尊重されて使用されていると前日記にも書いたが、中国語にはたくさんの方言がある。それが日本語の方言とは違って、お互いに理解できないくらいの違いがあるらしい。

まだ若いシンガポールが国内の統一感を図るために一つの中国語を推し進めるのも、地の利を生かした経済活動で国家を運営しているこの国にとって標準中国語が大事なのも、よ~~く分かる。


分かるけど、政策を芸術に影響させないでよ~~(;;)
(ムリか…)


こんな風にギャーギャー言っているのは明らかにウチの夫婦だけなんだけど、アレであの映画を評価したり、主人公演ずるトニー・リュウを評するようなことがあっては、それは巨大な勘違いだ!と思ってしまう。


あとキムタクが、1960年代香港のノスタルジックな雰囲気に思いっきり合ってなかった。HAHAHA





と、昨夜から今日にかけて散々気炎を上げてきたが、
映画そのものとしては?

ちょっとまだ吹き替えのショックから立ち直っていないので、DVDを待って、オリジナルを観てからここに書こうと思う。


でも一つ。
ウォン・カーウェイは2046を花様年華の「続きとは言えない」と言っていたらしいけれど、花様年華を観ていないと、物語の厚みがやはり理解できないのでは?と思った。
あと、彼の第二作「Days of Being Wild」からの繋がりが。
故レスリー・チャンへのオマージュともとれる。






最終更新日 2004.10.16


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